☂29:─1─媚中派と護憲派は「中国に謝りまくる」「黙って殺される」という日本人である。~No.104No.105No.106 

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 2023年1月27日 YAHOO!JAPANニュース デイリー新潮「「中国に謝りまくる」「黙って殺される」という人も  護憲派と議論して作家・百田尚樹氏が感じたこと
 ツイートが話題となった鳩山由紀夫元総理大臣(左)。右は百田尚樹
 シンパとアンチの割合は不明だが、80万超のフォロワーを誇っているのが、鳩山由紀夫元総理大臣のツイッターである。注目度はそれなりに高く、時折その発信内容がニュースとなる。最近では、1月24日の以下のツイートが話題となった。
 【写真】話題となった「鳩山由紀夫元総理大臣のツイート」
 「岸田首相は施政方針演説で再び防衛増税に関して今を生きる我々、即ち国民の責任と述べた。冗談ではない。政府が中国を敵視する米国に追随し中国脅威論を煽り、米国から時代遅れのトマホークを買わされるからだ。国民は米国以上に中国との貿易を大事にしたいと思っているのだ。戦争より平和に金を使え」
 トマホークが本当に役立つかどうかは議論の分かれるところだろうが、注目すべきは最後の一文、「戦争より平和に金を使え」である。
 鳩山氏は基本的に、防衛力の増強と平和とは対立する関係にあると考えているようだ。総理在任中には、米軍基地の重要性を学習したと述べていたが、認識は大幅に変更されている。ある時期からは憲法9条をことのほか神聖視する、いわゆる「護憲論者」的な発言が目立つようになった。
 「防衛力を整えることが抑止力となり平和につながるのだ」という人と、鳩山氏的な意見の人との対立は今に始まったことではない。日本では長年見られる古典的な論争だとも言える。
 作家の百田尚樹氏は著書『戦争と平和』の中で、護憲論者との議論について振り返り、彼らの主張の問題点を指摘している。以下、同書から抜粋してみよう。
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 護憲派の論理
 私は、「9条を守らなければならない」と言う人と、過去に何度も議論を重ねたことがあります。呆れるのは、彼らの主張はまったく論理的ではないことです。私はむしろ私を説得してほしいという気持ちが心のどこかにあるのです。「9条があるから、戦争が起こらない」ということを、論理を組み立てて、話してもらいたいと思っています。その上で、私自身が、「なるほど、言われてみれば、その通りだ。9条というのは素晴らしい」と思えたら、明日にでも護憲派に転向してもいいと考えています。
 しかし9条を信奉する人の中に、そうした論理的な説明をしてくれる人が、今日に至るも誰一人現れませんでした。
 「もし、他国が日本に武力攻撃してきたら、どうやって国土と国民の命を守るのですか」
 こんな単純な質問にさえも、納得のいく答えが貰えないのです。呆れたことに、
 「そうならないように努力する」
 「話し合って解決する」
 という答えしか返ってこないのです。中には、
 「もし、そんなことになれば、世界が黙っていない」
 と言う人もいました。そんな人には、私はこう言います。
 「あなたはチベットウイグルの人が国土を奪われ、人民が虐殺されても、黙って見ているではありませんか」
 すると、チベットウイグルと日本は違うと言います。そこで私はこう言います。
 「他国が武力侵攻しないということは、自衛隊はまったく必要がないということになるけど、あなたは自衛隊を失くしてしまえという主張ということで受け取っていいですか」
 すると、たいていの人が、黙ってしまいます。
 要するに、9条は残したいと考える人のほとんどが、自衛隊を失くしてしまうことは不安に思っているのです。ここに論理矛盾があるのに、皆、気付いていません。
 もっとも共産党だけは別です。彼らの目的はおそらく乱暴に言えば、日本を他国に売り渡すということですから。
 朝日新聞記者の言い分
 私は一度、テレビ朝日の「TVタックル」という番組に出て、朝日新聞の菅沼栄一郎氏と議論を交わしたことがあります。菅沼氏は元「AERA」の副編集長で、かつて久米宏氏の司会番組「ニュースステーション」でレギュラー・コメンテーターを務めていた人です。
 私は「TVタックル」で、国防の大切さを訴え、「国防軍と言うのは、家に譬えれば鍵のようなものだ」と発言した時、菅沼氏はこう言いました。
 「鍵と言うなら、今のままで十分だ」
 私は、今の憲法で縛られている自衛隊では不十分という意味で、
 「もっと丈夫な鍵にしようということです」
 と言いました。すると菅沼氏は、
 「丈夫な鍵を付けると、相手はそれを壊すために、もっと強い武器を用意する(だから、鍵は弱い方がいい)」
 と言ったのです。私は呆れて、それ以上、議論をする気は起こりませんでした。
 菅沼氏の論理を突き詰めれば、鍵はない方がいいということになります。すなわち「一切の戦力を保持しない」9条に着地するわけです。おそらく菅沼氏も自宅のマンションにはしっかりと防犯用の鍵を付けていると思いますが、国家には鍵は不要と言うのが理解できません。
 中国に謝れという漫画家
 日本は絶対に戦争をしてはいけない。日本人ほど、戦争に向かない民族はいないのだから――。「ゼロ戦」と「グラマン」の徹底比較から見えてきた、私たちの致命的な欠点とは何か。ベストセラー『永遠の0』に秘めた、本当の想いとは。作家が「何としても戦争を回避しなければならない」という強い想いから真摯につづった、圧倒的説得力の反戦論 『戦争と平和
 なお、この時の出演メンバーには、漫画家(? )のやくみつる氏もいましたが、彼は番組中に驚くべきことを発言しました。
 「もし、中国が理不尽なことを言ってきても、日本は徹底して謝る。謝って、謝って、謝り倒す」
 この時は、さすがに他の出演メンバーからも苦笑が漏れました。
 ちなみに、やく氏のこの時の発言は決して失言ではなく、後日、彼は別の番組で、「中国領になってもいいから、戦いたくない。中国領で生きていく」という発言をしました。彼は中国領となったチベットウイグルでどんなことが行われているのか知らないのでしょうか。国土が原爆実験場として使われ、言葉を奪われ、文化を奪われ、女性が犯され、人々や子供たちが遊び半分で殺されているという実態を、何も知らないのでしょうか。もし知っていて発言しているとなれば、究極のマゾヒストです。自らの性癖を、日本人全体に押し付けないでくださいと言いたいです。
 テレビに出ている文化人は、こういう空疎な(そして本人は美しいと思っている)言葉を平気で吐きます。経済評論家の森永卓郎氏はテレビで、「とんでもない奴が攻めてきたら、黙って殺されちゃえばいいんだと思うんです。世界の歴史の中で、昔は日本という国があって、戦争をしなくて制度を守るんだって言い続けて、ああそんな良い民族が居たんだなぁと思えばいいんじゃないですか」というような発言をしてきました。
 呆れるばかりの発言です。これは死にたくない人間に向かって、心中しようと言っているのと同じです。死ぬなら一人で死んでくれと言いたいです。あなたの死生観を他人に押し付けないでもらいたいです。
 おそらく本人たちは、本当はそんなことにはならないと思っているのでしょう。自分の娘が奴隷になって、弄ばれたり、売買されたり、あるいは虐殺されたり、といったことは起こらないと思っているから、そんなことを言っているのだと思います。もし、本気で奴隷になってもいいとか、殺されてもいいと思っているとしたら、まともな人間ではありません。
 9条教という宗教
 9条を信奉している人たちと話をしていると、どうやら「9条」に対する盲信のようなものがあるのに気付きました。簡単に言えば、「日本に9条がある限り、戦争は決して起こらない」という思い込みです。
 彼らの話を聞いているうちに、これは一種の宗教に近いものだと思いました。つまり理屈ではないのです。論理を超えた信仰です。私はこれは何かに似ていると思いました。それは、120年ほど前、清朝末期の義和団です。
 義和団というのは、白蓮教という民間宗教と梅花拳という拳法が合体したものです。これを信じれば、鉄砲の弾も跳ね返すことができ、刀で切られても死なないという凄いものです。彼らはこれを「義和拳」と称しました。清朝末期に義和団の信者は急速に増えていきます。
 そして彼らは、義和団の教えさえ守れば西洋の軍隊も怖くないと思い、西洋列強に戦いを挑みます。これが世に言われる「義和団の乱」(中国では「庚子事変」と呼ばれています)というものです。義和団はまたたくまに清全土に勢力を広げ、一時は北京だけでも20万人もいたと言われています。西太后義和団の力を過信して、西洋列強に宣戦布告をしました。
 しかし近代的な武器を装備した西洋列強に徒手空拳の拳法が敵うはずがなく、また鉄砲の弾を跳ね返せるわけもなく、義和団はあっというまに鎮圧されました。ちなみに義和団の鎮圧のために軍を派遣したのは、イギリス、アメリカ、ロシア、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、イタリア、フランス、日本でした。清はこの敗北によって、これら8カ国に莫大な賠償金を背負わされ、これが清朝滅亡の大きな原因となりました。
 もはやカルト
 少し話が逸れましたが、「義和拳を信ずれば、鉄砲の弾も跳ね返す」という信仰は、「9条を信ずれば、戦争は起こらない」に、極めて似ていると言えないでしょうか。
 一方は「戦いに勝てる」に対して、もう一方は「戦いにならない」と、一見、正反対のように見えますが、思考回路は同じです。両者に共通するのは、「信ずれば、こうなるに違いない」という盲信です。そこに論理はありません。
 私はこれまで「9条」を信奉する年配の人に対して、「9条」の持つ矛盾と弱点を何度も指摘してきました。するとほとんどの人が納得してくれるのです。「なるほど、そういうことだったのか。説明を聞いてよくわかった」という人も何人もいました。
 ところが、です。そう言うほとんどの人が「改憲派」にならないのです。
 「百田さんの言うことはもっともだと思うけど……、やっぱり9条って大事だと思う」
 このセリフを何度聞いたかわかりません。
 そして、私が「なぜ、9条が大事なのですか」と訊いても、彼らは答えられないのです。
 でも最近になって、ようやくその理由がわかってきました。彼らはかつての義和団の信者と同じ、「9条教」という宗教の信者だったからです。
 戦後70年にわたって、朝日新聞をはじめとする大メディア、そして日教組、さらに市民活動家、進歩的文化人と呼ばれる人たち(実は左翼主義者)が、新聞や雑誌やテレビで、「9条は正しい」「日本の平和は9条によって守られてきた」という布教を続けてきたのです。そして知らないうちに「9条教」という世界でも例のない不思議なカルト宗教の信者を増やしてしまったのです。
 洗脳されたカルト宗教の信者を逆洗脳するのは、とてつもなく難事であるのはよく知られています。理屈をいくら説いても、洗脳は抜けません。潜在意識の深いところに入っているからです。洗脳というのは、本当に怖ろしいものです。ちなみに「洗脳」という言葉は、中国共産党が作ったと言われています。彼らは捕虜に睡眠を与えず、何度も何度も同じ教義を吹き込むのです。最初は理性で拒否しても、ついに脳の防波堤が壊れ、教義が脳細胞の深いところに浸透してしまうのです。そうなれば、もう終わりです。
 私の周囲を見渡すと、60歳以上の人の多くは洗脳を受けているという実感があります。団塊の世代はほぼ洗脳を受けていると言っても過言ではありません。高学歴である人ほど洗脳率は高いようですが、こうした人たちは、もう容易なことでは洗脳は解けないという実感があります。
 ですが、私は絶望はしていません。50代以下のまだ洗脳の浅い世代、特に20代以下の若者たちにはそうした洗脳を受けていない人たちが少なくないからです。また洗脳を受けている人たちも、それは浅く、抜け出すことは十分に可能です。
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 ※抜粋箇所は百田尚樹氏『戦争と平和』(新潮新書)より。
 デイリー新潮編集部
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