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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
高齢者はナショナリズムと陰謀論で右傾化し、若者はナショナリズムで保守化した。
高齢者と若者は、自民党・高市早苗首相を選び、リベラルや左派の野党を選ばなかった。
メディアと教育界の一部は左傾化する。
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2026年4月7日 MicrosoftStartニュース tend「還暦後の「心の病」に要注意? 佐藤優氏が警告するナショナリズムと陰謀論にハマる高齢者達の落とし穴
© tend
定年後に忍び寄る心の隙間と陰謀論。自尊心を保つための帰依が招く排外主義の危うさ
人生の大きな節目である還暦。長年勤め上げた仕事から離れ、肩書きや学歴といったこれまでの評価軸が意味をなさなくなったとき、人は何に心の拠り所を求めるのでしょうか。元外務省主任分析官で作家の佐藤優さんは、現代社会にはお金や出世、偏差値といったものを神のように崇める4つの宗教が存在すると指摘します。しかし、それらが人生の後半戦で影響力を失った後、最後に残るのがナショナリズムという名の宗教であると警鐘を鳴らしています。
社会との接点が薄れ、将来への不安や孤独を感じやすくなる世代にとって、日本の歴史や文化を礼賛し、自尊心を保とうとする心理は自然な流れかもしれません。しかし、それが度を越すと、他国や他民族を排斥する極端な思想や、根拠のない陰謀論に傾倒してしまうリスクを孕んでいます。ネット上に溢れる刺激的な情報を鵜呑みにし、複雑な社会情勢を単純な物語として解釈してしまう。そんな現代の病理について、SNSでは激しい議論が交わされています。
佐藤さんの提言に対し、SNSやコメント欄では多様な意見が噴出しています。
『高齢者が右翼的言動に陥るのは、自分達の世代をもっと尊重して欲しいからですね。自らの存在価値を高めたい、認めて欲しいという欲求の現れ』
という、世代特有の承認欲求を分析する声がある一方で、佐藤さんの主張を一方的だと感じる層からは、
『高齢者でくくってネトウヨの話というより、何ら根拠のないネトウヨの威勢のよさに論点を絞ってもらいたい』
といった反発も寄せられています。また、昨今の国際情勢を鑑みて、
『グローバリズムの幻想が霧散した今の世界状況だとナショナリズムの高まりは当たり前であり、危機感を持たなければ呑気過ぎる』
と、現状を肯定的に捉える意見も見られました。
佐藤さんは、物事の相関関係と因果関係を混同することの危険性についても触れています。例えば、特定の出来事が重なったからといって、そこに必ずしも意図的な陰謀があるわけではありません。しかし、不安の中にいる人は、バラバラの事象を一つの物語として繋ぎ合わせることで、自分だけが真実を知っているという万能感を得てしまう傾向があります。
何かにすがりたい気持ちを否定せずとも、それが他者への攻撃性に変わっていないか、冷静に見つめ直す余裕こそが、真の意味での知的な後半生を支えるのではないでしょうか。
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ウィキペディア
シニア右翼
概要
2023年3月8日に中央公論新社から発売。
親が右傾化してそのような動画の視聴者になっていたり、保守系論壇誌の購読者になっていたりするという、50歳以上になってから人々はこのようになっているという社会現象について述べる。ここでは右翼と共にしてきた著者が内側から見た実像を解き明かすと共に、日本の歴史と近年のネット技術の発展から生み出されたこのような人々の来歴に迫る。
ネット右翼というのはシニア層が主流であるとする。ネット右翼が問題となり始めたのは2002年ごろであり、この頃は昼間からネットに書き込みをしているということから、働いていない若い低所得の人々が、社会への不満からこのようなことをしていたと思われていたとのこと。他にネット右翼が若年層と思われていたのは、戦後民主主義が衰え、その価値観を知らない若者たちが差別的になっているからとも思われていた。だが著者が行った調査によると、ネット右翼というのは思っていたよりもシニア層に偏っており、男性が多く、大卒以上の学歴が多く、収入は上位中産階級であったとのこと。
著者はシニア世代がネット右翼になりやすいとする。ネット上での陰謀論やデマや右翼思想に感化されやすいのは、若者よりもシニア世代の方がずっと多いとする。現代はスマートフォンの普及によりシニア層によるインターネットの利用が増えているものの、シニア層は若者と比べれば危うさやデマに対する免疫が少ない。このためシニア層というのは、ネット上の不確かな情報を鵜呑みにしがちであるとのこと。
ネット上でヘイトスピーチを行なうことで逮捕をされたり裁判になっている例のほとんどは、50歳以上によるシニア右翼であるとのこと。シニアというのは若者と比べれば、見ず知らずの人を政治の思想が異なるために突然罵倒をする傾向があるとのこと。これはネットリテラシーの高さから来ているとのこと。若者というのは教えられていなくても、SNSとの距離感というものを肌で分かっている場合がほとんどであるからとのこと。シニアというのは人生の後半からSNSが急速に台頭してきた世代の人々であるために、情報との距離をうまく取ることができず、デマや危険思想を鵜呑みにしがちである場合があるとのこと。
ネット右翼の人口は200万人ほどで、ネット右翼の票が140万票ほど存在するとする。この数字というのはあまり変わらないとのことで、それは2014年に調査をした時と2022年に調査をしたときでは特に大きく数字は変化していなかったからであるとのこと。そして日本の有権者の98%はネット右翼ではないとする。ネット右翼というのはマイノリティであるため、ネット空間でネット右翼が強い影響力を持つということで既存メディアが萎縮するということを批判する。既存メディアがネット右翼の意見に寄り添ったり忖度するというのは政治的に偏向であり、放送法で定められている政治的中立を毀損することになるとする。
著者は元々は保守論壇というのは三島由紀夫の楯の会のような血気盛んな若者が議論をする場のように思っていたものの、実際に参加してみれば中高年ばかりであったとのこと。そしてその中高年は経済的には余裕があり、今の稼ぎで安泰な生活を送りたいために保守的になっているとする。そしてヘイトスピーチや差別を行なっているのはこのような中高年であるとする。このようなシニア層というのは、戦後の平和教育を受けてきたものの、近年はインターネットが簡単に用いられるようになっている。このことから多くのシニア層が批判をすることなく動画を視聴するようになったためとする。普通だった人がシニア右翼とされる人物までになったほとんどの過程は動画であるとする。
保守系論壇人というのは70代や80代を超えた大学の名誉教授を頂点として、60台以上が概ね第一線であるとのこと。そして50代が第二線で、40代が若手で、30代はほとんどいなくて、20代は皆無であるとのこと。この保守系論壇人から言説を受ける視聴者や読者も高齢化しており50代で若手であるとのこと。ほとんどは定年退職したり、自営業でも経営の一線からは引いていたりで、暇と時間を持て余す60代以上の集合体であるとのこと。
著者は日本には民主主義が根付いていなかったからこそ、人々は動画を視聴するくらいで簡単に考えがひっくり返っているとする。戦後の民主主義というのは、それが咀嚼されて受容されてきたというものではなく、何となく受容されてきたものであったとする。そして日本とは戦後にも戦前の体制が温存されており、差別や封建も温存されており、戦後になって看板は変わったものの中身は同じであるとする。作者自身が見てきた左派でさえ人権意識が希薄であり民主主義が身体かされていなかったとする。戦後に民主主義となったのは、民主主義通いとされていたからそれに従っていたのみであるとする。
著者はこのまま行けばシニア右翼は多くの情報を拡散して、その情報に多くのレビューが付くことでこのような空気を作る力となり、政治的な力を持つまでになるだろうとする。
都合の良いアメリカ感を持っているとする。沖縄で米兵が罪を犯した場合には、その米兵を擁護するのに対して、中国や韓国には厳しいとする。米軍基地に反対している人のことを反日だとか、中国や韓国から金を得ている工作員であるとしているとのこと[9]。親米保守というのは、保守を辞任する人の自称ではほとんど使われていないとする。それは戦前と戦後では保守や右翼が親米か否かで変化したからとする。自らを親米保守と名乗らないのには疚しさがあるとする。それはアメリカの原爆投下を批判する一方で、アメリカに追従する姿には矛盾があるから、敢えて親米ではないということにしているのではないのかとする。
著者はチャンネル桜の番組にレギュラー出演していたときのことを述べている。番組がリニューアルされることとなり、そこで揃えられていたコメンテーターは皆著者より年上であった。だがそのコメンテーターには基本的な社会科学の知識が全く無く、日本が好きや愛しているを連呼するのみで、具体的なコメントをできるものが皆無であったとのこと。そしてその人々の情報源はネットの動画から仕入れた虫食い上のもので話にならない素人であったとのこと。韓国に行ったことがないのに韓国を憎悪し、ネットから仕入れたデマで韓国人を一方的に憎悪していたとのこと。韓国人に会ったことが無いのに在日韓国人に特権があると言っていたり、マスコミや広告代理店は在日に支配されていると思い込んでいたとのこと。トルコを韓国と対比して絶賛していたものの、トルコには行ったことが無くトルコは共和制であるということすら知っていなかったとのこと。このような人々は大学1年生レベルの教養も無く、本は買うのみで全く読まず、すべての情報源はネット動画であったとのこと。ネット右翼というのは本は著者のファンであるためにとりあえず買うものの読んでいないとする。ファンの自尊人というのは物質的な購買を重視する傾向もあるために、読んでいなくても問題は無いとする。ネット右翼というのは読書習慣が薄く情報源はほとんどが動画であるからとする。著者自身も幾ら本を書いて幾ら雑誌に寄稿をしても糠に釘であったとしている。保守系の書籍が出版の実績では好調なのであるが、それはファンが買うという範疇のためであり、読まれているということではないとする。この構造というのは、神社仏閣でお守りを購入することと似ているとする。買うという事で安心をしているのであり、それを咀嚼しているわけではないとする。お守りを買う人は多くても、それの内部を点検するひとは極めて少ないことと似ているとする。
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現代の理論
論壇
現代の若者は保守化しているのか?
「今時の若者」は「今時の中高年」を映す鏡
河合塾講師 川本 和彦
「保守化」を語る前に
世代全員が同じではない――①への回答
年配者もまた然り――②への解答
「下からの」上から目線――現象(1)
「反対」に反対する――現象(2)
個性を求められて没個性化する――現象(1)の背景
コミュニケーションというものへの誤解――現象(2)の背景
より低次元のお話
左翼・リベラルの問題点あるいは構造的欠陥
先日、新幹線に乗った時耳にした、後ろに座っていた老夫婦の会話。
「ねえ、やっぱりダイスケは会社辞めないほうが良かったんじゃないの」。
「昨日さあ、何で福神漬け買ったんだ」。
……会話が全然かみ合っておりませぬ。よく夫婦でいられるなあと思ったが、長年連れ添った同世代でもこういうことがあるのだ。まして私と年齢差が大きい若者を理解し、これを説明するのはかなり無謀なことであるのだが、予備校で若者と接している経験から感じること、思うことを少しばかり述べてみたい。
「保守化」を語る前に
「現代の若者は保守化しているのか?」という問いに対する答えはソーゴー的・フカン的に見て「イエス」である(もちろん例外はある)。ただし、この問いは2つの点で不完全である。
①「現代」の若者は保守化しているのか?
では「現代」ではない、昔の若者は保守的でなかったのだろうか。そして「昔」とはいつのことなのか。まさか安土桃山時代のことではあるまい。ま、ここでは一応、全共闘世代からバブル世代が若者であった「昭和時代」の後半を対象としておこう。
②現代の「若者」は保守化しているのか?
では「若者」ではない、現代の中高年、後期高齢者は保守化していないのか?「自分たちは保守ではない。革新的だ」というのは、思い込みに過ぎないのかもしれませんぜ。
本稿では①・②について検討を加えた上で、若者の保守化とされる現状と背景について述べていきたい。
世代全員が同じではない――①への回答
今、あなたが読んでいるこの媒体の執筆者・編集者は概ね大卒のホワイトカラーであるだろうし、読者であるあなた自身も、ほぼそうであろう。はばかりながら、私もそうだ。
当然ながら私たちは、同世代のすべてを知っているわけではない。義務教育の公立小中学校まではともかく、高校や専門学校、大学などの進学、そして就職によって、同世代であっても分断されていく。
確かに昔の若者はデモに参加するとか、選挙で野党へ投票するとかいうことが多かった(とあなたは感じている)かもしれない。ただ、高度成長期の大学進学率は10%強であり、現在の約55%とは大きな開きがある。学生運動が盛んな時代、大学生でない若者は案外保守的であったのかもしれない。
安倍晋三の祖父にあたるA級戦犯は、「国会議事堂の周辺にはデモ隊が大勢来るが、神宮球場にもたくさんの観客が入っている」とか何とか言っていた。左翼・リベラルの皆さんは昔も今も後者、「神宮球場の観客」を意図的に無視しているのではないだろうか。
年配者もまた然り――②への解答
各種選挙における投票の出口調査を見ると、確かに若年層は自民党への投票が比較的多い。とはいえ、若年層は投票率が低いのも事実である。大政党が有利となる小選挙区制や野党勢力の分裂ということを差し引いても、安倍長期政権を支えてきたのは、まじめに投票する中高年層でもあったのだ。
「# Me Too」のような女性の行動を揶揄する中高年、選択的夫婦別姓や同姓婚を認めるべきだという主張に嫌悪感を示すジジババは、掃いて捨てるほどいるではないか。若者がそういう世代の延長線上にいることを、忘れるべきではない。
以上の前提を踏まえて、若者の保守化について考える。
保守化を単純に定義すれば、「現状維持を望む」「変革を求めない」ということだろうし、前近代的・封建的だった過去を懐かしむ心情も含まれるだろう。
不健全なナショナリズムという面も、無視することはできない。
ここでは、若者と接していて特に感じることを2点述べたい。
「下からの」上から目線――現象(1)
私が教える科目は、「政治・経済」「倫理」「現代社会」である。
授業で「実質賃金が下がり続けているのは、先進国では日本くらいなものだ」という話をする。そうすると「賃金を上げると、企業の利益が減って困るんじゃないですか」と言いに来る生徒がいる。別の授業で「生活保護を受ける資格があるのに、役所の窓口で追い返される人がたくさんいる」という話をすると、
「生活保護って、税金の無駄じゃないですか」と言う生徒もいる。税金を払ってもいないくせに!
こういう生徒は、概ね学力が低い。従って失礼ながら、将来は大企業の正社員や高級官僚になる可能性も、現時点ではかなり低い。それがあたかも自分が大企業の経営者のような「勝ち組」(これは古い言い方だな。今なら「上級国民」)になったかのような物言いをするケースが、21世紀以降に目立つ。
「反対」に反対する――現象(2)
これはむしろ学力が高い生徒に多く見られるのだが、例えば「野党の人って、どうして自民党の邪魔ばかりするんですか」「マスコミは自民党の悪口ばかりですよね」という声を聞く。読売新聞・産経新聞はマスコミに入らないらしいね。
テレビの露出度は、どうしても上級国民が多い。報じる大手メディアの正社員も同類だから当然の帰結ではあるが、自民党総裁選の報道に比べて、野党第1党代表選は何と扱いが小さかったことか。自民党幹事長の放言と、非正社員シングルマザーの悲鳴が、同じ扱いを受けることはない。
若者(に限らないが)は、露出度が高いだけで「何かよくわからんけど、この人たち頑張ってる」と思うらしい。従って、これに対する批判者は「頑張ってる人たちを邪魔する、まじウザい、むかつく存在」に見えるということなる。
次に、このような状況の背景について考えてみたい。
個性を求められて没個性化する――現象(1)の背景
とにもかくにも、現代は個性を求められる時代である。学生は就職活動で必須のエントリーシートに、自己分析の結果として見えてくる自分の個性を書かなくてはならない。
子どもに対する親の要求も、昔とは変化してきている。昔はひどかったのでございますよ。「人並みに」「世間様に迷惑をかけないように」などと言うのは良心的であって、「いい学校、いい会社に入りなさい」「あんたのためを思って言ってるんだから」と言う親が、今よりは断然多かった。これに対する反発もあってか、「好きなことをして生きていけばいいよ」「(進学・就職について)自分の個性を生かしなさい」という親が、確実に増えている。
実は「個性を生かして生きろ」というのは、かなり無責任である。個性と才能は違うはずだが、目に見える、自覚できる個性というとどうしても「個性=才能」と思っても不思議ではない。しかし、将棋の藤井君やサッカーの久保君ではない多くの若者は自己分析をしようとしまいと、自分に特別な才能はない、つまり個性はないと認める方向に追い込まれてしまう。
若者としては、そのことを認めるのが嫌なんだな。「オンリーワンの自分には何もない」ということは、とてもではないが許容できることではない。そうなれば若者に限らず、「日本に生まれて日本で生きている自分」くらいしか誇るもの、自分が拠り所とするものはないだろう。自己肯定感が低い若者を、メディアが巧みに誘導している面もある。その日本の経済を、政治を動かしているように見える自民党を支持するのは、必然であろう。そしてこの類の誇りは、「日本人でない人々」を必死になって差別することで、辛うじて維持できるレベルのものでしかない。
コミュニケーションというものへの誤解――現象(2)の背景
個性と同様、とにもかくにもコミュニケーション能力を求められる時代である。ゼミを持つ大学教員の話では、ゼミ員多数と少しでも異なる意見を述べる学生は、1年に1人か2人しかいないそうだ。そういう学生には「空気を読めない奴」というレッテルが貼られる。まして周囲と180度異なる意見を述べる学生は、3年に1人いるかいないかだという。このような学生にはコミュニケーション障害、略してコミュ障というレッテル、いや刻印がなされる。こういうレッテルや刻印がラインを通じて瞬時に広まるのが、現代の恐ろしいところである。
ヤスパースの実存的交わりや、ハーバーマスの対話的理性などという高尚な話をするまでもなく、本来のコミュニケーション能力とは、「とりあえず仲良しの空気」を共有することとは無関係なはずだ。けれども多数派、少なくとも国会の議席を見れば自民党は文句なしに多数派だが、その多数派を批判する野党やメディアは、若者的にはコミュ障でしかない。新幹線車内にいた老夫婦のように、ダイスケと福神漬けですれ違っているほうが、まだマシなのかも。
それにしても個性とコミュニケーション能力と、両方求められる若者は気の毒だ。
より低次元のお話
しかしながらこれまで述べてきたこと自体が、上から目線という気もする。と言うよりも、「上だけ(見た)目線」かもしれない。
若年層の自民党支持も、その内実は確固たるものではない。もっと低次元のものである可能性がある。
予備校で生徒から出てくる質問には、しばしば絶句させられる。「右翼と左翼はどう違うんですか」なんてのは、ハイレベルな質問です。「自民党と衆議院はどう違うんですか」といった質問を毎年受ける(しかもある程度、学力が高い生徒から)。これって「野球とオリンピックはどう違うんですか」てなものではないか!
こういう若者が投票所の比例代表選挙コーナーで「政党名を書いてください」と言われれば、知っている政党は自民党しかないのだから「自民党」と書くでしょうよ。
ということは野党が、左翼・リベラルが自民党以上の魅力を示して知名度を上げれば、支持と不支持はあっけなくひっくり返るかもしれない。そして、これが最大の難関である。言い換えればそれができないことが、若者を保守化させている最大の原因なのだ。この駄文を読んでいるあなたが、彼ら彼女らを右方向へ追いやっているのかもしれないよ。
左翼・リベラルの問題点あるいは構造的欠陥
貧困なる感性――映画といえば社会派のドキュメンタリーか、せいぜい岩波ホールで上映するような途上国の映画しか見ない左翼がいる。くだらないからと言ってテレビを見ない、見ても報道ステーションだけ、みたいなリベラルもお見受けする。
私もそういう映画や報道番組は、かなり見る。けれども同時に、例えば映画「スター・ウォーズ」にわくわくする感性、テレビドラマ「私の家政夫ナギサさん」にほっこりする感性も必要なのではないか。こういう感性がなく、従ってこういう話題で会話ができない左翼・リベラルこそコミュ障である。
音楽だと音楽性、例えばメロディーの美しさに感動するのではなく、平和を訴えたからジョン・レノンが好きだとか、ベトナム戦争の反戦歌を歌ったからボブ・ディランを評価する、という左翼・リベラルもまた同罪。あいみょんの「裸の心」を聴いて切ない(:_;)とは思わないのか。それ以前に、あいみょんを知らないか。知らないだろうな。
右翼の単なる裏返し――生まれる前のことに詳しくはないが、戦前この国には国防婦人会なるオバ様団体があって、パーマネント(これは古いな)の乙女(もっと古いな)を「この非常時に!」といじめていたそうな。このオバ様たちは、自分たちを正しいと信じて疑わなかっただろう。
左翼・リベラルにもそういうところがあるように思う。私はデモというものが、どうにも苦手だ。市民マラソンランナーなので、歩くより走る方が性に合う。いや、そういうことじゃなくて、「安保法制フンサーイ」「原発ハンターイ」と絶叫している人が、怖い。この人は自分の正しさを少しも疑っていないなと感じる。
正しいと信じて行動することを否定はしない。でもそこに1%でも、いや、0.001%でも疑い、自問自答があってもいいのではないだろうか。原発ができたおかげで、出稼ぎに行かなくても暮らしていけるようになったという福島県・飯坂温泉の旅館経営者が、「原発反対なんて気楽に言えて、都会の人はいいね」と言うとき、どう応えるのだろうか。無視しそうな気がする。
反対意見の持ち主を全否定するのであれば、ネトウヨと同次元である。相手はなぜそういう意見を持つに至ったかまで思いをはせるべきであると、これは自戒をこめて言いたい。
いつの時代も年配者は、「いまどきの若者は…」とぼやいていたらしい。それをみっともないとは思わない。若者はある意味、自分たちを写す鏡である。鏡を真摯に見つめることは、必要だと思う。
その前に、自民党と衆議院の違いを教えなくてはならないのだが…。
かわもと・かずひこ
1964年生まれ。明治大学政経学部卒業。日本経済新聞記者を経て現在、河合塾公民科講師。著書に『川本政治・経済講義の実況中継』(語学春秋社)など。
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2019年3月5日 YAHOO!JAPANニュース「なぜ右傾化する高齢者が目につくか―「特別扱いは悪」の思想
秋葉原での外国人排斥デモ(2015.5.17)
右傾化する高齢者が目立つようになっている。
ところが、現在の60~70代は若者だった50年前、極めて進歩的とみなされていた。
この大転換は、この世代に強い反権威的な傾向だけでなく、誰かが特別扱いを受けることへの拒絶反応によって生まれたとみられる。
少し前のことだが、「右傾化する高齢者」が一部で話題になった。とりわけ60代後半から70代前半のいわゆる団塊世代の場合、若い頃にむしろ進歩的だった人でも右傾化しやすい素地があるとみられる。そこには、この世代で特に強い「反権威主義」がある。
高齢者は右傾化しているか
一時、「右傾化する若者」がクローズアップされた。これは日本に限らず、外国人や少数者に対するネット上でのヘイトや抗議デモなどで若者が目立ったのがその一因だろう。
ところが、その一方で、高齢者の右傾化もしばしば指摘されるようになっている。一昨年、朝鮮学校への補助金交付に賛成した(一部はデマだった)という理由で、複数の弁護士に大量の懲戒請求が送られた事件では、逆に威力業務妨害などで提訴されて謝罪や請求撤回に追い込まれた人に60〜70代が目立ったという。
もちろん、あからさまに排外主義的な言動をする者はどの世代にもおり、高齢者が全員右傾化しているわけでもない。とはいえ、全体として高齢者の方が保守的なことは、データからもうかがえる。
例えば、平成30年度の内閣府の世論調査で「韓国に親しみを感じる」と回答したのは、18〜29歳で57パーセントを超えていたが、年代が上がるにつれ減少し、60〜69歳で約31パーセント、70歳以上で約28パーセントにとどまった。
同様のことは、海外でも見て取れる。例えば、アメリカでは年齢層が高くなるほどトランプ政権支持者が多い。また、2016年にイギリスで行われたEU離脱の賛否を問う国民投票では、高齢者ほど離脱賛成が目立った。
権威に批判的な世代
「高齢者はもともと保守的」と割り切るなら、これらの結果は不思議ではない。しかし、現在の60代後半から70代前半にかけての世代は、かつて極めて進歩的とみなされていた。
第二次世界大戦後の第一次ベビーブーマーに当たるこの世代は、戦後の自由で民主的な社会の一期生ともいえる。彼らが封建的な気風の強い戦前世代と鋭く対立したのが、1960年代後半から1970年代初頭にかけての大学紛争で、1969年の東大安田講堂事件はその象徴となった。
大学紛争は、当時の大学の機械的な運営や学費値上げなどへの反発に端を発したが、これがやがて官僚支配や大企業による経済支配といった社会の構造そのものへの批判に発展した。その延長線上に、アメリカ史上最もダーティーな戦争の一つベトナム戦争や、日米安保条約のもとでこれを暗に支える日本政府への批判も噴出し、大学だけでなく高校にも余波が広がったのである。
「虐げられた若者の反乱」が起こったのは日本だけではなかった。1968年から1969年にかけて、アメリカの公民権運動やベトナム反戦運動、パリ中心部を占拠した学生運動「5月革命」、そしてソ連の影響下に置かれていた当時のチェコスロバキアで発生した民主化運動「プラハの春」などが、世界各国で同時多発的に発生した。
これらはいずれも、今よりさらに年長男性優位(アメリカではここに白人キリスト教徒という条件がつく)が鮮明だった時代に、「自分たちの声を聞け」という欲求に駆られていた点でほぼ共通する。これは、その後の女性の社会進出や人種差別規制などに結びついた。
スローガンと常識の狭間
だとすれば、なぜ現在、歳を重ねたこの世代に右傾化する人が目立つのか。
少なくとも日本の場合、この世代に変わり身の早い人が目立ったことは、以前からその上下の世代から指摘されてきた。大学紛争で授業を妨害し、デモを行い、果ては警官隊と衝突した人々の多くは、卒業が近づくと見事に社会に順応し、就職活動を行って、その後は企業戦士としてバブル経済に突っ込む日本経済を支えた。
状況をみて自分の生活を優先させることは、常識的といえば常識的だ。しかし、それ以前「明日にも革命が起こる」と言わんばかりだった人々の豹変ぶりは、イデオロギーがある種のファッションに過ぎなかったことを示唆する。この観点からすれば、世の中のセンターラインがずいぶん右に寄った現代、右傾化することはファッションとして申し分ないかもしれない。
ただし、それではただの無節操に過ぎなくなる。(別に右傾化する高齢者を擁護しなければならない義理はないが)たとえ思想的に大きく転換したとしても、そこに何らか基軸はないのだろうか。
二つのヒント
このヒントが二つある。
第一に、マルクス主義歴史学者で労働運動家ダニエル・ゲランの、パリ5月革命に関する観察だ。
「それは直接行動を、決然たる違法行為を、職場の占拠を武器とみなした。…それはすべてを、すべての既存の思想を、すべての既成の機構を告発した…あらゆる権威は辱められ、また、さらには嘲弄された」。
出典:ダニエル・ゲラン『現代アナキズムの論理』, p8-9.
ゲランの『現代アナキズムの論理』はパリ5月革命の前後にフランスで広く読まれたが、彼の観察からは当時の若者が、大きな力で支配されることを拒絶した様子がうかがえる。ここに、権威や年長者に黙って従うのをよしとした戦前世代とは異なる革新性があった。
もう一つは、現代のネトウヨを取材してきたジャーナリスト安田浩一氏の、右傾化する高齢者に関する「かつては『見下ろす差別』が主流だったが、現在は『見上げる差別』が主流になっている」という考察だ。
つまり、右傾化する高齢者(だけではないが)に目立つのは、「在日コリアンなどが特別な扱いを受けるのは不公平だ」という認識とみてよい。
ぶれない一線とは
この二つの考察は、別々のことを言っているようでいて、ある点で近い。それは「特権階級に自分たちが虐げられている」という意識の強さだ。
この視点からすると、1968年当時に批判の対象となった政治家、巨大企業、メディアなどはもちろん特権階級だが、「特別な扱いを認められている」がゆえに少数者もまたそこに収まる。この考え方には「特別扱いは悪」という思想が鮮明だ。
右傾化する高齢者を含むこの世代は、少なくとも法的には自由な発言が認められる時代に生まれ育った一方で、多くの人がそこそこ豊かになれた「一億総中流」と呼ばれる時代を生きてきた。このような横並びが当たり前の時代感覚にさらされてきたことが、わずかな不平等にも不満を感じやすい土壌になっている(こうした思想の持ち主は、「もともとビハインドのある人のスタートラインを前にしなければフェアでない」という発想が限りなく薄く、どうかすると「ビハインドのある方が悪い」という思考になりやすいが、恐らく公共交通機関や病院の支払いで高齢者が優遇されることには何も思わないのかもしれない)。
これに加えて、社会全体で差別に厳しくなったことが、かつてエリート支配を拒絶した人々に「反権威」のスイッチを入れやすくしたとみられる。「少数者には特別な配慮をするべき」、「差別的な言動をしてはいけない」という考え方があらゆる人を拘束するようになったことは、反差別が一種の権威になったことを意味するからだ。これはフェミニストを「全体主義者」と呼ぶ欧米の極右の思考パターンと共通する。
こうして、かつての進歩的な若者が、あえて差別的な言動をする右傾化した高齢者に転身できたとするなら、そこには「あらゆる権威は辱められ、また、さらには嘲弄された」1968年との、ある種の一貫性を見出せるのである。
長い学生生活
権威に一方的に従うのを拒絶すること自体は、近代的な「精神的自立」と評してよい。ただし、それは一歩間違えれば、自分自身の判断や考えを絶対視する独善につながる。
こうして右傾化した高齢者の多くは、(他の世代より)時間的、金銭的な制約が少ないため、気に入らないネット記事を非難罵倒するコメントを長々と書き込んだり、勝手に義侠心に燃えて特定の弁護士の懲戒を求める書類を作成したり、場合によっては平日の昼間からヘイトデモに参加したりすることのハードルが低い。
それはちょうど、余裕のある大学生だからこそ大学紛争に邁進できたのと同じだ。右傾化する高齢者は、50年の時を経て、長い学生生活を謳歌しているのかもしれない。
六辻彰二
国際政治学者
ベスト エキスパート受賞
2024
博士(国際関係)。横浜市立大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。
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