⛿106」─1─軍部は、国内外の空気圧力に屈して不利な軍縮条約を受け入れた。日蓮宗系右翼は暗殺テロを行った。1923年No.455No.456No.457 *    

国家神道とは何だったのか

国家神道とは何だったのか


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   ・   ・  【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】 ・   
 日本を支配していた空気は、国民輿論というポピリズムであった。
 戦前期の日本を動かしていたのは、日本国民、日本民族日本人であった。
 日本国民は、軍国主義者に騙された被害者ではなかった。
 それほど日本国民、日本民族日本人は、分別のない馬鹿でなかった。
 もし、本当の馬鹿であったら、日本は植民地となり、日本人は奴隷となり、日本民族日本人は死に絶えていた。
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 第一次世界大戦において、連合軍輸送船団護衛の為の日本海駆逐艦隊の派遣ではなく、日本陸軍主力部隊の欧州戦線派兵という本格参戦していれば、日本の運命は変わり、太平洋戦争を回避できたかもしれない。
 アメリカは、海の向こうの戦いで部外者であったにもかかわず、本格参戦して多くの犠牲者を出した事で国際政治に於ける指導者としての地位を得た。
 力が支配する国際政治に於いて、血を流して自己主張しない者には如何なる権利も求められなかった。
 イギリスもフランスもロシア帝国も、ドイツ軍の猛攻に苦戦していた為に、再三、同盟国日本政府に対して本格参戦しヨーロッパ戦線への援軍派遣を懇願していた。
 日本陸軍と知識人の多くは、近代国家日本の現在があるのはドイツ帝国の御蔭という意識が強かった為に、同盟国イギリスより敵国ドイツ帝国への親近が強く、ドイツ人から受けた多くの恩義から派兵するの事には反対であった。
 日本政府も、親ドイツ派の圧力で、連合軍側の派兵要請をヨーロッパは遠いとの理由から全て拒否した。
 ロシア帝国は、陸軍部隊の海上輸送が困難ならシベリア鉄道の使用を提案したが、日本側は断った。
 ならば、兵器が不足しているので歩兵銃数万丁の提供を求めたが、此れも日本側は拒否した。
 イギリスやフランスは、日本側の派兵拒否は中国大陸での領土拡大が目的であると邪推した。
 日本の頑なな拒否によって、国際社会での信用は失われた。
 人間社会において、困った時に助けに来ない者は友人・仲間とは見なさない大原則が存在する。
 それが、集団的自衛権であった。
 この時の日本人は、ドイツ人への心情的な親近感から同盟国の苦境を見捨てた。
 その後。国際外交で日本が窮地に追い込まれたのは、人間関係の大原則を個人的情緒で踏みにじったからである。
 2013年の現代日本に於いても、日本人は集団的自衛権問題で同じ愚行を繰り返している。
 アメリカは、国益の為に、100万人近い若者をヨーロッパ戦線に投入し、連合軍の勝利に決定的な貢献をした。
 イギリスやフランスなどの欧州国にとって日米は同じ新興国であった、日本は自国の利益しか考えないを薄情で信用できない国家と白眼視して見捨てが、アメリカは如何なる犠牲も覚悟で行動する信頼できる国と見なして重視した。
 ここに、日本の今後の運命が決定した。
 第一次世界大戦の意味する所は、総力戦や情報戦などではなく、国家として、人間として、信用できるかの踏み絵であった。
 日本陸軍は、第一次世界大戦で総力戦、物量戦、情報戦の重要性を詳しく学ぼうとしたが、軍人として守るべき信義という重要な事を忘却した。
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 1923年2月 第二回改定帝国国防方針。アメリカを第一の仮想敵国とし、中国をめぐる経済問題とアメリカの人種偏見問題が戦争の原因となると分析した。
 先の大戦による総力戦を考えた場合。天然資源の無い日本が資源大国アメリカと戦うには、陸軍が中国の敵軍隊を駆逐して大陸の資源を抑えて原材料供給地とし、海軍が海上輸送路を確保して南方から物資を輸送する、という戦略であった。
 つまり、南進策である。
 満州とシベリアは土地は広大でも軍需資源は乏しく、軍事的に開発するには時間がかかり役には立たないと分析した。
 軍部は、乏しい国力と制限された軍事力を考慮して、戦略的価値もない広大な不毛の大地を無駄に占領するより、持てる力をピンポイント的に集中して重要資源のある狭い地域の確保を優先した。
 四分五裂の内戦状態にある中国で、欧米列強の侵略に対抗して共同防衛できる強力な親日政権が樹立する様に経済的軍事的干渉を強めた。
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 1924年 アメリカは、日本人移民を排除する為の新移民法を可決した。表面的には日本との友好を望んでいると表明していたが、本音は反日であった。
 アメリカ軍は、極秘戦略カラー戦争計画を策定し、その内の対日戦争計画であるオレンジ計画を正式に採用して、さらなる日本の海軍力の削減を要求した。
 対日戦略の主目的は、アメリカ資本が中国市場を独占する為に妨害となる日本の軍事力を粉砕し、日本資本を中国から完全に駆逐する事であった。
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 1925年 日本は、アメリカを中心とした海からの包囲網に対抗する為に、近寄ってはいけない共産主義国ソ連に接近して日ソ基本条約を締結した。 
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 1927年6月 ジュネーヴ海軍軍縮会議は失敗した。アメリカとイギリスが激しく対立して、交渉は決裂した。
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 1928年8月 パリで、侵略戦争を放棄する不戦条約が成立した。
 アメリカのケロッグ国務長官は、「自衛戦争かどうかは、それを発動する国が決める事である」との、自主裁量権を保留条項として付けた。
 侵略戦争自衛戦争は、軍事行動を発動する当事国が定めるとされた。
 翌年。ソ連は、自衛権を宣言して満州を侵略した。
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 海軍軍縮会議で、激しき対立していたのはアメリカとイギリスであった。
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 1930年4月 ロンドン海軍軍縮条約。イギリスは、中国利権を守るべく、日本軍の軍事力を削ぐ為にアメリカに協力した。
 日本政府は、国家財政を立て直す為に軍縮条約を受け入れた。
 野党は、憲法違反であるとして、国会で「統帥権干犯」を理由にして政府を激しく攻撃した。
 海軍の強硬派は、国粋派政治家の協力を得て軍縮条約は、国防を危うくするとして批判した。
 日本の軍国化は、軍人ではなく政治家によって始められた。
 軍人は、当初は憲法に従って政治不介入を守っていたが、右翼的政治家や狂信的仏教徒に担がれて政治に介入していった。
 日本代表団は、会議を成功させる為に、アメリカの求めに応じて補助艦保有量を対米英69.75%まで譲歩して、実質7割を勝ち取った。
 日本政府は、立憲政友会、海軍軍令部、右翼らの反猛対を押し切って条約を批准した。
 日本は、米英両国とユダヤ系国際金融資本との信頼関係こそが生きる道であるとして、国際協調外交を貫いていた。
 11月 浜口雄幸首相は、軍縮に反対する右翼団体の青年に狙撃された。
 翌年8月 右翼のテロで、浜口は死亡した。
 これ以降、日本は右翼・右派によって絶望的戦争に暴走して行った。
 昭和天皇は、大元帥として、国際平和の為に軍縮条約に賛成して裁可した。
 国家元首たる昭和天皇の願いは、戦争ではなく平和であった為に、日本の将来を国際協調に賭けていた。
 軍人は人気のない職業となり、女性は軍人との結婚を嫌った。軍人を希望する青少年も、激減した。
 この結果、軍需産業の低迷で科学技術の発展や工業生産の効率化が疎外され、陸海軍の装備は他国に比べて機械化が遅れ、列強諸国の軍隊はもちろん中国軍の装備に比べても立ち後れた。
 太平洋戦争における、日本軍の装備の劣勢は、アメリカに強要された軍縮が原因であった。
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 1931年 日本の最大動員兵数は約450万人で、予備兵74万人、後備兵88万人、とされていた。
 中国は、法の秩序がない不法地帯として犯罪が多発していた。
 良識ある国際人は、中国の隣国で軍事力を持つ軍国日本の軍事介入で、中国に法の秩序の回復を望んでいた。
 9月 満州事変。国際社会は、日本を侵略国家であると非難し、昭和天皇の戦争責任を糾弾した。
 国際法は、日本の自衛権を認めていないし、自国民の生命財産を守ろうとした正当防衛も認めていない。
 日本軍が相手にしたのは、抗日中国を金融・石油・軍事など多方面で支援しする反日派の諸外国であった。
 反日的諸外国の金融・経済と軍事を支配していたのが、ユダヤ人系国際金融資本であった。
 ユダヤ人は、三国同盟以前から反天皇反日的であり、日本をアジア市場から完全排除しようとしていた。
 アメリカ、イギリス、ナチス・ドイツなどの諸外国は、不況下に苦しむ自国の軍需産業を活性化する為に、中国軍への軍事支援を行っていた。
 蒋介石が率いる抗日中国軍は、欧米の死の商人から最新式の武器を大量に買い込んでいた。蒋介石は、反共産主義者ではなく、もちろん親日でもなかった。本心は、反日であった。
 故に、日本軍を殲滅するために、ソ連の軍事支援を受け入れ、スターリンソ連軍の対日戦参戦を切望していた。
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 1932年2月 親ユダヤ派の井上準之助前蔵相が、過激な日蓮宗右翼団体員に暗殺された。
 昭和天皇は、日本の存続とアジアの平和の為に、ユダヤ人国際資本家との友好関係を切望し、国際的反ユダヤ主義を嫌っていた。
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 1935年1月 第二次ロンドン軍縮会議は決裂し、日本は会議脱退を通告した。世界は軍縮無条約時代にし、各国は軍拡競争に突入した。
 日本海軍の戦力を一個艦隊とするなら。アメリカ海軍は三個艦隊以上に相当し、イギリス海軍は二個艦隊である。
 日本は、何時の時代でも世界平和の名目で軍縮を強要された。
 日本と戦う中国軍は、際限のない軍拡が認められていた。
 事実。
 欧米列強の死の商人は、大量の武器弾薬を抗日中国軍に売却していた。
 欧米政府も、中国に多額の融資を行っていた。
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──────  陸軍  ‥ 海軍
・1936年… 40万人‥10万7,000人 
・1937年… 50万人‥13万4,000人 
・1938年…100万人‥15万9,000人 
・1939年…144万人‥18万人 
・1940年…150万人‥22万3,000人 
・1941年…210万人‥31万1,000人 
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☆諸外国の軍事力(1937年当時)
・イギリス ‥ 19万人
 インドなどの植民地軍は、100万人以上。
 英連邦のオーストラリア、カナダ、南アフリカなどの各政府には、独自の軍隊を持っていた。
・フランス ‥ 69万人 
  植民地軍は不明。
・ドイツ  ‥ 52万人 
・イタリア ‥ 34万人 

 

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