🎵18:─1─清国(中国)の軍事的脅威。日本の死の恐怖。1888年。~No.37No.38 * 


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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博・   

 儒教圏に於ける天下とは、龍の紋章を持ち黄金の服を着る中華皇帝の天下であって、菊の紋章を持ち紫の服を着る日本天皇の天下ではない。
 鳳凰の模様を持つ事を許され赤い服を着る朝鮮国王は、中国皇帝の大臣以下の臣下として、独自の天下を持っていなかった。 
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 中華帝国は、儒教による華夷秩序を世界に広める為に周辺諸国を侵略し、隷属国として従わなければ根絶やしにしてきた。
 中国の歴史は、侵略戦争による虐殺史である。
 朝鮮は、中華帝国の臣下として朝貢冊封を受け入れた。
 日本は、万世一系男系天皇制度(直系長子相続)を理由にして自主独立を守り通した。
 万世一系男系天皇制度(直系長子相続)は、日本民族の存続の大本である。
 皇統は、血筋で守られてきた。
 神代から続く血筋の証明がなくなった時、万世一系男系天皇制度(直系長子相続)は消滅して、日本民族日本人も消滅する。
 それは、日本が中国化した証である。
 一部の日本人は、日本国籍を嫌悪して捨て去り、日本民族の民族性を完全否定し、日本の中国化を諸手を挙げて歓迎している。 
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 1888年 伊藤博文首相と山県有朋参謀本部長は、朝鮮と中央アジアをめぐるイギリスとロシア帝国の戦争が、日本に波及して安全を脅かす危険を避ける為に軍備を強化する事が重要であると、明治天皇に上奏した。
 日本政府と軍部の国防戦略は、朝鮮を清国の宗属関係から切り離し、国際社会に自主独立国を認めさせて攻守同盟を結ぶ、イギリスとロシア帝国朝鮮侵略を食い止め日本の安全を守るというものであった。
 大陸膨張派は、清国とロシア帝国が戦争を起こし、清国が敗北すれば、ロシア帝国は朝鮮の領有を要求すると分析した。そして、清国内の実力者同士の陰惨な政争はその危険を増幅させていると警戒した。その危険を避けるには、朝鮮から強国清国を追放して、日本が朝鮮を支配するしかないとの結論を出した。
 朝鮮が、国際情勢を正しく認識し、欧米列強の侵略から自国を守る為に自主独立を宣言すれば、日本は朝鮮を支配し大陸に進出する必要がなかった。
 日本が国家の安全を守る為には、朝鮮をロシア帝国の植民地あるいは領土の一部にするわけには行かなかったのである。
 東京裁判でのアメリカ側検事は、日本の戦争犯罪を証明する為には、日清・日露戦争までさかのぼって日本の大陸侵略政策を究明する必要があると語った。
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 1890年 児玉源太郎陸軍次官は、兵站輸送の充実を図る為に軍港の建設と鉄道の敷設に力を入れ、情報通信の迅速化に取り組んでいた。
 1891年 ロシア帝国は、モスクワ・ウラジオストック間のシベリア鉄道建設に着手した。当初はバイカル湖を船で渡る計画であった所を、迂回して軌道を通す計画に変更した為に、完成は明治38年頃にずれ込んだ。
 日本は、対露戦略を国防の最重要課題としていた為に、シベリア鉄道の完成時期は最大の関心事であった。
 クロパトキン「ロシアは18、19世紀の200年間で平和は71年8ヶ月、その他の128年4ヶ月は戦争に費やし、外国との戦争は33回」(『戦争国家ロシア』)
 1893年4月(〜7月) 川上操六参謀次長は、敵前視察の為に、参謀本部員数人を連れて清国を視察し、戦えば日本軍は勝てると分析した。
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 日本の安全保障上最重要課題は、朝鮮に親日的政権を樹立させて大陸からの侵略を防ぐ事であった。
 大陸における脅威とは、江戸時代から、東方に領土を広めてきているロシア帝国であった。
 ロシア帝国の侵略を朝鮮半島で防ぐ、それが日本の基本戦略であった。
 日本の朝鮮経略に立ちはだかったのが、朝鮮を属国としていた清国・中国であった。
 開化派は、日本の明治維新を手本として朝鮮を近代化させるべくクーデターを起こした。 甲申政変である。
 守旧派は、夷狄の文化が朝鮮に入るのを嫌い、清国の支援を受けて開化派を追放した。
 日本は、朝鮮に於ける影響力を残す為に、朝鮮と漢城条約を結び、朝鮮への配慮から日本に亡命している開化派の残党を地方に追い遣った。
 開化派を支援したのは、日本の為に朝鮮の改革を成功させようとしていた福沢諭吉と日本の右翼勢力であった。
 日本は、ロシア帝国との戦争に備えて清国との戦争を避けるべく、日清協調路線を取り日清両国は朝鮮の共同保護国であるという建て前を維持しようとした。

 

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