🎻71:─1─オバマ大統領の広島訪問と広島演説。伊勢志摩サミットと伊勢神宮。平成28年。~No.236No.237No.238 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2016年5月27日
 オバマ大統領広島演説(全文)
「71年前、空から死が舞い降り世界は変わった」「あの日の朝の記憶は決して風化させてはならない」
 広島市平和記念公園での演説で「核兵器なき世界」への決意を表明するオバマ米大統領=27日午後5時49分(代表撮影)
 「71年前の雲一つない明るい朝、空から死が舞い降り、世界は変わった。閃光(せんこう)と火柱が都市を破壊し、人類は自ら破壊する手段を手にすることを示した。
 われわれはなぜ広島に来たのか。そう遠くない過去に解き放たれた残虐な力に思いをめぐらせるためだ。われわれは命を落とした10万人を超える日本の男女、子供、何千人もの朝鮮半島出身者、十数人の米国人捕虜を悼む。
 その魂が私たちに話しかけてくる。彼らはわれわれに対し、もっと内なる心に目をむけ、自分の今の姿とこれからなるであろう姿を見るように訴える。
 広島を際立たせているのは、戦争という事実ではない。過去の遺物は、暴力による争いが最初の人類とともに出現していたことをわれわれに教えてくれる。初期の人類は、火打ち石から刃物を作り、木からやりを作る方法を学び、これらの道具を、狩りだけでなく同じ人類に対しても使った。
 いずれの大陸も文明の歴史は戦争で満ちており、食糧不足や黄金への渇望に駆り立てられ、民族主義者の熱意や宗教上の熱情にせき立てられた。帝国は台頭し、そして衰退した。民族は支配下に置かれ、解放されたりしてきた。転換点において罪のない人々が苦しみ、数え切れない多くの人が犠牲となり、彼らの名前は時がたつと忘れ去られてきた。
 広島と長崎で残酷な終焉(しゅうえん)を迎えた世界大戦は、最も豊かで強い国家間で勃発した。彼らの文明は偉大な都市と素晴らしい芸術を育んでいた。思想家は正義と調和、真実という理念を発達させていた。しかし、戦争は、初期の部族間で争いを引き起こしてきたのと同様に支配あるいは征服の基本的本能により生じてきた。抑制を伴わない新たな能力が、昔からのパターンを増幅させた。
 ほんの数年の間で約6千万人が死んだ。男性、女性、子供たちはわれわれと変わるところがない人たちだった。撃たれたり、殴られたり、連行されたり、爆弾を落とされたり、投獄されたり、飢えさせられたり、毒ガスを使われたりして死んだ。
 世界各地には、勇気や勇敢な行動を伝える記念碑や、言葉にできないような悪行を映す墓や空っぽの収容所など、この戦争を記録する場所が多くある。
 しかし、この空に上がった、きのこ雲のイメージが、われわれに人類の根本的な矛盾を想起させた。われわれを人類たらしめる能力、思想、想像、言語、道具づくりや、自然とは違う能力、自然をわれわれの意志に従わせる能力、これらのものが無類の破壊能力をわれわれにもたらした。
 物質的進歩や社会革新がこの真実から、われわれの目を曇らせることがどれほど多いであろうか。高邁(こうまい)な理由で暴力を正当化することはどれほど安易なことか。
 偉大な全ての宗教は愛や平和、公正な道を約束している。一方で、どの宗教もその信仰が殺人を許容していると主張するような信者の存在から逃れることはない。
 国家は、犠牲と協力を結び付ける物語をつむぎながら発展してきた。さまざまな偉業を生んだが、この物語が抑圧や相違を持つ人々の人間性を奪うことにも使われてきた。科学はわれわれに海を越えてコミュニケーションを取ることを可能にし、空を飛び、病気を治し、宇宙を理解することを可能にした。しかし同じ発見は、より効果的な殺人機械へとなり得る。
 現代の戦争はこうした真実をわれわれに伝える。広島はこの真実を伝える。人間社会の発展なき技術の進展はわれわれを破滅させる。原子核の分裂につながった科学的な革命は、倫理上の革命も求められることにつながる。
 だからこそわれわれはこの地に来た。この街の中心に立ち、爆弾が投下されたときの瞬間について考えることを自らに強いる。惨禍を目にした子供たちの恐怖を感じることを自らに課す。
 無言の泣き声に耳を澄ませる。われわれはあの恐ろしい戦争やその前の戦争、その後に起きた戦争で殺された全ての罪なき人々に思いをはせる。
 単なる言葉でその苦しみを表すことはできない。しかし、われわれは歴史を直視し、そのような苦しみを繰り返さないために何をしなければならないかを問う共通の責任がある。
 いつの日か、生き証人たちの声は聞こえなくなるだろう。しかし1945年8月6日の朝の記憶は決して風化させてはならない。記憶はわれわれの想像力を養い、われわれを変えさせてくれる。
 あの運命の日以来、われわれは希望をもたらす選択もしてきた。米国と日本は同盟関係を築くだけでなく、戦争を通じて得られるものよりももっと多くのものを国民にもたらす友情を築いた。
 欧州の国々は戦場に代わって、交易や民主主義により結ばれている。抑圧された人々や国々は自由を勝ち取った。国際社会は戦争を回避し、核兵器の存在を規制、削減し、完全に廃絶するための機関を創設し協定を結んだ。
 それにも関わらず、世界中で見られる国家間のテロや腐敗、残虐行為や抑圧は、われわれがすべきことには終わりがないことを示している。われわれは人類が悪事を働く能力を除去することはできないかもしれないし、われわれが同盟を組んでいる国々は自らを守る手段を持たなければならない。
 しかし、わが国を含む、それらの国々は核兵器を貯蔵しており、われわれは恐怖の論理から抜け出し、核兵器のない世界を希求する勇気を持たなければならない。こうした目標は私の生きている間は実現しないかもしれないが、粘り強い取り組みが惨禍の可能性を引き下げる。
 われわれはこうした保有核兵器の廃棄に導く道筋を描くことができる。われわれは、新たな国々に拡散したり、致死性の高い物質が狂信者の手に渡ったりするのを防ぐことができる。しかし、まだそれでは不十分だ。なぜなら、われわれは今日、世界中で原始的なライフル銃やたる爆弾でさえ恐るべきスケールの暴力をもたらすことができることを、目の当たりにしているからだ。
 われわれは戦争そのものに対する考え方を変えなければならない。外交を通じて紛争を予防し、始まってしまった紛争を終わらせる努力するために。増大していくわれわれの相互依存関係を、暴力的な競争でなく、平和的な協力の理由として理解するために。破壊する能力によってではなく、築くものによってわれわれの国家を定義するために。そして何よりも、われわれは一つの人類として、お互いの関係を再び認識しなければならない。このことこそが、われわれ人類を独自なものにするのだ。
 われわれは過去の過ちを繰り返す遺伝子によって縛られてはいない。われわれは学ぶことができる。われわれは選択することができる。われわれは子供たちに違う話をすることができ、それは共通の人間性を描き出すことであり、戦争を今より少なくなるようにすること、残酷さをたやすく受け入れることを今よりも少なくすることである。
 われわれはこれらの話をヒバクシャ(被爆者)の中に見ることができる。ある女性は、原爆を投下した飛行機の操縦士を許した。本当に憎むべきは戦争そのものであることに気付いたからだ。ある男性は、ここで死亡した米国人の家族を探し出した。その家族の失ったものは、自分自身が失ったものと同じであることに気付いたからだ。
 わが国は単純な言葉で始まった。「人類は全て、創造主によって平等につくられ、生きること、自由、そして幸福を希求することを含む、奪うことのできない権利を与えられている」
 理想は、自分たちの国内においてさえ、自国の市民の間においてさえ、決して容易ではない。しかし誠実であることには、努力に値する。追求すべき理想であり、大陸と海をまたぐ理想だ。
 全ての人にとってかけがえのない価値、全ての命が大切であるという主張、われわれは人類という一つの家族の仲間であるという根本的で必要な概念。われわれはこれら全ての話を伝えなければならない。
 だからこそ、われわれは広島に来たのだ。われわれが愛する人々のことを考えられるように。朝起きた子供たちの笑顔をまず考えられるように。食卓越しに、夫婦が優しく触れ合うことを考えられるように。両親の温かい抱擁を考えられるように。
 われわれがこうしたことを考えるとき71年前にもここで同じように貴重な時間があったことを思い起こすことができる。亡くなった人々はわれわれと同じ人たちだ。
 普通の人々はこれを理解すると私は思う。彼らは、さらなる戦争を望んでいない。彼らは、科学は生活をより良いものにすることに集中すべきで、生活を台無しにすることに集中してはならないと考えるだろう。
 各国の選択が、あるいは指導者たちの選択がこの単純な分別を反映すれば、広島の教訓は生かされる。
 世界はここ広島で永久に変わってしまったが、この街の子供たちは平和に日常を過ごしている。なんと貴重なことであろうか。これは守るに値し、すべての子供たちに広げていくに値する。これはわれわれが選択できる未来なのだ。
 広島と長崎の将来は、核戦争の夜明けとしてでなく、道徳的な目覚めの契機の場として知られるようになるだろう。そうした未来をわれわれは選び取る。(了)」
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 安倍首相の演説全文「日米が希望を生み出すともしびになる」
 所感を述べる安倍首相(中央)とオバマ米大統領(27日午後6時3分、広島市中区平和記念公園で)=代表撮影
 安倍晋三首相は27日午後、広島市平和記念公園で演説した。首相はオバマ米大統領の広島訪問について「核なき世界を信じてやまない世界中の人々に大きな希望を与えてくれた」と高く評価。核なき世界の実現に向け「日本と米国が力を合わせて世界の人々に希望を生み出すともしびとなる」との決意を表明した。演説の詳細は以下の通り。
   ◇
 昨年、戦後70年の節目にあたり、私は米国を訪問し、米国の上下両院の合同会議において日本の内閣総理大臣としてスピーチを行いました。この戦争によって多くの米国の若者たちの夢が失われ、未来が失われました。その苛烈な歴史に改めて思いをいたし、先の戦争で倒れた米国の全ての人々の魂にとこしえの哀悼をささげました。
 そして、この70年間、和解のために力を尽くしてくれた日米両国全ての人々に感謝と尊敬の念を表しました。熾烈に戦いあった敵は70年の時を経て心の紐帯を結ぶ友となり、深い信頼と友情によって結ばれる同盟国となりました。そうして生まれた日米同盟は世界に希望を生み出す同盟でなければならない。私はスピーチでそう訴えました。
 あれから1年。今度はオバマ大統領が米国のリーダーとして初めて、この被爆地・広島を訪問してくれました。米国の大統領が被爆の実相に触れ、核兵器のない世界への決意を新たにする。核なき世界を信じてやまない世界中の人々に大きな希望を与えてくれました。
 広島の人々のみならず、全ての日本国民が待ち望んだこの歴史的な訪問を心から歓迎したいと思います。
 日米両国の和解、そして信頼と友情の歴史に新たなページを刻むオバマ大統領の決断と勇気に対して、心から皆さまとともに敬意を表したいと思います。
 先ほど私とオバマ大統領は、先の大戦において、そして原爆投下によって犠牲になった全ての人々に対し哀悼の誠をささげました。
 71年前、広島そして長崎ではたった1発の原子爆弾によって何の罪もないたくさんの市井の人々が、そして子供たちが、無残にも犠牲となりました。一人一人にそれぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。その当然の事実をかみしめるとき、ただただ断腸の念を禁じ得ません。いまなお被爆によって大変な苦痛を受けておられる方々もいらっしゃいます。
 71年前、まさにこの地にあって想像を絶するような悲惨な経験をした方々の思い。それは筆舌に尽くしがたいものであります。さまざまな思いが去来したであろう、その胸の中にあって、ただこのことだけは間違いありません。
 世界中のどこであろうとも、再びこのような悲惨な経験を決して繰り返させてはならない。この痛切な思いをしっかりと受け継いでいくことが今を生きる私たちの責任であります。
 核兵器のない世界を必ず実現する。その道のりがいかに長く、いかに困難な者であろうとも、絶え間なく努力を積み重ねていくことが今を生きる私たちの責任であります。
 そして、あの忘れえぬ日に生まれた子供たちが恒久平和を願ってともしたあの灯火に誓って、世界の平和と繁栄に力を尽くす。それが今を生きる私たちの責任であります。
 必ずやその責任を果たしていく。日本と米国が力を合わせて、世界の人々に希望を生み出すともしびとなる。この地に立ち、オバマ大統領とともに改めて固く決意しています。そのことが、広島、長崎の原子爆弾の犠牲となった数多の御霊の思いに応える唯一の道である。私はそう確信しています。」
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 5月16日 産経ニュース「【野口裕之の軍事情勢】オバマ大統領の広島訪問を喜んでばかりもいられない…中国は「核兵器の先行使用」を密かに決めていた!
 南シナ海スプラトリー諸島南沙諸島)周辺で軍事演習する中国海軍の兵士(共同)
 伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)で来日するバラク・オバマ大統領(54)が27日、現職の米大統領として初めて大東亜戦争(1941〜45年)の被爆地・広島を訪問する。安倍晋三首相(61)も「核兵器のない世界を実現するためにオバマ氏とともに全力を尽くしていきたい」と語ったが、喜んでばかりもいられない。中国はムードが先行する“核軍縮”や北朝鮮の核・ミサイル問題に隠れ、《核兵器の先行使用》を決断したもようだ。
 別々に保管していた核弾頭とミサイルを合体
 中国核戦略の大転換は昨年11〜12月、中国人民解放軍海軍が保有する晋級弾道ミサイル搭載原子力潜水艦(SSBN)が実施した、初の《戦略哨戒任務》にハッキリと現れた。SSBNが有する最重要任務は、深く静かに海中に潜む隠密性を活かした核攻撃能力だ。
 ただし過去、中国軍は核弾頭とミサイルを別々に保管、SSBNも例外ではなかった。別々の保管は、最初の核実験の1964年より、少なくとも表面上公言してきた《核の先行不使用》を保障した。SSBNの戦略哨戒任務は実任務付与であり当然、ミサイルに核弾頭を装填しているはずで、《核兵器の先行使用》の肯定を意味した。ミサイルの精度・射程が向上し、最強の恫喝手段「イザというときの先行核攻撃」を隠さなくなったようだ。核不拡散条約(NPT)で核兵器保有を公認される米国/ロシア/英国/フランスに比し、核戦力の技術水準が劣る最後発国・中国は今後、劣勢を挽回すべく露骨な核戦力強化を止めないだろう。
 高まる「意図せぬ発射」
 怖い話は続きがある。核弾頭とミサイルの分離は、軍の強硬派や不満分子が中国共産党の指揮・統制を無視し、米国への発射といった暴走を防ぐ安全措置でもあった。先行使用に加え、「意図せぬ発射」にも警戒が必用となった。
 「最小限抑止」の大転換
 中国共産党は、核兵器保有・配備数や配備場所はじめ、運用方法など基本的核戦略を秘匿してきた。とはいえ、2010年度の《中国国防白書》などで、《核戦力は国家の安全に向けた最低レベルを維持し続ける》などとうたっており、「最小限抑止」と推測されてきた。米国・核兵器の第1撃に対し、中国が残存核兵器での反撃(第2撃)力を担保すれば、米国は第1撃を躊躇する、との考えだ。
 傲慢な中国にしては控えめで気味が悪いが、以下のようなワケがある。
 第2撃は都市への報復と、敵核兵器への攻撃の、2種類に大別される。特に敵核兵器への攻撃には、敵報復力を一定程度無力化する高い命中精度や、《複数個別目標再突入弾頭・MIRV=マーブ》能力の向上が必須の前提条件となる。MIRV能力を付ければ、弾道ミサイルに複数の核弾頭を詰め込み、ミサイルから分離した核弾頭が複数の標的に襲い掛かれるためだ。米国のミサイル防衛網(BMD)を突破する確率も高まる。
 しかし、敵核兵器の攻撃には高度な技術に加え、開発・生産費も膨大となる。カネを刷りまくり、市場を操作し、バブル経済を創り出す一方、軍事科学に資金を大量注入し、諜報活動やサイバー攻撃による技術窃取で現在の力を付けるまで、中国の核戦略は少数の都市に対する報復攻撃を柱とする「最小限抑止」に徹し、控えめに振る舞ってきたのである。実際、中国海軍は1980年代に夏級SSBNを配備したが、戦略哨戒任務に就いていないと分析されていた。
 核実験禁止条約署名後も核戦力強化に邁進
 1996年の包括的核実験禁止条約(CTBT)署名で、米露英仏中5カ国といえども、核実験実施は凍結された。だが、中国は2000年代に入ってなお、核戦力強化に邁進した。
 具体的には、1980年前後の大陸間弾道弾(ICBM)配備以降、当初は対米抑止力を地上発射の固定サイロ発射型ICBMに頼ってきた。やがて、移動可能で所在を隠せる車両搭載型ICBMへとシフトし始めた。そして、ついに最も技術レベルが高く、最も開発コストのかさむSSBNによる対米核戦力に本腰を入れるに至る。
 時間の問題だった「核戦争準備」
 さて、晋級SSBNが実施した、初の戦略哨戒任務が先行使用の決断を意味することは冒頭述べた。ただ、核兵器の先行使用に言及する中国軍関係者や西側・ロシアの研究者はいたし、中国軍の内部文書も報じられた。米海軍情報局(ONI)が2013年に戦略哨戒任務開始の可能性を発表後は、もはや中国軍の「核戦争準備」は時間の問題と観測されてきた。
 もっとも、晋級SSBNが核ミサイルの先行使用のノリシロを持ったとしても、搭載している巨浪2号ミサイルの射程が7400キロ(8000〜9000キロ説アリ)とすると、南シナ海で発射しても米国全土には届かない。最低でも、米国西海岸を狙うには、宗谷海峡硫黄島に至る西太平洋侵出を求められるが、自衛隊や米軍の餌食になるリスクは冒さぬはず。
 中国の恫喝力を強める新型核ミサイル
 そう遠くない将来、新型のSSBNと潜水艦発射ミサイルが開発され、精度・射程を向上させる。そのとき、核兵器の先行使用は現実味を一歩前進させ、中国の軍事的恫喝力を飛躍的に強める。
 ところで、オバマ大統領の広島訪問に触れ、中国国営新華社通信は「日本が第二次世界大戦のイメージを創ろうとしている」と伝えた。昨年4〜5月、ニューヨークの国連本部で開催された、核兵器保有国の核軍縮・不拡散努力を促すNPT再検討会議における中国軍縮大使の発言とソックリだった。採択が期待された最終文書の原案は、原爆投下70周年の筋目に、世界の指導者や専門家、若者が《核兵器使用の壊滅的な人道上の結末を自分の目で確認し、生存者(被爆者)の証言に耳を傾ける》目的から、広島・長崎への訪問を提案していた。広島選出の岸田文雄外相(58)の会議開幕日の演説を反映した内容だった。
 ところが、中国軍縮大使は記者団に「日本政府が、日本を第2次大戦の加害者ではなく、被害者として描こうとしていることに、私たちは同意できない」と、削除を求めた経緯を明らかにした。結局、他の理由も手伝い、最終文書は採択されず、会議は成果ゼロで閉幕した。
 核軍縮機運を押さえ込む中国
 日本の世界的地位を歴史問題でおとしめる中国による陰謀は明らかだが、他の核保有公認4カ国に比べ核戦力の技術レベルで劣る中国の、核軍縮機運の高まりを押さえ込み、核軍拡にかける執念も裏付ける。
 反面、米中経済安全保障調査委員会が2014年に出した報告書は《中国の核戦力が3〜5年以内に一層増強される》と、中国の軍事的進化と米国の相対的抑止力低下に警鐘を鳴らしている。米大統領選の共和党指名を得た実業家のドナルド・トランプ氏(69)に至っては、南シナ海で人工島を造成し軍事基地化している中国について「中国の行動をきっかけに米国が第3次大戦を始める考えはない」と米ワシントン・ポスト紙に答えるなど、米国の近視眼的損得しか頭にない。その南シナ海は、海上軍事基地で海上航空優勢を押えれば、東部海域にSSBNを潜ませる「中国の聖海域」と成る危険を伴う。米本土を完全に射程内に収める将来の改良型潜水艦発射核ミサイルの最大の標的が、米国である危機をご存じないようだ。
 台湾有事でも核先行使用視野
 中国空軍の少将は2005年、米ニューヨーク・タイムズ紙上で、米国が中国と台湾の軍事衝突に通常兵器で介入した場合でも、核兵器の先行使用を明言した。
 《中国は(米国の核攻撃で)西安以東の全都市が破壊される事態を覚悟している。しかし、米国も数百の都市の中国側による破壊を覚悟せねばならない》
 民主国家と一党独裁国家では、核兵器による国民被害の許容限度に天と地ほどの差がある。日本を守るべく、米国は国内のいかなる都市も犠牲にしないかもしれない。
 「憲法9条の傘」を信じる日本人
 そんな中国の核兵器先行使用準備が確実と成った現実をよそに、米国の「核の傘」ではなく、「日本国憲法第9条の傘」で日本が守れると確信している日本人が存在する。憲法9条ノーベル平和賞候補に推薦し、受理されたと手放しで喜ぶ野党国会議員や大学教授ら。
 「核拡散防止義務を誠実に履行し、世界の非核化を実現する」とうそぶく、北朝鮮朝鮮労働党金正恩・委員長(33)と同種の、国際社会で通用しない独善的な人たちだ。」
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 5月28日 産経ニュース「【古森義久の緯度経度】「後悔も罪悪感もない」米の原爆投下「正当化」論は消滅しない…投下作戦に加わった米軍人との議論
 米軍機が撮影した、広島に投下された原爆のきのこ雲=1945年8月6日
 チャールズ・スウィーニー氏は、広島と長崎の両方への原爆投下作戦に加わった唯一の米軍人として知られた。広島の作戦では原爆投下機に密着する気象観測機の機長だった。長崎では原爆投下機そのものの機長を務めた。当時は米陸軍航空隊の少佐、すでにベテランのパイロットだった。戦後は米空軍勤務となり、少将にまで昇進した。
 私はそのスウィーニー氏と米国CNNテレビの討論番組で議論したことがある。1994年12月、「クロスファイア(十字砲火)」という番組だった。テーマはずばり「広島、長崎への原爆投下は必要だったのか」だった。
 一方、オバマ大統領は27日、現職の米国大統領として初めて広島を訪れた。予測どおり同大統領は原爆投下の是非には触れなかった。だが米国大統領の広島来訪の意義を今後考える上でも、日本側としてはこの是非論に背を向けることはできないだろう。米側ではこのテレビ討論が22年も前に催された事実が示すように、原爆投下の適否は長く広く論じられてきた。
 この番組は題名どおり自由な激論が売り物である。この回は先代ブッシュ大統領の首席補佐官だった保守派のジョン・スヌヌ氏と、著名な政治評論家でリベラル派のマイケル・キンズレー氏が進行役だった。
 この2人の論客は冒頭から私の方をにらむような姿勢で「原爆投下は日本の戦意をくじき、戦争を早く終わらせるために必要だった」(スヌヌ氏)とか、「日本軍は真珠湾をだまし討ちしたし、もし原爆を持っていたら必ず使っただろう」(キンズレー氏)と語った。保守、リベラルを問わず、米側多数派の投下正当論の集約だった。
 そしてスウィーニー氏も「日本本土上陸作戦で予測された戦死者数を考えれば、原爆投下は適切だった」と述べたのだった。
 その後に発言を求められた私は原爆の非人道性と日本側の惨状を指摘し、次のような要旨を述べた。
 「当時の米側はソ連の参戦も決まり、日本の降伏を確実視していた。とくに2発目の長崎への投下は、戦争の早期終結が目的ならば不必要だった。もし日本側に原爆の威力を示したかったならば、無人島や過疎地にでも投下すれば十分だった」
 するとスウィーニー氏は、当時の日本軍の前線での徹底抗戦ぶりや国家首脳部の「一億総玉砕」の宣言をあげて、原爆がいかに多くの人命を救ったかという主張を語った。その語調はきわめて穏やかだった。
 私は、「20万以上の民間人の犠牲を、戦争継続の場合の戦死者の予測数で正当化はできない」と反論したが、日本軍と実際に激戦を続けた体験を踏まえての同氏の主張には、つい説得力さえ感じさせられた。
 そのスウィーニー氏も終戦直後に長崎市を訪れ、破壊の惨状をみて、「どれほどの人間の命が奪われたかを考えて悲しみに襲われた」と回顧していた。このテレビ番組の後に出した自書「米国の最後の原爆作戦の目撃証言」(日本語版は「私はヒロシマナガサキに原爆を投下した」)での述懐だった。だが同氏は自分自身の爆撃任務については「後悔も罪悪感もない」として、日本側の「軍国主義文化」を非難していた。
 同氏のこうした言葉が象徴する米国側の思考や心情と日本側の受け止め方との差異は、オバマ大統領の広島訪問でも消えはしない。だが、その訪問は相手側の実情のより深い認識による、より健全でより緊密な日米関係の未来への歴史的な前進となることを期待したい。 (ワシントン駐在客員特派員)」
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 伊勢志摩サミットと伊勢神宮
 不破哲三「サミットの様子を見て驚きました。世界各国の首脳を集めてまず何をやったか。伊勢神宮へのお参りですよ。伊勢神宮とはただの神社じゃないんです。戦争中は国家神道の総本山でした。事もあろうに外国の人を案内して参拝させてからサミットを始めたのです」


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