🏋04:─3・B─『失敗の本質』完成秘話。歴史力がない現代日本は敗北・失敗から学ばない。~No.42No.43 

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 戦前を否定する現代の日本人にとって、靖国神社に英霊として祭神(軍神)として祀られた人々は無駄死に、犬死にである。
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 令和4年3月号 正論「『失敗の本質』共著者が語る
 敗北から学ばない日本
 杉之尾宜生
 大東亜戦争が開戦した後の日本軍の『戦い方』『負け方』を研究対象とした『失敗の本質──日本軍の組織論的研究』が出版されてから40年近い歳月が経った。軍事の勉強がしたいと防衛大学校に移ってこられた野中郁次郎先生との出会いが同書執筆のきっかけだった。
 昭和54年3月、母校の戦史教官に補職され、戦史研究に社会科学研究方法論を導入できないかと思っていたところ、全く面識のない野中先生から突然、『お互いに専門分野について自己紹介をしようではないか』との御提案を頂いた。野中先生は経営学・組織論とは何かを、私は中東戦争史を説明した。『なかなか面白いですな』と野中先生は興味を惹かれ、続けることになった。
 後に日本外交史の戸部良一先生、組織論の鎌田伸一先生が加わった、戸部先生の提案だったと思うが、第一次史料の収集が困難な中東戦争史ではなく、大東亜戦争を素材にして社会科学的に見直してその敗北の実態を明らかにしていこうとなった。新しいテーマが確定された後、軍事史専攻の村井友秀先生、組織論の寺本義也先生も加わった。研究会で主導的役割を果たしてきた野中先生が一橋大学に転出されると、頻度は落ちたが泊まりがけの『合宿』を何度か行った。
 すでに陸軍も海軍もない、割と自由に研究ができた。自衛官だったので自分が書いた文章が本となることなど考えられず、大東亜戦争と同じ期間の3年8カ月間、確たる研究目標もなく研究会を続けた。これだけ努力したのだから、第三者の厳しい批判を仰ぐためにも活字にしないといけないと、出版化を目指すことになった。
 当時、我々が参考にしたのは、米政治学者グレアム・アリソンの著書『決定の本質』だった。この本は1962年10月のキューバ危機における米政府の対外政策を分析したもので、官僚組織の意思決定過程を学ぶために使った。これを参考にして、戸部先生が『「失敗の本質」というタイトルはどうだろうか』と提案し、皆賛同した。
 ……
 元外交官の岡崎久彦先生が『週刊文春』で好意的な書評をしてくれたことも大きかった。加えて、東京工業大学永井陽之助先生が、昭和59年に『文藝春秋』で連載中の『現代と戦略』において『戦史は愚行の葬列』と批判された。高名な永井先生の影響は大きく、一般読者はどんなくだらない本かと興味を抱いてくれたのかも知れない。
 一橋大学名誉教授の藤原彰先生も『日本軍について研究しながら天皇制について一言も触れていない』と批判された。天皇陛下と日本軍との関係については、野中先生が『文化論に陥ると左翼の人たちと同じ土俵に乗った論調になるから避けよう』として、『天皇の軍隊』ということには一切触れず、純粋な組織論として描くことにしたのだった。
 触れなかった戦争突入の理由
 『失敗の本質』に対する読者の一番の不満は、サブタイトルに『日本軍の組織論研究』と銘打っておきながら、なぜああいう戦争に突入したのかということについては、何も書いていないことだろう。
 それは序章で『戦争原因究明を本書に期待しているとすれば、読者はおそらく失望するだろう。というのは、本書は、日本がなぜ大東亜戦争に突入したかを問うものではないからである。もちろん、なぜ敗けるべき戦争に訴えたのかを問うことは、すでにいくつかのすぐれた研究があるとはいえ、今後も問い直してしかるべきであろう。しかし、本書はあえてそれを問わない』と記してある。
 開戦した後の陸軍なら2、3個師団とか、海軍なら南雲艦隊とか中規模の組織の限定された戦域での戦闘に絞って『戦術・作戦戦略』の次元に限定して分析研究した。『失敗の本質』はそれまで主観的に語られがちだった帝国陸海軍の戦史を、経営学の組織論という学問的な研究方法で分析・研究したことで読者の興味を引いたのではないか。
 もっとも日本軍の組織論といっても、そもそも当時の日本には国家としての単一の日本軍という軍事組織は存在しなかった。
 帝国陸軍、帝国海軍という武装集団が個別に並列し、それぞれが統帥権の独立を主張した。内閣の介入を許さず、天皇陛下に直属する参謀本部と海軍軍令部がそれぞれ個別に陛下を輔翼(補佐)するという憲法解釈を採っていた。当世琉の表現とすれば、国家としての統合的な危機管理組織も機能も法制的には存在しなかった。
 3年8カ月間の戦いぶりを顧みると、周到綿密な計画準備の下で敢行された初期進攻作戦を除き、今の自衛隊だったらこんな稚拙な作戦はしなかっただろう。自衛隊には実戦経験こそないものの、軍事プロフェッショナルの面では欧米諸国軍や旧ソ連軍の戦術・作戦戦略を真摯(しんし)に学び、帝国陸海軍に比し遜色ない教育訓練練度に達していると確信している。
 何が勝敗を分けたか
 大東亜戦争の勝敗の転換点となったのは、昭和19年6月のマナリア沖海戦とサイパン、グワムなどのマリアナ諸島をめぐる戦いだった。軍事的合理性に徹した真摯な軍事指導者が存在していれば、長期不敗の態勢は築けないと、和平工作の進言をなすべき時期だった。ところが、我が国では和平工作を提案した将軍、提督は一人もいなかった。
 陸軍士官学校海軍兵学校の場合、中学4年終了もしくは中学校卒業生を、特に陸軍幼年学校は中学1年修了(13歳)の時点で、知能指数(IQ)の高い逸材を集めておきながら、リベラル・アーツを欠落させた極端に偏った教育を施していたため、独特の気風を持ったエリート意識が形成され、広い視野、合理的思考の育成を阻害することになった。 開戦前夜の第三次近衛内閣の海軍大臣及川古志郎大将は古今東西の古典を愛読し、漢籍にも親炙(しんしゃ)した合理的思考ができる温厚篤実(おんこうとくじつ)な教養人だった。しかし、『日米の国力・戦力の圧倒的な格差を的確に理解認識』していたにもかかわらず、及川は閣議などで『帝國海軍は、アメリカ太平洋艦隊とは互角に戦えない』という実態について公言することはなかった。
 軍事的理解・判断力おない素人の近衛文麿首相に対し隠密裏に、『帝國海軍がアメリカ海軍と戦うことができないことは、総理お独りでお含みのうえ、私は〝総理一任〟とのみ申し上げますので、〝和戦の決議〟は総理から・・・』と周到綿密なる根回しを行った、と公刊戦史『大本営海軍部大東亜戦争開戦経緯』は伝えている。
 昭和5年のロンドン海軍軍縮会議以来、『統帥部独立』の憲法解釈を最も強硬に主張してきた帝国海軍の現役最長老だった及川は、昭和天皇に対する海軍大臣としての補弼(ほひつ)責任も輔翼責任も果たすことはなかった。
 時の陸軍大臣東条英機中将は、『日米両国の国力・戦力の格差』に関する正確な情報を接し、かつ『海軍に戦う能力はない』と薄々感じながらも、『敢えて陸軍が泥をかぶる』という姿勢もなく補弼責任、輔翼責任を果たすことはなかったのは、及川と同であった。
 明治の人たちは欧州の帝国主義国家の恐ろしさをよく知っていた。日露戦争の時には『臥薪嘗胆』と準備を重ねた。
 明治35(1902)年に日英同盟を結び、戦費調達のために高橋是清らが英米外積を募集した。科学技術も重視しイノベーションに務めた。大東亜戦争の時、そうした努力はほとんどなされていない。戦争目的なしに支那事変に突入し、戦線を拡大し米国との戦争に入っていった。日本軍の『情報』と『兵站』の軽視こそが『失敗の本質』だった。
 退官後に出版した『大東亜戦争敗北の本質』でも書いたが、①国家として統一された統合情報機関も人材育成もなかった②防諜に対する意識が希薄だった③それでも戦中においても正しい情報が報告されていたが、これらが用いられなかった──ことが帝国陸海軍の失敗として要約できるのではないか。
 陸上自衛隊富士学校で偵察隊訓練を受けた時、旧帝国陸軍少・中尉だった三佐・二佐クラスの教官から、米軍式のマニュアルに基づき野戦における情報収集活動の教育訓練を受けていた。偵察教育の総仕上げとも言うべき実兵実車によるゼロ泊3日の演習が北・東富士演習場で行われ、帝国陸軍少佐だった陸大出身の某陸将が演習最終日に視察に来られた。
 演習後の講評で『教官方の熱心な御指導と学生諸官の真摯な演習実施の労を多とする。ところで、敵情不明は戦場の常であり、戦場の実相は錯誤の連続である。敵情解明に汲々として戦機を逸するようなことがあってはならない。任務に基づき断固として決心、処置をしなければならない場合について一考して頂きたい』と語った。今でも想うことは『帝國陸軍伝統の〝戦機至上主義〟の根深さ』である。
 敵情解明を軽視したために、昭和17(1942)年夏、ガダルカナル島ではアメリカ軍の兵力を2,000人との海軍情報(現実には米軍上陸兵力は1万3,000人)をうのみにした陸軍統帥部は、一木清直大佐率いる一木支隊の先遣隊約900人を送り込んだが、待ち受けていた米軍が周到に準備構築した防御陣地による組織的な火力反撃によりほぼ全滅した。
 ガダルカナル島緒戦の敗北原因が、『帝國陸軍伝統の戦機至上主義・白兵銃剣突撃主義』であることに気付くのは、敗戦後の自衛官たちであった。
 陸軍出身者はしばしば『陸軍はいつも海軍に引きずり込まれた』と言うこれは事実ではあるが、陸軍は陸軍で自前で情報を集め、ガダルカナル島を奪還するかの可否を判断しなければならなかった。
 海軍敗北の起点となったのは、同年6月に主力空母4隻を失ったミッドウェイ海戦だった。海軍内には暗号が米軍に解読されているのではないかとの疑念が浮上していたものの、うやむやのままだった。しかも、海戦後、海軍は新しい暗号に交換することもしなかった。暗号の問題は暗号に携わる専門家しかわからない。解読されたのではないかとの疑念が生じても、暗号解読の専門家集団の『我が国の暗号は鉄壁』との説明をうのみにしていたのである。
 ミッドウェイ海戦後、海軍中枢が取った最初の対応は『敗北事実の隠蔽』であった。いかなる国のいかなる軍隊においても、作戦の結節ごとに必ず開催されるのが調査委員会であるにもかかわずだ。戦後、米軍は日本海軍の暗号解読に成功していた事実を公表し我々は唖然とした。
 評論家の山本七平氏は、日本軍の最大の特徴として『言葉を奪ったことにある』と捉えたが、それは今の自衛官も変わらない。『専守防衛』や『憲法九条』の枠の中に縛り付けられている。直面する危機を考えた時、これまでのようにがんじがらめの憲法解釈や既存の法律に縛られたままでは軍事プロフェッショナルに基づく任務を遂行することは至難の業である。
 直面する『覚悟』の時
 『覚悟』が問われる時にきている。……
 大方の日本人は中国と台湾の間で緊張が高まっても巻き込まれたくないという気持ちが強いかもしれない。台湾有事は我が国の有事であるという意識は、政治家からも安倍晋三首相や一部を除きあまり伝わってこない。
 台湾有事はそのまま日本の有事であるとの意識で準備をしないと、『専守防衛』や『憲法九条』に縛られたままでは、日本国民は将来後悔することになるのは必至である。日清戦争から日露戦争まで10年あったが、いまの日本には時間が限られている。台湾危機は数年のうちに起こるかもしれない。あるいは今年起きても不思議ではない。そうしたなかで政治家が強力なリーダーシップを発揮しなければならない。
 ……日本は『唯一の被爆国』と言っても中国の習近平国家主席には何も響かない。『第二、第三の広島、長崎』をつくることに何ら躊躇しない男が隣国にいるという認識を持つべきだ。……
 ……『核兵器を使用するぞ』という恫喝だけで今の日本は心理的にガタガタになる恐れが十分にある。
 ……
 自衛官も意識改革を
 我が国は大東亜戦争の敗北から本当に学んだとはいえない。中でも学んでいないのは、そのまま残された中央官庁だろう。軍事を忌避するあまり、いざというときいかに軍事力を使うか考えてこなかった。……
 『失敗の本質』では、『組織は進化するためには、新しい知識を組織化しなければならない。つまり、進化する組織は学習する組織でなければならないのである。組織は環境との相互作用を通じて、生存に必要な知識を選択淘汰し、それらを蓄積する』と書いた。
 政治家のリーダーシップが必要なことはもちろんだが、それを支える自衛官や軍人としての立場で警鐘を乱打すべきである。
 ……
 ……他省庁の行政文書が隠蔽・改ざん・破棄されることは時折見聞するが、自衛隊の行動計画・報告などと他の行政官庁の行政文書とは本質的に異質だ。
 ソ連崩壊直後、グラスノスチ(情報公開)により、モスクワの軍事史研究所が一時期「第一次史料」を全面公開した。NHKは昭和14年5月から9月にかけて満州国モンゴル人民共和国の国境線を巡って起きたノモンハン事件の第一次史料約5万件をすべてコピーして持ち帰ってきた。ソ連共産党書記長スターリンに都合の悪い情報も保管されていた。……
 私が大東亜戦争の『失敗の本質』にこだわるのは、戦争を遂行した人たちを糾弾するのが目的ではない。なかには合理的な精神を持ち、問題点を見抜いていた人もいれば、部分的には正しかった組織もあった。それでも敗北した事実は変わらない。『失敗の本質』という帝国陸海軍の事例に促して分析することで、将来万が一日本が武力戦に巻き込まれた時に、少しでも被害を減らすべく、戦争とは何かを知っておく必要があると信じているからである。
 大東亜戦争の教訓を活かすことこそが、この戦争で亡くなられた約300万人の方々の命を無駄にしないことではないだろうか。」
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大東亜戦争 敗北の本質 (ちくま新書)
戦略の本質 戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ
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 大正期までの日本人は、事実に基づいた歴史が好きで、先人や自分の失敗や敗北からよく学んで対処していた。
 それ故に、同じような間違いを犯す事はなかった。
 昭和期に入ると失敗や敗北から学ばなくなり、バブル崩壊後からはその傾向が顕著となり、平成後期からはハッキリとそうといえる。
 令和の現代はそうといえる。
 何故なら、現代の日本人は民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がなく、そもそも歴史的事実に基づいた現実に起きた歴史が嫌いだからである。
 それは、学校で教えるリベラル的革新的歴史教育を見れば一目瞭然である。
 その実例をあげれば、徳川幕府による日本人奴隷交易を阻止する為のキリスト教禁止・宣教師追放そして鎖国である。
 現代の日本人は、鎖国の意味を知らない。
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 現代日本における知的レベルは年々低下して敗北から学ぶ能力が失われている。
 日本社会とは、「出る杭は打たれる」的なブラック社会である。
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 現代の日本人は世界的にも読書が好きな国民であるが、それは所詮「論語読みの論語知らず」に過ぎない。
 つまり、馬の耳に念仏、犬に論語、兎に祭文、牛に経文で、役に立っている様で役に立っていない。
 江戸後期、明治期、大正期、昭和戦争前期、昭和敗戦後期、平成期そして令和期の政治家、官僚、学者・教育者、企業家・経営者、他などを比べればはっきりわかる。
 その傾向が顕著なのは、戦後民主主義教育を受けた優秀・有能な高学歴出身の知的エリートや進歩的インテリに言える。
 日本民族あるいは日本人が駄目なのではなく、現代の日本人が駄目なのである。
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 現代の日本人とは、「馬鹿の一つ覚え」である。
 現代の日本人と昔の日本人の違いは。
 昔の日本人は現代の日本人と違いは、戦場で人を殺すという戦争犯罪を行ったが、「火中の栗を拾う」的に、戦場で人を助ける自己犠牲的人道貢献を行い、戦争を止める平和努力・平和貢献も行っていた。
 つまり、昔の日本人には悪人も善人もいたが、現代の日本人には善人だけで悪人はいない。
 善人とは、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者、学者・教育者等の事である。
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 現代日本では、中国共産党・ロシア・北朝鮮などが「核兵器を使用するぞ」と恫喝したり「侵略するぞ」と脅迫すると青ざめて、恐怖し、ロシア軍の侵略から祖国を守ろうと武器を取り命を捨てても戦うウクライナ国民のような日本人は絶望するほどに少ない。
 何故なら、日本一国だけの国力・戦力では中国の国力・戦力には絶対に勝てないからである。
 日本を駄目にしたのが、日本国憲法の第九条である。
 現代日本では、ウクライナ戦争の様な事態が起きても、先頭に立って戦う様な強いリーダーシップを発揮できる政治家や官僚はいない。
 それは、リベラル派・革新派そして一部の保守派に特に言える。
 現代の日本人では、日本は守りきれない。
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