⛿34¦─3─台湾有事で自衛隊はアメリカ軍の指揮命令下に入る。日米指揮権密約と戦後レジーム。〜No.186 

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 戦前の軍国日本は、自主独立国として同盟国への集団的自衛権を発動し、国家として第一次世界大戦やシベリア出兵を決断して派兵し、国民を犠牲にして戦争を勝利に導き、平和貢献と人道貢献を行い、それらの歴史的貢献によって国際連盟常任理事国の一員となって、責任ある国際的地位を獲得していた。
 日本陸軍は親ユダヤ・親ポーランド派として、自国民や同盟国民だけではなく敵国国民さえも助けていた。
 そんな日本を警戒したのがアメリカ、中国、ソ連(ロシア人共産主義者)であった。
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 2023年3月25日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「戦争が始まれば、自衛隊は「アメリカ軍の言いなり」で戦う…そのとき「日本だけ」がさらされる「圧倒的なリスク」
 布施 祐仁
 いま、ほとんどの日本人が知らないうちに、大変な事態が進行している。
 米軍と自衛隊が一体になり、中国本土を攻撃することを想定した新型ミサイルを日本全土に配備しようとしているのだ。
 しかも、米軍の新型ミサイルには将来、核弾頭が搭載される可能性も否定できない。
 本双書第9巻で、密約研究の父である新原昭治氏がのべているように、アメリカにとって日本というのは、ずっと「アメリカの核戦争基地」だった。
 それがいま、ついに最終局面を迎えているのだ。
 このままでは、人類史上唯一の戦争被爆国である日本は、他国の軍隊(米軍)に核ミサイルを配備され、中国・ロシアとの「恐怖の均衡」の最前線に立たされてしまうかもしれない。
 一方、その核ミサイルを発射する権利をもった在日米軍の主力部隊は、ハワイなど「安全地帯」へ一時撤退する構想すらある。
 これほど愚かな国が歴史上、かつて存在しただろうか。
 情報公開請求による独自の日本政府文書発掘で知られ、ジャーナリストとして第一線で活躍を続ける著者が、その計画の全貌を報告し、警鐘を鳴らす。
 *本記事は『日米同盟・最後のリスク: なぜ米軍のミサイルが日本に配備されるのか』(創元社)から抜粋しています。
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 © 現代ビジネス
 日米間で最後までもめたのは、米軍と自衛隊の間の「指揮権」の問題でした
 1978年、日米両政府は初めて「日米防衛協力の指針(ガイドライン)」を策定し、米軍と自衛隊の共同作戦計画の研究が公式にスタートします。
 「日米防衛協力の指針」(ガイドライン)の策定過程で、日米間で最後までもめたのは「指揮権」の問題でした。
 アメリカ側は、共同作戦を行う場合は米軍が指揮権を握ることを強く主張しました。それに対して日本側は、自衛隊が米軍の指揮下に入ることはできないと抵抗したのです。
 指揮権に関する日米協議の内実については、当時、統合幕僚会議事務局の幕僚としてガイドラインの交渉を担当した石津節正氏が明らかにしています。
 アメリカ側は当初、共同作戦の指揮は米軍がとるのが当然という姿勢で一歩も引かなかったといいます。
 「だって、NATO北大西洋条約機構)だってそうでしょう。例外はないんですよ。最初からスタートしたときから米側は共同作戦をやって、統合部隊をつくったときは『トップは米だ』という常識で動いているわけです。『それは待て』と、日本の実情をいろいろ話して(以下略)」(防衛省防衛研究所『オーラル・ヒストリー冷戦期の防衛力整備と同盟政策3』)
 石津氏は、日米双方が受け入れられる「妥協案」がないか頭をひねります。そして、「指揮」という言葉と「統制」という言葉を区別するアイディアを思いつきます。
 実際、石津氏の出身の航空自衛隊では、「指揮」と「統制」を区別して使っていました。
 「統制」は、自らの指揮系統にない別の部隊をコントロールすることを意味します。たとえば、レーダーサイトで警戒管制団に所属する管制官が、別の指揮系統にある戦闘航空団所属のパイロットをあらかじめ定められた手順に従ってコントロールする場合は、「指揮」ではなく「統制」に当たります。このロジックを日米共同作戦にも適用できないかと考えたのです。
 当初、外務省や内閣法制局から疑義が呈されたものの、結局石津氏のこのアイディアが採用され、防衛協力小委員会(SDC)に提案するガイドライン案に次のように書き込まれました。
 〈自衛隊及び米軍は、緊密な協力の下に、それぞれの指揮系統に従って行動する。自衛隊及び米軍は整合のとれた作戦を共同して効果的に実施することができるよう、必要な際に双方合意の下、いずれかが作戦上の事項を統制する権限を与えられる〉
 アメリカもこの案を了承しましたが、ガイドラインの最終案をまとめる段階になって、外務省から文言の修正を求められたといいます。
 「第8回SDC〔防衛協力小委員会〕に報告の数日前、『もうこれで終わった』と思っていたときに、丹波さん〔丹波實(ル:みのる)・日米安全保障条約課長〕から私のところに直接電話がかかってきました。外務省も外務省の立場から法律的な検討をされていたんでしょう、『他のところはクリアー出来るんだけど、統制という言葉がどうしても引っかかる。外務省としてあなたの言うことは分かるけれども、この言葉は法律的に消化できない。法律的にはどう説明しようとも命令、指揮権にもとづくものとしてしか通らないんだ。別の言い回しはないだろうか。内容的には私も賛成なので、異論を差し挟むつもりはない。ただ、表現の問題だ。国会対策上も、これでは非常に難しいことになるから』という調整でした」(同前)
 これに対して石津氏は、「作戦上の事項を統制する権限を与えられる」という表現をぼかして、「あらかじめ調整された作戦運用上の手続きに従って行動する」と改める提案をします。すると、外務省の丹波氏はしばらく考え込んだのち、「わかりました。これでやってみましょう」と答えたといいます。
 最終的に確定したガイドラインには、指揮権について次のように記されています。
 〈自衛隊及び米軍は、緊密な協力の下に、それぞれの指揮系統に従って行動する。自衛隊及び米軍は、整合のとれた作戦を共同して効果的に実施することができるよう、あらかじめ調整された作戦運用上の手続に従って行動する〉
 結果的に「統制」という言葉は削除されましたが、それはあくまで表現上の問題でした。丹波氏が石津氏に語ったように、外務省も事実上、米軍が自衛隊の「指揮」のもとで戦うことについては賛同していたのです。
 「戦争になったら、自衛隊は米軍の指揮下で戦う」という指揮権密約の存在を抜きに、「敵基地攻撃能力保有」のもつ危険性はわかりません
ちなみに、この指揮権問題の歴史は古く、旧安保条約の交渉が始まった1951年までさかのぼります。この交渉でアメリカが最初に提示した安保条約案には、有事の際、警察予備隊をはじめ軍事的能力を有する日本のすべての組織は米軍司令官の指揮下に置かれるという規定が入っていました。
 〈日本国地域内で、敵対行為又は敵対行為の緊迫した危険が生じたときは、日本国地域にある全合衆国軍隊,警察予備隊及び軍事的能力を有する他のすべての日本国の組織は,日本国政府と協議の上合衆国政府によって指名される最高司令官の統一的指揮の下におかれる〉(1951年2月2日「相互の安全保障のための日米協力協定案」)
 これについて日本側の交渉担当者は、
 「国内において憲法と関連して重大問題をまきおこす懸念があり、協定には入れない方が賢明である」
 と伝えたと外務省の記録には記されています。ただし、それは、
 「日本にその意思がないということではなく、協定に明文化するのは賢明ではない」
 という趣旨だったと記されています。結局アメリカは、この条項を強引に明文化すれば親米的な吉田茂内閣を窮地に陥れるおそれがあると判断し、日本の要求を受け入れて同条項の削除に同意しました。
 しかし、その代わりに、明文化しない形での約束を要求しました。
 旧安保条約の発効から約3カ月後の1952年7月23日、マーフィー駐日アメリカ大使やクラーク米極東軍司令官と会談した吉田茂首相は、有事の際の指揮権について日本政府との間に明確な了解が不可欠だと説明するクラーク司令官に対し、有事の際は単一の司令官が不可欠で、現状ではその司令官はアメリカが任命すべきである事に同意しました。吉田首相は、この合意が公になると日本国民に大きな衝撃を与えるので秘密にするよう求め、クラーク司令官とマーフィー大使もこれに同意しました。
 吉田首相は1954年2月8日にも、会談を行ったアリソン駐日大使とハル極東軍司令官に対し同様の約束をしました。吉田首相はこのときも、合意は公表できないとくぎを刺しました。
 これらが、いわゆる「指揮権密約」と呼ばれているものです。
 政治的影響を考慮して明文化はしないけれども、内々には実質的にアメリカ側の指揮権を認めるというガイドライン策定時にとられた手法は、実は旧安保条約が締結された当初から始まっていたのです。
 現在、日本政府は中距離ミサイルの開発に乗り出し、いわゆる「敵基地攻撃能力」の保有に踏み出そうとしています。アメリカも日本に米軍の中距離ミサイルを配備しようとしていますが、有事になれば、自衛隊の中距離ミサイルも事実上米軍の指揮下で運用されることになるでしょう。この指揮権密約の存在を抜きに、現在の「敵基地攻撃能力保有」の問題を議論しても、その危険性はまったくわからないのです。
 外務省は日米の「指揮権密約」というきわめて重要な問題を、長年「言葉遊び」のような言い換えだけで、ごまかし続けてきました
 「指揮権密約」の存在は、アメリカ政府が機密解除して公開した外交記録によって明らかになりました。この史料にもとづき野党議員が国会で政府を追及したことがあります。
 それに対する政府の答弁は、
 「ガイドラインの中でも明確に、日米の指揮権は別々であることが確認されているので、この問題については何ら日米間に誤解がない」
 「指揮権の統合、単一の指揮権のもとに、あるいはアメリカの指揮権のもとに自衛隊が置かれることはまったく考えられていない」(1985年6月19日衆議院外務委員会、栗山尚一北米局長)
 というものでした。
 しかし概念上、指揮権は別々でも、「あらかじめ調整された作戦運用上の手続き」に従って自衛隊が米軍司令官の統制下で戦争をするという現実に変わりはないのです。
 日本政府は1990年代から国連の平和維持活動(PKO)に自衛隊を派遣するようになりますが、そのときも指揮権の問題について、国連の「指図」は受けるが「指揮下」には入らないと説明しました。「指図」も「指揮」も英語にすると「コマンド」なので、国際的には何の意味もない国内向けのロジックでした。
 こうした遊びのような言葉の言い換えだけで真実を覆い隠そうとする日本の外務省のやり方は、1970年代後半のガイドラインの作成時とまったく同じものでした。
 さらに、連載記事<「宮古島石垣島」が戦場になる…アメリカ軍がSNSから「あわてて削除」した「一枚の写真」の「ヤバすぎる内容」>では、米軍や自衛隊が沖縄を戦場にすることを想定していることを示す一枚の写真について、詳しく解説します。
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