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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
軍国主義者日本人は、国際世論において理解されないし、誰からも同情もされない。
孤独であった。
ひとりで、戦うしかなかった。
日本人は、ひとりである。
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中国人は、ロシア人同様に、日本軍部及び日本人軍国主義者の人道的貢献を認めない。
日本人が、如何に中国人の事を思って助けても、中国人は恩義を感じず感謝の言葉も述べない。
それどころか、世にもおぞましい惨殺で返す。
日本人にとって中国人はロシア人同様に、心から打ち解け、信頼と信用に基づく友情は望めない。
もし望めるとするなら、自己犠牲的に人道的貢献をした日本軍部と日本人軍国主義者に感謝し、彼らが祀られている靖国神社を参拝するはずである。
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1938年6月11日 中国軍は、日本軍の進撃を阻止するために黄河の堤防を破壊して洪水を起こした。
水死者は100万人以上、被害者は600万人以上。
中国軍は、戦闘中を理由にして自国民を犠牲にした。
日本軍は、戦闘を中止し、筏船百数十艘を出して10万人以上の中国人被災者を救助し、乏しい兵糧を分け与えた。
中国軍は、救出活動をしている日本軍を自国民被災者と一緒に攻撃した。
6月13日 中国の各報道機関は「日本軍の暴挙」と喧伝し、各国の報道機関は中国側の報道を信用して日本を激しく非難した。
中国軍は他の堤防も破壊して、自国民の犠牲者を出した。
被災者1,250万人。死者・行方不明者は90万人以上。
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1942年 非日本軍占領地の河南省で異常気象が発生し、農産物は凶作となった。
河南省の被害は、人口の3分の1である約1,000万人が深刻な飢餓に追い込まれ、300万人以上が餓死した。
日本軍は、500万人以上を救う為に、ファシスト中国軍を排除して大量の食糧や医薬品を被災地に運び込んだ。
ファシスト中国軍や中国共産党軍などの抗日軍は、救援活動を続ける日本軍を自国民と共に攻撃した。
A級戦犯・東條英機首相兼陸相は、華北に於ける深刻な食料問題を解決する為に、極秘で中国共産党との和解に動いた。
ベディントン准将(イギリス秘密情報局)「戦線を越えて中日間で沢山の交易が行われており、殆ど戦闘は無く、それも申し合わせでそうなっており、私もすぐに何かが起きているのか納得した」
A級戦犯・重光葵外相。
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戦時国際法は、日本軍の捕虜虐待を人道に対する犯罪として裁いて有罪判決を下したが、中国軍の日本人捕虜猟奇的惨殺は正当防衛で無罪とした。
戦犯国日本には、一切の弁明が許されていない。
その証拠が、ユネスコによる南京虐殺事件歴史記録世界遺産認定である。
国際社会では、道理がなかろうが、理不尽であろうが、声が大きく相手を凹ませた者のみが正義とされている。
正当性があろうが、正しかろうが、謝った者は同情されても一切の権利は認められない。
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日本人と中国人・朝鮮人とは、正確や行動が正反対に近いように、日本の歴史は中国史・朝鮮史との接点はほとんどない。
日本人は、中国人や朝鮮人とは近づかず、親しくならないように距離を置いて生きてきた。
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2016年1月28日号 週刊新潮「偏見自在 高山正之
小皇帝切開
もう半世紀も前、羽田の記者クラブにいたころ、日航、全日空の古参機長から昔話を随分聞いた。
日航に真珠湾攻撃に参加した藤田怡与蔵(いよぞう)がいた。真珠湾の帰途、追いかけてきた米軍機を撃墜し、さらにミッドウエー海戦では来襲した米軍機を10機まとめて屠っている。
同じ日航には広東攻略攻略戦に参加した後藤安二がいた。聞いた話が凄かった。敵陣に爆撃を加えて機途中、仲間の機がエンジン不調で水田に不時着した。
間もなく間諜から彼が支那人に捕まり、木箱詰めにされたと知らされた。
彼らはペンチで歯を抜き、逃げないように手足の指を切り落として鉄格子のはまった小さな木箱に押し込める。それで町々で晒し者にする。最後に耳鼻を削いで目を抉(えぐ)り、男根を切って口に咥(くわ)えさせてから殺すのが形だった。
『木箱を移送する列車を確認して出撃した。彼の苦痛を終わらせ、安らかに死なせるためだった』
似た話を当時の全日空常務、山口登から聞いた。中華航空上海支社で飛んでいたところ、仲間が満州で不時着した。救援部隊が駆けつけたとき『彼は首まで地面に埋められ、耳の鼻も削ぎ落とされ、両目に針金が通されていた。救出して間もなく死んだ』。
因みに山口はパレンバンに『空の神兵』を運んだ。
支那人の残忍さに当時はうなされたものだが、彼らの残忍さがその程度ではないことを楊海英の『墓標なき草原』で知った。
文革期、毛沢東以下の支那人が内モンゴルを侵略し、本気でモンゴル人絶滅を図った。淘汰の手段として彼らは女性器の破壊をやった。抉り取って殺すか、二度と産めない体にする。
同書にはジュンガルの女性が犯され、女性器に棒を突き立てられた姿で『自殺した』と家族に引き渡された話や、素手で胎児を引き出す拷問も描写されている。胎児は死に、母は発狂した」
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A級戦犯・東條英機が、全陸軍に下した戦陣訓「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」は、戦時国際法に従わず捕虜を陰惨な方法でいたぶり惨殺する中国軍に捕虜になるよりも名誉ある死を選ぶようにという訓示であった。
日清戦争から中国軍と戦ってきた日本陸軍は、中国軍兵士が日本人兵士に対してだけ見せる敵愾心とその憎悪を満足させる猟奇的虐殺を肌身で感じていた。
支那通と言われた陸軍軍人は、孔子や老子など数多の賢者・聖人を輩出した中国人は本来は教養有る善人であると堅く信じ、猟奇的蛮行から目をそらし両国の親善・友好に心がけ共存共栄の道を模索していた。
だが。古代からの民族的反日感情によって、全てが見事なまでに裏切られた。
両国の間に、善意による友好は存在しなかった。
戦後の平和教育は、戦陣訓は否定し、自分ひとりでも生き残る為に、場の空気が支配した全滅を覚悟した戦友・仲間を見捨て、敵に降伏して捕虜になるべきべきであったと教えている。
個を確立して、「他人は他人、自分は自分」として自己中心に行動するべきであると。
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日本軍は、捕らえた敵軍捕虜に対して戦時国際法及びジュネーブ条約を準用して取り扱った。
ファシスト中国の抗日中国軍及び中国共産党軍は、基本的人道を謳った戦時国際法もジュネーブ条約も一切無視して、嬉々として猟奇的惨殺を繰り返していた。
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日本軍が行った非人道的戦争犯罪の数々は、ファシスト中国の抗日中国軍と中国共産党軍が行った猟奇的虐殺の手口と瓜二つである。
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癒された虜囚の魂―中国捕虜収容所で歩んだ6年間にわたる元日本軍将兵たちの世にも稀有な軌跡
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日本人は中国で何をしたか―中国人大量虐殺の記録 (1972年)
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