🎵45:46:─1─人類史・世界史を変えた日露戦争は世界ゼロ次世界大戦であった。〜No.108No.109No.111No.112 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 近代日本の戦争である日清戦争日露戦争日韓併合は一つに繋がっていた。
 日露戦争は、江戸時代後期から避けられない祖国防衛の積極的自衛戦争であった。
   ・   ・   ・   
 2023年2月26日 MicrosoftStartニュース ダイヤモンド・オンライン「【歴史を変えた番狂わせ】意外な結末になった「戦争」ベスト3
 東大カルペ・ディエム の意見 • 42 分前
 「世界史とは、戦争の歴史です」。そう語るのは、現役東大生集団の東大カルペ・ディエムだ。全国複数の高校で学習指導を行う彼らが、「戦争」を切り口に、世界史の流れをわかりやすく解説した『東大生が教える 戦争超全史』が3月1日に刊行される。世界史、現代情勢を理解するうえで超重要な戦争・反乱・革命・紛争を、「地域別」にたどった、教養にも受験にも効く一冊だ。古代の戦争からウクライナ戦争まで、約140の戦争が掲載された、まさに「全史」と呼ぶにふさわしい教養書である。本書に掲載されている戦争のうち、今回は「番狂わせ」が起きた戦争を3つ紹介します。
 Photo: Adobe Stock
 © ダイヤモンド・オンライン
 歴史上の争いには、多くの「番狂わせ」が存在する
 人類は数多の戦争を行ってきました。小国同士の小競り合いから大国同士の争い、あるいは小国が大国に攻め入られることもあれば、その逆もありました。20世紀に入ってからは、文字通り世界中を巻き込んだ「世界大戦」もあり、人類は本当に多くの戦争を経験してきたと言えるでしょう。その中には、「番狂わせ」といえる戦争も多くありました。強いはずの国を、弱いはずの国が倒してしまった戦争です。
 今回は、本書で掲載されている戦争のうち「意外な結末になった戦争ベスト3」を紹介します。
 第3位 ペルシア戦争(前500~前449年)
 ペルシア戦争は、アケメネス朝ペルシアとギリシアのポリス連合軍との戦いです。当時の大帝国であるアケメネス朝が勝つと思いきや、最終的にはアテネやスパルタといったギリシア勢力が勝利しました。
 この戦争で、ペルシアは主に4度にわたってギリシアに侵攻しました。その中でも第2回遠征におけるマラトンの戦いでは、全身武装した重装歩兵の活躍により、アテネ側が勝利しました。このとき、アテネ側の一人の青年が「この勝利を早く本国に伝えたい!」と一度も休まず走り続け、「我々の勝利です!」と伝えて息たえたという伝説があり、ここからマラソンが始まったと言われています。

 また、映画「300(スリーハンドレッド)」でも有名なテルモピレーの戦いも激戦となりました。この戦いは、20万人とも言われるペルシア軍がたった300人しかいないスパルタ王レオニダス率いる守備隊と激突したことで有名です。レオニダスたちは全滅してしまっものの、険しい山に囲まれた狭い通路だったテルモピレーの地の利も活かしてかなり時間を稼ぎ、続くサラミスの海戦の勝利に大きく貢献したと言われています。
 第2位 アドワの戦い(1896年)
 アドワの戦いは、エチオピアに侵攻したイタリア軍が大敗を喫した戦いです。
 この当時、ヨーロッパの国々は世界各地に戦争を仕掛けては勝利し、アジア・アフリカをどんどん植民地化していました。ヨーロッパの「列強」の一つであったイタリアも「アジア・アフリカの奴らなんかに負けるはずがない」と思っていたことでしょう。
 しかし、意気揚々と向かったエチオピアのアドワの地で、イタリアはとんでもないものを目撃します。そこにはなんと、イタリア軍を遥かに上回る兵力が準備されていたのです! さらにその多くは近代的な武器で武装しており、イタリアはまさかの敗北を喫してしまいました。
 実はエチオピアは、この戦いのために各地の有力者たちに呼びかけて勢力を結集させていました。また、背後でフランスがエチオピアを支援したことで、エチオピア軍は近代的な兵器をもってイタリア軍を迎え撃てました。こうしてイタリアは、アフリカの「小国」エチオピアに”まさかの大敗”を喫したのでした。
 第1位 日露戦争(1904年)
 日露戦争は、近代化を果たしたばかりの日本と大国ロシアとの戦争です。小学生でも習うこの戦争は、世界的にも非常に重要な意義を持っています。
 当時、欧米列強はどんどん植民地を拡大していました。列強の使う近代的な武器を前に、アジア・アフリカの国々はなす術もなく負けていきました。そんな中、明治維新以降、「富国強兵」を掲げて力をつけていた日本は、やがてロシアと対立するようになりました。そして1904年、ついに両国は戦争に踏み切ったのです。
 明治維新が1868年で、日露戦争は1904年ですから、日本は近代化したと言ってもせいぜい30年程度しか経っていません。それに対し、ロシアはヨーロッパの大国です。
 世界中の国々が、「アジアの小国、日本が勝てるわけがない」と思っていたことでしょう。
 しかし結果は大健闘で、日本優勢の状態で講和に至りました。アジアの日本がヨーロッパ列強のロシアに勝ったというニュースは、「ジャイアントキリングだ!」と多くの国に伝わりました。こうして日本は、アジアの大国として名を上げることになりました。
 さらに、日本の勝利に沸いたアジアの各地では、「日本に続け!」ということでイラン革命青年トルコ運動などが起こりました。日本の番狂わせの影響は、世界へと波及していったのでした。
 本書でも紹介しているように、戦争には番狂わせや意外な結末となったものがまだまだ多く存在します。また、それらは「歴史の転換点」となっていることが多く、歴史を学ぶうえでも重要な意義を持っています。現在起こっているウクライナ戦争においても、歴史の大きな転換点になる可能性があり、今後の動向に注目が必要です。
 東大カルペ・ディエム
 現役の東大生集団。貧困家庭で週3日アルバイトをしながら合格した東大生や地方公立高校で東大模試1位になった東大生など、多くの「逆転合格」をした現役東大生が集い、全国複数の学校でワークショップや講演会を実施している。年間1000人以上の生徒に学習指導を行う。著書に『東大生が教える戦争超全史』(ダイヤモンド社)などがある。
   ・   ・   ・   
 日露戦争。世界ゼロ次世界大戦。
 1900年7月 アムール川黒竜江)事件。ロシア人兵士が清国人(満州族)約2万5,000人を虐殺した。
 日本の世論は緊張し、反ロシア大集会が日本各地で開かれるに至った。ロシアは次に朝鮮を蹂躙して日本へ侵略してくるに違いない、というのが世論の見方であった。
 そして、日露戦争は不可避となった。
   ・   ・   ・