🎹32:─2─ノモンハン事件。ソ連軍の攻勢に惨敗した日本軍・関東軍。~No.210 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2019年9月28日号 週刊現代佐藤優 ビジネスパーソンの教養講座 
 名著、再び 
 田中雄一著 『ノモンハン責任なき戦い』 講談社現代新書より
 第138回 なぜ何も学ばなかったか ノモンハン事件から日本型組織の弱点がわかる
 ノモンハン事件(1939年5月11日~9月16日)は、当時の満州国とモンゴルの国境地帯で起きた地域紛争だ。日本にとっては、日露戦争(1904~05年)後、初めての本格的な近代戦争だった。日本・満州連合軍対ソ連・モンゴル連合軍の間で展開された戦闘であったが、実質的には日本軍とソ連軍の戦いだった。この戦いで日本軍は壊滅的な打撃を受けた。
 〈10日あまりの戦いで、ノモンハン事件の帰趨(きす)は決した。関東軍第23師団はその7割が損耗し、事実上、壊滅した。ソ連側の死傷者数は2万5,000人、一方、日本側は2万人。死傷者数ではソ連の被害が甚大だが、作戦目的を達成したのはソ連だった。関東軍ソ連・モンゴルの主張する国境線の外に完全に追いやられたのである。/ノモンハンを勝利に導いたジューコフは、その翌年、大将の称号を与えられた。スターリンにも謁見が許され、ジューコフは日本軍についてこう報告した。/スターリンとはこれまで会ったことがなかったので、私は強く興奮して引見にのぞんだ。(中略)スターリンはパイプたばこを吸いつけながら直ちにたずねた。/『君は日本軍をどのように評価するかね』/『われわれとハルハ川で戦った日本兵はよく訓練されている。とくに接近戦でそうです』と私は答え、さらに『彼らは戦闘に規律をもち、真剣で頑強、とくに防衛戦に強いと思います。若い指揮官たちは極めてよく訓練され、狂信的な頑強さで戦います。若い指揮官は決ったように捕虜として降らず、「腹切り」をちゅうちょしません。士官たちは、とくに古参、高級将校は訓練が弱く、積極性がなくて紋切型の行動しかできないようです(後略)』(『ジューコフ元帥回顧録』)/乏しい装備で物量に優れたソ連軍と対峙し、最善を尽くした現場の兵士たちに対し、軍の中枢を担う将校たちは己の面子を守ることに汲々として、敵の姿はおろか、自軍の姿が見えていなかった。/日本軍は己を知らず、敵を侮り、無謀な作戦を実行に移した。祖国から遠く離れた辺境の地、ノモンハンで、無数の日本兵が命を落とした。その遺骨は、いまも風雨にさらされたまま残されている〉
 兵士や下士官はよく訓練され、優秀で、現場指揮官も責任感が強いが、幹部が無責任で紋切り型の思考しか出来ないというのは、日本陸軍が官僚化してしまったからだ。1905年に日露戦争が終わってから34年間も本格的な戦争を経験していない軍隊では、文章の作成が上手で、上司の覚えが目出度(めでた)い者が出世する。また、中国大陸における戦闘でも、現場の部隊が企画し、実行した上で、評価する。失敗という評価がなされると、出世に悪影響を与える。こういう仕組みだと、評価は『成功』か『大成功』にしかならない。中国大陸における『成功』と『大成功』によって培われた誤った自画像が、無謀な対米戦争に日本が踏み切る原因になったのである。
 
 ところで、優秀だったソ連軍は、このまま戦闘を続ければ、日本軍を完全に駆逐できたにもかかわらず、1939年9月14日に突如、停戦に応じた。当時、モスクワの駐在陸軍武官をつとめていた土屋明夫の回想が興味深い。
 〈『(前略)9月の13日にモロトフ(評者注・外相)が急に呼んだんだ、東郷大使を、モロトフが。それが夜中だったの。あいつら重要な交渉する時は夜中だから、いつも。(中略)我々は大使の官邸で、大使館で待っとるんだ。朝まで帰らないんだよ(中略)』/ロシア側の軟化を知った東郷は、その日のうちにソ連側との交渉をまとめてきた。土屋も含め、豹変したソ連に不審を感じる大使館員はいなかったようだ。/『東郷いわく、やっと妥結をしたと。まあ半々と言いたいけれどもま4分6で、こっちが4分で向こうが6分優秀で妥結したと。しかしまあ妥結したんだからね。全般的に(関東軍は)冬季作戦ができていないし、戦車・航空機、そういうもの、大砲の数が非常に少ないんだよ。だからこそこれでくつろいだと。やっと安心だと。それでまあシャンパンでも抜いて、それでその日は大いにお祝いをしたんだよ。それが14日』〉。
 ノモンハン停戦から3日後の9月17日、ドイツに続いてソ連ポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まった。この戦争に備えるためにスターリンノモンハン事件終結させたかったのだが、日本はそのよなソ連の思惑に全く気付いていなかった。
 ノモンハン事件の悲劇は、戦いで敗れただけにとどまらない。捕虜になるなという日本軍の対応も太平洋戦争を先取りしていた。
 〈ノモンハンで戦った長野近松(101歳)さんは、自決用にあらかじめ上官から手榴弾を渡されていたと語る。/『捕虜になったら自決して、そのために手榴弾をポケットに取っていてね。それだけに厳しいんだよ。最初から、最初から日本軍は絶対捕虜になってはいかん自殺しろって。それで手榴弾をみんな持っている。もう自殺者は多いんです』/軍法刑法には捕虜を処罰するための法的な裏付けはない。〉。
 太平洋戦争末期のサイパン島や沖縄の戦いでは、軍人だけでなく、一般住民にも自殺が強要されるようになった。
 本書を読むとノモンハン事件の敗戦について陸軍は検証を行い、問題点を洗い出されていたことがよくわかる。ソ連軍は圧倒的な物量で日本を壊滅させるという手段を採用した。ソ連をはるかに凌ぐ経済力と技術力を持った米国と戦争することになれば、物量戦で日本が不利になることは明白だった。にもかかわず、日本は精神力によって物量を補うおとができると考え、ノモンハン事件の敗北から学習することを怠った。日本の組織文化を理解する上でも本書は役に立つ。」
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 ウィキペディア
 ノモンハン事件ノモンハンじけん)は、1939年5月から同年9月にかけて、満州国モンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した紛争のこと。1930年代に、満州国を実質的に支配していた日本(大日本帝国)と、満州国と国境を接し、モンゴルを衛星国としたソビエト連邦の間で断続的に発生した日ソ国境紛争(満蒙国境紛争)のひとつ。満州国軍とモンゴル人民軍(英語版)の衝突に端を発し、両国の後ろ盾となった大日本帝国陸軍ソビエト労農赤軍が戦闘を展開し、一連の日ソ国境紛争のなかでも最大規模の軍事衝突となった。
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 大砲撃戦
 砲弾は29,130発しか準備されておらず、日華事変の最中で弾薬の消費も激しく今後の補給のあてもなかった。この砲弾数でまともにソ連軍と撃ち合えば半日でなくなってしまう量であったが、日本軍はこれを振り分けて使うしかなかった。例えば十五糎加農砲は一日に60発しか砲弾が割り当てられなかった。砲兵団が弾薬不足にも関わらず、強気であったのは、自分の部隊の戦力を過信していたのと、ソ連軍の火砲を今までの戦場での観察をもとに合計76門と判断していたからで、数が互角なら精鋭のわが軍(日本軍)が有利と判断していたためであるが[206]、実際にソ連軍がこの地域に投入した76 mm以上の野砲は108門、中でも10 cm以上の重砲は、日本軍38門に対しソ連軍は76門だから二倍の数であった。また砲兵部隊とは別に76 mmの連隊砲70門も砲撃戦に投入されたため、重砲でも火砲全体でも日本軍の2倍の数があり、さらに砲弾数は比較にならないほど多かった。
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航空戦
 航空戦の主力となったのは日本軍は九七式戦闘機、ソ連軍はI-153とI-16であった。当初はソ連空軍に比べて日本軍操縦者(空中勤務者)の練度が圧倒的に上回っており、戦闘機の性能でも、複葉機のI-153に対しては圧倒的な優勢、I-16に対しても、一長一短はあるものの(I-16は武装と急降下速度に優れ、九七戦は運動性と最高速度に優れる)、ほぼ互角であった。また、投入した航空機の数も、当初はほぼ互角であった。そのため、第一次ノモンハン事件の空中戦は、日本軍の圧倒的な勝利となった。
 第一次と第二次を併せたソ連側損失は、日本側の発表では1,252機(戦闘機隊によるものは九七式戦闘機が1048機、九五式戦闘機が48機)~1,340機[332]。またソ連側がかつて主張していた損害は145機、後のソ連崩壊直前に訂正された数字では251機(うち非戦闘損失43機)航空兵戦死・行方不明159名、戦傷102名。一方、日本機の損害は記録によると大中破も合わせて157機(未帰還及び全損は64機、うち九七戦は51機で戦死は53名)だった。日本側の最終的な損耗率は60%で、最後には補給が追い付かず九七戦の部隊が枯渇して、旧式な複葉機の九五式戦闘機が投入されるに至った。これらの戦訓から陸軍は航空機の地上戦での有効性と損耗の激しさを知り、一定以上の数を揃える必要性を痛感した。
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動員兵力。
 日本軍 5万8,925人。火砲 70門。戦車 92輛。
 ソ連軍 6万9,101人。火砲 542門。戦車 438輛。装甲車 385輛。
 外モンゴル軍 8,575人。
 損害  | 戦死   | 負傷     | 病死   | 行方不明 |捕虜
・日本軍 |7,696人|  8,647人|2,350人|1,021人|不明
ソ連軍 |9,703人|1万5,952人|  701人|1,143人|94人
・日本側興安軍   |死傷者2,895人
ソ連外モンゴル軍|死傷者  566人
・日本軍 戦車 29輛。 航空機 約160機
ソ連軍 戦車・装甲車 397輛。 航空機 251機
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 ノモンハン事件東日本大震災・第一福島原発事故は何処か似ている。
 大地震による大津波が予想されたのに、無策として、原子力発電所での津波対策を取らず被害を拡大させた。
 その理由は、想定外の大地震と想定外の大津波と想定外の被害という「想定外」であった。
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 高学歴出身知的エリートは、失敗の責任を現場に押し付け、責任から逃れ高額の退職金と天下り先を得て円満退社していった。
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 アメリカの宇宙開発計画において、想定外の状況を予測して無駄を承知で幾通りもの対策を取り、あらゆる条件下で想定される実験を繰り返して有効性を検証し、その上で有人宇宙ロケットを打ち上げた。
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 A級戦犯東郷茂徳(朝鮮名・朴茂徳)の戦争犯罪における罪状の一つが、ソ連が問題にしたノモンハン事件処理であった。
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 第二次世界大戦を始めたのは、ナチス・ドイツヒトラーソ連スターリンである。
 スターリンは、ヒトラー同様に占領地での、反共産主義者自由民主主義者、宗教関係者等に対する大虐殺事件を命じていた。
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日本軍は、日本人を信用していなかった。
 何故なら、日本人は将棋が好きだからである。
 将棋では、敵に取られた駒は、次に瞬間、敵の駒なって攻めてきて旧主の王将を取る。
 つまり、日本人兵士は敵の捕虜になるや敵に協力する危険性があったからである。
 事実、中国共産党軍の捕虜となった日本軍兵士は、日本軍の軍事情報を聞かれる事以上の事を喜んで話し、反天皇反日に転向して共産主義革命戦士となって日本軍攻撃に参加した。
 それが、御上・領主・支配者に弱い百姓根性であった。
 その証拠が、戦後、日本人は日本を武力支配したアメリカ軍や国連軍のGHQに対する抵抗運動や解放闘争をしなかったどころか嬉々として受け入れ、公職追放に積極的に協力して同胞・仲間を犯罪者として突き出した。
 故に、日本人は信用できない。
 日本軍は、日本人を信用していなかったから軍人勅諭や戦陣訓を出し、日本人を殺人マシンにするべく非人道的鉄拳制裁のいびりにいびる新兵教育や中国人捕虜を銃剣で刺し殺す訓練を行った。
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 日本の組織は、愚かにも同じような誤りや失敗を繰り返しも反省も改善もしない、絶望に近い、救い難いほどの無策・無能である。
 日本人は、自分が理解できない歴史が嫌いである。
 同じ誤り失敗を繰り返さない為に、歴史を教訓として学ぼうという向上心がない。
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 日本の組織は、不都合な正しい情報を隠蔽して日本国民にも世界にも知らせず、改竄・捏造した偽りの情報のみを大本営発表の如く流した。
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 日本の組織では、個人の才能や実績ではなく、上司にゴマスリが上手いイエスマンだけが出世する。
 カリスマ的元経営者は、「老害」として院政をひいて組織を私物化する。
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 責任回避の為に決断せず問題を先送りし、自分の任期中はひたすら「見猿・聞か猿、言わ猿」で逃げ回ってやり過ごす。
 それが、指導的立場に立った日本の高学歴出身知的エリートの本性である。
 つまり、日本人は高度な学問を学び賢くなるに連れ無能な馬鹿になっていく。
 その傾向は、現代でも変わらないどころか、現代の方が一層際立っている。
 2011年3月の東日本大震災と第一福島原発事故と、その後の周章狼狽で事態収拾がうまくできなかった政府、官僚、企業の醜態が好例である。
 事実を伝えるはずのメディア関係者も、同様で、国民の不安と恐怖を掻き立てるだけであった。
 所詮、誰も反論・批判できない正論を言っても実際の行動が取れない、口先だけの高学歴出身知的エリートである。
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 日本人の最も悪い宿痾は、その選択・その方向は明らかに間違っていると分かっているに空気・空気圧・同調圧力に流される精神的弱さである。
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 日本人は、状況分析ができず知恵が素早く回らないだけに、褒めて、慰めて、励まして、煽ててなければ、自分では行動できないダメさが日本民族の特性である。
 つまり、日本人を一言で言い表すとすれば「愚か」である。
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 マルクス主義統制体制を目指した革新官僚・高級軍人エリートと彼らに協力した右翼・右派そして一部の保守派・メディア関係者が、日本を破滅的戦争へ暴走させ、数百万人の国民を絶望的戦場に送り込んで殺した。
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 平和への希望を持つ昭和天皇は、戦争を続ける為にウソの報告、虚偽の情報、改竄・捏造したデーターを平然と提出する傲岸不遜な高学歴出身知的エリートである革新官僚や高級軍人エリートらに不満を持ち、国の将来や国民の身の上を心配していた。
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 右翼・右派・ネットウヨクは、治療不可能に近い病的な差別主義者であり、根っからの好戦的で暴力的である。
 日本の悍ましい病巣である。
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