💢93:─1─ウクライナ侵略戦争と進歩史観の過信。~No.382No.383

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 進歩史観(しんぽしかん)
 progressive view of history 歴史に特定の目標を設定し,それに至る人間の進歩・発展の過程として歴史をとらえる歴史観。歴史を神の計画の実現過程とみたユダヤ教的・キリスト教的な歴史観を土壌にしている。近代ヨーロッパにおいては,啓蒙思想の風土のもとで目標を世俗的なものに転化することを通じて,過去,現在,未来を貫く人間の無限の進歩の可能性を基本にして歴史を把握した。生産諸力の発展に人間の解放をみようとする唯物史観もその一つの表現であるが,近年,ヨーロッパ近代に基準を置く進歩に対する疑念が強くなり,実証面からも進歩史観を批判する修正主義が現れてきた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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 2023年3月13日 MicrosoftStartニュース Forbes JAPAN「「進歩史観」の過信
 田坂 広志 
 https://images.forbesjapan.com/media/article/61489/images/main_image_489824188b2ebc6849885146921eec1e8e68296e.jpg いま、「歴史」というものを見つめるとき、懐かしい言葉が、一つの疑問とともに、心に浮かぶ。
 それは、「進歩史観」という言葉。
 端的に言えば、「歴史は、必ず『人類の進歩』に向かって進んでいる」という歴史観である。
 例えば、
1. 世界は、奴隷制、貴族制、独裁制などの様々な形態を経ながらも、必ず、民主制、すなわち、民主主義に向かっていく、
2. 世界は、貧富の差はありながらも、全体は豊かになっていく。そして、いずれ、貧富の差も縮小していく、
3. 世界は、これまで、様々な紛争や戦争を経験してきたが、いずれ、国際秩序を確立し、恒久平和を実現していく、
4. 世界は、人流、物流、金流、情報流のグローバリゼーションが進み、いずれ、一つの巨大な経済圏になっていく、
5. 人類の科学技術は、これからも発展を続け、その恩恵によって、必ず、人類全体に繁栄と幸福をもたらしていく、
 といった考えが「進歩史観」と呼ばれるものであり、これまで多くの歴史家の背後にあった思想であるが、いま、多くの人々は、この歴史観に疑問を抱いているだろう。
 実際、世界の現実は、
1. ソ連や東欧の専制主義国家の崩壊によって、世界は民主主義の方向に向かうと思われたが、実際には、現在、民主主義体制の下にある国よりも専制義体制の下にある国が増えている、
2. 資本主義の発展によって、世界全体は豊かになり、貧富の差は縮まっていくと思われたが、現実には、世界全体での貧富の差は、人類史上、最大になっており、また、各国内での経済格差も、ますます広がっている、
3. 冷戦終結によって、もはや大規模な戦争は起こらないと思われたが、実際には、世界各地での紛争や戦争は増加し、遂には、ロシアによるウクライナ侵攻が起こり、人類全体は、ふたたび核戦争の危機に直面している、
4. コロナ危機により、世界規模での人流と物流の停止を経験し、また、ウクライナ危機により、エネルギーと食糧の争奪戦が激化し、世界は、相互依存のグローバル経済(世界一体経済)ではなく、他国に依存しない一国自立経済の模索に向かっている、
5. 科学技術の発展は、人類全体に恩恵を与え、人々の幸福感を高めていくと思われたが、現実には、科学技術の発達と物質的繁栄だけでは幸福感を得られず、多くの人々が、宗教倫理に回帰する傾向が生まれている。
 すなわち、いま、世界の現実は、「進歩史観」から見れば、様々な「逆行」が生じているのである。
 では、それは、なぜか。
 それは、「民主主義」や「資本主義」、「平和主義」や「国際主義」、そして「科学技術」が、いまだ十分に「成熟」を遂げていないからである。
 例えば、いま、世界に「専制主義」が広がっているのは、現在の「民主主義」が、「意思決定に手間と時間がかかる」「政策の継続性が失われる」「ポピュリズムが蔓延する」など、まだ多くの問題を抱えているからであり、「民主主義」が、そうした問題を抱えている限り、「専制主義」は、容易に、しばしば、復活してくるだろう。
 同様に、現在の「資本主義」が、人類全体を豊かにせず、貧富の差を拡大しているのは、まだ、「資本主義」が、富の最適配分やSDGsなどを包摂したものになっておらず、十分な成熟を遂げていないからである。そのことは、現在、世界中が「新たな資本主義」を模索している姿に象徴される。
 そして、こうしたことが起こる背景には、1990年前後に、ソ連や東欧などの「専制主義国家」「社会主義国家」が、次々と崩壊したことによって、「民主主義と資本主義は、歴史的な勝利を収めた!」という過信と慢心が生まれ、「民主主義」や「資本主義」そのものを、さらに改革し、成熟したものへと変えていく努力を怠ったからである。
 同様のことは、「平和主義」や「国際主義」にも起こっている。冷戦終結とともに、「これからはパックス・アメリカーナの時代だ!」「これからは、グローバリゼーションの時代だ!」と思い込み、大規模戦争が起こる可能性を過小評価し、極端な他国依存を強めていったことの、「反動」と「揺り戻し」が起こっているのが現実であろう。
 そして、「科学技術」もまた、物資的豊かさが人々を幸福にするという思い込みによって、宗教倫理の重要性に目を向けることを怠ってきた。
 こうした過信と思い込みの代償を、我々人類は、しばし支払うことになるが、その痛苦な経験の先に、真の希望が生まれてくるのだろう。
 田坂広志◎東京大学卒業。工学博士。米国バテル記念研究所研究員、日本総合研究所取締役を経て、現在、多摩大学大学院名誉教授。シンクタンク・ソフィアバンク代表。世界経済フォーラムダボス会議)Global AgendaCouncil元メンバー。全国7700名の経営者やリーダーが集う田坂塾・塾長。著書は『死は存在しない』など100冊余。
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 2018年9月4日 産経新聞 正論「歴史には「進歩」も「必然」もない 筑波大学大学院教授・古田博司
 1970年代、フランス人が「大きな物語」が終わった、近代が終わったと騒ぎだした。イギリス人は91年にソ連が崩壊したとき、近代が終わったとしらっと言った。ドイツ人は90年代に終わったのは小さな近代だ、これからが本格的な近代なのだ、もう一回やるから「再帰的近代化」だと強気だったが、やがてうやむやになった。アメリカ人は特別で、古代も中世もないから、近代という時代区分に関心がない。彼らにとってはいつも現代だ。
 《ドイツ哲学にだまされた》
 日本人はどうかといえば、長く続いたドイツ哲学の教育体系のせいで、どっぷりと「近代」につかっていた。「歴史は進歩する」と信じていた。冷静に考えれば、そんなことはあり得ないことだ。15世紀に古代帝国として出現したインカは、16世紀に中世スペインからやってきたピサロに滅ぼされてしまったではないか。古代と中世が同時期に共存しているし、一方は古代で終わっている。
 「ありゃ。だまされた」と思った人が「歴史はギザギザしている」と言い出した。そう、だまされていたのだ、ヘーゲルマルクスに。哲学者の廣松渉さんが「ヘーゲル本人としては、父なる神の時代、子なる神の時代、それにつづく聖霊なる神の時代という具合に歴史が展開すると考えているわけでして、彼の考えでは、自分は聖霊なる神の時代の予言者のつもりだったのではないか」(五木寛之廣松渉『哲学に何ができるか』)と言っている。
 マルクスの場合はもっと巧妙で、歴史は段階を踏んで進歩する、最終的には社会主義共産主義が来るので安心して頑張ろうと革命家たちを励ました。結果、いくつかの国で革命がおき、社会主義体制になり、専制支配と身分制で多くの人々が不幸になった。
 第一、専制支配と身分制は古代の特徴ではないか。そこに国家が農民を直接搾取する「農業の集団化」がなされたから大変なことになった。これぞ、古代経済への回帰ではなかったか。
 《頭は古代のままだった朴槿恵氏》
 もうだまされるのはよそう。「歴史の進歩」も「歴史の必然」もそんなものはない。でも、あると思っていたので、発展途上国の人々に安心感を与えたことは事実だ。「進歩するんだからみんな近代化できるさ、心配ないよ」。でもこれもそんなことはなかった。産業化できても近代化できるとはかぎらない。韓国の朴槿恵前大統領など頭が古代のままだった。
 セウォル号転覆事件で、李朝の王様のように姿をくらました。宮廷の家臣が王様に告げ口し、王様が明の皇帝に告げ口したようにイガンジル(離間策)外交を展開し、筆禍で人々を見せしめの裁判に引き出し、ムーダン(シャーマン)崔順実(チェ・スンシル)の国政介入を許し、事大主義(大国の臣下)の中国パレード参加とか、書かれたウソの「韓国史」でなく、ぜんぶ体に染みついた本当の朝鮮史の方を体現してしまった。これだから歴史家は、出来事に矛盾のないように歴史を作らなければならないのだ。
 そう、歴史は進歩しない。だって、目の前を見てほしい。さっきのあなたはもういない。自然の時間は生まれては消え、消えては生まれ、出来事の連鎖があなたの中に残るだけだ。でも、それだけでは世界がうまく認識できない。ちゃんと因果のストーリーがないと、世界をうまく歩けないのだ。
 でもそれなしで、世界を歩いてきた人たちもいた。古代エジプト人やイスラムに征服されるまでの古代インド人など、因果に気づかなかったので、歴史に関心がない。だから歴史書が一冊もない。
 《書いてあるのは人間の所業》
 人類は太古からの時間の途中で因果ストーリーに気づくのである。ここから歴史家や史官により歴史書が書かれ始める。年表的に書いても、進歩するように書いてもそれは全部、人間の所業であり自然の時間はあずかり知らない。
 そこでヘーゲルマルクスの「進歩史観」がウソだったので、便宜的に新しい時代区分を提唱しておきたい、まずは歴史学者岡田英弘さんの論を紹介しよう。
 「さて、そうすると、実際的な時代区分というものを考えなければならない。すでに先ほど簡単に触れたが、結局、人間が時間を分けて考える基本は、『いま』と『むかし』、ということだ。これを言いかえれば、『現在』と『過去』、さらに言いかえれば、『現代』と『古代』、という二分法になる。二分法以外に、実際的な時代区分はありえない」(『歴史とは何か』)
 天才の言うことは過激すぎて、私などとてもついていけない。一応、独立した領主が地方を産業化する歴史の長かった西欧と日本、藩王国のあった北インドなどは、古代→中世→近代→現代としておき、その他は古代→近代(あるいは現代)としておく。アメリカは古代なしの現代だけ、中国は古代→現代である。そんなの嫌だという人にはいろいろと考えてもらえばよいと思う。そういうことで、日本の近代は終わった。(ふるた ひろし)
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 進歩史観(しんぽしかん、英: progressive view of history)は、歴史を人間社会のある最終形態へ向けての発展の過程と見なす歴史観。例えばホイッグ史観では、現体制を理想の最終形態とし、過去の歴史をこの現在の体制に至るまでの漸進的発展と見なすことで現体制を正当化する。一方、唯物史観では未来に最終形態である共産制を設置し、現在の社会をそこに向かう途中の一時的な段階であると解釈する。西欧ではキリスト教の終末思想に端を発し、18、19世紀の啓蒙時代に広く唱えられた。 オーギュスト・コントヘーゲルマルクスらが代表的である。
 一般に一つの目標に向かう定向進化を唱える点でダーウィンらが唱えた生物種の進化などとは性格を異にする。
 ジョルジュ・ソレルは『進歩の幻想』(1908)で進歩史観を批判し、第一次世界大戦に際してはシュペングラー、ポール・ヴァレリーなども進歩史観を批判した。
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