🕍7:─1・B─北海道の富良野は第2のニセコで外国人居住区として日本ではなくなる。~No13 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 昔の日本は「(泥の)土」世間体であったが、未来の日本は「(砂漠の)砂」社会となる。
 重要なキーワードは、国家への愛国心天皇への忠誠心である。
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 日本の未来は、ナショナリズムの民族国家からグローバリゼーションの移民国家に変貌する。
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 2024年5月26日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「トチ、高ク買ウヨ!」と外国人バイヤーが自宅にやってきて……倉本聰が嘆く、インバウンド客が殺到する「富良野」の現在
 北海道のほぼ中央に位置する富良野市(人口約2万人)は、国内有数の観光地の1つだ。1981年に放送が開始された名作ドラマ『北の国から』の舞台としても知られ、夏は一面のラベンダー畑、冬はパウダースノーを誇るスキー場などが人気スポット。国内外から多くの観光客が訪れており、2023年度には180万人を超えた。
 今年3月、その富良野に衝撃が走った。1月1日時点での公示地価で、同市のリゾートエリアにある北の峰町の地価が昨年と比べて約28%も上がり、全国1位の上昇率となったと発表されたのである。近年、富良野を訪れる外国人観光客は急激に増えており、別荘などの需要を当てにして、外国資本による不動産投資も活発になっている。
 1977年から50年近く富良野に住み続けている『北の国から』シリーズの脚本家・倉本聰氏が、インバウンド客が殺到する現状について胸中を明かした。
 脚本家の倉本聰氏(撮影:岡田康且)
 倉本聰(くらもと・そう)/1935年東京生まれ。脚本家、劇作家、演出家。東京大学文学部を卒業後、ニッポン放送に入社。1963年に退社して独立。代表作に『北の国から』シリーズ、『前略おふくろ様』など
 「第2のニセコ」になる
 北海道のニセコという小さな田舎町が、いつの間にか外国人観光客に占拠されてしまいました。ラーメンが一杯1600円で売られ、ホテルは一泊20万円を超えているようです。これを「リーズナブルな価格だ」と笑って利用できるのは外国人だけです。もはやニセコは外国の領土といっても過言ではありません。
 いまその波が、僕の住んでいる富良野にも押し寄せてきています。このまま放っておいたら、富良野も「第2のニセコ」になってしまうのではないか――そんな危惧がいま、現実のものとなっているのです。
 僕が住んでいるのは、北の峰に隣接したエリアです。1976年にこの土地を買ったときは、一坪5000円ほどでした。いまその値段が坪10万円以上に跳ねあがっています。
この辺りの土地を、外国人バイヤーが必死に探しています。先日は、僕の家にまで訪ねてきて、「トチ、売ラナイカ? 高ク買ウヨ!」と言ってきましたよ。もちろん、「ふざけるな」と言って追い返してやりましたが。
 ただ、富良野は農村地帯です。跡継ぎ問題や相続税の支払いに苦しむ農家が、広大な土地を手放す気持ちもよくわかります。実際、その土地がどんどん外国人に渡り、別荘やペンションに変わっているわけです。
 街では外国語が飛び交う
 富良野には、冬だけでなく、夏のシーズンにも多くの外国人観光客がやってきます。ニセコとの違いは、アジア系の人たちが多いことです。最も多いのが香港と台湾の人。それからシンガポール、韓国などが続きます。
 夕方、街の中心部に出ていくと、スーパーやコンビニの中で外国語ばかりが飛び交っているので、びっくりしますよ。
 観光業者がビジネスチャンスとばかりに余計な宣伝をするから、全世界の物好きがスマホ片手におしかけてはしゃぎまくっている。萬葉の歌詠みや江戸の俳人が見たら逃げ出すでしょう。
 僕の家は森の中にあるのですが、近所でも外国人をよく見かけます。冬場、バックカントリースキーをやっている外国人3〜4人がコースを外れたのか庭に入り込んできたので、出て行けと怒鳴ったことがあります。
 吹雪のある晩には、家の犬が吠えていたので、外に出ると、靴も履いていない外国人が一生懸命タオルで足を拭いていました。酔っぱらっているうちに道に迷って軒先に来たらしいので、警察に引き取ってもらいました。
 それくらい、この周辺には外国人が多いんです。
 引き続き後編記事『このままでは『北の国から』で描いた自然が失われる……倉本聰が懸念する「富良野消滅」と「文明依存症」』では、富良野の自然が失われつつある現状に、倉本氏が警鐘を鳴らす。
 「週刊現代」2024年5月18・25日合併号より
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 日本国内に外国人移民(主に中国人移民)が急増すると、日本人が立ち入れない外国人居住区が増え、日本国土は交わって同化しない多様性豊かな異化が共生するステンドグラスとして国家内国家が増殖していく。
 大陸の城塞都市は、人種・民族、伝統、文化、風習・習慣、宗教、言語が異なる異種が排他的居住区を形成し、自己の権利を暴力的に守っていた。それは乾燥した砂漠の砂粒社会である。
 現代日本では、そうした異種が共生する多様性豊かな日本を目指す日本人が存在し、国土を外国人移民や外国資本に売ってる。それは、日本民族国家の解体である。
 その旗振り役が、民族主義消滅を大義とするエセ保守とリベラル左派のメディアと教育である。
 彼らは、外国人移民の権利を守る為に右翼的外国人排斥運動を非人道犯罪であるとして国連や国際機関に告発し、反天皇反日的国際世論に訴えて日本批判を強めている。彼らの最終目的は、外国人への国政選挙権付与と官僚への登用で日本を根底から作り変え日本民族性を消滅させる事、つまり天皇制度廃絶と天皇家断絶である。
 日本政府が進めている観光大国の正体は、移民大国である。その為に必要なのが英語もしくは中国語の語学教育であり、将来的には日本語を禁止して外国語の公用語化である。
 その大本の原因は、少子高齢化による人口激減である。
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 日本政府は、人口回復策として1,000万人の外国人移民計画を進めている。
 その証拠が、国会に於ける少子化対策に於ける政府与党と野党の論戦と地方の現実を報道しないメディアの茶番である。
 その兆しが、中国人による靖国神社への侮辱事件や韓国人による神社仏閣への狼藉行為である。
 それは、戦国時代に中世キリスト教会・イエズス会伝道所群が日本教区でおこなった宗教弾圧、神社仏閣の破壊行為に似ている。
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 中国共産党の対日戦略は、孫子の兵法に従い、媚中派と反米派は使った陣取りの囲碁とオセロ・ゲームである。
 100年先、200年、500年先を見据えた、敵の中に味方を増やすというトロイの木馬による「熟し柿作戦」である。
 それが、日本定住中国人を忠誠を誓う「帰化人」と呼ぶか忠誠を拒否する「渡来人」と呼ぶかである。
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 5月26日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス週刊現代講談社「このままでは『北の国から』で描いた自然が失われる……倉本聰が懸念する「富良野消滅」と「文明依存症」
 脚本家の倉本聰氏(撮影:岡田康且)
 北海道のほぼ中央に位置する富良野市(人口約2万人)は、国内有数の観光地の1つだ。1981年に放送が開始された名作ドラマ『北の国から』の舞台としても知られ、夏は一面のラベンダー畑、冬はパウダースノーを誇るスキー場などが人気スポット。国内外から多くの観光客が訪れており、2023年度には180万人を超えた。
 【マンガ】カナダ人が「日本のトンカツ」を食べて唖然…震えるほど感動して発した一言
 今年3月、その富良野に衝撃が走った。1月1日時点での公示地価で、同市のリゾートエリアにある北の峰町の地価が昨年と比べて約28%も上がり、全国1位の上昇率となったと発表されたのである。近年、富良野を訪れる外国人観光客は急激に増えており、別荘などの需要を当てにして、外国資本による不動産投資も活発になっている。
 前編記事『「トチ、高ク買ウヨ!」と外国人バイヤーがやってきて……倉本聰が嘆く、インバウンド客が殺到した「富良野」の現在』に引き続き、
 1977年から50年近く富良野に住み続けている『北の国から』シリーズの脚本家・倉本聰氏が、インバウンド客が殺到する現状について胸中を明かした。----------
倉本聰(くらもと・そう)/1935年東京生まれ。脚本家、劇作家、演出家。東京大学文学部を卒業後、ニッポン放送に入社。1963年に退社して独立。代表作に『北の国から』シリーズ、『前略おふくろ様』など

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 水源地が狙われている
 外国人による土地の買い占めは、数年前からすでに始まっていました。外国資本によって土地が買われ、美しいポプラ並木がすべて切られてしまった。
 僕が一番恐れているのは、富良野がカナダ・バンクーバーの二の舞になることです。40年ほど前、バンクーバーに多くの中国人が移り住んだことがありました。そこにはもともと大邸宅が多かったのですが、中国人が次々と買っていったのです。
 そこで、何が起こったのか。新たな住人となった中国人によって、大きく育った庭の木々が切り倒されてしまいました。街の人たちは驚いて、「木を切らないでくれ」と頼んだそうです。しかし、にべもなく断られてしまいました。「風水によると気の通りが悪いので、木を切った」というのです。そう告げられた住民たちは二の句が継げませんでした――。
 文化的風習が違うと、そんなことが起こってしまうのです。いま僕は、北海道の水源地が狙われているのではないかと心配しています。水源地を改変されたら、豊かな自然はすべてダメになってしまいますからね。
 富良野の自然を守るために
 富良野でも、このまま何も手を打たずに外国人を受け入れていたら、守ってきたものが失われかねません。北の国・富良野は消滅し、僕たちは愛するふるさとを捨てざるを得ないでしょう。
 ここには昔から、自然を大事に守りながら暮らす『北の国から』の思想が息づいています。日本人観光客の中には、それを求めてこの地を訪れている方も多い。これからは外国人にもその思想を知ってもらい、それに基づいた暮らし方をしてもらわなくてはいけません。
 「遊ぶためだけの観光地」と思われたら、富良野の姿は崩れてしまい、黒板五郎が愛した雄大な自然は二度と戻ってこないでしょう。
 でも、だからと言って、僕は外国人を排斥するつもりは毛頭ありません。当たり前のことですが、外国人にもいい人はたくさんいます。富良野は冬にはマイナス30度にもなる極寒の地です。
 これだけ寒くてもいま現在この地に人がやってくるのは、生活や風景に憧れるからじゃないでしょうか。そんな富良野に惹きつけられた外国人がいるなら、「どうぞいらっしゃい!」と、諸手を挙げて歓迎します。
 僕は外国人とともに、富良野ユートピアをつくればよいのではないかと考えています。外国人富裕層といっても、もともと貧しかった人も多いでしょう。富良野に来る外国人の中には、普通の日本人よりよほどつましく生きている人もいます。
 ペンションが並ぶ北の峰から中心街のスーパーまで4kmほどですが、そこまで歩いて買い物に行く。そして宿に戻り、質素な晩ご飯で済ませている。外国人におもねる必要はないけれども、つましい生活は見習わねばならないと思います。
 「進歩依存症」にかかって
 かつては日本人もそうでした。貧しいけれど幸せ、つまり「貧幸」です。僕らは戦争が終わった後、それを経験しました。大きな幸せは望まなかったし、それぞれの家庭のなかで日々の生活を充実させていました。
 しかしいまはどんどん文明が発展し、すべてが金儲けに向かっています。AIにしろ、SNSにしろ、おカネ目当てで、人間が卑しくなっている。一度かつての貧幸に戻らなければ、日本はどんどんダメになってしまうでしょう。
 大谷翔平選手の元通訳・水原一平氏ギャンブル依存症だったことが話題になりましたが、われわれは「文明依存症」「進歩依存症」にかかっています。「もっと豊かに、もっと便利に」と、いつまでも進歩をやめようとしません。
 「スピード依存症」もその一つです。昔、8時間かかった東京―大阪間がいまは2時間半で行き来できます。それをリニア新幹線でさらに短縮することに、一体何の意味があるというのでしょうか。
 日本列島にこれ以上の整形手術を施すのは、取り返しのつかない損害と破壊をもたらす暴挙に他なりません。
 それに対して、富良野の地元民と話をしていると、みんな幸せに生きているなと実感します。彼らは、「もっと便利な暮らしがしたい」とはあまり思っていません。つましくてもいいから、平和で穏便な暮らしができればいい。
 外国人とも手を携えながら、北海道を自然とともに生きる理想郷にしたいというのが、一番の夢です。
 僕はいま、富良野に自分のお墓を建てています。『北の国から』で、五郎たち3人が初めて富良野で迎えた大晦日に、街の灯に向かって「さよなら、1980年!」と叫んだ地ですが、僕にとっては、「さよなら、21世紀!」でもあります。
 そこから見渡せる美しい富良野の街が、自分の死後も残ってほしいと願っています。
 引き続き関連記事『「トチ、高ク買ウヨ!」と外国人バイヤーがやってきて…倉本聰が嘆く、インバウンドが殺到した「富良野」の現在』では、インバウンドが殺到する富良野の現状を倉本氏が憂いている。
 「週刊現代」2024年5月18・25日合併号より
 週刊現代講談社
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 2018年4月21日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「もう日本人の出る幕なし?外国人だらけのニセコに見る日本の未来
このままでは「観光大国」は遠い夢…
 高橋 克英 金融アナリスト
 いまや「日本で最も国際的なリゾート」といわれる北海道ニセコ。街は外国人で溢れ、看板や物価も完全に富裕層向けにシフトしている。高級ホテルの建設ラッシュに沸く同地区は、地価の上昇でも3年連続国内トップを記録した。ところが、当然ウハウハだと思われた地元経済の実態は……? 毎年同地をスキーで訪れている金融コンサルタント、マリブジャパン代表の高橋克英さんが、最新事情から「インバウンド」という言葉にすがる日本の未来を読み解く。
 日本人客にも「まずは英語で話しかける」ニセコ事情 
 パウダースノーで世界的に有名な北海道のニセコリゾート。オーストラリア人やフランス人に華僑を中心に、今年も世界中から多くのスキーヤー、スノーボーダ―が同地を訪れ、温泉とともにスノーシーズンを満喫した。
 地元の倶知安町が、スイスのサンモリッツ姉妹都市の提携を結んでから54年、いまやニセコは「東洋のサンモリッツ」から「世界のニセコ」として、その名を世界のスキーヤーや富裕層に知られる存在となっている。
 私事ながらスキーが趣味で、ここ数年、毎年ニセコを訪れているが、その変貌には目を見張るばかりだ。例えば、ニセコ地区にある4つのスキー場の一つ、東山エリアの中核ホテルである「ヒルトンニセコビレッジ」の館内表記は、日本語よりも英語が先にあり、ホテル従業員も基本、外国人。当然「公用語」は英語である。
 館内の寿司屋では板前が、私のように、どこから見ても日本人にしか見えない相手に対してでも、まずは英語で話かけてくる。宿泊客や利用客の大半が外国人なのだから、見かけは日本人でも、ひょっとしたら外国人かもしれないと考えて接するのは合理的だろう。
 こうしたサービスは、なにも外資系のホテルだから行われているというわけではない。
 ニセコで最も栄えている「ひらふ」エリアは、まるでスイスやイタリアの高級スキーリゾートのようだ。ショップの看板や広告も英語表記オンリーで、日本語が一切ない店も珍しくない。ショップの客も従業員も外国人。ひらふ十字路を中心に、スキー場のリフトに乗る地点までのひらふ坂の両側には、欧風デザインのホテルや近代的なコンドミニアムが並んでおり、そのほとんどが外国資本による外国人相手のものだ。
 現在も、ひらふ地区では、あちこちでクレーン車と英語表記の建設看板が立ち並び、さらなる開発が進められている。たとえば今年、私が訪れた際もシンガポールの大手デベロッパーであるSCグローバルが、外国人富裕層向け高級ホテルを建設中だった。
 [写真]まるで海外のように英語表記の看板が建ち並ぶニセコの街(Photo by GettyImages)
 日本であって、日本ではない
 冬のニセコは、日本でもっとも外国人率が高い街であり、もはやここは日本であって日本ではない。
 京都や金沢など、近年日本の多くの観光地には外国人観光客が訪れている。だが、それらとニセコには決定的な違いがある。それは、ビジネスの対象を外国人、それも富裕層に特化していることだ。しかも、その戦略は大成功を収めている。
 欧米などのスキーリゾートを対象とした「ワールド・スキー・アワード」における、50室未満のブティックホテル部門で、ひらふ地区にある高級デザイナーズ・ホテル「ザ・ヴェール・ニセコ」が世界一に輝いている。カテゴリーが限定されているとはいえ、日本にあるホテルが世界的にこれだけ高く評価された例は過去にもほとんどないはずだ。
 「ザ・ヴェール・ニセコ」の最上階に位置するペントハウスは、ニセコでも最高級とされる部屋の一つで、187㎡の広々とした室内には最高のプレミアム暖炉、バスルーム3つを備え、天井まで届く大きな窓からは北海道の名峰・羊蹄山の壮大な眺めを一望できる。スキーのあとは開放感あふれる57㎡を誇るバルコニーの露天風呂でゆっくりと星空を眺めながらリラックス。まさに至福のひとときに違いない。
 このペントハウスは、トップシーズンでは1泊50万円を超えるのだが、なんと、すでに来年2019年のシーズンまで予約で満室状態だという。
 ちなみに、ホテル予約検索サイト「エクスペディア」などで、今年12月から来年3月のスキーシーズンにて宿泊予約しようとしても、「ザ・ヴェール・ニセコ」はじめ、ニセコ地区の高級ブティックホテルは、軒並み既に満室や売り切れとなっている。繰り返すが、今年ではなく、まだ1年近く先の来シーズンの話だ。まるで、バブル期の東京湾岸エリアや都心のクリスマス時期のホテル予約のような狂乱ぶりではないか。
ニセコが世界的に注目されはじめたのは2000年頃からだ。最初はオーストラリア人から人気に火がつき、その後、SNSなどを通じて評判が広がると、フランスを中心に、イギリス、ドイツ、北欧など、ヨーロッパ各国からもスキーヤーが訪れるようになった。
 理由はズバリ、雪質にある。ご存知の方も多いと思うが、ヨーロッパのアルプスなどの雪質は固く締まっており、初心者には荷が重いところが少なくない。それに対し、ニセコはサラサラのパウダースノーで、しかも毎日のように雪が降るから常に新雪。一度これを体験すると、その違いに病みつきになる人が続出するのも頷ける。しかも、ナイター施設なども充実しているのに加えて、温泉や北海道の食と魅力に溢れている。
 物価も「世界の高級リゾート水準」
 さらに、ここ数年は、香港やシンガポール、マレーシア、台湾などの華僑を中心とした富裕層や、フィリピン、ベトナム、タイなど、雪が降らない国からの観光客も急増した。大げさではなくニセコでは日本人を探すのが困難になるほど、外国人で賑わっている。
 リッチな外国人客を相手にしているため、物価も世界の高級リゾート相場になっている。ゲレンデ周辺では、ランチの海鮮丼でさえ5000円というのが、ごく標準的な料金だ。すし盛り合わせになると松竹梅で、それぞれ1万円、2万円、3万円も珍しくない。価格に、5000円、1万円といったキリのいい数字がやたらと多いのは、両替や換算を意識してのことだという。
 これだけお金持ちが集まれば当然、地元経済にも恩恵が大きいだろうと思われそうだが、残念ながらそうでもないようだ。
 まずショップやレストランだが、いまでは客はもちろん、従業員までも外国人が目立つようになり、日本人の姿がめっきり減っている。私が毎年訪れているレストランでも、昨年までは地元の日本人女性2人が「May I help you?」と慣れない英語で接客のアルバイトをしていたが、今回は、夏場はロンドンで働き、冬はニセコでスキーを楽しみながらアルバイトしているというフランス人青年と、職を求めて中国本土からやってきた20代女性の2名にとって代わられていた。これだけ多くの国から観光客がやってくると、接客にも英語だけでなく、フランス語や広東語までが求められる。これでは、普通の日本人が出る幕はないかもしれない。
 「99.9%お客さんは外国人。今日もフランス人の団体と、香港やマレーシアからのグループの予約で満席です。彼らが満足する接客は、日本人では難しいですね」と英語でアルバイトに指示を出しながら、日本人の料理長は話していた。
 [写真]外国人客でごった返すニセコのスキー場の食堂(Photo by GettyImages)
 ニセコ地区では、外国資本による別荘やコンドミニアムの開発も進んでおり、外国人スキーヤーや観光客だけでなく、外国人居住者も年々増加している。こうした外国人のために働く外国人従業員の増加もまた、続いている。地元の学校には外国人の子供が増え、新たにインターナショナルスクールも作られているという。
 なぜか地元も国内資本も儲けられていない
 流入人口が増えれば、当然地価は上昇する。3月末、国土交通省から発表された公示地価では、地元の倶知安町の住宅地の公示地価は前年比33.3%と3年連続全国トップ。しかもトップ3をニセコ地区が独占した。さらに、商業地でも35.6%と全国トップとなり、まさにニセコが日本全国を圧倒している。
 そうなれば、少なくとも不動産開発の分野では、日本のデベロッパーや金融機関が荒稼ぎしているのだろうと思ったのだが、どうやら、それもないようだとわかって驚いた。
 私が調べた限り、ニセコでの海外富裕層向けを中心としたコンドミニアムや別荘への不動産投資ニーズに、国内の不動産業者・銀行は、ほとんど応えられていない。海外不動産業者やプライベートバンクと海外富裕層との間には、独自のネットワークが形成され、日系企業が入り込む余地がほとんどない状態であるという。
 ニセコは、まさに「外国人の、外国人による、外国人のためのリゾート」と化していると言っていいだろう。地元ニセコ町の分析でも、民間消費や観光業の生産額のほとんどが、町外に流出超過だとされている。観光客や投資の増加は、もはや地域の収入には十分つながっていないというわけだ。
 もちろん、ニセコ興隆は悪いことではない。ただ、観光客やスキーヤーたちがこれほどお金を落としてくれているのに、地元や日本経済に恩恵がないというのは、もったいなさすぎる。「おもてなしの心」などという美学を奉じて、細やかな気配りを観光産業の中心にすえるのもよいが、奥ゆかしいばかりでハングリー精神に欠けては、世界を相手に、いただけるものもいただけないことになってしまう。
 [写真]メニューの表示も英語のほうが目立つニセコのレストラン(Photo by GettyImages)
 折しも、来年のG20大阪開催にあわせ、G20観光相会議がニセコで開催されることが決まっている。それに合わせてパークハイアットリッツ・カールトンといった外資系超高級ホテルやコンドミニアムの開業も予定されており、北海道新幹線の札幌までの延伸にあわせ、ニセコ地区にも新駅ができる予定だ。共存共栄の世界を目指して、出遅れている国内資本による投資の増加に期待したい。
 そこでの成否が、「観光大国」を目指す日本の未来をうらなう試金石になる、と言っても、あながち大げさにすぎるということはないだろう。
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 6月11日 MicrosoftStartニュース AERA dot.「合計特殊出生率「1.20」の衝撃 人口減少で国が滅びる前に「移民受け入れ」を決断せよ 古賀茂明
 「賃上げ5%」でも所得はほぼ増えないカラクリ 岸田首相の詐欺的レトリックを暴く 古賀茂明
 © AERA dot. 提供
 6月5日、厚生労働省は、2023年の人口動態統計を発表した。その内容は、極めて深刻なものだ。
 1人の女性が生涯に産む子どもの数を示す合計特殊出生率は1.20で過去最低を記録した。これまでの最低は22年と05年の1.26だったので、かなり大幅な低下だと言って良い。外国人を除く出生数は前年比5.6%減の72万7277人で人口の自然減は84万8659人だった。前年よりも5万人多い。人口はただ減少しているというだけでなく、そのペースが加速しているのだ。
 出生率の低下には様々な要因があるが、出産年齢の上昇もその一つだ。23年における第1子出生時の母の平均年齢は31.0歳となり初めて31歳台になった。上昇傾向が止まらない。
 また、日本では婚外子が少ないので、婚姻数が減ると出生数に直接響く。23年の婚姻数は、前年比6.0%減の47万4717組。50万組を戦後初めて割り込んだが、これにより、2〜3年後の出生数を特に押し下げると予想されるため、少子化はさらに悪化する可能性が高い。
 このままだと日本の人口はどこまで減るのだろうか。
 国立社会保障・人口問題研究所の推計では、23年に1億2400万人だった日本の人口は56年に1億人を切り、70年に8700万人に減少することになっている。
 ただし、この推計は、70年まで出生率が1.36程度の横ばいで推移するという前提に立っている。「出生率が1.20で、しかも下がり続けると見込まれる」という現実との乖離は大きい。
 現に、今回の発表によれば、出生数は23年公表の国立社会保障・人口問題研究所の推計よりもおおよそ10年早いペースで減少していることになる。日本の人口は、今後もこれまでの推計よりもかなり速いスピードで減少するのは確実だと考えた方が良いだろう。
 合計特殊出生率「1.20」の衝撃 人口減少で国が滅びる前に「移民受け入れ」を決断せよ 古賀茂明
 © AERA dot. 提供
■形ばかりの子育て支援
 人口が減少を続ければ、労働力人口が減り、成長率が下がり、税収も下がり、年金などを支える人口も減り、消費が減少し、社会全体の需要減が成長率低下に拍車をかけ、財政赤字が拡大し、国債発行が増え、円の信認が下がって円安が進み、輸入物価は上昇し、賃金は上がらず、国民生活は貧しくなり、いずれは経済が破綻する可能性が高くなる。ということが予想できる。
 人口減少を止めるには、子供の数を増やすか、海外からの移民を増やすか。どちらか、あるいはその両方を進めなければならない。これは自明のことだ。
 政府ももちろん、そんなことはよくわかっている。
 そこで、岸田文雄政権は、子育て支援策を推進すると言って、23年4月にこども家庭庁を設置した。ただし、これによって何かが大きく変わったということはなく、子ども関連の政策のうち、内閣府厚労省が担ってきた事務を一元化するというものにとどまり、文部科学省などの子ども関連政策の統合は同省などの反対でできなかった。これだけではほとんど意味がないものだったのだ。
 関連するビデオ: 去年の合計特殊出生率、1.20で過去最低を更新 (日テレNEWS NNN)
 厚労省の人口動態統計が発表されたのと同じ6月5日には、子育て支援のための実質的な政策を進めるために、子ども・子育て支援法の改正法が成立した。その内容の紹介は省略するが、子育て世帯への様々な給付の拡大が実施される。現金給付のほか、働いていなくても保育園を利用できるというようなサービスの拡大も含まれていることが喧伝されている。
 しかし、子育て世代の若者からは、この程度の給付では不十分だという批判があり、専門家からもこれで出生率が上がることは期待できないという声が大半だ。
■子供を持つべきという男女が大幅に減少
 実質賃金が下がり続けていてはとても子どもを持とうという気持ちになれないだろうし、働き方改革や女性活躍の環境整備も中途半端なままだ。学校教育の費用や過剰な受験戦争も重い負担となっている。さらに社会保障を含めた将来不安、戦争準備が進み徴兵制が導入されるのではないかという不安など、障害を挙げれば限りがない。
 そうした負担や不安を取り除いたとしても、そもそも結婚したくないとか子供を持ちたいとは思わないという人も増えている。
 21年の出生動向基本調査によると「いずれ結婚するつもり」と答えた未婚者の割合は15年調査と比べ男女ともに5ポイントほど減少した。「結婚したら子どもを持つべき」と答えた人も男性で20.4ポイント、女性では30.8ポイントも減っている。
 古くからあった、「人は、いつかは結婚し、子どもを産み育てるものだ」という固定観念は崩壊していると見るべきだろう。
 もちろん、結婚したい、子どもが欲しいという人たちのためにその障害を取り除き、支援策を講じることは必要だが、それだけでは、出生率を大きく上げるところまでは行かないのが現実なのだ。
 子どもを産み育てるかどうかは、もちろん、個人の選択の問題である。したがって、政策的に子どもを産み育てる障害を全て取り払っても子どもが減り続けるのであれば、それは個人の自由な選択の結果だから、決して悪いことではないと考えて受け入れるべきなのかもしれない。
 その場合は、人口減少を前提とした社会の維持を考えるということになるが、これは極めて難しい課題だ。というのは、例えば介護一つだけを取ってみても、目の前で団塊の世代後期高齢者になっていき、大量の介護難民の発生、老老介護、介護離職、さらにはヤングケアラーなどの問題が深刻化して、経済社会が回らなくなるのではと危惧されている。

■人口減少、少子化…でも移民は反対の矛盾
 そこで、強力な政策的誘導策で、「子どもを産まなければ損」というような状況を作り出すのかどうか、真剣に考えることが必要になる(もちろん、その社会的効果が出るのは20年先ということにはなるが)。
 子どもを1人産んだら1000万円給付、2人目は2000万円給付などということができれば効果はあるのではとも思うが、そのための費用は年間7兆円以上になり、財源(最終的には増税)確保に合意を得るのは容易ではない。
 結局のところ、今から、少子化が止まらないという前提で社会の仕組みを作り変えていくしかないのだ。
 その際、最も重要なテーマは、移民の受け入れの拡大と移民人口増大を前提にした新しい社会の構築である。
 自民党の保守派の議員たちは、移民受け入れを正面から認めることに反対している。あくまでも、人手不足対策としての「労働力」導入対策として外国人を見ているのだ。
 しかし、そのような狭量な了見のままでは、今日のように外国人の人権侵害が横行して世界から批判される状況は改善できないし、経済停滞の中での円安進行もあって、外国人に選ばれない国となり、移民を大量に導入することにしても必要な数だけ移民が入ってこないということになってしまうだろう。
 私がかつてインタビューした著名な投資家、ジム・ロジャーズ氏はこう述べている。
 「子を生まず、移民を受け入れることも嫌なのであれば、生活水準の低下を受け入れるしかない」
 「ところが、……日本人は、現状を維持したいと思っている。……そのためにお金を借りて生活水準を維持しているのが日本の現在の姿だ」(以上、『日本への警告』講談社+α新書)
 「このままいけば日本は50年後か100年後にはなくなってしまうかもしれない。日本人はいなくなり、日本語は話す人がいなくて滅んでしまっているかもしれない」「日本が豊かになるには移民を受け入れるほかない」(以上、『ジム・ロジャーズ お金の新常識』朝日新聞出版)
 また、フランスの賢人で歴史人口学者のエマニュエル・トッド氏も、
 「人口問題は、数十年の潜伏期を経て一気に発現してきます」
 「人口減少は日本にとって最大にして唯一の課題です」と警鐘を鳴らしている。そして、「移民受け入れ」と「少子化対策」は二者択一の問題ではなく、双方を同時に進めるべきだと断言している。(以上、『老人支配国家 日本の危機』文春新書)
 いずれも、日本にとって非常に参考になる言葉だ。
■「人口減少問題」より「お金」の議員
 移民を本格的に受け入れるとなれば、議論すべき論点は山のようにある。しかも答えを出すのが極めて難しい難問ばかりだ。
 実は、人口減少問題は、30年前から議論されてきた。私が経済産業省の課長補佐だった1990年代初めには、「長期ビジョン」の議論が盛んだったが、その検討の中で、私たちも議論を始めていたのをはっきり記憶している。
 しかし、これまでの30年間、自民党の時代錯誤の排外主義的移民反対主義者たちが存在していたため、彼らの反対をうまくかわしながら、外国人を建前上は「単なる労働力」「短期滞在者」としてのみ受け入れるという弥縫策に終始してきた。
 また、少子化問題も、選挙のための人気取りとしての給付政策ばかりで、女性活躍や男性の働き方改革、さらには家庭の負担を社会で分かち合うという構造的な改革を避け続けてきた。
 少子化問題は、防衛力強化などよりもはるかに国家安全保障にとって重要だということに自民党のおっさん議員たちはいまだに気づいていないように見える。
 彼らは、これほど深刻な少子化を前にしても、武器弾薬を増やせば国家を守れると考えているようだ。まさに「お花畑に住む人々」と言って良いだろう。
 そして、彼らの最大の関心事は、いかにして領収書なしで使える金を守るかということ。そのために必死なのだ。
 「人口問題は、数十年の潜伏期を経て一気に発現」するというトッド氏の言葉は、今の日本にこそ当てはまる。本来なら、とっくの昔に手を打っておくべきだったということなのだ。
 しかし、危機感ゼロの自民党裏金執着議員たちに任せている限り、彼の言葉はなんの役にも立たない。
 もちろん、そんな議員を選び続けた国民にも大きな責任がある。
 日本の国民は、これから何十年かかけて、自民党バカ議員が犯した罪の責任を彼らの代わりに負って、そのツケを払うことになるのだろう。
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