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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義と民族主義のブログである。
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貼り付ける記事:日本編は、天皇神話・民族中心神話及び血筋・血統の家世襲による皇国史観であり愛国心が目的である。
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昭和20年。
・ヒロシマ・ナガサキの原爆投下は、アメリカ・イギリス・カナダの3カ国による日本人をモルモットにした人体実験であった。
・昭和天皇や政府・軍部は、原爆投下前に降伏して戦争を終わら多くの国民を助けるべく努力を続けていた。
軍部内のソ連派や革新官僚(マルクス主義者・隠れ共産主義者)は、日本を共産主義化する為にアメリカとの直接極秘工作を妨害して潰し、敗戦革命を起こすべく徹底好戦派を煽って本土決戦・一億総玉砕へ暴走させていた。
日本民族は、昭和天皇と皇室を守る為に国體護持を命を犠牲にしても貫いていた。
・アメリカは、無条件降伏の原則に従って、軍国日本が唯一絶対条件としていた国體護持を認めず、昭和天皇を戦争犯罪者として死(自殺・死刑)もしくは廃帝して刑務所に入れるか国外追放を要求し、最終目標が天皇制度を廃止して共和制への変更であった。
つまり日本のアメリカ化として、キリスト教国教、英語の公用語、民族性の消滅である。
前例が、インディアン(ネイティブ・アメリカン)とハワイ王国・ハワイ王家・ハワイ民族であった。
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無条件降伏では、ムッソリーニは集団リンチの後に公開処刑され死体は公園で逆さまに吊られてさらされ、ヒトラーは自殺し遺体はガソリンで焼かれ埋められた。
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昭和天皇は、原爆は非人道的な大量虐殺兵器である事を理解していたので、東條英機首相兼陸相や杉山元参謀総長らに対して陸軍が極秘で進めていた原爆開発の即時中止を厳命した。
軍政の長である東條英機は、昭和天皇の大命を承け、大御心を叶えるべく原爆開発の中止を決定した。
軍令の長である杉山元は、手段を選ばず、戦争に勝利する事を最優先として大命を無視したが、最終的には大元帥である昭和天皇の大御心に従って原爆開発を断念した。
軍部・統帥部は、大御心と大命で弱腰となった東条英機を切り捨て、新しい飾り人形として小磯国昭を首相兼陸相に据えた。
昭和天皇が望んだ戦争とは、陰険・陰湿、卑怯・卑劣を一切しない、日本民族として恥じない、名誉を重んずる武士・サムライらしい正々堂々とした戦いであった。
その象徴が、靖国神社である。
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2月 ヤルタ会議。アメリカは、ソ連が対日戦に参戦する見返りとして北海道の半分、北方領土4島、樺太南部、千島列島を領有する事を認めた。
ソ連とアメリカ人ニューディーラー(マルクス主義者・共産主義者)は、日本を天皇制度を打倒して共産主義国家にするべく陰謀をめぐらせていた。
現・ロシアは、北方領土4島不当占拠の正当根拠をアメリカとのヤルタ秘密協定とポツダム宣言を上げている。
GHQ内のアメリカ人ニューディーラー(マルクス主義者・共産主義者)らは日本占領政策を進める為に、日本人のマルクス主義者や共産主義者を使っていた。
ソ連・中国共産党・国際的共産主義勢力は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本の日本共産党や社会党左派、左翼・左派を支援していた。
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5月15日 日本政府と軍部は、平和を希望する昭和天皇の希望と戦況悪化及び国内状況から、これ以上の戦争継続は不可能と判断し戦争終結極秘交渉を解する事を決定した。
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6月16日 在日中国人による花岡鉱山暴動脱走事件。
日本国内には、味方とも敵とも分からない200万人以上の朝鮮人が居住していた。
戦後、在日朝鮮人による犯罪が日本各地で多発し、多くの日本人が被害者となり、凶悪事件では日本人は朝鮮人に殺された。
日本人にとって朝鮮人は中国人同様に、友・友人、親友、戦友ではなく敵であった。
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6月23日 沖縄戦(4月1日~)は、日本軍の組織的抵抗がわった。兵士と住民数十万人が犠牲となった。
一撃論は、沖縄戦が敗北するまでの話である。
数千人の日本人青年達は、生きては帰れないカミカゼ特攻・回天特攻として、沖縄などに向けて飛び立ち敵艦に突入するが成功せず戦死していた。
日本民族は、沖縄を捨て石にしたが、沖縄県民を見捨てず日本人青年達の命を捧げていた。その象徴が靖国神社であった。
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7月 軍部内のソ連派と政府内の革新官僚(マルクス主義者・隠れ共産主義者)らによって、中立を保っているソ連・共産主義勢力にアメリカへの終戦交渉開始の仲介を依頼する事を決定に押し込んだ。
日本は、正式に停戦交渉の仲介をソ連に申し込んだ。
日本人は、信じてはならない共産主義者を信じるという愚行を起こした。
アメリカ・イギリスは、太平洋戦争開始同様に、日本の外交暗号電報傍聴と日本人情報提供者から軍国日本の行動を知っていた。
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スイスに駐在していた日本の外務・陸軍・海軍・民間(銀行家)は個別に、国際決済銀行幹部を通じて、アメリカOSSダレス機関を通じた極秘降伏工作が始まった。
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アメリカ・イギリスは、日本人に対する原爆投下実験を最終決定し、日本人を人間と認めずモルモットとして原爆爆破の生体実験にする事が合意された。
ホワイト・ハウスは、実戦で二発の原爆投下実験が終了するまで降伏を認めない事を決定し、年末までに18発の原爆投下を許可した。
フランクリン・ルーズベルトは、軍国日本に対して昭和天皇の命と地位の安全を否定した無条件降伏を要求し、日本人に対して昭和天皇一人と日本国民約7,000万人の命の二者択一を強要した。
ファシスト・イタリアでムッソリーニを国民がリンチ処刑し、ナチス・ドイツはヒトラーの自殺で、降伏が認められた。
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マンハッタン計画は、アメリカ・イギリス・カナダの3カ国が協力し、巨額な資金が投じられ、連合国に居住するユダヤ人・アメリカ人・イギリス人・ドイツ人などの優秀な学者・研究者・技術者が集められ、非人道的大量虐殺兵器と分かつている原爆を開発していた。その効果は、対人兵器として実戦で使わなければ分からなかった。
アメリカ軍は、原爆投下実験と日本本土上陸作戦計画の検討に入った。
その頃、軍部内のソ連派と政府部内の革新官僚は、終戦交渉をソ連に一本化する為にスイスで極秘降伏工作を行っている外務・陸軍・海軍・民間(銀行家)に対して即刻中止する事を厳命し、原爆投下前に降伏する努力に潰した。
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7月16日 大統領と原爆推進派は、グルーら知日派が提案した、原爆投下実験前に「皇室維持条項」を含めた警告を出す事を却下した。
7月17日~8月2日 ポツダム会議。
7月21日 トルーマンは、原爆投下実験実施を命じた。
スターリンは、原爆投下と日本降伏前に北海道を占領するべく対日戦参戦を命じ、同時に、軍国日本に対して降伏工作仲介を拒否し、日ソ中立条約の延期をしない事を通告し、日本に宣戦布告を行うことを匂わせた。
関東軍は、満ソ国境でのソ連軍の増強情報を得て、ソ連侵攻を8月下旬か9月頃と予測し、防衛体制の再編に取り掛かった、満蒙在住日本人に対しては南満州・朝鮮への避難を命じたがソ連軍に探知されない為に緊急命令とはしなかった。
その結果、安心し油断し迅速に逃げなかった日本人は満州や南樺太で阿鼻叫喚の惨劇に見舞われ命を落とした。
7月26日 ポツダム宣言が日本に送られてきたが、日本が絶対条件とした国體護持つまり「昭和天皇の身の安全と皇室の存続を保証する条項」が削除されていたた。
アメリカ、イギリス、中国、ソ連は、日本占領政策として、大日本帝国解体、日本国分割統治及ぶ割譲地、昭和天皇戦犯容疑で有罪とする、その他を協議した。
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8月 アメリカ軍は、2種類の原爆投下実験、本土上陸作戦作戦、稲作地帯への枯葉剤散布計画を進めていた。
原爆投下実験は、ヒロシマのウラン型原爆とナガサキのプルトニウム型原爆の2種類で、第3の核兵器である水素爆弾は完成していなかった。
8月10日 アメリカ軍は、3発目の原爆投下は10月中旬頃と報告した。
ソ連軍は満州・南樺太・千島列島に侵攻し、ロシア人共産主義者は逃げ惑う日本人引き揚げ者(主に女性や子供)を数十万人虐殺した。
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共産主義者は、共産主義の大義で人民暴力革命を起こし、女性や子供に関係なく反革命分子や反対派を根絶やしにする事しか考えない虐殺者・殺人狂であった。
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昭和天皇は、被害者であって加害者ではなく戦争犯罪者でもなく、国家元首として道義的責任はあったが政治的責任としての天皇の戦争責任や天皇の戦争犯罪はない。
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昭和天皇「本土決戦を行えば、日本民族は滅びてしまう。そうなれば、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることができようか。自分の任務は祖先から受け継いだ日本を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残ってもらいたい、その人たちが将来ふたたび立ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法はない。そのためなら、自分はどうなっても構わない」(1945年8月10日聖断)
天皇にとって民(日本民族)は「大御宝(おおみたから)」である。
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天皇の意思は「大御心(おおみこころ)」で、民は「大御宝(おおみたから)」として、天皇と日本民族は信頼という硬い絆で結ばれていた。
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昭和天皇は、親ユダヤ派、差別反対主義者、避戦平和主義者、原爆は非人道的大量虐殺兵器であるとして開発中止を厳命した反核兵器派、難民・被災者・弱者などを助ける人道貢献を求め続け、戦争には最後まで不同意を表明し、戦争が始まれば早期に講和して停戦する事を望むなど、人道貢献や平和貢献に努めた、勇気ある偉大な政治的国家元首・軍事的大元帥・宗教的祭祀王であって戦争犯罪者ではない。
同時に、日本の歴史上最も命を狙われた天皇である。
昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは日本人共産主義者テロリストとキリスト教系朝鮮人テロリストであった。
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靖国神社の心・志・精神とは、人道貢献と平和貢献の事である。
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歴史的人道貢献とは。昭和天皇とA級戦犯である東条英機、松岡洋右、松井石根らは、ソ連のポーランド侵略から逃げてきた数万人のポーランド・ユダヤ人を保護し、ナチス・ドイツ、ゲシュタポと日本人の反ユダヤ派、親ドイツ派の上海ホロコーストを阻止しユダヤ人難民数万人を敗戦後まで守り続けた。
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昭和天皇の平和貢献とは、戦争には不同意であったが政府と軍部が決定すれば裁可するが、戦争が始まれば早期に講和を行って戦争を止める事を求め続けた。
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日本国内には、天皇制度を廃絶しようとしている反天皇反民族反日的日本人達が高学歴の知的エリートや進歩的インテリに数多く存在している。
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現代の日本人、政治家・官僚・学者そしてメディア関係者も誰も重大問題とはせず、沈黙、つまりは黙認している。
現代の学校歴史教育では、昭和天皇が行った数々の歴史的偉大な功績は否定され抹消されている。
つまり、生徒・学生で昭和天皇は嫌いが大多数で、昭和天皇が好きだという子供は異常・おかしいとされている。
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昔の日本人は、戦場で人殺しの戦争犯罪を行ったが、同時に戦場で人助けの人道貢献や平和貢献を行った。
現代の日本人は、戦争犯罪を行わないが、人道貢献や平和貢献も行わない。
事実、中国共産党がウイグル・内モンゴル・チベットで行っている人道に対する犯罪であるジェノサイドから目を逸らしている。
興味も関心もないと公言する親中国派・媚中派の政治家や官僚が存在する。
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杉原千畝が助けたポーランド・ユダヤ人難民とは、ドイツ軍占領下の西ポーランドではなく、ソ連軍占領下の東ポーランドから逃げてきたポーランド・ユダヤ人であった。
イギリスのポーランド亡命政府とポーランド軍の密命を帯びたポーランド軍スパイは、陸軍の密命を受けて情報収集活動を行っていた杉原千畝に協力していた。
ポーランド亡命政府とポーランド軍は、ドイツ軍と戦っていたが、同時に連合国の一員であるソ連・共産主義勢力をも憎んでいた。
ポーランド軍は、親日派として日本陸軍と繋がっていた。
日本陸軍の主流派は、親ポーランド派であって親ドイツ派ではなく、親ユダヤ派であって反ユダヤ派ではなかった。
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ロシア・ソ連と国境を接する北欧のフィンランド、イスラム教国のトルコやイランは親日派であった。
特に、イスラム教徒は、反宗教無神論の共産主義を激しく憎み、日本陸軍に協力してトルコ・中央アジア・満州までの長大なソ連封じ込めのユーラシア防共廻廊(宗教防壁の長城)を作ろうとしていた。
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昭和天皇肖像画の写真を燃やす動画が日本の現代アートに、賛成する日本人が多数で、反対する日本人は少数であった。
昭和天皇は、歴代天皇の中で最も日本人に嫌われている天皇である。
2020-02-18
🦲4〕─18─表現の自由。日本の現代アートは「人の写真(例えば皇族の写真)を燃やす」こと。〜No.19
2020-11-07
🦲4〕─21─あいちトリエンナーレ2019。愛知県知事リコール運動敗北。〜No.22
2021-10-14
🦲4〕─24─昭和天皇肖像燃やす動画と「表現の不自由展かんさい2021」。〜No.25
韓国・北朝鮮、中国共産党、アメリカ、ロシア、その他、多くの国々は昭和天皇をヒトラーと同罪の非人道的戦争犯罪と認めている。
アメリカの一部では、昭和天皇が住んでいる東京・皇居の上に原爆を投下して焼き殺す事を望んでいた。
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日本人共産主義者テロリストとキリスト教系朝鮮人テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
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共産主義の5%支配理論。
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有能な共産党員教師が3人いれば、日本の学校をイデオロギー支配できる。
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民族を分けるのは、集団としての言語・文化・伝統・習慣・風習ではなく、共同体を一つにまとめる宗教であった。
日本民族をまとめる宗教とは、天皇中心神話である。
天皇への畏敬・敬愛・崇敬そして忠誠が、ある者は日本民族・帰化系日本人で、ない者は日本民族ではなく渡来系日本人である。
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日本民族の、自然崇拝宗教は数万年前の石器時代・縄文時代まで遡り、女性神の天皇神話は数千年前の弥生時代・古墳時代に成立していた。
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インド仏教教祖の釈迦の生没年は、紀元前463~383年、同560~480年など諸説ある。
ユダヤ教は、紀元前4世頃に発展したと言われている。
キリスト教は、イエス・キリストが紀元前4年頃から始めた。
イスラム教教祖のマホメットは、570~632年まで生きていた。
中華儒教の孔子は、紀元前551~同479年に生きていた。
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1847(弘化4)年 マルクスとエンゲルスは、プロレタリア革命を広める為に共産主義者同盟の綱領を起草して、共産党宣言を行った。
マルクス主義、社会主義、共産主義は歴史の浅い、反宗教無神論の新しいイデオロギーである。
極左組織フランクフルト学派の哲学者達は、1930年代後半にアメリカに亡命した。
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戦前の軍国日本は、同盟国のナチス・ドイツからの外圧を無視し、友好国のアメリカやイギリスが嫌がっても、天皇と日本を頼って逃げて来たポーランド・ユダヤ人難民を助けていた。
現代の平和国家日本は、日本の経済と中国との交易の為に、「友人に嫌がる事はしない」と公言して、中国共産党が行っているウイグル人・チベット人・モンゴル人・少数民族・民主派・法輪功などに対する虐殺から目を逸らし、中国共産党に忖度し顔色をうかがい犠牲者を助けようとはしない。
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近代的軍国日本の戦争とは、数千年前の弥生時代・古墳時代からの天皇を中心とした国體を死守する為の積極的自衛戦争であった。
国體には、数万年前の石器時代・縄文時代からの原始的民族神話が深層に流れている。
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レーニンは、世界人民革命戦略から、中国共産党・日本共産党など極東アジアの共産主義者に対して、日本とアメリカを戦争させ世界戦争に拡大し、西洋列強の富と力の源であるアジアの植民地を解放するように示唆した。
つまり、軍国日本が戦った日中戦争や太平洋戦争はレーニンが仕組んだ謀略であった。
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昭和6(1931)年9月18日 満州事変。
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昭和7(1932)年 ソ連・コミンテルンは、社会ファシズム論から日本共産党に対し32年テーゼ「日本に於ける情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」を送った。
「帝国主義戦争の内乱への転嫁を目標とする日本共産党」に、暴力革命勝利の為の「統一戦線戦術」を命じた。
日本人共産主義者は、人民の正義の為に昭和天皇や皇族を惨殺して大虐殺を伴うロシアのような共産主義暴力革命を起こすべく活動を本格化させた。
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スターリン「日露戦争で屈辱的な敗北を喫したのは、日本に天皇制があったからだ。これを打倒しなければ、日本はいつまでたっても極東においてロシアの脅威になる。権力の中枢である天皇制に何としても打撃を与えなければならない。日本共産党の任務はそこにある」
イギリス、イタリア、ベルギーなど西洋諸国の各国の共産党は、自国の王室を人民の敵とは認めず、それ故に一度も「王室打倒」とは叫ばなかったし、ソ連・国際共産主義勢力も命じなかったし求めなかった。
ロシア人理論家のニコライ・ブハーリンはスターリンの意向を受けて、日本共産党・日本人共産主義者・マルクス主義者らに送られる書簡に「天皇打倒」を書き加え、同時に各国の全ての共産党・共産主義者にも同様の文言を送った。
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三十二年テーゼ
1932年5月コミンテルン執行委員会西ヨーロッパ・ビューローによって決定された「日本における情勢と日本共産党の任務に関する方針書」のこと。日本の支配体制を絶対主義的天皇制とみなし,きたるべき日本革命は天皇制を打倒し,地主制を廃止するブルジョア民主主義革命であり,社会主義革命はその次の段階とする二段階革命論の立場を明確にした。日本では河上肇翻訳で同年7月 10日『赤旗』特別号に掲載され公にされた。同種のものには 27年,31年のものがある。これらのテーゼは当時の日本の経済理論,社会主義運動理論に大きな影響を与え,活発な論争を引起した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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昭和8(1933)年頃から、日本人の共産主義者・社会主義者から大量の転向が続出し、日本共産党は治安維持法による弾圧で壊滅状態に追い込まれ、過激分子は地下に潜って反天皇反民族反日運動を続けた。
転向を拒否した日本共産党幹部は、逮捕されて収監されるか、中国に亡命しソ連やアメリカの支援を受けた。
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日本人共産主義者を庇っていたのが、敵日の中国共産党と人民解放軍(現代の中国軍)であった。
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日本人共産主義者テロリストとキリスト教系朝鮮人テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺する為に狙っていた。
日本人共産主義者とは、反天皇反民族反日本であり反宗教無神論である。
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軍事国家日本は、明治から昭和初期まで戦った大陸戦争は領土拡大の帝国主義的侵略戦争ではなく、天皇・国・民族、歴史・文化・伝統・宗教を外敵から守る民族主義的自衛戦争で、国内に引き込んで撃破する消極的専守防衛ではなく外地の敵軍基地を粉砕する積極的先制防衛であった。
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江戸時代の夜這い、不倫・寝取り、托卵は伝統的性文化であった。
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不倫・夜這い・寝取り・托卵の主導権は女性が持っていて、女性かその気がなければ不成立であり、男性が女性の気持ちを無視して強引に性行為をすれば犯罪とされた。
つまり、不倫・夜這い・寝取り・托卵が成立する条件は、男女同権か女尊男卑であって、男尊女卑ではない。
作法に従わず掟を破れば、男は村八分の制裁を受けるか、最悪はムラから追放された。
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戦国武士の性行為(セックス)には、女性との異性行為、男性との同性行為、動物との獣姦の3種類があった。
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🌈19)─1─日本の道徳・規律・規範は天道様崇拝であって武士道精神ではない。〜No.37No.38 ②
日本の「お天道様」は、キリスト教の全知全能の神ではなく、儒教の天・天帝でもなく、ユダヤ教やイスラム教の絶対神でもない。
お天道様は、何となくの崇拝宗教であって律法・戒律の啓示宗教ではないので、信仰を契約して入信した信者・教徒はいない。
日本民族は、お天道様崇拝者である。
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トライイット
ホーム社会中学社会中学歴史江戸時代武士による支配
中学歴史
身分別の人口の割合 幕末のごろ
総人口約3,200万人
百姓が全体の85% たった7%の武士はどうやって支配する?
江戸時代における、 身分別の人口の割合 が示されています。
一番多いのが 百姓 (農民)で、人口の85%を占めていますね。
その次に多いのが7%の 武士 です。
3番目に多いのが5%の 町人 ですね。
町人には2種類あり、 工業の担い手である工人と商業の担い手である商人 に分かれていました。
そのほかには、えた・ひにんといった被差別階級の人々1.5%
公家・神官・僧侶、その他1.5%。
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江戸時代は庶民の時代で、武士道は社会の片隅であった。
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日本の軍国主義国家建設は、侵略してくるロシア・ソ連・国際共産主義勢力、中国(中国共産党)・朝鮮に対する正当な自衛行為であった。
軍国日本の戦争は、戦時国際法に違反しない合法的な正当防衛の積極的自衛戦争であった。
つまり、日本は戦争犯罪国家ではなかった。
当然、歴代天皇は戦争犯罪者ではない。
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紛れもなき日本民族日本人の切なる願いはただ一つ、数万年前・数千年前の祖先と数千年後・数万年後の子孫の為に、民族中心神話所縁の正統性男系父系天皇制度と神の裔である現皇室の天皇・皇族を守り残す事のみであった。
日本民族日本人が天皇に向ける畏敬・敬愛・親愛は、情緒、情愛よりも強く深く濃い「情念」である。
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昔から、日本にはハーメルンの笛や滅びの笛を吹く教養ある日本人が一定数存在していた。
が、庶民と言わっる教養が低い大半の日本人は哲学・思想・イデオロギーがなく宗教が理解できない為に深く考える事が苦手で、単純思考から権威ある発言を盲信して、甘い言葉に酔って皆と一緒に我を忘れて踊り狂うという気質があった。
付和雷同と同調圧力が日本人の特徴である。
世の中を扇動する日本人は、悪人ではなく、自分が発言し行動している情報・発言は間違いない・正しい・真実と信じきっている善人である。
日本人の不幸は、お人好しすぎて、人を疑う事をしない為に欺されやすく、扇動者の情報・発言は世の為、人の為になると信じ切ってしまう事である。
付和雷同と同調圧力で見事に踊らされた実例が、ダイオキシン騒動、エイズ・パニック、福島原発事故放射能汚染騒動、コロナ騒ぎなどである。
現代日本でハーメルンの笛や滅びの笛を吹くのはマスコミ・メディアであり、国民の間に拡散し混乱を引き起こしているのがインターネット情報である。
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歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中には過激に無政府主義やマルクス主義に染まっていった。
江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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戦後のマルクス主義者・共産主義者は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳すべくメデイア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
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クラウゼビッツ「敵の軍隊を壊滅しても、国が残れば軍隊は再建できる。敵の国を壊滅しても、国民が残れば国は再建できる。しかし国民の意志、魂を壊滅させれば、完全に敵国を壊滅できる」
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現代の日本は歴史のない社会である。
日本の歴史は、昔は神話・物語・天皇・民族・宗教・文明・文化・伝統・その他つまり生と死、命、魂・霊魂の生命力ある歴史であったが、現代では生物としての人類・人間を科学で分析する無味無臭・無味乾燥で生命力なき歴史である。
現代の日本人が学ぶ歴史教育とは、試験合格用のキリスト教西暦・天皇元号と科学的な統計数字・分析数字の記録を丸暗記するだけの死んだ歴史である。
そこには、生きるヒントを与える生きた歴史はない。
それが、反宗教無神論と反天皇反民族反日本の戦後民主主義教育における歴史教育である。
日本を歴史のある社会と歴史のない社会に分断したのが、1980年代頃で、それは当時の日本人が自ら選択した結果であって、誰かに強要されたわけでもなく、如何なる陰謀説も存在しなかった。
まして、戦後レジームなど無関係であった。
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正常で真っ当な人間であれば、死にたいとは思わないし、他人を傷付け、ましてや他人を殺そうとはしない。
日本民族の歴史とは、生きたいと切に思い、生きる事を諦めず、生き抜く為に立ち止まらず、目の前の苦難から逃げず我が身に引き受け、自助・共助で悪戦苦闘しながら耐えて努力して前に歩んできた活きた物語である。
日本の歴史とは、恵と災害をもたらす自然の中で神と人と動植物が棲み分けしながら共に生きる相互補完共生の物語である。
日本民族とはそうした人々である。
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良い日本人は2割、悪い日本人は3割、良くも悪くもなく信念を持たず同調圧力で付和雷同的に流される日本人は5割。
右翼・右派・ネットウハと左翼・左派・ネットサハは、悪い日本人である。
戦後民主主義教育で、そうした日本人が急増した。
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日本人は、惻隠の情を持ち心優しく親切である、はウソである。
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日本人は、いい事もしたが悪い事もした。
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日本は世界で信用されている、日本人は世界で愛されている、はウソである。
日本は世界で信用されていない、日本人は世界で嫌われている、は本当である。
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日本人は賢く優れいている、はウソである。
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自慢して自惚れる日本人は、醜悪なほどに愚かである。
日本人は、しょせん、猿マネである。
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日本人は、過度に褒めるとバカになり、おだて持ち上げると調子に乗って図々しくなる。
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日本人の本性は、論より証拠、百聞は一見にしかず、現代日本人を見ていればわかる。
その代表的な現代日本人とは、高学歴な知的エリートや進歩的インテリ、親中国派・媚中派である。
現代の日本人と昔の日本人とは別人のような日本人である。
現代の日本人は、武士や庶民でもなければ、武士や庶民の子孫でもない。
現代日本には、民族的な武士や庶民は存在しない。
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日本の戦争とは、天皇・皇室と日本国と日本民族を、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、マルクス・レーニン主義=共産主義のイデオロギー侵略から守る母国防衛戦争であり、敵に味方する反日・敵日の中国や朝鮮など周辺諸国を攻撃殲滅し各国に親日傀儡政権をつくり攻守同盟を結ぶ積極的自衛戦争であった。
明治新政府が、近代的天皇制度中央集権国家を選択し、軍国主義政策を採用して、富国強兵・殖産興業・近代教育で軍国日本へと暴走したのはこの為であった。
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日本がアメリカに恐怖したのは、アメリカによるハワイ王国侵略とハワイ王家滅亡、そして自由・民主主義の大義とキリスト教の正義によってと民族の宗教・言語・文化・風習・その他がハワイ諸島から根刮ぎ消滅させられた事である。
アメリカの太平洋侵略を最も警戒したのが、1894(明治27)年にハワイ王国滅亡を目の当たりにした東郷平八郎であった。
ハワイ王国は、アメリカからの侵略から母国を守る為に日本の軍事支援を期待して、明治天皇に天皇家との姻戚関係を申し込んだ。
日本は対ロシア戦に備えて軍備強化を急いでおり、そこに新たに対アメリカ戦を加える余裕はなく、苦渋の選択として天皇家とハワイ王家との結婚は断り、1898(明治31)年にハワイ王国の滅亡を涙を流しながら傍観するしかなかった。
日本海軍内のワシントン海軍軍縮会議に猛反対した艦隊派は、ハワイ王国滅亡を教訓としていた。
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近代日本の主敵は、白人キリスト教のロシアとロシア人であった。
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徳川幕府は、アイヌ人が住む蝦夷地、北方領土を日本の固有領土として統治し守っていた。
ロシアは、千島列島を南下していたが樺太には進出していなかった。
1785年 老中・田沼意次は、ロシアの侵略を警戒して蝦夷地探索隊を派遣した。
1789(寛政元)年 徳川幕府は、アイヌの蜂起クナシリ・メナシの戦いの背後にロシアが策謀していると疑い警戒した。
1792年 老中・松平定信の寛政日露交渉。水戸学による攘夷運動の始まり。
1806年 文化露寇。
1807年 徳川幕府は、東北諸藩に対して蝦夷地防衛の派兵を命じた。
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日本の近代化の目的は、対外戦争を戦う為の軍国主義化であった。
日本の開国・幕末・明治維新・戊辰戦争・近代化・軍国主義化の発端は、ロシアの軍事侵略とキリスト教の宗教侵略で、その歴史的事実が、中世キリスト教会の日本人奴隷交易、寛政日露交渉(1792年)と攘夷運動、文化露寇事件(1807年)と蝦夷地・北方領土派兵(約4,000人)、攘夷派が激怒した対馬事件(1854年)の弱腰交渉、などであった。
日本をロシアから救ったのは、戦争も辞さずのイギリスの軍事力・海軍力であった。
軍事を否定し信用しない国家・国民・民族には、現実世界で生きる資格はなかった。
熱狂的天皇主義者(現代の右翼・右派・ネットウハ、一部の保守派とは無関係)である尊皇派・勤皇派による攘夷運動は、間違った愛国主義・民族主義ではなく、正しい軍国主義・国粋主義・好戦主義、正義の戦争・聖戦であった。
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神国日本を守る為の攘夷対象は、軍事侵略を企むロシアと宗教侵略を繰り返すキリスト教であった。
徳川幕府の経教分離の原則を受け入れて交易を行っていたオランダは、排除すべき攘夷の対象ではなかった。
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ロシアの日本侵略は、ヨーロッパ戦争と連動していた。
1729年~1796年 ロシア女帝エカテリーナ2世(ドイツ人将軍の娘)。
ロシアの海外戦略は、1,ウクライナ、黒海、バルカン半島への領土拡大、2,西進。アラスカ・北米大陸の開拓、3,南進、日本との交易であった。
1796年~1815年 ナポレオン戦争。
1812年 ナポレオンのモスクワ遠征。
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1689年 ネルチンスク条約。ロシア帝国と清王朝は、国境線を外興安嶺(スタノヴォイ山脈)とアルグン川(アムール川上流)を結ぶ線に定めます。
1858年アイグン条約。ロシアは、アムール川(中国名は黒竜江)以北のシベリアの地を強引に割譲させロシア領とした。
1860年 北京条約。ロシアは、アロー戦争に介入し英仏連合軍が北京を占領した所で講和を斡旋し、その見返りとしてウスリー川以東の沿海州を獲得し沿海州の南端の地にウラジオストクを建設した。
ロシアは、不当な手段で手に入れた領土は戦争に負けて奪われない限り返還する事はなかった。
ウラジオストクは冬でも凍らない不凍港で、日本海を南下して中国、朝鮮、日本への侵出を手に入れたが、目障りなのはウラジオストクにある樺太が日本の勢力圏にある事であった。
ロシアは、樺太を自国領にする為にロシア人の軍人や囚人を上陸させて、反日的先住民を味方につけ日本人や親日派アイヌ人に対する暴力事件を頻発させた。
明治8(1875)年 樺太・千島交換条約。明治新政府は、ロシアとの戦争を避ける為に樺太問題を解決すべくロシア領千島との交換条約を結んだ。
日本側の戦略的利点は、ロシア海軍をウラジオストクと樺太の日本海内に封じ込め、宗谷海峡・津軽海峡・対馬海峡を抑えてしまえば太平洋への航路を遮断する事ができた。
ロシアのアジア戦略を、太平洋に進出する西進から満州・天津・朝鮮・日本への南進に切り替えた。
1891(明治24)年 ロシアは陸軍国家として、奪った領地を守り、さらなに領地を拡大する為に大軍を迅速に輸送できるようにするべくシベリア鉄道敷設工事を始めた。
日本は、ロシアとの戦争に備えて軍国主義政策を採用し、強権を持って国民生活を犠牲にして軍拡を進めた。
イギリスは、上海・香港の中国利権をロシアから守る為に日本に接近した。
日露戦争は不可避となり、開戦のその時が刻々と迫っていた。
日本の戦争は、領土拡大の帝国主義的侵略戦争ではなく祖国防衛の民族主義的自衛戦争であった。
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日本には、大航海時代の中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人による日本人奴隷交易(被害者として)と日本軍部・陸軍・A級戦犯によるポーランド・ユダヤ人難民(数万人)をホロコーストから守ったという人道貢献(実行者として)を世界記憶遺産に申請する資格・権利がある。
これは、日本国家ではなく、生きている日本民族日本人としての責務である。
日本人奴隷交易とA級戦犯の人道貢献には、その事実を証明する・裏付ける公文書・古文書・キリスト教会報告書など歴史的証拠が国内外に数多く残っている。
もし、日本の申請が認められないというのならば、ユネスコとイコモスによる世界遺産・世界文化遺産・世界記憶遺産には存在意義はない、無意味・無価値という事である。
日本人奴隷交易の責任の一端は、乱取りで捕らえた日本人を奴隷として外国人に売った日本人にもある。
A級戦犯が有罪となって見せしめ的リンチ縛り首で処刑にされた罪状は、政治家・官僚・軍人として戦争を始めた平和に対する罪であって、拷問・虐待・惨殺・虐殺を行った人道に対する罪ではなかった。
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西洋キリスト教文明国からすれば、日本人はアフリカ人同様に奴隷もしくは人間以下の家畜、自由に殺してかまわない獣であった。
バチカン、ローマ教皇は、改宗した日本人キリシタンを奴隷にする事は禁止したが、改宗を拒む異教徒日本人を奴隷とする事は認めた。
宣教師達は、日本人を救う為に布教活動を行い、多くの日本人をキリシタンに改宗させた。
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武士は、敵が自分より強者・巨大で戦えば必ず負けると分かっている絶望的状況にあっても、体面・名誉・プライドの為に戦うと決断したら「勝敗は時の運」と思い定め、死を覚悟し、「肉を斬らして骨を斬る」の捨て身の戦いを「正々堂々」と奇策や奇兵を駆使しておこなった。
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日本の戦争史において、小国・少勢・小部隊・弱者・不利な者が大国・多勢・大軍・強者・有利な者に対して行う、油断を突く・虚を突くという奇襲・騙し討ち・不意打ち・夜襲は卑劣な戦術ではなく道理にかなった戦術である。
日本軍が戦った対外戦争である、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵そして満州事変、日中戦争、太平洋戦争はすべてそうといえた。
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鎖国下の江戸時代、日本の文化はあるがままでの共存と共生であり、日本の生き方は身の回りでの絆と繋がりであり、日本の生活は目の前の地産地消であった。
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鎖国政策とは、中国や東南アジアから疫病を入れない水際政策であったが、それでもコレラ、ペスト、梅毒、インフルエンザなど日本にはなかった伝染病が侵入して大流行を引き起こしていた。
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対中国・対朝鮮交易は、富をもたらしたが同時に疫病を引き入れる事になった。
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日本の総人口は、江戸開府の1600年頃では約1,200万人~1,800万人で明治5(1872)年には約3,295万人(琉球人とアイヌ人を除く)に増加していた。
人口増加は、慢性的な乳幼児死亡率が高い中で起きていた。
江戸時代の人口増加を支えていたのは、伝承としての継続的変革と一新する破壊的イノベーションであった。
江戸時代は人口が微増して、人生50年といわれ、年齢的人口構成は若者が多く老人が少なかった。
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日本とくに日本民族では、マルクス主義・共産主義・無政府主義による人民革命は起きない。
もし人民革命が起きるとすれば、日本人から日本民族が消滅もしくは少数派となり外国移民の日本国民に入れ替わるもしくは多数派になったときである。
何故なら、マルクス主義・共産主義・無政府主義とは反天皇反民族反日本だからである。
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庶民にとって、領主・大名・主君が誰であったも関係ない。
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戦国時代は、悲惨で、酷たらしい地獄であった。
武士・サムライが、百姓を嫌い差別し「生かさず殺さず」の支配を続けたのには理由があり、戦国の気風が残っていた江戸時代初期に斬り捨て御免が横行していたには理由があった。
日本は、誰も助けてくれないブラック社会であった。
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日本の庶民(百姓や町人)は、中華や西洋など世界の民衆・大衆・人民・市民とは違って、油断も隙もない、あさましく、えげつなく、おぞましく人間であった。
町人は、戦場を見渡せる安全な高台や川の反対岸などの陣取って、酒や弁当を持ち込み遊女らを侍(はべ)らせて宴会を開き、合戦を観戦して楽しんだ。
町人にとって、合戦・戦争は刺激的な娯楽で、武士・サムライが意地を賭けた喧嘩・殺し合いは止める必要のない楽しみであった。
百姓は、合戦が終われば戦場に群がり、死者を弔う名目で死者の身包みを剥ぎ裸にして大きな穴に放り込んで埋め、奪った武器・武具・衣服などを商人に売って現金化し、勝った側で負傷した武士は助けて送り届けて褒美を貰い、負けた側の負傷した武士は殺し或いは逃げた武士は落ち武者狩りで殺し大将首なら勝った側に届けて褒美を貰った。
百姓にとって、合戦は田畑を荒らされ農作物を奪われる人災であったが、同時に戦場荒らしや落ち武者狩りでなどで大金を稼ぐ美味しい副業であった。
合戦に狩り出された庶民は、足軽・雑兵以下の小者・人夫・下男として陣地造りの作事を強要されるが、合戦が始まれば主君を見捨てて我先に一目散に逃げ、勝ち戦となれば勝者の当然の権利として「乱取り」を行い、敵地で金目の品物を略奪し、逃げ遅れた女子供を捉えて人買い商人に奴隷として売った。
百姓や町人らの合戦見物・戦場荒らしは死者への敬意や死体の尊厳を無視するだけに、古代ローマ時代の剣闘士が殺し合うコロセウムより酷かった。
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武将は、足軽・雑兵、小者・人夫・下男による乱取りを黙認していた。
乱取りで捕まった女子供は、各地の奴隷市で日本人商人に買われ、日本人商人は宣教師を通じて白人キリスト教徒の奴隷商人に売って金儲けをしていた。
中世キリスト教会と白人キリスト教徒奴隷商人は、日本人を奴隷として買って世界中に輸出して金儲けしていた。
日本人奴隷を生み出していたのは、乱取りを行った百姓達であった。
一説によると、ポルトガル商人による日本人奴隷の被害者は5万人以上。
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現代日本人は、潔くカッコイイ武士・サムライの子孫ではなく、乱取りをし日本人を奴隷として売って大金を稼いでいた庶民の子孫である。
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日本人は、悪人、悪党、罪人である。
故に、親鸞はそうした救われない哀れな日本人は阿弥陀仏(阿弥陀様)が救ってくださると、「悪人正機説」で他力本願を説いた。
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徳川幕府は、ロシアの軍事侵略から戦争をしてでも蝦夷地・北方領土・南樺太を防衛する為に東北諸藩に出兵を命じた。
東北諸藩は、戦争を覚悟して約4,000人を蝦夷地・北方領土・南樺太に送って防衛任務に当たった。
尊王攘夷派は、神国日本と蝦夷地や北方領土をロシアの軍事侵略から守る為に北に向かっていた。
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徳川幕府内の開国・国防派は、ロシアの軍事侵略から日本を守る為に清国(中国)や朝鮮との三国軍事同盟を模索していた。
戦争を嫌う現代の日本人には考えられない事を、江戸時代の日本人は戦争をする為に考えていた。
古代から朝鮮や中国の侵略で苦しめられた長州などの北九州・中国地方の日本人達は、敵である朝鮮や中国を攻め取ってロシアに対抗すべきだと主張していた。
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明治日本にとって国家存亡の危機とは、ロシアの軍事侵略とキリスト教の宗教侵略であり、ロシアが侵略してきた時に隣国の清国(中国)と朝鮮が日本に味方してくれるのかロシアに協力して敵になるかであった。
が、清国(中国)と朝鮮は日本の淡い期待を裏切ってロシアに味方したのである。
日本の大陸侵略政策とは安全保障が最優先課題で、北のら侵略してくるロシア・ソ連・共産主義勢力に対抗する為に、敵対する中国と朝鮮から反日・敵日・侮日勢力を武力で追放して友好に変え親日・知日の政権を樹立して攻守軍事同盟を結ぶ事であった。
その意味に於いて、日本の対外戦争は全て積極的自衛戦争であった。
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江戸時代のアイヌの人口は、記録上最大約2万6,800人であったが、天領とされて以降は感染症の流行などもあって減少した。
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日本とロシアの真ん中に住んでいるアイヌ人は、日本に味方するか、ロシアに味方するか、第三者として傍観者になるかを強制された。
千島アイヌ人は、ロシア人によって地上から消された。
樺太アイヌ人は、ロシアに残留組・多数派と日本への移住組・少数派に分かれた。
蝦夷アイヌ人は、日本・和人に味方して侵略者ロシアと戦って多くの犠牲者を出していた。
反天皇反日本人(和人)を主張する一部の現代アイヌ人の祖先が、どこのアイヌ人なのかいまいち分からない。
歴史的事実として、日本民族とアイヌ人は同じ縄文人の子孫である。
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明治維新とは、ロシアの軍事侵略から如何にして神国日本を守るかという体制選択であった。
伝統的な徳川将軍家を中心とした諸国・諸藩連合の地方分権体制か、革新的な天皇を中心として一国中央集権体制かである。
佐幕派は前者であり倒幕派は後者であった。
つまり、日本の生き残りを賭けた、佐幕派の継続的変革か倒幕派の破壊的イノベーションかの選択戦争であった。
何れにせよ、世界が大きく激変する時代において、戦争を避ける話し合いによる外交での継続的変革には未来はなく滅亡し、戦争を覚悟した外交での破壊的イノベーションのみが未来で生き残る正解の選択であった。。
それは、現代でも変わる事のない普遍的大原則である。
日本の近代的軍国主義政策は、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、そして最も恐ろしいマルクス主義・共産主義のイデオロギー侵略が原因であった。
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弱小国日本、財政赤字で破綻していた明治新政府の国際的信用の根拠は、天皇の存在であった。
天皇の存在で、近代日本は普通の国家として世界に受け入れられた。
それが、天皇の国家元首としての統治権であった。
欧米列強は、殺しのプロである武士集団ではなく、日本民族の主権者であり祭祀王の天皇の存在ゆえに日本を侵略しなかった。
そこが、日本国とムガル帝国の違いである。
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日清戦争は、世界を巻き込んだ第ゼロ次世界大戦の日露戦争の前哨戦であった。
日露戦争は、日本にとって江戸後期・徳川幕府当時から避けられない、何時かは戦わねばならない「やむなき戦争」であった。
日本の近代化・軍国主義化とは、弱小国家から中程度国家にまで発展させ、世界的大帝国であるロシアと日露戦争に勝つ為であった。
三国干渉による臥薪嘗胆とは、そうした意味があった。
世界の常識からして、日本がロシアに勝つなど誰も想像いていなかった。
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歴史的事実として、数万年前の石器時代・縄文時代から日本人は戦争が嫌いで、他人と争う事、競う事が苦手な民族であった。
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明治から昭和初期までに起こした戦争は、領土拡大の侵略戦争ではなく、現人神天皇、神国日本、神仏の子孫である日本民族を、外敵である夷狄(ロシア・中国・朝鮮)の軍事力と邪教(キリスト教)の信仰力から守る為の積極的自衛戦争であった。
が、現代日本はおろか、中国、韓国・朝鮮、ロシアを含む全ての国々、国際世論は、日本を血に飢えた邪悪・凶悪・残忍な戦争犯罪者と認定・断定している。
それが、東京裁判史観=自虐史観=日本人凶悪・残虐・極悪・非道の重犯罪人史観である。
日本民族が最も恐れたのは、石器時代・縄文時代から数万年かけて先祖が護ってきた日本らしさ・日本の国柄・日本の有り様を根底から消滅させる意図を見せていた信仰宗教のキリスト教とマルクス主義・共産主義のイデオロギーであった。
が、現代日本の歴史教育に深刻な影響をもたらしているのが、そのキリスト教とマルクス主義・共産主義である。
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現代の日本人は歴史が嫌いで、昔の日本人とは違って民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がなく、現実に起きていた歴史的事実を認めない。
高学歴のマルクス主義者の中に、残忍な殺人者であるレーニンを信奉する日本人が多数存在する。
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レーニンは、搾取されている貧しき人民を解放する為には世界の共産主義化しかないとの信念から、日中戦争と日米英蘭戦争(太平洋戦争)をプロデュースし、中国共産党・日本共産党にディレクションした。
スターリンは、屈辱的日露戦争敗北の復讐としてレーニンの対日陰謀を実行し、ピョートル1世(大帝)の日本征服の夢を叶えるべく北海道と北方領土4島を武力で強奪しようとした。
中国共産党は、レーニンとスターリンの指示に従って軍国日本を対米戦争に追い込むべく、中国在住の日本人を虐殺していた。
当時の日本人は、戦争を嫌い争う事を避ける現代の日本人とは違い、中国人の非人道的残虐行為に激怒し、惨殺された日本人の復讐・報復を政府や軍部に求めた。
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中国人による日本人虐殺事件は、第1回南京事件、満州ピクニック惨殺事件、済南事件、通州事件、その他など中国各地で数多き発生していた。
日本人は激怒して「暴支膺懲」に暴走した。
日本国内では、中国人に対する偏見・差別・嫌がらせの事例はあっても、暴行・殺害、強姦、強奪といった刑事事件はなかった。
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日本人共産主義者テロリストは、キリスト教系朝鮮人テロリスト同様に人道貢献と平和貢献をおこなった昭和天皇を惨殺するべく付け狙っていた。
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軍国日本は、戦場で人を殺す戦争犯罪をおこなったが、同時に、戦場で自己犠牲で人を助けるという人道貢献や平和貢献をおこなっていた。
東京裁判は、国際法の正義で、戦争犯罪者と同時に人道貢献や平和貢献をおこなったA級戦犯の陸軍軍人・政治家・官僚を見せしめ的縛り首で殺し、遺灰は遺族に引き渡さずゴミのように尊厳を否定して海に捨てた。
それが、靖国神社問題である。
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戦後の日本共産党を再建したのは、少数の日本人幹部ではなく、朝鮮人共産主義者達で、暴力革命の資金や武器はソ連や中国共産党から提供されていた。
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日中戦争とは、宣戦布告なき世界戦争であった。
日本軍が戦った相手・敵軍とは。
第二次上海事変では、ファシスト中国(中国国民党)とドイツ軍事顧問団・ドイツ軍需産業であった。
ヒトラー、ナチス・ドイツ、ドイツ保守派は、親中国反日派としてファシスト中国を資金と武器で支援していた。
ユダヤ派の松岡洋右外相は、日独伊三国軍需同盟を結んでファシスト中国からナチス・ドイツを切り離した。
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南京攻防戦から中国全土攻防戦では、中国軍に味方するソ連軍正規部隊・国際人民義勇軍・国際的共産主義勢力などであった。
反共派の松岡洋右外相は、日ソ中立条約を結びソ連を中国戦線から追い出した。
ノモンハン事件では、日本軍は戦闘には勝ったが外交で負けた。
ソ連軍は、千島列島の占守島攻略で小部隊の日本軍守備隊による猛反撃にあって占領できなかった。
歴史的事実として、ソ連軍はドイツ軍に勝利したが日本陸軍には勝てなかった。
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重慶攻防戦から太平洋戦争勃発までは、アメリカ人航空ボランティア部隊(アメリカ陸軍航空部隊)、イギリス軍需産業、フランスの仏印援蒋ルートと戦い追い詰めていた。
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日中戦争を陰で支え煽っていたのは、欧米のユダヤ系国際金融資本と世界的な軍需産業及び石油資本であった。
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援蒋ルートであった、北部仏印は進駐して遮断したが、香港ルートはイギリスとの関係から手を出せなかった。
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第二次世界大戦中、ナチス・ドイツは追い詰めたソ連を敗北させる為に、同盟国日本に対してアメリカの対ソ軍事支援ルートの遮断を求めた。
アメリカの対ソ連支援ルートとは、北太平洋航路であるウラジオストク・ルート、インド洋航路であるアフリカ東沿岸ルート、南太平洋航路であるオーストラリア・インド・ルートを経たイラン・スターリングラード・ルート、そしてもう一つがスエズ運河・エジプト・ルートであった。
日本海軍は、インド洋でイギリス東洋艦隊追い詰めていた機動部隊を、東京初空襲を受けてアメリカ海軍機動部隊を撃滅する為にミッドウェー海戦に振り向けたが敗北した。
日本軍部は、太平洋戦争での激戦で手一杯でそれどころではなかった。
日本首脳部内のソ連派・マルクス主義者・隠れ共産主義者達は、ソ連を救う為にナチス・ドイツの要請を拒否した。
その結果、ドイツ軍は日本軍の間接的支援を受けられず北アフリカ戦線でも独ソ戦でも敗北し、そしてナチス・ドイツは滅亡した。
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蒋介石は、ドイツ軍事顧問団からの「日中戦争に勝利する秘訣」として、ソ連もしくはアメリカを戦争に巻き込み日ソ戦争か日米戦争に発展させるべく外交戦略を巡らした。
ソ連に対しては、中ソ不可侵条約を結んで、満州で日本軍の背後を攻撃する密約を交わした。それが後のノモンハン事件である。
アメリカに対しては、宋美麗や国民党幹部らと共のアメリカ・キリスト教会で洗礼を受けてキリスト教徒になり、キリスト教会を利用してアメリカ世論を親中反日反天皇に誘導した。
それに答えたのが、民主党大統領フランクリンルーズベルトと共和党幹部のスチムソン元国務長官ら反日強硬保守派であった。
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日本共産党の永遠に不変な不磨の党是とは、マルクス・レーニン主義にける人民の権利と共産主義の正義及び大義の実現である。
反天皇、天皇制打倒、反日本民族。反日本文明。反日本文化。
戦争反対と軍備反対の護憲で、交戦権の放棄、自衛隊解体。
反米・日米安保破棄・在日米軍追放、集団的自衛権反対と同盟拒否で日米安全保障条約廃棄。
対外的には、平和的な対話による外交安全保障。
科学万能による、自然改造による自然破壊と自然宗教否定。
神話宗教・血統世襲による正統性・男系父系の天皇制否定と皇室廃絶、非宗教非血筋非世襲の正当性女系母系天皇制ヘの変更、その他である。
マルクス主義と共産主義は、反宗教無神論と反天皇反民族反日本で、天皇と神話に関連する民族の歴史・文化・伝統・宗教の全面否定する。
共産主義者は人民暴力革命を成功させる為に、護憲・反戦平和・無抵抗非暴力を隠れ蓑として使っている。
事実、日本人共産主義者テロリストはキリスト教系朝鮮人テロリスト同様に昭和天皇や皇族を惨殺するべく付け狙っていた。
マルクス主義者は、日本民族神話を消滅させる為に神殺しを行い、死後の世界を否定し消し去る為に仏殺しを行い、今の命が大事というヒューマニズムで死を無価値とし死者への尊厳を踏み躙り霊魂を屑籠に捨てた。
それは、戦後民主主義教育の勝利である。
彼らによって、ジャパニーズ・ジャポンである天皇家・皇室は消滅される定めにある。
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現代日本における政治家・官僚・学者・教育者には、新井白石に匹敵する見識と博識を持った日本人はいない。
つまり、現代の日本人は民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がなく、ローカルな民族神話・崇拝宗教が嫌いであり、日本民族の歴史に対する理解がない。
それは、グローバル志向の高学歴な知的エリートや進歩的インテリに顕著である。
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天皇の存在意義とは、国内においては国家と国民統合の象徴であり、国外においては日本国と日本民族の信用の源泉である。
日本円貨の信用も、日本の国家、政府、日銀、国民ではなく天皇である。
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国際社会において、国家が国家として認められ、国民が国民として認められるには、正当性を持った不動の信用がなければならない。
国家が、納税者の国民と税収を得る領土と税金を使う統治組織・政府機構を持っていても、安心して国交を開くにたる信用を保証する正当性な根拠がなければ、国際社会は相手を真面な国家とは認めずならず者集団・犯罪者組織として対等な仲間とは認めなかった。
代表例が、イスラム教スンナ派のイスラム国(IS)である。
国民の信用の根拠をそこで生活している人間である事と主張しても、国際社会は認めない。
国際社会が戦争や災害で逃げ出してきた他国の難民を受け入れて助けるのは、信用とは別次元の話である。
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日本国憲法が、日本国と日本国民の国際的信用を保証してはいない。
そもそも、日本国憲法を保証しているのは天皇である以上、正統な天皇の承認なくし日本国憲法の正当性はない。
日本において、数万年の石器時代・縄文時代及び数千年前の弥生時代・古墳時代から受け継いできた歴史・伝統・文化・宗教における天皇の正統性は、1946年成立のキリスト教・マルクス主義・共産主義によって書かれた日本国憲法の正当性の上位にある。
戦後民主主義教育を受けた日本国民や外国人日本国籍保有者が、日本国憲法における国民主権で自分達が日本国の国際的信用を責任を持って保証すると宣言した所で認められない。
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明治維新が成功し、国際社会で財政破綻している明治新政府が認められたのは、天皇の存在が国際的な信用を保証していたあらである。
もし、天皇の信用がなければ、日本はムガル帝国のように滅亡していた。
国際社会は、ムガル皇帝の信用がインド国家とインド国民を保証しないと裁定を下した為に、正統なムガル帝国は国際法及び世界ルールに従って滅ぼされた。
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国際社会、世界は、信用が保証されていない相手・国家・国民に対して、悪人であろうが善人であろうが、世の為人の為に、世界の為に人類の為に、如何によい事を数多く行ったとしても、非情で、残酷で、苛酷で、えげつなかった。
国際社会から国家の信用が停止され剥奪された、チベット宗教国家は反宗教無神論の中国共産党に侵略されチベット人は虐殺されて消滅し、ハワイ民族王国はアメリカに併呑されハワイ王家は廃止させアメリカの一州に編入されて地球上から消えた。
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明治政府は政治の近代化とは宗教の排除であるとして、近代の西洋哲学と啓蒙思想そして儒教を利用して宗教統制・宗教弾圧を行い、国民の廃仏毀釈を黙認し行政の神社合祀を断行した。
廃仏毀釈の原因となった神仏分離令は、明治元(1868)年に発せら、仏教寺院が持っていた広大な境内と荘園が没収された。
国家神道は宗教ではなく、神への信仰ではなく神社での拝礼のみであった。
神道国教化政策の一環として、明治元(1868)年に神仏分離令を発して「廃仏毀釈」が起きた。
明治39(1906)年 一町村一社を原則に統廃合を行う「神社合祀令」を出し、3年間で全国各地で4万社もの神社が取り壊され、大正2年頃には19万社から12万社にまで激減した。
廃止された神社の神域は、国庫に納められるか民間に売却され、神の御所として護られていた自然は乱開発で破壊された。
儒教は、マルクス主義と同様に反宗教無神論であり、宗教弾圧であった。
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明治後期から大正期にかけて自然主義文学運動が起き、近代の西洋哲学と啓蒙思想にキリスト教とマルクス主義・共産主義が加わり民族の歴史を攻撃排除した。
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インベンション
昭和10年頃 1,000円程度の金があれば東京都内で家が建てられた。
戦闘機1機、7万円、爆撃機1機、20万円、戦車1台、35万円。
戦車は高額な特殊鋼を大量に使う為に値段が高かった。
日本陸軍が、戦車ではなく航空機を主力兵器としたのは正しい判断であった。
陸軍主力戦闘機「隼」の製造を許可したもは、東條英機であった。
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アメリカが唯一の大国と言われる理由は、他国に頼る事なく輸入せず自国内だけで食糧、物資、エネルギーを自給できるからであり、もし足りないものがあれば北米、中米大陸、カリブ海で他国の妨害を得ずに手に入れる事ができる。
アメリカは、地理的条件、地政学から唯一侵略されない絶対安全国家である。
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江戸時代までの日本は、外国から生存に必要な物資を輸入しない、頼る事がない地産地消の完全自給国で、その為に気象異常で凶作が起きると飢饉が発生して夥しい人々が餓死していた。
日本は近代化と共に食糧・物資・エネルギー(石油)の輸入国に転落した。
明治から昭和前期にかけて、日本は、経済が発展し産業が盛んになると大量の石油と資が必要となり、人口爆発で人口が急速に増えると国内生産では賄えなくなった。
明治以降の日本は、大凶作に襲われても食糧を緊急輸入して餓死者を出さなくなった。
輸入国家日本は、食糧・物資・エネルギー(石油)を外国で購入する為に外貨を稼ぎ、アメリカやイギリスなど西洋諸国内で日本資産を増やしていた。
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国際通貨は米ドル貨・英ポンド貨・仏フラン貨などで、日本円貨は通用しなかった。
日本の貿易で重要であったのが、アメリカとイギリスに貯めた在外日本資産であった。
アメリカ・ウォール街、イギリス・シティー、オランダ・アムステルダムの金融を支配していたのは、ユダヤ系国際金融資本であった。
そして、世界の食糧・物資・石油などを支配していたのは、アメリカとイギリスの国際資本であった。
世界戦略からいえば、食糧・物資・石油は最有力な武器であった。
輸入国家日本の命綱は、輸出産業で稼いだ外貨を貯めた在外日本資産であった。
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米ドルは、断トツの信用を持った世界市場における基軸通貨である。
アメリカは、軍事力と経済力そして通貨力で、世界の食糧・物資・エネルギーを支配し、金融・経済、情報・サービス、インターネット、運輸、輸送、その他の各種サービスを動かし、海上・上空・陸上の安全をアメリカ軍が保障している。
アメリカの本当の力は、世界の安全と安定を守る警察・守護者以前にある。
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日本は、アメリカに依存し、アメリカ経済に寄生して生きている。
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日本が大国になれない理由は、生きる為に必要な食糧・経済に必要な物資・資源生産と生活に必要なエネルギーを自給できず海外で米ドル建てで購入し、金融・経済、情報・サービス、インターネット、運輸、輸送、その他の各種サービスをアメリカに頼り、海・空・陸における安全をアメリカ軍に依存しているからである。
日本は、何一つとして自国だけで自力で賄えない。
つまり、日本は如何にアメリカに抗(あらが)おうとも日米安保体制という軛(くびき)から逃げ出せない。
その厳然たる事実を忘れたのが、ジャパン・アズ・ナンバーワンと煽てられ有頂天になったバブル経済における世界第2位の経済大国日本であった。
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戦前の日本はその深刻な現実を自覚するが故に、経済安全保障として、自給自足の大東亜共栄圏(円貨ブロック経済圏)を自力で作ろうとした。
太平洋戦争とは、軍国日本の領土拡大の為の侵略戦争ではなかった。
事実、昭和前期は人工爆発と凶作続きで食糧輸入国に転落し、昭和16年は異常気象で約1,000万人分の食糧不足となり仏印(現ベトナム)から大量の外米を緊急輸入して飢餓・餓死を防いだ。
外米を買うには米国ドルが必要であり、輸送船を動かす為には石油が必要であった。
が、アメリカ、イギリス、オランダは中国侵略を続ける日本に対する経済制裁として、在外日本資産の凍結と日本に対する石油全面禁止を断行した。
同じような深刻な事態が、コロナ禍2021年末のコロナ禍と2022年2月のウクライナ戦争で発生し、世界的な原油高で輸入資源不足と輸入代金高騰で日本国内のガソリン代や食品の値上が始まっている。
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日本経済のビジネス・モデル、成功モデルは、ケチと出血受注・激安販売・人件費削減であった。 ・ ・ ・
戦後復興・高度経済成長・バブル経済は、赤字覚悟の出血受注、激安売り、貯蓄より浪費という大量生産・大量消費で起きた。
それは、同時に人生50年時代の若者が多く老人が少ない人口爆発期でもあった。
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日本経済衰退の最大の原因は、明治以降の日本、特に戦前の「贅沢は敵」という価値観で貯蓄に励んだ事である。
江戸時代の豊かさは、武士・支配階級は「倹約は美徳」として浪費を抑えて将来の戦争に備えて金や食糧を貯めていたが、明日を考えない庶民は「宵越しの銭は持たぬ」として浪費し自ら好んで貧しい生活を送っていた。
マルクス主義や共産主義が声高に叫ぶように、江戸時代の庶民が貧しかったのは、幕藩体制下で領主・大名・専制君主から重税を科せられ、重労働を強いられ、搾取されていたからではない。
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現代日本の経済を復活させる唯一の方法は、日本人が老後を心配せず明日に不安を感じず、稼いだ金・給料を次の給料日までに全て浪費して使い切る事である。
なまじ、将来や明日の事に気を病み、老後の事を心配するから金を浪費する事ができないのである。
つまり、日本経済を救う唯一の方法は、未来への夢や希望をドブに捨て貯蓄を辞めて全額引き出し、今だけの豊かさ楽しんで浪費して狂ったように踊る事である。
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将来不安・老度心配とは、人生100年時代で若者が少なく老人が多い人口激減期で悪化、深刻化する。
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日本の貧しい庶民は、西洋の人民や中華の民衆とは違うのである。
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