🪗59:─1─なぜリベラル・左派は若者や貧困者の支持を失い弱体化したのか。~No.184No.185 

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   ・   ・   {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 保守対リベラル・左派。
 保守と右翼・右派は違う。
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 飯山陽「かつてのリベラルは自国の貧困層などを守る政策を提示することで支持を得ていました。ところが、今のリベラルは違います。貧困層より外国人を優遇する。外国人を入れることが自国に利益になるというわけです。そのために、貧困層はリベラルを支持しなくなった。自分たちの利益を代弁してくれないから当然です。今や保守のほうが貧困層を守る側に立っています」
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 2026年9月25日 YAHOO!JAPANニュース ABEMA TIMES「「話が長い」「上から目線」…日本のリベラルは嫌われる? 政治学者が指摘する“弱者憑依”とは?「“自分こそが代弁者”のスタンスに違和感」
 日本のリベラルは再び共感を得られるようになるのか
 沖縄県知事選挙で今月、12年ぶりに保守系の知事が誕生した。約15万票という大差で敗れた玉城デニー氏は選挙結果を受け止めるとしながらも「政府の圧力に対して、どう立ち向かっていくか、これからの動きだと思います」と述べた。玉城氏を強く支援した共産党の田村委員長は「高市政権が玉城デニー体制を転覆するためにはどんな手でも使うという姿勢で官邸と自民党がこの選挙に介入した」と発言。これに対しSNS上では「負けたら政府やSNSのせいってそれでいいの?」「違う意見を聞かない姿勢がリベラル離れにつながっているのでは」といった批判の声が広がった。
 【映像】「分析対象にされた」慶應女子が語ったリベラルへの“違和感”
 一方、リベラルを自負する慶應義塾大学の学生・白坂リサ氏が保守的な論調で知られる雑誌『WiLL』を購入し「考え方は違えど興味深い、ワクワクする面白さがあった」とX(旧ツイッター)に投稿したところ、同じリベラル層から批判を受けるという出来事も起き、話題となった。
 本来、寛容や自由を掲げてきたリベラルはなぜ今、「対話できない」と批判されるのか。そして、なぜ選挙でまとまれないのか。『ABEMA Prime』では、日本のリベラルの現状とその行方について考えた。
■「分析対象にされた」——白坂氏が語る批判への違和感
 白坂氏は『WiLL』購入の経緯について、早稲田大学の保守系サークルの前代表・藤井雄太がXに投稿していた文章を読み、共同体の希薄化や現代人の孤独といった問題を保守的な立場から論じていた点に興味を持ったためだと説明する。その藤井氏の原稿が同誌7月号に掲載されていたことを知り、初めて購入したという。
 するとリベラル系論客から「右傾化するリベラル学生」の例として取り上げられ、「思想的変遷を博士論文で分析したら面白いのでは」とコメントされたほか、「差別煽動を行ってきた右翼雑誌を肯定的に持ち上げるのは良くない」との批判も受けた。
 白坂氏は「分析対象にされたことがまず腹立たしかった。対等に意見してくれるならいいんですけど、上から分析されるというのは納得がいかない。問題意識を共有しているなら、どの雑誌に(寄稿が)載っていてもいいじゃないですか」と述べる。
 一方で、藤井氏の論考については一定の共感も示した。「幼い頃から北朝鮮の核実験や尖閣周辺の衝突事件、東日本大震災、コロナといったものが日常としてあったからこそ、若者の危機管理意識が強くなって、昨今の保守化という現象が起きているんじゃないかという分析は、かなり共感しました」と語る。
 これに対し、東京都立大学大学院で社会学を研究する山下佳也氏は、「WiLLを評価するなんて恥ずかしいと言っている人たちは、仲間を失うのが怖いだけの人たちなので、しょうがない」と一定の理解を示す一方、「白坂さんは最近、共同体の中で然るべき位置にいて、人間関係に恵まれていれば幸せに暮らせるという感じの発信が多い。それ自体がダメとは言いませんが、保守なら保守で保守論客としてやっていけばいいだけで、そんなにリベラルにこだわる必要はないのではないか」と指摘する。
 白坂氏はこれに応じ、「リベラリズムが重視する“個人の意志”というものは、何もないところからは生まれない。経験や関係性、その土地の慣習や様式から生まれてくる。そういう関係性を保障するものが保守的な感性から発生するもので、その自覚的な感性をリベラル的な感性が守るという循環構造があると思い、“保守リベラル宣言”のようなことを言いました。保守とリベラルはそこまで対立概念ではない」と説明する。
 白熱する議論の中で、リベラルは「話が長い」と指摘される場面も。白坂氏は心当たりがあるようなリアクションをとったが、山下氏は「おっしゃる通りだが、リベラルの『話が短くなっている』ことも問題。今、一番話が長いのって石破さん(石破茂・自民党前総裁)とかじゃないですか」と指摘した。
■「弱者憑依」がリベラルを蝕む——白井氏の仮説
 指摘されがちなリベラルの課題
 京都精華大学教員で政治学者の白井聡氏は、日本のリベラルが勢いを失っている背景について独自の分析を展開した。白井氏は「弱者憑依」という言葉を用いて、リベラルが抱える問題を指摘する。
 白井氏は、いわゆる“リベラル”の政治家が市民団体の集会などで「弱者のために頑張ります」と繰り返し訴える姿に、強い違和感を持つようになったという。「それは聴衆に対して『あんたたちは弱者だ』と言っているということじゃないですか。弱い、弱い、だから私のような者が助けてあげる。だから私に一票を入れなさいと言っているわけです。面と向かってお前は弱いんだという発言を、失礼じゃないと感じさせる言い方はないですよ」と述べる。
 さらに「この論理でいくと、弱者が多ければ多いほどいいという話になってしまう。本来政治の役割は、困っている人に手助けをして、強くなってもらうことのはずなのに、弱者を弱者のままに留めておく、あるいは弱者に転げ落ちそうな人にどんどんそうなっていくよう誘導してしまうような政治になってしまう。そのように国民にも見えているから、リベラルが弱くなっているんじゃないか」と分析。さらに白井氏は「自分こそが弱者の代弁者だ」というレトリックを使うことで「お前の主張は強者の論理だ」と相手の主張を退けることができるとして、こうした論法が乱用されているとの見方を示した。
 コラムニストの河崎環氏は、左翼的な活動家の親戚に囲まれて育った自身の経験を踏まえ、「彼らは絶対変わらないから、ある意味では筋は通っている。ただリベラルというふわっとした言葉は、戦後ずっと気分として優等生で、この意見を言っている限りはちゃんとした教育を受けてきた人、みたいな使われ方をしてきたと思う」と語る。経済学者の柿埜真吾氏も「リベラルという言葉自体が、90年代にソ連崩壊で理想をなくした人たちが看板を掛け替える形で使い始めた言葉で、そもそも何なのかがはっきりしなかったことが今の状況の一因」と自身の見方を示した。
■「夢のビジョン」なければまとまれない——再生への道筋
 ニューヨークでは“民主社会主義者”のマムダニ市長が奮闘している
 なぜリベラル・左派系の政党は選挙でまとまらないのか。白井氏は「勝てないから分裂するのか、分裂するから勝てないのかという話で、自民党は損してでもまとまった方が得という発想で固まることができる。一方、権力を持っていない側は分配できる利権が少ないため、勝てないとなると対立が起こりやすく、ますます分裂する」とその背景について自身の見方を示す。
 その上で白井氏は「まとまるためには、勝ったらこうできるんだというビジョンをリアルに想像できなければならない。幕末に薩摩と長州は蛤御門の変で実際に戦争するほどの対立関係だったが、幕府を倒して権力を取れるという展望が見えたから恨みを脇に置けた。今も同じで、いろんな違いや過去のいさかいを水に流せるのは、勝ち筋がリアルに見えた時だと思う」と語る。
 山下氏も「現実を直視するだけでは薩長同盟は組めない。現実を遥かに超えた夢があるからこそ現実を乗り越えられる。現実と夢の両方を取り戻す必要がある」と語った。
 柿埜氏は経済的な観点から「ニューヨーク市長選でマムダニ氏が当選した理由の一つは住宅や物価の問題への訴えだが、彼は同時に規制改革も訴えている。経済と人権は切れているわけではない。財産権は一種の人権とつながっている部分がある。弱者の小さなまとまりを集めるだけではなく、社会全体として夢のあるビジョンを示していかないと勝てない」と指摘する。
 白坂氏は「リベラルは制度や秩序からこぼれ落ちてしまった人を救い上げるというイメージがある。私自身、もともとこぼれ落ちた側の人間だという認識があるので、そういう人を救うという考え方は今も信じているし、そうありたい。保守とリベラルは循環してあるべきだ」と述べた。
 この日MCを務めた松陰寺太勇(ぺこぱ)は「権力を取ることが目的になってしまっていて、どういう日本にしたいのかという旗がないと集まれないと思う。それがまとまれない理由じゃないか」と語り、同じくMCの岸谷蘭丸も「何を成し遂げたいのかという明確な未来が見えないと、批判だけが出尽くして建設的なものが出てこない。何を期待すればいいかが分からない、というのが今の状況なのかな」と締めくくった。
 (『ABEMA Prime』より)
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 2月18日 朝日新聞「リベラル層にも届かなくなった日本のリベラル 「正論」よりも未来を
 有料記事
 聞き手・上地一姫
 吹き出しアイコン藤田直哉さんら
 専修大学の岡田憲治教授=2026年2月13日、東京都世田谷区、上地一姫撮影
 リベラル勢力の衰退が言われて久しい。衆院選で自民党が圧勝し、「生活者ファースト」をうたった中道改革連合が大敗した理由や背景について、「なぜリベラルは敗(ま)け続けるのか」(集英社インターナショナル)の著者、岡田憲治・専修大教授(政治学)に聞きました。
 【インタビュー連載】この国のゆくえ
 衆院選で高市首相の率いる自民党が圧勝しました。大きな力を得た政権は、数々の分野で「国論を二分する政策」を推し進めようとしています。国のかたちはどう変わるのか。日本はどこに向かうのか。国内外の識者にインタビューします。
――今回の衆院選では、「リベラル政党」が大敗したと評価されています。
 「小選挙区で野党が乱立すれば自然にこうなるのですが、それだけではありません。リベラルと言われる政治家たちは、正論をぶつ、批判ばかりで具体的な提案もしない人たち、と有権者から受け取られてしまった可能性が高いです」
 「私の知る高校生は、中道改革連合の共同代表たちが話している様子をYouTubeで見て、『ないわー』と反応していました。彼らにとって旧立憲議員のイメージは、正しさを押しつける感じの悪い社会科教師。高齢男性だからというわけではなく、女性議員であっても似たイメージだそうです」
 「リベラルが負けた」では見誤る
――そもそもリベラルとは何ですか。
 「本来は、国家よりも個人、伝統よりも新しい価値観を優先し、公正な競争のために適宜市場に介入する政治思想を指します。今回、中道は抽象的な『人間の尊厳の重視』を掲げていましたが、野田佳彦共同代表はリアルに社会が直面する状況を言語化して、具体的に選択肢を示すことができなかった。これまでコアだった支持者に去られ、潜在的なリベラル層の受け皿にもなりませんでした」
――逆に、高市早苗首相はなぜ支持されたのでしょうか。
 「高市氏は国家権威主義的な政治家です。示した政策のすじが正しいかは別として、『大きな決断をしなければいけない』などと言語化して選択肢を示し、リーダーらしさを強調しました。くらしや将来に不安を抱えた人たちには、『はっきり言う』『逃げない』『変えてくれそう』と映ったようです。有権者は、政治家やメディアが思うほど『リベラルか保守か』という観点で政党を判断していないと思います」
 自民党の開票センターで、当選確実になった候補者名に笑顔で花をつける高市早苗首相=2026年2月8日午後9時42分、東京・永田町の党本部
――今回の選挙結果から、「日本社会が右傾化している」と言えるわけではない、と。
 「権威主義的な国家を求める人たちが大勢を占めているわけではないと思っています。たとえば、リベラル寄りの価値観といえる『選択的夫婦別姓の導入』については、各種世論調査でも『賛成』が上回っています。30代、40代の働く女性たちは、家庭のことを全て背負わされるような20世紀のシステムに戻りたいとは思っていない。単純に『リベラルが負けた』というおおざっぱな表現では、今日起こっていることを見誤ります」
 「自民党が316議席もとっ…
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 2021年9月9日 朝日新聞「寛容になれと不寛容に主張 支持広がらぬリベラル勢力、固定客見誤る
 有料記事
 聞き手・石川智也
 吹き出しアイコン田中俊之さんら
 内閣支持率が低下しても、野党第1党の支持率は1桁台のまま。迫る衆院選で、リベラル勢力は政権批判の受け皿になれるのか。安倍政権下の国政選挙で6連敗した理由は、野党も支持者も潔癖主義に陥っていることにある――。政治学者の岡田憲治さんはリベラル派の立場から、リベラル勢力をそう批判し続けてきた。そして自戒の念から「友を失っても仲間を増やせ」という境地にたどり着いたという。その真意を聞いた。
    ◇
――衆院選に向けて8日、野党4党が共通政策をまとめました。ただ、立憲民主党と国民民主党、支援団体の連合は、共産党との関係をめぐって距離が縮まりません。
 「横浜市長選で事実上の野党統一候補が勝利したことと併せ、弾みをつけたとリベラル陣営は思っているでしょうが、この共闘は『ガラスの結束』です。対等性を欠いた、共産党に一方的に支援させる選挙協力はいつでも空中分解し得ます」
 「互いに譲り合い、選挙区での候補者調整と比例区での統一名簿作成を全国で進めなければ、今回も野党の敗北は目に見えています」
――前回衆院選で、自民・公明両党の得票率計は選挙区も比例区も50%に届かず、野党候補が競合した220余りの選挙区のうち、その得票計が与党候補を上回った選挙区は60以上ありました。
 「つまり小学生にもわかる必勝法があるのに、ゲームの仕組みを無視してバラバラに戦い、与党候補に議席をプレゼントしてきたわけです。自民公認、公明推薦の候補に対し野党候補が乱立していたら、最初から勝負あり。有権者は、勝つ気があるのか?と萎(な)えます。小異を捨てて大同につき、仲間を増やし、政策を実現するために政権を目指すという議会政治の本道を踏み外したことをやっているリベラルが、連戦連敗したのは必然です」
 「過半数を取れないまでも、伯仲国会を実現できれば、常任委員会の委員長ポストをかなり獲得できます。審議拒否により定足数を不足させ、委員会を開かせないという戦術も使えますが、いまは委員会を開く与野党交渉すらできない。憲政を破壊しているとしか言いようのないこの8年の政権運営・国会運営を許してきたのは、野党にも大きな責任があります」
 リベラル派の集会で苦言を呈すると強い反発を受けるという岡田さん。今春まで小学校のPTA会長を務め、義務と負担だらけを変えると筋論でみんなが喜ぶであろう改革を進めたら、一時「周囲は敵だらけ」という状況に陥ったそうです。記事の後半ではその過程で見いだした「政治の原義」について語っています。
 「正しい主張をすれば支持される」という幻想
――しかし、政策のすり合わせが不十分な共闘は、選挙目当ての「野合」との批判を招くのでは。
 「自民党の右派と公明党の政…
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 2024年3月4日 ダイヤモンド・オンライン「「リベラル知識人」はなぜ嫌われるのか?ノーベル賞作家が暴いた欺瞞とは
 東 浩紀: 批評家、作家
 日本の「リベラル」と呼ばれる勢力は、近年勢いを失い続けています。現代の若者も保守化傾向にあり、ネットでもリベラルへの反発が激化するばかりです。なぜリベラルだけが苦境に陥るのか、日本の保守とリベラルの対立の実態から、リベラル勢力の問題を探ります。※本稿は、東浩紀『訂正可能性の哲学』(ゲンロン叢書)の一部を抜粋・編集したものです。
 なぜリベラルは苦境に立たされる?
 日本ではこの10年、左派あるいはリベラルと呼ばれる勢力が退潮し続けている。
 とりわけ、2016年に学生主導の新しい運動だったSEALDsが解散し、2017年に民進党が実質的に解体して以降は、坂を転がり落ちるように支持を失っている。
 けっして与党が支持されているわけではない。2022年に安倍晋三元首相が銃撃されたあと、半年ほどはむしろかつてなく自民党批判が高まった。しかし左派系野党はその批判を支持に変えることができない。ネットでもリベラルへの反発は年々激化している。大学人や知識人の声は大衆に届かなくなった。左派は社会の分断が進んでいるのが原因だというが、それならば保守も同じ条件だ。明らかにリベラルだけが苦境に陥っている。
 なぜそんな非対称性が生じているのか。
 保守とリベラル、本来は対立するものではない
 そもそもリベラルとはなんだろうか。とりわけ、保守と対立するものとしてのリベラルとはなんだろうか。
 保守とリベラルの対立は「右」と「左」の対立に重ねて理解されることが多い。とりわけネットではそのように理解されている。思想史的にはその用法は正しくない。
 保守は「革新」と対立し、社会変革への消極的な態度を示す言葉である。他方でリベラルは「自由」という意味の言葉で、個人と社会の関係を示している。それゆえ保守とリベラルは本来は対立しない。たとえば、個人の自由を重んじるがゆえに、逆に社会の急進的な変革に慎重だという立場は十分にありうる。その場合はリベラルな保守主義者ということになる。
 アメリカの保守とリベラルとの違い
 にもかかわらず、なぜいまの日本では保守とリベラルが対立して理解されているのだろうか。そこにはねじれた経緯がある。政治学者の宇野重規は『日本の保守とリベラル』と題された著作で、次のような説明を与えている。
 保守とリベラルの対立はそもそもアメリカのものである。アメリカの二大政党制では、共和党は「保守」で、民主党は「リベラル」だとされている。ではアメリカでなぜその対立が有効に機能したかといえば、それは、同国では、いわゆる「左」、すなわち共産主義や社会主義が政治的な力をもつことがなかったからである。
 アメリカでは、皆がリベラリズムを支持しているという前提のうえで、古典的なリベラリズムを守る側が「保守」、現代的なリベラリズムを推進する側が「リベラル」だという独特の差異化が成立した。他方で冷戦期のヨーロッパでは、政治はまずはリベラリズムと共産主義の対立によって、つまり右と左の対立によって語られていた。日本はこの点では、アメリカよりヨーロッパにはるかに近かった。
 日本の保守とリベラルは便利なレッテル
 ところが厄介なことに、冷戦構造が崩壊し、「左」の存在感がなくなった1990年代以降、日本でも、皆がリベラリズムを支持しているという前提が曖昧なまま、その保守とリベラルの対立が新たな政治の軸として輸入されることになってしまった。
 結果として、宇野も指摘するように、アメリカ式に保守とリベラルを対立させてはいるものの、実態は「かつての看板だけを替えたものであり、今もなお本質的には『右(保守)』と『左(革新)』の対抗図式が持続していると捉えることも可能」な状況が生まれてしまった(※宇野重規『日本の保守とリベラル』、中公選書、2023年、17頁)。いま日本の若い世代がリベラルと左派をほぼ同義で用いるのはこのためだ。
 以上の経緯からわかるように、いまの日本における保守とリベラルの対立は、じつは保守主義やリベラリズムの実質とはあまり関係がない。かといって冷戦時代の左右対立がそのまま引き継がれているわけでもない。
 ではそれはなにを意味しているのかといえば、両者はじつは、いま人々が漠然と感覚している、政治や社会へのふたつの異なった態度への便利なレッテルでしかなくなっているのではないか。
 宇野は別の著作で次のように指摘している。
 「あえていえば、仲間との関係を優先する立場が保守と、普遍的な連帯を主張する立場がリベラルと親和性をもつといえる。このことは、政治において、共同体の内部における『コモン・センス(共通感覚)』を重視するか、あるいは、自由で平等な個人の間の相互性を重視するかという違いとも連動し、今後の社会を論じていく上での有力な対立軸となるであろう」(※宇野重規『保守主義とは何か』、中公新書、2016年、204―205頁 一部省略)
 この規定は簡潔だが的を射ている。冷戦が終わってすでに30年以上が経っている。共産主義は実質的に終わっている。確かに書店の人文書の棚には、資本主義は終わる、共産主義には未来があるとうたった本がいまだに並んでいる。けれどもだれもそれが具体的な政策につながる言葉だとは信じていない。かつての左右対立は機能していない。そもそも保守と社会変革も対立していない。
 いまの日本では、むしろ保守勢力こそが社会制度の改革を進めている。逆にリベラルは、護憲に代表されるように、しばしば「保守的」な主張をしている。
 ではどこに保守とリベラルの対立の淵源を求めるべきかといえば、もはやそれは連帯の範囲の差異ぐらいにしか現れていないのではないか。ぼくの考えでは、それが宇野が指摘していることである。
 保守とリベラルの対立は閉鎖性と開放性の対立と重なる
 主義主張ではなく、連帯の感覚の対立
 保守もリベラルも抽象的な目標では一致する。
 たとえば弱者を支援しろといわれて反対する政治家はいない。けれどもリベラルはそこで、できるだけ広く「弱者」を捉え、国籍や階級、ジェンダーなどを超えた普遍的な制度を構築しようとする。それに対して保守はまず「わたしたち」のなかの「弱者」を救おうとする。むろん、その「わたしたち」の内実は事例により異なる。「わたしたち日本人」のこともあれば「わたしたち男性」「わたしたち富裕層」のこともある。
 いずれにせよ、そのような共同体を優先させる発想、それそのものがリベラルにとっては反倫理的で許しがたいということになる。他方で保守にとっては、身近な弱者を救わなくてなにが政治だということになろう。いまの日本の保守とリベラルの対立は、抽象的な主義主張の対立としてというより、そのような連帯の感覚の対立として捉えたほうが理解しやすい。
 これは、いまの日本で使われている保守とリベラルの対立が、(本書でいう)閉鎖性と開放性の対立にほぼ重なっていることを意味している。保守は共同体が閉じていることを前提としている。そのうえで仲間を守る。それに対してリベラルは、共同体は開かれるべきだと信じる。だから保守を批判する。
 それゆえ、ここまで検討してきた開放性をめぐる逆説は、保守とリベラルの非対称性を考えるうえでも重要な示唆を与えてくれる。法や制度は万人に開かれねばならない。それは正しい。だれも反対しない。けれども肝心の閉鎖性と開放性の対立がそれほど自明なものではない。
 現在は左派に階級闘争のような実質的な理念がない。それゆえ、いまの左派、つまりリベラルは、自分たちの倫理的な優位を保証するため、形式的な開放性の理念に頼るほかなくなっている。
 けれども、ここまで繰り返し指摘してきたように、開かれている場を志向すること、それそのものが別の視点からは閉鎖的にみえることがある。これはけっして抽象的な話ではない。現実にいま日本のリベラルは、彼らの自意識とは裏腹に、閉じた「リベラル村」をつくり、アカデミズムでの特権や文化事業への補助金など、既得権益の保持に汲々としている人々だとみなされ始めている。
 リベラルが抱える問題
 そんな意見は一部の「ネトウヨ」が言っているだけだ、と鼻で笑う読者もいるかもしれない。その認識は誤っている。左派への厳しい視線はもはやネットだけのものではないし、日本だけのものでもない。
 たとえば2021年には、作家のカズオ・イシグロのあるインタビューが話題になった。彼は次のように述べている。
 「俗に言うリベラルアーツ系、あるいはインテリ系の人々は、実はとても狭い世界の中で暮らしています。東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回ってあたかも国際的に暮らしていると思いがちですが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていないのです」(※カズオ・イシグロ、倉沢美左「カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ」、「東洋経済オンライン」、2021年3月4日)。
 書影『訂正可能性の哲学』(ゲンロン叢書)
 『訂正可能性の哲学』(ゲンロン叢書)
 東浩紀 著
 イシグロは2017年のノーベル文学賞受賞者で、リベラルを代表する世界的な作家である。そんな彼が漏らしたこの述懐は、現在の「リベラル知識人」たちが、世界の市民と連帯しているかのようにふるまいながら、じつのところは同じ信条や生活習慣をもつ同じ階層の人々とつるみ、同じような話題について同じような言葉でしゃべっているだけの実態を鋭く抉り出している。
 保守は閉ざされたムラから出発する。リベラルはそれを批判する。けれども、そんなリベラルも結局は別のムラをつくることしかできないのだとすれば、最初から開き直りムラを肯定する保守のほうが強い。いまリベラルが保守よりも弱いのは、原理にまで遡ればそのような問題なのではないか。
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🪗57:─3─1995年の国連総会で旧敵国条項は時代遅れになったとする決議で賛成155、反対0、棄権3で採択された。~No.180No.181No.182 

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 2026年9月27日 MicrosoftStartニュース アサ芸プラス「中国が高市首相に前言撤回のイチャモンをつけた国連憲章「旧敵国条項」削除反対…これでいったい何が起きるのか
 © アサ芸プラス
 国連憲章には、第二次世界大戦で連合国の敵だった国々を指す規定が今も残る。いわゆる「旧敵国条項」だ。日本の国名は書かれていないが、日本やドイツなどが対象にあたると理解されてきた。終戦から81年が経ってなお、条文は削除されないまま残っている。この条項が日中外交の焦点として、改めて浮かび上がったのだ。
 きっかけは、高市早苗首相が現地時間9月22日の国連総会演説で、条項の削除を求めたことだ。翌23日、中国外務省の郭嘉昆報道官は、条項には「現在も重要な現実的意義がある」と反発した。ファシズムや軍国主義の再来を防ぐための取り決めであり、日本は憲章の全内容を受け入れて国連に加盟した、というのが中国側の言い分だ。中国外務省は8月以降の会見でも条項を持ち出しており、今回が初めてではない。
 だが、中国も以前はこの条項を「時代遅れ」と認める決議に賛成している。1995年の国連総会で、旧敵国条項は時代遅れになったとする決議が賛成155、反対0、棄権3で採択された。これに中国は賛成票を投じている。
 決議には将来、条文を削除するための改正手続きを始める意向が盛り込まれた。あれから31年。同じ国が「今も意義がある」と言う。その決議で削除が決まったわけではないが、中国は当時の賛成票をどう説明するのか。9月23日の会見では、1995年の決議にはいっさい触れていない。
 条項が今も有効ならば、何が起きるのか。中国は安保理の許可なしに日本を攻撃できるのか、という疑問も出てくる。第53条には、地域的な取り決めによる強制行動について、安保理の許可を要する原則の例外がある。
 第107条は、第二次大戦の結果、連合国側が日本やドイツなどに対して取った措置を、国連憲章によって無効にしないと定める。どちらも中国が、今の日本を攻撃してよいと書いた条文ではない。
 日本政府は一貫して、いかなる国も旧敵国条項を援用する余地はないという立場をとっており、2024年の政府答弁書でもそう明示している。条文が残っていることと、それを実際に使えることは別の話だ。
 決意文書が中国を含む加盟国の合意で採択された
 2005年の国連首脳会合では、国連憲章に残る「敵国」への言及を削除する決意を盛り込んだ文書が、中国を含む加盟国の合意で採択された。それでも条文が消えないのは、決意の表明だけでは憲章を書き換えられないからだ。改正には国連総会で3分の2の賛成を得た上、加盟国の3分の2が国内で批准しなければならない。中国を含む常任理事国5カ国すべての批准が必要だ。
 そのハードルの高さから、日本政府は安保理改革と合わせて進める考えを示してきたが、21年前の合意は今なお、条文の削除へとつながってはいない。
 かつて「時代遅れ」とする決議に賛成し、削除する決意にも加わった中国が、今は条項の意義を強調する。高市首相の演説に続く中国側の反発で、条文が残る問題と、中国の過去の判断と現在の主張との食い違いが改めて浮き彫りになったのである。
 (ケン高田)
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🪗58:─1─中国工作船による日本の海底ケーブル切断計画。日本の安全保障の危機。~No.183 

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 中国共産党の本性は「衣の下の鎧」で、笑顔は本心を隠した仮面にすぎない。
 中国共産党は、日本に対して戦わずして勝つ孫文を仕掛けている。
 中国共産党は、媚中派反米派護憲派に反高市・反保守の蹶起を促している。
 中国共産党は、昭和天皇や皇族を惨殺すべく付け狙っていた日本人の共産主義者・無政府主義者テロリストを支援していた。
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 2026年9月23日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「台湾有事で中国の標的となる日本の生命線「海底ケーブル」実はこんなにも脆弱だった
 ロバート・D・エルドリッヂ(政治学者・台湾外交部フェロー・淡江大学客員研究員・元米海兵隊太平洋基地政務外交部次長)
 日本を支えている目に触れないネットワーク
 第2次高市改造内閣の発足を機に、政府は、日本と日本が関係を持つ諸外国にとっての重要インフラである海底ケーブル問題への対応を、優先課題とすべきである。とりわけ、問題の規模を考えれば、省庁横断的な「政府一体」の取り組みが不可欠となる。
 海底ケーブル問題は複数の省庁と複数の閣僚にまたがっているため、この問題に専念できる「海底ケーブル担当大臣」を時限的に新設する必要さえあるかもしれない。それは、日本がこの問題を真剣に受け止めていることを世界に示すことになる。
 日本の安全は、領海を巡視する艦船、領空を守る航空機、そして数千キロに及ぶ海岸線沿いの監視所に配置された自衛官だけに依存しているのではない。海底に敷設された、ほとんど目に見えないネットワークにも支えられている。
 光ファイバー海底ケーブルは、日本の国際データ通信量のおよそ99%を担っている。金融取引、政府通信、クラウド・コンピューティング、軍事上の連携、産業サプライチェーン、報道、そして日常の電話・インターネットサービスは、いずれも海底ケーブルに依存する。したがって、これらは単なる通信インフラではない。日本の戦略的な生命線であると同時に、最大級の脆弱性の一つとなり得る。
 日本を取り巻く海底ケーブル網 by TelegioGraphy
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 日本が海底ケーブルに依存する背景には、地理的条件がある。島国である日本には、大陸国家が利用しているような、国境を越えて広がる大規模な陸上光ファイバー網が存在しない。衛星は不可欠な予備手段や特殊用途のサービスを提供するが、現時点では、現代の光ファイバーケーブルが備える容量、速度、費用対効果を代替できない。人工知能、データセンター、金融技術、クラウドサービスが拡大するにつれて、日本の大容量国際通信への依存はさらに強まる。
 リスクもまた集中している
 日本は世界の海底ケーブル網における重要な結節点であり、少なくとも20カ所の国際海底ケーブル陸揚げ企業も国際的に重要な役割を担う。NECをはじめとする企業は高度なケーブル製造・敷設能力を有し、日本は米国、フランスと並ぶ世界有数の海底ケーブル製造国の一つとなっている。これは国力の一つであるが、だからといってネットワーク内の弱点を覆い隠すものと考えてはならない。
 脆弱性の一つは、地理的な集中である。多くの国際海底ケーブルは、千葉県の房総半島周辺や三重県の志摩半島周辺など、比較的限られた地域に陸揚げされている。ケーブルを大都市圏や既存の通信インフラに効率よく接続できるため、商業面・技術面では合理的である。しかし戦略面では、問題が起きたとき障害が集中する危険を生む。大地震、津波、組織的な破壊工作、あるいは陸揚げ施設への攻撃によって、複数のシステムが同時に途絶する可能性がある。
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 日本の地震環境は、この危険をさらに増大させる。海底地震、地滑り、強い海流は、広い範囲で複数のケーブルを損傷し得る。2011年の東日本大震災は、現代の通信網に相当程度の冗長性が備わっていることを示した一方、自然災害が電力供給、沿岸施設、陸上回線を同時に襲い得ることも明らかにした。想定される南海トラフ地震も、日本の太平洋岸に沿うケーブル経路や陸揚局に同様の影響を与える可能性がある。
 より日常的な脅威は、漁具や船舶の錨から生じる。国際電気通信連合によれば、世界の海底ケーブルでは年間およそ150件から200件の障害が発生し、その80%以上は、主として漁業や引きずられた錨など、人間の海上活動によって引き起こされている。こうした事故の大半は偶発的なものである。
 台湾危機で標的となる
 しかし、同じ行為を意図的に行いながら、実行者――特に中国やロシア――が事故だったと主張することも可能である。この曖昧さこそ、海底での破壊工作を、攻撃的な「グレーゾーン」威圧の手段として特に魅力的なものにしている。
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 バルト海周辺や台湾周辺で近年発生した事案は、この問題を示している。2025年1月には台湾北部付近で4本の国際海底ケーブルが損傷し、翌月に起きた別のケーブル損傷事件では、台湾当局が中国資本の船舶の船長を起訴した。こうした事件の捜査では、不注意と敵対的意図を区別しなければならないが、公開された証拠だけでは明確な結論を出せない場合もある。それでも、所有関係が不透明で、異常な動きを見せ、または潜在的な敵対国と関係する船舶が繰り返し損傷事案に関与する場合、単なる事故として片づけることはできない。
 台湾または東シナ海をめぐる危機が発生すれば、日本の海底ケーブルが標的となることは疑いない。敵対国は、日本を完全に通信遮断する必要さえないかもしれない。慎重に選んだ複数の経路を切断し、陸揚げ施設を損傷させ、ネットワーク管理システムを攻撃し、あるいは通信の信頼性に対する不安を生じさせるだけで、金融市場を減速させ、物流を混乱させ、自衛隊の活動を困難にし、国民の信頼を弱めるには十分であろう。
 ケーブルの安全保障は、物理的な切断だけの問題ではない。陸揚局やネットワーク管理システムは、サイバー攻撃、諜報活動、サプライチェーンへの侵入にさらされている。ケーブル経路が監視される可能性があるほか、障害や修理作業に関する情報からネットワークの弱点が明らかになることもある。所有権や保守管理の仕組みが複数国の管轄にまたがることも多く、責任関係はさらに複雑になる。国際法上、海底ケーブルの故意の損傷は禁止されているが、係争海域での法執行は困難であり、行為主体の特定も容易ではない。また、既存の平時の権限は、組織的なグレーゾーン活動への対応を想定していない場合がある。
 修理能力も、もう一つの懸念である。ケーブルの修理には、特殊な作業船、訓練された乗組員、交換用ケーブル、そして進入する必要がある海域を管轄する国の許可が必要となる。専用の修理船は世界的にも比較的少ない。大規模な地域災害、または複数システムに対する同時攻撃が発生した場合、日本は限られた修理能力をめぐって他国と競合し、復旧が遅れる恐れがある。戦時には、修理船そのものが脅威にさらされたり、損傷海域への接近を阻止されたりする可能性もある。
 海底ケーブル安全保障戦略を
 したがって、日本には包括的な海底ケーブル安全保障戦略が必要である。
 第一に、ケーブル経路と陸揚げ局の地理的分散を加速すべきである。新たな接続は、従来の房総・志摩地域への集中を避け、九州、北海道、日本海沿岸、そして戦略的に適切な島嶼を一層活用して分散させるべきである。陸揚げ局からの陸上バックホール回線も同様に分散させなければならない。陸揚げ地点を移しても、通信が再び一つの脆弱な経路に集中するのであれば、効果は乏しい。
 第二に、政府は、訓練された乗組員、国内生産部品、交換機材の防護された備蓄を含め、日本が管理できる十分なケーブル敷設・修理能力を確保すべきである。ケーブル修理は、災害対応、サイバー防衛、事業継続計画とともに、国家的な緊急事態訓練に組み込む必要がある。
 第三に、日本は重要なケーブル経路と陸揚地点周辺の海洋監視を強化しなければならない。海上保安庁、海上自衛隊、警察、通信事業者、情報機関には、船舶追跡データ、ケーブル障害情報、不審行動の兆候を迅速に共有する仕組みが必要である。無人潜水機、海底センサー、衛星、人工知能は異常な活動の発見に役立つ可能性がある。ただし、すべてのケーブルを全長にわたって警戒するという不可能な任務を目指すのではなく、最重要地域に監視を集中すべきである。
 第四に、制度上の責任を明確にしなければならない。総務省は電気通信を所管し、海上保安庁は海上法執行の第一義的責任を負う。また、自衛隊は重要な監視能力と緊急対応能力を有する。日本は、通常のケーブル事故がどの時点で国家安全保障上の事案となるのか、その際にどの機関が主導権を握るのかについて、明確な手続きを定めるべきである。
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 最後に、日本は米国、オーストラリア、台湾、欧州のパートナー、太平洋島嶼国との協力を深めるべきである。これには、情報共有、修理体制の連携、共同訓練、信頼できるサプライチェーン、安全な地域ケーブル網の整備支援を含める必要がある。低軌道衛星システムを含む衛星通信は、緊急時の冗長性を提供すべきであるが、光ファイバー海底ケーブルの代替ではなく、補完手段として位置づけなければならない。
 かつて日本は、インフラ政策の主要な判断基準を経済効率に置いていた。しかし現在の安全保障環境が求める基準は、それとは異なる。すなわち、強靱性である。冗長化された経路、予備容量、専用修理船は、平時には高価に見えるかもしれない。しかし、自然災害や意図的な攻撃が発生すれば、その価値は計り知れない。日本の海底ケーブルを守るということは、究極的には、最も困難な状況下でも国家が通信し、統治し、貿易を行い、自国を防衛し続けられるようにすることである。ケーブルはほとんど目に見えないが、戦略的に見過ごされる存在であってはならない。
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 9月23日 MicrosoftStartニュース kangnamtimes「「次の戦場は海底だ」ドローン戦争がついに潜る…150万kmの海底ケーブル巡り各国が争奪戦
 織田昌大
 ウクライナ戦争で空を覆ったドローン競争が、海中へと広がっている。世界全体で150万kmを超える海底通信ケーブルや送電線、エネルギーパイプラインを軍艦や潜水艦だけで常時監視するのは難しいとの判断から、各国や防衛企業が自律型無人潜水機(AUV・水中ドローン)や海底センサー、通信技術の開発への投資を拡大している。相手国の水中ドローンを探知・追跡・識別する任務まで登場し、海底が新たな軍事競争の場として浮上している。
 米CNBCは19日(現地時間)、海底通信ケーブルやエネルギー施設を狙った破壊行為への懸念が高まる中、政府や企業が海底の監視・防衛技術の確保に乗り出していると報じた。
 各国の警戒を高めた代表的な事件が、2022年9月にバルト海の海底で起きたノルドストリームのガスパイプライン爆発だ。ロシア産天然ガスをドイツに送るために建設されたガスパイプラインが爆発で損傷し、調査当局は意図的な破壊行為と判断した。北極圏や台湾周辺でも海底インフラの損傷事例が相次ぎ、冷戦終結後、比較的注目されてこなかった海底施設の脆弱性が改めて浮き彫りになった。
 通信市場調査会社テレジオグラフィーによると、2026年初めの時点で世界で運用されている海底通信ケーブルは150万kmを超えるという。これに石油・ガスパイプラインや国家間の電力網、洋上風力発電所から陸上に電力を送る海底送電線まで加わり、保護すべき範囲はさらに広がっている。
 問題は、この巨大なネットワークすべてを軍艦や潜水艦で守ることはできないという点にある。多くの海底インフラは民間企業が所有・運営してきたため、これまでの役割は維持・保守や偶発的な損傷への対応が中心だった。しかし、意図的な破壊や戦時下の状況にまで備える必要があるとの要求が高まり、政府や軍の役割も同時に大きくなっている。
 英国王立国際問題研究所(チャタムハウス)の上級研究員であるカトヤ・ベゴ氏はCNBCに対し、「我々の経済全体がこうしたインフラの上に成り立っている」と述べ、脅威を取り巻く環境の変化が海底の問題を前面に押し出したと指摘した。ベゴ氏は、冷戦後、長年にわたり海底防衛がなおざりにされてきただけに、現在は大幅な「遅れを取り戻す」必要がある状況だと説明した。
 ウクライナ戦争で遠隔操作される空中ドローンが戦争のあり方を変えたことも、海底技術の開発を促している。ベゴ氏は、海と海底が無人・自律システムが拡大する「次の戦場」になると表現した。
 引用:韓国水産資源公団
 防衛業界も急速に動いている。イタリアの造船会社フィンカンティエリは7月、水中・水上ドローンや海洋測量、海底通信の能力を強化するため、関連企業4社の支配持分を取得するのに約6億ユーロ(約1,080億5,000万円)を投じると明らかにした。
 フィンカンティエリの最高経営責任者(CEO)であるピエロベルト・フォルジェロ氏は、100年以上にわたる潜水艦製造の経験を基盤に、従来の大型潜水艦中心の事業から、小型潜水艇やドローン、海底通信までを網羅する分野へ事業を拡大する構想を示した。将来的には、水上艦艇が「母艦」の役割を担い、海底面と水中を行き来する複数の無人システムを指揮する形も提示した。
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 9月26日 MicrosoftStartニュース 共同通信「【独自】中国、尖閣沖EEZ内を集中調査 「柵状」に航行、情報収集か
 中国自然資源省所属の海洋調査船「向陽紅22」=7月(海上保安庁提供)
 © 共同通信
 中国政府の海洋調査船が3~7月、沖縄県・尖閣諸島西側の日本の排他的経済水域(EEZ)内で、南北約66キロ、東西約11キロの長方形の海域を柵状に塗りつぶすように航行して集中的な調査活動を行っていたことが26日、共同通信による船舶自動識別装置(AIS)の航跡データ分析で分かった。中国が台湾有事を見据え、この海域で海底地形などの情報を収集している可能性がある。日本政府もこの動きを確認、外交ルートで抗議するとともに警戒を強めている。
 尖閣を含む南西諸島沖のEEZでは今年、海洋調査目的とみられる中国調査船の航行が急増。25日までに13件に上り、6件だった2025年から倍増した。日本の外務省は、沿岸国に事前の同意を得ない科学的調査は国連海洋法条約に違反するとしている。
 航跡データによると、中国自然資源省所属の海洋調査船「向陽紅22」は3~7月の計5回にわたり、尖閣諸島の西約50キロの海域を航行。5回の航跡をつなぐと、地図上に長方形が現れた。
 尖閣諸島周辺の中国調査船の航跡
 © 共同通信
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 9月24日 YAHOO!JAPANニュース 産経新聞「日本の中国脅威論は「対中偏見や蔑視が原因」Xで物議を醸した薛剣大阪総領事、挨拶で批判
 建国77周年祝賀レセプションで参加者と話す薛剣氏=9月24日、大阪市
 中国の薛剣(せつ・けん)駐大阪総領事は24日、大阪市内で開催した建国77周年祝賀レセプションであいさつし、「日本側が中国をこれまでにない『最大の戦略的な挑戦』とみなしていることには強い疑問を抱かざるを得ない」と言及した。その原因として「明治維新以来、日本社会に根付いている対中偏見や蔑視にあると考える。これらが、日本国民による中国への正しい認識を著しく妨げている」と批判した。
 その上で、「中国は脅威ではなく、尊重し親しむべきパートナーである。中国をありのままに理解することこそが、日本にとって最大の安全保障となる」と述べた。
 薛剣氏は2021年6月に着任。昨年11月、高市早苗首相の台湾有事を巡る国会答弁にXで「勝手に突っ込んできたその汚い首は一瞬の躊躇(ちゅうちょ)もなく斬ってやるしかない」と投稿して物議を醸した。」
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 9月24日 YAHOO!JAPANニュース 産経新聞「駐日中国大使が日中関係「正常化」へ「見識ある人々」の努力求める 都内で建国記念式典
 9月24日、都内で開いた中国建国77年の祝賀式典であいさつする呉江浩駐日大使(田中靖人撮影)
 中国の建国を祝う在日中国大使館主催のレセプションが24日、都内で開かれた。呉江浩駐日大使はあいさつで、現在の日中関係は「厳しい情勢にある」とした上で、関係を「正常な軌道」に戻すために「双方の見識ある人々が積極的な役割を果たすよう期待する」と述べた。
 呉氏は「台湾問題は中国の核心的利益の核心」だとし、日中間の「4つの政治文書」に反する「言論と行動」によって「両国関係の政治的基礎が深刻に破壊された」と述べた。間接的に台湾有事を巡る昨年11月の高市早苗首相の国会答弁を批判した。その上で、日中双方の「見識ある人々」に「当面の難局を克服する」努力を求めた。
 中華人民共和国は1949年10月1日に建国された。式典には、日中の政財界などから約1400人が参加。日本側から日中友好議員連盟の森山裕会長(前自民党幹事長)や日本国際貿易促進協会の岩屋毅会長(前外相)らが出席した。(田中靖人)
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9月24日 YAHOO!JAPANニュース 文春オンライン「「中国経済は破綻寸前?」「習近平は孤立無援?」日本人が抱く〈大きな誤解〉を国際政治学者・佐橋亮氏が一刀両断する
 国際政治学者の佐橋亮氏が、「底線」という言葉を軸に国際情勢を考える連載「 底線思考 」。第3回では中国の現在地について考察した。
 ◆◆◆
 中国への日本人の誤解
 習近平 Ⓒ時事通信社
 日本には、中国に関して三つの負のイメージがあるように見える。実のところ、中国専門家ですら、こうしたイメージを繰り返し再生産したりもする。第一に、中国経済は破綻に向かっている。第二に、中国では権力闘争が常に激しく、また最近では軍との関係にも緊張が見られ、それが危機につながりかねない。第三に、国際的には孤立を深めている。こうした決めつけは、必ずしも正しくない。今回は中国の実像に迫ってこれらのイメージを検証する。そこから見えてくる本当の中国の危うさは、習近平の下で国家の物理的な強靭さを高める一方で、判断の修正を行うための柔軟さに欠け、世界情勢の見極めにも誤算の余地を残すことにある。それが私たちの底線を破りかねない。
 中国経済は、確かに近年、全てが順風満帆というわけではない。不動産がその典型例だ。しかし、依然として強さもある。科学技術のエコシステムは、アメリカが舌を巻くほど良く構築されている。中速に成長する製造・技術大国と、低温の家計・不動産・民間経済が同居していると考えるのがよいだろう。
 GDP成長率は、今年上半期で4.7%。付加価値額でみると装備製造業は9.3%増、ハイテク製造業は13.3%増である一方、不動産開発投資は減少し、民間投資やインフラ投資も減少を見せている。それは、中国政府自身が認めているところだ。
 中国経済の強み
 しかし、戦略産業の生産力、外国企業を引き留める競争環境は確かなものだ。中国の製造業の付加価値シェアは2024年に世界の32%に達している。多国籍企業は、中国内に残りつつ、中国外にも拠点を増設するように動いている。中国市場向けの事業は中国内部で完結させ、中国外の市場向けには、中国以外の供給・生産能力を増やす。そして中国内では、中国企業との連携を深めている。一見すると矛盾したこの動きの背景には、「中国で戦わなければいけない」という強い確信がある。中国が安い生産拠点ということではない。中国で中国企業と競り合うことが、世界で中国企業と競争するための学習の場になると考えている。米中ビジネス評議会は、中国は企業のための「ボクシングジム」のようなものだと表現した。在中ドイツ商工会も、中国に知識と専門性を移転するだけでなく、本国に環流させる双方向の動きを観察した。
 各国が中国を信頼しているわけでなくとも吸い寄せられているのが実態だ。2025年末から本年初頭にかけて英・仏・独・加などの首脳が相次いで訪中した。スターマー(当時)は英首相として8年ぶりの訪中で、アストラゼネカは今後4年で150億ドルの対中投資を表明した。ドイツ首相のメルツは約30人の経営者を帯同し、前任のショルツが使った「システミック・ライバル」という、中国の国際的振る舞いを牽制する表現を避けた。経済安全保障を熱心に説くアメリカでさえ、2026年1月にトランプが講演で「中国を入れてやれ」と中国からの投資に前向きな発言を行ったが、5月の訪中でも多くのビジネスリーダーを引き連れ、習近平との交渉に直接付き添ったとも言われる。
 中国経済の強みは、個別企業の成功というより、技術が産業間を回る仕組みにある。米議会に提出された米中経済・安全保障調査委員会の報告書は、これを「イノベーションが連動するフライホイール(弾み車)」と呼ぶ。たとえばEVで磨かれたバッテリー、モーター、冷却系、低価格部品、自動運転ソフトは、ヒューマノイドロボットへ転用される。中国製部品を使えばロボットの単価を3分の2削減できるとの試算もある。研究室の発見を工場へ移し、工場での改良を次の産業へ回す。中国の競争力はこの循環の速さにある。
 こうした強い経済力を背景に、中国は世界を惹きつけようともしている。例えば最近では、アフリカの多くの国への関税ゼロ政策が象徴的だ。アジアでも、環太平洋経済連携協定(CPTPP)に非加盟の中国が、2026年5月のAPEC貿易相会合の議長国という立場を利用して、加盟各国を事前の承認なく招く形で「RCEP・CPTPPメンバー対話」を開催した。加盟国の一部は不参加で応じたが、中国がCPTPP加入の正当性を既成事実化しようとした動きとして波紋を呼んだ。中国経済の力は、国家の力だけによるものではないが、その経済力が中国をボトムアップで支えている。
 ※約9000字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア『文藝春秋PLUS』と『文藝春秋』2026年10月号に掲載されています(佐橋亮「 『強靱国家』中国はどこでつまずくか 」)。
・盤石な地位の習近平
・中国は、どこでつまずくのか
・台湾をめぐる最大の誤算
 佐橋 亮/文藝春秋 2026年10月号
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🪗57:─2─旧敵国条項。古い米中同盟と新しい日米同盟。~No.179 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 中国共産党が批判しているのは日本ではなく高市早苗首相であり、高市早苗首相の辞任を求めている。
 日本国内に存在する媚中反米の反高市派・反保守派日本人達。
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 日本の敵とは、軍用機や軍艦、弾道ミサイルなどの兵器で日本を軍事的恫喝する国であり、同盟国とは共同で軍事演習をする国にである。
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 2026年9月25日 YAHOO!JAPANニュース 時事通信「旧敵国条項、新たな火種か 日中関係の立て直し課題 高市政権
 首相官邸に入る高市早苗首相=24日午前、東京・永田町
 高市早苗首相は24日、就任後初の国連総会出席を終えて米ニューヨークから帰国した。
 【ひと目でわかる】内閣支持率の推移
 今後の外交は、厳しい状況が続く日中関係の立て直しが課題となる。首相は11月に中国で開催される国際会議などを通じて改善の糸口を探りたい考えだ。ただ、首相が国連憲章の「旧敵国条項」の早期削除を訴えたことに中国側は反発しており、新たな火種となる可能性もある。
 「旧敵国条項は早急に削除されるべきだ」。首相は22日、国連総会の一般討論演説でこう強調。「70年間にわたり、国連に大きく貢献してきた日本の誇りと名誉に懸けて、強く申し上げておく」とも述べた。
 旧敵国条項は日独伊など第2次世界大戦の「敵国」に対し、安全保障理事会の許可なしに軍事行動をとれるとした規定。2005年に中国を含む加盟国が削除する方針で一致したが、いまだに実現していない。政府関係者によると、首相は自ら演説に加筆するこだわりようだったという。
 これに対し、中国外務省の郭嘉昆副報道局長は23日の記者会見で、「ファシズムや軍国主義が再び平和と安全を脅かすことを防ぐ重要な制度的枠組みだ。今日でも重要な現実的意義を有している」と反発した。
 日本外務省幹部は「条項削除は中国も賛成した」と指摘した上で、「『決議と違うことを言っている』と堂々と発言したらいい」と首相を擁護。日中関係を重視する自民党の閣僚経験者は、「けんかの材料を提供するのはどうなのか」と苦言を呈した。
 一方、首相は17日の会見で、今後の国際会議の際に中国の習近平国家主席と会談する可能性に関し、「国益の観点から冷静かつ適切に対応する」と述べた。年末にかけて、東南アジア諸国連合(ASEAN)とアジア太平洋経済協力会議(APEC)、20カ国・地域(G20)のいずれも首脳会議が続く。
 特に11月に中国・深センで開かれるAPECは習氏が議長を務める。日本政府内では「現状では首脳会談は困難」との見方が多いものの、「ホストだから握手はするのでは」との声も上がる。関係改善のきっかけにできるか、引き続き首相の手腕が問われそうだ。
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 7人に1人が「アンダークラス」の深刻さ~日本が直面する危機の本質(早稲田大学教授・橋本健二)
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 9月25日 YAHOO!JAPANニュース 時事通信「トランプ氏、中国は「同盟国」 習氏「日本軍国主義と戦った」 第2次大戦絡め異例発言
 トランプ米大統領(右)と中国の習近平国家主席=24日、ワシントン(EPA時事)
 【ワシントン時事】トランプ米大統領は24日、中国の習近平国家主席を迎えたホワイトハウスでの歓迎式典で、第2次世界大戦で米中が「同盟国」として共に戦ったと発言した。
 【写真】ホワイトハウスでの夕食会で、トランプ米大統領と握手する中国の習近平国家主席
 当時、米国が連合国の一員として一緒に戦ったのは蒋介石率いる中華民国軍で、毛沢東の共産党軍ではない。米大統領が中国を同盟国と呼ぶのは異例で、発言は物議を醸しそうだ。
 トランプ氏は「共通の利益の追求が、多くの相違を乗り越えて両国民を結び付け、第2次世界大戦ではわれわれを同盟国にした」と語った。習氏はこの発言を受け、日本を念頭に「第2次大戦中、中米はファシズムの侵略に肩を並べて戦った」と応じ、「この歴史を決して忘れない」と強調した。
 習氏は首脳会談後の公式夕食会でも、「80年以上前、中米両国人民は協力して日本軍国主義の侵略者と戦った」と改めて主張。多くの犠牲を伴ったものの「血と炎の中で築かれた友情は世代を超えて受け継がれていく」と訴えた。
 日中関係が冷え込む中、中国側は高市早苗首相が国連総会の一般討論演説で国連憲章の「旧敵国条項」の削除を訴えたことに反発している。トランプ氏が日本を意図して発言したかは不明だが、結果として中国共産党が自らの正統性の根拠として「抗日戦争を担った」とする主張を支援したと受け止められる可能性がある。 
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 9月25日 YAHOO!JAPANニュース TBS NEWS DIG Powered by JNN「【速報】訪米中の習近平国家主席が第二次世界大戦に言及「両国民は日本軍国主義の侵略者に立ち向かった」晩さん会のスピーチで結束アピール
 アメリカを訪問している中国の習近平国家主席は晩さん会で第二次世界大戦に触れ、「両国民は日本軍国主義の侵略者に立ち向かった」と結束をアピールしました。
 【“異例”の歓迎ぶり】習近平国家主席を出迎えたトランプ大統領 双方の思惑と成果は【写真で見る】
 日本時間のけさ、ワシントンにあるホワイトハウスで晩さん会が行われ習近平国家主席がスピーチしました。
 そのなかで、習主席は「トランプ大統領と率直で深い交流を行い、多くの新しい共通認識に達した」と述べ、首脳会談の成果を強調しました。
 また、第二次世界大戦に触れ、「両国の国民は肩を並べて戦い日本軍国主義の侵略者に立ち向かった」と主張。
 「血と火によって鍛え上げられた友情は必ずや世代を超えて継承されていく」と両国の結束をアピールしました。
 さらに、「我々は大国としての責任と果たすべき役割を示し、大国が正しく付き合うための新たな道を模索すべきである」と今後もトランプ政権との関係を重視する姿勢を示しました。
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 9月27日 YAHOO!JAPANニュース 時事通信「日独は「軍国主義の道歩んでいる」 ロシア外相、国連総会で主張
 26日、ニューヨークの国連総会一般討論で演説するロシアのラブロフ外相(AFP時事)
 【ニューヨーク時事】ロシアのラブロフ外相は26日、日本とドイツが「軍国主義と報復主義の道を歩んでいる」と述べ、両国が目指す安全保障理事会常任理事国入りに反対する立場を改めて示した。
 国連総会一般討論で演説した。
 ウクライナ侵攻を巡っては「欧州(諸国)がトランプ米政権が関心を寄せる和平協議をあらゆる手段で妨害している」と主張。ベネズエラやイランへの攻撃に関して米批判を展開し、キューバに対する制裁を解除するよう要求した。 
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 6月25日 YAHOO!JAPANニュース「トランプ「中国は同盟国」発言は異例ではない、間違っているのは日本の反応だ
 写真は夕食会でのトランプ大統領、習近平国家主席(写真:ロイター/アフロ)
 トランプ米大統領の一言が、日本をざわつかせている。
 9月24日、ホワイトハウスで開かれた中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席の歓迎式典。トランプ大統領は「第二次世界大戦では我々は同盟国となった」と述べ、中国で日本軍と戦った米義勇航空部隊「フライング・タイガース」の功績をたたえた。
 習近平国家主席も応じた。式典では「第二次世界大戦中、中米は肩を並べてファシズムの侵略と戦った。この歴史を中国人民は忘れず、米国人民も忘れていない」と述べた。同日夜の晩さん会では、さらに踏み込んだ。
 「80年余り前、中米両国の人民は肩を並べて戦い、日本軍国主義の侵略者に抵抗し、有名な“ハンプ越え”の航空路を切り開いた。抗日戦争の期間、中国の軍民は数百人の米国人飛行士を救出し、数十万人の命を代償とした」(乾杯のあいさつ全文)。
 日本のメディアは敏感に反応した。朝日新聞と時事通信は「異例発言」と報じ、日本経済新聞は「習氏の抗日歴史観に危うい呼応」と見出しを打った。記事のコメントやXの投稿を見ると、トランプ大統領の発言に反感を抱いた人も多いようだ。FNNによると、日本政府内からは「気持ちの良いものではない」との声が漏れ、木原稔官房長官は「引き続き高い関心を持って注視」とコメントした。
 だが、本当に反感を抱く必要はあるのか。本当に「異例」なのか。
 5月にも「同盟国」と言っていた
 実はトランプ大統領は、4カ月前にも同盟国という言葉を使っている。
 5月14日、北京の人民大会堂で開かれた晩さん会の乾杯あいさつ。米政府の公式記録によると、トランプ大統領は「第二次世界大戦の同盟国として、フランクリン・ルーズベルト大統領が勇敢な中国の人々に言及すると、米国での演説では大きな喝采が起きた」と語っている。
 歴代大統領にも前例がある。クリントン元大統領は1998年6月、北京の人民大会堂で開かれた晩さん会で、江沢民(ジアン・ズーミン)国家主席(当時)を前に「第二次世界大戦における我々の同盟」に触れた。1999年4月と2000年3月の演説では「第二次世界大戦で中国は我々の同盟国だった。朝鮮戦争では敵だった」と、同じ一文を2度使っている。
 オバマ元大統領は2015年9月、習近平国家主席を迎えたホワイトハウスの晩さん会で、撃墜された米軍の飛行士を中国の村人がかくまい、食べさせ、傷の手当てをした逸話を紹介した。「同盟」という言葉こそ使わなかったが、戦時の米中の絆を現在の関係につなげる語り口は同じだ。
 そもそも、米国と中国が同じ陣営で日本と戦ったのは歴史の事実である。もっとも、当時の同盟相手は蒋介石(ジャン・ジエシー)率いる中華民国の国民政府で、いまの中華人民共和国ではない。ネット上でも「当時は中華民国」という指摘が相次いだ。ただ、米国は1979年の国交正常化で中華人民共和国政府を「中国の唯一の合法政府」と承認している。米大統領が「中国は同盟国だった」と言うこと自体は、外交の世界ではそれほど突飛な話ではない。
 中国が「同盟」の言葉を欲しがる理由
 では、なぜ中国はこの言葉にこだわるのか。
 中国は日中戦争を「世界反ファシズム戦争の重要な構成部分」と位置づけている。2025年9月3日、抗日戦争勝利80周年の記念大会で、習近平国家主席は「中国人民は巨大な民族的犠牲によって、人類文明を救い、世界平和を守るために重大な貢献をした」と演説した。
 ポイントは、この物語が過去の話で終わらないことだ。
 習近平国家主席は2023年11月、サンフランシスコを訪れた際の演説でこう語っている。「ファシズムと軍国主義を共に打ち負かした後、我々両国は他国とともにサンフランシスコ会議を主導し、国連の創設を助けた」。第二次世界大戦の戦勝国であることは、戦後国際秩序の「創設者」であることを意味する。中国はそう主張したいのだ。
 この論理は、日本と台湾に向けられている。
 2025年10月、中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会は10月25日を「台湾光復紀念日」に定めた。日本の敗戦で台湾が中国に「復帰」したという物語を、統一の正当性に結びつける動きだ。
 そして今回の米中首脳会談の前日、9月23日。中国外交部の郭嘉昆(グオ・ジアクン)報道官は、国連憲章の「旧敵国条項」について「ファシズムと軍国主義が再び国際平和を脅かすことを防ぐ重要な制度的保障」であり、「今日なお重要な現実的意義を持つ」と述べた。前日の22日、高市早苗首相が国連総会の一般討論演説で同条項の「早急な削除」を求めたことへの反論である。
 戦勝国の物語を米大統領の口から語らせる。それは中国にとって、「戦後秩序の側に立つのは中国、裁かれる側は日本」という構図を補強する材料になる。
 もう一つ、トランプ大統領の側の事情もある。トランプ大統領は2025年9月3日、北京の軍事パレードの当日に、自身のSNS「トゥルース・ソーシャル」でこう投稿していた。「習主席は、米国が中国の自由を確保するために与えた膨大な支援と“血”に言及するのか」。今回の習近平国家主席の「米国人民も忘れていない」は、この投稿への返答とも読める。米国の貢献を認めてほしいトランプ大統領と、戦勝国の物語に米国を巻き込みたい習近平国家主席。利害は一致している。リップサービスは一方通行ではなく、交換だったと筆者は見る。
 敗戦国でいい、問題はその後の80年だ
 ここまで見れば、トランプ大統領の発言そのものは「異例」というほどではない。米国には、中国の歴史観に安易に乗らない慎重さを求めたいところではあるが、驚くような話ではない。
 むしろ異例なのは、日本の反応のほうではないか。
 日本が第二次世界大戦の敗戦国であることは事実だ。米国とも中国とも戦い、負けた。相手が中華民国か中華人民共和国かという違いはあっても、そこは誰がどう言おうと変わらない。
 だが、日本が誇るべきはその後だ。平和国家として80年を歩み、国際社会で信頼を積み上げてきた。
 数字もある。シンガポールのシンクタンク、ISEASユソフ・イシャク研究所が2026年4月に公表した東南アジアの有識者調査によると、日本を「信頼する」と答えた人は65.6%で、主要国・地域の中で最も高い。欧州連合(EU)が55.9%、米国が44.0%、中国が39.8%と続く。回答者の41.4%は、日本を「国際法を尊重し擁護する責任ある利害関係者」とみている。かつて日本軍が占領した地域を含む東南アジアの有識者が、いま最も信頼する大国に日本を選んでいるのだ。
 しかも、この主張は政府がすでにしている。高市首相は9月22日の国連演説で、「戦後、先人のたゆまぬ努力と多くの国からの善意の手により、今日の平和と繁栄を築いてきた」「平和国家として国際社会の平和と繁栄に一貫して貢献してきました」と述べ、法の支配に基づく国際秩序を守る立場を打ち出した。
 その2日後、トランプ大統領の一言に日本メディアが「異例」「危うさ」と動揺するのはいかがなものか。
 中国が「反ファシズム戦争の戦勝国」を語りたいなら、語らせておけばいい。日本はその通りだと認めればいい。負けたのは事実だ、と。そのうえで、こう言えばいいのだ。戦後の日本は国際秩序の中できちんとやってきた。そしていま、力による現状変更で秩序に挑んでいるのはどこの国なのか、と。
 80年前の勝ち負けで右往左往する必要はない。問われているのは、次の80年にどちらの側に立つかではないか。
 高口康太
 ジャーナリスト
 1976年生まれ。中国経済、中国企業、在日中国人社会などを中心に『月刊文藝春秋』『週刊東洋経済』『Wedge』『WWD JAPAN』などのメディアに寄稿。『ピークアウトする中国 「殺到する経済」と「合理的バブル」の限界』(文春新書、梶谷懐氏との共著)、『中国“コロナ封じ”の虚実―デジタル監視は14億人を統制できるか』(中央公論新社)、『幸福な監視国家・中国』(NHK出版、梶谷懐との共著)、『プロトタイプシティ 深圳と世界的イノベーション』(KADOKAWA、高須正和との共編)など著作多数。ニュースサイト「The Tokyo Desk on China」を運営。
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 9月25日 YAHOO!JAPANニュース J-CASTニュース「「9条守る」の中身はバラバラ...「解釈改憲」に異議 市民の熟議で2つの改憲案、模擬国民投票目指す
 国会前では「護憲」を訴えるデモがよく開かれる
 自衛のためなら戦争をするのか。それとも、自衛であっても戦争はしないのか――。憲法9条をめぐる議論を、主権者自身の選択として考えようとする「市民による<非戦・交戦>対話プロジェクト」が始まる。発起人らが2026年9月25日、国会内で記者会見を開き、約60人の市民による熟議を経て、「非戦」と「交戦」の2つの改憲案を示す計画を発表した。27年1月には、1万人規模のオンライン「模擬国民投票」を目指す。
 【画像】憲法9条の「本旨と実態の乖離」を年表で示す今井一氏 会見に臨んだ発起人3人
■ルールが曖昧なままでは、時の政権が解釈を拡大する余地が生まれる
 発起人は法哲学者の井上達夫氏、ジャーナリストの今井一氏、政治経済評論家の古賀茂明氏、映画作家の想田和弘氏、弁護士の水上貴央氏、楊井人文氏の6人。会見には今井、水上、楊井の3氏と、呼びかけ人の一人で「辺野古」県民投票に関わった元山仁士郎氏が出席した。
 発起人らが問題視するのは、憲法9条の文言を変えないまま、自衛隊や武力行使についての解釈が積み重ねられてきた「解釈改憲」の現状だ。
 水上氏は、同じように「9条を守る」と言っていても、自衛隊は違憲と考える人、個別的自衛権までは認める人、集団的自衛権も容認する人では、それぞれでその中身が違うと指摘。ルールが曖昧なままでは、時の政権が解釈を拡大する余地が生まれると訴えた。具体的には、
 「主権者が結局何も言えないまま、どんどん(政権が)できることが広がって、自衛隊が軍拡されて戦争に持って行ってしまうかもしれないという状況にある」
 と説明した。
 楊井氏は、現行の条文をどう読むかという議論をいったん脇に置き、まずは「自衛のためでもあっても戦争をするのか、しないのか」という問いに主権者が答える必要があると説明した。
 では、「熟議」の結果、現行の9条を変えない案が出る可能性はあるのか。今井氏は「ありえない」と説明。自衛戦争を認めるにせよ、認めないにせよ、その立場が誰にでも分かるよう明記するには、9条を改める必要があるとの考えだ。ただし水上氏は、市民案を直ちに憲法の条文案にするとは限らず、まずは解釈の余地をできるだけ残さない、平易で具体的な説明を示したいと説明した。
 57人が「熟議」に応募、最年少は高校1年生
 今回のプロジェクトで行われる熟議には、会見当日の朝までに57人が応募。60~70代が7~8割を占める一方、20~30代もおり、最年少は高校1年生だった。男女比はほぼ半々で、居住地は北海道から沖縄まで広がるという。今井氏によると、承諾書が未返送の応募者も12人おり、最終的な参加人数は変わる可能性がある。
 プロジェクトは10月から11月にかけて、全7回のプログラムを予定する。最初の3回は今井氏、想田氏、井上氏による講義と質疑応答。その後、全体や地域別で話し合い、11月12日に最後の全体熟議を行う。地域別の話し合いのうち1回は対面で実施し、過程は録画・録音して公開する予定だ。
 熟議を踏まえ、12月8日に2つの市民案を発表する予定。記録を公開した上で、27年1月10~17日にオンラインの模擬国民投票を行い、広く意見を募る。目標は1万人。結果を公表し、国会の憲法審査会などに、憲法改正のための国民投票の前段階にあたる「予備的国民投票」の実現を働きかける構想も示した。
 プロジェクトには、会議や記録作成、参加者の交通費など、約300万円の費用を見込んでおり、そのうち250万円をクラウドファンディングでまかないたいとしている。
 (J-CASTニュース編集委員 兼 副編集長 工藤博司)
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 9月25日12:30 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済オンライン「高市首相「NY外交」は本当に成功だったのか? 「旧敵国条項」で中国を刺激し「無人の空港」で手を振る「国内向け外交」の限界
 国連総会で演説する高市首相(写真:ブルームバーグ)
 国連総会に出席するため、アメリカを訪れた高市早苗首相。SNSなどを見る限り、その成果を上々と受け止める向きが多いように感じられる。だが、はたして、外交として成功だったのか——。
 【写真あり】ニューヨークに降り立ち、満面の笑みで手を振る高市首相 しかし、その視線の先には…
 今年、日本が国際連合に加盟して70年を迎えた。加盟当時を振り返ると、それまで安全保障理事会の常任理事国として日本の国連加盟に拒否権を行使していたソビエト連邦と1956年10月に共同宣言を調印し、国交を正常化。ようやく日本は国際社会の一員となることができた。
 以降、日本は日米同盟を基軸に、国際協調主義に邁進した。目覚ましい経済成長を遂げる一方で、2000年以降は国連安保理の常任理事国入りを目指したこともあった。
 「世界に平和と安定をもたらし、国際社会が新たな課題を乗り越えて繁栄するうえで、今ほど国連が重要な時代はない。そして、日本は国連のために大きな責任を果たしていく。本日、私はその決意を申し上げるために、この場所にやってまいりました」
 現地時間の9月22日にアメリカのドナルド・トランプ大統領やウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領らと会談した後、国連総会で演説を行った高市首相は、国連という国際舞台で「世界の真ん中で咲き誇る日本外交」を展開しようとしていた。
■高市首相が「触れなかった問題」「触れた問題」
 故・安倍晋三元首相が16年の第6回アフリカ開発会議の開会式で提唱した「自由で開かれたインド太平洋」を進化させ、そのために「エネルギー・重要資源のサプライチェーンの強靭化」「平和と安定に向けた連携の強化」、そして「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序の維持・発展への貢献」という「3つの柱」を訴えた。
 ただし、赤根智子所長など個人のみならず、組織的にアメリカによる制裁という脅威を受けつつある国際刑事裁判所(ICC)については、国際司法裁判所(ICJ)や国際海洋法裁判所(ITLOS)と並べて名前を挙げるにとどまった。
 代わりに強調したのは、発展途上国・地域に対して6700億ドルを超える支援を行い、99カ国に6万人規模の国際協力機構(JICA)海外協力隊を送り込んだ「実績」だった。
 また、GX(グリーントランスフォーメーション)をエネルギー需給構造の強靭化によって一層強化させるとともに、脱炭素化とエネルギー安全保障、経済成長を同時に進めるアジア・ゼロエミッション共同体(AZEC)を通じて、気候変動に貢献することを宣言。さらに、AI(人工知能)をめぐるルール作成の国際的枠組みである「広島AIプロセス」を進め、AIサミットの早期実現も提唱した。
 現在の国際的課題を網羅的に述べる一方で、高市首相は「一歩を踏み出す」ことも忘れなかった。国連憲章の「旧敵国条項の削除」を提唱したのだ。
 「旧敵国条項」とは、第2次世界大戦で連合国と戦った日本、ドイツ、イタリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、フィンランドの7カ国が再度侵略行為を行った場合、安保理常任理事国の許可を受けずに迅速に対処できると定めた条項を指す。
 1995年の国連総会決議で「時代遅れ」として事実上死文化したものとされ、2005年には条文を削除する“決意”を示した国連総会決議が採択された。だが、国連憲章を改正するには、全加盟国の3分の2以上の賛成と批准、そしてすべての安保理常任理事国の同意が必要とされるなど、手続きのハードルは高く、いまだ「旧敵国条項」は削除されずにいる。
 「81年を経た国連憲章も見直されなければなりません。『旧敵国条項』について、2005年には全加盟国首脳の決意として国連憲章から『敵国』への言及を削除するとの国連総会決議が採択されています。この決議に従い、同条項は早急に削除されるべきです。70年間に渡り国連の取り組みに大きく貢献してきた日本の誇りと名誉にかけて、強く申し上げておきます」
■高市首相が「旧敵国条項」で踏み込んだワケ
 このように高市首相が高らかに宣言した背景には、中国への強い対抗心がうかがえる。
 中国は05年に「旧敵国条項」の削除に同意したが、昨年11月の「台湾有事発言」をきっかけに態度を硬化。駐日中国大使館は11月21日、Xに「『国際連合憲章』には『敵国条項』が設けられており、ドイツ・イタリア・日本などのファシズム/軍国主義国家が再び侵略政策に向けたいかなる行動を取った場合でも、中・仏・ソ・英・米など国連創設国は、安全保障理事会の許可を要することなく、直接軍事行動を取る権利を有すると規定している」と投稿した。
 こうした経緯を見れば、「旧敵国条項の削除」を持ち出せば、中国を刺激するのは明らかだった。
 実際、高市首相の国連演説を受けて、中国外務省の郭嘉昆報道官は23日、「日本の現政権は侵略の歴史を否定するだけでなく、再軍事化を加速し、地域の平和を脅かす突出した要因となっている」と厳しく批判。さらに「(旧敵国条項は)再び軍国主義が国際平和の脅威となることを防ぐため、重要な現実的意義がある」と真っ向から対決する姿勢を見せた。
 高市首相はなぜ中国を怒らせる発言を行ったのか。それは内閣支持率のアップを狙ったためだろう。なお、高市首相は国連演説の前にトランプ大統領と約35分間会談し、中国についての意見交換という準備を怠ってはいない。
 そもそも今回の日米首脳会談は、24日に予定された米中首脳会談の内容をうかがうために日本から申し込んだものだった。
 会談の前に各国のプレスの前で、高市首相は9月の内閣改造でアメリカに関わる4人の大臣を留任させたと満面の笑みでトランプ大統領に報告した。これについてトランプ大統領は高市内閣の高支持率に触れ、「大変すばらしい成績を残している。歴史に残るだろう」と賛辞を送り、良好な関係を示して見せた。
 ただ、高市首相はにこやかにトランプ大統領に「ドナルド」と呼びかけたが、トランプ大統領は高市首相を一度もファーストネームで呼びかけなかった。しかも、ほとんど無表情だった。
 日本側の通訳が高市首相の発言を超えて「プレスは退出してください」と述べたのは、ホワイトハウスからCNNなどメディアを追い出したトランプ大統領に対するちょっとした“ご愛敬”だったが、それに応じてトランプ大統領は「聞いただろ」と手で追い払う仕草をした。そして、このとき初めて、トランプ大統領は破顔した。
■高市首相が手を振った「相手」とは誰か
 それにしても、中国に関してトランプ大統領は、つねに高市首相の味方なのか。その答えは、習近平主席が国賓待遇で11年ぶりのアメリカを訪問したときに明らかになった。
 習主席と彭麗媛夫人は現地時間23日、ワシントンD.C.近郊のアンドルーズ空軍基地に到着。トランプ大統領はメラニア夫人とともに2人を出迎えた。大統領が外国の要人を空港で出迎えるのは1962年以来64年ぶりで、その厚遇ぶりがよくわかる。
 これに対して、21日夜にニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港に到着したとき、高市首相は飛行機から出て、大きく手を振った。正面から撮影された映像では、あたかも大勢のアメリカ側の歓迎に応えているかに見えたが、高市首相の背後から広報官が写した写真には、手を振る先に人はいなかった。まるでプロモーション映像を見せられているような気分になる。
 もっとも、日米首脳会談のために訪米した習主席と、国連総会に出席するために訪米した高市首相を同一に考えることはできない。だが、高市政権は2027年度概算要求で内閣広報費として前年度の7億円からほぼ10倍の72億円を計上するなど、「いかに見せるか」に注力している。それを成果につなげるには、金額では計りきれない戦略が必要だろう。
 安積 明子 :ジャーナリスト
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 9月25日 YAHOO!JAPANニュース「高市首相が国連演説で削除を求めた「旧敵国条項」とは? 日本は今、どこの「敵国」なのか
 高市首相が国連総会で行った演説のなかで、国連憲章の「旧敵国条項」の廃止を求める内容があったことが注目されています。
 〝「旧敵国条項」について、2005年には、全加盟国首脳の決意として、国連憲章から「敵国」への言及を削除するとの国連総会決議が採択されています。この決議に従い、同条項は早急に削除されるべきです。70年間に渡り国連の取組に大きく貢献してきた日本の誇りと名誉にかけて、強く申し上げておきます。(高市首相の演説、首相官邸Webサイトより)
 旧敵国条項とは、いったいどういうものなのでしょうか。高市首相の演説の意義と合わせて、お話ししていきます。
 「旧敵国条項」とは?
 旧敵国条項とされる国連憲章の条文は、第53条1項と第107条です(第77条も含むとする説明もありますが、ここでは触れません)。
 〝国連憲章第53条1項 安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の地域的取極又は地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない。もっとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。(和訳は国連広報センターWebサイトによる)
 第53条1項の前半は、「地域的取極または地域的機関」による武力制裁をふくめた強制行動を認めていますが、国連安全保障理事会(安保理)の許可が必要とされています。しかし、この条文の後半では、このことは、「第二次世界大戦中」の「敵国」(第53条2項)には例外とされているのです。
 〝国連憲章第107条 この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。(和訳は国連広報センターWebサイトによる)
 第107条は、国連憲章の規定は、第二次世界大戦中やその直後に、加盟国が敵国に対して行ったことや許可などを無効・排除しないと規定したものです。
 国連憲章では「敵国」を名指ししているわけではありませんが、第二次世界大戦でアメリカやイギリス、中国、ソ連など連合国と戦った、日本やドイツ、イタリアなどが「敵国」(現時点からからみると「旧敵国」)であると考えられています。
 「旧敵国」に対しては、本来不可欠な手続を省いて強制措置を行えたり、国連憲章と矛盾するような取り決めなどを容認する、というのは、日本としては見過ごせない条文です。
 なぜ日本は「国連の旧敵国」なのか
 「日本はアメリカなどと戦ったのであって、戦争が終わってからできた国連と戦ったわけではないのに...」そう考えている人も多いと思います。
 ただ、国連憲章の前文を見ると、異なる見方ができることがわかります。前文は「われら連合国の人民は」という言葉から始まり、「われら各自の政府は⋯⋯ここに国際連合という国際機構を設ける」と結ばれています。
 つまり、日本やドイツと戦って勝った(もっとも国連憲章が採択・署名された時点では、まだ日本は戦争を続けていましたが)アメリカを中心とした連合国が組織化され、国連という国際機構になった、という考え方がうかがえます。
 実際に、国連も連合国も英語での名称は「United Nations」です。連合国の名称をそのまま使用しようというのは、アメリカが先に希望したものだったようです。ソ連は「世界連合」という名称を考えましたが、結局撤回しています。
 ちなみに、中国語で国連は、繁体字では「聯合國」、簡体字では「联合国」と表記します。
 連合国の敵国だった国なのだから、連合国が国際機構化した国連でも敵国になるのだ、という発想が、国連憲章にそのまま残ってしまっているわけです。
 いままでこの条項はどうなっていたのか
 イメージ。AIを使って筆者作成。
 これら旧敵国条項の削除については、かねてより日本はもとより、ほかの国々も主張してきたことです。そもそも、普遍的な平和安全組織をめざす国連の憲章に残るべきものとも思えません。
 そこで1995年、国連総会で、旧敵国条項の削除に向かうとする決議がなされました(「総会決議50/52」)。
 これをもって「旧敵国条項は『死文化』された」、つまり条項は残っているが適用されない条文になった、と説明されることが一般的です(そうではない、という主張もあります)。
 決議がなされた当時の日本の首相は社会党委員長であった村山富市でした。彼はこの年、いわゆる「村山談話」を発表しました。この談話は「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛」を与えたことを認め、「あらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」するものでした。
 外務省「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
 こうしてみると、日本で軍国主義的な考えが強まると旧敵国条項を削除する主張が生まれる、というものではないことは、よくわかると思います。
 それでもなかなか国連憲章から旧敵国条項は削除されません。
 その原因の一つに、国連憲章の改正には、加盟国の3分の2以上の賛成で採択されたのち、すべての安全保障理事会の常任理事国(アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国)を含む加盟国の3分の2以上の批准という、大きなハードルがあるといわれています。
 そこで2005年に国連で行われた「2005年世界サミット」でこの問題が取り上げられ、この成果文書のなかに、旧敵国条項の削除への「決意」が盛り込まれました。
 〝177 我々は、総会決議50/52を考慮し、総会で行われた関連の議論を想起し、国連の創設にかかる深遠な大義に留意し、我々の共通の将来を見つめて、国連憲章第53条、第77条及び第107条における「敵国」への言及を削除することを決意する。(成果文書の外務省による和訳)
 このときの日本の首相は小泉純一郎氏で、靖国神社への参拝などによって日中関係がギクシャクしていた時期でもありますが、そういうこととは別に「2005年世界サミット成果文書」は、国連総会によって無投票で、つまり反対国なしの全会一致によって採択されたものです。
 このような歴史から、日本は国際情勢いかんに関わらず、折りに触れて「旧敵国条項の削除」を訴えていいわけですし、むしろ国連総会のような場での首相の演説には、必ず盛り込んでもいいような内容です。
 旧敵国条項死文化の動きは変えられない
 こう考えると、「死文化決議」から30年以上たった今になって「いや、あれは死文化されてない、生きている条文だ」という主張は、いままでの歴史や議論を踏まえない、強引なものだといわざるをえないことがわかります。
 だから、「旧敵国条項が残っていてもいいんだ、問題ないんだ」と考えてもいいのかもしれません。
 それでも、国際政治の場では、何があるかわかりません。旧敵国条項が利用され、日本やドイツといった「旧敵国」が不利益な立場に追いこまれる「万が一」の可能性を考え、日本はこれからも、旧敵国条項の削除を求めていくべきでしょう。
 むろん、国家の尊厳、国連への大きな貢献という意味からも、必要な主張です。
 こうしたことから、今年の国連総会での演説で日本の首相が旧敵国条項削除に触れたことが話題となるのであれば、それは「日本の首相が」というより「高市首相が触れた」ということの意味のほうが大きいのではないか、と私が思います。
 日本の方針としても、これまでの国連での議論の方向性としても、旧敵国条項の削除が特に新しい主張ではないということは、覚えておきたいことです。
 辻雅之
 政治コラムニスト・予備校講師
 政治コラムニストとして、大手ネットメディアなどでわかりやすく政治を解説。現在は大学受験や公務員試験の大手予備校で政治・経済など社会科学系科目の講師もしている。著書として『ポケット図解 日本の政治がよーくわかる本―永田町の動向を読み解く基礎知識』(秀和システム)。
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 9月25日 MicrosoftStartニュース FNNプライムオンライン「“斬首”発言の中国・薛剣大阪総領事「日本は反中・嫌中の世界チャンピオン」 日中関係「これまでにない厳しい局面」
 “斬首”発言の中国・薛剣大阪総領事「日本は反中・嫌中の世界チャンピオン」 日中関係「これまでにない厳しい局面」
 © FNNプライムオンライン
 中国の大阪総領事が「日本は反中・嫌中の世界チャンピオンになった」などと主張しました。
 中国の薛剣大阪総領事は24日、大阪市内で開かれた中国の建国77周年を祝うレセプションで挨拶し、日中関係について「国交正常化以降、これまでにない厳しい局面に直面している」と述べました。
 そして、「日本は反中・嫌中という点で世界チャンピオンになった」と主張し、「中国は敵視すべき脅威ではなくパートナーだ」と訴えました。
 薛剣総領事は2025年11月、高市総理の答弁を受け、SNSに「汚い首は斬ってやるしかない」などと投稿し、日本政府が強く抗議していました。
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🪗57:─1─旧敵国条項を国連憲章から日本は削除を中国は重要。~No.178 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 中国共産党とロシアは反日反天皇勢力として、旧敵国条項を国連憲章から削除する事に拒否権を行使する。
   ・   ・   ・   
 2026年9月23日7:48 YAHOO!JAPANニュース 産経新聞「高市首相、国連演説で「旧敵国条項の早急な削除」要求へ 国連安保理の変革も訴える意向
 【ニューヨーク=田中一世】国連総会の一般討論演説が22日午前(日本時間22日夜)、米東部ニューヨークの国連本部で開幕し、高市早苗首相は22日夜(同23日午前)に就任後初の一般討論演説を行う。機能不全が指摘される国連安全保障理事会に関し「改革が緊急に必要だ」と訴える。日本など先の大戦の敗戦国を対象とした国連憲章の「旧敵国条項」は「早急に削除されるべきだ」と主張する。
 今年は日本の国連加盟70周年の節目。首相は旧敵国条項の削除について「70年間にわたり国連の取り組みに大きく貢献してきた日本の誇りと名誉にかけて、強く申し上げておく」と強調する。
 旧敵国条項は、「旧敵国」が「侵略政策」を「再現」しようとした場合、安保理決議がなくても武力行使を認める国連憲章の条項。2005年、削除するとの国連総会決議が採択されたが、削除に至っていない。
 首相はまた、戦勝国の米英仏と中国、ロシア(旧ソ連)が常任理事国を務める国連安保理の構成は「1945年(の終戦)当時の国際情勢を反映したもの」と指摘し「現代の国際社会を真に反映した構造への変革」を要求。常任理事国と非常任理事国の双方の拡大を求める。
 ウクライナを侵略したロシアが、非難決議案などへの拒否権を発動している状況を挙げ「安保理は国際社会の平和のために機能していないと言わざるを得ない」と指摘。その上で、トランプ米政権が圧力をかける国際刑事裁判所(ICC)も挙げ、法の支配を重視する日本は「さまざまな国際裁判所を一貫して支持」していると言及する。
 米中が激しい覇権争いを繰り広げる人工知能(AI)のリスクや対策を各国が議論する「AIサミット」の早期の日本開催を提案する。
 北朝鮮による日本人拉致問題の一刻も早い解決を訴え「(北朝鮮と)対話し、具体的に行動する用意がある」と語る。
 首相は21日深夜(同22日昼)、米ニューヨークに到着した。
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 高市首相、日本時間23日午前にトランプ米大統領と会談 ニューヨークに到着
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 9月23日18:36 YAHOO!JAPANニュース 毎日新聞「中国外務省、旧敵国条項は「重要」 高市首相の国連演説に反発
 中国外務省の郭嘉昆副報道局長=北京で2026年5月22日、畠山哲郎撮影
 中国外務省の郭嘉昆副報道局長は23日、日本など第二次世界大戦の敗戦国を対象とした国連憲章の「旧敵国条項」について「戦後国際秩序を守るために重要だ」と主張した。高市早苗首相が国連総会演説で同条項は「早急に削除されるべきだ」と述べたことに反発した。
 【図解】世界情勢を一目で 米中の「敵」と「味方」
 郭氏は記者会見で「日本の現政権は侵略の歴史を否定するだけでなく、再軍事化を加速し、地域の平和を脅かす突出した要因となっている」と述べ、高市政権を批判。そのうえで旧敵国条項を巡り「再び軍国主義が国際平和の脅威となることを防ぐため、重要な現実的意義がある」と指摘した。
 旧敵国条項は日独などを想定した第二次世界大戦の「敵国」に対し、国連安全保障理事会の許可なく軍事攻撃を認める内容。日本外務省は1995年の国連決議でこの条項は既に「死文化」したとして中国側に反論している。【北京・河津啓介】
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 9月23日19:45 YAHOO!JAPANニュース 共同通信「首相、旧敵国条項の削除要求 中国は反対「脅威防ぐ目的」
 【ニューヨーク、北京共同】高市早苗首相は22日(日本時間23日)の米ニューヨークでの国連総会一般討論演説で、日本などを敵国とした国連憲章の「旧敵国条項」は「早急に削除されるべきだ」と求めた。中国外務省の郭嘉昆副報道局長は記者会見で同条項には「ファシズムや軍国主義が再び国際平和と安全の脅威となることを防ぐ」目的があると述べ、反対した。
 首相は演説で、2005年に「敵国」を削除するとの総会決議が採択されたと指摘。「国連の取り組みに大きく貢献してきた日本の誇りと名誉にかけて強く申し上げる」と削除の必要性を訴えた。
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 9月24日 YAHOO!JAPANニュース 産経新聞「維新・藤田氏、旧敵国条項削除に「100%賛同」国連演説を評価「削除してしかるべきだ」
 記者会見する日本維新の会の藤田文武共同代表=9月24日午後、国会内(奥原慎平撮影)
 日本維新の会の藤田文武共同代表は24日の記者会見で、高市早苗首相が国連総会で国連憲章の「旧敵国条項」を削除する必要性を訴えたことについて、「法の支配の価値観を重視した主張だ。100%賛同する」と評価した。中国政府が反発するなか、「中国との対決姿勢の文脈で出てきたものではない」とも語った。
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■既に死文化で合意した条項
 高市首相は22日、一般討論演説で日本が国連加盟から70年間、国際社会に貢献してきたと説明した。第2次大戦の敗戦国を対象とする旧敵国条項について、2005年の国連総会決議に従い「早急に削除されるべきだ」と訴えた。
 これに対し、中国外務省の報道官は、旧敵国条項について「ファシズムや軍国主義が再び国際的な平和と安全に対する脅威になることを防ぐ目的がある」などと主張した。高市政権に対し「再軍備化を加速させている」との見方を示し、削除に反対する姿勢を示した。
 旧敵国条項を巡っては、国連総会が1995年、中国を含む155カ国の賛成、反対ゼロで、既に死文化していると確認した経緯がある。2005年にも中国を含む全加盟国の合意で、条項を削除する決意を盛り込んだ決議を採択している。
■中国との応酬には冷ややか
 藤田氏はこの日の会見で、こうした経緯を挙げて「合意がなされているなら、実態に合わせて削除してしかるべきだ」と指摘した。日本の国連への貢献を踏まえれば当然の帰結だとして、首相の演説を「論理的で、法の支配の価値観を重視した主張だった」と語った。
 中国の対日発信については「主張がかなりエキセントリックに過激化している」とも疑問視した。
 一方、「いちいち反応して同じテンションで打ち返すのがいいのかは政治的な判断だ。主張は聞き置いた上で、われわれはあるべき姿を主張するのが正しい」と述べ、中国側との応酬を過熱させることには慎重な考えを示した。
 高市政権の姿勢については、長年残されてきた課題を整理し、本来あるべき姿に戻すことを目指していると説明した。旧敵国条項の削除要求もその一環との認識を示し、「正しいことを、正すべきタイミングで主張することに尽きる」と語った。(奥原慎平)
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 9月24日 MicrosoftStartニュース 中央日報「日本「敵国条項の削除を」要求に…中国「今も現実的な意味がある」
 23日、国連総会出席のため米国を訪問した高市早苗首相がニューヨークのパークレーンホテルで記者会見を行っている。AFP=聯合ニュース
 高市早苗首相が国連憲章に残るいわゆる「敵国条項」の削除を要求したことを受け、中国が同条項には今も現実的な意味があるとして反発した。
 23日の中国外務省によると、郭嘉昆・報道官は同日の定例記者会見で、高市首相の国連演説に関連して「国際社会は日本が何を言うかよりも、何をしているかに注目している」と述べた。
 郭氏は「戦後の日本の平和国家理念は、歴史に対する深い反省と軍国主義との徹底した決別を土台に築かれた」とし、日本の現政権が侵略の歴史を否定し、軍事力の増強と再軍備を推進していると主張した。
 続いて国連憲章の「敵国条項」について、「ファシズムと軍国主義が再び国際平和と安全を脅かすことを防ぐための重要な制度的措置」とし、「戦後の国際秩序を守る制度的保障として、今日でも重要な現実的意味がある」と強調した。
 その上で日本に対し、「歴史を鏡として深く反省し、実際の行動によってアジアの近隣諸国と国際社会の信頼を得なければならない」と促した。
 これに先立ち、高市首相は22日(現地時間)、米ニューヨークで開かれた国連総会の演説で、第2次世界大戦の敗戦国を対象とした国連憲章の「敵国条項」を早急に削除すべきだと主張した。
 敵国条項は、第2次世界大戦当時、ドイツや日本など敗戦国による軍事的挑発が再発するのを防ぐために設けられた規定だ。
 同条項は国連憲章第53条と第107条などに反映されており、戦時中の敵国が再び侵略行為を行った場合、一定の軍事的措置を認める趣旨で設けられた。
 高市首相は就任後初めて臨んだ国連総会の演説で、敵国条項の削除とともに、国連安全保障理事会の改革の必要性も強調した。日本は、同条項は戦後80年が過ぎた現在の国際情勢にそぐわないとの立場だ。
 一方、中国は最近、日本の防衛力強化の動きや台湾有事の際の介入の可能性を問題視し、敵国条項の意味を繰り返し強調している。
 高市首相が昨年11月、台湾有事の際に日本が介入する可能性を示唆する発言をして以降、中国はこの条項に言及し、日本の軍事的な動きをけん制してきた。
 中日両国が国連憲章の敵国条項をめぐって正面から衝突する中、最近の防衛力増強と台湾問題をめぐる両国間の緊張が国際舞台にまで広がっている様相だ。
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 9月24日 YAHOO!JAPANニュース 産経新聞「駐日中国大使が日中関係「正常化」へ「見識ある人々」の努力求める 都内で建国記念式典
 9月24日、都内で開いた中国建国77年の祝賀式典であいさつする呉江浩駐日大使(田中靖人撮影)
 中国の建国を祝う在日中国大使館主催のレセプションが24日、都内で開かれた。呉江浩駐日大使はあいさつで、現在の日中関係は「厳しい情勢にある」とした上で、関係を「正常な軌道」に戻すために「双方の見識ある人々が積極的な役割を果たすよう期待する」と述べた。
 呉氏は「台湾問題は中国の核心的利益の核心」だとし、日中間の「4つの政治文書」に反する「言論と行動」によって「両国関係の政治的基礎が深刻に破壊された」と述べた。間接的に台湾有事を巡る昨年11月の高市早苗首相の国会答弁を批判した。その上で、日中双方の「見識ある人々」に「当面の難局を克服する」努力を求めた。
 中華人民共和国は1949年10月1日に建国された。式典には、日中の政財界などから約1400人が参加。日本側から日中友好議員連盟の森山裕会長(前自民党幹事長)や日本国際貿易促進協会の岩屋毅会長(前外相)らが出席した。(田中靖人)
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 9月24日 MicrosoftStartニュース 時事通信「日本は反中世界チャンプ=「斬首投稿」後初めて姿―中国総領事
 中国建国77周年の祝賀会であいさつする薛剣・駐大阪総領事=24日午後、大阪市中央区
 中国の薛剣・駐大阪総領事は24日、総領事館主催のイベントで「日本は反中・嫌中の世界チャンピオンだ」と述べた。薛氏は昨年11月、高市早苗首相の台湾有事発言に反発し、SNSに「汚い首は斬ってやる」と投稿して物議を醸した。日本の報道陣に姿を見せたのは騒動後初めて。
 薛氏は、日本が中国を「これまでにない最大の戦略的挑戦とみなしている」と主張。その原因として「明治維新以降、日本社会に根強く残る中国への偏見と蔑視」を挙げた。
 その上で、「中国は決して敵視し排斥すべき脅威ではない」と強調。総領事館の活動を通じ、「中日関係を正常な軌道に戻すための機運を高めていけるよう先導していく」と意気込んだ。
 高市氏の発言や、自らのSNS投稿には言及しなかった。 
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 9月24日 MicrosoftStartニュース 読売新聞「第2次大戦に触れトランプ氏「米中は同盟国」、当時は中華民国…「抗日」巡る中国の言説補強する恐れ
 【ワシントン=向井ゆう子、照沼亮介】米国のトランプ大統領は24日、ホワイトハウスで開かれた中国の 習近平(シージンピン) 国家主席の歓迎あいさつで、第2次世界大戦に触れ、米国と中国について「同盟国(allies)」と表現した。米中が同盟関係にあったのは中華人民共和国ではなく、蒋介石が率いた中華民国の時代だ。米大統領がこうした表現を使うのは異例で、波紋を呼びそうだ。
 トランプ大統領=AP
 © 読売新聞
 トランプ氏は「第2次大戦で、我々が共に戦った偉業を思い出そう。共通の利益に焦点を当てれば、多くの成果をあげられると確信している」と述べた上で、「共通利益の追求が、距離や相違を超えて両国民を結びつけ、第2次大戦で我々を同盟国にした」と語った。
 これに対し、習氏も日本を念頭に「第2次大戦中、中米は肩を並べてファシズムの侵略に立ち向かった。この歴史を中国人民は決して忘れず、米国民もまた忘れていない」と応じた。
 中国は、台湾有事を巡る高市首相の発言後、日本を「新型軍国主義」と呼び、批判を続けている。米中が共に戦ったというトランプ氏の発言は、「抗日」を巡る中国のナラティブ(言説)を補強する材料となる恐れがある。
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🌥2¦ー4ー沖縄県知事選に敗退した過激派・極左勢力。辺野古沖基地反対闘争と三里塚闘争。~No.5No.6 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 沖縄に浸透している中国共産党。
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 2026年9月22日 YAHOO!JAPANニュース ABEMA TIMES「「基地反対では飯は食えない」“赤壁の戦い”沖縄県知事選、事実上の終焉「オール沖縄」衰退の深層
 玉城デニー氏、古謝玄太氏
 沖縄県知事選挙で、3期目を目指した現職の玉城デニー氏(66)を大差で破り、前那覇市副市長の古謝玄太氏(42)が当選した。元総務官僚で、1972年の本土復帰より後に生まれた、初めての知事となる。
 【映像】10秒でわかる「オール沖縄」
 古謝氏を推したのは、自民・維新・国民民主・参政・日本保守・公明党県本部。自民党政権が推す県政は12年ぶり。そして辺野古への現行の移設計画を容認すると掲げた候補が、知事に選ばれるのも、初めてのことだ。
 組んで勝ち、割れて破れる
 ジャーナリストの青山和弘氏は「選挙では基地問題よりも経済問題が大きな争点になった。沖縄でも左右のイデオロギー対立は過去のものになりつつある。」「かつては国が基地を沖縄に押しつけているという沖縄県民の怒りが、保守・革新の垣根を越えた。オール沖縄という大きなうねりは衝撃的だった」
 約1800年前の中国・三国志、いわゆる「赤壁の戦い」では、天下を狙う曹操の大軍に対し、それまで争っていた孫権と劉備が“敵の敵は味方”と手を組み、赤壁で火攻め。大軍を打ち破った。しかし、のちに同盟は割れ、刃を向け合い、結果的に天下を取ったのは、どちらでもなかった。
 組んで勝ち、割れて敗れる。沖縄にもそんな12年間があった。沖縄県知事の座は、本土復帰以降、保守と革新を行き来していた。その両者をひとつの舟に乗せたのが「オール沖縄」だ。時は2014年の沖縄県知事選にさかのぼる。
「オール沖縄」圧勝も…徐々に離脱
 2013年12月、当時の仲井真弘多知事が、辺野古の埋め立てを承認。これに反対したのが、那覇市長だった翁長雄志氏だった。翁長氏は自民党県連の幹事長まで務めた“保守の人”だったが、「イデオロギーよりアイデンティティー」の旗のもと、それまで争ってきた保守と革新、そして経済界が集った。
 翁長氏は「辺野古阻止のためなら、ほかは腹八分、腹四分、場合によっては腹四分でも折り合う」と説いた。その結果、自民党に除名されてまで加わった那覇市議の保守議員や、長く保守と争ってきた社民・共産・沖縄社会大衆党、そして経済界から金秀グループ・かりゆしグループが集い、のちに「オール沖縄」と呼ばれる一大勢力に。そして2014年11月の知事選で、翁長氏は現職の仲井真氏に10万票近い差を付け、36万票あまりで当選。暮れの衆院選でも、4つの選挙区を制した。
 オール沖縄を結んでいたのは「辺野古に反対する」ということ。しかし、同じ舟に乗りながらも行き先はそれぞれ違っていた。呉越同舟、同床異夢の状態だった。
 しかし2018年2月、辺野古のある名護市長選で、オール沖縄が推す現職・稲嶺進氏が落選。金秀グループの呉屋守將会長が、その責任を取ってオール沖縄会議の共同代表を退いた。「なあなあでだらだら続いているようでは、県民の意向に沿った組織として、その任に耐えられない」という趣旨だった。その後の4月には、かりゆしグループも、政党の色が強くなりすぎたと離脱する。
 「基地反対」だけでは難しい状況に
 翁長氏は7月、前の知事の埋め立て承認の撤回を表明したが、8月8日に任期半ばで世を去った。意志を継いだ玉城氏は、9月の知事選で当時史上最多となる39万票以上を集めて当選する。
 2021年、呉屋会長は「基地反対のテーマだけでは沖縄の未来は開けない」と、衆院選で自民候補を支援。2022年には那覇市の城間幹子市長(当時)も「私は保守中道だ」と、自公推薦の後継候補を支持した。
 世間では当時、「もはや“オール沖縄”ではない」との声も出た。青山氏は「基地反対の思いだけで求心力を保つのは、徐々に難しくなっていた」と解説する。
 この時点で保守と経済界の多くが離れ、革新政党が中心に残っていたが、2022年の知事選で玉城氏は再選した。また辺野古の新基地建設を巡って、県と国で争われた訴訟は、和解・取り下げ(4件)を除き、ことごとく県が敗訴した(10件)。
 市長も国会議員も落選し…
 そして2023年12月、国は史上初の代執行に乗り出す。代執行とは、国が自治体に代わって続きを行うこと。埋め立ての設計変更を認めるかどうかの判断を、知事に代わって国が下した。
 2024年6月の県議選で、知事を支えるオール沖縄勢力は、県議会の過半数を割った。そしてこの年の末、大浦湾側で地盤改良工事が始まる。知事の打てる手が1つ、また1つ尽きていった。
 2025年1月、オール沖縄系の市長が、県内でゼロになった。7月の参院選沖縄選挙区では、オール沖縄が支援する高良沙哉氏が当選するも、2026年の衆院選では沖縄2区で、社民党を離れて中道改革連合から出た前職・新垣邦男氏と、社民党が立てた元職・瑞慶覧長敏氏が、ともに譲らず立候補し、自民候補が漁夫の利を得る。
 この衆院選では、県内4つの小選挙区で自民が全勝。オール沖縄の関係者は「本質は何か。みんなが今、見失っている」と話していた。
 古謝陣営は「経済と暮らし」を打ち出す
 そんな中で行われた今回の知事選、焦点が当たったのは何だったのか。辺野古の新基地建設問題は、工事が進む中で前面に出ず、代わって焦点になったのが「経済と暮らし」だった。沖縄の1人当たりの県民所得は、全国で最低水準。失業率も全国で最も高い水準だ。
 古謝氏は1983年、那覇市生まれ。大学時代から知事を志して、その道を固めようと総務省へ入った。4年前の参院選では2888票差の惜敗となり、「正直言って、政治の道は諦めようと思った」と振り返っていた。
 その古謝氏は今回、「残りたい人が残れる、帰りたい人が帰れる沖縄」を掲げた。県民所得と子育て支援の「倍増」を打ち出し、国と協調して経済を伸ばすと訴えた。辺野古については、普天間の危険性を除くための「最も早く現実的な計画」として容認。選挙戦では「誰かのせいにして、今を諦めるのはもうやめましょう」と訴えた。
玉城陣営からも「辺野古はもう無党派層に響かない」
 一方の玉城氏は、2期8年の実績を前に出した。バス通学費・給食費の無償化、子どもの貧困対策、観光を軸にした好調な経済。「誰ひとり取り残さない社会にする」と県政の継続を呼びかける。集会ののぼりには、「現役世代の家賃サポート」の文字が躍った。
 玉城氏は7つの政策の柱に「辺野古反対」は入れなかった。それでも告示日、旧盆の最後に先祖を送り出す儀式「ウークイ」に重ねて、「みんなで力を合わせて、米軍基地、普天間飛行場もウークイしてしまいましょう」と訴えていた。
 しかし、この演説を聴いていた陣営の幹部は、「辺野古は支持者に受けが良くても、もう無党派には響かない」と首を振っていた。保守の側は、立候補の意向を示していた下地幹郎氏が取り下げ、古謝氏に束ねられた。6党の推薦に加え、県内の市町村長の多くが、古謝氏の支援に回ったとされる。
 県民の半数近くが「基地問題」→「経済」へ
 では有権者は何を重んじて、一票を投じたのか。8年前の各種調査では、県民の半数近くが「基地問題」を重視していた。しかし、今回の共同通信の出口調査では、基地問題は20.9%にとどまり、代わって半数近くを占めたのが「経済の活性化」(49.5%)。「経済」と答えた人の78.7%が、古謝氏に投票した。
 この潮目の変化を、青山氏は「基地反対では飯は食えない。県民の関心が、より暮らしに直結した問題に移っているのは明らかだった」と分析する。なかには「反基地疲れ」「対立疲れ」と報じた新聞もあった。
 朝日新聞によると、玉城陣営の幹部も「辺野古だけでは勝てない。『民意を示し続け、これ以上どうしろというのか』というのが県民の気持ちだ」と語っていた。
 ただ、辺野古移設反対は、いまなお37%ある。「県民が移設を全面的に受け入れたとみるのは早計だ」と書いた新聞の社説もあった。この12年間を票で振り返ると、このようになる。
 2014年・翁長氏36万820票
 2018年・玉城氏39万6632票
 2022年・玉城氏33万9767票
 2026年・玉城氏27万6060票
 玉城氏の支持者は、8年で約12万票、約3割が離脱したことになる。一方の古謝氏は、42万3124票で、知事選初の40万票超えとなった。
 古謝県政はどうなる?
 古謝氏は、普天間飛行場の危険性を除くためには、辺野古移設が最も早く現実的な計画だと容認する一方、返還の期日をはっきりさせるよう、国に迫るとしている。また当選後には、県庁の「辺野古新基地建設問題対策課」を名称変更する意向を明らかにし、業務内容を廃止する見通しを示した。
 地元紙が「オール沖縄の終焉」と書いた今回の知事選について、青山氏は「戦争を知る世代が減るなかで、反戦平和を基調とする“戦後レジーム”は沖縄でも大きな節目を迎えた」と話す。
 「赤壁の戦い」の後、天下をまとめたのは、焼かれた魏の流れをくむ晋だった。同様に沖縄でも、12年前に敗れた側から、本土復帰後に生まれた42歳が天下を取った。
 玉城氏を支持する女性は投票前、こう記者に語った。「知事が声をあげても基地はなくならない。それでも沖縄に基地が押しつけられるなかで意思を示したかった」。“呉越同舟”の関係性では、嵐の間は手を取り合うものとされる。辺野古の工事が続くなか、「場合によっては腹四分でも」と乗り合わせた舟は、今後どうなるのだろうか。
 (『ABEMA的ニュースショー』より)
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 9月23日 MicrosoftStartニュース ABEMA TIMES「【解説】「国政同様に左派勢力が飲み込まれた」沖縄県知事選、古謝氏が圧勝のワケは? “オール沖縄”衰退の背景
 © ABEMA TIMES (Microsoft)
 沖縄県知事選では、現職の玉城デニー氏を抑えて、前那覇市副市長の古謝玄太氏が圧勝した。玉城氏は「オール沖縄」と呼ばれる勢力からの支援を受けていたが、どうして失速したのか。その背景をジャーナリストの青山和弘氏が解説する。
 事前の「玉城優位」を大きく覆す
 青山氏は、結果を振り返り「玉城氏は2期8年やっていて、3選を目指した。3選はちょうど脂がのった時期で、5選、6選となると多選批判が出る。66歳という年齢も脂がのっており、普通なら玉城氏が強い。実際に事前調査では『玉城氏が割と強いのでは』となっていた」という。
 一方の古謝氏については「新人で、なんといっても42歳。沖縄がアメリカの占領から本土に復帰した時は、まだ生まれていない。玉城氏より2世代ぐらい若い新時代の方。なんといっても『辺野古を容認して経済を復活させよう』『誰かのせいにして今を諦めるのはもうやめましょう』。国のせいにして生活を諦めるのはやめようと訴えた」と語る。
 玉城陣営も「今回は経済が大事だと認識していたため、7つの政策の柱に、あえて辺野古を入れなかった」のだというが、「ただ終盤情勢が厳しくなり、古謝氏有利になる中で、最後は『沖縄県民の意識を守ろう』と、国との対決姿勢を少しにじませた」のだそうだ。
 ふたを開けると「約42万票対約27万票と、びっくりするほど差がついた」結果が出た。「最初は玉城氏が強いと見られていたが、14万票も差がつくという圧勝。古謝氏への勢いがどんどん増していき、最後に勢いがさらに強まり、投票終了の午後8時ちょうどに当選確実となった」。
 オール沖縄誕生の背景には「県民の夢」が
 そもそも、玉城氏を支援してきた“オール沖縄”とは、どのような組織なのか。「2013年に、左右のイデオロギーではなく『沖縄のアイデンティティー』で集った。国に基地を押しつけられ、普天間は返還しても、また辺野古に基地を作る。それは許せないから、沖縄県全体で一緒にやろうと、辺野古反対の一点で大同団結した」。
 座組みとしては「保守・革新のみならず、経済界、市民団体とも手を組む画期的なグループだった。もともと自民党の県議だった翁長雄志元知事がリーダーシップを取ったことで実現した」と振り返る。
 オール沖縄の結集前には「1995年に米兵による少女暴行事件が起き、2009年に民主党政権が生まれた。その時、鳩山由紀夫総理は『最低でも県外』。普天間基地からの移設は、日本国内は仕方ないが、沖縄でない場所に作ると言った。それで沖縄県民は『基地がなくなるのか』と夢を見た」といった経緯があった。
 裁判で連敗、予算も減り…
 しかし、「2012年に安倍政権になり、当時の仲井真弘多知事が『やはり辺野古だ』となった。その時に県民は『バカにするなと。政権交代があったとしても、県外に行くとぬか喜びさせて元に戻すのか』となり、オール沖縄が一気に盛り上がった」のだという。
 そして、「保守派でさえ『そんなことは許されないだろう。なんでそんなに振り回されるのか』と、翁長氏のリーダーシップもあり、勢力が増した。しかし2018年に翁長氏が死去し、玉城氏がその後の知事選で勝つが、そこから辺野古埋め立てを取り消す裁判でどんどん負けていった。いくら『反対』と言っても、辺野古の建設は続く。そんな中で経済界が離れ、選挙で負けて、各地の首長が自民党側にひっくり返っていく」と衰退の一途をたどる。
 加えて、「沖縄に対する振興予算も減っていった。野党の県政が続くと、自民党政権は沖縄に予算をさほど付けなくなる。そうした状況下で経済が苦しくなり、財界にも市民にも『経済が大事』との声が高まり、今回まさに経済が争点になった」と説明する。
 政策以外の部分でも「世代交代して、戦争を知る世代が少なくなっていく。また、SNSの発展の中で、イデオロギーの対立、リベラルが退潮している。国政でも中道改革連合が分裂し、いわゆる“左の勢力”が小さくなっている流れに、沖縄も飲み込まれた部分がある」と分析した。
 高市総理が“沖縄入り”しなかった理由
 基地問題については「そうは言っても、『経済だけで良く、辺野古はもうどうでもいい』となったわけでもなく、まだ反対も多い。」としつつ、「やはり戦中の沖縄戦の悲惨な歴史を抱えているおじいちゃん、おばあちゃん、遺跡や遺構も多い中で、決して平和主義を捨てたわけではないと思う。それは“保守”の中にも根付いているが、ただ優先順位が変わってきた」と読み解く。
 では新知事となる古謝氏は、今後どうするのか。「今回、自民・維新の与党や、国民民主党、参政党などの応援も得たが、とにかく高市政権は力を入れていた。ただ高市早苗総理は、あえて応援に行かなかった。国の一生懸命さが見えすぎると、沖縄県民の反発心もある。そんな中で行かなかったが力を入れたことは間違いない」。
 当選後さっそく古謝氏は、総理と面会したが、これは「国とのパイプを強くして予算をつけてもらうのが、古謝氏の役割。それを見せに行った」とした。
 沖縄ならではの経済的背景
 具体的な変化については「予算を一定程度増やしても、それで暮らしがどこまで良くなるのかは、沖縄の問題や地元の財界、情勢によっても変わってくる。例えば今、急激に円安が進む中、沖縄の物価も高くなるなどの影響もあるだろうが、これまでよりは良くなるかもしれない」と見通す。「一方で、基地建設などが進むことが、将来的な沖縄にとっていいかどうかは、まだまだ見ていかなければいけない」。
 経済基盤に関しては「沖縄には“基地経済”があった。米軍基地は雇用を生み、県産品も納入したりする。だが今は、観光の方が大きい。基地に雇ってもらうのではなく、観光などを発展させていく」といった方向性にシフトしていると明かす。
 また、「沖縄は大企業が少ないため、全国的に見て、失業率は少し高く、給料も安い。そうしたものを、どう育てるのか。ただ地域的には、アジアに一番近い。普天間の跡地利用も含めて、どう発展の道筋を付けられるか、古謝氏の実力が試される」と語る。
 そして最後に、今回の知事選を「やはり沖縄自体の雰囲気も大きく変わってきた。経済の問題もそうだが、今回SNSの力も大きかった。国政にも影響しているが、そうした時代の流れが、平和や護憲を軸にした、沖縄の『戦後レジーム』を押し流した結果なのではないか」と総括した。
 (『ABEMA的ニュースショー』より)
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 過激派・極左勢力はもちろんエセ保守やリベラル左派は、日本国と日本国民の現在と将来の事など考えていない。
 彼らにとって大事なのは自分個人のイデオロギーもしくは宗教であり、そのイデオロギーと宗教を守るためならば日本国家も日本国民を犠牲にする事を厭わない。
 故に彼は、革命闘士と称される。
 日本人の共産主義者・無政府主義者テロリストは、昭和天皇と皇族を惨殺すべく付け狙っていた。
 彼らは、辺野古沖基地反対闘争や外国人移民擁護運動に力を入れている。
   ・   ・   ・   

🪗56:─1─米軍事専門家「日本は日米安保条約を解消して35年までに自立せよ」~No.176No.177 

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 2026年9月22日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「「日米安保を解消し、日本は35年までに自立せよ」米軍事専門家が突如発表した衝撃論文の現実度
 近藤 大介(『現代ビジネス』編集次長)
 米軍は第2列島線まで撤退せよ
 やはり来た、と言うべきか、ついに来た、と言うべきか……日本が恐れていた「軍事レポート」が、アメリカで発表された。しかも、ドナルド・トランプ米大統領と中国の習近平国家主席がワシントンで会談を行う予定(9月24日)の直前にである。
 今月10日、アメリカの軍事シンクタンク「ディフェンス・プライオリティーズ」が、「アジアのための第2列島線戦略」と題した長文(A4用紙で約40ページ)の論文を、ホームページのトップで掲載。いまアメリカや東アジアの外交・防衛関係者たちの間で、大いに物議を呼んでいる。
 「第2列島線」とは、伊豆諸島・小笠原諸島・サイパン・グアム・パプアニューギニアを結ぶ中国が定めた防衛ラインのことだ。現在の中国人民解放軍は、日本や韓国、フィリピンなどに展開しているアメリカ軍を、このラインまで撤退させることを基本目標にしている。実際にはアメリカ軍は、九州沖から沖縄、台湾、フィリピンを結び南シナ海に至る「第1列島線」で展開しているからだ。
 それをこの論文は、「アメリカ軍は第2列島線まで撤退すべきだ」と主張しているのだ。「それこそがアメリカの国益にかなう」というのである。図らずもこれは、中国の軍事目標と合致する。
 外交問題評議会会員の提言
 論文の筆者は、ジェニファー・カバナという同シンクタンクの上級研究員兼軍事分析部長を務める女性研究者である。同シンクタンクのホームページには、以下のような略歴が出ている。
 ジェニファー・ガバナ博士(「ディフェンス・プライオリティーズ」HPより)
 © 現代ビジネス
 <政治学を専門とするカバナは、そのキャリアを通じてアメリカの国家安全保障及び防衛政策の研究に携わってきた。カバナの研究は、アメリカの軍事戦略、軍備体制と防衛予算、防衛産業基盤、並びにアメリカ軍の展開と介入に焦点を当てている。
 過去には、カーネギー国際平和財団の「アメリカン・ステートクラフト・プログラム」でシニアフェローを務めていた。また、ランド社では上級政治学者として、防衛・国家安全保障分野のクライアント向けプロジェクトを主導した。同社の陸軍戦略プログラムのディレクターを3年間務めた。
 彼女の研究論文は、『フォーリン・アフェアーズ』『ニューヨーク・タイムズ』『フォーリン・ポリシー』『ジャーナル・オブ・コンフリクト・リゾリューション』『ワシントン・クォータリー』『ローフェア』『ロサンゼルス・タイムズ』『ウォー・オン・ザ・ロックス』など、多数の媒体に掲載されている。
 カバナは、ハーバード大学で政治学の学士号(AB)を、ミシガン大学で政治学および公共政策の博士号(PhD)を取得した。また、外交問題評議会(CFR)の任期制会員であり、ジョージタウン大学安全保障研究プログラムの客員教授も務めている>
 このように、本格派の軍事専門研究者なのである。
 日米同盟は「解消」すべきだ
 では、彼女が何を主張しているのか? 論文ではまず、全体のカギとなる5つのポイントを示している。それは次のようなものだ。
 「第1列島線」「第2列島線」「第3列島線」(「ディフェンス・プライオリティーズ」HPより)
 © 現代ビジネス
 ➀アメリカには、軍事力によって守る価値のあるアジアにおける2つの核心的な(アメリカの)国益がある。それは、アメリカの本土防衛と、主要な経済市場や貿易ルートへの(アメリカの)アクセスを確保することである。前者の優先事項については、(東アジアの)前線での軍事的な存在感はほとんど必要とされない。一方、後者については、アメリカの国益を脅かす事態に備えるため、適度な空軍および海軍の存在が有益である。
 ➁アメリカの軍事的関与と駐留を、(アメリカ側が)脆弱(ぜいじゃく)な「第一列島線」から、より防衛しやすい「第2列島線」へとシフトさせる戦略は、アメリカの国益を守りつつ、アメリカの軍事的要件(駐留経費など)及び中国との戦争リスクを軽減することになるだろう。
 ③アメリカは、アジア地域における防衛上の関与を縮小すべきである。台湾問題に関しては、明確に「不干渉」の立場に転じ、韓国、オーストラリア、フィリピン、日本との相互の防衛同盟を終了させるべきである。その代わり、より限定的かつ柔軟な安全保障パートナーシップを交渉すべきである。アメリカの軍事態勢(米軍駐留など)も、こうしたことに応じて変更すべきである。
 ④アメリカは、アジアに展開している陸軍および海兵隊の部隊を大部分撤収させ、空軍力と海軍力を大幅に削減すべきである。残りの米軍部隊は、中国の沿岸からより離れた、生存性の高い基地に集約していく。そうしてアメリカの経済的利益を確保するとともに、太平洋地域へのアメリカの関与が継続していることを示す役割を担わせるべきだ。
 ⑤アメリカは、(自国の軍事的な)意図について明確な計画を提示し、同盟国や中国と慎重に意思疎通を図るべきである。こうした変更は、3年から8年かけて段階的に実施していき、その大部分を2030年までに完了させる。そして2035年までに、すべてを最終的に完了すべきである。
 以上である。「アメリカ軍を第2列島線まで撤退」「台湾不干渉」「日米同盟解消」「2030年までに大部分を完了」……何とも衝撃的な内容だ。
 2035年までに日本は自立せよ
 この論文は、まずは全体的なことを述べた上で、個々の地域について解説している。具体的には、韓国、台湾、フィリピン、オーストラリア、日本、「第2列島線」の島々(グアム他)である。
 その中で、一番気になる日本についての記述の大意は、少し長くなるが以下の通りである。
 <アメリカは、オーストラリア、フィリピン、韓国に対する同盟上の義務を、大きな影響を招くことなく打ち切ることができるかもしれないが、日本との関係については、少なくとも当面の間は、異なるアプローチが必要となる可能性がある。
 日本は依然として、この地域の勢力均衡において最も重要な役割を果たしている。東アジアにおけるアメリカの国益を守るということは、日本を正式な条約上の同盟国として維持することではないが、日本が中国の勢力圏外にとどまることを確保することを意味する。
 日本が中国に全面的に追随する可能性は低い。その理由は、何よりも日本のナショナリズムや、北京に対する歴史的な恨みによるものだ。しかし、そのような事態が決して起こらないようにすることは、特に適度なコストで実現できるのであれば、アメリカが多少のヘッジ策を講じる価値があるほどには重要である。これは、相互防衛条項を含む同盟を意味するものではないが、アメリカの関与や態勢(在日米軍など)の縮小ペースを緩めることや、長期的な安全保障関係を若干、拡大することを意味するかもしれない。
 アメリカには、日本の独立維持に利害関係があるが、現在のアメリカの関与は、3つの理由から広範囲に及んでいる。第一に、地理的に範囲が広すぎる。もしこの地域におけるアメリカの利益が、主に中国による支配を阻止する地域的な勢力均衡の維持にあるのであれば、日本全体の方向性は非常に重要だが、尖閣諸島(釣魚島)のような周辺の領有権問題の行方は(アメリカにとって)重要ではない。それにもかかわらず、これらの小さな島々や岩礁は、アメリカの安全保障上のコミットメントの対象となっているのだ。
 第二に、アメリカの広範なコミットメントは、日本が豊かで技術的に先進的な国であるにもかかわらず、防衛費を適切に支出する意欲を削(そ)いでいる。最後に、日本の離島や沖縄は防衛が難しく脆弱であるかもしれないが、本土はそうではない。海に囲まれ、台湾よりもはるかに中国領土から離れた位置にある日本は、適切な抑止能力の組み合わせがあれば、(自国で)容易に防衛可能である。
 したがって、日米安全保障条約は、発生の可能性が低く、かつ日本がほぼ自力で対処できる侵略に対して保証を提供している点で、逆効果であり、不必要なものである。
 より大きな懸念は、アメリカが同地域の諸国に対する軍事的関与を縮小した場合、日本がどのように対応するかという点である。これには二つの説がある。一つは、日本が自国の防衛(核兵器の保有を含む)に投資し、他のパートナーシップ(他国との共同防衛)を構築し、はるかに強力な中国に対して均衡を図るという対応をとることである。
 もう一つは、再軍備を迅速に進めることができないという懸念から、 日本が中国の要求を受け入れ、事実上の中国の衛星国となる道を選ぶというものだ。高市早苗首相のような民族主義的な指導者が政権を握っている限り、後者の結果はありそうもないが、将来的に完全に排除することはできない。日本の軍事活動に対する憲法上の制約や、現在の「非核三原則」は、再軍備の能力に一定の制限を課している。このため、特定の状況下では、一部の予測よりも(中国との)和解の道が現実味を帯びる可能性がある。
 したがって、アメリカにとって理想的な関与とは、日本を「バランス戦略」の道へと導くのにちょうど十分なものであり、アメリカの支援を徐々に縮小しつつも、日本が中国に追随しないようインセンティブを与えるというものだ。日本の国力が強まるにつれて、(中国に)追随する可能性は低下していくだろう。そのため、日本におけるアメリカの軍事支援と駐留を段階的に削減し、紛争発生時に戦闘支援、兵器・情報提供を約束する長期的な安全保障協定を結べば十分である。
 交渉や管理費の支払いを経て、日本の北部や東海岸における基地利用権を維持することも、韓国や日本の商業港へのアクセスを、攻撃やあらゆる種類の封鎖(特に水中資産を用いたもの)から守る一助となり得る。しかし、これらの基地も同様に中国のミサイルの標的となり得るため、その数は少なくし、堅固にすべきである。アメリカはこうした利用権のために条約を締結する必要はないが、別の取り決めの一環として交渉することは可能だろう。
 長期的には、アメリカはこれらの拠点に、少数の後方支援・情報要員、対潜戦能力、及び一部の輪番・定期的な航空・海軍戦力を維持するだけで済むかもしれない。この種の米軍駐留により、日本、とりわけ政治的に不人気な沖縄から、陸上部隊の大部分が撤収することになるだろう。
 このような削減は、日本に対するアメリカの関与の縮小という文脈だけでなく、台湾に関するアメリカの政策の変化という観点からも理にかなっている。沖縄に駐留する米軍は、日本の安全保障への支援というよりも、台湾の安全保障への支援において最も有用であると、米国防総省は考えている。
 アメリカは、おそらく2035年までに日本の完全な自立を推進すべきであるが、長期的には、日本における少なくともある程度のローテーションによる駐留を維持することが、アメリカの国益にかなう可能性がある>
 以上である。徐々に日米安全保障条約の解除に持っていき、在日米軍を撤退させていくというのである。他の箇所には、在日米軍を5000人まで削減すると述べている。かつ尖閣諸島の防衛などは、アメリカにとって重要ではないとまで言い切っている。
 アメリカにとっての重要性とリスク(「ディフェンス・プライオリティーズ」HPより)
 © 現代ビジネス
 バンス副大統領が実行する
 ちなみに、韓国、台湾、フィリピンに関しては、日本に対してよりもはるかに冷淡な提案を掲げている。以下にそれぞれの要旨のみ載せる。
 <韓国:アメリカが結んでいる条約の中で、アメリカにとって最も利益が少ないのが、韓国との同盟である。韓国駐留に約50億ドルも費やさねばならない上に、北朝鮮との戦争のリスクを負わなければならない。加えて、在韓米軍は事実上、韓国に固定されており、他の地域での緊急事態に貢献することもできない。
 韓国におけるアメリカの役割は不要なのだ。韓国はすでに、北朝鮮からの通常兵器での軍事的脅威に対して自国を防衛する能力を持っている。
 たとえ万が一、韓国と北朝鮮の間で戦争が起きたとしても、その紛争の結果はアメリカの国益にとって決定的に重要ではない。可能性は非常に低いが、もし北朝鮮が勝利すれば、北朝鮮は中国との同盟を離れ、独立性を高めるだろう。逆に韓国が勝利すれば、こちらもアメリカに利益をもたらす。両陣営が膠着(こうちゃく)状態に陥れば、(隣国である)中国に打撃を与えるのだ>
 <台湾:アメリカは現在、台湾防衛に正式にコミットしていないものの、戦略的曖昧政策(どう対処するかを曖昧にする政策)で、北京が攻撃を仕掛けた場合に余白を残している。しかしこの戦略は、アメリカの利益に見合わないリスクを伴い、かつますます継続することが困難になってきている。
 台湾は中国沿岸から90マイルの位置にあり、たとえ中国軍が占領しても、アメリカの利益を脅かすことはない。(台湾占領後に)日本やフィリピンに大規模な戦争を起こすことは、強大な中国軍にとっても占領が極めて困難であり、可能性は低い。台湾を支配すれば、中国が南シナ海近隣の海域への(他国の)アクセスを制限しやすくなるが、今でもやろうと思えば可能だ。
 (中国が台湾を占領しても)韓国や日本は中国の勢力圏に入ることを望まないだろう。逆に、中国の隣国は全力で武装し、中国への対抗心を強めるだろう。こうしたことがアメリカの国益を損ねることはない。
 考慮すべき点は二つある。アメリカのこの地域(市場)へのアクセスと、台湾の半導体産業の命運だ。前者は、アメリカはフィリピン、インドネシア、日本の近海などを代替することで市場アクセスを確保できる。
 後者は、アメリカが中国と取り引きし、必要なアクセスを保証させることも考えられる。いずれにせよ、アメリカの最先端半導体の供給中断は、一時的なものとなるだろう。アメリカは台湾国外の半導体サプライチェーンを再構築するための知的財産権を持っているので、克服可能な課題だ。例えば、韓国はメモリやデータストレージに関わる最先端半導体を多く生産し、日本は画像センサーや製造装置で先端を行っている。
 結論として、中国が台湾を統一しても、アメリカにとっては許容範囲内だ。逆に中国にとって戦争のコストは計り知れず、手に負えないものとなるだろう。アメリカは、台湾を巡る軍事衝突が起きても介入しないという政策に、明確に転換すべきである>
 <フィリピン:アメリカとフィリピンの相互防衛条約は、ワシントンに対し、フィリピンの主要な島々だけでなく、南シナ海の領有エリアの防衛も義務付けている。中国による前者への攻撃は依然として低いが、後者に対する深刻な脅威(あるいは誤算による紛争)は排除できない。フィリピン軍は非常に弱く、遠隔地の領土主張や最西端のパラワン島さえも、中国による深刻な占領攻勢から防衛することは不可能だろう。したがって、現行の相互防衛条約の下では、アメリカは南シナ海の「岩礁」と呼ばれる地域を巡って中国と直接戦争に巻き込まれる可能性が十分にある。
 そうなったらフィリピンにおけるアメリカ軍基地は、中国のミサイルやドローンの格好の標的となり、資産ではなく負債となる。それは先のイラン戦争を見ても明らかだ。
 そもそも、もしもアメリカが台湾へのコミットメントを放棄すれば、北ルソンの拠点はアメリカの戦略計画には不要となるのだ。
 南シナ海などへのアクセス制限に関する懸念については、中国はすでに現時点で南シナ海の通過ルートを封鎖する能力を持っている。アメリカがフィリピンと軍事同盟を結んでいても、このリスクから守っていることにはなっていないのだ。したがって、アメリカとフィリピンとの相互防衛条約は再交渉し、より狭く限定的なものに変えていくべきだ>
 以上である。日本にとって問題は、この論文が一研究者の提言に過ぎないのか、それとも本当に「近未来図」なのかということだ。あるアメリカの関係者に訊ねると、こう警告した。
 「この論文は、いまのトランプ時代もそうだが、もっと言えば次の『バンス時代』を見据えたものだ。J・Dバンス副大統領が次期大統領になれば、ガバナ博士らのグループが外交の中核を担い、まさにこの論文にあるような提言が現実のものとなる可能性がある。日本は心しておいた方がいい」
 高市早苗首相は、習近平主席と会談する直前のトランプ大統領に会い、日本や台湾など東アジアの防衛の必要性を説く予定だ。中間選挙前で「目先の中国からの利益」に目がくらんでいるトランプ大統領に、果たしてどこまで響くのか。
 【こちらも読む】『習近平、周辺諸国から総スカン…!米中の雪解けで明らかになる「アジアの火薬庫」と「中国包囲網」、そのヤバすぎる正体』
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 9月23日 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済オンライン「「アメリカは日本を守ってくれる?」77%が「そう思わない」…それでも日本が“アメリカについてゆく”大きなリスク
 アメリカは本当に日本を守ってくれるのでしょうか? (写真:TM Photo album/PIXTA)
 「いざという時、アメリカは日本を守ってくれるのか」。多くの日本人が疑問を抱き始めたいま、それでもアメリカについてゆくことには、どんなリスクが潜んでいるのか。
本記事は『法律家が見た日本社会の病理』より一部抜粋・再編集してお届け。日米関係を改めて考えます。
 アメリカが日米安保条約によって本当に日本を守ってくれるのかについては、第2次トランプ政権の時代になると、さすがに、日本人の間にも懐疑的な意見が出始めた。
 2025年2―4月に実施された朝日新聞世論調査では、「いざという場合、アメリカは本気で日本を守ってくれると思いますか」という問いに対し、77パーセントが「そうは思わない」と回答。外交についても「日本の外交はアメリカの意向からなるべく自立したほうがよい」との意見が68パーセントを占めた。また、同年9―11月に実施された内閣府世論調査では、日米関係が「良好」と答えた人の割合が大幅に減少し、過去〔1998年以降〕2番目の低さとなったと報道された。
■日本人が思うほど、アメリカ人は日本に関心がない? 
 だが、これが日本人一般の意見であるなら、安保条約やこれに基づく日米地位協定のあり方、集団的自衛権のあり方に関する深刻な議論が起こってもおかしくないはずなのに、そのような動きはほとんどない。
 アメリカのベネズエラ攻撃、イスラエルと共同してのイラン攻撃等、国際法上、また国際世論上強い批判を浴びた行動についても、同様のことがいえる。こうした事態の根底には、「そうはいっても、結局、アメリカについてゆくしかない。そのほうが無難」という無意識の精神的機制があるのではないだろうか。
 しかしながら、アメリカの支配層は、少なくとも国民の4分の1程度を占めるといわれる経済的下層の人々を踏みにじって恥じない政策を行い続けてきているのだ。そんなアメリカの支配層が日本人を本気で守ってくれることを無条件に期待、信頼するとしたら、あまりにもナイーヴというものではないだろうか。
 2017年からの1年間私が滞在していた「ハワイ州」でさえ、州民(日系人とは限らない)の間には、「いざとなったら政府はハワイを米中戦争の捨て石にしかねないのではないか?」との疑念をもつ人々がいたほどなのである。
 また、アメリカ国民の日本に対する関心も、一般的にいえば、日本人が思っているほど高くはない。彼らが、きわめて強い精神的な絆を日本との間に感じているわけでもない(精神的な絆は、当然のことながら、イギリス等英語国民諸国との間のほうが強い)。
 私の友人で、アメリカと日本を知り尽くしているあるアメリカ人日本研究者は、こう語っていた。「アメリカの庶民層には、日本の正確な位置を知らない人も多い。義務教育水準の低下した今日では、サウスダコタ州やアーカンソー州の正確な位置だって、皆が知っているかは疑問なくらいだ。また、そもそも、彼らは、日本を含め、外国のことなどにほとんど関心はない」
 さらに、アメリカ人の多数派が、子ブッシュやトランプのようなアメリカ中心主義のポピュリストを2回ずつ大統領に選んできたことからもわかるとおり、アメリカにずっと潜在し続けていたアメリカ中心主義的・帝国主義的傾向が近年非常に強まっていることにも注意すべきであろう。近年のアメリカ社会における各種のマスヒステリア現象は、みずからの「神話」が破壊されてゆくことに対する暴発的防御反応なのだから、尾を引く可能性も、再燃する可能性もある。
■もし台湾有事で「日本にミサイル」が落ちたら
 たとえ台湾をめぐる米中戦争で日本にミサイルが落ちても、アメリカは「まことに尊い犠牲である」というだけのことで、さほど困るわけではない。当然に続くと思われる停戦交渉、駆け引きによって戦争がそこで終われば、台湾のほかには日本だけが致命的な打撃をこうむって幕引きという事態も十分にありうる(米中とも、全面的な米中戦争や第3次世界大戦を引き起こす覚悟まではないであろう。自滅するだけのことだからだ)。
 この推測には、当然に反論がありうるだろう。しかし、「起こりうる事態」であることには間違いがないと思う。
 国際関係というものは、人と人との関係に比べれば原始的な状態にとどまっており、実際には、まだまだマキャヴェリやホッブズの苛酷なリアリズムが支配する世界なのである。たとえばウクライナ侵攻についても、リアルにみるなら、ロシア以外の関係諸国の支配層も、ウクライナの人々のことよりも自国の利害を中心として動き方を考えているのは、明らかではないかと思われる。
 特に、大国は横暴になりやすい。アメリカについても、戦後、ソ連ないしロシアと並んで最も多くの武力介入を他国に対して行い、あるいは拷問やテロの方法までをも教授し、また、ベトナム戦争やイラク戦争等の正当性に乏しい戦争を行ってきた国であるのは事実だ。
■「意のままになる者」は軽んじられる? 
 加えて、アメリカ人の意識の底の部分には、力が正義であり、場合によっては暴力や悪もやむをえないという考え方、また、ナイーヴな者が相手にあやつられるのは自己責任だという考え方がある。強烈な自国中心主義もある。さらにいえば、アメリカ人に限らず、人間には、自己の意のままになる者を軽んじ、軽蔑する心性もある(私が目にしたアメリカの新聞や雑誌の風刺画には、「従属国」としての日本や、当時の安倍首相を揶揄するようなものも複数あった)。こうしたことも、よく認識しておくべきであろう。
 繰り返すが、私が問題だと思うのは、前記のような、当然起こりうる事態について、つまり、アメリカ主導のかたちで行われる集団的自衛権行使の大きな危険性について、国民規模の深い議論がほとんど行われていないことだ。そして、私は、日本が、きちんとした国家的危機管理の意識とヴィジョンのないままアメリカに追従・隷従してゆくのは、正直にいって、「核武装とは別種の、しかし同じくらいコントロールの難しい危険なチョイスなのではないか」と憂慮している。
 さらにいくつかのことを付け加えておきたい。
 第1に、尖閣諸島問題についても、深刻な紛争になった場合、アメリカが本気でかかわるか否かはわからないと思う(たとえば、退官後に滞米在外研究を行っていた元自衛隊幹部の書物にも、「『尖閣をめぐる紛争は日本が単独で中国に対処すべきだ』というのが多くのアメリカの安全保障専門家の意見であり、私も、この主張は当然だと思う」という趣旨の記述がある(渡部悦和『米中戦争――そのとき日本は』〔講談社現代新書〕)。
 第2に、トランプの無法な行動をみる限り、また、今後もトランプと同傾向の人物が大統領に選ばれる危険はある以上、アメリカの世界政策も対中政策も、いつどのように変化、豹変するかはわかったものではないことも、頭に入れておくべきだろう。
 日本の頭越しに米中が接近して日本がはしごを外されるような事態だってありうるのだ(ニクソンが、1971年7月に、日本との間で事前の調整をすることなく電撃的に訪中決定を発表し〔アメリカ政府が日本の駐米大使に事実を通告したのは発表の直前〕、翌年2月には米中共同声明に至ったという有名な前例もある。海外の複数メディアも報じているとおり、トランプが台湾を「同盟国」としてではなく中国との「バーゲニングチップ、交渉材料」として扱う可能性も否定できない中、日本が前のめりに「集団的自衛権行使」に言及することには、上のとおり、アメリカからはしごを外されるリスクが伴うと思われる。日本だけが中国との間に深刻な確執を残したまま取り残される可能性も、ないとはいえない)。
■そもそも「アメリカは守ってくれる?」という問いでいいのか
 第3に、そもそも、自衛については、「まずみずからが主体的にその必要性を客観的に検証し、外交面のコミュニケーションとのバランスをとりながら、慎重に方針、政策を立て、その上で、必要に応じ他国とも協力してゆく」というのが本来の姿なのであり、「アメリカは本当に日本を守ってくれるのか?」という問いの立て方自体が、実をいえば、問題を含んでいるといえよう。
 米軍駐留や基地の使用については、いわゆる大国でなくとも、対等の立場で考え、必要に応じて毅然とした対応をとっている例がいくつもあることを、今一度思い起こすべきであろう。
 たとえ日米安保条約を前提とするとしても、日本は、みずからの国益と危機管理の観点から、ほかの多くの国々と同様、アメリカと対等の立場で主体的に自衛を考えてゆくことが必要であり、また本来可能なはずである。集団的自衛権行使の是非とその内容についても、同様のことがいえる。
 一つの制度であり取り決めである以上、必要に応じた見直し、改廃は、当然に考えられてよいはずなのだから。
 瀬木 比呂志 :法学者、著述家、明治大学名誉教授
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🎺04:─4─ルーズベルトは対日戦争を必要としていた。ローズヴェルト不況。~No.21No.22No.23No.24 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 戦争は、敵である相手があって起き、自分が戦争を避けようとしても相手が戦争を望めば避けられない。
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 2026年9月20日 YAHOO!JAPANニュース ダイヤモンド・オンライン「【世界恐慌】「恐れるべきは恐怖そのもの」ローズヴェルトのニューディール政策
 1929年の株価大暴落をきっかけに、アメリカは銀行倒産や大量失業が相次ぐ世界恐慌へと突入した。では、絶望の広がる社会を立て直すため、政府は何をしたのか。1933年に大統領となったローズヴェルトは、「恐れるべきは恐怖そのもの」と国民に語りかけ、ニューディール政策を次々と実行した。アメリカ社会を大きく変えた、その改革の中身を『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からのアメリカ史』から見ていく。(ダイヤモンド社書籍編集局)
● 第一次ニューディール政策
 ローズヴェルトは1期目の大統領就任演説で、「わたしたちが恐れるべき唯一のものは、恐怖そのものだ」と国民に語りかけたことはよく知られている。そして、その恐怖を打ち砕くことにすぐに取りかった。1933年3月4日に大統領に就任すると、ローズヴェルトは特別議会を招集した。最初の100日間と呼ばれるものだ。彼は銀行休業日(バンクホリデー)を制定し、緊急銀行法が可決されるまでの数日間、全国の銀行を閉鎖した。そして、経営が安定している銀行だけを再開させた。続いて、彼が国民に向けて何度もおこなうことになる「炉辺談話」と呼ばれるラジオ演説を初めておこない、この演説で彼は新たな銀行政策について説明し、国民の不安を和らげた。最初の100日間から1935年にかけて、ローズヴェルト大統領は第一次ニューディールを構成する政策を導入し、その一環として、次のような機関(どれも略語が使われたので「アルファベット局」と呼ばれた)が設立された。
●連邦緊急救済局(FERA)は、失業者を支援した。
●農業調整局(AAA)は、農民に補助金を支給して、ときどき作物を廃棄させた。それで食料供給を減らし、価格を上げた(この政策は論争を引き起こした。多くの人々はまだ飢餓の問題を抱えていたのに、食べ物が廃棄されることになるからだ)。
●公共事業局(PWA)は、公共事業の資金援助をおこない、雇用を創出した。
●市民資源保全団(CCC)は、PWAに似ているけれど、資源の保全事業が中心だった。
●連邦預金保険公社(FDIC)は、銀行の預金に保険をかけ、銀行が破綻しても預金者がお金を失わないようにした。
●テネシー川流域開発公社(TVA)は、新しいダムを建設してテネシー川流域に電力を供給し、周辺地域に雇用を生み出した。
●全国産業復興法(NIRA)は、労働基準(最低賃金や児童労働禁止など)を定めた。
●証券取引委員会(SEC)は、株式市場を監督した。
● 第二次ニューディール
 1934年の中間選挙、そして1936年の大統領選挙において、国民は民主党とローズヴェルトを強く支持し、ローズヴェルトは圧勝した。ニューディールは、一部の保守派からは大統領の権力の社会主義的な乱用と思われ、一部のリベラル派(特にルイジアナ州選出のヒューイ=ロング上院議員)からは富の再分配が十分ではないと思われていたけれど、ほとんどの人々はさらなる支援を求めていた。大恐慌は相変わらず続いていた。
 そこでニューディールの効果が薄れ始めると、ローズヴェルトは第二次ニューディールを打ち出した。最初の政策に比べると、こんどの政策は人々の生活を支援するだけでなく、本格的な社会変革を生み出すことを目指していた。新設された雇用促進局(WPA)は公共事業局(PWA)とよく似ていたけれど、雇用の対象を芸術家や若者にまで広げた。1935年歳入法は富裕層への課税を引き上げ、ワグナー法は労働組合に公正な交渉をおこなう権利を保証した。そしてたぶん何よりも大事なのは、社会保障法(1935年8月)によって、アメリカに現代的な福祉制度が生まれたことだ。国民は働いているあいだに社会保障税をずっと支払い、その見返りとして、退職するか、働けなくなったときにお金をもらうしくみだ。
● ダストボウル
 1930年代には、アメリカは大恐慌に加え、もうひとつの不運に見舞われた。1931年、グレートプレーンズで深刻な干ばつが発生したのだ。この地域では10年近くにわたりダストボウルが吹き荒れるようになった。長年にわたって農民が土地を切り開いたことで、表土にしっかりと根を張っているはずの草が根こそぎ失われた。草によって抑えられていた乾いた土は、風が吹くと吹き飛ばされ、砂嵐になった。特にオクラホマ州の農民は、住んでいる土地を離れ、カリフォルニアへの出稼ぎ労働者になった。貧困ライン以下の生活をするオクラホマの出身者たちは、オーキーと呼ばれるようになる。
● 労働者の力
 1935年、最高裁判所は、全国産業復興法(最低限の賃金水準を定めて労働者を守り、児童労働を禁止する法律)を、商業の違法な制限であるとして無効にした。議会はすぐにこれに対応し、全国労働関係法を可決した。これはワグナー法の名でも知られ、労働組合に一定の権利を保障した。アメリカ労働総同盟は引き続き力を保ち、新たに設立された産業別組合(組織)会議(CIO)は、女性や有色人種、非熟練工を受け入れ、組合員を増やした。労働組合は、工場内でおこなう座り込みストライキをするようになった。意外にも、労働組合や労働組織は、アメリカで労働力が過剰になっていた時期に成長したのだった。
● ニューディール連合
 ローズヴェルト大統領のもうひとつの特徴は、新たな有権者を引きつける能力だった。特に1936年の大統領選挙では、多くのアフリカ系アメリカ人がローズヴェルトの進歩的な政策に引きつけられ、民主党に乗り換えた。アフリカ系アメリカ人が集団として、「リンカンの党」(現在の共和党の起源)から離れたのはこれが初めてだった。ローズヴェルトは、アフリカ系に影響を与える問題については、妻のエレノア=ローズヴェルトと「黒人内閣」(黒人の助言者グループ)から助言をもらっていた。
 残念ながら、ローズヴェルトは南部民主党の白人層の支持を保つために、特に重要な政策のいくつかについては対象をあえて制限した。レッドライニングにより、アフリカ系の家族は連邦政府の住宅購入制度を利用するのが難しくなった。また、主にアフリカ系の労働者がしていた家庭内の仕事(料理人、メイド、運転手など)は、社会保障に加入する資格がなかった。
 一方で、エレノア=ローズヴェルトは国民生活で注目されるようになり、女性の権利向上の象徴になった。ローズヴェルト大統領は、史上初の女性閣僚として、フランシス=パーキンスを労働長官に任命した。
● 現実逃避
 大恐慌のあいだに生まれた芸術には、アメリカの暮らしを真剣に見つめたものもあったけれど(『怒りの葡萄』や、ウディ=ガスリーのフォークミュージックなど)、1930年代は現実逃避がいちばんさかんだった時期でもある。人々は映画を観たり、音楽やラジオを聴いたりして、日常生活から抜け出した。メロドラマ、ラジオドラマ、ビッグバンドやスウィングミュージック、そして『オズの魔法使い』や『キングコング』『風と共に去りぬ』といった映画は、多くのアメリカ人がこの10年間を乗り切る力になった。
● 大恐慌の終わり
 1937年、ニューディールはうまくいっているように見えた。ローズヴェルトは、大恐慌のあいだに膨らんでいた赤字を減らすときがきたと判断した。ただし、そうするには復興計画への支出を減らす必要があった。ところが、いざ実行に移したとき、彼は経済の安定性について見誤っていた。
 ローズヴェルトの支出を減らす判断は、貸付の制限とあいまって、国の経済を再び落ち込ませ、ローズヴェルト不況と呼ばれるようになる。これが完全に回復するのは、第二次世界大戦が始まってからのことだ。ニューディール政策のほとんどは、期限切れになるか、経済の回復に伴って中止されたけれど、社会保障や連邦預金保険公社、証券取引委員会など、いくつかの政策はいまでもアメリカ国民と連邦政府の関係において、中心的な役割を果たしている。
 ワークマンパブリッシング/須川綾子
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 1950年代の「アメリカンドリーム」とは何だったのか? アメリカ人の目線で見る繁栄の真実
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 昭和天皇とA級戦犯の東條英機や松岡洋右らは、アメリカとの戦争を避けるべく外交交渉を続けていた。
 対米戦争を想定して、海軍は真珠湾へ機動部隊を出撃させ、陸軍はシンガポール占領の為に軍隊を輸送船に乗せてマレー半島に向けて派遣していた。
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 アメリカとイギリスは、早期から日本との戦争に備え、アメリカ軍はフィリピンに、イギリス軍はシンガポールに、日本軍の侵攻を撃破できるように万全な準備を終えていた。
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 レーニンは日中戦争と日米戦争をプランし、アメリカ共産党と中国共産党が日中戦争と日米戦争を起こす為に暗躍していた。
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 ワシントンの日本大使館はアメリカ共産党を調査して、広田弘毅と松岡洋右に報告書を提出していた。
 松岡洋右は、駐米日本大使館に反体制の黒人組織への接触を命じていた。
 FBIは、日本のスパイ網を調査していた。
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 アメリアとイギリスの反ユダヤ主義者らは、国内のユダヤ人難民を増やさない為に日本・神戸ルートを遮断しようとしていた。
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 8月7日 YAHOO!JAPANニュース WEB Voice「「日本を満洲事変前に戻す」 日米の開戦が避けられなかった決定的な理由
 波多野澄雄氏の著書『なぜ日本は米英中ソと戦ったのか』(PHP新書)にて、1941年、対立を深める日米間で模索された「戦争回避」の道に着目。経済制裁や中国問題を巡る思惑が交錯し、外交決裂から開戦へと至った歴史の真相を明快に解説
 1941年、日本とアメリカの対立は決定的な局面を迎えていた。しかし、開戦直前まで両国の間では交渉が続けられ、戦争回避の可能性も模索されていた。中国問題、南進政策、経済制裁…複雑に絡み合う利害の中で、なぜ外交は破綻し、両国は戦争への道を進んだのか。その真相にせまる。
 【写真】東條英機
 ※本稿は、波多野澄雄著『なぜ日本は米英中ソと戦ったのか』(PHP新書)から一部を抜粋・編集したものです。
 日米交渉と日中戦争の行き詰まり
 1940年末、日本の日中戦争の解決方策は行き詰まっていた。対中和平工作(桐工作)は挫折し、汪政権の承認を余儀なくされ、援蔣遮断措置(仏印ルートやビルマ・ルートの遮断など)も効果は見られなかった。こうしたなかで、最後に残された外交的手段はアメリカによる日中間の和平斡旋を期待して直接、対米交渉に臨むことであった。
 41年4月中旬、アメリカから届いた「日米了解案」(民間人を含む日米の関係者が両国政府の了解を得て作成)は、三国同盟の実質的な無力化を求める一方、一定の条件のもとでの事変の和平斡旋や東南アジアの資源獲得に対する日米協力を掲げ、日本側は政府も軍部もこれを歓迎した。ただし、了解案は和平斡旋の前提として、「ハル四原則」(領土保全と主権尊重、内政不干渉、機会均等、平和的手段によらざる限り太平洋の現状不変更)の受諾を求めていた。
 だが、日ソ中立条約という外交的成果をもって帰国した松岡外相は、日中間の和平条件の明確化という観点から日米了解案を大幅に修正することになる。松岡の意見を反映した日本側の対案(5月12日対米提案)の日中戦争に関する部分は、アメリカは、40年11月に汪兆銘政権との間で締結した日華基本条約を「了承」したうえで、蔣政権に対して和平を勧告すべし、と要求していた。 
 これに対するアメリカの回答(6月21日米国案)は、汪政権の否認、満洲の中国への復帰、日本軍の無条件撤兵、防共駐兵の否認、通商上の無差別待遇などの要求を列挙し、日本の提案をほとんど否認していた。その後の交渉においてもアメリカはこれらの条件を後退させることはなかった。この回答に接した松岡は日本を「弱国・属国扱いするもの」と激怒し、交渉打ち切りを主張するが、近衛首相は松岡の更迭によって交渉の継続を図った。
独ソ戦争と日本の進路
 41年6月22日、ドイツは不可侵条約を破りソ連に侵攻。この独ソ戦争の勃発は、ソ連が明確に反枢軸陣営の一員となったことを意味し、松岡外相の抱く日独伊ソの「四国同盟」構想を破綻させるものであった。アメリカは対ソ援助をさらに強化させる。
 日本では陸軍部内に「北方戦争論」が浮上し、参謀本部や松岡外相はドイツのソ連攻撃に呼応した対ソ攻撃を主張した。南進論との論争の末、国策としては「南北併進」に落ち着いたが、対ソ攻撃(北方戦争)は独ソ戦争がドイツに有利に展開した場合とされた。その準備のため、関東軍特種演習(関特演)の名目で関東軍が増強されるものの、シベリアの気候的条件に加え、独ソ戦が早期に終結する見込みはなくなり、8月初旬に中止される(翌年まで延期)。
 一方、南進政策は、仏印との軍事的結合を強化するとの既定方針に基づき、7月下旬、南部仏印進駐が断行される。資源供給のための交渉が不調に終わった蘭印を威圧するという効果や、南部仏印に航空基地を設定するという目的も含まれていた。
 南部仏印進駐に対し、アメリカは在米日本資産の凍結と石油の全面禁輸という最高度の経済制裁で応え、英蘭もこれに倣ならった。しかし、日米ともに戦争を決意したわけではなかった。アメリカの最大の脅威は依然としてドイツであり、米独関係は極度に悪化し、6月には独伊の在米資産はすでに凍結されていた。アメリカの対日強硬措置は、戦わずして日本を屈服させ、さらなる南進を抑止するためであった。
 他方、日本側からすれば、最高度の経済制裁はABCD包囲陣が国防上耐え難いものとなったことを意味していたが、政府・軍部の指導者はなおも対米戦の回避の可能性を追求した。その一つが、近衛首相とローズヴェルト大統領との直接会談構想であった。
 この頂上会談のためにあらためて用意された対米提案(9月25日案)は、通商上の門戸開放・機会均等については譲歩し、アジア太平洋における経済活動の自由を原則として認める方針を示していたが、駐兵について譲歩することはなかった。
 東條内閣と日米交渉の決裂
 10月2日のアメリカの回答(ハル覚書)は、日本の提案を否認するとともに、首脳会談についても、その前提として「根本的な諸問題について討議の進展」が必要である、として否定的であった。それでも近衛首相は戦争回避の立場から、部分的撤兵案によって妥結に持ち込もうとするが、陸軍の立場を代表する東條英機陸相は撤兵に強硬に反対して内閣は崩壊する。
 10月18日に成立した東條内閣は、天皇の指示を受け、「白紙」の立場から非戦の可能性を追求した。11月5日の御前会議は、11月末を限度に対米交渉と作戦準備を併進させ、妥結しない場合の武力発動は12月初旬と決定した。
 同時に、最後の交渉案として「甲案」「乙案」が了承された。「乙案」は、アメリカの対日石油供給の約束と引き換えに、南部仏印の日本軍を北部仏印に移駐させ、当面の危機を回避しようとする暫定協定案であり、11月20日に米政府に示される。
 アメリカ政府でも暫定協定案の検討が進み、「乙案」に近い内容の暫定協定案が用意され、英蘭と中国(重慶政権)に内示される。しかし、日本との苦しい戦いを強いられていた蔣介石の期待はアメリカの対日参戦であった。暫定協定による日米の妥協は、中国からみれば、アメリカは中国の犠牲において日本を宥和しているのであった。イギリスもまた、アメリカの中国問題における譲歩が中国政府や国民の士気に及ぼす影響を恐れていた。
 こうしてハル長官は、「乙案」の拒否とともに、暫定協定案も取り下げ、11月26日、ハル・ノートという形で対日回答がなされた。ハル・ノートは中国全土および仏印全土からの撤兵、重慶政権以外のすべての政権の否認、という要求を含み、日本をいわば満洲事変以前の状態に引き戻すに等しかった。これを事実上の最後通牒と受け止めた日本政府は12月1日、御前会議において最終的に対米英蘭開戦を決定した。
 波多野澄雄(筑波大学名誉教授)
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 2024年12月13日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「日本人は「12歳の少年」だとバカにされてきた…いまこそ日本が「前を向くべき理由」
 山上 信吾
 前駐オーストラリア特命全権大使
 /元国際情報統括官
 大日本帝国の時代には、日清戦争、日露戦争、さらには二度の世界大戦まで経験しているが、日本は第二次世界大戦より前の戦争については、それぞれしっかりとけじめをつけている。それなのに……。
 なぜ、1945年で「時計の針」は止まってしまったのか。
 ※本記事は、『歴史戦と外交戦 日本とオーストラリアの近現代史が教えてくれる パブリック・ディプロマシーとインテリジェンス』(ワニブックス刊)より一部を抜粋編集したものです。
 『歴史戦と外交戦』(ワニブックス刊)
 「戦後」の長さ
 山岡鉄秀(以下、山岡):歴史を振り返ると、江戸時代が264年続いた後、明治維新によって1868年に大日本帝国が誕生しました。その大日本帝国は1945年の終戦によって事実上崩壊します。つまり、大日本帝国が存在していた期間は約77年です。そこから戦後の日本がスタートするわけですが、2025年が「戦後80年」ということは、明治維新から第二次世界大戦終了にいたるよりも長い年月がすでに経過していることになります。
 大日本帝国の時代には、日清戦争もあれば、日露戦争もあり、さらには二度の世界大戦まで経験しました。そして、第二次大戦より前の戦争については、それぞれしっかりとけじめをつけています。
 それを思うと、戦後の日本はいつまで80年前に終わった戦争を引きずっているのか。「この期に及んでまだ戦後の談話を出すのですか?」という感じですね。
 山上信吾(以下、山上):その視点は非常に大事です。確かに日本は大東亜戦争に負けて敗戦国になりました。しかし、戦後の歴史をよく見ると、日本はある意味で戦勝国でもあります。戦後の日本が何に勝利したのかというと、西側諸国の一員として冷戦の勝者になりました。その後も、負けるような戦争には一切関わっていません。
 山上:こうした展望に立てば、いい加減その時計の針を1945年で止めておくのではなく、もっと先に進める必要があります。そして、「今そこにある危機」に対応する心構えにギアチェンジすべきです。いつまでも過去に縛られ、歴史問題でああでもないこうでもないと騒いで振り回されている場合ではありません。
 私が思うに、歴史問題に関連して世界では今、大きなパラダイムシフトが起こりつつあります。
 2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻を機に、グローバル化を標榜していた冷戦後の曖昧な時代は終わりを告げました。
 思い返せば、冷戦終了後、冷戦の敗者たる共産主義陣営のロシアや中国のWTO加盟や、G7にロシアを加えてG8に拡大するなど、自由主義陣営(西側諸国)は法の支配に基づく国際秩序に中国・ロシアを取り込もうと努力を重ねてきましたが、結局のところ、ロシアも中国も、自由と民主主義という基本的価値を共有することはなく、力と脅迫によって現状を一方的に変更しようとしています。
 それどころか、ウクライナ侵略や東シナ海・南シナ海での攻撃的な姿勢に顕著に表れているように、第二次大戦後の国際社会の基本原則とルールを無視する行動が明らかになってきました。
 このような状況下で、今もなお大東亜戦争にまつわる歴史問題で日本を激しく攻撃しているのが、北朝鮮の強い影響下にある韓国の左派を除くと、中国・ロシア・北朝鮮という強権的な権威主義国家・独裁国家です。
 この事実が意味するところは何か。
 山上:まさに80年前の戦争で何が起きたかよりも、今目の前にある喫緊の課題・脅威にいかに対応すべきかが問われているのです。
 もちろん過去を振り返って、どこで戦略的な間違いを犯したか反省することは大切ですが、現実を見れば、さらに大きな問題がもう目の前に迫っています。今の日本には、後ろだけを振り返っている余裕などないですよね。しっかりと前を見ないといけません。
 山岡:山上先生がおっしゃっている、後ろを振り返ってばかりいないで、前を向いて今ある問題に対処すべきだという姿勢こそが、まさに「戦後レジームからの脱却」の意味だと思います。
 「12歳の少年」と馬鹿にされた日本人
 山岡:日本の敗戦に関して言うと、原爆や空襲で本土を焼け野原にされたという物理的な敗北もさることながら、精神的な敗北も非常に大きいものでした。それを象徴するエピソードとして、大真面目に「マッカーサー神社」を建てようとしていたという話があります。
 山上:東郷神社、乃木神社に加えてマッカーサー神社ね(笑)。ちなみに私は、環状2号線を「マッカーサー通り」とタクシーの運転手さんが呼ぶたびに窘(たしな)めています(笑)。
 山岡:ちなみに、「マッカーサー神社」というのは当時計画されていた「マッカーサー記念館」という施設の俗称であって、いわゆる日本の神社のような宗教的なものではないという話もありますが、そんな些細なことは問題の本質ではありません。神社であれ、記念館であれ、敗戦直後の日本人がマッカーサーを崇拝してしまうほど精神的に敗北していたことが問題です。
 山岡:マッカーサー神社を計画していた日本人たちは、GHQの許可を取って、場所まで決めていたそうですが(三宅坂の参謀本部跡)、そうこうしているうちにマッカーサーがトルーマン大統領に罷免されて、朝鮮戦争中にアメリカに帰国することになりました。
 帰国後、マッカーサーはアメリカ議会で演説し、そこで有名な「日本人は12歳」発言をします。
 「私の日本統治は歴史上稀に見る大成功だった。他にはジュリアス・シーザーぐらいしか敵国の統治に成功した例がない。一度民主主義を享受した日本がアメリカ側の陣営から出ていくことはない」
 と自慢するマッカーサーに、ロング上院議員が
 「あなたはそう言うが、ドイツも第一次大戦後、ワイマール憲法で非常に民主的な体制になった。しかし、その後、ヒトラーに熱狂したという事実がある。日本人もそうならないとは限らないのではないか」
 という主旨の質問をしました。
 すると、マッカーサーは
 「ドイツと日本とでは全然違う。ドイツ人は文明の発展過程を考えると、我々と同じ45歳くらいの年齢に達している成熟した人種だ。だが日本人は、アメリカ人だったら赤ん坊でも知っている民主主義を教えてもらって喜んでいる最中であり、12歳の少年のようなものだ」
 という主旨の答えを返したのです。
 山岡:アメリカ人の感覚で言うと、12歳というのはつまり、反抗期にも入っていない少年少女、ティーンエイジャーにもなっていない段階の精神成熟度合いです。要するに、ドイツ人は分別のある大人として、自分たちの損得勘定を熟考したうえで、国際秩序に逆らって戦争を行ったのに対して、日本人は分別のない状態で戦争を行った。その子供をしっかりと俺がしつけてきたからもう大丈夫。日本人が元に戻ることはない、というわけです。
 山上:屈辱的ですね。大日本国帝国憲法のもとで、大正デモクラシーなど一定の民主主義が自発的に根付いていた日本の歴史への無知と日本人の民度への軽侮を示すものでもあります。
 山岡:この「日本人は12歳」発言が日本に伝わると、日本人のマッカーサー熱も一気に冷めてしまい、マッカーサー神社の話も消え去りました。それでも首相の吉田茂は「マッカーサー元帥は日本が民主主義の過程においては未熟だから指導していると言っているのであって、日本人全体を貶めていたわけではない」と必死に弁護しますが、さすがにそこまで馬鹿にされると吉田の詭弁は通用しませんでした。
 *
 さらに【つづき】「日本はなぜ中国にナメられるのか…? 「弱腰」すぎる日本の外務省の「驚くべき態度」」の記事でも、二人の対話を追っていきます。
 『歴史戦と外交戦』(ワニブックス刊)
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 日本はなぜ中国にナメられるのか…? 「弱腰」すぎる日本の外務省の「驚くべき態度」
 日本人の「外交ベタ」っぷり、じつは「日露戦争」のときからほとんどかわっていなかった
 大日本帝国は「神話国家」だった…日本人が意外と知らない「敗戦前の日本」を支配していた「虚構」の正体
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🪗55:─2─中国と一部の日本人は日米共同軍事演習、南西諸島南へのミサイル配備、原潜保有に猛反対している。~No.175 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2026年9月16日 MicrosoftStartニュース kangnamtimes「「中国が猛反発」…北海道で米軍が動いた、南には“米軍ミサイル”も展開
 竹内智子
 15日午後0時20分、日米共同軍事演習「オリエント・シールド(OS)」が北海道恵庭市の陸上自衛隊北海道大演習場で行われた。上空には航空自衛隊のC-2輸送機2機が轟音とともに姿を現した。続いて米空軍のC-130J輸送機5機が後を追う。輸送機は上空を旋回しながら、空挺部隊員を約20人ずつ降下させた。
 約1時間の間に、米軍260人、自衛隊120人の計380人が高度340メートルの上空から飛び降り、パラシュートを開いて目標地点へ安全に着地した。着地した隊員らはパラシュートを回収した後、地上作戦を続ける。一部の隊員は一緒に吊り下げてきた大型の装具を胸に抱えて歩き、支援に来た仲間と抱き合って言葉を交わした。
 オリエント・シールドは陸軍を中心とする日米共同訓練で、この演習で空挺降下訓練が行われたのは今回が初めてとなる。この日の訓練に参加した米陸軍第11空挺師団は、アラスカを拠点に北極・寒冷地域での作戦を専門とする部隊だ。11日に輸送機で来日し、この日は東京都の米軍横田基地から自衛隊とともに北海道へ飛来した。自衛隊からは陸上自衛隊第1空挺団が参加している。自衛隊関係者は「空挺降下は雨、風、雲をすべて考慮しなければならない危険な訓練だ」とした上で、「車両や船舶で移動できない地域や、敵軍がいる奥地へ迅速に兵力を投入するためのものだ」と説明した。
 過去最大規模の日米陸軍演習
 8日に始まり24日まで続く今年のオリエント・シールドは過去最大規模で、日本2,390人、米国1,240人、オーストラリア70人の計3,700人が参加している。昨年からオーストラリアが加わり、日米豪による多国間共同訓練へと拡大した。今年は海上機動訓練も初めて実施している。自衛隊海上輸送群の輸送艦を活用し、横浜から日米の兵力や装備を運ぶ訓練だ。自衛隊海上輸送群は陸・海・空自衛隊を統合して新設された部隊で、有事の際に兵力、車両、武器、補給品を全国各地、特に南西諸島などの島しょ地域へ大量輸送するため、昨年新設された。南西諸島は台湾のすぐ隣に位置する島々で、中国をけん制する上での要衝となっている。
 鹿児島県では17~24日、米陸軍の移動式中距離ミサイルシステム「タイフォン」が展開される予定だ。米軍はトマホーク巡航ミサイルとSM-6を発射できるタイフォンを、6月の西太平洋実動演習「ヴァリアント・シールド」で海上自衛隊鹿屋航空基地に展開した後も、米国へ戻していない。このため、米軍がタイフォンを日本に常時展開するとの見方が出ている。ヴァリアント・シールドはもともと米国が隔年で実施していた演習だが、2024年から自衛隊が参加し、共同訓練へと転換された。
 日本が米国との軍事訓練を強化しているのは、中国の軍事活動が実質的な脅威として迫っているためだ。日米両国の防衛相は今年1月と5月に会談し、日本全域でより高度かつ実践的な訓練を行うとともに、南西地域での共同展開を強化することで合意した。実際、6月の「レゾリュート・ドラゴン」では、陸上自衛隊のV-22オスプレイが米軍普天間飛行場を経由地として活用し、南西諸島の宮古島や石垣島へ物資や患者を輸送する訓練を初めて実施している。
 こうした日米協力の強化は、先月の米韓合同軍事演習が縮小されたことと対照的だ。先月、11日間の日程で実施される予定だった米韓合同軍事演習「乙支フリーダム・シールド(UFS)」は、米国のドナルド・トランプ大統領の指示で5日間に短縮され、第2部の反撃作戦は全面的に中止された。
 多国間共同訓練も強化する日本
 この日、現場で取材に応じた自衛隊関係者は「自衛隊は主に米国と共同訓練を行ってきたが、最近はオーストラリア、フィリピン、英国、フランスなど、ほかの多くの国とも連携している」と語った。
 日本とオーストラリアは2023年に日豪円滑化協定(RAA)を締結し、相手国で部隊や装備を運用しやすくなっている。2年連続でオーストラリア軍がオリエント・シールドに参加したのに続き、先月には両国の防衛相が共同訓練をさらに複雑な多領域訓練へ発展させ、今後はローテーション展開まで推進することで一致した。
 フィリピンとのRAAが昨年発効した後、今年の「バリカタン」では、自衛隊が初めてフィリピン領内で武器を使用する実戦的な訓練に参加した。バリカタンは米国とフィリピンを中心とした訓練だったが、オーストラリアと日本が加わり、多国間訓練へと変わっている。韓国とは2024年から実施している「フリーダム・エッジ」を通じ、日米韓3か国による訓練の定例化と高度化を進めている。7~11日に行われたフリーダム・エッジでは、3か国間のリアルタイム情報共有と連携対処能力を強化した。
 中国とロシアは、こうした自由主義陣営の国々による軍事協力の強化に反発している。ロシアは、オリエント・シールドが自国の極東国境に近い北海道で実施されていることに反発する一方、米軍の中距離ミサイルシステムが日本に展開されたことを脅威と位置付け、「相応の措置」を取る可能性があると警告した。中国国防省の蒋斌報道官は14日、オリエント・シールドについて「『盾』という名で装っているが、実際には攻撃兵器の前方配備を推進するものだ」とした上で、「地域の安全と安定を深刻に脅かしている」と主張した。
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 9月19日 MicrosoftStartニュース 東京新聞「安保法成立11年「憲法守れ」「戦争したがる首相はいらない」国会前で市民が反戦訴え
 安全保障関連法の成立から11年となった19日、全国各地で、戦争や改憲に反対するデモやプロテスト(抗議)行動が行われた。国会正門前では、市民団体「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」などが主催するデモがあり、1万5000人(主催者発表)が安保法廃止や戦争反対を求めて声を上げた。
◆「力を合わせて、めちゃくちゃな政治を変えよう」
 2015年9月19日の同法成立後、毎月19日に「19日行動」として続けている。共同代表の菱山南帆子さんは「11年前より政治状況は悪くなったが、11年間の運動の積み重ねにより、楽しく多様性に満ちた市民運動をみんなが工夫している」と指摘。「力を合わせて、めちゃくちゃな政治を変えよう。あきらめてはならない」と呼びかけた。
 安保法制成立から11年、国会前で声を上げる人たち=19日、東京・永田町で(木戸佑撮影)
 東京都杉並区の99歳の男性は、太平洋戦争中、練習機を特攻機に改修する仕事に就いていた経験に触れ「(特攻に向かう)20歳前後の兵隊が、別れの茶わん酒をまともに飲めなかった姿が忘れられない。戦争は絶対やってはダメ。戦争で得をするのは一部の政治家と軍需産業だけだ」などと強調。心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患った旧日本兵の「家族会・寄り添う市民の会」で活動する78歳の男性は「PTSDを発症する1人の自衛隊員も、つくってはならない。戦場に送ってはならない」と呼びかけた。
 参加者らは、音楽に合わせて「安保法制今すぐ廃止」「憲法守れ」「戦争したがる首相はいらない」「税金は暮らしに使え」などとコールを繰り返した。
 主催者によると、全国の330カ所以上で、国会前と連携する活動が行われた。(高山晶一)
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 9月12日 MicrosoftStartニュース kangnamtimes「小泉防衛相、原潜保有を排除せず…安保3文書を年内改定へ
 望月博樹 によ
 安保3文書の改定も進行中
 小泉進次郎防衛相は核潜水艦の保有に関して今年の安保3文書の改正可能性を排除せず、全ての選択肢を考慮すると11日の記者会見で明らかにしたと時事通信が報じた。
 核潜水艦について小泉防衛相は、長時間潜水が可能で既存の潜水艦より数倍速い速度を出せると指摘した。乗組員の安全を維持しつつ、より高い水準の安全性を確保できるとし、特定の結論を念頭に置かないと述べた。
 ただし、核潜水艦は高コストで、維持・保守、整備、運用に専門的な技術力が必要な点も言及した。
 核潜水艦の保有に関して、日本維新の会は6月に政府に安保3文書の改定を提案し、核潜水艦の導入を要請していた。
 9日、アメリカ海軍関係者は日本が原子力発電所を保有し、発電技術を持っていることを肯定的に評価した。
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 9月19日 MicrosoftStartニュース 朝日新聞「日米防衛相が電話協議 小泉氏「防衛力変革、これまで以上の切迫感」
 会談前、撮影に応じる米国のヘグセス国防長官(左)と小泉進次郎防衛相=2026年5月30日午後2時54分、シンガポール、長島一浩撮影
 © 朝日新聞社
 防衛省は19日、小泉進次郎防衛相とヘグセス米国防長官が18日に電話で協議したと発表した。ヘグセス氏は、内閣改造で留任した小泉氏に祝意を示した。小泉氏は、安全保障関連3文書の改定に向けて取り組んでいることを踏まえ、「防衛力の変革に向け、これまで以上の速度と強度で取り組むべきだとの切迫感を感じている」との考えを伝えたという。
 【画像】留任の小泉進次郎防衛相 発信力には定評、「危うさ」指摘も
 両氏は、日米同盟の抑止力・対処力を強化するための幅広い安全保障協力について、切迫感を持って推進していくことで一致した。近日中に対面で会うことも確認した。(清宮涼)
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 9月19日 MicrosoftStartニュース 政経フォーカス「中国の専門家、日本の軍備増強に警戒…「東アジアのイスラエルになる恐れ」
 岡田 慎吾
 防衛費をGDP比3.5%まで引き上げる可能性に言及…「軍国主義の復活に警戒すべき」と主張
 中国の専門家らが北京香山フォーラムで、日本の防衛費増額の動きを巡り、再軍備や「軍国主義の復活」に警戒すべきだと主張した。
 18日、香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポスト(SCMP)によると、中国の専門家らは17日に閉幕した第13回北京香山フォーラムで、日本の軍備増強がアジア太平洋地域の安全を脅かす可能性があると警告した。
 こうした主張は、日本が北大西洋条約機構(NATO)加盟国やその他の米国の同盟国に歩調を合わせ、中期的に防衛費を国内総生産(GDP)比で最大3.5%まで引き上げる案を検討しているとの報道を受けて出た。
中国人民大学重陽金融研究院の周戎上級研究員は、香山フォーラムで「日本が防衛費をGDP比3.5%に引き上げようとする背景には、米国の影響がある」と述べた。
 さらに、「中国に対して敵対的な態度を示したり、中国を安全保障上の脅威と認識したりする日本国内の保守勢力による激しい主張とも関連している」と指摘した。
 周研究員は、日本が中国に対する非友好的な政策を短期間で転換する可能性は低いとして、防衛費の増額もこうした政策の一環だと分析した。
 また、日本の武器輸出の規模や、自衛隊が平和維持活動ではなく、戦闘任務を伴う形で海外に派遣されるかどうかを注視すべきだと主張した。
 香港中文大学(深圳)公共政策学院の鄭永年院長は、日本が「東アジアのイスラエル」となる危険があり、地域に深刻な影響をもたらすと警告した。
 鄭院長は「中東でイスラエルが米国を『誘拐』したことと類似の流れが東アジアでも現れている」と述べた。また、「日本が『東アジアのイスラエル』となり、米国を『誘拐』しようとするならば、地域の災厄となるだろう」と語った。
 SCMPは、日本が第二次世界大戦後に維持してきた平和主義路線からの転換を進める中、長距離ミサイルの導入や無人機戦力の強化、防衛協力の相手国の拡大などを推進していると伝えた。
 ただし、日本の防衛省は15日、防衛費をGDP比3.5%まで大幅に増やす用意があるとの意向を米国側に示したとの報道を否定した。
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 9月20日 MicrosoftStartニュース FNNプライムオンライン「高市総理が「不測の事態への備え」を指示 北朝鮮が弾道ミサイルの可能性のあるもの発射受け
 © FNNプライムオンライン
 北朝鮮が弾道ミサイルの可能性のあるものを発射したことを受けて、高市総理大臣は20日、関係省庁に対し、「不測の事態に備えるよう」指示した。
 高市総理は発射直後に関係省庁に対し、次の3点を指示した。①情報収集・分析に全力を挙げ、国民に対して、迅速・的確な情報提供を行うこと ②航空機、船舶等の安全確認をすること、③不測の事態に備え、万全の態勢をとること。
 防衛省によりますと、北朝鮮が発射した弾道ミサイルの可能性のあるものは、すでに落下し、日本の排他的経済水域(EEZ)内への飛来は確認されていないという。
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 9月20日 MicrosoftStartニュース 日テレNEWS NNN「北朝鮮「1日に2度」弾道ミサイル発射 EEZ外に落下と推定
 防衛省によると、北朝鮮は20日午後3時頃と、午後5時54分頃、2度にわたり東岸付近からそれぞれ少なくとも1発の弾道ミサイルを発射しました。
 午後3時ごろに発射されたミサイルは、最高高度60キロ程度で、およそ440キロメートル飛び、日本のEEZ=排他的経済水域の外の日本海に落下したと推定されています。 その後、午後5時54分ごろに発射されたミサイルは、最高高度70キロ程度で、およそ590キロメートル飛び、日本のEEZ=排他的経済水域の外の日本海に落下したと推定されています。
 いずれのミサイルについても、現時点で被害の情報は確認されていないということです。
 小泉防衛相は、北朝鮮が立て続けに弾道ミサイルを発射した意図については「確定的に答えることは困難」とした上で、「どのような狙いがあるにせよ、北朝鮮による核ミサイル開発は我が国および国際社会の平和と安全を脅かすとともに、関連する安保理決議に違反するものであり断じて容認できない」と強調しました。
 日本政府は北朝鮮に対し、北京の大使館ルートを通じて厳重に抗議したということです。
 関連するビデオ: 北朝鮮“弾道ミサイル”きょう2度発射 いずれもEEZ外に落下か (日テレNEWS NNN)
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 9月20日 MicrosoftStartニュース 東京新聞「新宿駅周辺で不戦誓う催し 作家・渡辺さん、歴史学ぶ大切さ訴え 反差別の音楽街宣も
 スピーチで自身の生い立ちや戦争への思いなどを話す渡辺一枝さん(左)=新宿駅南口で
 1931年の満州事変の発端で、その後の日中戦争、太平洋戦争につながった柳条湖事件からちょうど95年の18日夜、東京都の新宿駅南口で不戦を誓う集会が開かれ、参加者は「平和を守ろう」「軍拡反対」などと声を上げた。
 終戦の1945年に旧満州(中国東北部)・ハルビン市で生まれた作家、渡辺一枝さんも参加した。スピーチでは朝鮮で生まれた父親が旧日本軍に召集され亡くなったことや、87年にハルビンを訪れ高齢の中国人女性に戦争について個人的に謝罪した際、「日本の政府と軍が悪かった」と言われたエピソードなどを紹介。「自分の生い立ちからも歴史には謙虚でありたい」と、過去に学ぶ大切さを訴えた。
 集会は有志グループ「青と花と光のレジスタンス」と「新宿ペンライトアクション」が、過去の侵略の歴史と向き合い「過ちを繰り返さない」と誓う場を持とうと企画した。
 同じ時間帯に駅東南口では、ロックを響かせながら反差別や反戦をアピールする音楽街宣もあった。読書や絵を描いて反差別などを訴える有志グループ「路哲(ろてつ)」が主催し、参加者は激しいビートとともに「ノーヘイト」「戦争反対」などとコールを繰り返した。
 ロックのビートに乗せて反差別や反戦を訴えた音楽街宣=新宿駅東南口で
 スピーチでは、難民や入国管理行政の問題に取り組む児玉晃一弁護士が「外国人を差別する排外主義は絶対に間違っている」と訴え、ハーモニカで演奏に加わった。(飯田克志)
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 9月20日 YAHOO!JAPANニュース 産経新聞「安保法制成立11年、国会前で反対集会 ラサール氏、高市政権の発信を「ナチスそのもの」
 国会正門前で開かれた安全保障関連法の廃止を求める集会=9月19日午後、東京都千代田区(奥原慎平撮影)
 © 産経新聞
 集団的自衛権の限定的な行使を認める安全保障関連法の成立から11年となった19日、東京・永田町の国会正門前で同法の廃止を求める集会が開かれた。社民党のラサール石井幹事長、立憲民主党の小西洋之参院議員、共産党の田村智子委員長らも参加した。ラサール氏は政府広報を「ほぼほぼプロパガンダだ」と述べ、高市早苗政権の広報・発信を「ナチスそのものじゃありませんか」と批判した。
 社民党のラサール石井幹事長(右)
 © 産経新聞
 「法務大臣の時に4人殺しています」
 立憲民主党の小西洋之参院議員
 © 産経新聞
 政府は令和9年度予算の概算要求で、政府広報室の予算を前年度の約78億円から約280億円に増やすよう求めている。 ラサール氏は「一流企業の広告費ぐらいの値段だ。ほぼほぼプロパガンダだ」と批判した。ナチス政権が宣伝省を設け、新聞やラジオ、映画を使った宣伝を重視した点を引き合いに、「こんな方法、一体何に似ているかと言ったら、ナチスそのものじゃありませんか」と主張した。
 共産党の田村智子委員長
 © 産経新聞
 第2次高市早苗改造内閣の顔ぶれにも言及した。再任された山下貴司法相について「前の法務大臣の時に2回死刑をやって、4人殺しています。この中には再審請求中の人もいた」と述べた。山下氏は2018(平成30)年10月に法相に就き、在任中に計4人の死刑が執行された。
 ラサール氏は「殺しています」と表現した。
 小西氏「殴られた写真が世界に」
 小西氏は2015(平成27)年の安保法制審議を振り返り、参院特別委員会で採決を阻止しようとした際、「自衛官出身の『ヒゲの佐藤隊長』(=佐藤正久前参院議員)」に「ぶん殴られた」と主張した。「当時、CNNの報道によれば、日本から世界に発信された一番大量の情報が私の殴られた写真だったそうだ」と語った。同年9月17日の特別委員会では採決を巡って議場が騒然となり、佐藤氏が与党筆頭理事を務めていた。
 「世界の人たちにとっても、この安保法制の強行採決は本当に大事件だった」とも語った。
 「政権交代が争点まで攻め込んだ」
 安保法制の制定を巡っては、当時の民主党や共産党などが反対し、国政選挙で候補者を一本化する野党共闘の流れにつながった経緯がある。2021(令和3)年衆院選では立憲民主党が共産党と選挙協力を進めた一方、自民党からは、両党の接近を「立憲共産党」(麻生太郎副総裁)などと皮肉る声が上がった。立民はその後、共産との距離を取り、今年2月の衆院選では現実路線を掲げ、公明党出身者らと中道改革連合を結成した。
 田村氏は当時について「本当に2021年には政権交代が争点となるところまで攻め込んだ」と述べ、「心底恐れた自民党などによって激しい野党共闘攻撃が行われて、市民と野党の共闘から、残念ながら脱落する政治家、政党が出てきてしまった。あるいは自民党に協力する立場の新しい政党が生まれてしまった」と語った。
 そのうえで「今一度、市民と野党の共闘を草の根からどんどん広げていって、私たちが攻めていく。この状況を変えていく時ではないか」と訴え、「共闘こそ力だ。たたかいこそ政治を変える」と呼びかけた。
 野田氏「史上最小の最大野党」
 上智大の中野晃一教授は、立民出身の野田佳彦・元中道共同代表を名指しし、「野田さんのすごいところは、日本記録、そして自己記録を更新して、史上最小の最大野党を作ってしまって、それまで潰れちゃったという状況をもたらした」と皮肉った。中野氏は野党共闘を支援する「市民連合」の呼び掛け人だった。
 中野氏は、集会に参加した国会議員について「一番つらい時に裏切らなかった人たちの顔、ちゃんと覚えておきましょう」と述べ、「後で裏切った連中も、しれっとして戻ってくるかもしれない。本当は許さないけど、許した顔して迎え入れてあげましょう。それしか選択肢はないんです」と語った。(奥原慎平)
 共産・志位氏、令和3年衆院選で野党共闘が「効果」
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 9月20日 MicrosoftStartニュース Record China「靖国神社での放尿の目的はフォロワー数、「愛国主義はならず者の避難所」と批判―華字メディア
 華字メディアである文学城は、鉄頭(本名・董光明、写真)に恐喝の罪で実刑判決を言い渡されたことについて、愛国主義はならず者の最後の避難所と評する記事を発表した。鉄頭は靖国神社の石柱に放尿したことがある。
 © Record China
 中国浙江省にある杭州市浜江区人民法院(裁判所)は9月11日、鉄頭(本名・董光明)に恐喝の罪で懲役8年の実刑判決を言い渡した。董は日本に行き靖国神社の石柱に放尿し、赤いスプレーで「Toilet(トイレ)」と落書きして、その動画を拡散することでも注目を集めようとした。海外在住の中華系住民向けの華字メディアである文学城はこのほど、董光明の行為を「愛国主義はならず者の最後の避難所だ」と厳しく批判する記事を掲載した。以下は同記事の主要部分に、日本人読者向けの情報の追加を含めて、再構成したものだ。
 報道によれば、鉄頭は杭州市内の裁判所を退廷する際に法廷を罵倒した。本当に度が過ぎるほど狂っている。鉄頭は偽物撲滅の旗印を掲げ、「勧善懲悪」と称しながら、実際には恐喝行為も行っていた。偽物撲滅の標的にした業者に金銭を要求し、支払わなければネットで暴露してアクセスを稼ぎ、「消費者の味方」という評価を得ていた。
 業者が不正を行っていれば、それは一つの問題だ。しかし、恐喝が許されるかどうかは別問題だ。相手が「悪人」だからといって、自分のやることすべてが正しいということにはならない。鉄頭は勧善懲悪の旗印を掲げていても、実際にはならず者だった。正しいやり方、すなわち関係部門に通報することなどはしなかった。
 この鉄頭は一時期、偽物を憎むネットユーザーの感情をつかみ、1000万人のフォロワーを急速に集めた。多くの人が鉄頭は勇者であり侠客であり、危険を冒して偽物撲滅に立ち向かっていると信じていた。
 しかしその後、鉄頭はライブ配信の中で自分が買春したことを話し、結果としてアカウントを封鎖された。鉄頭はその後もインターネットで生計を立てていきたいと考え、多くの努力をした。その中での最大の行動は、日本の靖国神社に行って放尿し、赤いスプレーで「Toilet(トイレ)」という英単語をスプレーで落書きし、その動画を配信したことだった。その直後には称賛の嵐が発生し、あたかも「愛国キャラクター」を改めて確立したかのようだった。
 しかし今から見れば、恐喝で懲役8年の判決を受けたことで、鉄頭がならず者で無頼漢であることが十分に証明されたことになる。そしてならず者や無頼漢が追い詰められた時、彼らは愛国主義を使って自らが再起しようとするのだ。
 これは以前から言われてきた。あの言葉に合致しているのではないか。すなわち「愛国主義はならず者と無頼漢の最後の避難所」だ。
 もし本当に愛国心を持っているなら、最低限でも法律を尊重し、規則を尊重せねばならない。愛国主義をアクセスを稼ぐ道具にしてはならず、ましてやそれを自分の再起の道具にしてはならない。(翻訳・編集/如月隼人)
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 9月20日 YAHOO!JAPANニュース AERA DIGITAL「沖縄県知事選に思う 「誰のせいにもしない」敵を名づけない闘いは「弱い人」を犠牲にはしないか 北原みのり
 当選が確実となって喜ぶ古謝玄太氏(中央)=2026年9月13日午後8時4分、那覇市
 沖縄県知事選挙、古謝玄太氏の圧勝に驚いた。事前の報道では、現職の玉城デニー氏と接戦、または若干古謝氏がリードというものが大半だった。古謝氏がデニー氏に約15万票の差までつけて圧勝することを、いったい誰が予測できただろう? 
 【写真】落選が確実となり、報道陣の質問に応じる玉城デニー氏
 故・安倍晋三さんが総理大臣だった時代、辺野古への基地移設が強引に進められる政治状況のなか、基地建設反対運動に何度か参加したことがある。初めて辺野古の海岸に立ったとき、座り込みの日数が記されている立て看板に驚き、二度見したのをよく覚えている。私が行ったのは10年ほど前だが、その時点で座り込みの日数は5000日を超えていた。
 そう、辺野古基地建設反対運動の歴史は長い。「新しい基地を造らせるわけにはいかない」と抗議運動が始められたのは1997年。運動の中心にいたのは、沖縄戦を体験した高齢女性たちだった。海を守るために、命を守るために、女性を守るために、辺野古の海を監視する。そんな高齢女性たちによる静かな抗議運動の“新しさ”に私は胸を強くつかまれた。
 それでも安倍政権下では、“おばあたち”(沖縄では敬意と親しみを込めてこう呼ぶ)による抗議活動がこれまでにない誹謗中傷にさらされるようになった。「中国に攻められたらどうするんだ?」「日本が嫌いなのか?」と嘲笑するような“愛国の人々”の姿があからさまに目立つようになった。安倍さんの時代は、 “そういう人たち”が本土からやって来たり、そして“そういう人たち”に対立する過激な人たちが本土からやって来たりして、沖縄が日本の政治的分断の現場であるかのような騒がしさがどんどん増していった。
 だからこそ、「イデオロギーよりアイデンティティー」を掲げたオール沖縄の存在は、希望だったのだ。2018年の玉城デニー氏の大勝は「この国の希望」でもあったのだ。
 あれから8年。辺野古基地建設反対抗議活動が始まって約30年。今回、共同通信社の出口調査によると、60代以下の全ての世代で基地を容認する古謝氏の票が玉城氏を上回り、10~30代の7割は古謝氏に投票した(共同通信の出口調査から)。女性票も古謝氏が上回った。SNSでのデマや誹謗中傷によって票が古謝氏に流れたという声もあるが、これほどの差はSNSの影響だけでは説明がつかない。イデオロギーよりアイデンティティーでつながってきたオール沖縄の存在が薄まり、既存の革新政党が空中分解してしまった現実の重さを何よりも突きつけられる。イデオロギーよりもアイデンティティー……よりも生活。辺野古の海を諦めたのではなく、「今」にいったん区切りを打ちたい、という市民の声が勝った。
 古謝氏は、「誰かのせいにしない沖縄」を掲げて選挙を戦った。
 「国を悪者にして、あるいは大企業、県外の資本、こうしたところを悪者にして、沖縄の暮らしが良くならないと嘆くのは簡単だが、それでは沖縄は変わらない。誰かのせいにして、今を諦めるのはもうやめましょう」
 これはとても今的な発想だ。というか、私も同じようなことを最近よく言われる。「男を悪者にして嘆くのは簡単だが、それでは社会は変わらない」と。女だからといっていつまでも被害者でいてはいけない、男に敵対しないほうがいい……そんなふうにたしなめるのが今どきのフェミニズムだったりするのだ。そう、フェミニズムも「誰かのせい」にはせず、社会にほほ笑む時代。古謝氏の言うことは時代に合っているのかもしれない。
 でも、あえて時代に反論するならば、「自分を苦しめる誰か」を見定めなきゃ、闘えないんだよ。「誰かが」がわからないと、闘い方を間違えるんだよ。声を上げるということは、「誰か」の名前を明らかにすることなんだよ。なにより、そうやって、女は、沖縄は、闘ってきたんだよ。つまり「誰のせいにもしない沖縄」とは、沖縄が「敵は特定しません、闘いません」と宣言したようなものなのだろう。
 私が沖縄の基地問題に関心を持つようになったのは、1995年、小学生の女の子が米兵3人に性暴力を受けた事件がきっかけだった。この事件がきっかけになって、沖縄の女性たちが、米軍基地があること、そのこと自体に抗議の声を上げたのだ。あのとき、大きな権力の前にずっと口を塞がれてきた女の痛みが、あふれるように出てきた。その声がどれほど画期的だったか今ならわかる。軍隊と性の問題が90年代になってようやく、公で語られるようになったのだ。
 普天間飛行場の全面返還が合意されたのは、女性たちが基地反対の必死の声を上げ始めたその翌年だ。いつの間にか、「普天間基地は危険だから移設するしかない」という話になっているが、普天間が危険だから、ではなく、基地そのものが沖縄の女性たちにとってリスクである、という話から始まった基地反対運動だった。
 そう、沖縄の基地問題をめぐる長い闘いの始まりは少女への性暴力だったのだ。あれから30年。いまだに米兵、米軍関係者による性暴力事件は後を絶たない。いったいこれまで何人の女性が被害にあい、そして何人の女性が殺されてきたか。誰のせいにもしない沖縄は、自分のせいにしていくしかないのだろうか。敵を名づけない闘いは、結局、一番弱い人を犠牲にするのではないか。性と国家の暴力に倒れた名も無い女性たちの無念は、いったいいつになったら癒やされるのだろうか。
 こう書きながらふと手が止まる。女性に向けられ続けてきた性暴力について、今回の知事選で語られることはあったのだろうか。
 北原みのり
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🌥2¦ー3ー沖縄の若者たちは変革への期待から古謝知事を選んだ。~No.4No.5 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 2026年9月19日 MicrosoftStartニュース 共同通信「初当選の古謝氏に爆破予告 沖縄県知事就任の辞退要求
 古謝玄太氏
 © 共同通信
 沖縄県知事選で初当選した古謝玄太氏は19日、自身の公式ホームページに知事就任の辞退を要求し、応じなければ家族に関係する学校や県庁を爆破するという趣旨の脅迫があったとのコメントを発表した。警察に相談しており、捜査中だとした。
 コメントによると、古謝氏や家族への殺害予告があったほか、公共施設や県内の事業所などに危害を加えるという内容もあった。
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 無人機墜落対応巡り防衛相が鳥取知事に謝罪
 首相、沖縄経済振興へ連携 古謝氏、知事選支援に謝意
   ・   ・   ・    
  9月18日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「沖縄県民はなぜ「古謝知事」を選んだのか…アメリカ人政治学者が見抜いた「若者たちの変革への期待」
ロバート・D・エルドリッヂ(政治学者・台湾外交部フェロー・淡江大学客員研究員・元米海兵隊太平洋基地政務外交部次長) によるストーリー
 選挙地図そのものの再編
 沖縄県の有権者116万5704人は、2026年9月13日、1972年の本土復帰以来15回目となる県知事選挙の投票に臨み、6人の候補者の中から次期知事を選んだ。これは、日本が2016年に選挙権年齢を18歳に引き下げて以降、3回目の県知事選挙であった。
 42歳の古謝玄太氏の勝利は、単一の争点によってもたらされたものではない。古謝氏は、与党・自由民主党、その連立パートナーである日本維新の会、国民民主党、参政党、日本保守党から正式な推薦を受け、さらに自民党の旧連立パートナーである公明党からも支持を得た。
 その勝利は、経済的不安、世代交代、いわゆる「オール沖縄」統一戦線の組織的衰退と内部対立、12年間にわたる効果に乏しい県政と数十年に及ぶ中央政府との対立への疲労、SNSや新たな情報源の台頭、そして基地問題に対する沖縄県民の優先順位の大きな変化が重なり合った結果である。
 さらに、従来から反基地・反政府の立場を予測可能なほど繰り返してきた左派系「オールドメディア」である『沖縄タイムス』や『琉球新報』に代わり、SNSなどから情報を得る県民が増えたこと、そして1996年の沖縄に関する特別行動委員会(SACO)合意以来、過去30年間に中央政府が沖縄の懸念に対応してきた取り組みに対する肯定的評価も重要であった。
 玉城デニー候補 玉城事務所HP
 © 現代ビジネス
 6人の候補者の中で最年少だった古謝氏は、“得票率59.42%“を獲得した。現職の玉城氏はわずか38.77%であり、その差は20ポイントを超えた。
 古謝氏の得票は42万3,000票を超え、沖縄の本土復帰後の県知事選挙として史上最多となった。一方、玉城デニー知事は約27万6000票にとどまった。約15万票もの差で落選した。
 これは僅差の「現職批判票」ではない。選挙地図そのものの再編であった。 「何もしない、中国寄りの左派」に、ひょっとすると永久に別れを告げる結果となったのである。
 古謝氏はなぜ勝ったのか
 以下は暫定的な分析である。選挙を――そして歴史を――興味深いものにする数々の逸話、エピソード、出来事については、今後補足する必要がある。現時点でも、勝利を説明する理由として、30年間以上、戦後沖縄の政治史を研究してきた私は15項目を思いつく。今後さらに分析を進めれば、ほかの要因も明らかになるだろう。
1.古謝氏は選挙の中心を「経済的成果」に据えた
 これが最も重要な理由である。
 沖縄の家計は依然として、相対的に低い賃金、高い交通費・エネルギー費、食料価格の高騰、住宅問題、そして島嶼経済特有の不利な条件に直面している。
 古謝氏は、所得、投資、雇用、子育て費用、東京との経済協力について直接訴えた。そのメッセージは、要するにこうであった。
 「沖縄を前へ進め、結果を出さなければならない」
 これは、すでに決定済みの普天間飛行場の一部機能のキャンプ・シュワブ(辺野古)への移設をめぐり、再び住民投票のような選挙を繰り返すよりも、有権者が直面する切実な問題に合致していた。
 玉城氏を嫌っていない有権者でさえ、東京との関係が良好な知事の方が、投資、インフラ整備、補助金、行政協力をより効果的に引き出せるのではないか、と判断することができた。
 古謝玄太事務所HPより
 © 現代ビジネス
 未来か、過去か
2.古謝氏は未来を語り、玉城氏は昨日の選挙を戦った
 「オール沖縄」という方式は、2014年から玉城氏が勝利した2018年、2022年にかけて、極めて大きな効果を発揮した。
 すなわち、進歩派政党と反基地の立場を取る機会主義的な保守層を結集し、辺野古を最優先の道徳的・政治的争点とし、選挙を「東京に対して沖縄の自治を守る戦い」と位置づけ、故・翁長雄志知事の象徴的遺産によってイデオロギー上の違いを乗り越える、という方式である。
 しかし2026年までには、その方式の効果は明らかに低下していた。
 県民が基地負担を気にしなくなったわけではない。むしろ、多くの県民が、県知事選挙のたびに何もかもを辺野古問題に集約することを望まなくなったのである。
 基地問題を最優先した有権者では玉城氏が勝った。しかし、それよりはるかに大きな「経済を最優先する有権者」の集団では古謝氏が勝った。それがこの選挙の基本的な算数である。
 また、「オール沖縄」がそれほど強かったというより、自民党と保守勢力が弱かったという点にも注目すべきである。保守側は分裂し、些細な違いや対立によって協力できなかった。つまり、自民党は自らの最大の敵だったのである。
 2014年、2018年、2022年の知事選で左派が連勝できたのは、「オール沖縄」が圧倒的に強かったからではない。自民党側がガードを下げ、攻勢に出なかったからである。(映画『ロッキー』第1作を思い浮かべてほしい。)
 しかし、いったん攻勢に出れば勝てることは、今年初めの総選挙で史上初めて沖縄の全4選挙区を制したこと、そして今回の県知事選挙によって示された。
 世代交代の要因
3.若い沖縄県民は圧倒的に古謝氏を支持した
 古謝氏は世代交代を象徴した。一方、66歳の玉城氏は、10年以上前に形成された政治的枠組みの継続を象徴していた。
 10代から30代の有権者では、古謝氏の支持率は70%を超えた。
 その背景には複数の要因が考えられる。若い有権者は1995~2014年の政治的対立を個人的体験として持つ度合いが低い。彼らにとっては、賃金、キャリア、住宅、そして沖縄に住み続けられるかどうかの方が切実である。
 また、新聞、労働組合、伝統的組織よりもSNSを通じて政治情報を得ている。さらに古謝氏は、過去の保守系候補が抱えていた「荷物」を背負わずに変化を提示する候補に見えた。
 その若さと見せ方によって、「沖縄の未来を代表する人物」としての説得力も高まった。
 これは長期的に見て、今回の選挙で最も重要な結果かもしれない。反辺野古連合は現在、高齢層で最も強く、その支持を次世代へ再生産する能力は大きく弱まっているように見える。
 那覇市繁華街 by Gettyimages
 © 現代ビジネス
4.古謝氏は魅力ある「変革候補」だった
 古謝氏は比較的若く、地域に根差し、元那覇市副市長、それ以前には中央政府の官僚として行政経験を持っていた。
 そのため、イデオロギー色の強い保守政治家というよりも、実務的な行政運営者として選挙を戦うことができた。
 「沖縄を前へ」というスローガンも適切だった。
 それは、沖縄のアイデンティティーを攻撃したり、基地に対する正当な懸念を否定したりすることなく、「沖縄は停滞している」というメッセージを暗に伝えた。
 これによって古謝氏は、①世代交代、②経済発展、③国との機能的な関係の回復、という三つのメッセージを組み合わせることができた。
 若い家族も積極的に選挙運動に参加し、次世代により良く、より強い沖縄を引き継ぎたいという思いが、古謝氏自身にとっても切実な問題であることを示した。
 「オール沖縄」の衰退
5.反玉城票が異例なほど一本化された
 古謝氏は非常に幅広い支持体制を構築した。自民党、日本維新の会、国民民主党、参政党、日本保守党、そして地元公明党組織が、おおむね同じ側に立った。
 出口調査によれば、古謝氏は自民党支持層の80%以上、参政党支持層の80%以上、公明党支持層の75.4%を獲得した。
 これは見事なまでの「連合の規律」である。
 古謝氏は無党派層で勝つ必要さえなかった。中道右派・保守票を一本化すると同時に、玉城氏の旧支持者の一部まで取り込んだからである。
6.市町村レベルの政治力はすでに変化していた
 選挙前、沖縄県内41市町村長のうち、29人が古謝氏を支持し、玉城氏支持はわずか6人だったと報じられている。
 市町村長がもたらすのは推薦だけではない。地方議員、建設業界・経済界のネットワーク、地域組織、選挙運動員、そして地域特有の不満や課題についての知識をもたらす。
 これにより古謝氏は、県内全域に極めて幅広い組織基盤を築くことができた。
 したがって、この結果は投票日に突然生まれたものではない。市長選、市町村議会選、県議会選などで、保守・中道右派勢力が数年にわたり勢力を拡大してきた延長線上にある。県議会における玉城氏の立場の弱体化は、その前兆だった。
7.「オール沖縄」は、もはや本当の意味で「オール沖縄」ではない
 翁長雄志元知事――元自民党員でもあった――が率いた初期の運動を選挙において強力なものにした保守層や経済界の参加は、徐々に失われていった。
 翁長雄志・元沖縄県知事
 © 現代ビジネス
 2018年の翁長氏死去後、「オール沖縄」は次第に、立憲民主党、共産党、社会民主党を中心とする従来型の進歩派連合に近いものとなった。
 玉城氏は依然として、これらの政党の支持者の90%以上を獲得した。問題は左派支持層からの票の流出ではない。連合全体の裾野そのものが縮小したことである。
 その一因は死去――左派支持者には高齢者が多い――と支持基盤の自然減であり、その選挙力は、おそらく恒久的に弱まっている。
 出口調査はこれを正確に示している。無党派層では玉城氏が56.2%対40.9%で古謝氏を上回った。通常ならこれは大きな強みである。
 それでも大敗したのは、古謝氏の組織化された連合の方が大きく、しかも古謝氏が玉城氏の旧支持層にまで食い込んだからである。
 【続けて読む】「課題は多いが、これからの沖縄にはより良い未来が待っている」アメリカ人政治学者が沖縄県知事選挙から導き出した結論
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 9月18日 YAHOO!JAPANニュース デイリー新潮「【決定版】「オール沖縄」はなぜ完敗したのか…保革連合からの変質、“辺野古転覆事故”の影響だけではない「玉城デニー」が敗れた“不都合な真実”
 玉城デニー“前知事”
 沖縄県知事選挙が終わった。「僅差の対決」という事前の予想を裏切るかのように、保守系新人の古謝玄太氏の圧勝だった。
 【写真を見る】言葉を詰まらせ、手を震わせながら応援演説に臨む古謝玄太候補の妻・亜希子さん。地元では「選挙結果を左右する」ほどの注目度だという。
 現在の筆者は、安堵と不安がない交ぜになった、なんとも言えない気分である。翁長雄志、玉城デニーと続いた「オール沖縄」の時代は、ひとまず終焉を迎えた。何が起きたのか、そしてこれから何が起こるのかを、手元の数字に即して整理しておきたい。
 なお、この選挙結果を機に、基地問題も含む「沖縄問題」(沖縄社会と沖縄政治に関わる諸問題)から完全に手を引こうと思っているが、先行きがどうなるか、神のみぞ知るところである。【篠原章/批評家】
 (全2回の第1回)
 「オール沖縄」とは誰だったのか
 2026年の沖縄県知事選挙は、単なる知事の交代ではなかった。2014年以来、12年にわたって沖縄政治を支配してきた「オール沖縄」という枠組みが終わり、新しい世代へ主役が交代した選挙だった。
 古謝玄太氏は42万3124票、得票率59.4%を獲得した。玉城デニー氏は27万6060票、38.8%。その差は14万7000票に達した。古謝氏は大宜味村を除く40市町村で勝利している。
 42歳で歴代最年少。初めての本土復帰後生まれの知事であり、得票数も歴代最多である。これほど大きな勝利を、候補者の人気や一時的な追い風だけで説明することはできない。以下、何がこの結果を用意したのかを、順を追って見ていきたい。
 分析に入る前に、敗れた側が何であったかを確認しておきたい。ここを押さえておかないと、今回の結果は理解できない。
 翁長雄志、玉城デニーの両知事の政治的スタンスは、もともと「保守」の側に属していた。沖縄における保革連合を「オール沖縄」と呼んだのは、そのためである。保守政治家である翁長氏を革新勢力と保守系経済人が共に担いだ――そこにこの枠組みの新しさがあった。
 ところが、翁長氏逝去後の18年以降は、保守側に出自を持つ者は(民主党出身とは言え小沢一郎と一時昵懇の間柄にあった)玉城デニーぐらいで、他はベ平連のような市民団体や新左翼の出身者を含む活動家や日本社会党の残党、そして現役社民党員・共産党員だった。連合組合員もいたが、そのほとんどは公務員・教員であり、古典的な左翼性が強いマジメな「活動家」だった。
 つまり18年以降の「オール沖縄」は、名称に反して、すでに保革連合ではなくなっていた。実態は旧来型の革新共闘であり、そこに玉城デニーという個人の人気が乗っていたに過ぎない。金秀グループやかりゆしグループといった経済界が離れ、名護や那覇で保守系の首長が次々に生まれていったのは、この変質と表裏一体である。今回の敗北は、この8年間の変質が最後に表面化したものだと見た方がよい。
 “保守の一本化”における下地幹郎氏の「役割」
 過去の沖縄の知事選では、保守系の候補が複数出馬して票を奪い合い、その隙に革新側が逃げ切るというパターンが繰り返されてきた。22年の玉城氏再選も、下地幹郎氏が単独出馬して保守票を割ったことで成立している。今回、この構図が消えた。下地氏が立候補を取りやめ、自民党を中心とする保守勢力が古謝氏一本に絞られたからである。
 では下地氏が「保守一本化の功労者」なのか。いや、この評価を定着させるべきではない、というのが筆者の考え方である。
 下地氏は14年、22年と知事選に出馬してきたが、いずれも8〜9%程度の得票にとどまり、自分自身が当選したことは一度もない。しかしこの規模の票は、保守と革新が僅差で競り合う沖縄の知事選では、「どちらの陣営につくかで勝敗を左右できる」というだけの重みを持ち続けてきた。
 下地氏はこれまで、自民党で当選した後に離党して自らの政党を作り、それを足場に別の政党に合流、さらに別の党へと移るというキャリアを歩んできた。つまり、特定の党に忠誠を尽くすタイプの政治家というより、その時々で自分の立場を一番高く評価してくれる相手と手を組んできた政治家だと言える。それを「政治的信念の欠如」とは論難しないが、「自己の利益を最大化する政治家」との評価はありうるだろう。
 今回、下地氏が撤退して自民党側についたのも、この延長線上にある。このまま単独で出馬を続けても、当選の見込みはほとんどなく、保守票を割って玉城氏を利するだけに終わる可能性が高かった。それなら、撤退と引き換えに何らかの見返りを得る方が得策だった、というのが冷静な計算だろう。自民党の側も、下地氏を無視して保守が割れるリスクを抱えるより、多少の対価を払ってでも一本化を確実にする方が得策だった。つまりこれは、双方にとって利のある取引だったのであり、下地氏が特別に「策略家」だったという以上に、双方が自分の利益を計算した末の、ごく一般的な政治的取引として理解するのが妥当である。
 そして何より、下地氏の撤退だけで今回の結果が生まれたわけではない。古謝氏が獲得した票は、下地票と前回の対立候補の票を単純に足した数を、さらに9万票以上も上回っている。この上乗せ分は、下地氏とは関係なく、玉城氏自身の支持者が独自に離れていったことでしか説明がつかない。下地氏が果たしたのは、「もともと今回のような結果になりやすかった土台の上で、保守票が割れるという最後の障害を取り除いた」という役割であり、それ以上でもそれ以下でもない。
 争点が「基地」から「暮らし」に
 投票直前の調査では、有権者が一番重視した政策は「経済・観光・雇用」で46%、「基地問題」は26%にとどまった。長年、沖縄の選挙は「基地に賛成か反対か」が最大の争点だったが、今回は「暮らし向きをどうするか」の方が有権者の関心を集めていた。基地問題への関心そのものが消えたわけではなく、投票の判断材料としての優先順位が下がったということだ。
 出口調査の年代別の結果が、これを何より雄弁に物語っている。10代から50代まではどの世代も古謝氏が優勢(60〜77%台)だったが、60代でほぼ互角になり、70歳以上になるとはっきり玉城氏が優勢になる。この60代前後を境にした切り替わりは偶然ではないだろう。70代以上の世代は、本土復帰前後の激しい政治の時代を自分自身の記憶として持っている人たちだ。その体験を実感として共有していない、それより若い世代では、基地問題を自分の政治的な立場の中心に置く動機そのものが薄れているのだと考えられる。
 先に見た通り、翁長氏逝去後のオール沖縄の実質的な担い手は、市民団体や旧社会党系、社民党員・共産党員、そして公務員・教員中心の連合組合員だった。その顔ぶれは、まさに70代以上の世代とほぼ重なる。つまり、支持基盤が高齢層に偏っていたというより、担い手そのものが高齢化し、その下の世代を補充できないまま12年が過ぎたのである。岩盤とも言える最高齢の世代は最後まで踏みとどまったが、それより下の世代がほぼ丸ごと離れてしまった。今回の年代別データは、その帰結をそのまま映している。
 抗議船転覆事故の影響も
 今年3月、辺野古沖で、オール沖縄の一員である団体が運航していた抗議船が転覆し、修学旅行中の高校生と船長が亡くなるという痛ましい事故が起きた。出口調査では、有権者の61%がこの事故を投票の判断材料として考慮したと答えている。これは基地問題そのものへの賛否とは別に、基地反対運動を担ってきた側の運営や安全管理そのものへの信頼が傷ついたということだ。緩やかに進んできた他の変化とは違い、この事故は短期間で有権者の受け止め方を変えた出来事として重い。
 NHKが分析したところ、よく再生された動画では、玉城氏に不利な内容の再生回数が、有利な内容のおよそ38倍にのぼっていた。ただし、これはSNSがゼロから玉城氏への反対派を作り出したという話ではない。出口調査では、玉城県政を「評価する」と答えた人が62%いたにもかかわらず、そのうちの4割は古謝氏に投票していた。つまり、もともと「今の県政に大きな不満はないが、そろそろ変えてもいいかもしれない」という緩やかな気持ちを持っていた人たちに対し、SNS上で繰り返し流れる玉城氏への疑問や批判が、その背中を押す役割を果たした、と考える方が正確だろう。
 もう一つ見逃せないのは、基地反対と沖縄らしさを訴える従来のやり方に代わる、SNSで広まりやすい新しい訴え方を、玉城氏の側が用意できなかったという点である。負けたのはSNSの運用技術ではない。語るべき物語の方だった。
 古謝氏の家族が果たした役割
 妻・亜希子さんや長女の活躍も見逃せない。亜希子さんは声を震わせ、手を震わせながら、涙を浮かべて夫の20年の歩みを語り、「自分の人生は沖縄を豊かにするために使いたい」という夫の思いを支え続けてきたと訴える。終盤には、自他共に「平和の使者」を任ずる玉城候補を意識してか、「5人の子供の父である玄太なら、沖縄を戦争に巻きこむことはけっしてありません」と訴えた。その姿は、単なる「泣き落とし」という言葉ではけっして片付けられない。彼女の言葉にはしなやかな強靭ささえ垣間見られ、聴く者を感動の渦に巻きこんだ。併せて、切々と父・玄太氏の生真面目でやさしい人柄を熱く語る長女の姿も忘れられない。
 こうした妻子のスピーチは、官僚出身の硬い候補者像を、人間味のある物語として補ってあまりある役割を果たした。この評価は陣営の内外で共有されており、政界関係者の間でも二人の存在を重く見る向きがあったほどだ。もっとも、今回の票差は14万7000票である。妻子のスピーチがこの差を作り出したわけではない。ここまで述べてきた構造的な変化が用意した流れの上で、官僚出身という古謝氏の弱点を補い、迷っていた有権者の最後の一押しになった――そう位置づけるのが正確だろう。
 第2回【「オール沖縄」は役目を終えた…「高市が悪い」だけでは説明できない沖縄県知事選の完敗 “人のせいにできない”時代に「古謝玄太氏」は県政を牽引できるか】では、新たな局面を迎えた沖縄県政について深掘りしている。
 篠原 章(しのはらあきら)
 批評家。1956年山梨県生まれ。経済学博士(成城大学)。大学教員を経て評論活動に入る。主なフィールドは音楽文化、沖縄、社会経済一般で、著書に『日本ロック雑誌クロニクル』、『沖縄の不都合な真実』(大久保潤との共著)、『外連の島・沖縄』などがある。
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 9月19日 MicrosoftStartニュース ダイヤモンド・オンライン「そりゃ若者は離れるわ…沖縄県知事選で玉城デニー氏が大敗した納得の理由
 © ダイヤモンド・オンライン
 出口調査に表れた「世代間の断層」
 9月13日投開票の沖縄県知事選挙は、無所属新人の古謝玄太氏が過去最多となる42万3000票余りを獲得し、三選をめざした現職の玉城デニー氏に14万票以上の大差をつけて初当選した。
 投票率は61.57%と前回から3.65ポイント上昇した。自民党側にとっては12年ぶりの県政奪還であり、「オール沖縄」が推してきた現職の敗北は、沖縄政治史においても大きな政治的事件と言っていいだろう。
 この選挙で私が注目したのは、報道各社の出口調査だ。年代別に見ると、70代以上では玉城氏が優勢だったものの、それ以外の世代、とりわけ10~30代では約7割が古謝氏に票を投じるなど、圧倒的な支持が集まった。若い層ほど古謝氏に投じ、70代以上では玉城氏が優勢という構図で展開された選挙だった。
 「若者層が保守派を、高齢層が革新派を支える」という傾向は近年の沖縄の選挙で繰り返し見られるものではあるが、今回はこれまでにないほど鮮明だった。
 今回、革新派にショックを与えたのは、現職が落選したこと以上に、若者世代のオール沖縄離れが深刻になったことだろう。なぜなら、支持基盤が高齢層に偏っていることは、今後のオール沖縄にとって大きな不安材料だからだ。
 では、なぜ沖縄の若者は古謝氏を選んだのか。この問いに答えるために、まず「オール沖縄」という政治モデルの成立条件が失われつつある構造を先に見ておきたい。
 なぜ「基地反対」では若者を動かせなくなったのか?
 沖縄にとって、長年の課題となってきたのは県民所得の低さ、とりわけ若者の貧困である。沖縄の一人あたり県民所得は長らく全国最下位の水準にあり、本土との経済格差は復帰後から長年にわたって構造的に存在してきた。
 それにもかかわらず、その貧しさの脱却を訴えることは、保守への支持には結びつかず、むしろ「基地反対」で県民をまとめる力の核となってきた。ここに、オール沖縄という「枠組み」の巧みな戦略があった。
 「貧困問題」が「反基地」を補強するという構図は、貧困問題が基地問題につなげて語られてきたからである。所得の低さや振興の遅れは、本土との不公正な関係の帰結であり、基地負担を押しつけられ続けるからこそ、沖縄は発展しないという因果関係が語られてきた。
 この物語のなかでは、「暮らしを良くする」ことと「基地に抗う」ことが対立せず、同じ方向を向いていた。貧しさを感じれば感じるほど反基地のエネルギーが強まるという言説の中で、オール沖縄は「反基地」=「沖縄を守るための枠組み」として存在してきた。
 また、だからこそ、貧困脱却のために経済問題を訴える「保守」が票にはならなかったのである。
 この結集を支えたのは、基地負担と貧困問題を結びつける考え方とともに、革新派の圧倒的な動員力だった。労働組合が票をまとめ、地縁の共同体が空気をつくり、地元の新聞が基地をめぐる共通の前提を再生産しつづけた。
 この三つの歯車がかみ合うことで、有権者一人ひとりの「経済」に対する関心を上回る形で「反基地」が語られ続け、革新派の支持が固められてきた。
 オール沖縄は、長年にわたって「反基地」と「貧困」がつながり、そこに地域のつながりの強さが結びついて出来上がった堅固な「革新派の支持基盤」だった。
 沖縄の若者が古謝氏に流れた決定的理由
 だが、この構造には大きな欠陥がある。原因を沖縄の外に置くことで、内で結集するときにはその接着剤として働くが、内側の問題が放置されて、その矛盾が知らず知らずに蓄積していくのである。
 沖縄にとって、それはまさに貧困問題だった。
 問題の原因を外に求めるだけでは、貧困問題が解決に向けて動くことはない。そして、時間が経つにつれて、それは「内なる課題」でもあると気づく人が増えていくのである。
 若者世代が「貧困問題」をみずからの課題と認識したとき、こう考える者が出てくるのではないか。「基地に抗い続けたこの数十年で、自分の暮らしは良くなったのか」と。少なくとも十分に良くなったとは言いがたい。そのとき、「本土のせいで沖縄が苦しんでいる」という物語に疑問を持つ者が出てくるのは不思議ではない。
 念のために断っておくと、県民所得の低さには産業構造や地理的条件、歴史的経緯など、県政だけに帰することのできない要因も多い。だから、「沖縄の貧困は県政のせいだ」ということが経済分析として全面的に正しいわけではない。
 ここで私が言いたいのは、沖縄の問題を本土のせいばかりにしているこれまでのあり方に疑問を持つ若者層が多かったのではないかということだ。もっと平たくいえば、「貧困問題を解決するには、貧困問題に取り組まなければならない」というごく当たり前のことを、当たり前だと思う若者が多かったということになる。
 若者の心をつかんだ「県民所得倍増」
 今回の選挙では、古謝氏の「十年で県民所得倍増」という訴えが若者を含む経済重視の有権者に響いた可能性がある。
 古謝氏は選挙討論会のあとで「(沖縄の)課題が解決しないことに対して、国がちゃんと向き合ってくれないんだとか、あるいは大企業が搾取しているんだみたいな形の話がよく出てきまして、ここが自分の主張と違うところなんだなと思って」と述べている。
 つまり、貧困問題を県政が取り組むべき課題として、自分たちに解決できる問題だと語った。
 さらには、保育料や教育費の負担軽減、英語学習の充実といった子育て・人材育成の施策を掲げ、基地問題を争点の中心から外して、沖縄における生活を中心に据えたのである。また、辺野古移設については容認の立場をとり、国との関係を再構築して経済振興に取り組むと訴えている。
 これまで「反基地」を当たり前に訴えてきた候補者が多かった中で、移設容認というリスクを冒して責任を引き受ける態度を見せた。古謝氏のこの態度は若者にとってかなり新鮮に映ったと考えられる。
 もちろん、争点が基地から経済へと移ったのは、辺野古の埋め立て工事が着々と進み、県と国との法廷闘争でも県側に厳しい判断が続いて、争点としての先鋭性が薄れていたという事情も大きい。古謝氏はその機会を逃さず、経済を選挙の争点の柱にした。
 これが可能だったのは、自民党をはじめ6党から推薦を受けていたことも大きかっただろうが、それ以上に42歳という若さがもたらす「時代の変革」のイメージも大きかったと考えられる。
 SNSが変えた「沖縄の常識」
 古謝氏の勝利については情報環境が変化したことも大きかった。古謝陣営はSNSを積極的に活用し、当初の課題だった知名度不足を補って、支持を広げた。
 ただし、SNSは単なる宣伝手段にとどまらなかった。
 これまで革新派が選挙を有利に展開できた背景には、圧倒的な動員力の強さがあった。人が集められると、争点を設定して、その主張の正しさを演出するのにかなり有利になる。労組、地縁、地元メディアという回路が機能していたあいだは、反基地は沖縄政治における大きな争点であり続けた。
 だが、SNSがその前提を崩した。若者は組織を経ず、地元紙を経ず、直接SNSで情報に触れる。そこでは「外から見た沖縄」や「外から見た玉城デニー知事」が語られていた。
 その旧来システムの機能不全を象徴したのが、辺野古でのボート転覆事故をめぐる対応だろう。亡くなった高校生の遺族が、ヘリ基地反対協議会(反対協)の事故後の対応に強い不信感を表明したことから、SNS上では反対協とつながりがあるとされる玉城知事やオール沖縄への批判が激しさを増した。
 事故への対応をめぐるオール沖縄側の姿勢は、若者たちの目にどう映っただろうか。労組や地元紙が主導する従来の空間では見えにくかったこうした現実が、SNSによって可視化されたことは、若者世代の投票行動を考えるうえで無視できない。
 沖縄内では当然とされてきた「反基地」という枠づけが、SNSによって相対化され、疑われるようになった。つまり、沖縄政治の言論空間が沖縄の枠組みからはみ出るようになったのである。
 私はSNSを礼賛するつもりはない。今回の選挙戦でも、玉城氏になりすました偽メールや、事実に反する動画が投票直前に飛び交った。SNSはアルゴリズムによるエコーチェンバーや、切り抜き動画などにいきすぎた表現があったのは事実だ。
 だが、SNSが同時に革新派の「動員」という武器を相対化し、これまでとは異なる情報に接する一つの契機となった可能性もある。既存の組織やメディアだけに頼らず、自ら情報を集める若者が増えたのだとしたら、そこでSNSが果たした役割は大きなものだった。
 「SNSで民意が歪められた」?露呈した世代間の認識ギャップ
 その意味で示唆的だったのが、敗れた側の反応である。玉城氏は落選が確実となった夜、結果を民意として受け止めると述べる一方で、誹謗中傷やデマがSNS上で野放しになり、有権者の選択が歪められたと語り、国にSNS対策と教育を求めた。
 陣営は一部について刑事告訴の準備を進めるという。
 中傷やなりすましは卑劣な行為であり、それを問題視し法的措置を検討すること自体は正当である。だが、敗因の分析においてSNSの影響をどこまで重く見るべきかは、慎重に考える必要がある。それでは「当選すれば民意、落選すればSNS」と受け取られかねず、これまで沖縄を停滞させてきた「外に原因を求める思考」そのものだからだ。
 また、玉城陣営の側も選挙戦で「裏取引」「琉球処分」といった強い言葉を発信していた。相手側の発信だけを問題視するのであれば、二重基準のそしりは免れない。
 私がここに見るのは、「オール沖縄」や「動員」という圧倒的な装置で選挙を優位に展開してきた革新派がもつ、うまく言語化できない喪失感や焦りだ。「有権者の選択が歪められた」という言葉は、裏返せば、「かつては私たちが選択を枠づけできた」という前提があるのではないか。
 だが、若者から見れば、これは「枠づけが外れて、自分の頭で考える場が拡がった」ことになる。同じ現象を、一方は「歪み」と呼び、他方は「自由」と受け取る。この認識の断層こそ、今回の選挙で起こった世代間の断層の正体だろう。
 皮肉なことに、こうした選挙後の反応も、今回の選挙で表れた世代間の政治意識の違いを浮かび上がらせている。
 全国に広がる「守る政治」と「変える政治」の断層
 私は以前「そりゃボロ負けするわ…中道改革連合が若者にソッポを向かれた納得の理由」という記事で、リベラル勢力が若者から見放された構造について語ったことがある。
 護憲を掲げる左派が「憲法を一字たりとも変えさせない」と唱えることで、現実の変化に背を向ける存在になり、変化を求める若者から愛想を尽かされたという趣旨だ。守ることが自己目的化し、自分たちでは何も決められず、本来であれば社会変化を求めるべき左派が「変えないこと」に一生懸命になるという逆転現象が起き、変化を求める若者にそっぽを向かれたと主張した。
 沖縄で起きたことは、基本的にこの構造と同じだ。「反基地」イデオロギーで変化を拒み、いつまでも現状維持を続ける。その結果、沖縄内の問題は放置され続けて、変化を求める若者にそっぽを向かれ始めたのである。
 ただし、前回はあくまで立憲民主党(中道改革連合)を中心とする話であったが、今回は共産党が中心である。どちらの革新のあり方も、徐々に時代についていけなくなっているのである。
 このように護憲と反基地は、今年、よく似た経路をたどっている。異なるのは、沖縄には貧困という具体的な生活の争点があり、若者が拒絶にとどまらず、経済という明確な代替をつかんだ点だ。
 沖縄の知事選は、基地という固有の主題をめぐる地方選挙に見えて、その実、「守る政治」と「変える政治」という全国的な断層の、最も先鋭な現れである。
 若者は過激さを求めているのではない。現実から逃げず、暮らしの課題に向き合う政治を求めている。その希求に応えられるかどうかを、今回の沖縄県知事選挙がいち早く突きつけたのである。
 (評論家、翻訳家、千代田区議会議員 白川 司)
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🪗55:─1─第2次高市改造内閣発足と中国共産党の対日包囲網強化。~No.174 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 中国共産党は、対等関係での日中友好など望んではいない、大国との面子から衰退した日本を見下し上下関係での友好のみを認めている。
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 中国共産党は、台湾寄りの発言を繰り返す高市早苗総理を絶対許さず、高市早苗総理が日中友好の為に、国会での台湾有事発言を撤回し土下座する程の謝罪をするか、総理を辞職し保守政権を崩壊させない限り許さない。
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 中国軍は、日本に軍事的恫喝を加える為に、核ミサイルの照準を日本に合わせ、日本の領土(領空・領海)近くに戦闘機や爆撃機と軍艦や漁船を頻繁に派遣している。
 中国共産党と中国軍は、日本との戦争を想定して対日侵攻作戦を計画し軍備を増強している。
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 2026年9月17日 YAHOO!JAPANニュース 読売新聞オンライン「第2次高市改造内閣が発足「決断と挑戦、そして実行の内閣」…主要閣僚続投・10人を新たに起用
 第2次高市改造内閣が17日、皇居での認証式を経て発足した。木原稔官房長官(57)や片山さつき財務相(67)ら主要閣僚を続投させ、内閣の骨格を維持した上で、政策実現に向けて専門性の高い議員や閣僚経験者ら10人を新たに起用した。高市首相(自民党総裁)は記者会見で「責任ある積極財政の実行を急がなければならない」と述べ、引き続き経済最優先で政権運営にあたる考えを示した。
 記念撮影に臨む高市首相(前列中央)ら閣僚(17日午後、首相官邸で)=米山要撮影
 昨年10月の就任以降、首相が内閣改造を行うのは初めて。留任した片山氏には「消費税・支援金法案」担当を新たに兼務させ、臨時国会に提出する消費税減税の関連法案の成立に万全を期す。茂木敏充外相(70)や小泉進次郎防衛相(45)、城内実成長戦略相(61)らも続投させた。
 第2次高市改造内閣
 首相は記者会見で、「継続性の確保が重要な職務を担う閣僚は留任してもらった」とした上で、新任閣僚については党所属衆院議員へのアンケートをもとに「実行力重視」で選んだと説明した。新たな布陣を「決断と挑戦、そして実行の内閣だ」とアピールした。
 初入閣は7人で、連立を組む日本維新の会の中司宏・前幹事長(70)は規制改革相に充てた。高市内閣が発足して以降、維新からの入閣は初めてで、「閣内協力」が実現した。首相は「自民、維新連立政権が新たな段階に進む象徴となる」と強調した。
 2023年に発覚した政治資金問題で、政治資金収支報告書に不記載があった自民旧安倍派の 簗 やな 和生農相(47)、関芳弘文部科学相(61)のほか、旧自治省(現総務省)出身の藤井比早之総務相(55)らも初入閣した。藤井氏は先の特別国会で成立した「副首都構想」関連法に基づき、「副首都整備」も担当する。
 藤井氏の起用により、処遇が注目されていた林芳正・前総務相は退任した。昨年10月の党総裁選で首相と争った4人のうち、茂木、小泉両氏と自民の小林政調会長がいずれも留任した一方、林氏だけがポストを外れた。
 再入閣は、民主党政権で環境相などを務め、その後自民に入った細野豪志復興相(55)ら3人だった。山下貴司法相(61)は同一ポストへの再登板で、首相肝いりの旧姓使用法制化を担う。このほか、参院の中西祐介・官房副長官(47)が新たに起用された。
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 9月18日 MicrosoftStartニュース 読売新聞「内閣支持率は3か月ぶりに上昇し59%に、内閣改造・自民党役員人事「評価する」52%…読売世論調査
 読売新聞社は、第2次高市改造内閣が発足した17日から18日にかけて、緊急全国世論調査を実施した。高市内閣の支持率は59%で、改造前の前回調査(8月21~23日)から3ポイント増え、3か月ぶりに上昇した。主要閣僚を続投させたことなどが評価されたとみられる。内閣不支持率は30%(前回調査32%)だった。
 高市内閣の支持率
 支持理由は「他によい人がいない」が30%(同28%)でトップだった。一方、不支持理由は「首相が信頼できない」が29%(同26%)だった。
 首相による内閣改造や自民党役員人事を、全体として「評価する」は52%で、「評価しない」の34%を上回った。「評価する」を支持政党別にみると、自民支持層は75%だったのに対し、野党支持層は42%、無党派層は37%だった。
 これまで日本維新の会は閣外協力だったが、中司宏・前幹事長が規制改革相として内閣入りした。維新から、新たに大臣が起用されたことを「評価する」は59%、「評価しない」は29%だった。
 最近は内閣改造が支持率上昇につながらないケースが目立った。安倍元首相による2016年8月、18年10月と19年9月の内閣改造、岸田元首相の22年8月と23年9月の改造直後の世論調査では支持率がほぼ変わらないか、下落するかだった。支持率が上がったのは安倍氏による17年8月の改造以来だ。
 高市首相に首相を続けてほしい期間については、「自民党総裁の任期が切れる27年9月まで」が43%で最多。「できるだけ長く」が40%で、「すぐに交代してほしい」は13%だった。
 政党支持率は、自民が35%(同34%)、維新は4%(同2%)だった。野党トップは参政党の5%(同4%)で、国民民主党の4%(同2%)が続いた。中道改革連合を離党した立憲民主党出身の衆院議員が17日に結党した新党「民主改革の会」は0%だった(読売新聞社の世論調査の集計では0・5%未満の場合に「0%」と表記している)。
 高市首相
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 9月18日 YAHOO!JAPANニュース 読売新聞オンライン「「民主改革の会」支持率0%、中道改革連合が政党交付金の未交付分11億円受領「納得できない」80%…読売世論調査
 中道改革連合の解体が確定した9日、代表としてあいさつする小川氏(国会で)
 読売新聞社が17~18日に実施した緊急全国世論調査で、1人を残して所属議員が離党し、解体することが決まった中道改革連合が、今年の政党交付金の未交付分約11億円を受領することについて、「納得できない」と答えた人は80%で、「納得できる」と答えた人は11%にとどまった。
 【図解】一目でわかる…中道改革連合への政党交付金の分配
 与党支持層では、「納得できない」が85%、「納得できる」が8%だった。野党支持層では「納得できない」が77%で、「納得できる」が14%。無党派層でも「納得できない」が77%、「納得できる」が11%だった。
 中道改革を離党した立憲民主党出身の衆院議員が17日に結党した「民主改革の会」の政党支持率は0%。トップは自民党35%(前回8月調査34%)で、野党トップは参政党の5%(同4%)だった。読売新聞社の世論調査の集計では0・5%未満の場合に「0%」と表記している。
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 9月16日 MicrosoftStartニュース 読売新聞「中国国防相、日本を念頭に演説「軍国主義に警戒」「正義の力を結集し歴史の残滓復活を防がねばならない」
 講演する中国の董軍国防相(16日)=ロイター
 © 読売新聞
 【北京=東慶一郎】中国の 董軍(ドンジュン) 国防相は16日、北京で開催中の安全保障関連の国際会議「香山フォーラム」で演説した。ロイター通信によると、日本を念頭に「歴史の教訓を心に刻み、軍国主義や歴史修正主義に警戒しなければならない」とけん制した。
 中国の 習近平(シージンピン) 政権は、高市政権の防衛政策を「新型軍国主義」と一方的に非難し、国際社会に浸透させようとしている。報道によると、演説で董氏は「幅広い正義の力を結集し、歴史の 残滓(ざんし) が復活するのを防がなければならない」とも主張した。
 中国国防省などによると、今年は約100か国・機関の政府関係者や専門家らが参加した。日本からは鳩山由紀夫元首相が出席したが、例年参加する防衛研究所の研究者や駐在武官は招待されなかった。
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 9月16日 MicrosoftStartニュース 政経フォーカス「「日本が誤りを正すべき」中国、日本の議員8人に要求 邦人の安全確保要請には隔たり
 岡田 慎吾
 日本の与野党議員8人、中国外務省次官補と会談
 立場の隔たり残るも、交流継続の必要性では一致
 高村氏「政府間対話につなげたい」
 中国を訪問している日本の超党派議員団が、中国政府に対し、現地に滞在する日本人の安全確保を要請した。高市早苗首相の台湾を巡る発言によって悪化した日中関係を、議員外交を通じて打開しようとする動きだ。
 一方、中国側は現在の日中関係悪化の原因は日本側にあると主張し、日本が関係改善に向けた環境を整える必要があるとの立場を改めて強調した。
 15日付の毎日新聞やテレビ朝日などによると、日中友好議員連盟に所属する与野党の国会議員8人は前日、北京で中国外務省の劉彬・部長助理(次官補)らと2時間以上にわたって会談した。
 今回の議員団は、自民党と野党に所属する若手議員らで構成されている。13日から中国を訪問し、現地当局者らとの会談を続けている。
 議員団は、両国間の対立がこれ以上激化することは避けるべきだとして、継続的な意思疎通の必要性を強調した。また、中国に滞在する日本人の安全確保も求めた。
 双方は台湾問題などを巡ってそれぞれの立場を表明したものの、政治家を含めた交流を今後も続ける必要があるとの認識では一致した。
 代表団長を務める元法務副大臣の高村正大氏は、「接触を重ね、政府間の対話につなげたい」と述べた。
 高市首相は昨年、台湾有事の際に中国が武力を行使した場合、日本が集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」に該当する可能性があるとの趣旨の発言をした。中国側はこれに強く反発し、発言の撤回を求めてきた。
 中国政府は今回の会談内容を公表する際にも、現在の日中関係悪化の責任は日本側にあるとの立場を示した。
 中国外務省の郭嘉昆報道官は15日の定例記者会見で、劉部長助理が日本の議員団と会談したことについて、「中国側は、高市首相による台湾関連の誤った言動こそが、現在の日中関係を深刻な困難に直面させている最大の核心的要因だと強調した」と述べた。
 さらに、「日本は日中間の4つの政治文書の精神を厳守し、歴史の教訓をくみ取り、実際の行動によってアジアの近隣諸国や国際社会から信頼を得るべきだ」と求めた。
 ここでいう「4つの政治文書」とは、1972年の日中共同声明、1978年の日中平和友好条約、1998年の日中共同宣言、2008年の「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する共同声明を指す。
 郭報道官は、「日中友好議員連盟が対中友好の伝統を堅持し、責任ある姿勢を示すことで、両国関係を再び正常な軌道に戻すための条件と環境を整えることを期待する」と述べた。
 議員団は14日には、民間外交を担う中国人民対外友好協会の楊万明会長とも会談した。この場でも中国側は、両国関係悪化の責任は日本側にあるとの従来の主張を繰り返した。
 同協会によると、中国側は「高市首相は台湾問題を巡って誤った発言を行い、両国が築いてきた重要な政治的合意に深刻に違反した」と主張。「日中関係の政治的基盤を大きく損ない、双方の交流・協力の雰囲気も深刻に傷つけた」と批判した。
 さらに、「台湾問題は中国の核心的利益の中でも核心であり、いかなる外部勢力も干渉することはできない」としたうえで、「中国国民は高市首相の台湾を巡る誤った言動に強く憤っている」と強調した。
 また、「日本は中国側の厳正な立場を無視し、歴史や台湾など中国の核心的利益に関わる問題で繰り返し一線を越え、両国関係を損ない続けている」と主張し、日本側が姿勢を改めるよう、議員連盟のメンバーが働きかけることを求めた。
 これに対し日本の議員団側は、「日中は重要な隣国であり、互いに協力するパートナーだ。友好協力を発展させることは双方の利益に合致する」と表明。「議員連盟として今後も対中友好の方針を堅持し、積極的に役割を果たしていく」と述べたという。
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 9月18日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「「中国のいやがらせ」は外交でも露骨…日本の友好国「インド」にすり寄る、習近平の虎視眈々
 清水 克彦(政治・教育ジャーナリスト・びわこ成蹊スポーツ大学教授)
 首相が麻生氏と仮面夫婦を続ける理由
 第2次高市改造内閣が発足した。どちらかと言えば、初の女性宰相である高市早苗首相(65)に期待してきた筆者から見ても、閣僚の顔ぶれ、自民党幹部の人選ともに、目玉がなく、麻生太郎副総裁(9月20日で86歳)の影響が色濃い「早苗と太郎の仮面夫婦内閣」になってしまった感が強い。
 とはいえ、この先も麻生氏の協力は期待できるだけに、「飲食料品の消費税1%」や「安保3文書の改定」などは、つつがなく前に進むことになる。
 「高市さん、本当はここらあたりで麻生さんと手を切りたかったはず。今回の人事は、どう見ても、麻生さんの軍門に降ってでも、1年後の自民党総裁選挙で再選されることを最優先した結果」
 内閣支持率が低下するなか、第221回臨時国会を終えた高市早苗首相が首相官邸で記者会見を行った(写真:David Mareuil/Anadolu via Getty Images)
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 旧安倍派のある衆議院議員は、こう述べた後、さらに次のように語った。
 「ただね、対抗馬が出ず、無投票で勝てれば、高市さんはもっと強気に政策を推し進めることができる。それに、麻生さんはなにぶん高齢。しばらく仮面夫婦というか偽装結婚を続けているうちに麻生支配から抜け出すチャンスは来ると思っているんじゃないかな」
 確かに一理ある話である。ただ、「高市氏再選」はよしとしても、高市氏に「勝てるよう助けてください」と言わしめてこそ影響力の大きさを誇示できる麻生氏が、無投票での再選を「是」とするとは思えない。
 それ以上に、激変する国際情勢が待ってくれない。実際、中国、アメリカ、欧州の、日本とは切っても切れない3極がいずれも不穏な動きを見せているのだ。
 巧妙な習近平外交に「ゆでガエル」化するアメリカ
 まずは中国だ。中国の習近平国家主席(73)は、来年秋の共産党大会での総書記としての4選、そして2027年から2028年には実現しようと目論んでいる「台湾統一」に向け、着実に足場を固めている。
 その1つが、8月31日から9月1日、キルギスの首都ビシュケクで開かれた上海協力機構(SCO)首脳会議である。
 中国とロシアを中心に2001年に設立されたSCOは、インドやイランなども続々と加盟し、オブザーバーとして参加している国々を含めれば、総人口は実に34.7億人。世界の総人口の4割以上を占める「反欧米勢力」に発展している。この数は侮れない。
 日本ではあまり大きく報道されなかったが、この会議で演説した習氏は、「イラン」というワードは一切出さず、「ウクライナや中東などについて、加盟国間の意思疎通を強化し政治的解決を推進する」と述べるにとどめた。
 2026年9月1日、キルギスで開催された上海協力機構(SCO)首脳会議において、キルギスのサディル・ジャパロフ大統領と握手を交わす習近平国家主席(写真提供:キルギス大統領府/Handout/Anadolu via Getty Images)
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 しかし、首脳宣言を見ると、「イランの主権と領土保全を支持する」などと、主要な加盟国であるイランを擁護する文言が含まれている。
 つまり、習氏は、アメリカのトランプ大統領(80)との首脳会談を9月24日に控える中、個人としては、アメリカを非難したりイランを擁護したりする姿勢はおくびにも見せず、首脳会議全体としては、その姿勢を鮮明にしてみせたことになる。
 このように本音を隠し、表向きは「平和」や「友好」を掲げ、冷静に世界をリードしていこうとする習氏の外交姿勢は、困ったことに国際社会の中で賛同を集めつつある。
 事実、SCO閉幕後の9月2日、カイロを訪れた習氏をエジプトのシシ大統領が歓待したのは、「イスラエル優先」を貫くあまり、エジプトには最新鋭の武器を譲ってくれないアメリカに業を煮やし、「ならば、今やアメリカ以上に信頼できる中国と関係強化を……」との判断が働いたからにほかならない。
 エジプトのカイロ国際空港で、習近平を出迎えるシシ大統領。エジプトへの訪問は10年ぶり。(写真提供:エジプト大統領府/Handout/Anadolu via Getty Images)
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 一方、習氏は、シシ氏との会談によって、今後、イラン情勢が混迷の度を増し、ホルムズ海峡が通航不能となった場合でも、スエズ運河や紅海を押さえるエジプトの協力が得られる状況を作ることに成功した。
 このように、中国に接近する国が増えれば、過激で極端な物言いしかできないトランプ氏のアメリカはますます孤立しかねない。
 気がついたら味方をしてくれる他国の首脳が、高市氏以外、誰もいなくなっていたという「ゆでガエル」状態に陥ってしまうのではないだろうか。
 インドにも触手を伸ばす、したたかな習近平
 習氏の動きでもう1つ注目すべきは、9月12日から9月13日、インドの首都ニューデリーで開催されたBRICS首脳会議である。
 ここでも共同宣言で、一方的な関税引き上げや長引く中東での緊張について強い懸念が示されている。その手法は、先に述べたSCO首脳会議と同じだ。
 そのくせ、習氏は、インドのモディ首相(75)との直接会談では、自らが主導してきた世界人工知能(AI)協力機構へのインドの参加を呼びかけ、「冷戦思考の考え方」や「内政干渉」には強く反対する立場を表明し、中印の関係改善と協力関係を推進させることで合意を引き出している。
 これらは明らかにアメリカと日本を牽制したものだ。
 2026年9月12日、インド・ニューデリーで開催されたBRICSサミットでの、インドのモディ首相、プーチン大統領、習近平国家主席の様子。(写真:Press Information Bureau (PIB)/Anadolu via Getty Images)
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 AIをめぐっては、トランプ政権が9月8日、「中国の新興AI企業、ディープシークやIT大手のアリババなどに、アメリカの先端技術を不正利用された」との声明を発表したばかりだ。
 習氏が訪米する際には中国の主な企業の代表団も同行するが、首脳間で経済交流に話が及べば及ぶほど、米中がしのぎを削ってきたAI競争が火種となる可能性が高い。それを見越してインドと手を握ったと考えるのが筋だろう。
 「冷戦思考の考え方」の部分は日本を意識したもので、先にロシアのプーチン大統領とともに、高市氏の安保政策を「新型軍国主義」と呼んで非難したのに続き、今度は日本とも近い関係にあるインドを味方に引き入れたい策略の表れと言える。
 その習氏は、近く訪米しトランプ氏との首脳会談に臨むものの、その直前に始まる国連総会には出席しない。
 各国の首脳が登場する一般討論演説で、過去に中国が送りこんできたのは、2024年が王毅外相、去年が李強首相で、今年も習氏が登壇しないのは特別なことではない。しかし今回の欠席は、仮に出席し演説すれば、イランを擁護しアメリカを非難せざるを得なくなるとの判断が働いたに相違ない。「したたかにもほどがある」と言わざるを得ない。
 中間選挙で「負けたら終わり」のトランプ
 こうした中、トランプ氏は、11月3日に実施される中間選挙(下院は全435議席、上院は3分の1の35議席が改選となる選挙)を前に、通常は大統領選挙に合わせて4年に1度しか開催されない共和党大会を、党の牙城でもあるテキサス州ダラスで開いた。
 2万人が収容できる会場は、「MAGA」(アメリカを再び偉大に)と書かれた赤色の帽子やTシャツを着用した熱烈な支持者であふれ、現場で取材したアメリカ人ジャーナリストによれば、「トランプが、『共和党が勝てば、大人1人当たり5000ドル(日本円で77万円相当)を支給する』と発表すると、期せずして『USAコール』がこだまし、さながら『トランプ祭り』の様相を呈した」という。
 ダラス市で開催された共和党中間選挙大会で、演説を行うトランプ大統領(写真:Bill Clark/CQ-Roll Call, Inc via Getty Images)
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 伝統的に、中間選挙では政権与党に厳しい結果が出やすい。特に下院はその傾向が顕著だ。
 筆者が最初に取材したクリントン政権以降では、8回の中間選挙のうち、政権与党が下院の議席を上積みできたのは、クリントン政権の1998年とブッシュ政権の2002年、この2回だけだ。
 普通に考えれば、ガソリン価格高騰などによる物価高、消費者に跳ね返ってくる高関税政策への不満で共和党は苦しい。上院は良くて拮抗、下院は共和党が20~30議席減らす可能性が高い。
 そうなるとホワイトハウスは共和党、議会は民主党と「ねじれ」が生じ、特に下院で過半数を失えば予算が通らず、トランプ氏は残り2年2カ月の任期で、これまでのように我田引水的で無鉄砲な政策の遂行は難しくなる。
 「勝てば尊大、負ければやけくそ」
 ただ、「そうとも限らない」と前述のジャーナリストは指摘する。
 (1)資金力で共和党が民主党を圧倒している点
ロイター通信によれば、共和党の委員会は7月末時点で2億7900万ドル(約428億円)以上集めたのに対し、民主党の委員会は1億3600万ドル(約209億円)。これとは別に、トランプ氏の資金を管理するスーパーPAC(特別政治活動委員会)は4億ドル(約614億円)の手元資金を有していた。これに共和党大会への参加費、グッズ売り上げが上積みされる。
 (2)都合の良いようにゲリマンダーを強行させた点
 10年に1度の国勢調査(次回は2030年)を待たず、トランプ氏がフロリダやテキサスなどで共和党候補が有利になるよう区割り変更(ゲリマンダー)を強行させた結果、共和党が有利になっている選挙区が増えている。対する民主党には新たなリーダーがいない点も不安材料。
 他にも、現職大統領であるトランプ氏には、米中首脳会談や、もしかしたら米朝首脳会談などの外交でポイントを稼ぐ機会がある点も有利だ。
 それでも、上下両院とも共和党が過半数を割り込めば、トランプ政権は一気に「レームダック(死に体)化」する。そうなれば、今以上に中国やロシアのプレゼンスは強まる。加えて、激戦州がひしめく中西部などの勝敗は、次期大統領選挙の行方も左右しかねないため、高市政権にとっても目が離せない選挙になる。
 「どっちにしても大変。トランプは勝てばarrogant(尊大、傲慢)になり、負ければdesperate(やけくそ)になるからね」
 最後にジャーナリストが指摘したこの言葉は、私たち日本人も留意しておくべきだろう。
 欧州も「自国第一主義」へ
このように、中国は何を仕掛けてくるか分からずアメリカも信用できない今、せめて欧州だけは……と思いたいところだ。
 しかし、9月6日、ドイツ東部のザクセン。アンハルト州で行われた州議会選挙で、極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が劇的な勝利を収めたように、欧州各地で「自国第一主義」が、これまで以上に台頭していることは注意すべきことだ。
 ザクセン・アンハルト州選挙の翌日に取材を受けた極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」アリス・ヴァイデル共同党首。AfDは得票率43.8%で勝利し、現職のCDUや他の政党を大きく引き離した。(写真:Sean Gallup/Getty Images)
ザクセン・アンハルト州選挙の翌日に取材を受けた極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」アリス・ヴァイデル共同党首。AfDは得票率43.8%で勝利し、現職のCDUや他の政党を大きく引き離した。(写真:Sean Gallup/Getty Images)
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 来春、予定されるフランス大統領選挙では、2期務めたマクロン大統領(48)が出馬できず、後継に極右政党「国民連合(RN)」の指導者、マリーヌ・ルペン氏(58)が選ばれる可能性がある。
 冒頭の話に戻るが、独自性より自分の再選を優先させた高市氏などかわいいものだ。
 麻生氏と手を組もうと組むまいと、米中欧3極のトップリーダーたちが「自国第一主義」、もっと言えば「自分第一主義」を推し進めれば、高市氏が掲げてきた「強く、豊かな日本」の実現は、かなり厳しいものになるのは間違いない。
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 9月16日 MicrosoftStartニュース 共同通信「中国「歴史問題の対処を」強制連行巡る訴状提出で
 中国外務省の郭嘉昆副報道局長
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 【北京共同】中国外務省の郭嘉昆副報道局長は16日、日中戦争時の強制連行の中国人被害者遺族が日本企業に損害賠償を求める訴状を中国の裁判所に提出したことを巡り、日本に対し「歴史が残した問題を責任ある態度で適切に対処するよう促す」と述べた。
 強制労働は「日本の軍国主義が対外侵略と植民地支配の期間に犯した重大な罪行の一つだ」と非難。「歴史を直視して罪責を反省し、アジアの被害国の人民による正義の叫びに耳を傾ける」よう日本側に要求した。
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 9月16日 MicrosoftStartニュース 共同通信「対日損賠請求で新たな歴史カード 中国、高市政権を揺さぶり
 訴状の入った袋を持ち、高級人民法院に向かう日中戦争時の強制連行の中国人被害者遺族ら=16日、中国河北省石家荘市(共同)
 © 共同通信
 【北京共同】日中戦争時の強制連行被害者の遺族らが16日、日本企業に損害賠償を求める訴状を中国で提出した。中国の裁判所は共産党指導下にあり、外交問題に絡む戦後補償の集団訴訟を容認するかどうかは「政治判断」となる。対日圧力を強める習近平指導部は訴訟の受理をちらつかせ、高市政権を新たな「歴史カード」で揺さぶる構えだ。
 対日集団訴訟が受理されたケースとしては、2014年の三菱マテリアルなど2社に対する強制連行訴訟がある。12年の沖縄県・尖閣諸島の国有化や、13年の安倍晋三首相(当時)の靖国神社参拝で日中関係が悪化する中、習指導部は訴訟受理を容認。16年に三菱側と中国人被害者3765人との間で和解が成立した。
 日本側は1972年の日中共同声明で、国家間だけでなく個人の賠償請求権も放棄されたとの立場だが、中国側は「日本の解釈は無効」(中国外務省)と主張。ただ民間の賠償請求を制限なく認めれば同様の訴訟が相次ぎ、日中関係の悪化や社会の不安定化につながることから、当局が事実上コントロールしてきた。
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 9月16日 MicrosoftStartニュース FNNプライムオンライン「中国人労働者の遺族が訴状提出 戦時中の強制連行で日本企業6社に損害賠償求める
 © FNNプライムオンライン
 第二次世界大戦中、日本に強制連行され過酷な労働を強いられたとして、中国人労働者の遺族が、日本企業への損害賠償を求め裁判所に訴状を提出しました。
 16日午前、河北省石家荘市の裁判所に訴状を提出したのは、日本に強制連行され、過酷な労働を強いられたとする中国人労働者の遺族50人です。
 訴状では、戦時中に中国人労働者を受け入れたとする日本企業6社に対し、日中の主要メディアを通じた謝罪のほか、原告1人あたり日本円でおよそ850万円の損害賠償を求めています。
 中国人の強制労働をめぐっては、2007年に日本の最高裁が、中国人個人が裁判で賠償を求めることはできないとの判断を示しています。
 一方、中国では2014年ごろに被害者や遺族らが同様の訴訟を相次いで起こしたものの、実際に裁判手続きに進んだケースは限られていました。
 遺族側は、日本での裁判の道は既に閉ざされているとして、中国の法律に基づき改めて日本企業の責任を問いたいとしています。
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 9月16日 YAHOO!JAPANニュース ダイヤモンド・オンライン「習近平の「最後のピース」?国防動員法改正が揺るがす、日本企業の「中国依存」の危うさ
● 「中国人全員がスパイ化」は本当か?
 8月28日に中国全国人民代表大会(全人代=国会)常務委員会で、有事の際に国家主席が動員令を発する手順を規定した「国防動員法」の改正案が可決され、早くも10月1日に施行される。
 この法律について、「中国人が全員、戦争になれば動員される」「日本にいる中国人まで中国政府の命令で動く」といった情報もSNS上では飛び交っているが、そうした理解はやや行き過ぎである。
 今回の改正で重要なのは、中国が突然「総動員国家」になったことではない。中国は2010年に制定された旧国防動員法の段階ですでに、金融、交通、通信、エネルギー、医療、食糧、メディアなど、社会の広範な機能を、有事に国防目的へ転換する制度を持っていた。
 今回の改正の意味は、その既存制度を「現代戦」に対応できるように、データ、サイバー、新興技術、広範な人的資源、民間資産までを含む形に作り替えたことにある。
 習近平政権は2014年以来、反スパイ法、国家安全法、国家情報法、データ安全法などを相次いで整備し、平時から国民や企業を国家安全保障に組み込む制度を築いてきた。
 その平時の国家安全法制と有事の国防動員制度が、今回の改正によってより密接につながった。これは、中国が10年余りをかけて形成してきた有事の「人民総動員」体制を実現する「最後のピース」と言える。
● もともと存在した「社会の戦時転換」
 改正国防動員法は全14章82条からなる。第58条は、18歳から60歳の男性、18歳から55歳の女性について、一定の場合に「国防勤務」を担う義務を定める。
 ここでは注意が必要だ。それは、この年齢区分と国防勤務義務が、2026年に新しく導入されたものではなく、2010年の旧法にもすでに存在していたことだ。同様に、交通運輸、郵政、通信、医療、食糧、建設、エネルギー、大型水利施設、民用核施設、報道機関などに国防勤務を課す制度も旧法から存在した。
 さらに重要なのが、金融、交通、郵政、通信、新聞出版、放送、情報ネットワーク、エネルギー、水源、医療、食糧、商業貿易などを必要に応じて「管制」する規定である。新法では第73条に置かれているが、これも基本的な仕組み自体は2010年法から存在していた。
 中国は今回初めて社会を「平時モード」から「戦時モード」へ切り替えられるようになったわけではない。その装置はすでにあった。
 中国政府自身、国防動員を、経済と社会の実力を国防実力へ転換する「平戦快速転換」、すなわち平時と戦時を迅速に切り替える仕組みとして位置づけている。問題は、今回の改正によって、この装置が現代戦に適応する形で大幅に更新されたことである。
● 「人・物・データ」をどう動員?10月1日施行で変わること
 今回の改正で最も重要な変更の一つが、民間における「徴収」の新設である。
 2010年の旧法が定めていたのは基本的に「徴用」だった。徴用とは、民間の施設や設備などを国家が一定期間使用する仕組みであり、使用後の返還を前提とする。
 これに対し、新法第63条では「徴収・徴用」となった。徴収は返還を前提としない取得も含んでいる。さらには、その対象として「交通手段」も明示されている。車両、船舶、航空機などまでが、国防目的へ組み込む法的根拠が拡張されたのである。
 第二は、人的動員である。旧法の第5章は「予備役人員の備蓄と召集」だったが、新法では「後備(こうび)兵員の備蓄と召集」へ改められた。
 これは単なる名称変更ではない。「予備役人員」よりも「後備兵員」の方が概念として広く、退役軍人だけでなく、兵役条件を満たす一般公民や一定の訓練を受けた者など、現役部隊へ補充できる人的資源全般を指している。
 動員可能な人的基盤をより広く捉える方向への変更である。
 第三が、データと新興領域だ。新法第7条は国防動員に関係するデータの収集、利用、安全保障を定め、第8条は先端技術の応用、新興領域における国防動員能力の発展を規定した。これは旧法にはなかった部分である。
 今回の改正でもう一つ注目すべきなのが、「何を動員できるか」を平時から把握する制度の強化である。新法第26条は、国防動員潜在力の統計調査を政府統計体系に正式に組み込み、資料を継続的に更新・分析する仕組みを設けた。
 第46条から第49条では、軍需産業のサプライチェーンを安全保障の観点から評価し、設備や材料だけでなく、技術、データ、ソフトウェアまで動員能力として備蓄し、有事には軍需生産を優先する仕組みを整えた。
 第72条では情報プラットフォームの管理まで規定している。さらには、国防勤務の対象には「ネットワーク安全」も明示されている。
 戦争の場が陸海空だけでなく、宇宙、サイバー、AI、通信、データへ広がる中、中国の国防動員制度も対応できるように拡張されたのである。
 今回の改正の本質は、「民間人を戦争に動員する法律」ではない。すでに存在していた人的・物的総動員制度を、データ、ネットワーク、新興技術まで含む21世紀型の戦争へ対応させたことだ。
● 習近平が10年かけて築いた「人民総動員」体制
 2014年4月、習近平政権は「総体国家安全観」を打ち出した。国家安全保障を軍事だけでなく、政治、経済、社会、科学技術、情報、資源など広範な領域から捉える考え方である。
 その後、中国では国家安全保障関連法制が相次いで整備された。2014年には反スパイ法が制定され、国民にはスパイ行為に関する通報が求められた。2015年には国家安全法が制定され、国民や組織に国家安全への危害に関する報告や証拠提供などの義務が課された。
 2017年には国家情報法が施行された。国家情報法の第7条は、「いかなる組織および公民も、法に従って国家の情報活動を支持し、援助し、協力する義務を負う」と定めている。
 2021年にはデータ安全法が施行され、2023年には反スパイ法が改正されて対象行為が拡大された。そして2026年、国防動員法が全面改正された。
 反スパイ法、国家情報法、データ安全法、国防動員法改正は、それぞれ異なる国際情勢や国内事情を背景に成立しているのだが、結果的に有事の総動員体制を強化する方向に向かっている。
 平時の国家安全法制と、有事の国防動員制度がつながり、国家と社会の境界が極めて薄い安全保障体制が形成されているのである。今回の改正国防動員法は、こうした体制をさらに強化するものと位置づけられる。
● 日本企業を直撃する「中国依存」サプライチェーン
 改正国防動員法が施行されたからといって、日本国内にいる中国人を中国政府が日本国内で強制的に召集できるわけではない。日本国内では日本の主権と法律が適用される。
 したがって、「在日中国人が有事になれば一斉に中国政府の指示で動く」といった議論は適切ではない。
 日本にとって、より直接的で深刻なのはサプライチェーンだ。たとえば、EVやハイブリッド車、高性能モーターなどに不可欠なジスプロシウム、テルビウムなどの重希土類は、日本政府や企業による調達先分散が進められているとはいえ、精製・加工を中心に中国への依存度が依然として高い。
 抗菌薬も同様である。手術時の感染予防や肺炎治療などに欠かせないβラクタム系抗菌薬では、日本は長年、原材料を中国に大きく依存してきた。
 こうした物資について問題となるのは、中国企業が日本向け供給を拒むかどうかだけではない。有事に国防動員が実施されれば、国防上の必要に応じて、関連する生産・物流・資源などが優先配分される可能性がある。日本企業にとっては、個々の取引先の判断だけでなく、こうした制度面のリスクも考慮する必要がある。
 仮に日本向けに輸出する意思を持つ企業があっても、港湾が軍事輸送を優先すれば物流は滞る。電力が国防関連産業へ重点配分されれば、民間工場の生産能力は低下する。通信や輸送網が管制されれば、企業単独ではどうにもならない。
 企業ではなく、企業が依存している社会インフラ全体が戦時モードへ入るからだ。
 日本は2010年の尖閣問題を契機に、レアアース供給が揺らいだ経験から、中国依存の危険性を痛感した。しかし、当時と現在ではリスクの質が違う。
 現在の中国では、こうした物資やインフラを国家安全保障へ動員する制度が、より明確かつ包括的に整備されている。
 抗菌薬についても、日本政府と製薬各社はすでに供給網の強靱化や備蓄を進めている。塩野義製薬は抗菌薬原薬の備蓄を拡大し、明治ファルマも以前から備蓄積み増しを進めている。
 これは中国との緊張が起きてから突然始まった対策ではない。むしろ日中関係の緊張によって、以前から存在していた供給網上の弱点が改めて浮き彫りになったと見るべきだ。
● 電力・通信・原子力に潜む「情報動員」のリスク
 もう一つ考えなければならないのが、電力、通信、原子力など重要インフラの安全保障である。
 ここで重要になるのが、中国の国家情報法第7条だ。同法は、中国の組織と公民に国家情報活動への支持、援助、協力を求めている。
 この法律が国外にいる中国国民へ具体的にどこまで強制力を持つかについては、慎重な検討が必要だ。
 少なくとも、「すべての在外中国人が中国政府の指示で動く」と一般化することはできない。一方で、日本の重要インフラや機密情報を扱う制度を設計する際、外国政府の情報法制や国家との関係性をリスク要因として考慮する必要があることも事実である。
 日本では2025年5月、重要経済安保情報保護活用法が施行され、セキュリティ・クリアランス制度が導入された。
 安全保障上重要な経済情報を「重要経済安保情報」に指定し、それを扱う事業者や従業員について適格性を確認する仕組みである。
 適性評価では、外国との関係、外国政府関係者との接触、外国からの働きかけ、渡航歴、犯罪歴などが確認される。
 また経済安全保障推進法では、電力や通信など基幹インフラにおける重要設備の導入・維持管理について、政府が事前審査する制度も設けられている。
 方向性は正しいが、これで十分だとは言えない。
 セキュリティ・クリアランスの対象となるのは、指定された重要経済安保情報を実際に取り扱う人員である。重要インフラ施設で働くすべての技術者や作業員が審査対象になるわけではない。
 また、適性評価は外国籍かどうかだけで決めるものでもない。むしろ、国籍だけに依存した安全保障対策には限界がある。
 日本人であっても情報漏洩や内部不正を行う可能性はあるし、外国籍であることだけを理由に危険人物とみなすこともできない。
 必要なのは、国籍による一律排除ではなく、どの情報に誰がアクセスできるかを厳格に限定し、機密情報を区分し、職務を分離し、継続的に内部リスクを監視する制度である。
● 日本が警戒すべきは「中国人」ではなく依存構造
 この状況に日本どう対応すべきかは、次の3つにまとめられる。
 第一に、重要物資の対中依存をさらに下げることである。重希土類、医薬品原料、半導体関連素材など、供給途絶時に代替が困難な物資については、調達先の分散、国内生産、備蓄を進めなければならない。
 第二に、中国企業だけの信用力ではなく、中国国内の港湾、電力、通信、物流まで含めてサプライチェーン全体のリスクを評価することだ。有事には企業が正常でも、その企業が依存する社会インフラが国防目的へ転換される可能性がある。
 第三に、重要インフラと機密情報について、国籍によらない厳格なアクセス管理とインサイダーリスク対策を進めることである。
 そして何より、日本は中国の安全保障法制を、個別の法律としてではなく、一つの体系として見る必要がある。
 2026年に中国が突然、総動員国家へ変わったわけではない。2010年にすでに存在していた有事の国防動員制度に、習近平政権下で構築された平時の国家安全保障法制が重なり、今回の改正によってデータ、サイバー、新興技術、人的資源、民間資産まで含む現代戦仕様へ更新されたのである。
 平時には情報とデータを国家安全保障へ組み込み、有事には人、物、企業、インフラを国防へ転換する。中国の「人民総動員」体系は、そこまで来ている。
 日本が考えるべきなのは、中国人を一括して警戒することではない。この制度を持つ国家に、日本の医薬品、重要鉱物、製造業、物流、インフラがどこまで依存してよいのか。問題はそこにある。改正国防動員法の施行は、日本にその問いへの回答を迫っている。
 (評論家、翻訳家、千代田区議会議員 白川 司)
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 9月16日 YAHOO!JAPANニュース TBS NEWS「「尖閣に行きますか?」東シナ海の漁解禁 で“海上民兵”も乗船か…「譲歩しない」中国・習近平主席の思惑は 専門家分析
 © TBS NEWS DIG
 2026年8月16日、中国当局が東シナ海での漁を解禁し、現地メディアによると、福建省から約8000隻の漁船が一斉に出港した。
 16年8月には約300隻の漁船が沖縄県・尖閣諸島周辺に押し寄せ、緊張が一気に高まった。漁師や退役軍人で構成される「海上民兵」が乗船していたとの指摘もある。
 それ以降目立った動きは確認されていなかったが、高市総理の“台湾有事に関する答弁”をきっかけに日中関係が悪化するなか、今年漁船は尖閣諸島に向かったのか。背景にある中国の思惑とは一体何なのか。中国の安全保障政策が専門の防衛省防衛研究所の増田雅之・中国研究室長に話を聞いた。
 「尖閣諸島に行きますか?」緊張高まる東シナ海で“漁解禁”
26年に入り、中国の東シナ海での動きは不穏だ。
 「ニューヨーク・タイムズ」は1月、約1400隻の中国漁船が東シナ海で300キロメートル以上にわたって並び「海上の障壁」をつくったと報道。中国が海上民兵を強化し、有事の際に航路をふさぎ敵の軍事作戦や補給活動を困難にする可能性があるとの専門家の分析を伝えた。
 今年7月には中国国営の中国国際テレビ(CGTN)が尖閣諸島は「中国の領土だ」と主張するドキュメンタリーを放送、日本に対して更に強い圧力をかけている。
 こうしたなか迎えた東シナ海の漁解禁。中国側の出方に注目が集まった。
 中国メディアによると、地元当局は尖閣諸島周辺などを念頭に「敏感な海域での漁船の管理を強化する」と、取り締まる方針を示した。
 複数の漁師は取材に対し「尖閣諸島には行かない。当局が船の位置をモニタリングしており島に近付くと通知が来る」「決められた範囲の中で漁をしている」などと答えた。彼らの実際の行動は確かめられていないが、「尖閣行き」には後ろ向きな回答だった。
 高市政権の安保戦略に「強い警戒感」中国の思惑は
Q.取り締まりを強化する地元当局の姿勢をどう見ますか?
 増田雅之 中国研究室長
 中国海警局は2023年以降、法執行プロセスの内規を整備し、尖閣諸島周辺でほぼ毎日パトロールを実行しています。中国はこうしたモデルを制度的に作り上げてきました。さらに、最近は日中関係が悪化していて中国が新たな手を打つのではないかという懸念が日本で高まっています。
 一方、中国は準備をすることと実際に手を打つかどうかということを分けて考えているのだと思います。これは、レアアースや軍民両用品の輸出管理などでも当てはまります。様々なエスカレーションを可能にする態勢を準備して日本側の警戒感や恐怖心を煽りつつも、中国共産党は当局が管理する形でのシナリオの展開を求めています。今のところ準備した態勢を完全に実行に移していません。
 中国は現在の高市政権の安全保障戦略を強い警戒感を持って見ているのだと思います。
 加えて、日本がアメリカを巻き込み、日米同盟の抑止力や対処力を強化する展開も中国は想定しています。したがって、中国が漁船の動きや海上民兵を示唆する動き、海警局や軍の動きを一方的にエスカレートさせることによって、新たな日本・アメリカの対応を招く可能性も考えていると思います。中国としては、対中抑止システムとしての日米同盟のさらなる強化に繋がることは避けたいと思っているのではないでしょうか。
 16年に漁船団が尖閣諸島周辺の海域に来ましたが、それ以降は今年も含め、当局が管理をしながら政治的なメッセージを日本側に伝えるということだと思います。
 「民兵部隊の建設」掲げる習政権 漁船団の動員訓練か
Q.昨今、中国の漁船団に注目が集まっています。海上民兵が含まれるとの指摘や海上民兵が東シナ海で大規模訓練を行っているとの指摘があります。
 増田雅之 中国研究室長
 態勢を整備しているのだと思います。漁船は中国版GPS=北斗を積んでいます。平時と有事では動員に際する指揮命令系統が異なりますが、北斗システムによって動員をかけることができるか確認しているのだと思います。日本に対して様々なエスカレーションの可能性を想起させ日本の更なる一歩を止めたいという政治的なシグナルが含まれていると考えています。
Q.中国で海上民兵(漁船団)とはどのような位置づけなのでしょうか?
 増田雅之 中国研究室長
 習近平政権は「民兵部隊建設」というキーワードをかなり強く打ち出してきました。南シナ海では海上民兵による法執行活動への支援など「軍・警・民」の連携が進んでいます。基本的には海上民兵を含む漁船団を前線に置いて、その後ろに法執行機関である海警局が控え、一番後ろに軍隊が鎮座しています。こうした3層構造は南シナ海でよくみられるパターンです。東シナ海でも出現する可能性があります。
 ただ、南シナ海と比べ東シナ海では米軍の強いプレッシャーが存在しています。日米同盟の協力関係はトランプ政権になっても維持されているので、中国が東シナ海でどこまでグレーゾーンの戦術を強めていくのか、確固たる判断はできていないと思います。
 習主席は海洋権益や主権の争い「譲歩しない」
Q.習近平国家主席は領土問題を重視する考えを示しています。
 増田雅之 中国研究室長
 海洋をめぐる権益・主権の争いについて習近平国家主席は2012年の総書記就任当初から「譲歩しない」ということを繰り返し述べてきました。今年の春に出版された中国共産党の理論誌の中でも断固として海洋の権益を守るというメッセージを習主席の名前で出しています。ですから、この問題について「中国が譲歩する可能性があると相手に感じさせない」というのが基本的な政策のラインなのでしょう。
 海上法執行機関である海警局を中央軍事委員会の指揮命令系統の下に置いたことも、習主席自らが指揮するという意志の表れだと思います。
Q.習近平政権にとって尖閣諸島はどのような位置付けなのでしょうか?
 増田雅之 中国研究室長
 中国は「尖閣諸島は日本に奪われた」と主張していますが、それは「台湾の付属島しょ」としての尖閣諸島という位置付けが中国側にはあります。中国は台湾の分裂阻止や将来的な統一に向けた軍事力の強化、グレーゾーン戦術の強化を進めていますが、尖閣諸島への対応はその一環として位置付けられている可能性があります。
 中国は太平洋に出るために九州沖から沖縄、台湾、フィリピンを結ぶ第1列島線を突破しなければならないと考えています。そこで、突破できる場所、脆弱な場所を探しているのだろうと思います。中国軍が宮古海峡を通過して太平洋に進出する動きが活発化していますが、日本が中国軍の動向をチェックしています。台湾の南にあるバシー海峡を含め突破できるポイントを多様化させるという考え方が中国軍にはあるのだと考えています。尖閣諸島の軍事拠点化は難しいですが、尖閣諸島や台湾周辺での軍事オペレーションの常態化、グレーゾーンの強化によって太平洋側に展開する傾向が強まっています。
 “主権に強い意志”習主席との対話がカギ
Q.東シナ海で中国の動きが活発化するなか日本としてはどのように対応すべきだと考えますか。
 増田雅之 中国研究室長
 現在は日本に対してプレッシャーをかけ、政治的な強いメッセージを送るために海警局や海上民兵も含めた態勢の整備をしていると考えています。これを実行に移すかどうかは中国側にとって極めて大きな判断です。
 私たちは中国が実行に移さないようにどうすべきかを考えなければなりません。日本側の弱さが見えれば中国はそこを突いてくるでしょう。法制度を含めて態勢が整っているのだから突破すべきだという論調が中国で高まる可能性もあると思います。
 日本は尖閣諸島周辺に限らず日本の支配が及んでいる海域に対し、自衛隊の警戒監視活動や海上保安庁による警備に加えて、科学調査なども行うことで日本の「有効な支配」を多面的に見せる必要があります。
 中国の態勢整備は、海洋権益・主権に対する強い意志を持つとみられる習主席の大きな意向に沿った形で行われていると思いますが、実行に移すかどうかも習主席の判断によるところが大きいわけです。ですから、日本政府が中国の最高指導部、とりわけ習主席といかにコミュニケーションをとっていくかということもリスクの管理という点ではとても大事なことです。
 増田雅之 氏
 防衛省防衛研究所 中国研究室長
 中国で開催される国際会議にも出席
 中国側の専門家と議論を交わす機会も
 聞き手 JNN北京支局 松尾一志
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 9月11日 YAHOO!JAPANニュース マネー現代「アメリカの政治学者が警告「一帯一路が中国のための軍事ハイウェイ化している」という現実
 2017年、一帯一路フォーラムでスピーチする習近平国家主席 by Gettyimages
 人民空軍、6000キロ離れたエジプトで大演習
 中華人民共和国は10年以上にわたり、「一帯一路」構想(BRI)を、港湾、鉄道、工場、デジタル接続性を整備する無害な計画であるかのように説明してきた。しかし、その説明はもともと実態を正確に表していなかったうえ、もはや現実とは明らかに乖離している。中国は、自らが築き上げてきた商業的な地理的ネットワークの背後に、明確に軍事力を配置し始めている。そして、最近エジプトで行われた航空演習は、これまでで最も明白な警告である。
 最近の報道によれば、8月、中国のJ-16戦闘爆撃機、Y-9LGスタンドオフ電子妨害機(SOJ)、KJ-500空中早期警戒管制機、Y-20輸送機、Z-20多用途戦術ヘリコプター、YY-20A多用途空中給油・輸送機(MRTT)からなる大規模な航空部隊が約6000キロを飛行してエジプトに展開し、エジプト空軍との「Eagles of Civilization(文明の鷲)」演習に参加した。
 この演習では二つの重要な「初」があった。J-16がアフリカに初めて展開したこと、そしてYY-20Aがエジプトのラファール多用途戦闘機に初めて空中給油を実施したことである。中国人民解放軍空軍(PLAAF)は、戦闘力を大陸間で移動させ、途上でその作戦能力を維持し、アラブ世界の主要な軍事国であり米国の防衛支援の受益国でもあるエジプトと、高度な異機種間空戦訓練(DACT)を実施するという貴重な経験を得た。
 場所も重要である。エジプトは、世界の海上交通に不可欠な大動脈の一つであるスエズ運河を擁する。中国企業はスエズ運河経済特区に数十億ドルを投資し、製造、物流、港湾、技術分野でその存在感を拡大してきた。習近平国家主席の9月の訪問は、こうした経済関係を安全保障・対テロ協力とさらに結びつけるものとなった。
 浮かび上がっているパターンは明白である。まず商業的進出があり、次に政治的影響力、技術的依存、軍事協力、そして作戦上のアクセスへと進んでいく。実際、人民解放軍空軍の戦闘機がこの演習に参加したのは今回が2回目である。2025年の「Eagles of Civilization」にはJ-10戦闘機とY-20空中給油機が参加し、エジプトのMiG-29戦闘機に対する史上初の空中給油も実施された。
 ジプチのイスマイル・オマル・ゲレ大統領(左)と習近平主席 by Gettyimages
 それは段階的に進行する
 さらに指摘すべきは、軍事化とは、「一帯一路」の資金で整備されたすべての港に中国共産党政権の五星紅旗を掲げることを意味するわけではないということである。それは段階的に進行し得る。海軍艦艇への補給が可能な商業埠頭、中国軍機の受け入れに慣れた空港、情報収集にも利用できる通信ネットワーク、人民解放軍が現地の地形や指揮系統に習熟するための定期的な演習、そして危機の際に発動できるアクセス協定などである。
 中国はすでに、このような発展過程を実際に示している。2009年にアデン湾で人民解放軍海軍の任務部隊による継続的な活動を開始した後、2017年には、バブ・エル・マンデブ海峡という要衝に面し、中国が資金提供した港湾インフラの近くに位置するジブチに、人民解放軍初の海外軍事基地を設置した。AidDataによれば、中国は2000年から2025年までに海外168港に約240億ドルを投入することを約束している。
 米国防総省は現在、中国政府が世界規模の兵站・基地ネットワークの構築を目指していると評価している。それには、常設駐屯地、共同利用施設、商業インフラと併設された軍事施設、さらには外国港湾への臨時的なアクセスなどが含まれる。
 これは偶発的に起きた「任務の拡大」ではない。中国の「軍民融合」政策は、経済的資産と戦略資産の境界を意図的に消し去るものであり、いわゆる「グレーゾーン」活動が武力的行動と非武力的行動の境界を曖昧にするのと同じである。中国自身が2019年の国防白書で、中国の海外権益を守ることは軍の任務であると明記している。中国の海外投資、中国国民、サプライチェーン、資源依存が国外で拡大するにつれ、中国共産党はそれらを「保護」する必要性がますます高まっていると主張するようになるだろう。一帯一路は、その正当化の根拠とインフラの双方を提供する。
 次の段階では、より多くの長距離展開、共同演習、武器売却、情報施設、中国系警備請負業者、海軍艦艇の補給寄港、そして交渉によるアクセス権の確保が進む可能性が高い。正式な軍事基地となる場所は限られるかもしれない。しかし中国に数十もの基地は必要ない。燃料、修理、監視、外交的な後ろ盾、緊急時のアクセスを提供するデュアルユース拠点のネットワークがあれば、公然たる基地建設が招く反発を避けながら、人民解放軍の世界的な活動範囲を大きく拡大することができる。
 「一帯一路」概念図 by Gettyimages
 いつでも威圧の手段へと転化し得る
覇権国としての中国が単に自国の商業活動を防衛することが危険なのではない。習近平の「グローバル発展イニシアティブ」の名の下に売り込まれているインフラが、戦争や危機の際には威圧の手段へと転化し得ることである。すなわち、競争相手のアクセスを制限し、その動きを監視し、アジアから遠く離れた地域における中国軍の作戦を支援することが可能になる。また、それは受け入れ国に対する中国の影響力・圧力の手段ともなる。
 したがって、各国政府、報道機関、研究者は、「一帯一路」事業を通常の商取引として評価することをやめるべきである。港湾の所有権、融資条件、データへのアクセス、請負業者の義務、軍事利用に関する条項について、国家安全保障の観点から精査する必要がある。民主主義諸国は、信頼できるインフラ整備の代替案を提示するとともに、脆弱な国々が自国の戦略的資産に対する真の管理権を維持できるよう支援しなければならない。
 エジプトの空は、われわれに警告を発した。「一帯一路」は、もはや単なる経済の地図ではない。それは次第に、中国の軍事力を支える兵站の地図へと変貌しつつある。
 日本、台湾をはじめとする価値観を共有する国々は、遠く離れた地域での中国の動きにも、とりわけ注意を払う必要がある。こうした「経済と結びついた軍事的行動」(あるいは「軍事と結びついた経済的行動」と呼ぶべきか)は、中国が他の拠点を確保し、防衛できていると判断したとき、台湾への圧力を一層強める能力と意思を補完することになるからである。
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 ロバート・D・エルドリッヂ(政治学者・台湾外交部フェロー・淡江大学客員研究員・元米海兵隊太平洋基地政務外交部次長)
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 9月18日 MicrosoftStartニュース kangnamtimes「「中国、“核戦車”へ」…戦場の常識を変える“異形の兵器”
 梶原圭介
 中国の防衛産業と北京理工大学の研究チームが、小型原子炉とレールガンを組み合わせた前例のない「核動力戦車」のロードマップを公表した。2045年以降の実戦配備を目指すこのSFさながらの構想は、米中の安全保障競争が地上兵器体系の限界を突破しつつあることを示しているが、軍事専門家の間では「実戦には向かない時限爆弾」との否定的な見方も出ている。
 核動力とレールガンの融合…理論上450km先への攻撃も可能に
 15日付の香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポスト(SCMP)によると、同研究チームが6月に中国の兵器工学専門誌に発表した60トン級戦車は、10メガワット(MW)級の小型モジュール炉(SMR)を動力源とし、燃料交換なしで最低5年間運用できるよう設計されている。
 これに50メガジュール(MJ)級の超高速レールガンを搭載し、最大450km離れた目標を秒速3.5kmの速度で攻撃するという構想だ。
 中国の研究チームはこれを実現するため、段階的なロードマップを提示した。まず第1段階(~2035年)では、ディーゼル・ハイブリッド方式をベースにした射程150kmのレールガン搭載戦車の開発を完了する。第2段階(~2045年)では、高密度エネルギー貯蔵装置と超電導システムを導入し、射程300kmのレールガンモデルを実現する。そして2045年以降の第3段階では、SMRを搭載して無制限の動力と450kmの攻撃力を備えた、完全な核動力戦車を完成させる。
 専門家からは疑問の声…「現実性に乏しい時限爆弾になりかねない」
 SF映画さながらの構想に対し、一部からは早くも批判的な見方が示されている。技術的な完成度以前に、実戦での有用性や生存性に深刻な限界があるという指摘だ。
 ある軍事専門家は匿名を条件に、小型原子炉の技術自体は存在するものの、これを60トンという重量制限の中で放射線遮蔽装置や冷却設備、電力変換装置などと一緒にパッケージ化するのは現実的にほぼ不可能だと分析した。また、乗員の休息や弾薬補給が欠かせない地上戦の特性上、「無制限の電力」がもたらす利点はそれほど大きくないとも指摘した。
 ドローンや対戦車ミサイルが飛び交う現代戦の環境下で、原子炉を搭載した戦車が破壊された場合、被弾地点周辺が深刻な放射能汚染にさらされるリスクが大きい。専門家らは、重装甲の有人戦車に原子炉を組み込むよりも、無人プラットフォームに高エネルギーレーザーやマイクロ波(電磁波)兵器を組み合わせる方式の方が、はるかに現実的な未来戦の代替案になるとみている。
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🌥2¦ー2ー沖縄県知事選が終わったとたんに「辺野古沖転覆事故」を地上波テレビが一斉報道した。~No.3No.4 

  ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・     
 辺野古沖転覆事故当事者(抗議団体)に対する説明責任の追求を逃げていたメディアとコメンテーター達。
   ・   ・   ・   
 9月16日 MicrosoftStartニュース アサ芸プラス「沖縄県知事選が終わったとたんに「辺野古沖転覆事故」を一斉報道した地上波テレビの「見識」と「不自然さ」
 © アサ芸プラス
 「選挙に名を借りた、ひどい有様が野放しになっています。特にSNSの状況。有権者の選択がゆがめられるようなことがあってはならない。国として早急に対策を講じて」
 これは先の沖縄県知事選に敗れた玉城デニー氏の、敗戦の弁だ。
 開票0%で早々と元総務省職員、無所属新人の古謝玄太氏(自民、維新、国民民主、参政、保守、公明が推薦)に当選確実が出た。現職の玉城氏(推薦なし。立憲民主、共産、社民、沖縄社会大衆党)は大差をつけられる完敗だった。
 玉城氏は今年5月にも、3月に起きた名護市辺野古沖での転覆死亡事故(同志社国際高校の生徒18人を乗せたボート2隻が転覆して2人が死亡、14人が負傷)をめぐり、次のように話している。
 「交流サイト(SNS)上で、県が船の運行団体に補助金を支給しているなどの誤情報が拡散している。有権者の考え方が間違った情報によって判断されることがあってはならない」
 つまりSNSのせいで自身が落選したと受け止めているようなのだ。
 ならば7月に沖縄県議会に設置された「辺野古沖船舶転覆事故に関する調査特別委員会」で潔白を証明すべきだったが、玉城氏を支持する県政与党は転覆事故が捜査中であることを理由に、審議入りに反対。公明党も知事選を念頭に「時期尚早である」と反対したと、フジテレビ系列の沖縄テレビが報じている。
 事故の真相究明を避け、ネット規制を訴えた玉城氏は、そこからしてズレている。国民のテレビ試聴時間とネット試聴時間は、コロナ禍の2020年に逆転。総務省が今年6月に発表した「令和7年度 情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」では、日本人のリアルタイムのテレビ視聴は156.1分(平日平均)だったのに対し、SNSや動画サイトを含めたインターネット利用時間は1日平均183.9分(同)と、ネットが約28分も上回った。
 櫻井翔の出演CMが続々と流れる現象
 ネットに逆転されたNHKと日本テレビ、TBSは沖縄県知事選が終わった後に、辺野古沖転覆事故で愛娘の武石知華さんを失った遺族インタビューを一斉に放送。テレビ朝日はさらに不自然で、投票日当日の9月13日午前10時から特別番組テレメンタリーPlusで「虐殺のレリーフ ―スパイと見なされて―」を放送した。
 関東地方を中心に放送されたこの番組は「戦時下、日本軍は久米島の島民20人を敵国アメリカ軍のスパイだとして虐殺した」として記念レリーフを制作した、彫刻家で部落解放運動家・金城実氏とその支援者たちのルポルタージュだ。
 番組では金城氏が同志社国際高校の沖縄平和学習、辺野古沖Fコースとは別のBコース「金城実先生アトリエ+民泊コース」の講師だった事実には触れなかった。そこに武石さん遺族への配慮はなく、久米島の島民はレリーフ作成に反対していた背景もある。
 番組タイトルは日本軍が久米島の島民を無差別に虐殺したように受け取れるが、史実によれば、日本軍が手にかけたのは、戦時中に島にやってきた外国人と、米軍と接触していた島民だという。
 気になるのは、この特番で流されたCMにセブンイレブン、三井住友銀行、チューリッヒ生命、ハウス食品……と、なぜか総務省元事務次官の父を持つ元嵐の櫻井翔が現在CM出演しているか、過去に出演していた企業がズラリと並んだこと。すごい偶然もあるものだが、当選後さっそく高市早苗総理から来年度の沖縄振興予算を3000億円台に積み増す方向性を示された古謝新知事が、まさか古巣の総務省にハシゴを外される、なんてことは……。
 (那須優子)
   ・   ・   ・   
 9月16日 産経新聞「玉城氏大敗の沖縄知事選、抗議団体幹部「申し訳なく思う」 辺野古沖事故の影響認める
 取材に応じる「ヘリ基地反対協議会」の仲村善幸共同代表(右)ら=9月16日、沖縄県名護市(大竹直樹撮影)
 保守系新人の古謝玄太氏(42)が、現職の玉城デニー氏(66)を15万票近い大差をつけて初当選した沖縄県知事選(13日投開票)について、名護市辺野古沖で船2隻が転覆し、女子高生らが死亡した事故で2隻を運航した抗議団体の幹部は16日、「事故の影響はあったと思う」との見解を示した。
 米軍普天間飛行場(宜野湾市)の辺野古移設に反対する抗議団体「ヘリ基地反対協議会」の仲村善幸共同代表が事故から半年がたった16日、現場海域近くの浜で献花後、報道陣の取材に、「この事故が知事選に影響を与えてしまっていることは、とても申し訳なく思っている」と述べた。
 取材に応じる「ヘリ基地反対協議会」の仲村善幸共同代表(右)ら=9月16日、沖縄県名護市(大竹直樹撮影)
 ヘリ基地反対協議会が玉城氏の支持基盤だったことに加え、「抗議船というくくりで安全性に問題があるということではない」と述べるなど団体を擁護するかのような言動も目立ち、SNSを中心に玉城氏への批判が高まっていた。
 海上保安庁の警備艇を振り切って高速航行するなど抗議船の危険性も指摘されていたが、玉城氏から過激な抗議活動をたしなめる発言は聞かれず、知事選では、玉城氏に厳しい目が向けられる形となった。(大竹直樹)
 辺野古転覆事故から半年、抗議団体の代表らが献花
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 9月17日 YAHOO!JAPANニュース プレジデントオンライン「沖縄県知事選で玉城デニーが惨敗したのは「SNSのせい」ではない…新聞・テレビが見誤った15万票差の本当の理由
 沖縄県知事選で初当選を決め、気勢を上げる古謝玄太氏(右)と、落選が決まり厳しい表情の玉城デニー氏=2026年9月13日夜、那覇市 - 写真=共同通信社
 2026年9月13日に投開票された沖縄県知事選で、元那覇市副市長の古謝玄太氏が初当選した。古謝氏は42万3124票、対する現職(当時)の玉城デニー氏は27万6060票と、約14万7000票の差をつけた大勝だった。メディア論を専門とする神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「新聞やテレビの報道では、玉城氏の敗因としてSNSや経済を挙げる声が多い。だがこうした声は、わかりやすく整理された“県外の視線”に過ぎない」という――。
■古謝氏が支持された本当の理由
 今回の選挙でまず目を引くのは、古謝氏が得た過去最多の42万3124票である。8年前の玉城氏の39万6632票を大きく上回り、歴代初めて40万票を超えただけではない。投票率は61.57%と、前回から3.65ポイント上昇したとはいえ、過去15回の知事選では、下から4番目である。
 とりわけ若年層が上がったと言われているものの、投票率と得票数に鑑みると、有効得票数の約6割を古謝氏が得たのである。
 では、なぜ、それほどまでに古謝氏が支持されたのか。
 東京に本社を置くメディアでは、まず「基地よりも経済」との言い方が目立つ。読売新聞は、投開票日当日の出口調査で、「有権者が最も重視したのは『景気や物価高対策』(20%)で、経済問題への関心の高さをうかがわせた」とし、「『基地問題より経済』鮮明」との見出しを掲げた(2026年9月15日付朝刊)。
 他方で、別の要因を挙げる声は、選挙期間中から少なくない。SNSである。朝日新聞は、投開票3日前の9月10日に「『越えてはならない一線越えた』沖縄県知事選で混迷するSNS空間」と題した記事を掲載し、「偽・誤情報がSNSに相次いで投稿されている」とし、「根拠不明のまま不安や怒りをあおる情報が拡散して」いると報じている。
■「経済」でも「SNS」でもない
 選挙結果の分析でも、日本経済新聞の取材に対して、沖縄国際大学の野添文彬教授は、次のように答えている。

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 デマや誹謗中傷によって沖縄社会の分断が進んだように感じている。SNSを巡る問題は日本の民主主義そのものを破壊するような出来事だ。

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 経済重視も、SNSも、まったくの外れではない。調査に基づく分析もあれば、専門家による見立てもある。ただ、それでも、沖縄県外に住んでいる私(たち)には、今回の選挙で、沖縄の人たちが何を考えて投票したのかを、じゅうぶんに知るのは難しいのではないか。
 もちろん、報道各社の出口調査を見れば、ある程度の趨勢は推測できる。NHKによる調査は、先に挙げた読売新聞よりも「鮮明」だった。「景気・物価高対策」を挙げた人は49%と、「基地問題」を挙げた17%の2倍以上に上っている。地元紙・琉球新報と沖縄タイムス両紙は、オンラインでも記事を配信しているから、こうした情報を仕入れていけば、ある程度は、沖縄県の空気を窺えるだろう。
■わかりやすくて、安易な分析
 共同通信の出口調査によれば、「投票先を決める際に交流サイト(SNS)を重視した人は約4割だった」というから、ソーシャルメディアが今回の選挙で重要な役割を果たした点は否定できない。産経新聞那覇支局長の大竹直樹氏は、投開票日翌日の14日、ニッポン放送の「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」に出演し、「古謝さんの当選の要因の一つとして、インターネットやSNSの影響もあるのではないかなというふうに思っております」と話している。
 大竹氏は、その根拠として、沖縄県議会の中継が切り抜かれてショート動画としてSNSで広まり、「玉城県政の実態というのが可視化されやすくなった」と分析している。インターネットサイト「選挙インサイト」による「沖縄県知事選『SNSのデマ』は結果を動かしたのか 年代別データで検証する」との記事は、大いに参考になる。
 ただ、確かめておきたいのは、「SNSによる影響があったこと」は「SNSが選挙結果を決めたこと」と同じではない、という(当たり前の)点である。上で参照したメディアの分析もまた、「重視」や「影響もあるのではないか」といった表現を用いているところに注目しなければならない。
 それなのに、いや、それゆえにこそ、県外の私(たち)は、「基地より経済」や「SNS原因論」といった、わかりやすく安易な「分析」に傾きがちになるのではないか。
■「我慢」と「代表されていない」感覚
 作家の佐藤優氏は、東洋経済オンラインの連載「知の技法 出世の作法」に、「沖縄県知事選の結果を誤読してはならない、県民の民意の『我慢』を『同意』と錯覚すれば日本の国家統合の基盤が揺らぐ」と題した文章を寄せ、沖縄社会の現実は、「基地か経済か」といった「単純な座標軸では捉えられない」と、注意を促している。
 ポイントは、この「我慢」という表現である。その意味を考えるために、10年前、社会学者の大澤真幸氏が披露した分析が参考になる。大澤氏は、「辺野古における抵抗権」とのタイトルで、次のように説いていたからである。

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 基地を辺野古に置いたときに、その影響を最も大きく被るのは、間違いなく沖縄の人々だ。沖縄の人々は、しかし、基地の移設についての意志決定にまったく参加していない。とするならば、沖縄の人々の自由が奪われていたことになる。

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 この意思決定の担い手は、日本人でも日本政府でもなく、アメリカである、と大澤氏は言う。この点について大澤氏は、現代日本における政党政治にも応用し、「どの政党によっても、自ら(の意見)が代表されてはいないと感じる」、もしくは、「多くの人が複数政党制の代表メカニズムから疎外されていると感じている」と表現している(大澤真幸「推し活という政治」『世界』2026年8月号)。
■兵庫県知事選との共通点
 今回の沖縄県知事選もまた、こうした「代表されてはいない」という感覚と、既存の政治的な枠組みとのズレから考えることができるのではないか。
 単純に「基地か経済か」とか、「オールドメディアかSNSか」という二項対立ではない。「沖縄の民意」として語られてきたもの、もっと正確に言えば、「沖縄の民意」としてメディアがとらえようとしてきた何かをつかみきれていないのではないか。
 ではなぜ、「基地よりも経済」とか「SNSの影響」といった、シンプル(に見える)分析が語られるのか。
 これは今回の選挙には限らない。2024年11月の兵庫県知事選挙でも構図は同じだった。SNSによって既存メディア=オールドメディアとは違う情報が広まった、とか、メディア不信が共有された、といった「説明」が繰り返されてきた。
■なぜ「SNSのせい」にしたがるのか
 私は、兵庫県知事選挙の4日後にプレジデントオンラインに寄せた記事で、「世論をとらえられず、いまだにネット(SNS)を見下している。それこそが『マスメディアの敗北』ではないか」と書いた(だから兵庫県民は「斎藤元彦知事」を選んだ…どのマスコミも報じない「60日間の戦い」で起きていた変化)。その上で、「彼(斎藤元彦知事)を見ていない、見ようとしていない態度こそ、兵庫県民を動かしたのではないか」と述べた。
 今度の沖縄県知事選挙もまた、古謝玄太氏はおろか、沖縄県さえ見ようとしていないのではないか。
 「基地のせい」や「SNSのせい」にしてしまえば、その前にある問いをスキップできる。なぜ、既存の報道=オールドメディアよりもSNSの情報に期待する人たちがいたのか。なぜ、既存の政治の枠組みでは「代表されていない」と感じる人たちがいるのか。そうした疑問を考えずに済む。
 基地は突然できたわけではない。それどころか、米軍普天間飛行場の返還、辺野古移設は、30年前の合意であり、SNSというかインターネットが広まったのも、同じころである。1990年代の半ば、つまりは平成の初めごろから、ずっと、この2つの要素は、私たちの目の前にあったのではないか。
■県外にいる私たちには「見えない」
 沖縄県の外にいる私(たち)が、何かを知ろうとしたり、考えようとしたりするときには、メディアを通じる場合がほとんどである。もちろん、現地での取材やフィールドワークといった手段はある。とはいえ、肌感覚を共有するのは難しい。
 私ごとながら、30年来の友人が沖縄でインフラ産業にかかわって20年になる。彼から教えてもらった見方は、今回のこの文章にも大きな参考になっているものの、それでも、私の見解は、邪推とまでは言わずとも、推測の域を出ない。
 彼をはじめとする沖縄で生きる人たちにとって、日々の生活は、基地だけでもなければ、もちろんSNSだけでもない。先に触れた共同通信の調査では、「沖縄県知事選に関連するX(旧ツイッター)投稿を分析すると、88.1%が県外から発信されていたとみられる」という。地元では、仕事があり、子育てがあり、物価高対応があり、観光があり、そして地域社会とのかかわりがある。SNSだけを手がかりにしていては、沖縄の人々の投票行動を理解できない。
 加えて、半年前に沖縄県名護市辺野古沖で、同志社国際高校2年の武石知華さん(当時17歳)と船長が亡くなった小型船転覆事故もまた、県外から見れば、今回の選挙を考えるうえで気になる出来事の一つだった。
 ただこれもまた、県外の視線に過ぎないのではないか。「基地か経済か」、「既存メディアかSNSか」といった問いそのものが、県外にいる私(たち)にとってわかりやす過ぎるほどまでに整理された、もしくは、整理してしまった姿にほかならない。
■沖縄は「問題」ではない
 選挙結果だけではなく、「沖縄の民意」を理解しようとする、そうした姿勢を捨ててはなるまい。だが、「沖縄の民意」は簡単には理解できない。これまでも、そして、今回もまた、メディアを中心として、理解したつもりの気分に浸るだけにとどまっているのではないか。
 何かのせいにするのは簡単である。考えつづけるほうが、はるかに難しい。であればこそ、沖縄の外にいる私(たち)に求められているのは、わかりやすい説明ではない。それよりも、私(たち)が、なぜ、理解したくなるのか、その欲望の根本を問い直さなければならない。それは、「経済優先論」でも、「SNS悪玉論」でもなく、部外者たる人たちが、なぜ、理解しなければならないのか、という問いでもある。
 9月15日には高市早苗首相と古謝新知事が面会し、沖縄の経済活性化に向けた連携を確認した。これから、辺野古移設をめぐる方針も議論されるだろう。そのときメディアは、再び「経済か基地か」という問いで沖縄を語ろうとするに違いない。しかし、古謝新知事が沖縄の何を代表しているのかは、選挙結果だけからはわからない。
 かつて、沖縄返還から半世紀にわたって、私たちは「沖縄問題」という言葉を繰り返してきた。しかし、沖縄は「問題」ではない。そこに生きている人たちがいて、その人たちが一票を投じた。「問題」として理解しようとすること自体が、すでに沖縄県外からの視線を持ち込んでいる。この陥穽(かんせい)から、もう逃れなければならない。

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 鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
 神戸学院大学現代社会学部 准教授
 1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。

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 9月17日 YAHOO!JAPANニュース デイリー新潮「共産「田村智子委員長」に“逆ギレ”批判が殺到…沖縄知事選は「高市政権の選挙介入」が敗因、辺野古沖転覆事故でデニー氏に「説明責任があるという考え方が違う」
 田村智子
 田村委員長は、高市政権は「南西諸島に次々と自衛隊基地を造り、長射程ミサイルも配備し、『戦争国家』の最前線にする」ことを目指しており、「平和を壊す政治を進めている」と強く批判、辺野古新基地の建設を停止するよう改めて求めた。...
 沖縄県知事選で激しい論戦が展開されていた9月4日、共産党の田村智子委員長は東京・有楽町で開かれた“市民連合”による街宣に参加し、当時は現職の知事であり3選を目指していた玉城デニー氏に対する応援演説を行った。田村委員長は「なぜ異常なまでに官邸・自民党本部が知事選に介入し、デニー知事をひきずり降ろそうとするのか」と聴衆に問いかけ、「辺野古新基地建設にブレずに反対を貫く知事が邪魔だからです」と説明した。(前後編の前編)
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 田村委員長は、高市政権は「南西諸島に次々と自衛隊基地を造り、長射程ミサイルも配備し、『戦争国家』の最前線にする」ことを目指しており、「平和を壊す政治を進めている」と強く批判、辺野古新基地の建設を停止するよう改めて求めた。
 《『普天間返せ』-そのためには辺野古新基地断念が最も早い道です。これ以上、沖縄に米軍基地の負担を押しつけるわけにいきません。辺野古新基地は造らせない、普天間は閉鎖・撤去、そして南西諸島を戦争の最前線基地、軍事要塞にさせない》(註)
 だが9月13日に投票が行われた県知事選では、自民党などが推薦した前那覇市副市長の古謝玄太氏が42万3124票と過去最多得票を獲得して初当選。玉城氏は27万6060票にとどまり、何と14万票の差が付いてしまった。担当記者が言う。
 「知事選が終わると、田村委員長の発言が“炎上”しました。報道機関から知事選についてコメントを求められると、『玉城デニー県政を転覆するためにはどんな手でも使うという姿勢で、官邸と自民党がこの選挙に介入した』と敗因は高市政権の選挙介入が原因だと強く批判したのです。これにはネット上で『介入の明確な証拠はない。SNSでデマ情報が拡散したのは事実だが、官邸の“選挙介入”で民意が歪められたとの主張は沖縄の有権者をバカにしているのではないか?』といった疑問の声が相次ぎました」
 前知事に説明責任は「ない」
 そもそも“選挙介入”という言葉は非常に重い。多くの人が思い浮かべるのはロシアがアメリカ大統領選で行ったような大規模なサイバー攻撃だろう。相当数の人が「田村委員長の主張は大げさではないのか」と首を傾げたのは間違いない。
 沖縄県知事選の結果から、辺野古新基地や普天間基地返還を巡る共産党の主張に、沖縄の有権者は同意しなかったと分析することも可能なはずだ。
 しかし田村委員長が「自分たちの訴えは有権者に届かなかった」と反省することはなかった。「知事選で起きた論戦は今後につながる」と自画自賛するだけだった。
 実は田村委員長、知事選が終わってからの発言でも批判を集めている。9月14日、田村委員長は記者会見に応じた。そこで記者が「辺野古沖転覆事故に関して、玉城前知事は説明責任を果たさなかったのではないか?」と質問した。田村委員長の回答は動画で拡散しており、いずれも批判的な文脈で投稿されている。
 「田村委員長は『説明責任があるという考え方が違う』と真正面から反論したのです。『知事選では事故を巡って玉城氏に対するデマが拡散し、攻撃が繰り広げられた』と指摘。事故は事故として解明されるべきで、玉城氏は知事として辺野古新基地に反対していたに過ぎない、その主張と事故が結びつけられたことが問題なのだと強い懸念を示しました」(同・担当記者)
 共産党の“無責任体質”
 田村委員長の発言に、XなどのSNSでは「抗議船の運行に共産党の地方団体が関わっていたことなどを踏まえれば、玉城氏はもちろん、田村委員長にも説明責任がある」、「田村委員長の回答は逆ギレと批判されても仕方ない」との投稿が相次いだ。
 後編【沖縄知事選で露呈したオール沖縄の“陳腐化”と、共産党の“無責任体質”…田村智子委員長を縛る「自分たちの主張は常に正しいという自己認識」】では、たとえ選挙に敗北しても幹部は常に責任を取らないという、共産党の伝統的な“無責任体質”について詳しくお伝えする──。
 註:沖縄と日本の平和かかった知事選/デニーさん勝利へ全国からの支援広げよう/田村委員長の訴え/市民連合の応援行動/要旨(しんぶん赤旗:9月6日)
 デイリー新潮編集部
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 9月17日 YAHOO!JAPANニュース デイリー新潮「沖縄知事選で露呈したオール沖縄の“陳腐化”と、共産党の“無責任体質”…田村智子委員長を縛る「自分たちの主張は常に正しいという自己認識」
 田村委員長
 前編【共産「田村智子委員長」に“逆ギレ”批判が殺到…沖縄知事選は「高市政権の選挙介入」が敗因、辺野古沖転覆事故でデニー氏に「説明責任があるという考え方が違う」】からの続き──。共産党の田村智子委員長は沖縄県知事選で玉城デニー氏が落選した原因として「玉城デニー県政を転覆するためにはどんな手でも使うという姿勢で、官邸と自民党がこの選挙に介入した」と高市早苗首相を強く批判した。その結果、ネット上では田村委員長に対する批判が集中している。(前後編の後編)
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 何しろ“選挙介入”という言葉は重い。アメリカ大統領選でロシアが行ったような大規模なサイバー攻撃などを思い浮かべる人が大半だろう。
 XなどSNS上では「高市政権が沖縄県知事選に介入したという明確な証拠が示されていない」と田村委員長の発言に反発する投稿が相次いだ。「陰謀論の一種ではないのか?」と首を傾げる意見も目立った。
 他にも田村委員長は会見で記者から「辺野古沖転覆事故に関して、玉城前知事は説明責任を果たさなかったのではないか?」と質問されると、「説明責任があるという考え方が違う」と反論し、これもネット上では批判的な文脈で拡散している。
 筆坂秀世氏は1966年、18歳で共産党に入党し、1995年の参議院選挙で初当選。2003年に議員を辞職している。約40年の党員歴を持ち、離党しても共産党の動向を注視してきた。
 沖縄知事選の結果に筆坂氏は「『オール沖縄』という言葉が嘘だったことが明白になったという点に注目しています」と言う。
 「『オール沖縄』は2012年ごろ、当時は那覇市長だった翁長雄志さんが提唱しました。翁長さんは自民党沖縄県連の幹事長を務めたこともあり、『保守と革新を超えた沖縄』を合言葉に辺野古移設反対を支援する枠組を示したのです。翁長さんは2014年に県知事選で勝利しましたが、私は最初から懐疑的でした」
 分断を招いた共産党
 筆坂氏は「当たり前ですが、全国各地と同じように沖縄にも多種多様な考えを持つ様々な有権者がいます」と言う。
 「辺野古移設に反対の有権者もいるでしょうが、賛成の有権者もいるのです。それを無視して“オール”と表現するのは有権者の実像とかけ離れており、一種の虚偽ではないかと当初から疑問視していました。さらに2012年なら新鮮に響いた言葉でも、今は2026年ですから14年が経過しており、陳腐化が進みました。この14年間、オール沖縄という言葉は一度も見直しされなかったのです。共産党を筆頭とする革新陣営は今回の沖縄県知事選でもオール沖縄を連呼するだけでした。これでは有権者の心を掴むことはできないでしょう。さらに最近のオール沖縄は保守色が薄まり、共産党など革新陣営の集合体になってしまったことも重要です。あまりにも“オール”が連呼されてしまった結果、沖縄の保守系有権者は『自分は共産党を応援していない。何がオールだ』と反発したのではないでしょうか」
 筆坂氏は「共産党は“オール”を標榜するあまり、かえって沖縄で“保守系有権者”と“革新系有権者”の分断を招いてしまったのです」と指摘する。
 「自分たちは常に正しい」
 「田村委員長も“オール”という言葉に自縄自縛の状態になってしまったと思います。何しろ『沖縄の有権者は誰もが辺野古移設に反対している』と心から信じ切っているわけです。ところが予想に反して玉城さんは落選してしまった。すると『何か異常な事態が発生したに違いない』と考えてしまうわけです。『高市政権が選挙に介入した』という発想が生まれる理由でしょう」(同・筆坂氏)
 筆坂氏は「同じように共産党は『辺野古移設に賛成している沖縄の有権者も相当な数に達している』とは考えません」と指摘する。
 自分たちの主張は常に正しいというのが共産党の自己認識だ。そのため知事選における基地問題の論戦についても「有権者の支持を得られなかった」と反省することはない。「知事選における論争は次につながる」という極めて楽観的な総括になってしまう。
 記者が「転覆事故に関する前知事の説明責任」について質問すると、田村委員長から逆ギレのような回答が飛び出した。これも「知事や共産党が直接の原因で船が転覆したわけではない」と“責任”をできる限り矮小化したいからだろう。
 沖縄の有権者が「当時の玉城知事や共産党のせいで抗議船が転覆した」と考えていないのは当たり前だ。
 県民が求めた「説明責任」
 県民が疑問視したのは、知事や共産党の「事故を防ぐため県ができることには限りがあった」という冷淡とも思える姿勢や、「知事は共産党が批判できないのか、奥歯に物が挟まったような言動が多い」という違和感だろう。それを前提に「もっと説明責任を果たしてほしい」と不満を感じていたわけだ。
 そもそも田村委員長の「知事や自分たちに責任はない」という考えを推し進めると、「死亡した船長だけが悪い」と“現場”に責任を一方的に押し付けていることになってしまう。
 玉城デニー氏や共産党が転覆事故に関し、県民の素朴な実感が求める説明責任を充分に果たしていれば、少なくともデマの拡散が抑えられた可能性も否定はできない。
 さらに筆坂氏は「説明責任」だけでなく、「選挙における結果責任」の問題も重要だと指摘する。そこで注目すべきは共産党の委員長と言えば“長期政権”が目立つことだ。
 初代の宮本顕治氏は1970年から1982年まで、5代目の志位和夫氏は2000年から2024年まで委員長の座に就いていた。
 「これまで共産党は様々な選挙で勝ったり、負けたりしました。特に最近は“負けたり、負けたり”です。そして選挙で敗れた責任を取って辞めた幹部は誰もいません」(同・筆坂氏)
 共産党の“無責任体質”
 筆坂氏は「つまり日本の政党の中でも共産党はかなりの“無責任政党”であるという歴史を持っているのです」と言う。
 「田村委員長も同じだと批判せざるを得ません。沖縄県知事選の結果を謙虚に受け止め、党員など支援者に頭を下げ、次につなげるよう敗因を分析するという姿勢はないのです。そして自分には責任がないことを念押しするかのように『高市政権が選挙に介入した』、『基地問題における自分たちの主張は正しかった』という総括をコメントしているわけです」
 前編【共産「田村智子委員長」に“逆ギレ”批判が殺到…沖縄知事選は「高市政権の選挙介入」が敗因、辺野古沖転覆事故でデニー氏に「説明責任があるという考え方が違う」】では、なぜ田村委員長の沖縄知事選に関する発言はネット上で炎上したのか、その背景について詳細に報じている──。
 デイリー新潮編集部
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🌥目次¦ー17・Eー沖縄知事選挙で保守候補が当選してオール沖縄候補が敗北した。令和8年。~No.1 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・     
 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義と民族主義のブログである。
   ・   ・   ・   
 中国共産党に味方する媚中派や反米派・反安保派・反自衛隊派の反天皇反民族反日的日本人達。
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 中国が日本に求めている、日中友好とは対等関係ではなく上下関係であり、対中外交は中国の面子を尊重する朝貢外交である。
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 中国共産党は、日本領尖閣諸島・沖縄、沖ノ鳥島を強奪するべく魔の手をのばしている。
 中国軍は、日本に対する報復戦・復讐戦を準備し、軍拡を進めている。
   ・   ・   ・   
 2026年9月15日 MicrosoftStartニュース 産経新聞「同志社国際高教諭が死亡 辺野古沖転覆で死亡生徒の遺族「重さみんなで分かちあうべき」
 船舶転覆事故から半年を前に、武石知華さんの墓参りをする遺族=12日
 © 産経新聞
 同志社国際高校(京都府)の男性教諭が先月、亡くなった。同校2年の武石知華さん(17)が船の転覆事故で死亡した3月の沖縄研修旅行に関わり、責任を感じている様子だったという。学校側の検証が長期化する中、心理的な負担を感じる教員や生徒は少なくないとみられる。武石さんの遺族はこうした状況を憂慮し「みんなで分かち合うべき重さが誰か一人の肩に乗ることがあってはならない」と訴える。
 同志社国際高 =京都府京田辺市
 © 産経新聞
 遺族はnote(ノート)に掲載した記事で、死亡した教諭が知華さんの通夜で焼香した後、どの参列者よりも長く、深く頭を下げてくれたと振り返り、「あの時の姿は、言葉以上のものを私たちに伝えてくださいました」と記した。
 捜査関係者によると、教諭は8月23日に死亡。当時の状況から自殺とみられる。
 関係者によると、学校側は同30日の保護者説明会でこの件を報告。遺書は見つかっていないものの、職場に業務の引き継ぎに関するメモが残されていた。説明会では、長年、教諭と一緒に働いてきたという教頭が憔悴(しょうすい)した様子で「実直で信頼できる男だった。彼を守れなかったことは非常に残念」と話したという。
 教諭を知る同校卒業生の男性は「とても生徒思いで勉強も理解するまで教えてくれ、親身になってくれた。どうして死を選ばなければならなかったのか」と肩を落とした。
 転覆事故を検証した学校法人同志社の特別調査委員会(第三者委員会)の報告書によると、教諭は今年の沖縄研修旅行では、事故が起きた辺野古コースとは別のコースを引率した。事前の準備で同僚から辺野古コースの下見の必要性を尋ねられた際、乗船プログラムが令和5年から導入されていたことから「去年と全く同じやり方をするなら、行かないこともあり得る」と伝えていた。
 今年に限らず、学校側は今回の事故が起きるまで、生徒を乗せる船の下見を一度もしていなかったことが明らかになっている。
 武石さんの母は、教諭の死についてnoteで触れるべきか悩んでいたとしながら、教諭を悼むと同時に「生徒に向けたメッセージを出したかった」と明かした。
 noteの中では思い詰めている生徒がいると想定し「命ある限り、今日を生きて」と訴えた。また「この事故は、誰か一人の判断で起きたのではありません」と記し、改めて事故の全容解明と再発防止を求めた。(東九龍)
 武石知華さん両親、学校側への民事訴訟を視野
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 2026年9月15日 YAHOO!JAPANニュース 産経新聞「鳩山元首相が中国の安保論壇で「『一つの中国』政策の尊重」訴え 日本政府関係者招かれず
 鳩山由紀夫元首相=2024年8月(酒巻俊介撮影)
 © 産経新聞
 【北京=三塚聖平】中国人民解放軍系シンクタンクが主催する安全保障に関する国際会議「香山フォーラム」が15日、北京で開幕した。香港紙の明報(電子版)によると、日本政府関係者は招待されなかった。
 昨年参加していた日本の防衛省防衛研究所の研究者や、在中国日本大使館の防衛駐在官が参加できなかったもようだ。米国防総省からは、中国政策を担当するシンシア・カラス氏が参加すると伝えている。
 中国メディアによると、日本からは鳩山由紀夫元首相が出席し、高市早苗首相の昨年11月の台湾有事に関する国会答弁について「撤回するかその他の方法で、日本が『一つの中国』政策を尊重していることを示すべきだ」と述べたという。
 会期は17日まで。中国国防省によると、100近い国・地域・国際機関から代表団や専門家が参加する。
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2026-09-15
🌥2¦ー1ー沖縄知事選挙で保守系候補が12年ぶりに当選してオール沖縄候補を破った。~No.2 
2026-09-17
🌥2¦ー2ー沖縄県知事選が終わったとたんに「辺野古沖転覆事故」を地上波テレビが一斉報道した。~No.3 
2026-09-19
🌥2¦ー3ー沖縄の若者たちは変革への期待から古謝知事を選んだ。~No.4 
2026-09-23
🌥2¦ー4ー沖縄県知事選に敗退した過激派・極左勢力。辺野古沖基地反対闘争と三里塚闘争。~No.5No.6 
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🌥2¦ー1ー沖縄知事選挙で保守系候補が12年ぶりに当選してオール沖縄候補を破った。~No.2 

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 2026年9月15日 MicrosoftStartニュース theLetter「「中華圏の大問題」になっていた沖縄県知事選
 安田峰俊(Minetoshi Yasuda)
 © theLetter
 ご存知の通り、9月13日の沖縄県知事選は古謝玄太さんが40万票以上を獲得、現職の玉城デニーさんを大差で破りました。選挙結果の分析はいろいろあるでしょうが、それは中国ルポライターの私の仕事じゃありません。だって私、こういうときにまず中国と台湾を見るからです。
 今回の沖縄県知事選は、非常に「変な選挙」でした。理由は中華圏(欧米メディアの中国語版含む)からの異常な関心の高さです。
 選挙後にこれだけ中国語で論評が出る日本の首長選なんて、都知事選でもまずないぞ? この24時間で出た興味深いやつを、以下紹介していきましょう。
 敗れた駒に興味はない中国
 LDP-backed Koja’s Okinawa win may accelerate Japan’s southwestern military buildup, deepen local divisions - Global Times
 ↑題名訳「自民党が支援した古謝氏の沖縄県知事選勝利、日本の南西方面での軍備増強を加速させ、地元の分断を深める可能性」 中国『Global Times』
 『Global Times』(環球時報)は、みんなご存知の党中央機関紙『人民日報』傘下紙。中国有数の対外プロパガンダ媒体の言説です。人民日報や新華社ほどの重みはないものの、ほぼ当局見解に近い発信をおこなっています。しかも今回は、中国語の元記事は存在せず、なんと英語版のみ。海外に伝えたい内容ってことです。気になる内容はおおむね以下の通り。
・古謝勝利によって、日本政府による沖縄への防衛力配備は進みやすくなる
・日本の「専守防衛」姿勢はさらに崩れる。西南諸島における軍備増強について周辺国(=中国)は警戒すべき
・ただし古謝勝利=沖縄県民による全面的な基地容認ではない。物価高・円安・所得など経済問題が基地問題より優先された。
・「オール沖縄」の高齢化、若年層の保守化、勢力低下も玉城氏の敗因である
 と、安全保障に関心を置いた分析。これまで散々「友好」してきたデニーさんの敗戦にもっと同情してやれよと思うのですが、彼らは敗者の気持ちに寄り添わない。世界に向けて今回の結果を報じつつ、「軍国主義化する日本」(新型軍国主義)という中国のナラティブをとりあえず宣伝。今後のことはまた考えていくわけでしょう。
 まあ、デニーさん側も24年夏に福建省の超偉い人が来たときに(たぶん天然で)フジロックに行って歓迎レセプションをブッチ。中国大使が来た時も同じくブッチ……。と、先方の顔を図らず潰しまくって中国側に無駄な不信感を与え続けてきました。
 中国としては、天然なのか高度な外交的嫌がらせなのか、デニーさんの腹を読めず不気味。思い入れを持てる相手ではなかっただろうとは思われます。
 「親中デニー負けた!」台湾大喜び
 古谢玄太当选冲绳知事 击败“反台湾有事”候选人
 ↑題名訳「古謝玄太が沖縄知事に当選、“台湾有事反対”候補を破る」 ドイツの国際公共放送『ドイチェ・ヴェレ』中国語版
 一見するとドイツ発の報道ですが、実際の執筆者は台湾の準国営通信社である「中央社」特派員の周依恩さん。政治体制が違うので安易な比喩は禁物ですが、大陸政府見解に近い『Global Times』に対して、台湾側の公的言論のメインストリートに近い立場の人からの意見といえなくもありません。こちらの内容は以下の通り。
・玉城は「台湾有事=日本有事」に反対していた
・古謝勝利によって日本中央政府と沖縄県の対立が緩和、高市政権の第一列島線(中国の太平洋進出を制約する地理的障壁)での軍事建設がやりやすくなる
・古謝知事なら、沖縄県が所有・管理する空港や港湾が軍事利用指定を受け入れる可能性が高まる
・高市政権による安保三文書改定・西南諸島防衛強化の文脈で見るべき
 やはり安全保障文脈。当然、台湾としては古謝知事のほうが自国が守られるわけですが、なかなか生々しい話です。
 なお、往年のデニーさんは台湾に対して明確に塩対応(特に第2期)を繰り返していたので、台湾からは評判がよくありませんでした。「“台湾有事反対”候補」とか、台湾記者の手でドイツメディアに刺激的な見出しで掲載されたのも、一種の意趣返しだったのかもしれません。
 もっとも、この記事に限らず台湾メディアは最近、ともすれば日本(沖縄も含む)の選挙結果を「親中と親台のどっちが選ばれたか」で単純化しがちな傾向も目立ちます。日本でも、台湾の選挙について「親日反中の民進党が勝った、反日親中の国民党が負けた」という基準だけで論じたがるテレビや週刊誌の報道が多くありますが、お互い似たようなもんです。
 「中華圏の大問題」になっていた沖縄県知事選
 © theLetter
 親中派沖縄県知事連任失敗!という見出し。
 実際に票を投じる現地の人たちは、トップが親中かどうかよりも経済とか社会問題対応とかで選んでると思いますけどねえ……。
 玉城県政は中国の統一戦線工作に利用されてきた
 沖繩選戰變天:古謝玄太翻轉沖繩的民生與地緣新局 - Rti央廣
 ↑題名訳「沖縄選挙で政権交代:古謝玄太がもたらす暮らしと地政学の新局面」 台湾の国営国際放送『Rti』
 こちらは台湾当局系の媒体ですが、寄稿者の鄭仲嵐さんは日本留学歴やnippon.comの記者も担当している日本通。ゆえに記事では、かなり丁寧に沖縄の地域性や選挙の背景を説明しています。基本的に優等生的な記事に見えるのですが、中盤からニヤッとする話が出ます。
・玉城県政下で進んだ「地域外交」について、北京の対沖縄統一戦線工作と「客観的に一定の共鳴を形成した」とかなり踏み込んだ言及
・2023年7月のデニー訪中と李強首相との会見、中国での「琉球国墓地」訪問を挙げつつ、その前月に出た習近平の琉球発言や中国プロパガンダメディア(それこそ環球時報とか)の「琉球カード」報道と結びつける説明
・玉城氏が沖縄を米中日の「平和の緩衝地帯」にしようとした地域外交は、結果的に中国による日米同盟分断の統戦工作に利用されやすいものだったと批判。
 なんだか鄭さん、安田の沖縄関連記事を読んでそう。機会あったらお友達になりませんか。
 * * *
 他にもいろいろありますが、大変なのでリンクだけ。沖縄の選挙が話題になりすぎだ。以下、中国大陸&香港。
 12年后,冲绳“变天”,自民党重新掌控冲绳县政府,将支持当地美军基地搬迁冲绳变天了日本冲绳知事选举执政派取胜 高市早苗拟增当地振兴预算及防卫力
 台湾もまだまだたくさん。
 沖繩縣知事選舉變天:古謝玄太刷新最高票紀錄當選,玉城Denny敗北後,反基地運動的未來何去何從? | 政經角力 | 轉角國際 udn Global自由廣場》關乎台海安全/沖繩知事選舉 「中日琉球爭奪戰」? - 自由評論網
 県知事選は「中日による琉球争奪戦」
 上記の最後に紹介した記事は、選挙前に発表された論考ですが興味深いところでした。
 だって執筆者が林泉忠先生。すなわち大陸生まれ香港育ち、日本で東大の高原ゼミを出て琉球大学で勤務歴を持つ(いっぽうで大陸や台湾の琉球研究界隈ともそれぞれ関係が深い)という、華人系の沖縄問題論者としては最もハイブリッドで現場をご存じの識者です。もちろん日本語も堪能。
 そんな彼は、今回の沖縄県知事選を、台湾紙『自由時報』にて以下のように評しています。
 (以下引用)
 表面的には地方自治体の首長選挙にすぎない。しかし、東アジア情勢のなかに置いてみれば、その意味はすでに沖縄県政の範囲を超えている。
 日本は近年、南西諸島の防衛力を継続的に強化し、「台湾有事」も安全保障政策に組み込んでいる。その一方で、北京はしきりに「琉球カード」を切っている。
 したがって、今回の選挙は中日両国の直接対決ではないものの、両国による地政学的なせめぎ合いが投影されることは避けられない。ある意味での「中日による琉球争奪戦」と呼ぶことも、まったく根拠がないわけではない。
 (以上引用)
 このように指摘される構図に対して、たぶんデニーさんのみならず古謝さんも、それほど強い自覚はなさそうに感じます。今回は本土ネット民の大量介入によるネットバトル選挙という非対称戦が戦われはしたものの、彼らにとっての県知事選は、究極的にはやはり「地元の地方選」でしかなかったはずでしょう。
 ただ、中国も台湾も、まったく別の目で沖縄を見ています。
 「中華圏の大問題」になっていた沖縄県知事選
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 9月10日 朝日新聞記事「「越えてはならない一線越えた」 沖縄県知事選で混迷するSNS空間
 有料記事
 阿部藹さん
 沖縄県知事選を巡ってXには偽・誤情報を含む投稿が相次ぐ=2026年9月10日午後4時24分、朝日新聞東京本社、比嘉太一撮影
 13日投開票の沖縄県知事選で、偽・誤情報がSNSに相次いで投稿されている。生成AI(人工知能)で作られた候補者に似た人物が重機でひかれる動画や、根拠不明のまま不安や怒りをあおる情報が拡散しており、専門家は「このままでは有権者の判断がゆがめられる」と懸念する。
 沖縄県知事選で出回る真偽不明の情報 振り回されないための対処法は
 X(旧ツイッター)で6日、「沖縄県は日本で一番県民を蔑(ないがし)ろにしている」といったコメントとともに約6秒の動画が投稿された。
 動画では、「We♡デニー」のプラカードを手にした人たちが歓声を上げた次の瞬間、現職の玉城デニー氏によく似た青い柄シャツ姿の男性が地面に押し倒され、ロードローラーのような重機にひかれてしまう。
 動画脇には生成AI機能「Grok Imagine」で作成したとの表示。10日夕時点で49万回以上表示された。
 この動画に対しては、「越えてはいけない一線を越えた」との指摘が相次いだ。別の候補者を支持する複数のユーザーからも「いくらなんでも、これはない」などと削除を求める声があがった。
 Xは特定の個人を標的とした嫌がらせや侮辱となるコンテンツを禁止している。ただ、動画は10日現在も削除されていない。動画の投稿主は8日、玉城氏を名指しして「殲滅(せんめつ)したいだけ」などと投稿を続ける。
 「貴方の全てが奪われても良いですか?」
 根拠不明の情報で不安をあおろうとする動画もある。
 6日に投稿された動画では、「沖縄を中国が奪おうとしています」「貴方(あなた)の全てが中国共産党に奪われても良いですか?」「明日のウイグルになりますよ」などと言葉を重ね、「いやなら選挙に行きましょう」と呼びかける。これもAIで作られたとの表示がある。
 動画に候補者名は出てこない。ただ、動画を引用しながら玉城氏と結びつけて「再選したら沖縄は中国になってしまう」と中傷する投稿が多い。
 一方、新顔の古謝玄太氏を巡っては、本人のような顔写真に「国益にかなう沖縄をつくる」と記した画像が8月下旬に出回り、「県民の利益より国益か」と批判が噴出した。
 一見すると選挙ポスターにも見えるが、生成AI「ChatGPT(チャットGPT)」など米オープンAIのツールで作られたものか識別できる「SynthID」という機能を使って朝日新聞社が調べたところ、「このコンテンツはOpenAIのツールを使用して生成された」と判断された。
 古謝氏の陣営関係者は「画像のようなフレーズを使ったことはありません」と否定。その後、古謝氏の支持者が画像を作成したと名乗り出て「沖縄だけでなく日本のためにもこの人がいいと思った」などとXで謝罪。画像を含む投稿は削除されたものの、画像は古謝氏への批判に使われ続けている。
 陣営「過熱しすぎると困る」
 知事選には6人が立候補していて、朝日新聞が5、6両日に実施した情勢調査によると、古謝氏がやや先行し、玉城氏が激しく追う事実上の一騎打ちだ。
 こうしたSNSの現状に、玉城氏の陣営幹部は「巧妙なデマを信じて投票する人が相当出てきてしまうのではと懸念している」と話し、古謝氏の陣営幹部は「沖縄の課題を認識していただくのは非常にありがたいが、あまり過熱しすぎると困る」とする。
 白鷗大学の下村健一教授(メ…
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 9月15日 YAHOO!JAPANニュース RBC琉球放送「事実上の終焉 「オール沖縄」の12年 かつての熱気はどのように失われたか
 米軍普天間基地の辺野古移設反対を旗印に12年前に結集した「オール沖縄」勢力。13日、玉城デニー知事が敗れたことで事実上の終焉を迎えました。かつての熱気はなぜ失われてしまったのか。そして「オール沖縄」は今後どこへ向かうのでしょうか。
 【写真を見る】事実上の終焉 「オール沖縄」の12年 かつての熱気はどのように失われたか
■「イデオロギーよりアイデンティティー」
 12年前、普天間基地の辺野古移設に反対を訴える保守・革新の政治勢力、そして経済界、市民団体などが結集した「オール沖縄」勢力。
■翁長氏死去から徐々に…
 その結集軸となり国と対峙してきた翁長雄志知事が亡くなり、2018年その遺志を継ぐ玉城デニー知事が誕生します。
 米国に渡り、移設計画の見直しを政府関係者に直接訴えるなどしますが、工事は止まらず、辺野古の海は刻々と姿を変えていきました。
■求心力失った組織
 革新勢力の発言力が強まり、かりゆしグループや金秀グループなどの経済界が離脱。ほころびが生じていきました。
 オール沖縄を離脱 金秀グループ 呉屋守将 会長(2018年)
 「ひとつの合同体として沖縄県民の期待に応えていくことをしっかり示さないと、なあなあでだらだらと続いていくようでは、オール沖縄、沖縄県民の意向に沿った組織としては、その任には耐えられないと思う」
 辺野古移設をめぐる県と国との裁判では軒並み県側が敗訴し、工事を止める新たな手立てを打ち出せず閉塞感が漂っていきます。
■衆院選全敗、そして…
 2026年2月の衆院選では、4選挙区全てで自民党の候補が当選。「オール沖縄」勢力は衆議院の議席を失いました。
 この間、市町村長の顔ぶれも変わり、オール沖縄が支援する市長はゼロに。今回の沖縄県知事選では、4分の3の市町村のトップが古謝玄太さん支援にまわりました。
 そして9月13日。終わりを迎えました。
 玉城デニー知事
 「結果は県民の選択ですので容認の古謝さんを選んだということは図らずも、結果を見るとそうであろうと思います。ただ、辺野古は作れませんよ。辺野古を作って那覇空港を差し出すんですか?」
 15万票近くの大差で敗れ「オール沖縄」勢力は知事という最後のとりでを失いました。
 玉城知事を支援 山内末子県議
 「辺野古のことだけをずっと言い続けるオール沖縄なのかと言われても、そこは外せないと思います」「新しい沖縄、そして絶対に無くしちゃいけない沖縄のことはみんなで考えながら作り出していくっていうのは必要だと思います。時代が変わっている」
 時代の変化のなかでその役割を終えたのか。岐路に立たされています。
 琉球放送
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▶【開票特番】沖縄県知事選挙2026|RBC開票速報 YouTubeアーカイブ配信
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 9月15日 MicrosoftStartニュース FNNプライムオンライン「沖縄県知事選で惨敗し中道改革連合は破綻 日本の左翼リベラルはどうなってしまうのか
 © FNNプライムオンライン
 沖縄県知事選(13日投開票)で、自民党などが推薦した古謝玄太氏が、3選を目指した現職の玉城デニー氏を大差で破った。
 米軍基地問題で政府と対立してきた「オール沖縄」県政が終焉を迎え、保守陣営が12年ぶりに県政を奪還したのだ。
 古謝氏は辺野古移設容認の立場で、県議会も容認派が過半数を占めており、今後は県と議会が足並みを揃えて政府との協調路線に転換するだろう。日米の安全保障にとっては大きな前進と言える。
 だが、政治的にはもっと大きな意味がある。それは高市早苗総理が地方選挙でも勝ったという事実である。
 投票締切直後の午後8時過ぎに古謝氏の当確が出た後、自民党の閣僚経験者から筆者に「これで長期政権になりますよ!」という興奮したメールが届いた。確かに選挙で負けなければ政権はずっと続く。
 今回の高市人事は「国対」がポイントだ
 16日から行われる自民党人事と内閣改造は、幹部人事をあまりいじらない「小幅」なものだが、ひとつ気になる情報があった。自民党の国対委員長に、財務官僚出身で46歳の村井英樹元官房副長官が抜擢されるというのだ。
 このポストは、普通は党人派のベテランが務めるものなので、このニュースが流れた時は永田町に衝撃が走った。
 村井氏は国会改革に積極的な人なので、高市総理としては若い村井氏に国会の古い慣習を打ち破ってもらいたいということなのだろう。
 10月に召集される見通しの臨時国会の最大の焦点は「食料品の消費税ほぼゼロ」法案の行方だが、高市総理は、過半数を持たない参院で否決されても衆院の3分の2を使って再可決することが可能だ。
 高市総理と「折り合いが悪い」とされる石井準一参院幹事長を交代させるという情報があるが、まだ「最終調整中」とのことだ。
 今回の人事は閣僚でなく、この「国対」関連が注目ポイントだ。
 中道の交付金受領は許されないだろう
 こうした中、野党第1党の中道改革連合は立憲民主党系と公明党系の議員がそれぞれ離党する「分派」による解体が決まった。
 衆院選直前に「中道結集」の掛け声で急きょ作られた新党はわずか8カ月で実質消えることになる。
 中道改革には1人だけ残って債務整理や地方組織の解散手続きを行うが、大半の立憲系議員は、臨時国会召集前の結党を目指す新党に参加する。
 そこで今、問題になっているのが「実質解散」した中道改革に今年の政党交付金の未交付分11億6900万円余りが払われるということだ。
 解散した政党は政党交付金を国庫に返還しなければならない。小川淳也代表は9日の会見で「まだ(選挙費用の)支払いが半分も終わっていない」と述べて交付金の受け取りに理解を求めたが、特にネット上では「税金を返せ」などと非難の嵐になっている。
 政党助成法14条は政党交付金を借金の返済に使うことを禁じているので、選挙費用の清算も違法ではないかとの見方がある。
 これについて中道改革の公明系の議員である、伊佐進一衆院議員のX(旧ツイッター)への投稿によると「借入金ではありません。買掛金です。これは会計上負債に入ります。当然ですが違法ではありません」ということで、どうやら合法らしい。
 だが、これを世間は許してくれないだろう。
 11億円余りのお金は確かに借金もとい買掛金の返済に充てたいところだが、国民の「信頼」を少しでもつなぎ止めたいなら国庫に返したほうがいい。
 返済額が10億円なら中道改革の議員49人で「割り勘」すれば1人約2000万円である。現職国会議員なら大変だが払えない額ではないだろう。
 鬼と言われるかもしれないが、クラウドファンディングで集めた1億円も寄付者に返すのが筋だ。そしてまさに裸一貫で出直したらどうか。
 当面は「野党の多弱化」「高市一強」
 公明系の議員は国会の質問を聞いていてもまだ与党にいるのかと間違えるくらいで、今後は国民民主党やチームみらいなどと協調し野党でも「対決より解決」路線を取れば存在感を発揮できるだろう。
 また立憲系の新党はこの際、共産党や社民党に考えが近い左派の議員を「排除」すべきだ。参院の立憲にいる保守系の議員もこの新党に参加して、国民民主、公明、みらいなどと連携したらいいと思う。
 かつての民主党の失敗は、自民党への対抗軸を考えるあまり左派ポジションを取りすぎたことだ。
 今回の中道改革の解散で立憲が実質左右2つに分かれることによって新たな「中道勢力」の塊ができたら、自民への対抗勢力になりうると思う。
 だが、当面は野党の多弱化が進み、自民一強、いや高市一強が続くことになる。皇室典範改正で一時下がった内閣支持率も下げ止まりを見せている。閣僚経験者が言うように「長期政権」になるのかもしれない。
 【執筆:フジテレビ客員解説委員 平井文夫】
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 9月15日 YAHOO!JAPANニュース 日刊スポーツ「報ステ大越健介氏「沖縄の人の間には基地が残り続ける現実に疲れが見える」知事選取材まじえ見解
 大越健介キャスター
 テレビ朝日系「報道ステーション」(月~金曜午後9時54分)は14日夜の放送で、13日に投開票された沖縄県知事選で、3期目を目指した現職の玉城デニー氏(66)に15万票近い大差をつけて破り初当選した与野党6党が推薦した古謝玄太氏(42)への大越健介キャスターによるインタビューを放送した。
 【写真】新沖縄知事の古謝玄太氏
 大越氏はインタビューで、かなりの票差がついた形での勝利となったことや、出口調査では古謝氏に20~40代の支持が高かったことなどに触れ、古謝氏が「(投票締め切りの午後)8時に当確が出るとは全く予想していなかったが結果的には14万票以上の差をつけて勝つことができた。今の政策を変え、前に進めてほしいという期待が多かったのかなと感じています」などと応じる様子が伝えられた。また、これまで重視された基地問題から経済政策に有権者の重視する点がシフトしたことをうかがわせるような有権者の声を伝えた上で、古謝氏が10年で県民所得を2倍にすると公約したことの実効性を問うたほか、米軍普天間飛行場の返還期日を明らかにするよう、政府に話をするかと大越氏が問い、古謝氏が「もちろんします」などと応じる様子も伝えられた。
 VTRの後、大越氏は、今回の知事選で古謝氏と玉城氏に15万票近い差がついた背景について、「両陣営とも、この票差というものに驚いていました」と明かし、「普天間基地の返還合意から約30年がたちますが、なお基地が残り続けている現実に、沖縄の人の間には疲れが見えるなということを感じました」と言及。その上で「むしろ経済を活性化させていくことが先だという認識が、若い人たちを中心に広がったことが今回の結果の背景にあるのではないかと思います」と語った。
 一方で「ただ」と力を込め、「沖縄がアメリカ軍基地の多くを負担している現実から脱していきたいという思いは、これもまた、両陣営に共通している。基地負担の軽減と経済の活性化というものは、いつも沖縄にとっては車の両輪で、古くて今も新しい課題であることは変わりがないんですね」と強調した。
 その上で「私は、政府の要人のみなさんには、沖縄に何度も足を運んでいただきたいと思いました」と述べ、「いろんな課題が凝縮された沖縄で、変わっていくもの、変わらずにあるものを、しっかり自分の肌で感じて政策に生かしていただきたいと強く感じました」と、政府に対する注文も口にしていた。
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 9月15日 YAHOO!JAPANニュース 共同通信「沖縄知事選、X投稿88%が県外 デマや中傷拡散、結果に影響か
 沖縄県知事選 候補者を巡るXの投稿例
 13日投開票の沖縄県知事選に関連するX(旧ツイッター)投稿を分析すると、88.1%が県外から発信されていたとみられることが15日、分かった。選挙期間中、Xやユーチューブには候補者の玉城デニー氏や古謝玄太氏に関するデマや誹謗中傷が拡散。共同通信の出口調査では投票先を決める際に交流サイト(SNS)を重視した人は約4割だった。専門家は「選挙結果に一定の影響があったと考えられる。投稿者に対する規制強化が必要だ」と指摘した。
 米メルトウォーター社の分析ツールを使い、Xの沖縄県知事選に関する選挙期間中の投稿を抽出。発信者の所在地が分かる52万6千件を分析した。最多は東京都の14万5千件(27.5%)で、2位は沖縄県の6万3千件(11.9%)。大阪府5万4千件(10.2%)、神奈川県3万1千件(5.9%)が続いた。
 Xでは候補者が主張していない内容や誹謗中傷も拡散した。「(玉城)デニー県政が続けば、常に中国の顔色をうかがうようになる」とする動画は400万回超再生された。 
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 9月15日 MicrosoftStartニュース FNNプライムオンライン「【沖縄知事選解説】「背景に“辺野古転覆事故”も…事故後の対応が玉城デニー氏への“不信感”に」現地取材の石戸諭氏が読み解く「経済問題という軸を出したことが県民に響いた。現地の熱量は圧倒的に古謝玄太氏に」
 © FNNプライムオンライン
 沖縄県知事選挙では13日、自民党や日本維新の会、国民民主党など6党の推薦を受けた新人の古謝玄太氏(42)が当選した。
 【動画で見る】古謝氏圧勝の背景は?現地取材の石戸諭氏が解説
 古謝氏は県民所得の倍増などを掲げたほか、普天間基地の「辺野古移設」については“容認”する立場を取っている。
 一方、辺野古移設“反対”を掲げ、2期8年にわたって知事を務めた玉木デニー氏(66)は敗れた。
 古謝氏の勝因は何だったのでしょうか?
 現地で取材した、元毎日新聞記者でノンフィクションライターの石戸諭氏が解説した。
■ 12年ぶりの転換 42万票超という圧倒的な民意
 今回の沖縄県知事選で当初優勢とみられていたのは玉城デニー氏だったが、古謝玄太氏は「県民所得の倍増」や「子育て支援予算・観光消費額2倍」など経済の活性化を掲げ、競り合う展開に。
 古謝氏は若い世代からの支持を集めたほか、妻・娘・妻の母親など「古謝ファミリー」の演説による後押しもあり、過去最多の得票数となる42万3124票を獲得。
 玉城デニー氏の27万6060票を大きく上回る圧勝となった。
 沖縄では12年ぶりに普天間基地の辺野古移設“容認派”の知事が誕生することになる。
■ 「現地の熱量は圧倒的に古謝氏」と石戸氏
 元毎日新聞記者でノンフィクションライターの石戸諭氏は投票日の3日前に現地に入り、選挙戦の空気を肌で感じていたという。
 石戸諭氏:『現地の熱量』は、今回はもう圧倒的に古謝さんに吹いてるなと。
 最も印象的だったのは、選挙運動を支えるスタッフの勢いだったと石戸氏は語る。
 石戸諭氏:まず(スタッフの年齢が)若い。そして“やらされてる感”ではなくて、自分たちで“自発的にやってます”という顔になってたので、これは勢いあるなと感じさせられました。
■ 勝因は「対立疲れ」と「経済」か
 石戸氏は圧勝の要因として、普天間基地の辺野古移設問題をめぐる「対立の疲れ」を挙げた。
 石戸諭氏:もう『国と対立してるだけだよね」と。『対立した後にどういうビジョンを打ち出すの?』というときに、現職・玉城デニー陣営はとにかく『反対だ』という姿勢は打ち出したんですけども、そこから先の手は完全に実質的に失っていた。
 一方、古謝氏はそこに「経済」という新たな軸を打ち込んだ。
 石戸諭氏:『前に進める』という言い方で、この停滞感を打破するために、経済問題という軸を出した。その経済問題という軸に多くの県民は響いたんだと僕は見てます。
■ 辺野古沖での転覆事故が揺さぶった「信頼の土台」
 石戸氏がもう一つの大きな要因として指摘したのが、沖縄県の辺野古沖で船2隻が転覆し、修学旅行中だった京都の同志社国際高校の女子生徒と船長が死亡した事故だ。
 転覆した船は、辺野古移設に反対する市民団体の抗議船だった。
 この事故は、直接的な選挙の争点にはならず、両陣営ともそれを前面に出さないと決めていたという。
 しかし、水面下では有権者の心理に深い影を落としていたと石戸氏は分析する。
 石戸諭氏:今までは、反対運動をやってる人たちは世論を背負っている(と思われていた)。『自分はデモまでは行かないし、参加しないけども、でも沖縄のためにやってくれてるよね』と。『(辺野古基地移設)反対という県民の声を背負ってやってくれてる』というなんとなくのイメージが、辺野古の転覆事故で崩れた。
■「玉城氏自身も難しい立場に置かれていた」
 事故後の対応も、不信感に拍車をかけたという。
 石戸諭氏:反対運動の人たちは、謝罪も乏しいというか、届くような謝罪をしていない。再発防止策もあまり明確に打ち出せなかった。
 さらに、玉城氏自身も難しい立場に置かれていたと石戸氏は語る。
 石戸諭氏:(事故を起こした市民団体も)玉城氏の支持層なので、その支持層に対するデニー氏も何か奥歯に物が挟まったというか、明確に彼らを批判することもできない。そういう状況になったことに対して、呆れとか失望、どちらかというと失望が大きかったんじゃないか。それが古謝さんに票が流れた最大の理由だと思います。
 (関西テレビ「旬感LIVE とれたてっ!」2026年9月14日放送)
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 【動画で見る】古謝氏圧勝の背景は?現地取材の石戸諭氏が解説
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 9月15日 MicrosoftStartニュース 産経新聞「共産・田村氏が涙で取り乱す 沖縄予算増額巡り高市政権に「勝利したら手のひら返して…」
 沖縄の振興予算3000億円超での調整報道を聞き、言葉を詰まらせる共産党の田村智子委員長=9月14日午後、国会内(奥原慎平撮影)
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 共産党の田村智子委員長は14日の記者会見で、政府・与党が令和9年度の沖縄振興予算を3000億円超に増額する方向で調整しているとの一部報道を受けて、「高市政権というのは、なんと情けない政権なのか」と批判した。沖縄県知事選で自民党などが推薦した古謝玄太氏が初当選した直後の増額方針に、「勝利したら手のひらを返して」と述べ、涙で言葉を詰まらせた。
 記者会見する共産党の田村智子委員長=9月14日午後、国会内(奥原慎平撮影)
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 「きちんと大義に立って」
 令和9年度の沖縄振興費の概算要求は2897億円で、前年度から68億円増額したが、沖縄県が求める3000億円台には6年連続で達しなかった。共同通信によると、政府・与党は米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設を容認する古謝氏の方針を踏まえ、3000億円超に上積みする方向で調整している。
 田村氏は記者から増額方針について見解を求められると、質問が終わらないうちに「高市政権というのは、なんと情けない政権なのかと思いますね」と切り出した。
 「沖縄県民が辺野古を受け入れないと言っているときには、あれだけ予算を削って、県民の暮らしを脅かしてですよ」と主張。「勝利したら手のひらを返して」と述べたところで声を詰まらせ、「ごめんなさいね。本当にね、こんな政治が許されるのかと」と涙を流した。
 増額自体には歓迎する姿勢を示しつつ、「きちんと大義に立って増額すべきことを求めたい」と強調。自身の会見での対応について「怒りがこみ上げてしまい、申し訳ない」と釈明した。
 「親中・工作員」「極右・カルト」
 13日投開票の知事選では、古謝氏が、辺野古移設反対を掲げる「オール沖縄」勢力の支援を受けた現職の玉城デニー氏らを約14万7000票の大差で破り、初当選した。
 田村氏は投開票日の夜、古謝氏を推薦した自民、日本維新の会、国民民主党、公明党県本部など6政党の支援を関連付ける形で、「玉城デニーさんに対して、誹謗中傷、デマ、卑劣な攻撃がSNSを通じて大量に繰り返された。攻撃はデニー氏を支援する人にまで広がった」と批判していた。
 選挙期間中、SNSでは、玉城氏がロードローラーにひかれるように描いたAI動画が投稿されたほか、玉城氏を「親中」「中国の工作員」と結び付ける言説が拡散した。
 古謝氏に対する批判的な投稿もあり、同氏を「極右・ヘイト・カルト勢力」と同一視したり、自民党や政府の「傀儡」と位置付けたりする言説が確認された。
 「玉城さんへのデマはすさまじい」
 田村氏は14日の会見で、選挙期間中のSNS上の誹謗中傷にも言及した。古謝氏側にも中傷があったと指摘されると、「量的にいうと、玉城デニーさんに対するデマというのは本当にすさまじかった」と主張した。
 一方で、「どの陣営に対しても、これはあってはならないことだ。SNSを使った誹謗中傷やデマは、民主主義の根幹に関わる問題だ」と強調。「一体この選挙でどういうことが、誰によって行われたのか。事実の解明と検証は必ず行われなければならない」と訴えた。(奥原慎平)
 沖縄知事選敗北、共産・田村氏「高市政権が異常な介入」
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 9月15日 YAHOO!JAPANニュース 集英社オンライン「〈習近平が激怒〉高市首相が中国政府の許可なくXにアップした写真の内幕…自民党前幹事長も憂う、首相が壊した日中関係の本質「小異を残して今日がある」
 「日中関係は習近平本人マターになっている」と語る森山𥙿衆議院議員・自由民主党前幹事長 写真提供/小学館
 悪化したままの日中関係。高市政権下で対中外交が停滞するなか、自民党きっての中国通として知られる森山𥙿前幹事長は「1972年の国交回復の原点を忘れてはならない」と語る。田中角榮、周恩来、二階堂進らが築いた日中国交正常化の舞台裏から森山が受け継いだ外交哲学とは何か。その証言を通して、日本政治が失いつつある「保守」の本質に迫る。
 【写真】よかれと思った?中国側の許可を得ずに高市首相がXに投稿した1枚
 習近平を激怒させた一枚の写真
 高市早苗政権が誕生してほどなくすると、かつて当人の発した言葉が話題になった。1995年3月16日の衆議院外務委員会における先の大戦に触れた一言だ。
 「私は当時の戦争の当事者とはいえない世代ですから、戦争の反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」
 国民から国の舵取りを負託されている国会議員の答弁とはとても思えない。ただし、彼女が心酔してやまない安倍晋三もまた、2015年8月の戦後70年談話で日本の侵略戦争について似たような発言をしている。
 「将来世代にまで謝罪を背負わせるべきではない」
 二人ともに自らの後ろ盾である支持層を意識した発言なのであろう。しかし、その前にかの戦争の歴史検証がきちんとなされているか、為政者が胸を張って答えられないところに問題の根深さがある。やはりどちらも妄言というほかない。
 台湾有事の発言以降、冷え込んだままとされる高市政権の対中外交は、巷間に伝えられているよりもっと深刻である。日中友好議員連盟会長の森山𥙿は私の取材に「習近平国家主席ご自身のマターになっているから厄介なんです」と語った。
 いっこうに解決できない日中外交の根っこは、高市が自ら投稿したXの写真にあったという。高市は首相になって間もない10月末、韓国・慶州で開かれたアジア太平洋協力(APEC)会議に出席し、そこで中国国家主席の習近平と言葉を交わした。そのときに撮った写真だ。
 本人にしてみたら、よかれと思ってにこやかに談笑するシーンを投稿したつもりだったのであろうが、日本政府の内閣広報が正式に撮影して掲載したものではない。いわば高市がプライベートに撮ったツーショットを個人のXに投稿したわけである。
 本来、首脳同士の写真は互いの政府が了承して初めて掲載される。ところが中国側の了承なく掲載されたため、かの国の独裁者の怒りを買った。
 挙句に日中関係についてチャイナ7と呼ばれる側近たちでさえ容易に触れられなくなっているという。外交儀礼に外れたあまりに軽いノリが墓穴を掘った帰結ともいえる。
 一方、この事実を指摘する森山は逆に高市の支持者から「媚中派」と敵意をむきだしにされる。だが、日中関係がこのままでいいはずはない。いまや中国はロシアや北朝鮮と徒党を組んで日本を「新型軍国主義」と責め立てる。
 おまけに事実上、イランとの戦争に敗れた米大統領のトランプは、9月下旬の習近平の訪米に支持率回復の望みを託して中国に近づこうとし、11月の中間選挙のために北朝鮮の金正恩との首脳会談実現に向けて盛んに秋波を送っている。ロシアにも気遣い、ウクライナへの支援もはっきりさせない。
 そんな世界情勢にあって日本の高市政権は孤立し、蚊帳の外というほかない。表向き「対話の窓口は開いている」と言いながら、対中外交の戦略を立てることなく、何もしない。森山でなくとも、まともな自民党議員なら危機感を抱くのはあたり前である。
 日中友好議連会長、森山𥙿という政治家
 そこで中国のことを最もよく知る自民党議員の一人である森山に改めて意見を聞いた。森山は開口いちばん、日本と中国は意外な接点がある、と話し始めた。
 「日本国内ではあまり知られていませんけれど、東電の福島第一原発事故があったときにも中国企業が活躍しています。メルトダウンした原子炉を冷やすため、地上60メートルの高さから放水したでしょ。もともとあの機械は湖南省の長沙にある中国の建設機械メーカーがつくり、向こうにしかなかったそうです。
 中国大陸にはかつて三菱重工の組み立て工場があり、今でも工業建設機械メーカーがたくさんあります。それでああいう放射線量が高くて容易に近づけないような非常事態に、長沙の機械技術が役に立ったわけです。おかげで日本の消防庁もずいぶん助かったと思います」
 東電福島第一原発事故における中国の対応でいえば、日本の水産物輸入停止問題ばかりがクローズアップされてきた。一方で、原発事故は日本だけでなく世界の重大事であり、海外の多くの政府や企業が手を差し伸べようとした。
 ときの民主党の菅直人政権はあろうことか、日本の原子力発電所の機密漏れを恐れ、米軍の申し出を断ったとも伝え聞く。
 事故当時は、東京消防庁が「屈折放水塔車」と呼ばれる放水車から3号機に水を投入していた光景を何度も目にした。そこに中国企業が貢献していた事実はなぜかあまり知られていない。
 そんなエピソードを明かす森山は、政界きっての苦労人として知られる。鹿児島県鹿屋市出身の自民党衆議院議員だ。
 地元の中学校を卒業して鹿児島県立鶴丸高校の定時制課程夜間部に通い、日新高校が発足されたあとの1965年に卒業する。19歳だった。そこから1975年に鹿児島市議会議員補欠選挙に当選、市議会議員として7期務め、1998年の参議院議員選挙に立候補して国会議員になる。
 自民党では旧経世会橋本派に入り、小泉純一郎政権で財務大臣政務官を務めたあと、2004年4月の山中貞則の死去に伴って施行された区割り見直し前の衆議院総選挙区の鹿児島5区補欠選挙で、衆議院議員に鞍替えした。
 自民党内屈指の財政規律派議員であり、2005年7月、郵政民営化関連法案の衆議院本会議採決で造反して反対票を投じた。造反議員という烙印を押されて無所属で出馬したこの年の9月の衆議院議員総選挙で自民党の公認の新人候補者を破り、2006年12月、自民党に復党する。
 以来、自民党内で農水、国対族議員として鳴らし、総務会長や選対委員長、先の石破茂政権では党ナンバーツーの幹事長に昇りつめた。2025年10月の高市政権の誕生に伴って幹事長の役を解かれたが、多くの歴代幹事長が務めてきた「日中友好議員連盟」の会長はそのまま続けている。
 周知のように高市政権では公明党が連立から離れたため、中国とのパイプが細った。いまや中国と話ができる組織は、森山の率いる日中友好議連と河野洋平が会長を務めてきた「日本国際貿易促進協会」(国貿促)ぐらいといわれる。
 そのうち国防促会長の河野が2026年6月に他界し、予定していた同月の訪中が延期された。河野の死後、国貿促の会長は石破茂の側近である前外相の岩屋毅があとを継ぎ、中国との関係が深かった橋本龍太郎の次男である会長代行の橋本岳が改めて岩屋の訪中を模索してきた。
 その橋本は8月末、中道改革連合広報委員会委員長の伊佐進一や公明党参議院議員の川村雄大を引き連れて訪中した。これが岩屋の年内訪中の前捌きだとされたが、三人の訪中議員の団長格だった橋本は、中国共産党の窓口である中央対外連絡部副部長と会うこともせずに帰国する。めぼしい訪中の成果はあげられずじまいだった。
 公明党が連立政権から外れ、事実上、日中外交が途絶えてからおよそ1年、もう一人の中国とのつなぎ役である森山もまた、ずっと中国要人との面談を模索してきた。
 対中外交は極めて複雑でセンシティブであり、森山は議連の会長になる前からそこに深くかかわってきたという。森山の選挙区は生まれ故郷の鹿児島県鹿屋市を含む鹿児島4区で、日中外交については同郷の二階堂進から直接薫陶を受けてきたとされる。
 森山が二階堂との知遇を得たのは1975年から98年まで23年務めた鹿児島市議会議員の時期にあたる。すでに二階堂は木曜クラブ(田中派)の重鎮であり、田中角榮の懐刀だった。
 「私自身、二階堂先生の選挙区に近いところで生まれ育っているもんですから、ずい分かわいがってもらいました。政界を勇退なさった平成8(1996)年の明くる年、二階堂先生が最後の訪中をされました。そのときのことが今も忘れられません。
  日中国交正常化の立役者だった孫平化(元中日友好協会会長)さんがまだお元気な頃で、『これが最後になるから』と私も誘われ、二階堂先生に近い人たちといっしょに中国に行きました。
 あのときは江沢民さんが国家主席で、釣魚台で盛大な宴を開いて迎えていただきました。そこで江沢民さんは二階堂先生に『毛沢東、周恩来、田中角榮、大平正芳、二階堂進と会談をした記録は残っているけれど、詳しい会議の内容がよくわかりません。あのときはいったいどういう合意だったんですか』と質問されたのです。私は、すごいことを聞くもんだな、と耳をそばだてていました」
 二階堂進は1909(明治42)年10月に鹿児島県高山村に生まれ、旧制志布志中学を経て米国に留学して10年間当地で暮らした。米国留学時代に太平洋戦争が勃発し、大学生の二階堂はひどい排日運動を体験する。その経験が日本で政治家を目指すきっかけになったとされる。
 南カリフォルニア大学大学院を卒業したあとに帰国して外務省の嘱託職員となり、終戦を迎えた。1946年の衆議院選挙に立候補して初当選し、以来、旧全県区で1回、中選挙区時代の鹿児島旧3区で15回も当選を重ねた。
 佐藤榮作内閣で科学技術庁長官・北海道開発庁長官として初入閣し、そのあたりから田中角榮に仕えるようになる。1972年の田中内閣発足時には官房長官として大平らとともに訪中し、日中国交正常化を果たした。
 「小異を残して大同につく」という智恵
 森山は鹿児島市議会議員としてこの二階堂に心酔してきたという。1997年に訪中したときの二階堂と江沢民との会話に話を戻す。
 「江沢民さんは『ご存命なのは二階堂先生お一人ですから、教えてください』という枕詞で先生に質問されました。日中国交回復の要件について当時の日本のマスコミは、小異を捨てて大同についた結果だと報道していたけれど、『それは違います』と江沢民さんはおっしゃいました。
 『あのときはむしろ小異を残し、大同につこうという合意だったのです』と。そばで『どういう意味なのか』と首をひねりながら聞いていると、江沢民さんは『日中国交回復の話し合いがほぼ終わりかけたとき、田中総理が周主席に尖閣の問題はどうしますか、と聞かれたでしょう。あのときの周主席の答えが小異を残そうという話なんです』と続けました。
 つまり、日本と中国の関係は古い古い関係だから、尖閣の領土問題を含めて小異はあるけれど、それは自分たちの世代ではなく、われわれよりもっと頭のいい若い人たちに任せよう、という発想です。二階堂先生もあのときのことをよく覚えていて、江沢民さんに同じようにそう答えていました」
 政府が尖閣諸島と呼ぶ日本固有の領土である東シナ海の島は、中国側が魚釣島と称し、「わが領土だ」と主張して譲らない。繰り返して説明するまでもなく、日中の首脳が互いに尖閣諸島の領土問題を小異と認識し、今すぐに議論する必要はないから、次世代に問題解決を委ねようとしたわけだ。
 「田中角榮先生と周恩来さんとの日中国交回復の話し合いでは、尖閣の共同開発まで提案なされました。事実上、二階堂先生がその検討を進めていった。江沢民さんと二階堂先生の会談は1997年ですから、私がこのことに接したのは72年の国交回復からだいぶ経ったあとです。
 けれど、田中先生や二階堂先生の築かれた国交回復のそういう話が連綿と伝え残されてきました。訪中は孫平化さんの招きだったかもしれません。日中は非常にいい関係でした」
 森山がつけ加えて言う。
 「私が平成10年に参議院議員になる直前で、鹿児島市議会議長の頃です。鹿児島の県会議員や志布志町の町長、中国と貿易をしておられる経済界の方々もいっしょでした。
 『土産にはどんこという鹿児島特産の分厚い干ししいたけが喜ばれるだろう』と二階堂先生がおっしゃられ、北京に持参したのを覚えています。二階堂先生はアメリカにも留学しておられましたから、中国以外にアメリカとの関係も大事にしておられました」
 長沙(ちょうさ)から続く、中国との縁
 二階堂進は「趣味は田中角榮」と広言してはばからなかったと伝えられる。田中角榮本人とは古くからの縁がある。佐藤榮作内閣で初入閣したあと、田中を担いで木曜クラブを旗揚げした張本人だ。
 1976年のロッキード事件では「灰色高官」と名指しされたが、1980年に自民党総務会長として木曜クラブ会長となり、その後も闇将軍を支えて田中による自民党支配を強めていく。
 本連載でも触れてきたように、二階堂は木曜クラブから飛び出して創政会を立ち上げた竹下登や金丸信と自民党総裁の椅子を巡って対立する。田中が脳梗塞に倒れたあと、田中が急速に求心力を失い、二階堂も総裁選の立候補を断念した。
 ところが時代はここから急展開した。
 首相になった竹下もまたリクルート事件で1989年6月に失脚し、日本の政界は小沢一郎や橋本龍太郎らが中心となり、政界再編時代が到来する。永田町の激しい政局の渦のなか、もはや田中も二階堂もそこで泳いでいけなかったに違いない。
 1990年に田中が政界から去ったあとの96年、二階堂自身も衆議院議員選挙の出馬を断念し、政界の表舞台から去った。日中外交は、そのあと木曜クラブ出身の二階俊博や森山𥙿 に引き継がれていった。
 森山と中国のかかわりには古い歴史がある。もとはといえば、鹿児島市議会議員の頃からだと話した。森山が東電福島第一原発事故のときに活躍した中国湖南省長沙製の放水車のことを知ったのも、そんな長い中国との付き合いからだという。
 「中国との関係のはじまりは、私が30歳を過ぎて昭和57(1982)年に鹿児島市議会議長に就任する前の年でした。鹿児島市が湖南省の長沙市と友好都市盟約を結ぶため、事前交流を始めたのです。
 私の前の市議会議長と助役が向こうに行くというので、前日に議会運営委員会の委員長だった私たちと壮行会を開きました。
 市内の繁華街である天文館で一杯やったそのとき、少し酔いが回ってきた議長がとつぜん『森山、おれは長沙にだけは行きたくない』と言い出すではないですか。明日にも出発しなければならないのに驚きました。
 『議長、何てこと言うのですか』とご本人に聞くと、『おれは陸軍中野学校出身で、戦時中に長沙作戦に参加していたんだ。だから、向こうに行ったらもう帰ってこれん』と明かすのです」
 長沙作戦(第一次)とは、日中戦争さなかの1941年9月から10月にかけて中国湖南省の長沙周辺で実行された日本陸軍による戦闘を指す。中国軍や民兵組織の抵抗によって苦戦を強いられた日本軍が毒ガス攻撃を仕掛け、200人を超える中国人捕虜を大砲の的にして虐殺したといわれる。
 「長沙作戦における日本軍は相当ひどかったみたいですね。日本の軍人が中国人の服を着てなりすまし、今では語れないようないろんな工作をしていたみたい。議長はそのことを気にし、『行きたくない』と言い出す始末でした。
 『もう国交回復したんだから大丈夫ですよ』と言って見送りましたが、やはりそれは議長の杞憂だったようです。
 帰ってきたら議長が一席設けてくれ、『行ってよかった』と笑っていました。向こうには日本語のわかる人たちがたくさんおられ、『正直なところを話したら、昔のことだから、と水に流してくれた』とそう話していました」
 そして1982年、森山が次の鹿児島市議会の議長を引き継ぎ、正式に長沙市と友好都市締結の調印にまでこぎ着けたという。
 「私は平成10(1998)年に国政に移って平成19(2007)年に財務副大臣を務め、このとき長沙市人民政府が200億円あまりの借款を申し入れ、財務省もそこに同意しました。
 友好都市になった頃の長沙は100年経っても鹿児島に追いつかないと思ったくらい遅れていました。けれど、そこから内陸都市として非常に発展しました。おかげで私は長沙市の栄誉市民になっています」
 もっとも森山はこうもつぶやく。
 「その長沙市には一昨年に訪問したきり、それが最後になりました。高市政権下の今はなかなか行けません」
 高市政権が壊した対中外交の不文律
 中国側の日本に対する外交窓口は中国共産党中央対外連絡部(中連部)だ。先の橋本岳のように、日本の国会議員たちはそことの接触も途絶えている。
 森山の前任の日中友好議連会長は二階俊博であり、その次が林芳正だ。林は岸田文雄政権で外務大臣に就任したため、二階に会長を譲った。したがって必ずしも自民党の幹事長が日中友好議連の会長ポストに就く決まりがあるわけではないが、やはり中国の事情に詳しい国会議員でないと議連会長は務まらない。
 元来、自民党の議員たちは中国と台湾の関係もあり、なんとなく親中国派と親台湾派に色分けされてきた。概して岸信介の流れを汲む旧安倍派や麻生派は台湾寄りとされ、中国の国交を回復した旧田中派や旧竹下派、旧大平派の流れを汲む自民党議員は中国寄りとされる。党内のそうした色分けについて森山に尋ねた。
 「たしかに麻生太郎先生は台湾に近いとは思います。自民党ではそこを含めて中台のバランスを考えてきました。私も鹿児島の山中(貞則)先生に連れられて台湾に行っていましたが、自民党にはある一定のルールみたいなものがありました。
 党の役職に就いている議員は台湾の訪問を遠慮する、という暗黙の了解とでもいえばいいのでしょうか。台湾から要人が来られたときも、お会いする窓口は自民党の役職についていない若手の青年局が担当してきました。私が幹事長だった時代を含め、二階(俊博)先生や茂木先生のときも、そのルールは守られていました」
 いわば政権与党としての自民党の不文律だったという。森山が言葉を足す。
 「けれど、高市さんが総理になってから、その慣習が壊れました。(古屋圭司)前選対委員長や(萩生田光一)幹事長代行という党の要職ポストの人たちが、台湾に行くようになったのです。そんなことは今までありえませんでした」
 高市政権誕生後に自民党選対委員長という4役に抜擢された古屋は、日本台湾友好議員連盟の会長を務めてきた。これまで議連の会長として何度も台湾を訪問してきたが、4役に就いてからも日台議連の会長を続投する。それなども中国の神経を逆なでしたといえるそうだ。
 古屋は2026年2月の衆議院選挙で自民党が大勝した立役者でありながら、選挙後は選挙対策委員長から外され、話題になった。表向きは、選挙に圧勝しながら比例候補者の数が足りずにみすみす野党に議席を譲った失態の責任をとったとされる。
 だが、その実、高市政権は古屋に憲法審査会の会長という重要ポストを用意した。憲法改正の要となっているだけに、それも中国側にとってはおもしろくないかもしれない。高市政権ではそうした配慮がない、と森山は突き放す。
 「政府間の事柄ではないものの、与党や政府の役職にある議員が台湾と交流すると、台湾を国として認めたことになってしまう可能性がありましょう。やはり向こうを刺激してしまいます。役職のない平場の議員外交なら、中国側も何も言いません。けれど、やはり与党や政府の関係者となると、そうはいきません。
 報道はあまりないかもしれませんが、実際に大使館を通じて向こうから『国交回復のときの約束事と違うんじゃないですか』と抗議が来ます。
 政府与党としては、台湾を国と認めた交流をしない、と慣行慣例でそうなっています。だから、台湾から来られた人と自民党の誰が会ったとか、非常に気を遣ってきました。高市政権になるまでは」
 とどのつまり高市政権は、あの安倍政権時代でさえ守ってきた中国との国交回復時の暗黙のルールをことごとく破ってきたといえる。そういう事態が、冷え込んだ日中関係の目に見えない障害になっているのだという。
 森山が小泉進次郎を推した理由
 森山𥙿は高市早苗に手厳しい。2025年10月の自民党総裁選では高市ではなく、小泉進次郎を推した。その理由について率直に森山に尋ねた。
 「総裁選は誰かに票を入れなければなりませんから、たしかに私は小泉さんに1票入れました。小泉さんはもともと鹿児島にルーツのある方なのです。実は進次郎さんのおじいさんにあたり、衆議院選挙を戦ってこられた小泉純也さんは、旧姓を鮫島さんといいます。
 鹿児島出身の方なのです。鹿児島実業高等学校の夜間課程で学ばれ、非常にご苦労されたと聞いています。われわれ夜学生にとって憧れの人でした。
 その鮫島純也さんは小泉家のお嬢さんと熱烈な恋愛をして結婚され、小泉純也さんになられた。結婚相手は進次郎さんのおばあさんにあたり、ともにひいおじいさんの事務所に勤めておられたそうです。
 で、純也さんが小泉姓になって衆議院議員になられた。ですから、小泉進次郎さんは小泉家の4代目の議員ということになります。
 ちょうど先の総裁選の前、小泉進次郎さんをおじい様が出られた鹿児島実業高等学校にご案内しました。進次郎さんは石破政権で農林水産大臣を務めておられ、そのとき私の選挙区が大水害に見舞われました。小泉さんには農林大臣として大変ご尽力いただき、親しくお付き合いさせていだたくようにもなりました。そうした縁もあります」
 小泉進次郎の高祖父は明治時代の麹町区会議員だった宮本央だが、国政でいえば小泉家の初代は衆議院議長を務めた曽祖父の小泉又次郎で、祖父の小泉純也、父の小泉純一郎と世襲を続けている。森山は祖父の出身校に案内したときの牧歌的なエピソードを明かす。
 「小泉進次郎さんが鹿児島にお見えになったとき、地元の造り酒屋のおばあちゃんがいらして、『おじいさんの純也さんとお父さんの純一郎さんのどっちがよかにせ(ハンサム)かね?』と尋ねると、『純也さんにはとても敵わん』とおっしゃった。純也さんはそれぐらい端整なお顔立ちをされていて、進次郎さんも人気でした」
 小泉進次郎はポスト高市の候補にもあげられる。反面、高市内閣では防衛大臣となり、安保三文書の改定をはじめとした防衛力強化策を打ち出している。
 これまでは高市と対極にある穏健保守と見られてきたが、すっかり右傾化して高市政権と同化し、積極財政派に転じているとも指摘される。
 高市政権は日本の成長産業と位置付ける殺傷能力のある防衛装備品の輸出や中古戦艦の売り込み、さらには核の持ち込みや「核武装の検討」まで打ち出しているが、小泉はその担当責任者だ。リベラル保守と呼ばれる森山にしてみたら、小泉はかなり期待外れなのではないだろうか。
 保守とは「約束を守ること」である
 高市政権では前代未聞の出来事が続いて起きてきた。自民党内の議論が封じられ、無茶な国会運営も目立つ。幅広い国民保守政党としてのあり様がずい分変質しているのではないか。保守政治について森山に問うた。
 「自民党が国民政党であることは間違いがありません。したがって右の意見、左の意見、それぞれが党内にあるのは当然のことです。それを一方だけの議論で済ませるというのは、国民政党である建前からするとありえない。それでは困ります」
 「保守の定義は約束を守るという点にあると思っています。裏切らないことではないでしょうか。1997年に二階堂先生が最後の訪中をされたときの約束もそうです。その夜、北京飯店に宿泊して二階堂先生といっしょに食事をしました。
 そのとき先生は『森山君は若いんだから、小異があることもよく認識しておいてくれ』とおっしゃいました。共産主義の国にもある種の保守の流儀みたいな感性があるのです。互いに小異を残して今日があると認識しておくという約束を守らなければなりません」
 森山はさすがにあからさまな政権批判をしないが、高市政権に危機感を抱いているのは間違いない。国対族議員として国会運営に奔走してきた森山は現状を憂う。
 「高市政権では梶山弘志さんが国対委員長をやられ、一生懸命努力をしておられます。ご苦労は絶えないでしょう。私は第二次安倍政権と菅政権で国対委員長をしてきましたが、総理が委員会に出席しない苦労などはまったくありませんでした。
 外交日程が入っているから少し国会への出席の時間をずらしてくれという程度です。予算委員会にも出て来ず、陳述書で答弁に代えるなんてことは考えられません」
 高市の地元奈良の秘書が陳述書で弁明しているネガキャン動画騒動の詳細は割愛するが、まさしく長い日本の憲政史上に存在しなかった首相の振る舞いというほかない。はたしてどこまで首相自身や事務所がこの件にかかわっていたのか。
 8月31日に発売された週刊現代の9月14日号では、夫の山本拓が2024年からくだんの動画業者と付き合いがあり、高市事務所との動画作成にも関与していたとする特集記事が掲載された。この先の2026年秋の臨時国会でも、ネガキャン動画騒動は尾を引きそうだ。森山が苦言を呈する。
 「2月の衆議院選挙であれだけ圧倒的な勝利をされましたから、民主主義で数の多い方の意見が通るのは当たり前でしょう。けれど、反対の意見を完全に無視していいのかというとそれは違います。他の意見もあるということを受け止めなければなりません。
 中国との関係でいっても、隣国ですから長い歴史のなかでいろんな齟齬がありますが、必要以上いがみあってはいけません。中国にしても日本にしても大国であることに間違いがありませんから、そこをしっかり自覚しなければなりません」
 対中外交の展望は開けるのか。国家の安全保障上、スパイ問題などもを含めて中国には気を付けなければならないという意見も根強く、事実、その懸念も捨てきれない。
 「対中関係の改善はなかなか見えてきていませんが、いろんなところで協力関係が必要なんじゃないでしょうか。安全保障の問題も当然のことですが、それを表で言えばバカみたいな話になります。そこは心しておく、ということではないでしょうか」
 森山は日中友好議連の若手議員に9月の訪中を呼びかけているという。かたや高市は秋の内閣改造、党役員人事に向け、自民党の全国会議員にどんな職に就きたいかというアンケート調査をしてきた。これもまた異例中の異例の出来事だ。
 400人以上いる国会議員の希望と睨めっこする日々だとも伝えられる。もはや笑い話のような事態というほかない。が、実際は笑い事では済まされない。(敬称略)

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 森功(もり いさお)
 1961年、福岡県生まれ。ノンフィクション作家。2008年、2009年に「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」受賞。2018年『悪だくみ 「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』(文藝春秋)で大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞受賞。『魔窟 知られざる「日大帝国」興亡の歴史』(東洋経済新報社)、『国商 最後のフィクサー葛西敬之』『地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』『地面師vs.地面師 詐欺師たちの騙し合い』(講談社)他著作多数。

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 9月15日 MicrosoftStartニュース プレジデントオンライン「「馬鹿の一つ覚え」で日本に同じ嫌がらせをし得意顔…無能・習近平が知らない「同じ手は通用しない」という常識
 神野 正史
 鳩山元首相と中華人民共和国の習近平主席(写真=首相官邸ホームページ/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)
 © PRESIDENT Online
 日本に対して強硬姿勢を続ける習近平は「名将」と言えるのか。元河合塾世界史講師の神野正史さんは「中国は15年前の『レアアース禁輸』を再び発動して日本が苦しんでいると思い込んでいるようだ。兵法の基本すら知らない無能ぶりを露呈している」という――。
 ※本稿は、神野正史『世界史の名将たちの「戦略と戦術」』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
 「同じ手は通用しない」は兵法の基本
 敵が「同じ手で来る」とわかっていれば、こちらは先手を取ることができるため、対処はかくも簡単です。
 「同じ手は二度通用しない」理由はそこにありますが、多くの者がこんな簡単な摂理をなぜか理解できず、洋の東西と古今を問わず、毎度毎度「同じ手」を使って大敗を喫する過ちを繰り返していきます。
 現在、我々の目の前で展開している日中問題にしてもそうです。
 時、2010年。
 尖閣諸島沖にて違法操業していた中国の漁船が、これを取り締まっていた日本の巡視船に体当たり攻撃を行うという事件が起こりました。
 当然、日本の海上保安庁はこの漁船を拿捕し、その船長・船員(中国人)を逮捕し聴取を行いましたが、これに中国政府が激怒。
 船員の即時解放を要求し、尖閣海域に中国監視船を派遣するなど挑発行為を行いました。
 このとき日本政府が強気だったのは最初だけ、中国がさらにつぎつぎと強硬姿勢を打ち出すと、例によって例のごとく、日本政府はたちまち弱腰となっていきます。
 そして、中国政府がとどめの「希土類(レアアース)の輸出規制」を始めるや、これで日本政府は腰砕け、まるで三跪九叩頭でもしかねない勢いで慴伏(ひれ伏すこと)、おとなしく船長を返還することになったのでした。
 完全な外交的敗北です。
 当時の日本は希土類の国内消費量の90%近くを中国産に依存しており、ここを絞められると日本経済はたちまち窒息してしまうため、「白旗」を振らざるを得なかったのでした。
 15年の時を経て再び「希土類禁輸」を発動
 それから15年の時が経った2025年。
 日本の高市首相の発言(※)に端を発し、ふたたび日中関係が冷え込むと、習近平はつぎつぎと日本に圧力をかけてきました。
 (※)国会にて岡田克也議員が「存立危機事態」について追及したときの高市首相の返しのこと。
 「中国人民は日本への渡航を自粛せよ!」
 「日本の水産物の輸入を止めよ!」
 「日本アニメの上映を中止せよ!」
 「日本へのパンダの貸し出しを拒否せよ!」
 しかし、このどれもがまったく効果がないことを悟った習近平はついに“伝家の宝刀”を抜くことにしました。
 それが「希土類禁輸」です。
――15年前に日本はこれに屈服した。こたびも泣いて赦しを乞うであろう。
 しかし。
 何か発するたび動くたびにその無能ぶりを露呈し、政治経済に疎いことがバレてしまっている習近平ですが、ここにおいて兵法にも疎いことが露見してしまいました。
 彼には「同じ手は同じ相手に二度通用しない」という兵法の基本すらわかっていなかったためです。
 15年で日本は中国依存度を半分以上落とした
 相手がよほどの馬鹿でもない限り、“痛い目”を見た者はかならず対策します。
 15年前、日本はいやというほど「中国危機(チャイナリスク)」を思い知らされましたから、その間せっせと危機回避(リスクヘッジ)に力を注いでいました。
①希土類を中国以外の国から調達する態勢を整える
②いざというときに備えて希土類の備蓄を行う
③廃品から希土類を回収(リサイクル)する技術研究にも注力する
④そもそも希土類を使わなくてもよい代替品の技術開発も並行して行う
 これらの多角的努力が功を奏し、この15年で希土類の中国依存度を50〜60%ほどまで落とすことに成功していました。
 これで中国から「禁輸措置」を受けても、それがただちに「経済を直撃」ということはなくなりました。
 資源小国・日本がチャイナリスクをさらに減らすために起こした行動
 とはいえ、それでもまだ50〜60%も中国に依存しているとなれば、事態が長引けば無傷ではいられません。
 やはり、こうした小手先の弥縫(びほう)策には限界があり、根本的解決を実現するためにはどうしても「希土類の国産化」が必須です。
 とはいえ、日本は「資源小国」として知らぬ者とてない現実。
 事実なれど、だからといって安易に諦めてはなりません。
 人は何かしら困難に逢着(ほうちゃく)し、追い詰められるとすぐに諦めてしまいがちですが、現実には「八方塞がり」などという事態はほぼまったくと言っていいほどありません。
 たとえそういう状況に置かれたと感じたとしても、それはその人の目には見えていないだけで、客観的にはかならず“活路”は残っているものです。
 そうしたとき大切なことは「動く」こと。
 今立っている位置からは見えない“活路”が一歩動くことで見えるようになることは多い。
 窮(きゅう)すれば則(すなわ)ち変ず。変ずれば則ち通づ。
 世の中のものはすべてつねに動いている。止まることはない。
 したがって、行き詰まったときには何かしら“変化”が生じ、その変化がさっきまでなかった“活路”を開く――という意味です。
 したがって、人生においても「八方塞がり(のように感じる事態)」に陥ったときに大切なのは「諦めない」こと。為すべきは「とにかく動いてみる」ことで、それが活路を見つけ出す契機となります。
 習近平は「同じ手は二度通じぬ」という兵法の基本を知らなかった
 こたびも「どうせ日本は資源小国なのだからどうしようもない」と諦めるのではなく、とりあえず探してみる。
 すると、すぐに(2013年)南鳥島の近海に世界需要の数百年分にも及ぶ膨大な希土類泥が眠っていることが判明します。
 動いたことで、それまで見えなかった“活路”が見えてきたわけです。
 とはいえ、海底深く眠るこれを採掘するのは並大抵のことではありませんが、そこは技術大国・日本。
 ただちに採掘技術の開発に着手するや、最近「希土類泥採掘に成功」との報が飛び込んできました。
 ぎりぎり間に合った形です。
 習近平はわざわざ“眠れる獅子(日本)”を起こして自分で自分の首を絞める結果となってしまったわけですが、それもこれも、彼が「同じ手は二度通じぬ」という基本を知らなかったことに原因があると言えましょう。

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 神野 正史(じんの・まさふみ) 元河合塾世界史講師 世界史ドットコム主宰。1965年、名古屋市生まれ。立命館大学文学部史学科卒業後、現職。『最強の教訓!世界史』『粛清で読み解く世界史』『世界史劇場』シリーズほか著書多数。

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🪗54:─1─外務省調書「日本外交の過誤」・戦後日本とアジア諸国の歴史「極秘」資料のネット特別展。~No.172No.173 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本には、レーニンと国際的共産主義勢力が仕掛けた日中戦争も対米英蘭戦争も避ける事ができなかった。
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 2026年8月20日 YAHOO!JAPANニュース 毎日新聞「戦後日本とアジア諸国の歴史「極秘」資料 ネットで特別展始まる
 外務省が1951年に作成した調書「日本外交の過誤」の草稿。吉田茂首相が「本稿の趣旨にて省員へ講演を試み批評せしむへし」などと自ら書き込んでいる=国立公文書館アジア歴史資料センターのインターネット特別展「日本とアジア諸国の“戦後”」ウェブサイトから
 太平洋戦争に至る経緯を政府が振り返った記録、各国と締結した平和条約、外務省の極秘電信、首脳外交の記録写真など、敗戦後の日本とアジア諸国の歴史を記録した生資料を見られる特別展がインターネット上で始まった。国立公文書館アジア歴史資料センターによる「昭和100年インターネット特別展 第2回『日本とアジア諸国の“戦後”』」である。ネットに接続できればどこからでも閲覧可能で、ダウンロードもできる。
 【写真で見る】読みにくい? 縦書きと横書きが「交ぜ書き」になった公文書
 特別展は時期に応じ、5章に分けて公開されている。
 例えば「戦争の検証と講話」と題した第1章には、吉田茂首相が1951年に外務省に指示して作らせた調書「日本外交の過誤」が公開されている。戦争の阻止や早期終結のために外交が何をすべきだったかを自省する内容だ。
 「極秘」の印が押されたタイプ打ちの調書には、結論として「日本が隠忍自重して、戦争に入っていなかったと仮定したら、どうだろうか。戦争を前提とするからこそ、石油も足りない、屑鉄も足りない、ジリ貧だということになる。戦争さえしなければ、生きて行くに不足はなかったはずである」などと記されている。
 その作成過程を記した「『外交の過誤』に関する先輩との打合せ」と題する手書きの文書には「先輩を批判することは、極めて苦痛なことであるが、これは、必要なことである」といった記述もある。
 終戦直後の45年11月に幣原喜重郎内閣が戦争の原因を検証するために設置した「大東亜戦争調査会」の「調査項目(案)」もある。変色した文書に政治、経済から国民性まで68もの項目が掲げられ、幅広く調査しようとした形跡がうかがえるが、連合国軍総司令部(GHQ)の意向で頓挫した。
 アジ歴は、日本政府の歴史資料を広く共有して「近隣諸国との相互理解の促進に資すること」を目的に2001年に開設された。村山富市内閣の戦後50年事業がきっかけだった。国立公文書館、外務省、防衛省からデジタル化した歴史公文書の提供を受けて公開している。
 戦後70年談話のために設けられた安倍晋三首相の私的諮問機関「21世紀構想懇談会」の提言を受け、17年からは戦後資料の収集・公開に注力しており、約225万件(3月現在)の文書を擁する世界有数の歴史資料デジタルアーカイブとなっている。センター長は井上寿一・学習院大教授(日本政治外交史)が務めている。
 研究者やマニアの間では知られた存在だが、広く市民にも知ってほしいとの狙いから昭和100年にあたる今年、特別展を企画した。第1回「『写真週報』にみる昭和戦時下の日本とアジア」は4月に公開されている。12月に第3回も公開予定だ。
 外交官出身の荒木要次長は「記録を残して未来につなげる重要性を痛感している」と話す。
 「虚実の入り交じるAI(人工知能)の情報が広がる今だからこそ、1次資料の魅力を知っていただきたい。それがアジア諸国との相互理解のベースになると思っています」【日下部聡】
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 8月14日 MicrosoftStartニュース プレジデントオンライン「戦没者の約9割は1944年以降に死亡…勝ち目のない戦争を始めたのに「終わらせ方」がなかった戦前日本の悲劇
 伊藤 隆太
 © PRESIDENT Online
 先の大戦では、戦没者の約9割が1944(昭和19)年以降に死亡したとの推計がある。なぜ日本は、勝ち目のない対米戦争に踏み切り、戦局が絶望的になっても終戦を決断できなかったのか。政治学者の伊藤隆太さんは「日本には開戦時から、想定が崩れた場合の具体的な終戦構想がなかった。戦争末期には、終戦へ向かい得た分岐点が少なくとも3度あったが、いずれも生かせなかった」という――。
 「戦没者の約9割」は1944年以降に集中
 政府が全国戦没者追悼式で用いる「先の大戦」の戦没者数は約310万人である。厚生労働省のホームページによれば、内訳は軍人・軍属等約230万人、一般邦人約80万人である。
 歴史学者の吉田裕氏は『日本軍兵士』(中公新書)で、その約9割が1944年以降に死亡したと推算し、論考「『先の大戦』における戦死者数について」(実教出版『地歴・公民科資料』第86号、2018年、1~2頁、)で、1944年1月1日以降の死没者を約281万人、約91%と算定した。
 この年の7月にはサイパン島が陥落し、いわゆる「絶対国防圏」が崩れた。11月以降に本土空襲が本格化し、B-29による無差別爆撃によって多くの民間人が犠牲になった。つまり、この戦争の犠牲の大半は、負けが見えたあとに生まれた。
 「もっと早く戦争を終えていれば」と誰もが思うだろう。ではなぜ、日本は戦争を終わらせられなかったのか。
 公文書をたどると、終戦へ向かい得た分岐点は少なくとも3度あった。1944年夏、1945年6月、そして8月である。そのたびにこの国は、一度目は出口を封印し、2度目は和平工作と抗戦と並走させ、最後は条件で割れて立ち止まった。
 「サイパン放棄」の時点で勝ち目は消えた
 最初の分岐点は、1944年夏に来た。日本は1943年9月30日の御前会議で「今後採るべき戦争指導の大綱」(第2回戦争指導大綱)を決定し、マリアナ諸島などを本土防衛のための「絶対確保スヘキ要域」とした(アジア歴史資料センター「今後採るへき戦争指導の大綱(御前会議議題)其の1」)。その要地サイパンは1944年7月に陥落し、東條英機内閣は18日に総辞職した(アジア歴史資料センター「内閣総辞職ニ関スル件」)。
 大本営陸軍部戦争指導班の『昭和19年6月 機密戦争日誌』6月24日条には、サイパン放棄決定後、「最早希望アル戦争指導ハ遂行シ得ス」と記された(アジア歴史資料センター「昭和19年6月 機密戦争日誌」)。業務日誌の一記述であり正式決定ではないが、当時の切迫した認識を示す。
 より明確なのは、同班が7月27日に作成した「昭和19年末頃を目途とする帝国戦争指導に関する説明」である。同文書は、マリアナ方面の一部失陥と海軍戦力の低下により、戦争遂行の基礎条件は一変した、と認定し、1945年以降に有力な攻勢を反復する実力はないと判断した[「昭和19年7月27日 昭和19年末頃を目途とする帝国戦争指導に関する説明 (最高戦争指導会議席上討議の参考)」]。
 本稿でいう「1944年には敗戦が確定していた」という表現は、政府が降伏を決めたという意味ではなく、軍事力で戦争目的を達成する現実的な見通しが失われたことを意味する。
 終戦を口にした参謀は中枢を追われた
 出口を準備する動きは、軍の内部に確かにあった。戦争指導班は1944年3月15日付「昭和19年末を目途とする戦争指導に関する観察(第3案)(1)」で、6、7月以降に「戦争終末ノ方途」を検討する構想を示した(「昭和19年3月15日 昭和19年末を目途とする戦争指導に関する観察(第3案)(1)」)。
 しかし『昭和19年6月 機密戦争日誌』6月23日条には、研究案の印刷は認められず、「絶対ニ外部ニ出サザル如ク」と命じられたとある(「昭和19年6月 機密戦争日誌」)。
 班長の松谷誠・陸軍大佐は戦後に『大東亜戦争収拾の真相〔新版〕』(芙蓉書房、1984年、80~82頁)で、東條英機参謀総長らに早期講和を具申し、7月3日に支那派遣軍参謀への転任を命じられたと記した。後世に「左遷」と呼ばれる人事である。ただし、懲罰目的を明記した同時代文書は確認できない。確かなのは、終戦案が政策化されず、提案者が中枢を離れたことである。
 終戦ではなく「もう一撃」を選んだ
 参謀総長は1944年7月24日付「大陸指第2089号 指示」で、関係軍司令官らに米軍主力の進攻に対する決戦準備を命じた。戦争全体の「今後採るべき戦争指導の大綱」(第3回戦争指導大綱)が決まるのは8月19日で、作戦準備の指示は大綱の決定に26日先行した。
 この大綱では、現有戦力を集中して敵を撃破し、継戦企図を破砕すると定める一方、「飽ク迄戦争ノ完遂ヲ期ス」とした。決戦の成果をいつ講和へ転換するか、失敗時にどこまで譲歩するかは定めていない。「一撃講和」は文書中の用語ではなく、こうした発想を示す後世の分析概念である。
 なお、1945年6月8日の御前会議で決定された第4回戦争指導大綱も、「七生尽忠」の信念であくまで戦争を完遂し、国体を護持すると定めた。
 判断が遅れ、犠牲者は増えた
 2度目の分岐点は、この1945年6月に来た。
 内大臣の木戸幸一が6月8日付で起草した「時局収拾ノ対策試案」(木戸試案)は、同年下半期以降に戦争遂行能力を事実上失うと見通し、ソ連仲介を提案した(外務省編『日本外交年表竝主要文書』下巻、616~617頁)。
 ここで終戦工作が動き出す。6月18日の最高戦争指導会議は、徹底抗戦を続けながら第三国に和平工作を求める方針を決め、22日には天皇自身が、戦争終結について速やかに具体的な研究を進めるよう促した(庄司潤一郎「第二次世界大戦における日本の戦争終結」)。
 だが正式方針は「戦争完遂」のまま動かない。抗戦と和平工作が並走し、連合国に示す受諾条件は一本化されなかった。
 1944年夏以降、国が決められずにいる間、犠牲は積み上がっていった。例えば1945年3月10日の東京大空襲では約10万人が犠牲となった。同年4月からの沖縄戦では一般住民9万4000人を含む18万8136人が犠牲になった。原爆による死者は、広島で1945年末までに約14万人、長崎で7万人を超えた。集計期間・対象・方法が異なるため単純合算はできないが、戦争末期に民間人を含む巨大な犠牲が生じた事実は明白である。
 条件を示せないままソ連を頼り、門前払い
 残された頼みの綱はソ連による仲介だった。だが、政府として確定した条件を示せないままだった。1945年7月13日、政府は天皇の親書を携えた元首相の近衛文麿の訪ソを打診した。その経緯は、米国務省外交史料集(FRUS)収録の「東郷茂徳外相電報」に残る。
 ソ連政府は18日付回答で、天皇のメッセージには具体的提案がなく、近衛の使命も明確でないとの見解を示した[米国外交文書(FRUS)]。佐藤尚武駐ソ大使は27日、確定した提案を欠くままではソ連政府を動かせないと警告した[米国外交文書(FRUS)]。
 しかもソ連は、2月に米英首脳と結んだヤルタ秘密協定で、ドイツ降伏から2~3カ月後の対日参戦を約束していた[米国外交文書(FRUS)]。実際に8月8日、ソ連の宣戦通告によって交渉経路は閉ざされた(「『ソ』連の対日宣戦通告関係」)。
 最後の分岐点でも条件は割れていた
 最後となる3度目の分岐点は8月9日に来た。
 8月9日から10日にかけての最高戦争指導会議と御前会議では、東郷茂徳外相と米内光政海相が「国体護持」の一条件でのポツダム宣言受諾を主張したのに対し、阿南惟幾陸相、梅津美治郎参謀総長、豊田副武軍令部総長は、自主的な武装解除、戦争責任者の国内処理、保障占領の拒否を加えた四条件を求めた(東郷茂徳『時代の一面』改造社、1952年、356~357頁)。
 「国体護持」を唱えながら、それを確保するためにどの条件まで要求するかを統一できていなかった。
 8月10日の日本政府の申入れは、天皇の統治の大権を変更する要求は含まれていないという「了解」の下にポツダム宣言を受諾する、と通告した(国立国会図書館「ポツダム宣言受諾に関する交渉記録」)。これは一条件を付した受諾の申し入れであり、連合国の回答を受けた最終的な受諾通告は8月14日である。
 受諾をめぐる国家の意思が対外文書として形になったのは、終戦のわずか5日前だった。
 代償を払ったのは中枢ではなかった
 冒頭の問いに戻ろう。なぜ、日本は戦争を終わらせられなかったのか。筆者は、1941年11月15日に大本営政府連絡会議が決定した「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」に一因があると考える。
 この「腹案」では、日本軍の迅速な作戦、ドイツ・イタリアとの提携、英国の屈服、米国の継戦意思喪失を構想している(アジア歴史資料センター「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案 昭和16年11月15日」)。戦争終結の機会や外交の働きかけ先は列挙したが、戦況が想定を下回った場合の妥協・受諾の条件や具体的な交渉手順を定めていなかった。想定外の状況に、当時の戦争指導の中枢は全くの機能不全に陥っていたことがわかる。
 終戦への出口は、1944年夏、1945年6月、8月、3度開きかけた。1度目には出口が封印され、2度目には抗戦方針と和平工作が並走したまま条件を決めきれず、3度目には条件をめぐって意見が割れた。もちろん、終結を遅らせた要因は軍部の強硬論から連合国側の出方まで複数ある。しかし結果的には、天皇の聖断という大日本帝国憲法が想定していない“非常の措置”が用いられることになった。
 公文書の時系列が示すのは、軍中枢が軍事的な勝算を失ったと内部文書に記してから、国として負けを受け入れるまでに、1年あまりを要したという事実である。
 1944年1月以降に亡くなった約281万人を、すべて「救えたはずの命」と単純に言うことはできない。しかし、戦没者の約9割が負けの見えたあとに集中したという事実は、「終わらせ方」を持たない戦争の代償を誰が支払ったのかを明示している。
 戦争の代償を支払ったのは、決断できなかった政府の中枢ではない。前線に送られた兵士と、銃後で暮らしていた市民だった。

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 伊藤 隆太(いとう・りゅうた) 政治学者 群馬県立女子大学・東京都市大学非常勤講師。博士(法学)。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学大学院法学研究科後期博士課程修了。慶應義塾大学・広島大学助教、日本国際問題研究所研究員等を経て今に至る。Co-Chairs of the IPSA Research Committees (RC12)、APSA Committee of Best International Security Article等を歴任。単著論文はInternational Affairs誌に‘Hybrid Balancing as Classical Realist Statecraft’ (2022)、‘Hubris Balancing’ (2023)、International Relations誌に‘A Neoclassical Realist Model of Overconfidence and the Japan–Soviet Neutrality Pact in 1941’ (2023)、‘Outrage Balancing’ (2026)、単著研究書は『進化政治学と国際政治理論』(芙蓉書房出版、2020)、『進化政治学と戦争』(芙蓉書房出版、2021)、『進化政治学と平和』(芙蓉書房出版、2022)、編著研究書に『インド太平洋をめぐる国際関係』(芙蓉書房出版、2024)等がある。

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 8月9日 MicrosoftStartニュース プレジデントオンライン「南樺太返還、北千島譲渡、津軽海峡も開放…敗戦直前の日本の首脳たちが、ソ連に差し出そうとした和平仲介の代償
 樺太の真岡町(ホルムスク)に進駐するソ連軍。避難する日本人居留民も見える(画像=PD-Russia-1996/Wikimedia Commons)
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 1945年春、敗色濃厚となった日本は、米英との和平を実現するためソ連の仲介に望みをつないだ。筑波大学名誉教授の波多野澄雄さんは「最高戦争指導会議は、その代償として領土や権益の大幅な譲歩を検討した。しかしスターリンは、すでに米英首脳に対日参戦を確約していた。日本が働きかける前から、答えは出ていた」という――。
 ※本稿は、波多野澄雄『なぜ日本は米英中ソと戦ったのか』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
 対日参戦を匂わせたスターリン演説
 ソ連が日独をともに「侵略国」と位置づけたスターリン演説は、内外のメデイアにも大きく報道され、様々な憶測を生む。ソ連のヴャチェスラフ・モロトフ外相は、同演説は「理論的見地より為したるもの」であり対日政策に変更をもたらすものではない、と釈明したことから、重光葵や佐藤尚武駐ソ大使は、この演説が直ちに対日参戦の決意を意味するとは考えなかったが、日本側の警戒心をあおった。
 スウェーデンの岡本季正(すえまさ)公使は、1944年11月11日、スターリン演説は「原則として対独戦終結後、対日戦に参加すべしとの(米英ソ)テヘラン会談に於ける約束」の表明である、とする「諜報者」の見方を重光宛てに打電している。この情報が政府部内で重視された形跡はないが、44年秋には、対日参戦問題は連合国側で議論が進展している。
 10月末のテヘラン会談では、スターリンは米英首脳に参戦の言質を与え、12月には、駐ソアメリカ大使ウィリアム・ハリマンを通じたローズヴェルト大統領の参戦要請に、スターリンは南樺太、千島列島を代償として要求するに至っていた。
 一方、ソ連外務省は、すでに45年初頭には日ソ中立条約の廃棄に傾いていたが、ソロモン・ロゾフスキー外相代理は、ヤルタ会談以前の45年1月、条約の廃棄通告を延ばすことをモロトフに進言していた。
 日本が知り得なかったヤルタ密約
 ロゾフスキーによれば、廃棄声明では、5年間延長について、45年秋に協議の用意ある旨を通告するものとし、そこで日本側が大きな譲歩を示すならば、延長可能との期待を抱かせるような形とすべきであった。しかし、スターリンは、日露戦争やシベリア出兵に報復するチャンスを逃したくなかった(ボリス・スラヴィンスキー『考証日ソ中立条約』)。
 45年2月初旬のヤルタ会談では、スターリンは米英首脳に、南樺太の返還、大連・旅順の回復など日露戦争によって失った諸権利の回復措置のほか、千島列島の引き渡しといった代償と引き換えに、ドイツ降伏後、2、3カ月後の対日参戦を最終的に確約した。
 日ソ中立条約の延長について思案を巡らしていた日本の外務省は、このヤルタ密約を知り得なかった。モスクワやスウェーデンの現地公館からは、会談に関する各国の論調分析から、中立条約の廃棄が合意された可能性があることを示唆する情報が本国に寄せられていたが、確実なものはなかった。
 回答を避け続けたソ連
 2月22日、ヤルタから帰国したモロトフと会見した佐藤は、公表文書のほかに「極東の戦争の問題」について話し合いの有無を尋ねた。モロトフは「われわれは日ソ関係は日ソ両国の問題だと考えている」と述べるにとどまった。
 佐藤は、ソ連外交の「自主性」の堅持と受け止めた。さらに佐藤は、中立条約は45年4月25日が廃棄通告の期日であるが、日本政府としては同条約の存続を希望しているとして、ソ連政府の態度を承知したいと迫った。
 しかし、モロトフは「中立条約の存続に関しては多忙のため未だ研究し居らざるに付追って御話すべし」と述べるにとどめ、回答を避けた。その後、モロトフは不延長通告まで会談を避け続けた。
 一方、佐藤は3月末、中立条約の単なる延長ではなく、それを一歩進めた「議定書案」を用意した。日露戦争後のポーツマス条約は革命後のロシアにとっても「露国史上の汚点」であり、これを確認している日ソ基本条約の存続も認めないであろうとみなし、中立条約存続と引き換えに、両条約の廃止を条件とするものであった。
 しかし、佐藤大使の議定書案が政府部内で検討される直前の4月5日、ソ連は中立条約の不延長を通告した。日本側において、45年3月中旬の段階で、中立条約の破棄を「概ね確実」と判断していたのは参謀本部の戦争指導班であった。
 その一方、同班は対独戦の終結が確実な「本年中期頃」まで、対日和平をめぐって英米とソ連の確執が激化し、その場合には「帝国の対ソ交渉に一脈の光明を発見し得るもの」と見通す。こうした判断は、有利な和平仲介を可能とみなす有力な根拠にもなっていた。
 東郷茂徳が仕掛けた和平への布石
 ソ連による中立条約の不延長通告から数日後、参謀本部は、九州または関東を主戦場とする「本土作戦計画」を発令した(4月8日)。本土決戦において最も懸念されたのはソ連の参戦であった。
 4月22日、鈴木新内閣(4月7日発足)に入閣していた東郷茂徳外相を訪問した新任の河辺虎四郎参謀次長は、参戦防止を目的に対ソ外交を果敢に展開することを要望した。
 そこで東郷は、こうした「軍部の希望」を利用し、国策を対米英和平に導くことを決意したが、その道筋は容易ではなかった。元来、陸軍が本土決戦を選択した重要な理由は、米英に「和平屈服」した場合、国体の破壊など過酷な無条件降伏を強要されると見通したからであり、本土決戦を控えて対米英和平を前提とした対ソ交渉はあり得なかった。
 そこで東郷は、六巨頭(首相、外相、陸相、海相、参謀総長、軍令部総長)で構成される最高戦争指導会議の場において対ソ交渉の問題を取り上げ議論を尽くすことによって、政府・軍部の最高指導者の間に「和平機運の醸成」を図ろうとする。そのため、東郷は鈴木貫太郎首相の了解のもとに秘密保持の観点から六巨頭のみの会談を設定した。
 日本の戦争指導者が差し出そうとした“大幅な譲歩案”
 最初の六巨頭会談(最高戦争指導会議構成員会議)が5月11日から14日まで開かれる。東郷の思惑通り、六巨頭は対ソ交渉に関して、(第一項)対日参戦の防止、(第二項)好意的中立の獲得、という従来の目標に、(第三項)戦争終結に関する有利な仲介、という目標を加えることに合意した。「無条件降伏以上の講和に導き得る外国ありとせば、ソ連なるべし」との考えで一致できたからである。
 また、六巨頭会談はこれらの目標にソ連を誘導するために、ポーツマス条約と日ソ基本条約の廃棄を原則に、南樺太の返還、漁業権の解消、津軽海峡の開放、北満における諸鉄道の譲渡、場合によっては千島列島の北半の譲渡などの大幅な代償提供を確認する。要するに、ソ連の「欲求」はポーツマス条約の廃棄が「主眼」であるとみなし、これに応えようとするものであった。
 さらに六巨頭は、朝鮮の「中立」と満洲国の「独立」の維持、さらに「日ソ支三国の共同体制」の樹立などを用意した。これらは米国の対抗勢力として想定されたソ連を、対日関係の強化に誘導しようとするものであった。
 一方、米英側に提示すべき和平条件について議論が進展することはなかった。その前提である戦局観が、陸軍指導者と東郷とでは大きく乖離していたからである。
 はぐらかされた広田弘毅の対ソ交渉
 たとえば、阿南惟幾陸相は、戦局が明らかに敗勢に向かっていることを認めず、「日本は未だ広大な敵の領土を占領しているのに反し、敵は未だ日本領土の一部に手をかけたにすぎない、英米との和平条件はこの現実を基礎として考慮しなければならない」と力説し、東郷と激しく対立した。
 結局、第三項(ソ連の仲介による和平)の実行は当面見合わせ、元首相・広田弘毅をしてソ連の意向を打診することになった。
 こうして45年6月初旬から6月末まで、箱根に疎開していたヤコフ・マリク駐日ソ連大使と広田の秘密会談が、断続的に開かれる。三度の会談で広田は、ソ連を和平仲介に誘導するため、最大限の譲歩条件や「日ソ支協力体制」案、不侵略条約案などを提案するものの、マリクは耳は傾けるものの、のらりくらりと態度を明確にしなかった。
 日ソ関係史の研究者ボリス・スラヴィンスキー『考証日ソ中立条約』によれば、マリクは本国のモロトフ外相から、「話を聞くのは構わないが、日本側の協議に引き込まれ、会談を交渉だと思わせるような口実を与えてはならない」との指示を受けていた。それも当然であった。ソ連がヤルタ会談で米英首脳に約束した対日参戦が間近に迫っていたのである。
 日本が英米と直接交渉に入ることを警戒していたソ連は、広田とマリクの会談を日本政府の動きを探る窓口と捉えていたようである。
 いずれにせよ、7月初旬のソ連は対日参戦を控え、宋子文をモスクワに招き、ヤルタ会談における合意に関して中国の了解を求めようとしていた。参戦は動かぬ行動シナリオとなっていた。

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 波多野 澄雄(はたの・すみお) 筑波大学名誉教授 1947年、岐阜県生まれ。77年、慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了、博士(法学)。防衛庁防衛研修所戦史部研究員、筑波大学教授、国立公文書館アジア歴史資料センター長、外務省『日本外交文書』編纂委員長などを歴任。著書に『太平洋戦争とアジア外交』(東京大学出版会)、『日本の歴史問題』『日本終戦史1944-1945』(いずれも中公新書)、『幕僚たちの真珠湾』『広田弘毅』(いずれも吉川弘文館)、『決定版 大東亜戦争(上・下)』(共著、新潮新書)など。

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 8月15日 YAHOO!JAPANニュース「【全文】「日本外交の過誤」――吉田茂の指示で外務省が自らの敗戦を検証した1951年の調書
 国立公文書館アジア歴史資料センター『15 「日本外交の過誤」及びその所見』より
 国立公文書館アジア歴史資料センター(アジ歴)の「昭和100年インターネット特別展[第2回]日本とアジア諸国の“戦後”」が公開された。戦争の検証と講和から、関係再構築、国際社会への復帰、首脳の往来、賠償と経済協力まで、5章にわたって公文書と写真をたどる企画である。その内容と、井上寿一センター長・荒木要センター次長への取材は先の記事で報じた。(『GHQが廃止した日本独自の「戦争調査会」の記録、極秘会談、賠償、日本とアジアの戦後「アジ歴」が特別展』)
 取材のなかで、どうしても全文を読んでもらいたくなった資料がある。外務省の調書「日本外交の過誤」。1951年(昭和26年)4月10日付。満洲事変から敗戦までの日本外交を、外交当局自身が9つの項目に分けて検証した文書だ。以下に全文を掲載する。
◆「日本外交の過ちを繰り返さない」―胸に刻んだ、と外交官は言った
 8bitNewsより
 この文書を勧めたのは、外務省出身で、内閣府大臣官房参事官を務めるアジ歴の荒木要センター次長である。
 荒木氏は、この調書が公開された際、外務省員として「むさぼるように読んだ」と振り返った。
 「日本外交の過ちを繰り返さないということで、外交官として胸に刻んだきっかけとなった文書です」
 公文書は、過去の出来事を保存するだけのものではない。後の時代に同じ職務を担う人の判断や倫理を形づくる。荒木氏の証言は、そのことを示している。だとすれば、この文書は外交官だけのものではないはずだ。全文を掲載するのは、そう考えたからである。
◆吉田茂の書き込み――「省員へ講演を試み批評せしむへし」
 吉田茂(国立国会図書館「近代日本人の肖像」より)
 調書は、吉田茂首相の指示で作られた。対日講和を見据え、満洲事変から終戦までの日本外交を検証し、戦争の阻止や早期終結のために外務省は何をすべきだったのかを考察せよ——それが指示の内容である。
 冒頭に置かれた総括は厳しい。
 「今日の結果からすれば、この期間における日本の対外策は、大局的にいつて、作為または不作為による過誤の連続であつたということにならざるをえない」
 作為だけでなく、不作為も過誤だと書いている。やったことだけでなく、やらなかったことも数え上げる、という構えである。
 注目すべきは、この文書の使われ方が最初から想定されていたことだ。アジ歴が公開している資料には3月段階の草案も含まれ、各所に吉田自身の書き込みが残る。表紙には、この内容を省員に講演し、批評させるよう求める趣旨の言葉が記されている。失敗を封印するのではなく、組織の中で読ませ、議論させ、次の外交に生かす。そのための教材だった。
 サンフランシスコ講和会議は、この5か月後に開かれる。
◆罰することと、構造を問うこと
 同じ時期、戦争を検証しようとした試みは他にもあった。
 1945年11月、幣原喜重郎内閣は「大東亜戦争調査会」、のちの戦争調査会を設置している。政治外交、軍事、財政経済、思想文化、科学技術の5部会を置き、幣原首相自らが総裁を務めた。だが調査会は1946年9月、GHQの意向のもとに廃止され、作業は未完に終わる。
 8bitNewsより
 井上寿一センター長は、この調査会について、戦争犯罪人を特定して処罰するだけではなく、「なんであの戦争を引き起こしたのか、止めることはできなかったのか」を国家規模で構造的に検証しようとした試みだったと説明する。日本が自律的に、自発的にあの戦争を総括しようとした——その原点に立ち返ってほしい、と。
 「日本外交の過誤」は、その営みが外務省という一官庁の中で、講和を目前にして続けられた記録だと読むこともできる。
◆「百害あって一利なき策であった」
 検証は、満洲事変と国際連盟脱退、軍縮会議脱退と日独防共協定、支那事変、日独伊三国条約、日ソ中立条約、仏印進駐と蘭印交渉、日米交渉、終戦外交の順に進む。官庁文書らしい曖昧さは、ほとんどない。
 国際連盟脱退については、「四十二票対一票というようなことになっても連盟に止まるというだけのよい意味の図太さがあってよかった」。潔癖さは現実政治には禁物だ、というのである。日独防共協定は「日本の国際的な孤立を脱却したいという感情を満足させた以外、その対外関係において何等の利益をもたらさなかった」。日独伊三国条約に至っては「百害あって一利なき策であった」と一行で片づけられる。
 終戦外交の項では、ソ連に和平の仲介を頼んだ判断を「外交的には全く理解し得ない」とし、「当てにならないソ連のあっせんを当てにしていたばかりに、数十の都市を焼かれ、原子爆弾に見舞われ」たと記す。
 筆は外務省自身にも向く。満洲事変後の外務当局について「口先だけの反対は、その都度現実の力によって押し切られ」たと書き、支那事変では「努力したわりに、実効はなかった」と総括する。
◆結論部に置かれた教訓
 最終章は「何事によらず後から批判することは、やさしい。既往を反省し、そこから将来に対する教訓を汲みとって、初めて批判の意味もある」と始まる。挙げられるのは、根本を見失わないこと、常に現実的に考えること、機会をつかむに敏であること、そして決断力と実行力である。
 「外交は、単なる技術ではない。内政を離れて外交を考えることはできない」
 「夢を追うて現実を忘れ、理性を失ったために誇大妄想に陥ってしまった。情勢判断の眼は、希望的思考でくもらされた」
 そして最後の一節。「外務大臣がやめる腹さえ決めたら、もっと何とか、なっただろう」。それでも大勢は変えられなかっただろうという言い分は、当事者の弁解として成り立たない——と、文書は自らの組織に向けて筆を置く。
◆結論ではなく、過程を読む
 荒木氏は取材の終わりに、こう語っていた。
 「結論が割と今回多いんですけど、その過程が面白いんですよね。どう交渉して、この結論になったのか」
 条約が結ばれた日付だけではなく、そこに至るまでにどんな対立があり、どこで譲り、どの言葉を選んだのか。「日本外交の過誤」もまた、結論としての「反省」ではなく、何を誤りと呼ぶかを一つずつ決めていく過程の記録として読める。
 井上氏は、歴史をめぐる議論では同じ不確かな資料や情報が繰り返し引用され、事実であるかのように広がることがあると警鐘を鳴らし、「依拠すべきは信頼できる一次資料です」と語った。荒木氏は、生成AIが偽情報を取り込み、誤った情報をもっともらしく回答する危険にも触れ、信頼できる一次資料をAIも読み取れる形で発信することは、情報空間の安全保障にもつながるとの考えを示した。
 原資料はアジ歴のデータベースで画像として読むことができる。ここでは、その本文を通しで掲げる。
 【筆者注】 以下の本文は翻刻テキストに拠る。原本画像(アジ歴レファレンスコード B25090785300)とは仮名遣いなど表記の異なる箇所があり、厳密を期す場合は原本を参照されたい。
 【全文】日本外交の過誤
 日本外交の過誤 昭和二十六年四月十日
 満洲事変以来の対外進出政策は、ついに敗戦という今日の悲運に日本を陥れた。何事が起るにも起るだけの原因があるのであり、そしてその起ったことが又原因となって次の果を生ずるというような見方からすれば、満洲事変の勃発以来、太平洋戦争における敗戦に至るまでの一連の事象も、いわば必然の運命であったとも見られよう。又、その時々の当事者の立場からすれば、当時の情勢の下においては、それがなしうる最善のことであった、それ以外に道はなかったという弁明も成り立つ場合もあろう。しかし、今日の結果からすれば、この期間における日本の対外策は、大局的にいって過誤の連続であったということにならざるをえない。又、今日の悲運は結局避け難かったとしても、一々の事案について今日の眼でこれを見れば、外にやりようがなかったともいい切れない場合が少くない。
 このような立場において、満洲事変以来日本が歩いて来た道をふり返り、外交的見地から反省して見ることとしたい。
(一)満洲事変、国際連盟脱退
 満洲事変(昭和六年九月十八日)の根本原因は、事変前における日本国内の情勢にあった。深刻な経済不況からして社会不安がびまんしていたにもかかわらず、政党は腐敗堕落していた。この政治の貧困から政党政治に対する不信が生じ、国家革新を唱える一部の勢力に政治進出の機会を与えた。外部的な原因としては、第一次大戦当時の二十一箇條問題以来の中国人一般の排日気運と、これを背景とする張学良の排日方針があった。
 こうして、満洲事変には、そのよって来るところ遠く、且つ深いものがあったのであるが、さればといって、当時の日本としては、武力進出策に出る以外に生きる道がなかったかといえば、そう断定するだけの根拠はない。むしろ、国内的、特に政治的な要因をしばらく度外視して考えれば、日本が満洲を含む中国において英米と競争しつつ平和的に経済進出をすることは、十分可能であったと見るべきであろう。いわゆる幣原外交なるものも、このようなことを前提としてのみ考えられうるものである。
 さらに、当時の中国の特殊事情からして、ある程度の武力行動は、かりに止むをえなかったとしても、満洲国を独立せしめ、さらに、国際連盟を脱退(昭和八年三月二十七日)するところまで突走ったのは、勢いのおもむくところとはいえ、何等利するところのないことであった。これについては、もちろん、日本国内の強硬派ばかりを責めるわけには行かない。米国のスティムソン国務長官が、事態の推移が見極められるまで待たないで不承認主義なるものを通告(昭和七年一月七日)したことも、日本をあそこまで追い込む一因となったとも見られよう。又、当時の外務当局に事変前の内外情勢の行詰りを打開しようというような積極性が乏しく、又、事変勃発後においては、事毎に軍部に反対したが、その根拠が現実から遊離した観念論に終始したことも、反省の余地があるのではなかろうか。口先だけの反対は、その都度現実の力によって押し切られ、そして満洲事変そのものだけについていえば、国際的な悪評をこうむりながらも、一つの既成事実をつくることに成功した。そして、国民は、その方について行ったのである。
 ともかく、満洲国の独立とこれに対する日本の承認は、反対側のスティムソン主義と相まって、事態を抜差しならなくしてしまった。必要なくして物事を割切ってしまいたがる癖は、後の「蒋政権を相手とせず」との近衛声明等にもその例を見る。又、連盟脱退は、日本が米英と袂をわかつ発端となったが、四十二票対一票というようなことになっても連盟に止まるというだけのよい意味の図太さがあってよかった。この種の潔癖さは、現実政治には禁物というべきであろう。
(二)軍縮会議脱退、日独防共協定締結
 日本は、国際連盟脱退後、昭和九年にはワシントン海軍軍縮条約を廃棄し(十二月二十九日)、又、昭和十一年には、ロンドンの軍縮会議からも脱退した(一月十五日)。両者の国力には大きな懸隔があったのであるから、日本の国力についての現実的考慮からすれば、いずれもまとめた方が有利な話であったはずである。
 こうして、日本と米英側との溝は、ますます深められ、国際的に孤立の状態におちいって行った反面、ソ連は、その国力が充実して行くと共に、国際連盟加入や、欧州方面の隣接諸国との間の各種条約の締結によって、国際的な地歩を固めて行った。そこで、ソ連に対して利害関係の相似たドイツとの間に何等かの政治的接近の必要が唱えられるようになって来た。
 ドイツの方からは、すでに昭和十年半ばごろから、非公式の打診があった。翌昭和十一年、日本側からドイツの意向をあらためて打診した結果、ドイツ側から具体案が提示された。
 当時、外務省としては、(イ)ソ連を過度に刺激しないこと、(ロ)日独提携により、列強ことに英国が不必要に不安をいだくことがないように考慮する要があり、英国との間に、日英両国に共通な諸重要問題に関し相互に隔意のない協議をなす趣旨の協定を結び、両国利害関係調整のため積極的に乗り出すこと(この第二点については、陸軍側の反対があったが、外務省は強硬にこれを主張した)の二つの観点から、ドイツの提案を修正し、結局、原案よりは相当緩和された形において協定が成立した(昭和十一年十一月二十五日)。
 この協定は、表向き共産インターナショナルを対象とするものであるが、別に秘密協定として、締約国の一方がソ連から挑発によらない攻撃又は攻撃の脅威を受ける場合には、他の締約国はソ連の地位につき負担を軽からしめるような措置を講じないことという約束がついていた。
 このように、防共協定締結の意図は、対ソ牽制にあり、英仏等を対象とするものではなかったが、当時すでにヒトラーのナチス・ドイツに反感を感じていた諸国が、満洲問題も落着せず、北支方面にも着々その手をのばしつつあった日本と、かかるドイツとの結合を、その表面の意図のいかんにかかわらず、政治的にいわゆる現状打破派の結合と見なすべきは、当然のことであった。
 翌昭和十二年には、イタリーが防共協定に参加し、日独伊三国間の協定になったが、当時の国際情勢に照し(イタリーのエチオピヤ問題等)、この協定は、一層明らかにいわゆる民主主義諸国に対抗する意味を示すことになった。これは、当時の内外の客観情勢からすれば、当然の成行であり、こうして、英米と離れて行った日本が独伊と結んで行く第一歩となったのである。
 当時の外務当局が日独の協定をできるだけ色の薄いものにしようと努めた気持はわかるが、いくら色を薄めたところで、現実の政治的な意味合いには大して変りはない。政治的に重要なのは、協定の文言ではなく、文言のいかんにかかわらず、それが国の内外においてどう受け取られるかということである。まして、ソ連ないし国際共産勢力なるものの脅威は、当時国際的にさほど感じられていなかった。
 ソ連自身は、革命以来、第二次大戦の直前までは、少くとも対外武力行使に関する限り、ずっとおとなしくしていた。コミンテルンなるものの活動も、ソ連以外のどの国でも共産革命を成就せしめえなかった位だから、国際的な対抗措置を講ずる必要がある程の脅威とは認められていなかった。それに反して、日独伊の方が国際的に脅威を感じられていたのである。日本が中国に進出するに際しては、よく防共ということを口にしたが、それはいわば口実であり、又、一般にそう認められていた。従って、世界の非共産主義諸国の反共連盟の結成というようなことは、全く夢に過ぎなかったわけである。
 今日の世界の情勢にかんがみれば、先見の明があったといえないこともないかも知れないが、果してどれだけまじめであったか疑問であり、又たとえ先見の明があったにしたところで、一般に受け入れられなければ、現実的には無意味である。
 この協定の締結と併行して、英国との国交調整をも実施するとの方針については、その後この問題は、取り上げられるには取り上げられたが、結局実を結ばなかった。
 結局、防共協定の締結は、日本の国際的な孤立を脱却したいという感情を満足させた以外、その対外関係において何等の利益をもたらさなかったといってよい。
(三)支那事変
 昭和十年頃から、昭和十二年七月七日の蘆溝橋事件が、支那事変と拡大するに至るまで、有吉、川越大使の中国側との国交調整交渉が行われた。しかし、満洲事変に成功した関東軍の強硬派が中心となって、梅津何応欽協定、土肥原秦徳純協定の如きが結ばれ、こうした背景の下に冀東防共自治政府、冀察政務委員会、内蒙古自治政府が樹立されたような情勢の下においては、国交調整というようなことは、所詮行われ難いことであった。
 昭和十一年の二・二六事件の後成立した広田内閣は、陸軍の華北五省分治工作を抑制しようとはしないで、国交調整を行わんとしたが、それではだめなことは、当然であった。当時、満洲と華北の通車通郵等の実現せられた気運に乗じ、分治工作を抑制してかかったならば、当時の国民政府内の情勢から見ても、満洲国問題は黙過の形において、国交を調整することも相当可能性があったと思われる。昭和十一年末の西安事件の後にも、その可能性はあっただろう。
 しかし、満洲で打切りにして両国の国交を調整するというこの可能性は、結局まじめに追及されないままで、支那事変に突入した。
 蘆溝橋事件に際して、内地師団派遣の問題があった。それまでの軍のやり方にかんがみれば、事変の拡大を避けるつもりであったならば、派兵には絶対反対すべきであった。現に当時外務省の事務当局は、広田外相にその旨を進言したが、外相は閣議においてあっさりこれに同意し、兵力は不要になったら、いつでも引揚げるということだったからと弁明したといわれる。事実とすれば、事変拡大阻止の誠意を疑われる程の表面的な責任回避であったという外ない。
 この事変の処理については、その方策として、何度も「要綱」とか「方針」とかが決められ、又、臨時政府とか維新政府とか南京政府とかが樹立されたが、いずれも事変処理を実質的に前進せしめるに至らなかった。それは、結局、事変が拡大し、長びくにつれて、日本側の条件が実質的に苛酷となり、折角樹てられた政府もいわゆるかいらい政府以上のものとして扱われなかったからである。
 昭和十七年十二月、すなわち太平洋戦争も大分旗色が怪しくなってから行われたいわゆる対華新政策なるものは、政治的効果をもちうるには、時すでに遅かった。あれだけのことを太平洋戦争前にでもやっていたら、情勢は大分変っていたかも知れない。
 又、前にも述べた昭和十三年十二月二十二日の近衛声明は、蒋政権との和平工作に終止符を打ち、新政権を盛り立てて行く腹を決めるつもりでなされたものであるが、実際には、いわゆる全面和平のための重慶工作は、それが、先方まで通じたかどうかは別として、ほとんど終戦直前まで、いろいろの方面で行われた。大体、軍が中国の本土から撤収する腹を決めない以上、初めからできないことのわかり切った話で、政府の当局者が藁をもつかむ思いでいわゆる和平工作屋に乗せられたりしたのは、貧すれば鈍するの類と評する外ない。
 要するに、日本の中国に対する施策は、表向きはともかく、その実質において、名分の立たないものであった。ために中国民の反感も買えば、諸外国からの非難も受けた。そのやり方も、調子のよいときは調子に乗り過ぎ、止まるべきところで止まることを知らず、一旦調子が悪くなると単なる悪あがきに終った。紙の上では美辞麗句をならべた作文が会議を重ねて練られたが、実行に移され効果を挙げた政策という程のものは何もなかった。
 外務当局は、実質的には、占領地行政を少しでも緩やかなものにするために、又、軍の尻拭いをするために、限られた範囲で努力するというに止まった。従って、努力したわりに、実効はなかった。
(四)日独伊三国条約締結
 ドイツは、ポーランド進撃の直前(昭和十四年八月二十三日)ソ連と不可侵条約を締結した。当時、平沼内閣は、防共協定から一歩を進める三国条約の締結の問題で、関係各大臣の会議を重ねること六十数回、なお意見がまとまらないでいたところ、この新事態が起きたわけである。ここにおいて、平沼内閣は、「複雑怪奇」の声明を残して総辞職した。これで三国条約の議は一応打切りとなったが、しかし、それだけですますべきことだっただろうか。
 防共協定、特にその附属秘密協定の精神からいって、この独ソ不可侵条約の締結は、重大なる背信行為であった。これに引続いて、欧州戦争が惹起されるに至ったが、平沼内閣の後をうけた阿部内閣は、これに対して不介入の方針をとった。今にして思えば、この独ソ不可侵条約の締結と欧州戦争の勃発は、日本が独伊と袂を分って独自の道に帰るべき絶好の機会であった。
 それには国際信義の上からいっても十分理由のあることであるが、日本の利益からいえば、少し位無理でもそうすべきであった。
 しかし、実際は、日独提携論の底流は依然存続し、昭和十五年一月、米内内閣成立の頃から、再び頭をもたげ、特に同年四月のドイツの華々しい戦果を前に大いに勢いをえるに至り、これに反対の立場をとった米内内閣は、畑陸相の辞職後、後任をえることができず、総辞職を余儀なくされた。ついで(昭和十五年七月二十二日)成立した近衛内閣の松岡外相は、再び三国条約の問題を取り上げ、八月一日、駐日ドイツ大使オットを通じてドイツ側の意向を打診し、その結果、ヒトラーは、特派公使としてスターマーを八月中旬日本に派遣した。
 こうして、三国条約は、九月二十七日調印された。当時、スターマーは、ドイツが日本に求めるところは、米国を牽制し、その参戦を防止する役割を果すことであるといい、又、対ソ関係については、独ソの関係は良好であるから、日ソ親善につき「正直なる仲買人」となるべき用意があるといっている。この後段の趣旨は、条約と同時に取り交わされた松岡外相とオット大使との往復文書の中にうたってある。
 この条約の眼目は、締約国の一つが現に欧州戦争若しくは支那事変に参入していない第三国から攻撃された場合には、他の締約国は、あらゆる政治的、経済的及び軍事的方法により相互に援助するということであった。この第三国がさしむき米国を意味していたことは、いうまでもない。
 ところで、まず第一に、この条約の締結は、少しでも米国の参戦を牽制する効果があったであろうか。結果から見れば、少くとも、米国は、この条約の締結後、対英援助を控え目にしたというような事実はない。当時、日本では、米国の欧州戦争介入を阻止することが人類の福祉のためだというような高踏的議論が行われた。
 米国は、結局日本の真珠湾攻撃後、独伊が三国条約の約により対米宣戦したことによって、他働的に戦争に入ったから、米国が他から宣戦されなかった場合、果して、いかなる時機に参戦し、又は参戦しなかったかというようなことは、すべて仮設の議論になるが、戦後に発表された米英側の文献からすれば、米国は、真珠湾攻撃等のことがなくても、いずれは欧州戦争に参加したであろうといい切ってよかろう。
 米国が日米交渉に応じたのも、話ができたら、欧州戦争に介入する場合の後顧の憂が絶無であるというところにねらいがあったと見るべきであろう。
 次に、日本の立場からして、どんな利益があったか。この条約の締結は、もともと、ドイツの戦果の華々しさに幻惑されたことが直接の原因であったと思われる。従って、あまり具体的な目的もなかったかも知れない。近衛公の手記では、対ソ関係については、スターマーの口車に乗せられてみるようであり、対米関係では、米国がドイツを「攻撃」した場合でも、参戦の義務が自働的でないというところに安心を求めている。もっとも、この手記は、戦後に出されたものであるから、当時は、もっと積極的な考えもあったかも知れない。
 少くとも、松岡外相は、その後における彼の行動から見ても、ソ連を三国側に抱き込み、その力で米国を牽制し、日米の国交調整を有利に展開させようというような大望を抱いていたものと思われる。なるほど、日ソ中立条約は、彼の手によって締結された。しかし、その後いくばくもなくして独ソの開戦を見ている。又、この条約の締結によって、対米交渉を有利に導こうというのは、あまりに甘い考え方であり、米国のインフレクシブルな理念外交的傾向や米国民の直情的な性向を見損ったものであった。
 条約自体の目的について見ても、戦争中日独伊の間に具体的に協力が行われたという事実は、ほとんどない。そういうことが行われうるような関係に初めからなかったのである。
 要するに、三国条約の締結も、百害あって一利なき策であった。
(五)日ソ中立条約締結
 松岡外相は、ロウズヴェルト大統領と同じように、前述のような彼独自のグランド・デザインをもっていた。双方とも、野心的な性格から構想の大きいことに自負を感じていたこと、ソ連抱込みをその一つの重要な支柱としていたこと、客観情勢のいかんはお構いなしにその偉大なる構想の実現を追求したこと、そして、この現実無視から結局大きな破綻を来したことに共通したところがある。
 しかし、ロウズヴェルト大統領の方は、戦争に勝つことが何ものにも優先する第一義的な目的であり、そして、この目的を達成するためには、ソ連の協力が必要であるという前提―一応当局の意見がそうだったのだから、これを採用したことについて大統領を責めるわけには行かないだろう―に立ってのことであるから、まちがいも、いわゆるカルキュレイテッド・リスクとして合理性があったといわなければならない。
 ところで、松岡外相は、昭和十六年三月渡欧の際、行きにも帰りにも、モロトフに対して、北樺太の買収と不可侵条約の締結を強く提案したが、モロトフはこれを拒否した。しかるに、松岡外相が別れの挨拶のためスターリンに会見した四月十二日に、スターリンの発意に基いて中立条約交渉は急速に進展し、翌十三日に同条約は成立した。その際、北樺太利権問題は、松岡外相が数カ月以内に解消すべく努力すべき旨の書簡を発することで一応解決した。(北樺太の方は、松岡外相の当初の考えと逆になっている。)
 なお、この問題は、三年後の昭和十九年三月、北樺太の石油石炭利権をすべてソ連に返還することによって落着した。独ソ戦況がソ連に有利に推移するにつれて、ソ連が松岡書簡を中立条約の条件として主張する気配を示して来たためである。
 松岡外相は、これに先立つドイツ訪問の際、すでにドイツの対ソ攻撃企図をほぼ承知していた。しかし、彼は、これを止めさせることに最後まで望みをかけ、既定方針通り、中立条約を締結した。この条約の締結によって、彼が近く開始するつもりであった対米交渉を有利にしようという腹であったことは、前にも述べた(モスコウ滞在中に、スタインハート米大使に会ったりしている)。
 しかるに、北樺太の利権の解消をコミットしてまで作られたこの条約は、重慶の対米態度を硬化せしめ、従って、結局、むしろ日米交渉の成立を困難にした位のものであった。日米交渉が成立しなかったことから、そういえるというわけではない。その後間もなく、独ソが開戦し、松岡外相の日独伊ソ四国協商の夢もついえていたわけであるから、この四国協商の一支柱としての意味をもたない日ソ中立条約の存在が、米国にとって対日関係上何等の重圧でありうるはずはなかった。
 又、中立条約の本来の目的について見ても、この条約の存在がソ連の対日宣戦をいくらかでも控えさせ、遅らせたとも考えることはできない。ソ連は、すでに欧州戦争勃発に際して、ポーランド、フィンランド等との不可侵条約を破っていた。対日宣戦も中立条約の有効期間中に行った。ドイツを片付けて余力を極東に振り向けられるようになり、又、日本が降伏の余儀なきことが明らかになるという最も都合のよい時まで待っただけの話である。
 他方、この条約の締結は、ソ連の方には、どんな利益をもたらしたか。まず第一に、当時予想せられ、又現に行われたドイツの対ソ開戦に際して、後顧の憂を絶ちえた効果は、絶大なものであったはずである。第二に、日本を米国の方に立ち向かわせるという政治的効果も、ソ連として見れば、第一の効果とほとんど同様に大きいものであったであろう。
 一体、ノモンハン事件以来の日ソ関係においては、外交のイニシアティヴは、常にソ連の手中にあったといえる。昭和十四年九月十五日、ノモンハンの停戦協定が成立するや二週間後を出でずして、ソ連軍はポーランドへの進撃を開始した。
 欧州戦争勃発後、日本側は、中立条約ないし不侵略条約締結の提案を何度も繰返しているが、ソ連側は、北樺太利権の解消を要求して、容易に条約の締結に応じなかった。いよいよそれをソ連の方で必要とするに至って、最後のどたん場で、これに応じた。しかも、利権解消のコミットメントという景品まで付けさせることに成功した。
 このように、日本が対ソ交渉上、いつも劣位に立たされた根本の原因は、日本の米英との関係が悪化の一途をたどっていたことにあったと思われる。ソ連にしてやられるのは、米英と対立関係に入った日本の宿命であったといえよう。
 それにしても、これ程まで乗ぜられたということには、ソ連という国家に対する根本の認識の甘さもあずかっている。これは、ソ連による中立条約廃棄通告の受け取り方とそれ以後における日本の対ソ折衝にもうかがわれる。さらに、あまりに野心的、権謀術数的な大構想の罪もあげられるべきであろう。
 英米陣営に対抗する日独伊ソの連繋という構想が、土台、現実性のないものであったが、その実現に都合の悪いことには、すべて眼をつぶるようなことになった。いかに奇想天外な大経綸といえども、現実に立脚しない限り、ひっきょう砂上の楼閣にすぎない。
(六)仏印進駐、蘭印交渉
 当時の、日本の進出の方向は、大体南方にとられていた。独ソ開戦の際、一時、軍の一部で北進論がおこったが、結局、南部仏印進駐ということでおさまった。
 この南進の第一歩は、フランス軍のドイツに対する降伏(昭和十五年六月十七日)後行われた交渉による北部仏印進駐(九月二十三日)であった。これを主張した者が目的として挙げたのは、支那事変の解決を促進するというにあったが、実際には、支那事変の解決にほとんど役立ってはいない。
 結果においては、むしろ、その後における武力南進の礎石となった。米国は、このことがあった直後(九月二十六日)、西半球諸国及び英国以外に対する屑鉄及び鉄鋼の輸出を禁止した。
 蘭印の本国たるオランダも、フランス降伏の少し前、ドイツに占領せられた。こういう可能性も、前から予想されていたので、ドイツ軍のオランダ侵入前、有田外相は、「欧州戦争の激化に伴い、蘭印の現状に何等かの変更を来すが如き事態の発生については、深甚なる関心を有するものである」との趣旨の談話を発表し、さらに、五月十日ドイツ軍が、オランダ、ベルギーに侵入するや翌十一日、オランダ、ドイツ、英国、フランスの各国政府に対し、蘭印の現状維持に関するわが方の希望を強く申入れ、当時中立国であった米国、イタリーにも右の次第を参考として通報した。これに対して前記諸国は、いずれも同感の意を表した。
 この談話及び申入れは、ドイツ又は英仏の蘭印支配ないし占領を防止する機宜の措置であったと思われる。又、それは、わが国も蘭印の現状維持を尊重する建前のものであったから、国内の過激な南進論をおさえる上から、対内的なねらいもよかった。しかし、結局、南進論者はこれを不満とするに至り、武力は行使しないまでも、蘭印におけるわが国の経済的、従って又政治的な優越地位を確立すべきであると主張した。
 ここにおいて、同年九月小林商工大臣を特使として派遣して、そのための交渉に当らしめ、次いで十二月には芳沢代表を派遣してこれにかわらしめた。かくて交渉は前後九カ月にわたったが、買油交渉以外は妥結を見ず、翌十六年六月十七日、日本側から交渉の打切りと代表団の引揚を通告するということで幕を閉じた。
 この交渉において、蘭印側は、予想以上に強硬であった。それは、蘭印当局の根がロンドンに亡命していたオランダ政府にあったからである。日独伊三国条約の下で日本から南方戦略物資がドイツ向け再輸出されるような情況では、日本の要求を易々ときき入れるはずはなかった。
 この蘭印交渉打切り直後(六月二十五日)に、仏印との共同防衛協定締結と、南部仏印進駐の議が、大本営政府連絡会議で決定されている。この際には、フランスの委任統治領たるシリアがイギリス軍及びドゴール軍の占領するところとなったから(六月八日)、仏印もほっておけないということが軍部によってしきりにいわれた。
 こうして、昭和十六年七月二十二日、仏印の共同防衛に関する日仏の話合が妥結し、二十九日からわが軍の南部仏印進駐が行われた。これは、米英の防衛上から見てヴァイタルな一線を越えたことになり、米英は、日本に対して資金を凍結し、重要物資の輸出禁止を強化し、蘭印は、金融協定及び石油協定を停止する等米英にならった。又、当時継続中であった日米交渉の前途に一大暗影を投じたことは、後述の通りであり、従って、太平洋戦争の誘因ともなったわけである。松岡外相も、この南部仏印進駐については、これを行えば米国との戦争は避けえられなくなると警告し、消極的抵抗を試みている。
 今日からすれば、戦争を前提としない限り、南方に平和的に経済的、政治的進出をとげる機会は、当時多分にあったと思われる。仏印とは、経済交渉が成立していたし、タイ仏印国境紛争調停にも成功していた。蘭印交渉もできるだけのところで話合いをつければよかった。ドイツの欧州大陸における優勢を利用して南方へ無理な進出をしようとしたばかりに、かえってのど元をしめつけられるようなことになり、あげくの果ては、元も子もなくするような戦争に追い込まれた。これも、ひっきょう、大東亜共栄圏の夢におぼれて、米(当時は参戦はしていなかったが)、英、蘭等の戦意、底力を過少評価し、情勢判断を根本的に誤ったがためであるといえよう。
(七)日米交渉
 日米交渉は、昭和十六年の初めごろから、岩畔(陸軍大佐)、井川とドラフト、ウォルシュの両牧師等を中心とする私的会談に端を発した。そして、ようやく四月十六日に至り、ハル国務長官から右会談の成果たる七項目より成る一試案を野村大使に示し、これを基礎として非公式討議を開始したい旨申入れて来た。
 もっとも、松岡外相は、二月二十二日、野村大使の赴任に際して訓令を与え、三国同盟及び大東亜共栄圏樹立の既定方針を基調として日米両国間の国交調整を行うよう命じている。従って、日米の国交調整交渉を行うことが、時の政府の初めから意図していたところであったことは、明かである。
 日米交渉なるものは、当初から決裂に至る半歳余の折衝において、双方の主張が根本的に何等かの歩み寄りを示さなかった点において特徴的であった。日本の方には(イ)三国条約の解釈、(ロ)在支日本軍駐留問題、(ハ)通商上の無差別原則の根本的な三問題について、実質的な譲歩をする腹は毛頭なかったし、米国の態度もインフレクシブルで、数個の原則を固執するに終始した。
 今日からすれば、あの際日本は難きを忍んで譲歩すべきであったという論もできるであろう。右の三問題の如きは、日米交渉を本当に成立させる気であったら当然先方の主張を容れる覚悟でかかるべきであった。又、日本国内の情勢を離れて考えれば、これらの点で譲歩しても、交渉を成立させた方が有利であったことは、いうまでもない。近衛首相は、ロウズヴェルトとの会談を実現し、何とか交渉を成立せしめたいというところから、米国側のいわゆる国際関係に関する四原則(領土保全と主権の尊重、内政不干渉、通商上の機会均等、平和的手段以外による太平洋の現状不変更)を一たびは無条件に承認するところまで行ったが、これも後から日本側で制限をつけたりした。
 そこで、一体、あの際日米交渉を開始することがアドヴァイザブルであったかどうか、ということが問題になる。当時は、支那事変に関連する日米間の懸案が山積していたが、まず、これらの懸案を少しずつでも解決して行って、交渉に少しでも有利なふんい気をじょう成するに努むべきではなかったか。
 又、米国が満洲事変以来反対し続けて来た東亜の事態を大体そのままう呑みにさせることになるような条件で交渉を成立させようというのは、余りに甘い考え方で、本当に交渉を成立させるつもりであったら、相当実質的な譲歩をする用意がなければならないはずであった。この点について、まず国内を固めてから、交渉に乗り出すべきではなかっただろうか。
 もう一歩突き込んでいえば、そこまでの用意ができなければ、むしろ全然交渉を試みない方がよかったということにもなるであろう。一般の情勢が険悪であり、当事者間の関係も極度に緊張していたあの際のことであるから、交渉が不調に終れば、どうしても戦争ということになることは、ほぼ確実に見透しえたはずである。
 このような場合の、いわば戦争を回避するための国交調整交渉は、できない場合は戦争することを前提として行われることになるから、ますます成立が困難になる。前述の通り、日本は、日米交渉の最中の昭和十六年七月、南部仏印に進駐した。これは、戦争を前提とする限り、必要な措置であったかも知れない。しかし、日米交渉の運命に対しては致命的な打撃となった。これに対抗して米国が諸般の対日圧迫措置をとったことは、当然であるが、これで日米交渉に対する日本の誠意を疑わしめることとなったことも大きい。
 日本は、米国が欧州戦争で英仏を積極的に援助した関係上、東亜において事を構えることを避けようとするであろうということにかけて、日米交渉に乗り出したところが、戦後発表された種々の資料によっても、当時米国の当局者は、さらに積極的に対独戦に介入したがっていたのであって、日本の真珠湾攻撃は、むしろ彼等をほっとさせたのである。当時の米国当局者の交渉に臨んだ態度についても、戦後米国内で、交渉を成立せしむべきであったという見地から批判する者もあるが、しかし、米国の当局者が賢明であったかどうかは別として、日本側としては、こういう米国側の立場なり腹なりは、やはりそれとして計算に入れて置かなければならなかったはずである。
 なお、当時の英国も、対日強硬態度を主張した。米国の態度が一時ぐらついた十一月、チャーチル首相は、ロウズヴェルト大統領に親書を送り、蒋介石を見殺しにしてはいけない、日本人は当てにならないという趣旨のことを申し送っている。米国のみならず対独戦で割り切っているはずの英国までも、想像以上に強腰だったわけである。
(八)終戦外交
 太平洋戦争開始が決定された当初から、この戦争において日本には軍事的に「対米屈敵手段なし」と、はっきり認められていた。かといって、外交的方法による終戦についても、別に目算があったわけでもない。もっとも、話合いによる講和ということになれば、相手方もあることであるから、こちらの思い通りにはならない。
 現に、米英側は、一九四三年(昭和十八年)一月、ロウズヴェルト大統領とチャーチル首相のカサブランカ会談の際いわゆる無条件降伏の方式を天下に明かにしている。米英側としても、こういう立場をとったことが果して有利であったかどうかについては、戦後深刻な批判が行われており、たしかにその当否は疑問である。しかし、両国の当局者も国民も、当時実際にそういう気構えであったことは、一つの事実である。
 日独伊というような国は、やはりワンス・アンド・フォア・オールに片付けてしまわなければ、将来に禍根を残すというような気持であったであろう。従って、ネゴシエイテッド・ピースの余地は、初めからなかったかも知れない。現に、両国の当局者は、欧州戦争の当初以来、ドイツの反ナチ地下組織の連中からの和平申出を蹴っており、ヘスの英国飛込みも無駄に終っている。戦争初期におけるヒットラーの再三の公然たる和平提案も無視された。
 しかし、だからといって、日本政府が戦争のある時期に公式に和平を申出たとしたら、これも同様拒否されたに違いないといい切ることはできない。日本が緒戦で戦果を挙げている間にこれをやれば、日本としては大いに有利であったであろうが、先方も不利を見越して恐らく応じなかったであろう。戦局は、昭和十七年六月のミッドウェイ敗戦を転機として下り坂になったが、その後、国内的見地から終戦を提唱し得べき機会としては、イタリーの降伏(昭和十八年九月)、サイパン失陥(十九年七月)、比島敗戦(二十年一月)、米軍の沖縄上陸(同五月)、沖縄失陥(同六月)、ポツダム宣言発表(七月二十六日)の時等があげられよう。しかし、実際問題として、二十年の三月頃までは、そういうことは、国内的に至難であったであろう。
 ドイツの降伏は、終戦のための機会としてももっと有利に利用できたのではなかろうか。このころ、戦争の継続のためには明かに不利な、従って終戦の方向を推進するのに有利な条件が集中的に出て来ていた。四月五日には、ソ連は中立条約の廃棄を通告して来ていた。五月に入るや、沖縄の敗色も濃厚となっており、海軍もその作戦においてほとんど壊滅にひとしい状態となり、又本土に対する本格的な空襲もいよいよ始まっていた。そこにもって来て、かろうじて残っていた唯一の盟邦も敵の軍門に降ったわけである。
 当時、外務当局は、ソ連による中立条約の廃棄の重大さを自覚もせず、又、かりに自覚していたにしても、これを終戦をもたらす上に国内的に利用しようとはしなかった。又、ドイツ降伏に際しては、少くとも表面上は、三国条約等が当然失効したものと認める旨の発表をしただけであった。この時、政府当局者、特に外務当局が、八月の終戦の際位の意気込みで、強く終戦を主張したら、目的を達することができたかも知れない。少くとも、ポツダム宣言が発出された時、これを受諾するだけの精神的な準備はできたのではないかと思われる。
 中立条約の廃棄通告の際、佐藤大使から条約期限満了までの期間におけるソ連の態度を質問したのに対し、モロトフは、最初、「ソ連の態度は、今後は、事実上中立条約締結以前の状態にもどる次第である」と答え、佐藤大使から、同条約はなお一年間有効のはずではないかと反問したのに対して、モロトフは「時期満了の際にその状態にもどる次第である」といいなおして、お茶を濁している。これだけでも、ソ連が日本にとって十分警戒を要する相手であることは、読み取れたはずだといえよう。少くとも、ソ連のような国に終戦のあっせんを依頼することは、外交的には全く理解し得ないことであった。
 六月から広田、マリク大使会談が強羅で始められたが、ソ連側に日本の申出をまじめに取り上げる気持のなかったことは、初めから明瞭であった。わが方から、交換条件として、日ソ両国今後の関係を律する取極の前文案と満洲の中立化、露領漁業権の解消その他ソ連の希望する案件に関する討議の用意ある旨を書きもので申入れ、大至急回答方を要請したのに対し、マリク大使は、広田氏の申出は伝書使便で政府へ託送したと答えるのみであった。モスコウにおける佐藤大使に対するソ連側の態度も同じ調子であった。
 一体、このソ連に仲介させようとしたことについては、軍側に、ソ連を間に立てれば幾分でも米英に対する牽制ともなろうという見当違いの考え方があり、外務当局としても、軍を終戦に引張って行くためには、この軍側の気持に一応乗ってソ連に話をもちかけ、いよいよこの最後の頼みの綱もだめだということを納得させる必要があったのだという説明が行われている。
 又、実際にそうとしか思われないのであるが、それにしても、内政上の理由のために、あえてとられた外交上の措置のためにこうむった損失は、高いものについた。当てにならないソ連のあっせんを当てにしていたばかりに、数十の都市を焼かれ、原子爆弾に見舞われ、ヤルタの密約(もちろん、当時、そんなものがあることは分っていなかったが)を反古にしそこなったのである。
(九)結論
 何事によらず後から批判することは、やさしい。既往を反省し、そこから将来に対する教訓を汲みとって、初めて批判の意味もある。このような見地から、外交の事に当る者が常に反省しなければならないところとして、次の諸点を挙げることができよう。
 (イ)第一に挙げるべきことは、当然のことではあるが、すべて根本が大切であるということである。外交は、単なる技術ではない。内政を離れて外交を考えることはできない。経世家としての気構えを必要とするゆえんである。条約等の字句については、細心の注意を払うことは当然必要であるが、それだけにとらわれて、政治的な意義・影響というような根本のことを忘れてはならない。対華政策の根本が改められない限り、本省や現地の事務当局がいかに努力して見ても、外交的には無にひとしい。軍というものが存在していた以上、当時としては、それ以上のことはできなかったにしても、根本に誤りがある場合には、枝葉末節の苦心は、単なる自慰に終る外ない。
 (ロ)第二に、常に物事を現実的に考えなければならないということである。これは、いろいろの意味で考えられよう。まず、感情におぼれてはいけないということも、その一つである。当時の日本の指導勢力は、数百年にわたるアングロ・サクソンの世界支配体制の覆滅というような夢を抱いていた。ドイツと結んでこれを実現すべき千載の好機を逸してはならないと考えた。これは、人種的な偏見とか、持たざる国の立場とかからして、感情的にはうなずけるところのものをもっていた。しかし、夢を追うて現実を忘れ、理性を失ったために誇大妄想に陥ってしまった。情勢判断の眼は、希望的思考でくもらされた。
 又、フレクシビリティということが大切であるという意味にも考えられよう。ソ連を日独伊三国側に抱き込むという夢が独ソ開戦によって破れた以上、これを前提とした外交政策は、一切御破算とすべきであった。日独伊三国条約を御破算にしていたら、日米交渉にも本気にかかれたであろう。しかし、満洲事変以来の日本外交は、動脈硬化症にかかっていた。行懸りにこだわることの禁物なゆえんである。
 もっとも、このことは、国家としての言動の一貫性を無用とするわけではない。国際社会の通念として認められている程度の道義性は、国際信用をかちうる上に絶対必要なものである。国際連盟その他で言明したことがその後事実の上で覆されたことがいかに日本の対外信用を傷けたかを思い出す。
 さらに、現実的ということは、形式主義を排するという意味にも考えられよう。何でもすぐ協定書や条約の形にし、宣言を出したりしたがった傾きがある。前に挙げたいろいろな条約を締結して、目先の利益だけでも日本にもたらしたものがあっただろうか。ただ、われとわが手をしばる結果におちいっただけではないか。
 一体、政治的な意味合いの条約等は、それ自身としては余り意味のないものである。客観情勢が変ってしまえば、少くとも実質上、一片の反古にされる。程度の差こそあれ、これは、何もソ連を相手とする条約に限ったことではない。米英仏等には、ディーセントなところがあるが、結局それだけのことである。日ソ中立条約などは、いよいよとなったら、ソ連の方から真剣に提議して来たであろう。北樺太の買収位は、お土産につけたかも知れない。よい意味の実利主義をとるべきゆえんである。
 実利主義ということからいえば、戦争をすることは、いつの場合でも損になるに決っている。少くとも、現代においてはそうである。まして、国力不相応の戦争を自らはじめるにおいておやだ。およそ重要な政策を決定するについては、何等かのチャンスをとるということは附きものであろう。チャンスをとる勇気がなかったら、外交上でも、本当の成功はつかめないともいえよう。
 しかし、そのチャンスはあくまで現実的に合理性のあるチャンスでなければならない。かりに、あの際日本が隠忍自重して、戦争に入っていなかったと仮定したら、どうだろうか。戦争を前提とするからこそ、石油も足りない、屑鉄も足りない、ジリ貧だということになる。戦争さえしなければ、生きて行くに不足はなかったはずである。
 又、米国は、早晩欧州戦争に介入すべき運命にあったとすれば、その後だったら、日米交渉もできたかも知れない。もっとも、それも、日本が戦争は絶対しないという建前で行っての話であるが。この点については、そうしていたら、日本は、戦争終了後において国際的な孤立に陥り、ひどい目にあったであろうという論もありうるだろう。しかし、スペインの如きは、現に米英側からだんだん接近して行っている。ソ連という国際関係におけるパブリック・エネミー・ナンバー・ワンが現れたからである。日本の場合にも、そうなりえなかったという理由はない。いずれにせよ、この方のチャンスがより合理的であったことは確かである。
 外交については、よく見透しのきくことの重要性が指摘される。しかし、実際問題として、そう先々のことまで一々具体的に見透せるものではなかろう。要は、現実を現実的に把握し、これによって身の処し方を決めるということが、結果において見透しがよかったということになるのであろう。物事を現実的、具体的に考えれば、米英の経済力、国力も正当に評価しえたであろう。そうすれば、独伊と結んで日本独自の経済圏をつくり出そうというようなことは、現実性のない夢に過ぎないことも、明らかだったはずである。
 (ハ) いたずらに焦ることも禁物であるが、機会をつかむには敏でなければならない。太平洋戦争前に外交的転換をとげる機会を逸し、ソ連の参戦前に終戦の機会を逸したこと等は、反対の例である。外交的に一大転換をしなければならない、できるだけ早く終戦にもって行かなければならないと常に念じていたとしたら、もっとこれらの機会を政治的に利用する道があったはずである。もっとも、これは、分っていてやり切れなかったのかも知れない。
 (ニ) そこで最後に、決断力と実行力の重要性ということになる。行詰りにとらわれていたら、見切りをつけるべきところで見切りをつけそこなう。そして、ますます深味に入って行く。満洲事変以来の日本の行き方がそうであり、又、外務省の身の処し方がやはりそうだった。
 当時の日本においては、軍の権力が圧倒的に強かったという、特異の事情があったことは認めなければならない。しかし、それも程度の問題で、それだけでは、すまされない。一国の外交の衝に当る者には、常に果断と真の勇気の必要なことは、いつの世でも同じであろう。世間的には不景気で評判の悪いようなことでも、あえて実をとって行う気がいの必要なことは、日露の講和の例にも明かである。
 外務大臣がやめる腹さえ決めたら、もっと何とか、なっただろう。少くとも一時的にもせよ事態の進行を喰い止めえたであろうと思われる場合が少くない。それでも結局は大勢を如何ともできなかったであろうということは、当事者の弁解として成立たない。当時の内閣制度の下においては、一人の大臣ががんばれば、内閣の総辞職を余儀なくせしめることができたのである。重大事に当っては、何でも彼でも穏便におさめるという必要はない。
 附 対外関係重要事件年表 ※指定範囲内(PDF 59頁掲載分)のみ。年表はPDF 60頁以降に続く。
 【内閣及び外務大臣氏名】 昭和6年4月14日 若槻内閣、幣原 昭和6年12月13日 犬養内閣、芳沢 昭和7年5月26日 斎藤内閣、内田 昭和8年9月14日 斎藤内閣、広田 昭和9年7月8日 岡田内閣、広田 昭和11年3月9日 広田内閣、有田 昭和12年2月2日 林内閣、佐藤 昭和12年6月4日 近衛内閣、広田
 【重要事件】 昭和6年9月18日 満洲事変 昭和7年1月28日 第一次上海事件 昭和7年9月15日 日満議定書調印(満洲国承認) 昭和8年3月27日 連盟脱退を通告 昭和9年12月29日 ワシントン軍縮条約廃棄通告 昭和10年3月23日 北満鉄道譲渡協定調印 昭和11年1月15日 ロンドン軍縮会議脱退 昭和11年11月25日 日独防共協定調印 昭和12年7月7日 盧溝橋事件(9月2日、「支那事変」と呼称)
 出典・関連リンク
 本文は1951年(昭和26年)4月10日付の外務省調書「日本外交の過誤」より。末尾の年表は掲載範囲までを収録した。
 原資料:件名「15 「日本外交の過誤」及びその所見」(アジ歴レファレンスコード B25090785300) https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B25090785300#1
 昭和100年インターネット特別展[第2回]日本とアジア諸国の“戦後” https://www.jacar.go.jp/exhibition/showa100/index.html
 関連記事(既報):https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/2c62ead7d5beb48809d6f682b833be5f8b1d93be
 堀潤
 ジャーナリスト
 NPO法人8bitNews代表理事/株式会社GARDEN代表。2001年NHK入局。「ニュースウォッチ9」リポーター、「Bizスポ」キャスター。2012年、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校で客員研究員。2013年、NHKを退局しNPO法人「8bitNews」代表に。2021年、株式会社「わたしをことばにする研究所」設立。現在、TOKYO MX「堀潤LIVE Junction」キャスター、ABEMA「AbemaPrime」コメンテーター。2019年4月より早稲田大学グローバル科学知融合研究所招聘研究員。2020年3月映画「わたしは分断を許さない」公開。
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