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・ ・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本にとって、日米安保条約における核兵器密約は悪魔と交わした不磨の約束で、日本占領政策である日本国憲法同様にアメリカと国連の許しがない限り改編・廃止にはできない。
それが戦後レジームの実態であり、敗戦利得者であるエセ保守とリベラル左派はその為に存在が許されている。
在日米軍とは、連合軍であり国連軍である。
日本を支配しているのは、GHQの日本国憲法と国連の敵国条項である。
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2024年5月30日6:33 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「アメリカによる日本の支配はなぜ続くのか?…日本が近代国家として「信じられない状況」にある理由
アメリカによる支配はなぜつづくのか?
第二次大戦のあと、日本と同じくアメリカとの軍事同盟のもとで主権を失っていた国々は、そのくびきから脱し、正常な主権国家への道を歩み始めている。それにもかかわらず、日本の「戦後」だけがいつまでも続く理由とは?
累計15万部を突破したベストセラー『知ってはいけない』の著者が、「戦後日本の“最後の謎”」に挑む!
【写真】なぜアメリカ軍は「日本人」だけ軽視するのか…その「衝撃的な理由」
※本記事は2018年に刊行された矢部宏治『知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた』から抜粋・編集したものです。
外務省がアメリカとギリギリの交渉をしてくれるはず…
私は1960年(昭和35年)という昭和中期の生まれなのですが、日本が高度経済成長の真っただ中にあった子どものころ、よくこんな言葉を耳にすることがありました。
「政治三流、経済一流、官僚超一流」
つまり、自民党の政治家は汚職ばっかりしてどうしようもないが、とにかく経済はうまく回っている。その証拠に日本は戦争で負けてから20年ちょっとで、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国になったじゃないか。
もちろんそれは町工場のオヤジから身を起こし、世界的な大企業をつくった松下(幸之助)や本田(宗一郎)といった経営者たちが偉かったからだが、もっと偉いのは官僚たちだ。霞が関で夜遅くまで煌々と電気をつけ、安い給料で国家のために働く頭のいい彼 らのおかげで、日本はここまでのぼりつめたのだ......。
いまの若い人たちには信じられないかもしれませんが、30年くらい前まで、多くの日本人はそう思っていたのです。
ですから時代が変わり、2009年に自民党政権が崩壊して、その政治的変動のなかで外務省の「密約問題」が大きく浮上したときも、私自身のなかにそうした日本の高級官僚への信頼感というものは、まだ漠然とした形で残っていたような気がします。
なにしろ外務省といえば、財務省(旧大蔵省)と双璧をなす日本最高のエリート官庁だ。いま大きな疑惑として報じられている日米間の「密約」も、おそらくは存在したのだろう。
けれども外務省の中枢には、そうした複雑な問題を全部わかっている本当のエリートたちがいて、国家の行方にまちがいがないよう、アメリカとそれなりにギリギリの交渉をしてくれているはずだ......。
その後、自分自身が密約問題を調べるようになってからも、まだかなり長いあいだ、
私はそう思っていたのです。
アメリカとの密約をコントロールできていない外務省
けれども残念なことに、現実はまったくそうではなかったのです。
現在、日本の外務官僚たちは、戦後アメリカとのあいだで結んできたさまざまな軍事上の密約を、歴史的に検証し、正しくコントロールすることがまったくできなくなっている。
というのも、過去半世紀以上にわたって外務省は、そうした無数の秘密の取り決めについて、その存在や効力を否定しつづけ、体系的な記録や保管、分析、継承といった作業をほとんどしてこなかったからです。
そのため、とくに2001年以降の外務省は、「日米密約」というこの国家的な大問題について、資料を破棄して隠蔽し、ただアメリカの方針に従うことしかできないという、まさに末期的な状況になっているのです(*1)。
私が「戦後史の謎」を調べるようになってから知ったさまざまな事実のなかでも、この無力化した外務省のエリート官僚たちの姿ほど、驚き、また悲しく感じられたものはありませんでした。
昨年から大きな政治スキャンダルとなっている財務省や防衛省の資料改ざん問題や隠蔽問題も、その源流が過去の外務省の日米密約問題への誤った対応にあったことは、疑いの余地がありません。
永遠にウソをつきつづけてもかまわない
あれほど国民から厚い信頼を得ていたはずの日本の高級官僚たちが、いったいなぜ、そんなことになってしまったのか。
もちろん密約は日本だけでなく、どんな国と国との交渉にも存在します。
ただ日米間の密約が異常なのは、アメリカ側はもちろんその記録をきちんと保管しつづけ、日本側が合意内容に反した場合は、すぐに訂正を求めてくる。また国全体のシステムとしても、外交文書は作成から30年たったら基本的に機密を解除し、国立公文書館に移して公開することが法律(情報公開法:FOIA)で決まっているため(*2)、国務省(日 本でいう外務省)の官僚たちもみな、明白なウソをつくことは絶対にできない。
ところが日本の場合は、
「アメリカとの軍事上の密約については、永遠にその存在を否定してもよい。いくら国会でウソをついても、まったくかまわない」
という原則が、かなり早い時点(1960年代末)で確立してしまったようなのです。
そのため密約の定義や引き継ぎにも一定のルールがなく、結果として、ある内閣の結んだ密約が、次の内閣にはまったく引き継がれないという、近代国家としてまったく信じられない状況が起こってしまう。
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(*1)「核密約文書、外務省幹部が破棄指示 元政府高官ら証言」(「朝日新聞」2009年7月10日
(*2)ただし軍関係およびCIA関係の文書や、その文書の関係国(日本など)が反対した場合は、公開されないケースも数多くあります
矢部 宏治
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5月30日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「アメリカによる支配はなぜつづくのか?
第二次大戦のあと、日本と同じくアメリカとの軍事同盟のもとで主権を失っていた国々は、そのくびきから脱し、正常な主権国家への道を歩み始めている。それにもかかわらず、日本の「戦後」だけがいつまでも続く理由とは?
累計15万部を突破したベストセラー『知ってはいけない』の著者が、「戦後日本の“最後の謎”」に挑む!
※本記事は2018年に刊行された矢部宏治『知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた』から抜粋・編集したものです。
「アメリカン・フットボール」対「騎馬戦」
ここに現在、混迷を深める日本の社会と外交を立て直すための、大きなカギが隠されているような気がします。過去の歴史的事実がきちんとわかっていなければ、もちろん現状について分析することも、未来についての対策をたてることもできない。
加えてなによりも、これほど明らかな弱点を持つ交渉相手に対し、アメリカの外交担当者がその弱点を徹底的に分析し、利用してこないはずがないのです。
この核密約をめぐる日米のドタバタ劇を冷静に眺めていくと、アメリカ側が一見困惑した顔をしながらも、日本側の最大の弱点である情報の歴史的断絶状態につけこんで、自分たちに必要な軍事特権をどんどん奪いとっていった様子がよくわかります。
アメリカの外交を表現する言葉として、よくそれは「アメリカン・フットボール型」だと言われることがあります。
つまり、フィールドの上には多くのプレイヤーがいて、フォーメーションに従って陣形を組んでいる。さらにバックヤードには戦況を分析する多くのスタッフがいて、過去のデータに基づいて作戦を立て、次の「最善の一手」を無線で指示してくる。
事実、重要な外交交渉の前には、驚くほど緻密な調査レポートがいくつも作成されていきます。
一方、日本の外交はといえば、非常に残念ですが記録を読むかぎり、それは「騎馬戦
型」だと言わざるをえないのです。
もちろん個人の能力としては非常に優秀な人たちなのでしょうが、つねにトップの方のほんの3〜4人だけが騎馬を組んで戦う。高度な情報はすべて彼ら数名が独占し、その他のスタッフたちとも共有せず、密室で作業する。
けれども過去の正確なデータは、同じく数人が独占する「情報断絶状態」にあったため、きちんと収集・分析することができないし、また彼ら自身もあとには伝えない。
それでは、きびしい交渉に勝てるはずがないのです。
ジョン・F・ダレス国務長官やマッカーサー駐日大使など、日本の交渉相手だったアメリカの最高の外交官たちは、アメリカン・フットボールというよりも、むしろそのモデルとなった「戦争」そのものとまったく同じ感覚で、相手国を分析し、作戦を立てています。
その彼らに対して、正確な地図も過去のデータも、後方支援部隊との通信手段も、なにも持たずに立ち向かっていっても百戦百敗になるのは当たり前の話なのです。
“日米同盟の御神体”
もっともよく考えてみると、なぜ重要な機密については「次官、局長、担当課長」の3人だけが知っていればいいという伝統が外務省に生まれたかといえば、それは二度の「日米安保」をめぐる密室での交渉が原因であり、なかでも安保改定時に交わされたこの核密約が、直接の原因となった可能性が非常に高いのです。
外務省北米局の金庫に保管され、北米局長が金庫のカギを管理し、次官が新しい総理大臣と外務大臣には必ずその内容を説明するという「密室の儀式」を生んだ極秘文書。
この「密教」にアクセスできる立場にあった北米局と条約局のエリートたちが、その後長らく外務省の権力構造のなかで、次官や駐米大使といった最高ポストを手にしつづけたことは事実です。
けれども「幽霊の正体見たり 枯れ尾花」ではありませんが、祠の扉を開いてみれば、なかに安置されていたその“日米同盟の御神体”は、かなりお粗末なものだったと言わざるをえないのです。
公文書公開の重要性
ともあれ、ここまでの説明で私たちは、戦後の日米外交の「最大の闇」であるアメリ カとの核密約について、
○1963年4月の「改ざん文書」〔第一回大平・ライシャワー会談の記録〕
○1968年1月の「東郷メモ」〔外務省北米局が管理する「密教の経典」〕
という、ふたつの最重要文書の原本を目にすることができました。(*資料はぜひ本書でご覧ください)
これはまちがいなく、2009年9月から翌年3月にかけて行われた、民主党政権下における密約調査の非常に大きな成果です。
その結論となった「有識者委員会による調査報告書」は、あとで触れるように非常にお粗末なものでしたが、そうやって不完全でも本物の公文書が公開されていけば、歴史の解明は着実に進んでいくのです。
そしていま、私たちには最後にもうひとつ、どうしても原資料を見なければならない最重要文書が残されています。それはもちろん、外務官僚の書いた報告書ではなく、日米の代表がサインをかわした「密約の原本」そのものです。
けれどもみなさんにはその前に、もうひとつだけ回り道をしていただきます。
このあまりに重要な、「密約のなかの密約」とでもいうべき超極秘文書のもつ意味を正しく知っていただくためには、
「そもそも改定前の旧安保条約とは、いったいどんな取り決めだったのか」
ということを、簡単におさらいしておく必要があるからです。
難解な条文
私は安保条約についての本を書くようになってから、いわゆる「六〇年安保」世代の方たちと、ときどき対談させていただくようになりました。
そうしたときに、みなさん口をそろえておっしゃるのは、
「安保反対運動は激しかったけれど、安保条約の条文なんか、誰も読んでなかった」「ただ元戦犯容疑者の岸が変なことをやろうとしていたので、全力で反対してたのだ」
ということです。
その雰囲気はとてもよくわかります。条文というのは難解で、最初は読んでも意味がまったくわかりません。私も8年前に沖縄の基地問題について調べ始めるまで、安保条約の条文など、生まれてから一度も読んだことがありませんでした。
けれども少し視点を変えて、私たち日本という国に住む人間の基本的人権が、なぜ現在、米軍に対して失われてしまっているのか。
なぜ21世紀のいま、米軍は自分たちの国では絶対できない危険な低空飛行訓練を、他国である日本の上空では行うことができるのか。
いったい、いつ私たちは、そうした権利を彼らに与えてしまったのか。
そうしたシンプルな疑問をいくつも頭に思い浮かべながら読んでいくと、日米安保の条文の持つ本当の意味が、少しずつ理解できるようになったのです。
*
本記事の抜粋元『知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた』では、核密約をめぐる日本政府のもっとも重要な報告書がじつは改ざんされていたという驚くべき事実について、資料とともに解説されています。ぜひ、お手に取ってみてください。
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