💢87:─2─ウクライナ侵略。中立を説く偽善者に騙されるな。~No.365No.366 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2022年7月号 Hanada「偽善者に騙されるな  飯山陽
 中立を装う亡国の偽善者たち
 2月末にロシアがウクライナに軍事侵攻して以来、『中立を装う偽善者』が続々と出現している。
 最初に述べておくが、中立というのは、それ自体が『いいこと』であるわけではない。中立とは、どちらの側にもつかず距離を置く立場を意味するに過ぎず、それがすなわち『いいこと』だという理解は過ちである。犯罪者の加害者と被害者を前に、私は中立なのでどちらの側にもつかないと胸を張る者を『いい人』と評価できるかどうか、考えてみればいい。
 一方で、何を善とし何を悪とするかを決める世界共通の基準は存在しない。世界には普遍的善や悪があると主張する学者が存在するが、私はそれに与(くみ)しない。なぜなら私の研究対象であるイスラム教は神が善としたものを善とし、悪としたものを悪とするという価値を絶対としており、それは多くの場合、近代の合理主義とは相容れないことを知っているからである。
 世界には様々な価値観があり、人の数だけ正義がある。中立の立場に立てば、どんな問題も『どっちもどっち』という結論に至る。
 問題は、中立を装う人こそがいい人で、どっちもどっち論こそが正論だとされてしまいがちな傾向だ。
 中立と聞くと、脊髄反射的に『いいこと』だと判断する日本人は少なくない。その一因は、日本の教育において『中立とは何か』『いいことは何か』について考える哲学的思考が欠落していることにあろう。学校で『中立はいいこと』と教えられたら、そのまま信じているというわけだ。
 この日本中に広まる『中立はいいこと』という『特殊な価値観』をうまく利用している人たちがいる。その典型例が、いままさにウクライナ危機において中立を装っている人たちだ。
 映画監督の河瀬直美氏はその代表例である。同氏は4月12日に行われた東京大学の入学式で、次のような祝辞を述べた。
 〈例えば『ロシア』という国を悪者にすることは簡単である。けれどその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまったのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと『悪』を存在させることで、私は安心していないだろうか?〉
 ウクライナ危機の『本質』はロシアの正義とウクライナの正義のぶつかり合いだ、という河瀬氏の主張は、どっちもどっち論の典型である。彼女は中立を装い、道徳的高みに立つ。東大生たるもの、ロシアを決めつけて安心するような愚行に走ってはならない。悪のなかにこそ正義を見出すべきであり、中立的立場を取ってこそエリートだ、と彼女は壇上から東大の新入生に向けて訓示する。
 正義も善悪も相対化するこの主張は、ロシアに向けるべき批判をうやむやにし、結果的にロシアを利する。
 だからこそ、ロシアによるウクライナ侵攻という現実を正義や善悪という倫理の問題にすり替えてはならないのだ。これによって得をするのはもっぱらロシアである。逆に言えば、これを倫理の問題にすり替える人間は、意図しようとしまいとロシアの利益に貢献し、それによってウクライナを窮地に追い詰める手助けをしていることになる。
 河瀬直美氏の詭弁
 では、なぜロシアが得するような論点のすり替えをしてはならないのか。
 それは、ロシアが国際法に違反しているという現実を糊塗(こと)する役割を果たすからである。ロシアは国連安保常任理事国でありながら、国際法を犯し主権国家に軍事侵攻した。批判されるべきはロシアのこのルール違反であり、ロシアの正義ではない。ロシアがどんな正義を掲げようとロシアの自由である。ただしそれは、国際法を遵守する限りにおいてである。
 国際法遵守というのが現実の世界のルールである。このルールに違反したロシアを放置することは、武力増強によって安全を保持している日本にとって致命的な不利益となる。武力を持つ強者は己の正義のために他者を蹂躙(じゅうりん)してもいいということになれば、日本はたちまち主権国家としての存立を脅かされ、そして失うだろう。
 ウクライナ危機を倫理の問題にすり替えることは、要するに日本国の安全保障に甚大な影響を及ぼすことになるのだ。この論者は善人を装い、亡国の工作をしているに等しい。
 河瀬氏
 〈人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らに自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います〉
 これは、いわゆる『お前だって論法』である。お前(日本)だってかつて他国に侵攻したじゃないか、そんなお前にロシアを非難する資格などないと暗示することにより、ロシア非難を封じ込める効果を発するというわけだ。
 しかし、これは詭弁(きべん)にすぎない。日本の過去がどうであれ、それはロシアがウクライナに侵攻し、領土を奪い、民間人を虐殺したり、レイプしたり、強制移住させたりしているという事実を何ひとつ変えることはない。『日本だってかつて』云々を理由に我々が口を噤(つぐ)めば、得をするのはロシアである。
 お前だって論法は、独裁者や過激派の蛮行を擁護し批判を封じ込めようとする中東イスラム研究者の常套手段でもある。多くのテレビ出演で知られる放送大学名誉教授の高橋和夫氏は2021年9月、『日本にだって金メダルをとった女子ボクシング選手へ侮辱とも取れる発言をしたコメンテーターを重用している番組がある』からタリバン女性差別を批判する資格はない、と主張した。
 この高橋和夫氏が『世界的イスラム法学者』と絶賛する中田考氏も『タリバン 復権の真実』(ベスト新書、2021年)で、『名古屋出入国管理局でスリランカ女性の留学生が暴行を受けて死亡した事件が問題となっている最中に、牛久(うしく)入管でもまた警備員による暴行が報じられている。「外国人」だというだけで移動の自由を制限、拘留し、暴行を繰り返す日本政府が、タリバンに「人権」を説く資格があるのか』と、批判の矛先を日本に向ける。
 酒井啓子氏の詭弁
 彼らがイスラム過激派組織タリバンを擁護するのは、タリバンが反米、反近代だからである。彼らは反米でポストモダン的な『理想像』をイスラム過激派に投影し、それを擁護することで研究業界やメディアにおける地位を盤石にしている。イスラム過激派擁護者は、概(おおむ)ねロシア擁護論者と重なる。彼らはいまだに反米こそインテリの証と信じ込み、それを実践しているのだ。
 千葉大学教授の酒井啓子氏は2021年9月の日経新聞で、アルカイダや『イスラム国』は欧米によって『排除されたムスリムのよりどころ』なのだと擁護した。そして4月14日の毎日新聞では、米国のアフガン侵攻とロシアのウクライナ侵攻には『大国が他国に軍事介入し現状変更を試みたという共通点』があるのに、国際社会で前者は善として後者は悪と決めつけているのは二重基準だと批判し、『ロシアにとって、帝国期からソ連時代に至るロシア文明圏の維持が、あるべき「現状」』なのだと擁護し、『私たち』即ち日本人に『反省』しろと促(うなが)した。
 しかし、アフガン侵攻当時の第一次タリバン政権は国際的に承認されておらず、米国はロシアのように領土拡大を目指したわけでもない。タリバンアルカイダを匿(かくま)ったように、ウクライナがロシアで大規模テロを実行し、数千人のロシア人を殺したテロリストを匿ったという事実もない。そこには大きな差異がある。酒井氏の主張は明らかに詭弁だ。
 さらに酒井氏が、ウクライナに侵攻したロシアのことを批判せず、米国が悪い、日本は反省しろと反米、反日へと論点をすり替えているのもなんとも卑劣(ひれつ)だ。
 中立を装う彼らは善人などではない。巧みに詭弁を弄(ろう)し人の弱みに付けこむことで、ロシアが侵略戦争を行っているという事実を曖昧にし、ロシアを利する彼らは、日本侵略を狙う隣国をも利する亡国の偽善者なのである。」
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 2022年7月号 Hanada「橋下徹氏に見る憲法学通説の病理
 篠田英朗
 異様な光景
 ロシア・ウクライナ戦争は、日本国内の問題状況も描き出した。私個人は、橋下徹氏にツイッターで繰り返し罵倒される経験をした。……
 ……
 何が橋下氏ほどの人物に、そこまで我を忘れるほどの怒りを与えたのか。事の発端は、橋下氏がテレビ番組等で主張し続けていたウクライナ降伏論について、私が『お茶の間平和主義』と描写する文章を書いたことであった。
 2月24日の開戦当初、ロシア軍がウクライナ軍を圧倒することが、幅広く信じられていた(もっとも、そのこと自体が『冷戦ボケ』の状況認識であったわけだが)。
 そこで橋下氏は、開戦当初、いたずらに一般市民の犠牲を増やすことなく降伏する決断をすることがウクライナの政治家の責務である。という趣旨の主張を行い、反論するウクライナ人研究者らをテレビ番組等で公然と糾弾していた。
 私はそのような橋下氏の態度に大きな問題を感じた。そこで、橋下氏の主張は不適切かつ非現実的だ、と主張する文章を書いた。降伏が一般市民の生命を救う方法だという主張に裏付けはなく、降伏すれば粛清などの殺戮が始まることも当然予測しなければならない、と指摘した。
 また、日本の特殊な1945年当時の歴史だけを振り回して他国を云々する主張をするのは、あまりに国際社会の原則と当該地域の事情を軽視したガラパゴスな態度だ、と論じた。このような私の主張が橋下氏の逆鱗に触れ、ツイッターにおける粘着的な個人攻撃へと発展したのであった。
 橋下氏以外にも、感情的な他者への苛立(いらだ)ちを隠そうとしない方々が相当数いる。ウクライナ情勢をめぐって、侵略者に憤(いきどお)ったりするのであれば、わかりやすい。しかし、そうではなく、停戦を実現させていないアメリカや日本の政府を非難し、そのような非難をしていない国際政治学者らを糾弾しようとする奇怪な態度をとっている人たちがいる。
 やはり何らかの独特の価値観あるいは世界観が、相当程度にからんでいるのだろう。その価値観が、ウクライナにおける戦争において問い直されているので、苛立っている人々がいるのだ。
 端的に言えば、日本社会に根強く浸透している絶対平和主義の価値観が、ウクライナにおける戦争で揺れている。そのため、その価値観の信奉者が、状況に苛立っているのだ。
 橋下氏の価値観の源泉
 橋下氏の知的素養相当部分は、法律家としての修養を通じて形成されている。憲法学にそった助言者を置くことを好み、憲法学者と対話することを望むのは、自己の考え方が日本の憲法学の思想によって形成されていることを橋本氏自身がよく知っているからだ。
 橋下氏のウクライナ情勢をめぐる姿勢は、日本の憲法学が日本社会に広めてきた価値観や世界観が、国際情勢への対応において大きな機能不全をおこすことの象徴だと思えてならない。
 ……
 橋下氏の世界観に大きな影響を与えたのは、司法試験受験勉強中に出会った予備校塾長の伊藤真氏だという。……
 伊藤真氏は、平均的な憲法学者も顔負けのバリバリの護憲派であり、徹底したいわゆる絶対平和主義の信奉者である。……
 私が、橋下氏に抱く印象は、『機会主義的に行動する伊藤真氏の弟子』というようなものである。本稿では、このことを『妥協』への固執国際法の蔑視、日本史の絶対化、という3つの視点から見ていくことにする。
 『妥協』への固執と手段としての憲法
 ウクライナ情勢をめぐり、橋下氏は執拗(しつよう)に、アメリカが主導してロシアとの『妥協』を達成しろと叫び続けている。一部で『妥協おじさん』と呼ばれるほど、『妥協』という概念にこだわりを見せる。その際、『戦う一択』ではダメだ、という独特の表現も使いながら、戦争を終わりにしたり、一般市民を逃亡させたりするための『妥協』をせよ、と主張する。
 ……
 国際法の蔑視
 国際社会のルールは、日本の法律ではなく、国際法によって成り立っている。国際問題は、国際法にしたがって理解し、解決するのがルールである。憲法学者は手を出せない。橋下氏にとって、得意領域ではない。そこで橋下氏は、どうするのか。……むしろ憲法学者にならって、国際法の法的性格に疑念を投げかける。
 橋本徹氏のウクライナ情勢をめぐる発言が、次々と物議を醸(かも)しだした。ウクライナは降伏せよ!NATOは『妥協』を達成せよ!ウクライナ人は津波から逃げるようにジェノサイドから逃亡せよ!と無理筋の指示を次々と出し続ける。そのあげく、やみくもに他者を罵倒し始める。
 橋下氏の言説に一貫性がないように見えるのは、端的に言えば、原則がないからである。国内行政では、まだ憲法に従うという原則があったのかもしない。しかし、国際問題については、無原則になる。国際社会に憲法がないことを理由に、むしろ積極的に無原則であることの不可避性を唱える。
 国際法の法的性格を軽視するのは、『憲法優越説』を唱えて憲法学通説を信奉する者に特徴的な思想傾向である。そのため橋下氏のような憲法を信奉する方に限って、国際法を軽視する。
 ……しかしいずれにせよ、憲法学が立憲主義の前提とする構図は、国際社会では存在していない。そこで日本の憲法学通説の発想方法からは、国際社会の立憲主義や法の支配を尊重する態度は軽視されることになる。
 原則なき『妥協』を求めるから、ウクライナは降伏せよ、NATOがケーキを切れ、ウクライナ人はジェノサイドkらきちんと逃げろ、といった無原則で非現実的なことをツイートし続けるしかなくなる。
 歪む日本史の絶対化
 日本の憲法学のもう一つの特徴は、1945年の日本史の独特な歪(いびつ)な理解である。伊藤真氏の著作の一節を引用してみよう。
 『私は攻められたら戦わず白旗をあげるべきだと考えています。・・・私は国家が国を守るために戦うことによってかえって国民の被害が拡大すると考えています。・・・反撃して大きな被害を招くよりも武力による反撃をせずに白旗をあげるほうが、被害が少なくて済むという判断です』(伊藤真・神原元・布施祐仁『9条の挑戦:非軍事中立戦略のリアリズム』[2018年]伊藤真『第一章 憲法9条の防衛戦略』)
 伊藤氏が、攻められたら必ず白旗をあげて降伏することを勧めるのは、戦うと『国民の被害が拡大する』と想定されるためである。これは、力の弱い者が先に『ケーキを切り』、その切り方をオファーする独特の『妥協』論だと言っていいだろう。
 この背景にあるのは、過度な1945年の日本史の強調であり、その教訓のイデオロギー的な解釈である。伊藤氏は4月1日に、ブログに次のように書いていた。
 『今回のウクライナ戦争において、民間人も含めて最後まで戦うべきだという意見もありますが、逆に早急に逃げるか白旗を上げて民間人の被害を最小限に食い止めるべきだという意見もあります。……この戦争が外交の失敗の結果であり、本来はこうした戦争状態に引き込まないことが政治家の職務であることを、府民を守るために私などは想像もつかない政治の修羅場をくぐってきた橋下氏は理解しているのだと思います』
 伊藤氏は、『私は、何もウクライナ国民に逃げろと強要したり説経しようとしているわけではありません』と書く。だが、その説明として延々と書き連ねるのは、ただひたすら日本の太平洋戦争終結時のエピソードのみである。日本の歴史だけである。
 ……
 伊藤氏は主張する。
 『ウクライナにはNATOの基地もロシアの基地も作らないで中立の立場を選択し、緩衝国として生きていくという選択肢もあるのである。今回のウクライナ戦争の原因の一つがNATOの東方拡大にあるという評価は、けっして擁護という一方的な味方ではないことは、時間がたてば理解されることでしょう。勇ましい軍国国家や核共有を目指すのではなく、憲法の理念に従って、周辺国に脅威ではなく「安心を供与」する緩衝国として軍縮核廃絶を目指すことも選択肢として捨ててはいけません』
 伊藤氏によれば、これは『説教』ではない。ただ日本の1945年のエピソードだけを根拠にしてウクライナ人に進むる道を示す伊藤氏は、伊藤氏自身によれば、全く『説教』などはしていな。ただ1945年の日本が教える人類の歩むべき普遍的真理を示しているだけである。
 おの伊藤氏の啓示(けいじ)的な教えによれば、ウクライナは『中立』化し、『緩衝国として生きて』いかなければならない。言い換えれば、プーチン大統領の要求を全部呑んで生きていかなければならない。
 ……
 橋下氏のガラパゴス主義に抗して
 本稿では、橋下氏の奇異な言説の背景に、日本の憲法学に象徴される価値観があることを分析した。そして日本の憲法学の価値観を振り回して国際問題を論じることは、的外れなガラパゴスな態度でしかないことを示唆した。
 残念ながら、このガラパゴス主義は、日本社会に根深く存在する価値観である。むしろ戦後日本の伝統的な価値観の反映だと言ってよい。しかしだからこそ、ウクライナ情勢について謎のツイートをし続ける橋下氏を通じて、このガラパゴス主義の限界も露呈してくるのである。
 空想的な『妥協』を唱えるため、国際法を蔑視し、歪な日本史解釈だけを普遍的な絶対的教訓として振り回しても、国際社会では通用しない。もし日本政府が橋下氏の価値観を採用して国際社会で行動してしまえば、それは日本そのものがガラパゴス化し、国際社会での信頼を低下させることを意味する。従来の『国際的な法の支配』を目指す日本政府の姿勢とも矛盾していかざるをえない。橋下氏に従うことは、日本にとっては、破綻への道だと言ってよい。
 橋下主義か、国際協調主義か。後者に価値を見出す者は、今後も、橋下氏の言説が持つ危険性には注意を払い、必要であれば偏った内容に抵抗していかなければならない。」
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 歴史的に、中立国には良い中立国と悪い中立国がある。
 中立国とは、理想主義ではなく現実主義で、宗教や文化ではなく政治・経済・軍事などによる力の論理で成立している。
 中立国は、自分が宣言するだけで中立になれるわけではなく、他国・世界が中立と認めて初めて中立になれる。
 世界史・大陸史において、中立国が侵略され占領された事例が幾つも存在する。
 それ故、現代日本人が理想平和思想で思い描く中立国では戦争を避ける事はできない。
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 昔の日本人は現代の日本人が合理的論理的倫理的から捨てつつある、勧善懲悪、判官贔屓、負けるが勝ち、弱い者イジメは男恥じ、強きを挫き・弱きを助く、滅びの美学、そして惻隠の情と自己犠牲を強く持っていた。
 それ故に、戦前の日本、日本陸軍A級戦犯達は、天皇の御稜威・大御心でナチス・ドイツソ連から逃げて来た国籍を持たない数万人のポーランドユダヤ人難民を保護し助け、アメリカのユダヤ人団体からの旅行資金を得て、天皇の名誉と国家の責任で安全な国や地域へと送り出していた。
 敦賀や神戸、大阪、横浜の市民達も、突然現れた浮浪者の様なユダヤ人難民達を無償で支援していた。
 日本政府や軍部は、同盟国ナチス・ドイツからのホロコースト要請という外圧を拒絶して、ユダヤ人難民達を敗戦まで保護した。
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 ウクライナ戦争とは、核兵器保有大国ロシアが領土拡大目的で軍事小国ウクライナに侵略した戦争で、名目は如何であれ、ロシアが悪でウクライナが善である事にかわりない。
 国連常任理事国のロシアによる、国際法に基づく国際秩序を破壊する戦争犯罪である。
 ウクライナ戦争の歴史的意味は、戦争が終わった後、政治学者や歴史学者などの専門家が明らかとなった資料を基に検証して結果を出せばいい事で、戦争が終わらないうちはあれこれ言ったも両国による大本営発表的な情報操作がなされていて意味がない。
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 日本国内には、実効性のない無意味な中立都市宣言・非武装都市宣言・平和都市宣言・その他が多く存在する。 
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 永世中立国のスイスや中立国スエーデンやフィンランドなどは、ロシアによる領土拡大目的のウクライナ侵略戦争を目の当たりにし、ロシア軍による虐殺・略奪という地獄のような悲惨な報道を知り、国家と国民を侵略者から守るために軍事条約であるNATOへの参加を表明した。
 その結果、世界から中立国が減ってきている。
 が、一部の日本人は世界の惨状を見聞きしながらも、護憲の平和ボケから、日本がどうなろうとも何れの勢力にも組みしない非武装中立国を目指している。
 そうした理想的平和主義の日本人は、日本陸軍が数々の人道貢献を行ったシベリア出兵を正しく理解できない。
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 日露戦争時。大韓帝国は局外中立を宣言して日露両国のいずれにも味方も敵対もしないと表明したが、朝鮮内部の親露派・反日天皇派は極秘に日本軍の情報をロシア軍に通報していた。
 同じく中立を表明していた清国(中国)は、ロシアとの間で対日秘密協約を結び、日清戦争敗北という屈辱を晴らす復讐戦を計画していた。
 中国人や朝鮮人の微笑みの裏には、反日・敵日による陰謀・謀略・策謀が隠されている。
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 歴史的事実として、敵対し戦争し合う両陣営の何れにも属さず中立の立場を守り通す者には、敵は存在しないが、いざという時ともの戦ってくれる戦友はいないし、困った時に親身になって助けてくれる親友もいないし、最悪、親しくつき合ってくれる友・友人もいない。
 中立とは、嫌われないが頼る寄る辺がなく、自己責任・自力救済・自助努力で一人孤独に生きる覚悟が必要である。
 中立には、同情や親切は存在しなし、持ちつ持たれつ、お互い様、相身互い、ウインウインは存在しない。
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 人類史における真理として、他人を助ける者だけが他人から助けられ、他人を助けない者は他人に助けて貰えない。
 人間社会を動かしている運命共同体・共生とは、自己犠牲の隣人愛や利他ではなく自分が可愛いエゴの自分愛と利己である。
 中立とは、自分だけが助かる為には如何なる理由があっても困っている他人は決して助けないという、陰険にして陰湿な「冷血で非情に徹する」事である。
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 第二次世界大戦時。スイスは、隣国のナチス・ドイツによるユダヤ人への弾圧・迫害を知りながら、ホロコースト情報もあったのにかかわず、中立国として、ナチス・ドイツから逃げて来たユダヤ人難民の入国を拒否して追い返していた。
 そして中立的国際的金融センターの業務として、ナチス・ドイツの高官らのホロコーストで虐殺したユダヤ人から奪った強奪資産を理由を聞かず無条件で個人資産として預かっていた。
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 理想的反戦平和主義の護憲派日本人は、中立を理想として中立国を目指し、軍事同盟的な日米安保に猛反対し破棄を求めている。
 が、西洋における隣人愛のキリスト教価値観による中立と日本における反宗教無神論マルクス主義価値観による中立とは本質的に違う。
 何処が違うかと言えば、隣人愛のキリスト教価値観は神と人を肯定し、反宗教無神論マルクス主義価値観は神と人を否定している所出ある。
 それは、歴史が証明している。
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