🎺15:─1・A─フランクリン・ルーズベルトの日本人に対する混血淘汰計画と原爆投下計画。~No.87 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2022年6月23日号 週刊新潮「変見自在  高山正之
 滅んでますよ
 フランクリン・ルーズベルト(FDR)は日本の敗戦が見えてきたころ、アジアの民の明日を考えはいめた。相談相手はスミソニアン博物館の人類学者アレス・ハードリチカだった。
 彼は『優秀な白人とアジア人を交配させる』案を出した。かつてスペイン人が新大陸でインディオの女を犯し、メスチソを産ませたのに倣った手法だ。
 そうするとアジア人の男は邪魔になるがスペイン式に殺処分ともいかない。
 人類学者は強力な磁波が流れる通路を歩かせる案を出した。それだと『たった20秒で痛みもなく不妊化できる』のだそうだ。
 ただ日本人は改良できないと彼は言う。なぜなら『彼らの頭蓋骨は2000年も遅れている』からむしろ淘汰すべきだと勧める。
 彼の人類学では白人はアフリカで生まれた黒や黄色と違って別の起源を持つ優れた別種だという。
 しかしそんな立派な白人が5世紀も解けなかった黒死病の正体を北里柴三郎はたった5日で突き止めてしまった。アドレナリンも原子構造もレーダーも日本人が解き明かした。
 彼は自身の学説に馴染まぬ日本人を嫌い、恐れた。
 FDRもその恐怖は共有していた。それで『日本人を四つの島に閉じ込め滅ぼす』(クリストファー・ソーン『米英にとっての太平洋戦争』)ことを考えた。
 彼はそれを命ずる前に死に、戦後処理はGHQの手に移るが、それは奇妙なほどFDRの遺志に沿ったものだった。
 まず在外邦人に本国引き揚げが命じられた。
 敗戦を口実に、その国民をみな祖国に追い返す例など歴史にもない。FDRの言う『四つの島に隔離』するためとしか思えなかった。
 かくして日本軍将兵を含めて支那大陸から280万人が、台湾から63万人、朝鮮からも70万人が引き揚げてきた。その他を入れ総数は630万人に及ぶ。ゲルマンもびっくりだ。
 一方で日本にいた朝鮮人240万人も順次送還された。隔離は日本人だけという意味だ。日本人が四つの島から出国することは当然禁止された。
 FDRは『隔離して滅ぼせ』と言った。
 GHQは人口増に嘴(くいばし)を入れた。加藤シズエを使って中絶を合法化し、併せて核家族化も推進させた。今の少子化はここに始まった。
 欧米相手に4年も戦えた工業力も消滅させる対象だった。
 エドウィン・ポーレイは『現物賠償』の名で日本の重厚長大産業を解体して満州に運び、支那人を人並みの国に育てる計画だった。
 ところが満州を視察したら街もインフラも支那人が破壊し尽くしていた。
 計画は頓挫し、おまけに朝鮮で戦争が起きた。
 日本の重厚長大産業は戦争特需もあって生き延びることができた。
 支那、朝鮮のおかげとも言えるが、GHQはめげずに日本衰亡化を進めた。
 マッカーサーはスイス公使ゴルジェから日本の時計工業界を潰せと頼まれるとすぐ日本政府に命じて労働組合法を成立させた。
 併せて共産党を合法化し組合指導に当たらせて企業潰しを図った。
 日航に潜り込んだ小倉寛太郎もそのひとりだった。
 GHQは日本のエネルギー資源、石炭産業が『奴隷を使役した』と因縁をつけて生産抑制を強いた。
 それでも日本が持ち直し始めると、米国は自分の植民地フィリピンへの償い金を日本に肩代わりさせた。
 英仏蘭もそれに倣って日本は彼らの植民地への賠償金を払い続けた。阿漕過ぎるが、彼らは日本消滅を信じていたからだ。
 そう思わせたのはマッカーサー憲法だ。戦力を放棄して丸腰になりますと幣原喜重郎が言い、『100年経てば理解される』と二人は感激の涙にくれたとマッカーサー回想録にある。
 しかし丸腰など国家じゃない。現に支那、韓国如きに日本の島を取られて何もできない。北方4島も取り返せない。
 滅び始めているのにまだ気付いていない。」
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 ZAKZAK by夕刊フジ
 【日本は誰と戦ったのか】「日本を弱くしたい」米ルーズベルト民主党政権の間違い 日本を「侵略国家」と決めつけ (1/2ページ)
 2019.1.29
★(1)
 いまや日本の「敵」と見なされつつある韓国の文在寅ムン・ジェイン)政権をはじめとして、日本にミサイルを向けている北朝鮮沖縄県尖閣諸島などで日本の安全を脅かす中国と、日本の周りは「困った隣人たち」ばかりだ。
 振り返れば、明治維新以来、この150年もの間、日本の周囲には、国際法を理解する「まともな独立国」がなかったし、いまもない。太平洋の先には、同盟国の米国があるが、この米国もまた、「困った隣人」だ。
 十数年前、インドネシアの軍幹部と話をしていたら、「米国は敵と味方を取り違える天才だから、扱いは気をつけた方がいい」と真顔で忠告されたことがある。
 確かに、米国は、敵と味方を取り違える天才だ。
 先の大戦前、米国のフランクリン・ルーズベルト民主党政権は、中国に割拠する軍閥政府との紛争に苦しんでいた日本を、一方的に「侵略国家」だと決めつけ、対日圧迫外交を繰り広げた。
 「中国大陸で紛争が起こっているのは日本が悪いからだ。よって日本をやっつけ、軍事的に弱体化すれば、中国大陸に平和が訪れるはずだ」と、ルーズベルト政権は思い込んでいたのだ。
 このように「日本を弱くすればアジアは平和になる」と考える政治勢力を「ウイーク・ジャパン(弱い日本)派」と呼ぶ。
 ところが、米国は必ずしも一枚岩ではない。当時の野党、共和党の中には「中国大陸で紛争が起こっているのは中国の排外的なナショナリズムと、それを裏から煽っているソ連のせいだ。よって中国の排外主義とソ連の膨張を抑止しようとする日本の行動を理解すべきだ」と考える政治勢力もあり、「ストロング・ジャパン(強い日本)派」と呼ばれた。
 残念ながら、政権を握っていたのは「ウイーク・ジャパン派」のルーズベルト民主党政権であったこともあり、日米戦争が勃発、ソ連と組んだ米国の手で日本は敗北に追い込まれた。
 ルーズベルト大統領のもくろみ通り、日本が負けて中国に平和が訪れたのかといえば、現実は真逆だった。
 蒋介石率いる国民党と、毛沢東率いる共産党が内戦を始め、中国は共産党によって支配されてしまった。しかも、中国共産党政府はモンゴル、チベット東トルキスタンウイグル)を次々と侵略した。朝鮮半島にも北朝鮮が誕生し、朝鮮戦争が勃発、米国の多くの若者が戦死することになった。
 「われわれ米国は、敵を間違えたのではないのか」
 米国では、共和党を中心に、戦前のルーズベルト民主党」政権の「日本敵視」=「ウイーク・ジャパン」政策を批判する声が高まることになった。
 ■江崎道朗(えざき・みちお) 評論家。1962年、東京都生まれ。九州大学卒業後、月刊誌編集や、団体職員、国会議員政策スタッフを務め、現職。安全保障や、インテリジェンス、近現代史研究などに幅広い知見を有する。著書『日本は誰と戦ったのか』(KKベストセラーズ)で2018年、アパ日本再興大賞を受賞した。他の著書に『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』(PHP新書)、『知りたくないではすまされない』(KADOKAWA)など多数。
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 2017年1月15日 産経新聞「入門・日米戦争どっちが悪い(7)
 最初から落とすつもりだった原爆 相手が日本人だから大量虐殺 
 渡辺 浩
 【入門・日米戦争どっちが悪い(7)】最初から落とすつもりだった原爆 相手が日本人だから大量虐殺 
 戦争が始まると、米国内では12万人以上の日系人が全財産を没収されて強制連行され、鉄条網が張り巡らされた収容所に入れられました(日系人強制収容)。収容所ができるまでの間、臭気が漂う厩舎に入れられた人もいました。7割が米国生まれの2世で米国籍を持っており、残り3割の1世も永住権を持ち20~40年も米国で暮らしていました。なんと、米大統領フランクリン・ルーズベルトは開戦5年前の1936年にハワイの日系人を強制収容する計画を検討していたことが明らかになっています。
 インディアン虐殺の延長
 太平洋の戦場では米兵による残虐行為が行われました。初の大西洋単独無着陸飛行に成功した米国人チャールズ・リンドバーグは開戦後、民間人技術顧問として南太平洋の前線に派遣され、そのときの米兵の振る舞いを著書『リンドバーグ第二次大戦日記』に書きました。
 「わが軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、それらの行為が大方から大目に見られているのである。われわれは文明のために戦っているのだと主張されている。ところが南太平洋における戦争をこの目で見れば見るほど、われわれには文明人を主張せねばならぬ理由がいよいよ無くなるように思う」とした上で、米兵が日本兵の遺体から金歯を盗んだり、耳や鼻、さらには頭蓋骨を「お土産」として持ち帰った事実を紹介しています。
 日本兵の遺体の一部を持ち帰る行為は広く行われていて、米国の雑誌「ライフ」の1944年5月22日号には、若い米国人女性が前線のボーイフレンドから送られてきた日本兵の頭蓋骨をうっとり見つめながら礼状を書いている写真が掲載されています。
 ジョン・ダワーという米国の反日的な歴史学者でさえ、こうした実態を紹介した上で「もしも歯や耳や頭皮がドイツやイタリアの兵士から収集され、それが英米国内に報道されたならば、騒然たる状況を引き起こしたに違いない」と指摘しています。
ドイツ人やイタリア人は同じ白人であり、人種的蔑視の対象ではありませんでした。ナチスの政治体制とドイツ人は分けて考えられていました。しかし日本人については国全体を人間ではない野蛮な存在とみなしていたのです。
 ルーズベルトが「日本人は頭蓋骨の発達が白人より2000年遅れているから邪悪なのだ」と大真面目に信じていたという話を連載の5回目で紹介しましたが、海軍提督ウィリアム・ハルゼーは「日本人は雌猿どもと、慈悲深い皇帝によって中国から追放された極悪の罪人たちとの交尾による産物であった」という「ことわざ」を信じていました。部下に対して「下等な猿ども」をもっと殺して「猿肉」をたくさん作れと督励しました。
 「良いジャップは死んだジャップ」とも公言しました。これは米国がインディアンを虐殺していたころの軍人フィリップ・シェリダンの有名な暴言「良いインディアンとは、死んだインディアンのことだ」をもじっています。米国人は対日開戦の半世紀前の1890年までインディアンの虐殺を行っていましたから、太平洋戦線の兵士たちは父や祖父から虐殺の武勇伝を聞かされていたのです。彼らにとって太平洋の島々は「開拓」すべき「フロンティア」であり、日本人はインディアンと同様、絶滅の対象だったのです。
 黙殺させたポツダム宣言
 米国による残虐行為の最たるものが東京大空襲や広島、長崎への原爆投下など非戦闘員の大量虐殺です。
 米国は戦争が始まるとユタ州の砂漠に東京・下町の街並みを再現する日本家屋群を作り、ちゃぶ台の上にはしと茶碗まで置いて、焼夷弾の効果を確かめる実験を行いました。そうして完成したのがM69という、わが国を焼き尽くすための新型焼夷弾でした。江戸時代の大火が春に集中していたことを調べ上げ、1945(昭和20)年3月10日を東京大空襲決行の日に選びました。
 東京大空襲の約1カ月後の4月12日、わが国を戦争に追い込んだ米大統領ルーズベルトが死去し、後任に副大統領のハリー・トルーマンが就任しました。このトルーマンが8月6日に広島に、9日に長崎に原爆を投下した大統領になります。
 わが国の一部には「日本が侵略戦争を行い、ポツダム宣言を黙殺したから原爆を落とされた」という原爆容認論があります。広島の原爆死没者慰霊碑には「過ちは繰返しませぬから」と刻まれ、修学旅行でやってきた児童・生徒が「自分たちの祖先が悪かったから原爆を落とされたんだ」と反省しています。
 米国民の多くは「原爆投下によって終戦を早め、本土決戦で犠牲になるはずの100万人の米兵の命が救われた」という根拠のない「原爆神話」「早期終戦・人命救済説」を信じています。2007年には核不拡散問題担当特使のロバート・ジョゼフが「文字通り何百万もの日本人の命がさらに犠牲になるかもしれなかった戦争を終わらせたということに、ほとんどの歴史家は同意すると思う」と、米兵だけではなく日本人のためだったと恩着せがましく語りました。
 わが国の原爆容認論、米国の原爆正当化論は、どちらもとんでもない話です。ルーズベルト真珠湾攻撃2カ月前の1941年10月に原爆の開発を決断。翌年、原爆開発のマンハッタン計画に発展します。1944年9月、ルーズベルトと英首相ウィンストン・チャーチルは、原爆が完成したら「日本人に対して使う」という秘密の合意を行いました(ハイドパーク協定)。
 ポツダム宣言が発表されたのは1945年7月26日ですが、トルーマンはその前日の25日に「広島、小倉、新潟、長崎のいずれかの都市に8月3日ごろ以降の目視爆撃可能な天候の日に特殊爆弾を投下する。追加分も準備が整い次第、前記目標に投下せよ」と2発の投下を命令していたのです。
 トルーマンはこの日の日記に「ジャップに対し、降伏し、命を無駄にしないよう警告の宣言を発するつもりだ。彼らが降伏しないことは分かっている」と書きました。ポツダム宣言とは関係なく原爆を落とすつもりだったのです。
 日記には「われわれは世界の歴史で最も恐ろしい爆弾を発見した」とした上で「ノアの箱船の後のユーフラテス渓谷時代に予言された火による破壊とは、このことかもしれない」との記述があります。これは、旧約聖書の「創世記」に登場する都市「ソドムとゴモラ」を指しているとみられます。
 ソドムとゴモラは同性愛などの退廃が神の怒りをかい、天からの激しい火によって滅ぼされたとされています。トルーマンは原爆投下を天罰と考えていたのでしょう。
 トルーマンは8月の2発に続いて、9、10、11月に3発ずつ、必要なら12月にも7発と、最大18発の原爆を投下するという軍部の計画を承認していました(1995年7月16日付ワシントン・ポストの報道)。
 現代史研究家の鳥居民氏は、ポツダム宣言はわが国が「黙殺」するように作られていたと論じました。ポツダム宣言の草案には、共同署名国としてソ連が書かれていましたが、トルーマンと原爆投下を強硬に主張する国務長官ジェームズ・バーンズはそれを削り、中国国民政府に差し替えました。わが国がソ連に和平の仲介を依頼していることを知っていたため、ソ連への期待を持ち続けさせようとたくらんだのです。
 草案には天皇の地位保全(国体護持)を認める条項もありましたが、それも削除しました。国体護持こそがわが国がこだわっていた降伏条件だったからです。
 そして、最後通告の公式文書だと思わせない形式にし、ホワイトハウス国務省からではなく宣伝機関の戦時情報局から発表しました。
 広島と長崎に原爆を落とすまでわが国を降伏させないように、ポツダム宣言はできていたのです。米国は開戦前にわが国の戦争回避の努力を知りながら時間稼ぎをして追い込みましたが、戦争が終わるときも和平意図を知りながら引き延ばして原爆を落としたのです。
 もしドイツの降伏が遅くても、原爆はドイツに対して使われることはなかったでしょう。日本人に対する人種偏見があったからこそ恐るべき人体実験が行われたのです。
 「日本人は獣として扱う」
 トルーマンは広島に原爆が投下されたとき、ポツダム会談を終えて巡洋艦オーガスタで帰国する途中でした。将校から「原爆投下成功」のメモを見せられると飛び上がって喜び、「歴史上、最も大きな出来事だ」と言いました。
 トルーマンルーズベルトに負けず劣らずの人種差別主義者でした。27歳だった1911年、後に妻になるベスに宛てた手紙にこう書きました。
 「叔父のウィルが言うには、神は砂で白人を作り、泥でニガー(黒人の蔑称)を作り、残ったものを投げたら、それが落ちて中国人になったそうです。叔父は中国人とジャップが嫌いです。私も嫌いです。たぶん人種的偏見でしょう。しかし私は、ニガーはアフリカに、黄色人種はアジアに、白人はヨーロッパと米国にいるべきだと強く信じています」
 原爆投下を受けて、全米キリスト教会連邦協議会のサミュエル・カバート事務総長はトルーマンに「多くのキリスト教徒が動揺している。それが無差別破壊だからだ」と電報を送りましたが、トルーマンはこう返信しました。「獣を相手にするとき、あなたはそれを獣として扱わなければならない。大変残念だが、それでも真実だ」
 戦後も「後悔していない」「全く心が痛まない」と繰り返し語りました。1958年のCBSの番組で、道義上の問題があるので決定は難しかったのではないかと問われると、「とんでもない。こんな調子で決めたよ」と、ボーイを呼ぶように指をパチンと鳴らしました。
 =つづく
 (地方部編集委員 渡辺浩)」
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 アメリカは宗教的白人至上主義・科学的人種差別主義の社会で、優秀人種であるアメリカ人(白人)は劣等人種と決めつけた日本人、ユダヤ人、アフリカ系アメリカ人(黒人)、ネイティヴ・アメリカン(インディアン)を偏見、蔑視し差別、迫害していた。
 アメリカは、未完成の自由と民主主義社会であった。
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 反日強硬派のフランクリン・ルーズベルト大統領(民主党)とヘンリー・スティムソン陸軍長官(共和党)の二人が、日本を絶対勝てない絶望的太平洋戦争に追い込み、日本の一般市民の上に無差別大量虐殺兵器である原爆を無通告で投下する事を決定した。
 アメリカの親日派知日派は、日本との戦争を避けるべく奔走したが、大統領と陸軍長官の決定には逆らえなかった。
 フランクリン・ルーズベルトを反ドイツ・反天皇反日へと動かしていたのは、選挙資金と組織票を提供していたアメリカ・ユダヤ人、アメリカ・キリスト教会そしてユダヤ系国際金融資本家、巨大な軍需産業・兵器産業、教育界などの軍産複合体であった。
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 歴史的事実として、日本民族は数万年前の石器時代縄文時代から、日本国は数千年前の弥生時代古墳時代から、自分から好んで戦争を始めた事は少ない、ましてや中国大陸や朝鮮半島を侵略した事はほんの数例でしかなかった。
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 ロシアとの戦争であった日露戦争は、江戸時代後期から避けられない戦争であった。 
 アメリカとの戦争である太平洋戦争は、明治時代初期から避けられない戦争であった。
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 日本海軍の主敵は、イギリスやソ連ではなくアメリカであった。
 東郷平八郎伏見宮日本海軍中枢部の反軍縮派は、明治時代におけるアメリカのハワイ併合で危機感を抱き、日本をアメリカの侵略から守る為に大艦巨砲主義による大艦隊新設を目指していた。
 対米艦隊戦の象徴が、戦艦大和であった。
 戦艦大和は、対空戦では欠陥兵器であったが、艦隊戦では完璧な無敵兵器であった。
 つまり、兵器思想として一点豪華主義は正しい事であったが、問題はアメリカのように大量生産による量産化ができなかった事である。
 米内光政らソ連派は、アメリカに対抗する為にソ連との関係を重視し、大戦中にアメリカのソ連への軍事物資輸送路・兵站ルートであるウラジオストック・ルートとアフリカ東沿岸・ルートを遮断せず放置してナチス・ドイツを見殺しにした。
 ドイツ軍の対ソ戦での敗北・敗走は、日本海軍が原因であった。
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 ワシントン、ホワイト・ハウス、ルーズベルト政権内部には、多数の共産主義者が潜り込んでいた。
 アメリカ人共産主義者は、アメリ共産党フランクフルト学派に属し、スターリンソ連コミンテルンの指示に従って動いていた。
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 アメリカ・ユダヤ人とアメリカ・キリスト教会は、反天皇反日本であった。
 中世キリスト教会・イエズス会と白人キリスト教徒商人は、日本人をアフリカ人同様に奴隷として売り買いして大金を稼いでいた。
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 共産主義は平和主義であるはウソで、むしろ戦争・内戦・クーデター・革命を引き起こす戦争主義であった。
 共産主義は、世界を共産主義化=プロレタリア独裁体制にする為に、ロシア革命やドイツ革命のような敗戦革命を起こすべく戦争を誘発していた。
 敗戦革命を起こす戦略は、近代天皇制度国家=軍国日本でも進められていた。
 日本の政府・官僚、議会・政治家、軍隊・将校、大学・教育者・学生、会社員・労働者など多方面に、共産主義者マルクス主義者が存在し、日本共産党幹部は逮捕されたが、一般党員の多くは弾圧を逃れる為に転向していた。
 日本人共産主義者は、大学を出た高学歴な知的エリートや進歩的インテリに多かった。
 一般党員には、日本人もいたが数が少なく、多くは朝鮮人であった。
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 日本の共産主義者は、ソ連コミンテルンの指示である天皇制度打倒の32年テーゼを実行するべく暗躍していた。
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 日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺する為に付け狙っていた。
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 中国共産党は、反天皇反日本として、天皇制度を打倒して日本を共産化する為に日本人共産主義者を助けていた。
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 アメリカは、日本を滅ぼす為に中国共産党を支援していた。
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 軍国日本は、建て前として戦争を辞さずと勇ましい発言を繰り返していたが、本音では戦争を避けたかった。
 アメリカは、建て前として戦争は避けたいと公言していたが、本音は戦争を求めていた。
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 昭和天皇は、親ユダヤ派、差別反対主義者、避戦平和主義者、原爆は非人道的大量虐殺兵器であるとして開発中止を厳命した反核兵器派、難民・被災者・弱者などを助ける人道貢献を求め続け、戦争には最後まで不同意を表明し、戦争が始まれば早期に講和して停戦する事を望むなど、人道貢献や平和貢献に努めた、勇気ある偉大な政治的国家元首・軍事的大元帥・宗教的祭祀王であって戦争犯罪者ではない。
 同時に、日本の歴史上最も命を狙われた天皇である。
 昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストであった。
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 靖国神社の心・志・精神とは、人道貢献と平和貢献の事である。
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 歴史的人道貢献とは。昭和天皇A級戦犯である東条英機松岡洋右松井石根らは、ソ連ポーランド侵略から逃げてきた数万人のポーランドユダヤ人を保護し、ナチス・ドイツゲシュタポと日本人の反ユダヤ派、親ドイツ派の上海ホロコーストを阻止しユダヤ人難民数万人を敗戦後まで守り続けた。
 何故、昭和天皇や陸軍・A級戦犯ユダヤ人難民を助けたのか、それはユダヤ人難民を助ける事でアメリカを動かしているユダヤ人に恩を売ってアメリカとの戦争を避けようとしたからである。
 それが、ユダヤ人難民利用説である。
 ユダヤ人難民を助けたのは、人道貢献ではなく、親切心、同情、惻隠の情でもなかった。
 ユダヤ人難民を助けたのは政治・外交であって、人として自慢できる事でもなく、他人から褒められる事でもない。 
 事実、現代、日本はおろか、アメリカでも、イスラエルでも、世界でも、軍国日本のユダヤ人難民保護は人道貢献と認められず、歴史から抹消されている。
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 昭和天皇の平和貢献とは、戦争には不同意であったが政府と軍部が決定すれば裁可するが、戦争が始まれば早期に講和を行って戦争を止める事を求め続けた。
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 レーニンは、世界人民革命戦略から、中国共産党日本共産党など極東アジア共産主義者に対して、日本とアメリカを戦争させ世界戦争に拡大し、西洋列強の富と力の源であるアジアの植民地を解放するように示唆した。
 つまり、軍国日本が戦った日中戦争や太平洋戦争はレーニンが仕組んだ謀略であった。
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 ロシア・ドイツ・スペインで、プロレタリア独裁共産主義人民革命を起こしていたのはユダヤ人であった。
 それが、ユダヤ陰謀論であった。
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 世界の指導者には親中国反天皇反日本が多く、その代表的な人物がアメリカのフランクリン・ルーズベルトナチス・ドイツヒトラーソ連スターリン、中国の毛沢東と蔣介石である。
 その反対に親日・知日の指導者はだれもいない。
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 日本列島は、日本人を隔離収容する閉鎖列島であった。
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 日本国には、日本人殲滅計画を考えてたフランクリン・ルーズベルトの思考遺伝子を引き継いだ日本人が多数存在している。
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