🎺41:─2・B─連合軍は日本人1,450万人を攻撃対象とする「毒ガス空爆」を計画していた。~No.193 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 アメリカ軍・連合軍・国連軍は宗教的人種差別から、非白人非キリスト教徒の日本人を尊厳を持った人間とは認めず、獣か虫ケラとして虐殺していた。
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 もし、水爆が開発されてたら、第三発目の原爆投下実験が実行されていた。
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2018-12-26
🎺54:─1─アメリカは、二種類の原爆投下実験と稲作地帯への枯葉剤散布を計画していた。1945年8月~No.259No.260No.261 @ 
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 2023年3月9日 MicrosoftStartニュース ダイヤモンド・オンライン「東京大空襲、米軍は「毒ガス空爆」も計画していた…日本人1450万人が攻撃対象の戦慄
 1945年3月10日、一夜にして12万人の命が失われたといわれる東京大空襲。筆者の調査により、実は米国は焼夷弾による爆撃のみならず、毒ガス攻撃も計画していたことが判明。標的にされていた都市は七つ、東京、横浜、川崎、名古屋、大阪、神戸、八幡だった。しかも、住宅密集地やビジネス街が想定され、ターゲットは当時の日本国民の4分の1に当たる1450万人というおぞましいものだった。「米空軍の父」と称される陸軍航空隊の幹部ヘンリー・アーノルドらの戦略、思想からひもといていく。
 Photo:Galerie Bilderwelt/gettyimages
 © ダイヤモンド・オンライン
 ※本稿は、鈴木冬悠人『日本大空襲「実行犯」の告白~なぜ46万人は殺されたのか』(新潮新書)の一部を抜粋・編集したものです。
 米軍内で脈々と発展していった
 一般市民を攻撃目標とする航空戦略
 一般市民の犠牲を厭わない無差別爆撃。人道主義を掲げた精密爆撃とは、全く異なる空爆戦略は、いつ生まれたのか。そして、その発想の原点はどこにあるのか。航空隊戦術学校では、長らく精密爆撃が研究されてきたはずだった。しかし、航空戦略を洗練することが使命だった戦術学校では、同じように無差別爆撃の効果についても密かに検討されていたかも知れない。アーノルドが、未知の戦略に航空軍の命運を託すとは思えなかった。焼夷弾についても、秘密裏に緻密な実験が繰り返されていたのだ。私たちは、改めて、航空軍の戦略をさらに遡ってみることにした。幸い、マクスウェル空軍基地には、これまでの航空戦略の変遷がきちんと残されている。
 調べる上で気になっていたのが、ウィリアム・ミッチェルの存在だった。アーノルドが師と仰いでいた男で、航空軍の戦略の基礎を作りあげた人物だ。一般市民を標的とする航空戦略も、ミッチェルが提唱していたのではないか。もう一度、残されているミッチェルの資料を紐解くことにした。彼が航空戦略についての思想をまとめるようになったのは、第一次世界大戦のあとからである。1919年以降のボックスに手がかりがあるはずだ。
 そして、やはりと言うべきか、そのレポートは見つかった。ミッチェルは、無差別爆撃の原点とも言える航空戦略思想を書き記していたのだ。1919年、東京大空襲が実行される20年以上も前のことである。そのレポートには、一般市民への空爆の有効性が次のように述べられていた。
 「大国間で行われる戦争は、今日では、その国の全ての要素、男、女、子どもを含んでいる。ここに女性と子どもを含むのは、単なる感情的な理由でも、経済的な理由でもなく、第一次世界大戦において彼らが実際に軍事的な役割を担うようになったからである。女性や子どもは軍需品やその他の必要な物資の生産に関わり、国の産業や軍事力を支える。このことから、すべての者は戦闘員とみなされるべきだ。そのため、戦争中に彼らの財産を破壊し損害を与え、敵の戦力を潰すことはベストな戦略である。女性や子どもは、こうした攻撃に耐えられないだろう」
 ミッチェルは、敵国の一般市民も攻撃対象と見なしていた。敵国家の中枢で戦争活動を支えていることから“戦闘員の一部”だと位置づけた。その上で、戦争を早く終わらせるための一番の近道は、市民を恐怖に陥れ、彼らの戦争への意欲を失わせることだと考えたのだ。兵士たちが直接ぶつかり合い、多くの命が失われた第一次世界大戦より、その方が犠牲者も少なくてすむと説いていた。
 アーノルドらミッチェル・スクールのメンバーは、こうした思想に熱心に耳を傾けていたのだ。
 「ミッチェルたちは、一般市民の戦争への意欲は脆いので、それを打ち砕くのに多くの爆弾は必要なく、時間もかからないと信じていました。ですから、すぐに市民は平和を求め、政府は要求に応じるだろうと考えていたのです。まさにそこから一般市民を攻撃目標とする航空戦略が生まれたのです」(アメリカ国立戦争大学のマーク・クロッドフェルター教授、航空戦略・空軍史)
 焼夷弾による一般市民爆撃戦略は
 東京大空襲の20年前から存在
 非人道的なミッチェルの戦略思想は、これにとどまらなかった。さらに取材を進めると、ミッチェルは、一般市民を恐怖に陥れる具体的な方法にまで言及するようになっていた。3年後の1922年に記されたレポートには、次のような一文が見つかった。
 「敵国に暮らす市民たちに恐怖を与えることは、戦争をやめるように彼らを導くために必要である。毒ガスはその土地に生きられなくするために使われ、焼夷弾は火災を発生させるために利用される。今はまだ幼児期にある爆弾だが、今後10年以内に恐ろしい武器へと大きな発展を遂げるだろう」
 このレポートの中で、ミッチェルは焼夷弾の有用性に言及していた。東京大空襲の20年以上も前の時点で、こうした航空戦略は想定されていたのだ。
 当然、ミッチェルの航空戦略は、航空隊戦術学校に引き継がれていく。戦術学校の教科書の中に、その証拠が残っている。第二次世界大戦が始まった1939年、戦術学校の講義で使われたテキストには、次のような記述がある。
 日本の大都市が
 燃えやすいと知っていた
 「日本の大都市の大部分は、脆く燃えやすい材質で作られている。1923年の関東大震災のときに火災によって甚大な被害がもたらされたことからも見て取れるように、日本の家屋は焼夷弾爆撃が有効だと考えられる。民間人への直接攻撃は、もしかすると人々の士気を挫くことに非常に効果的かもしれないが、人道的な配慮のために空爆の目標としては排除される。しかしながら、民間人への直接攻撃は、報復としてはあり得る手段であると頭に入れておくべきだ。日本がこの攻撃手法を採用しないという保証はどこにもないのである」
 航空軍は、関東大震災で起きた惨事を把握しており、日本が焼夷弾爆撃に対して脆弱であることを知っていた。水面下で、新型の焼夷弾の開発も進めていた。ただ、一般市民を攻撃対象として考える思想は、長く航空戦略の表舞台から姿を消していた。なぜなら、大衆に受け入れられないことを、航空軍のメンバーたちが理解していたからだ。
 ルーズベルト人道主義を掲げる中、一般市民を恐怖に陥れるという発想は、あまりに過激だった。独立を目指している航空軍にとって、アメリカ国民の評価は非常に重要であった。反感をもたれないように配慮される中で、道義的な問題を抱える戦術は、表向きは排除されていったのだ。
 だが、追い求めてきた精密爆撃で成果を上げることができなくなると、その代替案となる戦略は、焼夷弾による無差別爆撃しか残されていなかった。アーノルドにとって、焼夷弾爆撃は、プランBとして常に頭の片隅に置かれていた最後の手段だった。
 好都合だったのは、日本が無差別爆撃を行い、国際的な非難を浴びていたことだ。1938年から5年半にわたって行われた中国・重慶に対する爆撃。焼夷弾も使いながら、200回以上空爆が繰り返され、1万人以上が犠牲となっていた。これは、都市に継続的な無差別爆撃を行った史上初めての例だった。
 重慶爆撃の惨状がアメリカ国内にも伝えられたことで、日本への空爆は当然だという空気が醸成されていった。先にルールを破ったのは、日本である。道義的なハードルが大きく下がったことで、悪魔の戦略が頭をもたげてきたのだった。
 ここで、一つ振り返ってもらいたい文言がある。1922年にミッチェルが示した空爆戦略の一文だ。そこには、こう書かれていた。
 「毒ガスはその土地に生きられなくするために使われ、焼夷弾は火災を発生させるために利用される」
 焼夷弾だけでなく、毒ガスによる空爆も有効だと示しているのだ。焼夷弾は周到に準備されていたことがわかった。はたして、毒ガスはどうだろうか。ミッチェルの戦略を忠実に継承していたアーノルドらは、やはり準備していたのだろうか。改めて日本への空爆計画に目を通してみる。すると、その恐ろしい計画は見つかった。
 『日本への報復のガス空爆計画』。1944年4月に作られていた。内容を読んで、背筋が凍った。おぞましい文言が、淡々と事務的に書き連ねられている。
 毒ガス攻撃の対象は7都市
 日本人1450万人対象の戦慄
 「ガス攻撃計画の主な目的は、犠牲者を最大にすることである。交通機関や公共サービスを麻痺させ、通常の空爆による被害からの回復を困難にさせ遅延させる。そして、焼夷弾爆撃のためにターゲットをより脆弱にすることである」
 「可能な限り最大の効果を達成するために、ターゲットは人口密集地域および戦争遂行能力を支える重要機関のある都市部に絞る」
 「ガス攻撃が日中に行われる場合は、都市部で最も混雑しているビジネス街の中心部、人口が密集する住宅街、および工業地区が最適である。攻撃が夜に行われる場合は、人口が密集する住宅街が望ましい。斟酌を加えてはならない」
 道義的な問題は全く考慮されていない。使用される毒ガスは、マスタードガスとホスゲンだった。どちらも第一次世界大戦で大量に使われ、多くの犠牲者を生み凄惨な結果を招いている。
 標的にされていた都市は7つ。東京、横浜、川崎、名古屋、大阪、神戸、八幡。それぞれの都市の地図が添えられていた。焼夷弾空爆計画と同様に色分けされ、赤、ピンク、白、そして黄色の4色だった。黄色についての説明は見当たらなかったが、すべて港湾部に塗られていた。毒ガス攻撃で得られる“成果”については、次のように説明されている。
 『日本大空襲「実行犯」の告白~なぜ46万人は殺されたのか』 (新潮新書) 鈴木冬悠人 著
 © ダイヤモンド・オンライン
 「ターゲットとした都市の総人口は1450万人を超える。これは日本本土の総人口の4分の1をわずかに下回る数である。その全ての人が攻撃の影響を受けることになるだろう。労働者人口の大部分に犠牲者を出し、軍需品生産工場、通信、および輸送施設に被害を与え、使用不能にさせることにより、日本の戦争遂行能力は奪われるだろう」
 1450万人以上の一般市民を明確に攻撃対象と定め、彼らが行動不能になることで戦争の継続を不可能にする。まさに、ミッチェルが書き記していた航空戦略と一致していた。まだ航空兵器も化学兵器も発展途上だった時代に構想された凄惨な空爆思想が、科学の発展とともに現実に落とし込まれていたのだ。この空爆作戦が実行されていたら、いったいどれほどの被害がもたらされたのだろうか。正直、想像もしたくない。
 この空爆計画の表題には、「報復」という文言が盛り込まれている。しかし、何に対する報復なのかは明記されていなかった。戦況次第では、報復の解釈が変更され、この計画が実行に移されていた可能性も否定できない。
 国や軍が追い詰められていったとき、倫理観の基準も変わっていく。焼夷弾爆撃への方針転換が証明するように、地滑り的に道義的な責任は薄れていき、容認される攻撃方法が拡大していくこともあるだろう。アーノルドら航空軍は、一般市民を標的とする非人道的な空爆戦略を常に準備していた。そのことが、いかに恐ろしいことか。その狂気と悪辣さに触れ、言いようのない戦慄を覚えた。
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