🎻38:─1─レーガンは同盟国日本に要求した「ヤバすぎる内容」。昭和56(1981)年~No.113 

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 2023年3月26日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「独立国のはずの「日本」に、アメリカが突然要求してきた「ヤバすぎる内容」 『日米同盟・最後のリスク』
 布施 祐仁
 いま、ほとんどの日本人が知らないうちに、大変な事態が進行している。
 米軍と自衛隊が一体になり、中国本土を攻撃することを想定した新型ミサイルを日本全土に配備しようとしているのだ。
 しかも、米軍の新型ミサイルには将来、核弾頭が搭載される可能性も否定できない。
 本双書第9巻で、密約研究の父である新原昭治氏がのべているように、アメリカにとって日本というのは、ずっと「アメリカの核戦争基地」だった。
 それがいま、ついに最終局面を迎えているのだ。
 このままでは、人類史上唯一の戦争被爆国である日本は、他国の軍隊(米軍)に核ミサイルを配備され、中国・ロシアとの「恐怖の均衡」の最前線に立たされてしまうかもしれない。
 一方、その核ミサイルを発射する権利をもった在日米軍の主力部隊は、ハワイなど「安全地帯」へ一時撤退する構想すらある。
 これほど愚かな国が歴史上、かつて存在しただろうか。
 情報公開請求による独自の日本政府文書発掘で知られ、ジャーナリストとして第一線で活躍を続ける著者が、その計画の全貌を報告し、警鐘を鳴らす。
 *本記事は『日米同盟・最後のリスク: なぜ米軍のミサイルが日本に配備されるのか』(創元社)から抜粋しています。
 © 現代ビジネス
 今と似ている1980年代の大軍拡
 1981年1月、アメリカではロナルド・レーガン政権が発足します。
 「力による平和」を訴えて大統領に当選したレーガン氏は、増大するソ連の脅威に対抗する姿勢を鮮明にし、5年間で総額1兆5000億ドル(当時のレートで約330兆円)という大軍拡計画を打ち出します。
 この直後の3月、伊藤宗一郎防衛庁長官が訪米し、ワインバーガー国防長官と会談します。
 このとき、事前の根回しもなく米側から突然持ち出されたのが、「グアム以西、フィリピン以北の海域防衛を日本が担ってほしい」という話でした。
 この2カ月後、今度は鈴木善幸首相が訪米し、ロナルド・レーガン大統領との首脳会談に臨みます。
 会談で両首脳は、日本防衛と極東の平和と安定の維持のために、日米間で「適切な役割の分担」を行うことで合意。鈴木首相は、日本の領域内だけでなく周辺の海・空域でも自衛隊の能力を強化すると約束しました。
 そして、会談終了後にワシントンのナショナル・プレス・クラブで行った会見で、より明確に、日本が約1000カイリ(約1850キロ)のシーレーン防衛を担うことを宣言したのです。
 米ソの関係はソ連によるアフガニスタン侵攻(1979年12月)以降、一気に緊張に転じていました。
 1980年1月、カーター大統領は、ソ連の中東地域への進出によって石油を始めとするアメリカの利益が深刻な脅威にさらされているとして、ソ連との戦争も辞さないと宣言します。
 同じく1月に国防総省が議会に提出した「国防報告」も、かつてなくソ連の軍事的脅威を強調したものになりました。
 「ソ連は15年前の大幅な劣勢から今日はアメリカと対等となり、アメリカが適切な対応をしなければ、ソ連が優位に立つ可能性がある」
 こう警戒感をあらわにし、
 「もはやソ連が世界中の数カ所で同時に作戦行動する可能性を排除できない」
 と指摘。具体的なケースとして、欧州で大規模戦争が勃発し、さらに中東など別の地域でも紛争が発生する場合をあげ、大西洋ではソ連艦隊をグリーンランドからアイスランド、イギリスの線以北で食い止め、太平洋ではオホーツク海日本海からのソ連艦隊の出口を封じることが戦争の行方を握ると強調しました。
 翌年1月に発足したレーガン政権は、ソ連に対抗していく姿勢をより鮮明にしました。こうした中で、アメリカは同盟国にも“ソ連軍封じ込め”の役割を担うことを求めたのです。
 アメリカが日本に求めた軍備増強計画は、独立国に対するものとは思えない、きわめて露骨なものでした
 鈴木首相の「1000カイリ・シーレーン防衛発言」を受けて、アメリカは日本に対して露骨に軍備増強を求めてくるようになります。
 その姿勢は、日米首脳会談の約1カ月後にハワイで行われた「日米安保事務レベル協議(SSC)」で早くも浮き彫りになります。
 私は防衛省と外務省に情報公開請求を行い、この協議の議事録などの関連文書を入手しましたが、そこに記されていた内容は、あまりに衝撃的でした。
 国防総省の高官たちは、日本の防衛力整備計画は不十分だとバッサリと切り捨て、具体的に日本が整備すべき航空機や艦艇の数まであげて軍備増強を急ぐよう日本政府に迫っていたのです。いくら同盟国とはいえ、独立した他の国の政府に対してここまで露骨に干渉するのかと驚きを禁じ得ませんでした。
 この会合には、後に「ジャパン・ハンドラー」と評されることになるリチャード・アーミテージ氏も、まだ30代の若き国防次官補代理として参加していました。
 この会合でアーミテージ氏は、今のままでは「自衛隊は日本の領土、領海、領海を防衛できない」と断定し、日本政府に次の2つの防衛力を早急に整備するよう求めました。
(1)「日本領土防衛のための効果的かつ持続性のある通常防衛力」
(2)「日本周辺海域ならびに北西太平洋1000マイル以内のシーレーンをバックファイアー及び原潜を含むソ連の脅威に対し効果的に防衛するのに十分な海空兵力」
 アーミテージ氏の上司であるウエスト国防次官補も、日本政府が1976年に閣議決定した防衛力整備の基本計画(「防衛計画の大綱」)を、
 「今や時代遅れと指摘しなければならない。あの計画は、貴国の安全に必要なものにはるかに及ばない」
 と切り捨て、計画の上方修正を要求しました。
 アメリカ側が具体的に求めた防衛力整備計画の上方修正は次の通りです。
 (上がすでに日本政府が決定していた防衛力整備計画で、下がアメリカの要求した防衛力)
○対潜哨戒機(P3C) 45機 → 125機
○対潜水上艦艇(護衛艦) 60隻 → 70隻
○潜水艦 16隻 → 25隻
○要撃戦闘機部隊 10個 → 14個(F15戦闘機 100機→180機)
支援戦闘機部隊 3個 → 6個
○輸送機部隊 3個 → 5個
○警戒飛行部隊 1個 → 2個(E2C早期警戒機 8機→16機)
 アメリカ側は、これだけの大幅な軍備増強を「いま直ちに始めて、5年以内になさねばならない」(ウエスト国防次官補)と迫ったのでした。
 先ほど、この協議の議事録を読んで衝撃を受けたと書きましたが、協議に参加した日本側の官僚たちも相当なショックを受けたようです。
 外務省の日米安全保障課長だった丹波實氏は、協議に参加しての「所感」を次のように書き残しています。
 独立国のはずの「日本」に、アメリカが突然要求してきた「ヤバすぎる内容」 『日米同盟・最後のリスク』
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 「今回の会議は、レーガン政権が成立してから初めてのものであるが、3日間にわたってこの政権で安保・防衛問題を扱っている米側事務当局の考え方を聴取して、『これではどうしたらよいのか分からない』という印象を持って帰国した。安保・防衛問題についての米国の対日期待と日本の現実との間にはこれまで常にギャップが存在し続けてきたが、今回程このギャップを強く感じたことはなかった。レーガン政権の対ソ軍事力の認識の深刻さは想像以上である」
 大幅な軍備増強に、なんとか応じようとした日本政府でしたが、アメリカの要求はさらにエスカレートしていきました
 ハワイの日米協議でアメリカ側から出されたこの法外な要求は、ただちにマスコミにリークされ、「現実離れの巨額な要求」(「朝日新聞」)などと報じられました。
 日本政府の中からも、さすがに反発の声が上がりました。園田直外務大臣は、アメリカの要求について、
 「平屋建ての日本に十階建てを建てろというのでは相談にならない」
 と強く反発し、大村襄治防衛庁長官も、
 「防衛計画の大綱を上回る増強要求は断らざるをえない」
 と拒否する考えを表明しました。
 しかし、日本政府は実際には、アメリカの要求に最大限応える行動をとります。
 鈴木善幸政権は1982年7月、防衛庁が策定した1983年度から1987年度までの防衛力整備計画「中期業務見積もり」(五六中業)を了承します。これにより、P3C対潜哨戒機の調達数を45機から75機に、F15戦闘機の調達数を100機から155機に上方修正したのです。
 ところが、それでもアメリカは納得しませんでした。1982年8月下旬からハワイで開かれた「日米安保事務レベル協議(SSC)」で、アメリカ側は「五六中業」の水準ではまだ不十分だと批判したのです。
 アーミテージ国防次官補代理は、上方修正された防衛力整備計画でも「継戦能力の観点から大きな懸念を有している」と指摘し、日本の防衛予算は「少なすぎる」と批判しました。
 米軍統合参謀本部第五部長のビグレー氏は、
 「日本の兵力レベルおよび継戦能力が十分なものであれば仮にソ連が日本を攻撃した場合でも日本の反撃によりソ連としては甚大な被害を受けることになるとソ連が考えることが重要である」とのべた上で、
 「日本の現在の防衛力のレベルではシーレーン防衛能力は不十分であり、また五六中業完成時においてもなお欠点を有する」
 としてさらなる上方修正に期待を表明しました。
 中曽根首相はアメリカの軍備増強要求に全面的に応え、訪米時に「日本列島を不沈空母のようにする」とのべました
 この期待に全面的に答えたのが、この年の11月に発足した中曽根康弘政権です。
 翌年(1983年)一月に訪米した中曽根首相は、レーガン大統領との首脳会談で「日米両国は太平洋をはさむ運命共同体」と発言し、日米同盟を強化する姿勢を鮮明にします。
 2017年に外務省が公開した会談の記録によると、中曽根首相は、
 「(ソ連太平洋艦隊の太平洋への出口となる)四海峡を完全にコントロールし有事にソ連の潜水艦を日本海に閉じ込める」
 「ソ連の(長距離爆撃機)バックファイアーの日本列島浸透を許さない」
 と発言し、とくにシーレーン防衛を強化する考えをレーガン大統領に直接伝えます。
 さらに首脳会談前に行われたワシントン・ポスト社主との朝食会では、「日本列島を不沈空母のようにする」という有名な発言を行い、防衛費を大きく増額する考えも表明。
 「防衛費が対GNP比1%を来年にも超えよう。日本の国際的役割を考えればやらざるを得ず、国民に心の準備をしてもらう」
 と、防衛費の「GNP(国民総生産)1%枠」を突破する決意を示しました。
 「シーレーン防衛」の本当の意味は、「日本の海上輸送路の防衛」ではなく、米ソ間で戦争が勃発した際の「米軍艦船の防衛」だったのです
 日本政府はシーレーン防衛の目的を、「あくまで我が国防衛のため」と国民に説明しました。つまり、日本が外国から武力攻撃を受けて戦争になった場合に、石油や食料などを輸送する海上交通路(ル:シーレーン)を防衛するという意味です。
 アメリカで「1000カイリ・シーレーン防衛」を宣言してきた鈴木善幸首相は国会で、
 「日本の船舶の安全航行を図る、こういう意味のことでございまして、よその国の艦船等を守るためではない、日本の船舶、これを守るための日本の自衛力である、こういうぐあいにご理解をいただきたい」(1981年5月29日、衆議院外務委員会)
 と明言しました。
 しかし、アメリカが日本に求めていたのは、実は米ソ戦争が勃発した場合の「米軍艦船の防衛」だったのです。
 私が外務省に情報公開請求して入手した当時の内部文書(次ページ)には、アメリカが日本に求めたシーレーン防衛の意味が、「米軍艦船の防衛」であったことがはっきりと記されています。
 ハワイで日米安保事務レベル協議(SSC)が開催される直前の一九八二年八月二三日に外務省の日米安全保障課長が作成した「シーレーン問題(新井参事官よりの連絡)」というタイトルの「極秘」文書に、次の記述がありました。文書には、防衛庁の参事官が「極秘の含みをもって」連絡してきたという内容が記されています。
 〈SSC〔日米安保事務レベル協議〕において日米のシーレーン問題に対する認識のギャップを埋めるかどうかが防衛庁内部で大問題になっている。(中略)米海軍と海幕海上幕僚監部〕との間では「面」の防衛ということで認識の一致がある。米海軍は日本によるシーレーン防衛は実は第7艦隊の防衛だと内々裡に海幕に説明している〉
 独立国のはずの「日本」に、アメリカが突然要求してきた「ヤバすぎる内容」 『日米同盟・最後のリスク』
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 「面の防衛」とは、海域防衛を意味します。特定の船舶を防衛するのではなく、ある海域全体の航行の安全を確保するのです。こうすれば結果的に、石油や食料を輸送する日本の民間船舶だけでなく、海域内の米軍艦船の防衛にも寄与することになります。アメリカ側の要求は、むしろ後者だったのです。
 米国製兵器を大量購入させるのが目的だった?
 シーレーン防衛に関する共同研究では、コンピューターに戦争のシナリオや敵味方の戦力などをインプットしてシミュレーションする「オペレーション・リサーチ」(作戦評価作業)も行われました。
 1987年1月6日の「読売新聞」によると、シミュレーションの結果は「日米にとって惨めなものになった」といいます。
 しかし、シミュレーションは米軍が開発したシステムで行われ、前提となるシナリオや敵味方の戦力などの条件設定もアメリカ側が主導して行いました。アメリカは、米軍が投入する戦力を少なく見積もったといいます。記事は「研究結果を通して、日本の防衛力増強を求めるアメリカの政策的意図が見え隠れしている」と記しています。
 航空自衛隊の航空支援集団司令官を務めた山口利勝氏は、当時自衛隊のなかでは、アメリカが日本にシーレーン防衛を強く要求してきたのも日本の防衛力増強がねらいであったと考えられていたと証言しています。
 「当時の評価としては、1000マイルのシーレーン防衛に関する日本の役割分担の要請と、また日米が合意したというのは、じつは米国は日本に対して、とくに『P‐3C』〔対潜哨戒機〕とイージス艦を導入させようということを強く要望していたということがひとつと、航空自衛隊は当時『F‐15』の導入を始めて整備をしていたのですが、当初計画は百機でありました。それを大幅に増加させようという米国の狙いがあったと言われていました」(防衛省防衛研究所『オーラル・ヒストリー 冷戦期の防衛力整備と同盟政策』)
 日本に防衛力を増強させアメリカ製兵器を大量購入させるため、ソ連の脅威が意図的に誇張されたのでした。
 さらに、連載記事<「宮古島石垣島」が戦場になる…アメリカ軍がSNSから「あわてて削除」した「一枚の写真」の「ヤバすぎる内容」>では、米軍や自衛隊が沖縄を戦場にすることを想定していることを示す一枚の写真について、詳しく解説します。
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