🎻40:─1─昭和時代の成功は伝統的日本型システム=日本型社会主義である。~No.116 

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 2023年2月23日 MicrosoftStartニュース「 結局「日本型システム」が世界の答えになる~共産主義も、資本主義も、制度疲労の中で
 大原 浩 によるストーリー
 「左翼」と「右翼」という分類はもう古い
 左翼と右翼の起源は1789年に始まったフランス革命にあるとされる。
 革命期の憲法制定国民議会において、旧秩序の維持を支持する勢力(王党派、貴族派、国教派など)が議長席から見て右側の席を占め、左側に旧勢力の排除を主張する共和派・急進派が陣取ったことがその語源となったというわけだ。
 それから230年余りの時が立ち、左翼・右翼は日本を含む世界で頻繁に使われる言葉となった。
 だが、広く使われているにも関わらず、現在その言葉が指し示すところはあいまいだ。
 概ね、左翼が1917年のロシア革命を発端として初めて成立した共産主義国家を中心とした勢力を指し、右翼がネオ・ナチに代表されるファシズムを中心とした勢力を指すというのが一般的イメージではないだろうか。
 だが、近代的な意味での共産主義は、1818年生まれのカール・マルクス1820年生まれのフリードリヒ・エンゲルスによって提唱されたと言えるから、150~200年くらいの歴史はある。
 それに対してファシズムは、イタリアのベニート・ムッソリーニが初めて提唱した。誤解されがちだが、ドイツのアドルフ・ヒットラームッソリーニを手本にファシズムを始めたのであって、その逆ではない。
 大群衆を前にしたムッソリーニ、1936年  by Gettyimages
 © 現代ビジネス
 その彼のファシズムが始まったのは、1919年に新たな政党「イタリア戦闘者ファッシ」を数百人規模でスタートしたときであろう。
 だが、ムッソリーニは元々イタリア社会党員として活躍していたのだ。党中央の日刊紙であり最大の機関誌である「アヴァンティ」編集長に1912年に任命され、発行部数を大幅に伸ばした。
 しかし、1914年に論説に関する問題で党中央委員会と対立し、「アヴァンティ」編集長を辞任した後、党から除名されている。
 その後、前記の「イタリア戦闘者ファッシ」へとつながるわけだが、ムッソリーニにすれば共産主義の至らない部分を「改革」したものがファシズムであり、ファシズム共産主義から生まれたといえよう。
 つまり、共産主義(または社会主義=ソフト共産主義)の方がファシズムよりも古い体制だから、フランス革命期の分類に従えば、「旧体制を維持する共産主義=右翼」に対して「旧体制である共産主義を打破して『改革を求める』ファシズム=左翼」ということになってしまう。
 例えば、共産主義中国でファシズム活動を行うことをイメージすればわかりやすいかもしれない。彼らファシストは「改革者」であり、既存の共産主義体制を破壊する「反体制派」なのである。
 結局、左翼も右翼も「全体主義」という同じ基盤を持つ思想だが、いわゆる「宗派」が異なるだけだといえないであろうか。
 中国では「改革・開放」
 マルクスレーニンの時代の資本主義は、「原始資本主義」とでも呼ぶべき「弱肉強食」の世界で、貧しい人々の生活は本当に悲惨であった。だから、私も彼らの理想として掲げた共産主義に共鳴する部分が無いわけではない。
 だが、スターリン毛沢東ポル・ポトなどの共産主義者による「大虐殺」は到底肯定できない。
 しかし、そのような悲惨な独裁政治をいつまでも維持できないことを証明してきたのが歴史である。
 2019年1月19日公開「客家・鄧小平の遺産を失った中国共産党の『悲しき運命』を読む」で取り上げた鄧小平は、毛沢東が引き起こした惨劇の後に共産主義中国を率いた。
 彼が1978年から始めた改革・開放がどれほどの繁栄を中国にもたらしたかは、読者もよくご存じのはずである。
 それまでの「毛沢東流、イデオロギーごり押し」の共産主義から、一党独裁は堅持しながらも「資本主義的市場を取り入れる」という大胆な施策へ転換したのだ。今ではごく当たり前のように感じられるが、当時としては「掟破り」であったといえる。
 もちろん、鄧小平も「共産主義を信奉する独裁者」ではあったが、「黒い猫でも白い猫でも鼠を捕るのが良い猫だ」という有名な言葉を用いる「現実主義者」でもあった。国民が貧困にあえいでいれば、どのような全体主義独裁も結局崩壊するということがよくわかっていたのである。
 そして改革・開放から45年が経とうとしている現在、まさに前記「客家・鄧小平の遺産を失った中国共産党の『悲しき運命』を読む」で懸念した事態が、「毛沢東の後継者」を自認する習近平氏によって引き起こされている。しかし、1978年から始まった改革・解放が素晴らしい施策であったことを忘れるべきではない。また、我々も大いに参考にすることができるはずだ。
 資本主義は福祉国家へ向かったが
 もちろん、資本主義国家の側も何もしなかったわけではない。
 産業革命以降、マルクスレーニンの時代における資本家によって行われていた「労働者からの極端な搾取」は法律による取り締まりもあり、影を潜めている。
 むしろ、公教育、国民健康保険、年金などにおいて、共産主義国家よりも資本主義国家の方がより恵まれているとさえ言えるであろう。
 資本主義も、共産主義が改革・開放によって「市場主義」を取り込んだように、「福祉国家」を目指すことによって(機会の平等ではなく)「結果の平等」を取り入れて変質したのだ。
 その点で、東西冷戦時代あるいはそれ以前と比べれば、共産主義と資本主義の違いは小さくなった。
 習近平氏以前の共産主義中国が典型だが、ゴルバチョフペレストロイカを経て旧ソ連が崩壊した後のロシアも共産主義国家ではなく、資本主義の原理で動いている。
 だが、1991年のソ連邦崩壊以降、共産主義が消え去り米国を中心とする一極体制が生まれるように見えたが、実際にはそうはならなかった。
 一つには、昨年8月26日公開「補助金、支援金はありがたいが間違いなくインフレを加速させてしまう」冒頭「政府がインフレを加速させている」で述べたように、有権者が望む福祉をばら撒くことによって、その福祉を賄うはずの「財政」が各国で立ちいかなくなったからだ。つまり、バラマキによる福祉国家には「持続可能性」が無かったということだ。
 さらに、昨年1月26日公開「グローバリズムは終わり、そして世界は自国民ファーストへ回帰する」冒頭の「グローバリストの正体」で述べたように、グローバリズムが、共産主義におけるコミンテルンのような存在であったことも問題だ。
 グローバリストが実は世界規模で、マルクスエンゲルスの時代のような発展途上国の労働者から搾取を行い、先進国の労働者を海外の低賃金労働と競争させることによって疲弊させたのだ。このようなグローバリストが、現在の世界各国における「二極化」の元凶だともいえる。
 日本型システムが答えなのか?
 それでは、我々はどこに向かったら良いのであろうか。
 実は、その答えはかなり以前から我々の目の前に存在していた。昨年11月4日公開「米国型ルールが限界の今、『日本品質』の背景にある精神性に気づこう」の副題「報酬はお金だけではない、笑顔や感謝も」である。
 グローバリストが求めるのは「最適地生産」や「ジョブ型雇用」などの「目先の金銭的利益にとらわれたゴリゴリの効率(=資本の論理)追求」である。
 それに対して、コスト削減は日本のお家芸だが、だれか特定の個人が儲けるために行うのではない。「自らが所属するチームの将来のため」に、メンバーそれぞれが地道な努力を行うのである。
 日本型システムではチームワークが重要だから、それを実現するための「同調圧力」が強い。私自身は、個人的にこの同調圧力というものが大の苦手で苦労してきたから、その負の側面もよくわかる。
 だが、この「同調圧力」は、「鋼のようなメンタル」を持つように自らの精神を鍛えれば乗り切れる。
 それに対して、世界のほとんどの国々の独裁国家では言うことをきかせるために(肉体的)拷問を行ったり、処刑したりする。それらよりは、日本の「同調圧力」の方がはるかにましだと思う。
 世界で最も成功した「社会主義国家」
 以前よく言われたのが、「日本は世界でもっとも成功した社会主義国家」だという事である。
 当時の日本人は「自分が中流階級である」と感じる人々が大半で「一億総中流」という言葉が大いに流行った。実際、「上級国民」という言葉も存在せず、極めて平等な社会であったのだ。
 その後、特にバブル崩壊以降グローバリズムを中心とした「欧米型資本主義」によって、「一人勝ち」が奨励されるようになってから、日本の平等社会が崩れてしまった。
 当時「日本型社会主義」と揶揄されていた国家こそ、「理想郷」とでも言うべきシステムであり、「個人の尊重」と「全体最適」=「最大多数の最大幸福」のバランスを微妙にとっていたのである。
 「大乱」の中で国家システムが揺らぐ
 我々はすでに歴史的大転換に直面している。その中で、左翼、右翼、共産主義、資本主義等ほとんどのものが「旧体制」であり、バブル期に脚光を浴びたもののその後打ち捨てられた「日本型社会主義」こそが「世界を救う」のではないだろうか?
 確かに、日本型システムは、2021年2月28日公開「1400年の歴史、世界最古の会社が日本に存在している…」で述べた歴史と伝統に支えられているから他国は簡単にまねできないであろう。
 しかし、日本は過去に「日本型社会主義」を大成功させているのだ。今回も頑張れば実現できるはずである。
 逆に言えば、「日本型社会主義」をこれから推進することが出来なければ、「世界戦国時代」の中で、日本が生き残ることが難しくなるということだ。
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