₩71」─2─長崎清国海軍水兵騒動事件。清国(中国)の軍事的脅威。日本の死の恐怖。1886年。No.316No.317 *      

日清戦争─「国民」の誕生 (講談社現代新書)

日清戦争─「国民」の誕生 (講談社現代新書)


   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 国民は、国家の一員として国家の保護を受ける以上は、国家を守る為に武器を取って戦う義務がある。
   ・   ・   ・   
 中国はアジア一の強大大国であり、日本は中程度の国家であった。
 日本は、中国を恐れ、中国との戦争を避けるべく外交努力を続けていた。
 中国は、世界規模の軍事力から、日本に勝つ自信があったから戦争を避ける気はなかった。
 日本は、中国に比べて軍事力や経済力など総合的な国力は劣っていたが、死んでも外敵の侵略から祖国を守ろうという愛国心による団結力は中国に勝っていた。
 日本の唯一の武器は、絶体絶命の状況に追い込まれても、諦めず、投げ出さず、逃げず、降伏せず、最後の一人となっても踏みとどまって、知恵を絞って勝ち抜くという精神力であった。
   ・   ・   ・   
 儒教圏に於ける天下とは、龍の紋章を持ち黄金の服を着る中華皇帝の天下であって、菊の紋章を持ち紫の服を着る日本天皇の天下ではない。
 鳳凰の模様を持つ事を許され赤い服を着る朝鮮国王は、中国皇帝の大臣以下の臣下として、独自の天下を持っていなかった。 
   ・   ・   ・   
 中華帝国は、儒教による華夷秩序を世界に広める為に周辺諸国を侵略し、隷属国として従わなければ根絶やしにしてきた。
 中国の歴史は、侵略戦争による虐殺史である。
 朝鮮は、中華帝国の臣下として朝貢冊封を受け入れた。
 日本は、万世一系男系天皇制度(直系長子相続)を理由にして自主独立を守り通した。
 万世一系男系天皇制度(直系長子相続)は、日本民族の存続の大本である。
 皇統は、血筋で守られてきた。
 神代から続く血筋の証明がなくなった時、万世一系男系天皇制度(直系長子相続)は消滅して、日本民族日本人も消滅する。
 それは、日本が中国化した証である。
 一部の日本人は、日本国籍を嫌悪して捨て去り、日本民族の民族性を完全否定し、日本の中国化を諸手を挙げて歓迎している。 
   ・   ・   ・   
 ドイツ帝国は、対中貿易を拡大する為に、清国に最新鋭巨大戦艦定遠鎮遠の二艦を建造して売却し、アジア最強海軍の建設に協力した。
 ドイツ軍は、対日戦用に旅順要塞建設を指導してアジア地区最大の要害を築城した。
 清国は、世界的植民地帝国として、民衆から搾取した金で、キリスト教徒の武器商人から大量の武器を購入してアジア一の軍隊を育成した。
 仮想敵国日本よりも、強力な近代的装備を持った陸軍部隊を各地に駐屯させ、巨艦巨砲の戦艦を中心とした大艦隊を日本周辺に配置した。
 アジアの覇権国中国は、アジアの儒教的秩序を守る為に、欧米化を受け入れた新興国日本に対して懲罰戦争を発動した。
 中国人は、本心を隠して口には出さなかったが、日本を属国化するか、領土に編入しようとしていた。
 中国の歴史とは、他国を侵略し、他国を属国化するか、領土として消滅させた歴史である。
 中国軍に占領された民族は、皆殺しに合うか、中国人の奴隷として死ぬまで重労働させられた。
 中国は、面子にこだわり、にこやかに愛想よく相手を死滅させる謀略をめぐらす。
 朝鮮は、日本を滅ぼす為に清国(中国)の征日戦に協力した。
 日本は、経済力や軍事力において清国(中国)に劣っていた。
 絹を売り、武器を購入していた。
 小国日本は、貧困に喘いでいたが、ユダヤ人金融資本から多額の借金をして戦費を賄っていた。
 弱小国家日本が、植民地帝国清国を破り、朝鮮を植民地として、大陸侵略の野心を持っていたというのは、誇大妄想的な狂人の発想である。
 日本の戦略は、アジアに進出してくる世界手軍事大国ロシア帝国に備える事であった。
   ・   ・   ・   
 何時の時代でも、中国では人口が多い為に、中国人は自分以外の人の命は鴻毛よりも軽く見ていた。
 白人の欧米列強に対して、奴隷の如く、言われるままに、にこやかに唯唯諾諾と従った。
 同じアジア人である日本に対して、傲岸不遜に中国の「徳」常識を押し付け、中国人に有利な要求を厳命した。
中国の指示・示唆に従わなければ、面子を傷つけられたとして懲罰戦を発動した。
 中国の面子を守る為には、日本人の命など気にはしなかった。
 それが、子供であろうと、女であろうと、気にはしなかった。
 中国人は、日本人を対等な人間とは見ていなかった。
 よって、幾千万人の日本人を惨殺しても歯牙にかけなかった。
 日本と中国は、敵国であり、友好は存在しなかった。
   ・   ・   ・   
 イザベラ・バード「横浜に一日でも滞在すれば、小柄で薄着のいつも貧相な日本人とは全く違った種類の東洋人を見ずにはいられない。日本に居住する2,500人の中国人の中で、1,000人以上が横浜にいる」
 「彼は威勢のよい足取りで、すっかり自分に満足している様子をしながら街頭を歩いている。あたかも自分が支配階級に属しているかのようである」
   ・   ・   ・   
 中国人は、強大国という意識で、弱小国日本を軽蔑し見下していた。
 日本人は、東洋一の」軍事力を持つ中国を恐れていたし、その後ろにいるロシア帝国の侵略に恐怖していた。。
   ・   ・   ・   
 中華帝国の悪弊として権力者同士の反目が激しく、権力者は国益ではなく個人益を優先し、如何にして政敵を貶めるて失脚させるかの陰謀をめぐらしていた。
 清国も同様で、特に太平天国の乱鎮圧に功績を挙げた漢人高官の権力争いは酷く、国難そっちのけの権力闘争で国力は衰退していった。
 漢人高官は、支配する地域で、私財を貯め、私兵を集め、そして軍閥化した。
 その中で陸軍と海軍をもっていたのは李鴻章と左宗棠で、両者は派閥を形成して事あるごとに対立していた。
 李鴻章は、渤海黄海を根拠地として北洋軍・北洋水師を持ち、朝鮮や満州に勢力を広げていた。
 左宗棠は、上海周辺を拠点に南洋軍・南洋水師を持ち、ベトナムなどインドシナ半島に勢力を拡大していた。
 北京の清国朝廷の統治能力が弱まるや、地方は中央の命令に従わなくなり、地方の辺境は統治なき無法地帯と化した。
 都市と農村の貧富の格差が広がるや、困窮した貧困民や社会からはみ出したならず者は匪賊として各地を襲い殺戮と強奪を繰り広げた。
   ・   ・   ・    
 1884(〜85)年 清仏戦争フランス軍は、清国軍を撃退し、清国からてインドシナを植民地として奪った。
 明郷華人約30万人は、フランスの植民地経営に協力し、経済を支配して、ベトナム人(人口約650万人)を搾取して巨万の富を蓄えた。
 独立派ベトナム人は、フランスの植民地支配と明郷華人の経済支配から独立する為に、明治天皇に臣下を誓う事を引き換えに日本の軍事支援を求めた。
 日本は、清国やフランスと戦争は出来ないとして独立支援要請を拒否した。
 義侠心ある日本人有志や右翼は、ベトナム独立の為に、政府の禁止命令を無視してベトナム独立派を支援した。
   ・   ・   ・   
長崎清国海軍水兵事件
 駐日清国公使は、西洋化する小国・日本に関し、大国・清国の敵ではないと報告した。
 「日本は西洋文明の模倣に浮き身をやつして財政は困難を極め、民党は政府に反抗し、国内の結束力は著しく弱い、国力、経済力、兵力などあらゆる面から見て、清国の勝利は始めから疑う余地がない」
   ・   ・   ・   
 1886年8月1日 清国海軍・北洋艦隊の主力艦四隻が、艦艇修理の為と称して長崎港に入港した。
 目的は、日本に対する軍事的威圧であった。
 清国(中国)は、大国意識から傲慢で、小国人・日本人を馬鹿にし差別していた。
 13日 清国海軍水兵500名が命令を無視して、勝手に上陸し、市内で暴れ回った。
 商店に押し入って金品を強奪し、止める店主を殴る蹴るの暴行を加えた。
 さらに、市内で暴れ、婦女子を見つけ出すや乱暴狼藉の限りを尽くした。
 清国水兵達は、騒ぎながら丸山遊郭に押しかけ、日本人先客を押しのけて日本人遊女にのし掛かっていた。
 中国人は、日本の法律を守る意志は微塵もなかった。
 長崎県警察部は、警察隊を出動させて清国軍水兵の暴動から日本人住民を守る為に武力鎮圧した。
 市街戦によって、双方あわせて80名以上の死傷者を出した。
 14日 長崎県知事と清国領事の会談で、清国海軍は集団での水兵の上陸を禁止し、上陸を許すときは監督士官を付き添わす事を協定した。
 15日 300名の清国海軍水兵は、日本との約束を守る意思がなかった為に、協定に反して上陸した。
 清国軍水兵達は、日本人を差別し、日本人を馬鹿にし、日本人を軽蔑し、交番を襲って3名の日本人巡査に暴行を加えて1名を殺害した。
 清国海軍水兵達は、興奮して乱暴狼藉を拡大して暴れ回った。
 右翼や右派の日本人市民達は、清国海軍水兵への怒りをあらわにして殴りかかって大乱闘となった。
 暴動を止めに入った警察隊に対して、清国海軍水兵達は逆襲した。
 大乱闘の末に、双方あわせて約100名が死傷した。
 植民地帝国清国は、アジアの盟主としての面子から、弱小国日本に対して謝罪せず、アジア一の海軍力をもって日本政府に圧力を加えた。
 賠償金を払わなければ軍艦を派遣すると、恫喝した。
 日本側は、誠心誠意、事件の真相をありのままに説明した。
 中国側は、事件の真相を無視し、嘘を付き、歪曲し、恫喝し、脅迫し、威嚇した。
 海軍力の脆弱な日本は、清国の高圧的な態度に屈し、警察官は屈辱に耐え清国軍兵士の前では帯刀しない事を約束した。
 日本は、戦争を避ける為に謝罪し、多額の賠償金を払った。
 この事件により、日本は主権を持った独立国としての面目を失った。
 この事件で自信を付けた清国・中国は、面子を守る為に、日本に対してさらなる軍事的圧力をかけた。
 中国人は、他人の名誉や面目よりも自分だけの面子を重要視する。
 自分の面子の為なら、平気で他人の命を虫ケラのように奪った。
 中国人は、祖先の名誉に賭け、自分の面子を守る為に高飛車に相手を罵倒し、時には相手を皆殺しにした。
 中国人は、儒教価値観から、日本人を下等な人間、野蛮な獣として、軽蔑し、馬鹿にし、差別していた。
 事件を知った軍国主義者や国粋主義者の日本人は、清国への敵意を剥き出しにして、犠牲となった日本人の復讐を誓った。
 日本人が意固地となった為に、小国日本と植民地帝国清国・中国との戦争は不可避となった。
 欧米列強の蚕食から祖国を防衛する為にも、近代化し、軍備を強化して、植民地を増やす帝国主義化する事であった。
 そこで浮上してきたのが、日本懲罰論であった。
 清国も、いずれは日本とアジアの主導権を賭けて戦わざるを得ない事で意見が一致していた。
 イギリスなどの国際資本は、勝ち馬に乗る為に、小国日本より大国清国に投資していた。
 李鴻章は、利益で彼等から支援を引き出し、私兵の北洋艦隊と北洋軍を最強の軍隊に育てていた。
 反李鴻章派は、個の利益に為に国益を無視して、如何にして李鴻章を引き摺り降ろすかに全精力を費やしていた。
 日本にとって、朝鮮の自主独立と局外中立は最優先課題であり、台湾と琉球海上輸送路の大動脈であった。朝鮮、台湾、琉球の確保は、国家防衛戦略の要であった。
 日本が清国と戦って、負けると清国の属国となり、勝てば欧米列強が日本の取り分を減らすように干渉してくる事は、当時の政府や軍部は知っていた。
 日本と清国の戦争は、アジアの近代化を日本式国際法秩序にするか中国式儒教秩序にするかで、避けては通れない宿命であった。
 現代日本反戦平和による正しい歴史観は、面子を守ろうとした清国・中国を善とし、国家の面目と国民の安全を守ろうとした小国日本を悪とした。
 左翼・左派のマルクス主義者は、同事件は、大陸への侵略を正当化させる為に日本が仕組んだ謀略であると主張している。
   ・   ・   ・   
 石光真清「清国の艦隊が長崎港に寄港した際、掠奪、暴行の限りを尽くしても、ただただ揉み手をして歓待に努め、一日も早く出港する事を願った」
 東山満らは、清国の侵略から祖国日本を護る為に、言論の自由民権運動を放棄し、力による国粋主義運動へと方針転換した。
 此処に悪名高い、急進的右翼団体玄洋社が誕生した。
 そして、日本は、世界的犯罪国家として軍国主義国家への道を踏み出した。
   ・   ・   ・   
 清国海軍は、長崎事件で日本側が譲歩したのは弱いからだと判断して、巨大戦艦の定遠鎮遠を瀬戸内海に乗り入れて、軍事的圧力を加えた。
 アジアの大国・中国は、伝統的冊封秩序から、小国・日本を命令に盲目的に従う属国にしようと目論んでいた。
 中国に対して、強い弱いに関係なく、一歩引いて平和的に話し合おうとする事は自殺行為であった。
 力が全て、それが中国である。
 軍事力のない日本側は、巨大な軍事力を見せつける中国側の砲艦外交に屈するしかなかった。
 日本の軍国主義化は、中国の侵略から祖国を守る為に避けられない道であった。
 日本の軍国主義は、小国としての自衛手段であった。
   ・   ・   ・   
 清国は、今なら日本を侵略できると判断した。
 沈葆禎(南洋通商大臣)「中国はロシアに対抗する為にも、日本を先に侵略しようではないか」
 清国軍は、日本侵略に備えた情報収集の為に王之春を日本に潜入させ、日本侵攻の先兵とするべく日本在住の華僑2,000人以上を組織化するべく工作を行った。
 中国は、水面下で日本侵略の下準備を始めていたが、大国という意識から日本を甘く見ていた為にのんびりと進めていた。 
   ・   ・   ・   
 現代の中国が、日本の軍国主義を警戒し、軍国主義の復活を阻止しようとする事は当然の事であった。
   ・   ・   ・   
 1888年 伊藤博文首相と山県有朋参謀本部長は、朝鮮と中央アジアをめぐるイギリスとロシア帝国の戦争が、日本に波及して安全を脅かす危険を避ける為に軍備を強化する事が重要であると、明治天皇に上奏した。
 日本政府と軍部の国防戦略は、朝鮮を清国の宗属関係から切り離し、国際社会に自主独立国を認めさせて攻守同盟を結ぶ、イギリスとロシア帝国朝鮮侵略を食い止め日本の安全を守るというものであった。
 大陸膨張派は、清国とロシア帝国が戦争を起こし、清国が敗北すれば、ロシア帝国は朝鮮の領有を要求すると分析した。そして、清国内の実力者同士の陰惨な政争はその危険を増幅させていると警戒した。その危険を避けるには、朝鮮から強国清国を追放して、日本が朝鮮を支配するしかないとの結論を出した。
 朝鮮が、国際情勢を正しく認識し、欧米列強の侵略から自国を守る為に自主独立を宣言すれば、日本は朝鮮を支配し大陸に進出する必要がなかった。
 日本が国家の安全を守る為には、朝鮮をロシア帝国の植民地あるいは領土の一部にするわけには行かなかったのである。
 東京裁判でのアメリカ側検事は、日本の戦争犯罪を証明する為には、日清・日露戦争までさかのぼって日本の大陸侵略政策を究明する必要があると語った。
   ・   ・   ・   
 1890年 児玉源太郎陸軍次官は、兵站輸送の充実を図る為に軍港の建設と鉄道の敷設に力を入れ、情報通信の迅速化に取り組んでいた。
 1891年 ロシア帝国は、モスクワ・ウラジオストック間のシベリア鉄道建設に着手した。当初はバイカル湖を船で渡る計画であった所を、迂回して軌道を通す計画に変更した為に、完成は明治38年頃にずれ込んだ。
 日本は、対露戦略を国防の最重要課題としていた為に、シベリア鉄道の完成時期は最大の関心事であった。
 クロパトキン「ロシアは18、19世紀の200年間で平和は71年8ヶ月、その他の128年4ヶ月は戦争に費やし、外国との戦争は33回」(『戦争国家ロシア』)
 1893年4月(〜7月) 川上操六参謀次長は、敵前視察の為に、参謀本部員数人を連れて清国を視察し、戦えば日本軍は勝てると分析した。
   ・   ・   ・    
 日本の安全保障上最重要課題は、朝鮮に親日的政権を樹立させて大陸からの侵略を防ぐ事であった。
 大陸における脅威とは、江戸時代から、東方に領土を広めてきているロシア帝国であった。
 ロシア帝国の侵略を朝鮮半島で防ぐ、それが日本の基本戦略であった。
 日本の朝鮮経略に立ちはだかったのが、朝鮮を属国としていた清国・中国であった。
 開化派は、日本の明治維新を手本として朝鮮を近代化させるべくクーデターを起こした。 甲申政変である。
 守旧派は、夷狄の文化が朝鮮に入るのを嫌い、清国の支援を受けて開化派を追放した。
 日本は、朝鮮に於ける影響力を残す為に、朝鮮と漢城条約を結び、朝鮮への配慮から日本に亡命している開化派の残党を地方に追い遣った。
 開化派を支援したのは、日本の為に朝鮮の改革を成功させようとしていた福沢諭吉と日本の右翼勢力であった。
 日本は、ロシア帝国との戦争に備えて清国との戦争を避けるべく、日清協調路線を取り日清両国は朝鮮の共同保護国であるという建て前を維持しようとした。

 

   ・   ・   ・     

新訂 蹇蹇録―日清戦争外交秘録 (岩波文庫)

新訂 蹇蹇録―日清戦争外交秘録 (岩波文庫)