👹25:─1─「安倍国葬」で見えた日本との距離。冷ややかな中国と親愛なインド、台湾。~No.90No.91No.92 

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 2022年10月2日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「「安倍国葬」で見えた日本との距離、茶を濁した中国、親愛の情示したインド
 9月27日、安倍晋三元首相の国葬の後、弔問の海外要人を招いた東京・元赤坂の迎賓館にて、インドのモディ首相を出迎える岸田文雄首相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
 9月27日に行われた安倍晋三元首相の国葬は、そもそも行うべきかどうかについて侃々諤々(かんかんがくがく)の議論があったり、「友人代表」として弔辞を読んだ菅義偉前首相の「一世一代のスピーチ」が感動を呼んだりと、多くの話題を提供して終わった。
 東アジアウォッチャーである私から見れば、どの国が日本を、真のパートナーと考えているかが、目に見える形で明らかになった気がする。「安倍国葬」は、いわば日本と他国との「距離感」を見るリトマス試験紙のようなものだった。
■ 主要国トップが「国葬」への参列見送る中、駆け付けたモディ首相
 まず、日本がアジア唯一のメンバーで、安倍元首相が実に9回も出席しているG7(先進国)の6カ国からは、誰もトップが来なかった。カナダのジャスティン・トルドー首相だけは出席を公言していたが、結局、ハリケーン被害を口実に欠席した。
 近隣のアジアに目を転じると、隣の韓国は、韓悳洙 (ハン・ドクス)首相が参列した。本来なら尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が自ら来たかったのだろうが、韓国国内には反日派も多いだけに、これは致し方のないところだった。
 台湾も、本来は蔡英文(さい・えいぶん)総統自らが、来日したがっていたと聞く。安倍元首相とは日本でランチをともにし、心が通じ合う仲だったからだ。安倍元首相は首相退任後、台湾訪問を切望していた。だが、中国の圧力があってかなわなかった。
 その台湾からは、王金平(おう・きんぺい)元立法院長が来日した。王氏は昨秋、日本政府から「旭日大綬章」を授賞されるなど、日台関係の発展に貢献した台湾政界の大物として知られる。
 問題は、中国である。当初は明らかに、王岐山(おう・きざん)国家副主席を差し向ける予定でいた。王氏は5月に韓国の尹錫悦大統領の就任式に参列し、7月にはフィリピンのフェルディナンド・マルコス・ジュニア大統領の就任式に参列。そして9月19日には、イギリスのエリザベス2世の国葬に参列している。
 ところが直前になって習近平(しゅう・きんぺい)政権が調整を図り、やって来たのは、万鋼(ばん・こう)中国人民政治協商会議副主席だった。政協というのは、建国の頃こそ勢いがあったものの、習近平時代のいまや、「中南海の盲腸」と言われる政府への一諮問機関にすぎない。
 しかも万氏は、中国を一党支配する共産党の党員でもなく、「お飾り弱小政党」の致公党の党首だ。つまり、「超格下げ」である。
 ちなみに習近平政権は、9月29日に北京で行われた日中国交正常化50周年の記念イベントでも、丁仲礼(てい・ちゅうれい)全国人民代表大会常務副委員長を主催者に任命し、日本側を唖然とさせた。丁氏は日本に馴染みのない古生物学者で、しかもやはり共産党員ではなく、「お飾り弱小政党」民盟の党首だったからだ。
 こうした先進国や周辺諸国・地域に較べて、「私は必ず参列する」と早くから明言し、その通り来日した一国のトップが、インドのナレンドラ・モディ首相だった。
■ 安倍元首相のインドへの並々ならぬ思い
 実は生前の安倍元首相が、台湾と並んで、個人的な想いが最も強かったのが、インドだった。
 第二次世界大戦の日本の戦争犯罪を裁いた東京裁判で、安倍元首相の外祖父・岸信介元首相らの無罪を、一貫して主張したのが、インド代表のラダ・ビノード・パール判事だった。安倍氏は、いまの自分の一族があるのはパール判事のおかげだと思っていて、第一次安倍政権末期の2007年8月、持病の潰瘍性大腸炎が悪化しているにもかかわらず、インドを訪問。コルカタに住むパール判事の息子(当時81歳)の自宅までわざわざ行って、感謝の意を遺族に伝えた。
 そんな経緯もあって、安倍首相は、2014年5月にモディ氏が第18代インド首相に就任した時、「最初の単独訪問先として、ぜひ日本に来てほしい」と強く招請した。実際、モディ新首相は同年8月、日本を訪問した。
 この時は私も取材し、モディ新首相のスピーチも聴いた。安倍首相はわざわざ京都まで出迎えて1泊2日の「仏教外交」を展開するなど、異様に気合いが入っていたのが印象的だった。
■ 「アジア太平洋」を「インド太平洋」とした安倍元首相
 その後、2016年になって、安倍首相は「アジア太平洋」を「インド太平洋」と言い換え、アメリカにも呑ませてしまった。その「遺産」が、中国抑止のための日米豪印の枠組みQUAD(クアッド)だ。
 岸田文雄首相は、そんなモディ首相と、国葬が行われた9月27日午前、日印首脳会談を行った。
 岸田「安倍元総理の外交的な業績をさらに発展させ、『自由で開かれたインド太平洋』の実現に向けて、モディ首相と引き続き連携していきたい。今年は日印国交樹立70周年で、来年は日本がG7の議長国、インドがG20(主要国・地域)の議長国だ。『日印特別戦略的グローバル・パートナーシップ』を、さらに一層、強化していこうではないか」
 モディ「安倍元総理のもとで、印日関係は、新たな次元に入った。われわれインド人は、安倍元総理に対して、非常に温かい印象を持っていた。両国の連携強化については、まったく賛成だ」
■ モディ首相からの「プレゼント」
 この日、モディ首相は、密かに日本が喜ぶ「プレゼント」を用意していた。日本の外交関係者が明かす。
 「それは同日、退役中将のアニル・チャウハン軍顧問を現役復帰させ、140万インド軍制服組トップの総参謀長に据えたことだ。
 チャウハン総参謀長は、2019年9月から昨年5月まで、インド軍東部戦区司令官を務めていた。その任期中の2020年6月に、管轄のラダック地域で中国軍と衝突し、20人ものインド軍兵士が犠牲になった。
 以来、チャウハン司令官は『中国許すまじ』と、対中強硬派の筆頭となった。そんな退役中将を、モディ首相は安倍総理国葬の日に、軍のトップにしたのだ。安倍総理に対する、そして日本に対する、これ以上の『プレゼント』はない」
 この「異例の人事」には、中国側も早速、反応している。中国最大の国際紙『環球時報』は9月30日付で、「インドメディア:新国防参謀長は『中国事務の専門家』」というタイトルの記事を掲載した。
 そこでは淡々と中印関係の経緯を書きつつ、「十何回かの高位軍事会談と2年に及ぶ状況保持の後、両国は今月(9月)に、『事件』が発生した地点の周囲から少しずつ軍の撤収を始めた」と述べている。
 安倍元首相亡き後、「死せる孔明生ける仲達を走らす」となるのか。
 近藤 大介」
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 安倍晋三元首相は、内政で成果が出せなかった為に日本人に嫌われたが、世界の平和に貢献し国際外交を牽引した為にアメリカや、イギリス、オーストラリア、台湾、インドなどの同盟国・友好国とウイグル人チベット人、モンゴル人の諸民族から信頼されていた。
 安倍晋三元首相を嫌った外国とは、中国共産党政府、韓国・北朝鮮、ロシアの4ヵ国である。
 中国共産党政府、韓国・北朝鮮、ロシアの4ヵ国は、昔から変わらない「日本を侵略する可能性のある」敵日・反日で、「日本を助けてくれる」親日・知日ではない。
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