🎹35:─2─東トルキスタン・イスラーム共和国の崩壊と日本陸軍の防共回廊構想。~No.223 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 敬虔なイスラム教徒は、日本の軍事力・経済力・技術力を利用してウイグルからソ連や中国のイデオロギー支配を排除して、コーラン中心の宗教独立国家を中央アジアに樹立するべく力を入れた。
   ・   ・   ・   
 令和4年5月号 正論「満州国再考
 『防共回廊』の第一歩だった。  ムガイダイス
 ウイグル人の間で1930年ころから今までずっと『あの時、日本が来てくれていてば、東トルキスタンは独立していた』との言い伝えがある。内容としては『あの当時、日本は共産党が悪であり、人類の敵であることをいち早く知っていたために、ソ連共産党中国共産党からウイグルを守って独立させたかったが、アメリカが2回にわたって日本の広島と長崎に核爆弾を落としたために、この計画は成し遂げられなかった』といもので、何故かほとんどのウイグル人がこの話を知っている。
 ウイグルの歴史において日本と関係は多くは語られていない。1933年に成立した『東トルキスタンイスラーム共和国』は翌年に挫折を迎えるが、その首相であったホージャ・ニヤーズ・アージは後に『新疆省』の副主席の座につき、37年に『日本帝国主義と口裏合わせた』との陰謀で粛清された。関連してウイグル人に対する大虐殺が行われ3万人以上のウイグル人の知識人が囚われ、多くは殺されてしまっている。この大虐殺をソ連と一緒に実行した盛世才は日本の陸軍大学校を卒業している軍閥でもあった。その極めて危険な状況で海外に逃れなければんらなかった共和国将軍のマハムード・ムヒーティなどのウイグルの将軍や役人たちが日本に行って、東トルキスタンの独立のために援助を要請するが、戦時環境激変の故に結果が得られなかった。
 ……しかし2019年2月出版された関岡英之(1961年6月15日─2019年5月25日)の『帝国陸軍 知られざる地政学戦略──見果てぬ「防共回廊」』(祥伝社新書)によって私たち1,000万人のウイグル人は……日本とウイグルの知られざる外交関係を、そして東トルキスタンイスラーム共和国から見て『大東亜戦争』がアジアを植民地から救い、アジア共栄圏を作る為の正義の戦いであった真実を知ることになった。
 ここでいう『防共回廊』とは、戦前、旧帝国陸軍関東軍が極秘に推進していた地政学戦略の一環であり、満州国の建国(1932年)に続き、モンゴル、ウイグルの独立を支援して反共・親日国家群を樹立し、ソ連の何かを防ぎ、東アジアの共産化を防止する、という構想だった。満州国は、この『防共回廊』の第一歩だったのである。
 その時代背景と失敗の原因
 ……
 当時の外国との間に圧倒的な軍事力の差があった日本は、外国に学び軍事的・技術的に先進国と肩を並べる決心をする。この方針を『和魂洋才』とも言う。科学技術や物質文明を西洋諸国から学び、精神と心はヤマトの心、即ち魂は日本人のままでいるということである。その結果、日本はアジアでいち早く、そして唯一と言えるほどに西洋諸国に並ぶ軍事力を持つことになる。
 これが実現可能であったのは、日本がアジアを助ける・守るという使命感を持ったことが一つのポイントであった。そしてもう一つ、新たな要素として、日本にとって大変厄介なことにロシアで共産主義革命が起こり、共産主義者が政権をとり、その共産主義の革命思想を世界に広めようとしていた。
 1922年にコミンテルンは『君主制の廃止』という言葉を打ち出している。共産主義の脅威は日本が植民地にされる以上に大変恐ろしい脅威だったはずで、どう立ち向かうか真剣に考えたことだろう。何故ならば日本には日本の国のあり方、つまり国體があり、この日本を国體を一言で表すと『萬世一系の皇統』ということになる。日本の国體を守らなければならないことが、日本の最重要課題になるのはあたりまえのこと。共産主義によって国體を失った外モンゴル(1924年にモンゴル人共和国)の次ぎに満州国、さらに朝鮮と日本が共産主義の危機に晒されるのは時間の問題でもあった。
 満州国を起点としてこの『防共回廊』が実現しなかったのは、アメリカの妨害によるところが大きい。日本としてもアメリカ側に、防共回廊構想は共産主義思想から日本とアジアを守るものだと上手く説明することができなかったのが悔やまれる。
 ウイグル人との連帯
 日本が植民地化で苦しむチベット内モンゴルウイグルなどを助け、共産圏を包囲する親日国家群を作る『防共回廊』戦略を練って情報収集に励んでいた時に、東トルキスタンの民は中国、英国、ソ連といった大国の狭間にあって懊悩していた。
 1933年に独立した『東トルキスタンイスラーム共和国』はその軍事的な弱さを突かれ、1年足らずで崩壊に追い込まれた。東トルキスタンイスラーム共和国建国の基礎となったホタン・イスラム王国のアミール(総督)でウイグルきっての国士であったムハンマド・イミン・ブグラは、東トルキスタンイスラーム共和国が挫折した後に、アフガニスタンのカブールに行き、日本の北田正元公使(在任1934年11月~38年3月)と連絡を取り、日本外務省の廣田弘毅(後の首相)宛に『東トルキスタンの独立』を再び勝ち取るために日本国の支援を求める懇願書を送っている。ムハンマド・イミン・ブグラが極秘裏に北田正元と1936年に対面を果たした記録も、日本外務省の資料に残っている。
 北田正元は『ムハンマド・イミン・ブグラの、共産主義者ソ連を駆逐したい』との意識に注目し、日本人とウイグル人の共通の『反共』との堅固な価値観をお互いに発見したのであった。1939年4月には東トルキスタンイスラーム共和国将軍のマフムート・ムフィティが神戸に上陸し、東京を訪れて外務省の有田八郎外相宛に、東トルキスタンの民からの日本に対する『要望書』を提出している。日本での彼の足跡については断片的な報告書しかないが、後に、彼は日本から当時は日本影響下であった今の内モンゴルに行き、1944年に北京で謎の死を遂げた。今も墓はわからない。
 マフムート・ムフィティ将軍と共に来日した17人の内、3人は日本に残り、そのうちの2人が日本で天寿を終え、今は多磨霊園ムスリム墓地に眠っている。
 日本と東トルキスタンイスラーム共和国の知られざる外交史は、中国共産党が唱える『新疆ウイグル自治区』は古くから中国の一部だったという嘘と『大東亜戦争侵略戦争だった』という一方的な歪んだ歴史認識を真っ向からひっくり返す揺るぎない証拠である。『大東亜戦争』の歴史をウイグルチベット内モンゴルなどの国々と人々の歴史、そして日本との外交史から改めて構築することが必要不可欠である。
 なお、日本は世界で唯一、20億人もいるイスラームの国々、人々と理想的な友好関係を結ぶことに成功した国であると言える。戦前の日本はイスラームの価値観を認め、その上に構築されたイスラーム研究がこの友好の基礎となっている。『戦前のイスラーム研究は日本の拡張主義のため』という理解不能なレッテル貼りが一部でなされているが、これには私たち一人一人が疑問を持たなければならないと思っている。
 今こそ防共回廊の再構築を
 ウイグルは、日本のマスメディアが中国の言葉をオウム返しに報道しているような、中国国内の一少数民族では決してない。私たちは、トルコ諸民族の中のウイグル人であり、世界に20億人近くいるムスリムイスラム教徒)のウッマ(イスラーム共同体)の一部でもある。そしてトルコ民族は、歴史においても、お互いの価値観を認め合い友好関係を紡いできた。日本にとって、ウイグル問題を見る時に、目前の中国との利益ばかり考えるのではなく、大きな視野で歴史と世界を見据える姿勢が、将来的にも日本の国益につながることは確かであろう。
 ……日本が当時の植民地下で懊悩する内モンゴルチベットも視野に入れ、アジアの繁栄のために立てた壮大な地政学的戦略でもあったことがわかる。これが未完に終わったことが、今のアジアの悲しみにつながっている。
 中華人民共和国が誕生してから70年余りが経過しているが、世界で平和の使者になったことは一度もない。『文化大革命』をはじめ自国の民を惨殺し、植民地下に置かれた東トルキスタンの土地では、46回の核実験や大量の漢族移植政策などで植民地化の正当化を目論んでいる。侵略に屈しないウイグル人を、強制収容所に入れ虐殺している。人間の尊厳を踏み殺し、人をただ共産党の言うことを聞く道具にする野蛮な中国独裁政権は、ウイグルのみならず、日本とアジアそして人類文化の敵である。このような悪と戦うことは、私たち人類の共通の目的・美徳でであるべきだ。アジアの文明国・日本には、かつての『防共回廊』を、ウイグルチベット内モンゴルを応援する正義の幕として再構築することが強く望まれる。
 日本よ再び立ち上がれ
 ……
 私たちが共に生きてきたアジアの中で、日本から飛行機でわずか5時間のウイグルで、ナチス顔負けの『強制収容所』が作られ、再教育という嘘の名義の下で、ウイグルの社会や文化・経済界を担ってきた一流の文化人や学者、そして経済界の裕福な人々や宗教指導者などが強制収容所に囚われ、多くの人々が尊い命を失い、数多くの子供たちが孤児となり、ウイグル人女性が強制不妊手術を施され、レイプされている。
 この悲劇に対して、日本は正義の声をもっとあげるべきだ。主権国家として、そしてアジアで最初に民主化を遂げた命の尊厳を大切にする文明国として、アジアの他の国々で弾圧されている人々を助ける自負があって欲しい。日本は『防共回廊』構想を思い出してもらいたい。即ち、正義感と人間味溢れる、弱き者を助け、強き悪に対して戦う大和の精神の日本国と日本国民であって欲しい。」
   ・   ・   ・  
帝国陸軍 知られざる地政学戦略 見果てぬ「防共回廊」 (祥伝社新書)
帝国陸軍 見果てぬ「防共回廊」
   ・   ・   ・     
 中国共産党ウイグル・イベント・内モンゴルで行っている非人道的残虐行為は、次ぎに台湾に向かい、そして最後に日本で行われて完成・終了する。
 つまり、日本にとって次ぎは我が身である。
 しょせん、現代の日本人は権力や権威に弱く、強い者に屈して恥じる事なく、道理を引っ込めて抵抗せず従順に従う。
   ・   ・   ・   
 日本軍とは、国民国家の国軍と言うより天皇皇軍である。
 故に、軍の統帥権天皇の大権であって、国家・政府、国民にはなかった。
   ・   ・   ・   
 共産主義の脅威にさらされていたアジアにとって、天皇は救世主であり、軍国日本は希望の星であった。
   ・   ・   ・   
 東南アジア・南アジア・中央アジア・中東などに親日・知日が多いのは、戦後の平和憲法で戦争をした事がないことを自慢する愚かな日本ではなく、戦前の軍国日本の活躍ゆえである。
   ・   ・   ・   
 日本の戦争は積極的自衛戦争であり、共産主義勢力の脅威にあったアジア諸国にとって正義の戦争・正しい戦争であった。
 つまり、積極的自衛戦争とは共産主義勢力に対する熱戦で、後の米ソの冷戦につながるところがあった。
   ・   ・   ・   
 モンゴル人やウイグル人が、軍国日本の軍事支援を受けてして満州族の様に独立国家を樹立し、軍国日本の後ろ盾・保障・信用で幾つかの国家から独立国と承認を取り付けたとしても、日本が敗北すればその努力は無駄になりモンゴル国ウイグル国は満州国チベット国の様に滅亡するだけであった。
   ・   ・   ・   
 昭和7(1932)年 ソ連コミンテルンは、社会ファシズム論から日本共産党に対し32年テーゼ「日本に於ける情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」を送った。
 「帝国主義戦争の内乱への転嫁を目標とする日本共産党」に、暴力革命勝利の為の「統一戦線戦術」を命じた。
 日本人共産主義者テロリストは、人民の正義の為に昭和天皇や皇族を惨殺して大虐殺を伴うロシアのような共産主義暴力革命を起こすべく活動を本格化させた。
 ソ連中国共産党・国際共産主義勢力は、日本人共産主義者を助け、活動資金と武器を提供していた。
   ・   ・   ・   
 現代日本の高学歴な知的エリートや進歩的インテリは底が浅い。
   ・   ・   ・   
 何故、ロシア(昔のソ連)、中国共産党、韓国・北朝鮮が、「日本は植民地拡大の侵略戦争を始めた戦争犯罪国家だ!」と口汚く罵り、靖国神社を否定し廃絶を求めるにはワケがあった。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は昔の日本人とは全然違う日本人である。
 現代日本は、表面的には親米派日米安保派であるが、政界・官界・財界・学界にマスメディア・言論空間は中国共産党の顔色をお伺い忖度し中国の利益に貢献して喜ぶ親中派媚中派が支配している。
 その証拠が、中国共産党ウイグルチベット内モンゴルで行っている非人道的犯罪であるジェノサイドから目を逸らし、犠牲になっている人々を助けようとなし、同情もしない、そして非難声明も、抗議行動もしない。
 現代の日本人が語る人道・人権・人命とは、その程度に過ぎない。
   ・   ・   ・   
 日本陸軍の、多数派・主流派はポーランド派であって、ドイツ派は少数派・非主流派であった。
 日本陸軍ユーラシア大陸横断戦略とは、ロシア・ソ連共産主義勢力を共通の敵とする、大日本帝国(日本・朝鮮)、満州国、モンゴル、ウイグル中央アジア、トルコ、ポーランド、北欧、フィンランドにわたる人種・民族・部族、宗教、イデオロギー、その他のわだかまりを超えた大同団結としての反共長城構想である。
 盟主は、天皇制度国家日本であった。
 反共長城を繫ぎ止める重要なカギは、宗教であった。
 反共産主義大同盟・防共同盟に参加する宗教は、神道、仏教、イスラム教、ロシア正教カトリック教、プロテスタント、その他であった。
 そこには、ナチス・ドイツファシスト・イタリアなどのファシスト諸国とアメリカやイギリスなどの自由・民主主義諸国は加わっていない。
 スターリンソ連ボルシェビキヒトラーナチスドイツ・ナチズム、ムッソリーニファシストイタリア・ファシズム三者イデオロギーは、同じマルクス主義である。
 バチカンは、反共産主義の立場から満州国を承認していた。
 軍国日本のイデオロギーは、軍国主義であってファシズムはなかった。
 日本陸軍の「防共回廊」構想を潰したのは、アメリカとイギリスであった。
 何故か、アメリカは裏でソ連共産主義勢力とつながっていたからであり、イギリスはインドや中東・パレスチナのなど植民地を守る為であった。
   ・   ・   ・   
 日本の親中派媚中派は、日本を中国共産党に売り払っても恥じない。
   ・   ・   ・