☂04:─2─日本が原爆投下実験前に降伏できなかった訳。スターリンの陰謀。〜No.14No.15No.16 

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 トルーマン大統領は、日本に対する2発の原爆投下実験を優先し、日本の降伏はその後にする事を決定した。
 原爆は、プルトニウム型原爆とウラン型原爆の2種類だけであった。
 3種類目の水爆はまだ研究されていなかった。
 つまり、日本への原爆投下実験は2つだけで充分であった。
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 天皇、特に昭和天皇には戦争責任も戦争犯罪もない。
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 昭和天皇と軍部は、人類史的な歴史に残る偉業としての人道貢献を幾つも行っていた。
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 昭和天皇は、平和主義者として、本心は戦争には不同意であったし、戦争中は早くて停戦する事を望み、政府や軍部に知れないように側近を通じて吉田茂らと講和交渉に向けて行動を起こしていた。
 政府と軍部は、ソ連を通じて停戦・終戦交渉を行う事を決定した。
 ワシントンのグルーら知日派は、宮中や親米英派が講和に動いているという情報を得ていた。
 スイスでは、日本の外務・陸軍・海軍の密使達が、アメリカのOSSを通じてアメリカと早期停戦交渉を行っていた。 
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 ヒロシマナガサキ原爆投下は、実戦における爆破実験と人体実験であった。
 白人から見れば、日本人は実験に使用するモルモットに過ぎなかった。
 そもそもが、日本を降伏させる為の原爆投下は必要がなかった。
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 産経新聞iRONNA「「日本を降伏させるな」米機密文書が暴いたスターリンの陰謀
 『江崎道朗』 2018/08/15
 江崎道朗(評論家)
 「ヴェノナ(VENONA)文書」という存在をご存じだろうか。その文書の公開によって現在、世界各国では、第二次世界大戦と日米開戦の歴史が大きく見直されつつある。
 「国民の知る権利」を重んじる民主主義国家では、一定の期間が経過すると、国家の機密文書も原則として公開される。実は「民主主義国家」を自称するアメリカも情報公開を進めており、1995年に「ヴェノナ文書」を公開した。
 これは、1940年から44年にかけて、アメリカにいるソ連のスパイとソ連本国との暗号電文をアメリカ陸軍が密かに傍受し、43年から80年までの長期にわたってアメリカ国家安全保障局(NSA)がイギリス情報部と連携して解読した「ヴェノナ作戦」に関わる文書のことだ。
 第二次世界大戦当初、フィンランドを侵略したソ連は、「侵略国家」として国際連盟から除名された。ところが、ドイツがソ連を攻撃した41年以降、「敵の敵は味方」ということでアメリカのルーズベルト民主党政権やイギリスのチャーチル政権は、スターリン率いるソ連と組むようになった。こうした流れの中でソ連に警戒心を抱いたのが、アメリカ陸軍情報部特別局のカーター・クラーク大佐だ。
 クラーク大佐は43年2月、特別局の下にあった通信諜報部(後のNSA)に、アメリカとソ連本国との暗号電文を傍受・解読する作戦を指示する。ヴェノナ作戦と名付けられたこの暗号傍受作戦は44年、ホワイトハウスから中止を命じられたが、彼らはその後も密かに作戦を続行し、驚くべき事実を突き止める。ルーズベルト大統領の側近たちに、ソ連工作員と思しき人たちがいたのだ。
 だが、ソ連アメリカの同盟国であり、ルーズベルト大統領の名誉を傷つけるわけにはいかない。アメリカのインテリジェンス(諜報)能力をソ連に知られるのも得策ではない。こうした政治的思惑から、この情報は長らく国家機密として非公開にされてきた。
 そして95年、第二次世界大戦が終わって50年が経ち、当時の関係者の大半が鬼籍に入った。ソ連という国も崩壊した。そこでようやく、このヴェノナ文書が公開されたのだ。この情報公開に際してアメリ連邦議会下院の中に設置された「政府の機密守秘に関するモイニハン委員会」は97年、「最終報告書」でこう指摘している。

「顕著な共産主義者の共同謀議がワシントン、ニューヨーク、ハリウッドで実施されていた。(中略)ヴェノナのメッセージは、確実に事実の偉大な貯蔵物を提供し、歴史の隙間を埋める事態を至らしめるであろう。」
 
 要するにアメリ連邦議会として、戦前から戦時中に「顕著な共産主義者の共同謀議がワシントン、ニューヨーク、ハリウッドで実施されていた」ことを認めたわけだ。歴史物が大好きな『NHKスペシャル』がなぜこのヴェノナ文書に飛びつかないのか、本当に不思議だ。
 しかも、ルーズベルト民主党政権下のアメリカでソ連工作員たちが暗躍し、アメリカの対外政策に大きな影響を与えていたこと、特に日米開戦とソ連の対日参戦、そして日本の終戦に深く関係していることが、このヴェノナ文書の公開とその研究の進展によって判明しつつあるのだ。
 例えば、アメリカを代表する保守派の言論人であるM・スタントン・エヴァンズが、「ヴェノナ文書」研究の第一人者であるハーバート・ロマースタインと共著で『Stalin's Secret Agents: The Subversion of Roosevelt's Government(スターリンの秘密工作員ルーズベルト政権の破壊活動)』(Threshold Editions 2012 未邦訳)を発刊しているが、ここで実に重要なことを指摘している。
 日本もアメリカの軍幹部も早期終戦を望んでいたにもかかわらず、終戦が遅れたのは、対日参戦を望むソ連が、在米の工作員たちを使って早期終戦を妨害したからだ、というのだ。
 45年2月、ヤルタ会談において、ルーズベルト大統領は、ソ連の対日参戦の見返りとしてソ連による極東の支配をスターリンに約束する。しかし、ヤルタ会談での密約は所詮、紙切れに過ぎない。スターリンからすれば密約を確実に実現するためには、なんとしても対日参戦に踏み切り、軍隊を侵攻させ、満洲や千島列島などを軍事占領する必要があった。
 ヤルタ会談当時のソ連ヒトラー率いるドイツと血みどろの戦いを繰り広げており、ドイツ占領下の東欧に軍事侵攻して東欧をソ連支配下に置くことを優先させていた。戦力に限りがあったソ連としては独ソ戦を片付け、東欧諸国を軍事占領したあとでなければ、極東地域に軍隊を送り、満洲や日本に侵攻することはできなかった。よって日本が早期に降伏してしまったら、ソ連は対日参戦ができなくなり、アジアを支配下に置くチャンスを失ってしまう。
 『スターリンの秘密工作員』の著者、エヴァンズはこう指摘している。
スターリンの立場からすれば、ソ連が太平洋戦線に参戦し、軍隊を東に移動し、戦後のアジアに関する要求を確実にできるような軍備拡張をする時間を稼ぐため、日本の降伏を遅らせることが不可欠だった。この点において、完全な亡国に至らずに済むような何らかのアメリカとの和平案をスターリンが日本の同盟国として仲介してくれるのではないかと信じた─あるいは望んだ─日本は、スターリンの術中に陥っていたのである。(中略)また、アメリカの特定集団がアジアで「過酷な」和平を要求し続けたことも、日本の降伏を遅らせるのに役立った。(詳細は拙著『日本は誰と戦ったのか』KKベストセラーズ参照)」
 この「特定集団」とは、トルーマン政権に近い民間シンクタンク「太平洋問題調査会」のことだが、ヴェノナ文書によって、この研究員の多くがソ連工作員であったことが判明している。
 「ソ連の対日参戦を実現するまで日本を降伏させるな」。ソ連スターリンのこうした意向を受けた終戦引き延ばし工作が、日本に対してだけでなく、アメリカのルーズベルト、そしてトルーマン政権に対して行われていた。その工作の結果、ソ連の対日参戦が実現し、中国や北朝鮮という共産主義国家が誕生してしまった。
 こうした視点がヴェノナ文書の公開以降、アメリカにおいて浮上していることを知っておいていいはずだ。新たに公開された機密文書を踏まえず、アメリカでの歴史見直しの動向も無視したまま、戦前の日本「だけ」が悪かったと言い募るような、視野狭窄(きょうさく)はもうやめようではないか。」 
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 陰険で悍ましい共産主義
 嘘を並べたてる共産主義者
 反天皇反日的日本人の多数派が共産主義者マルクス主義者)である。
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 当時の政府や軍部には、原爆投下される前に降伏したかったのに拒絶され続けていた以上、原爆投下された事に対して罪はないが、政治・外交・軍事各方面でリーダーシップを発揮するトップとしての責任がある。
 昭和天皇には、トップの上に立つカリスマを持ったリーダーとしての道義的責任がある。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、日本人をアフリカ人同様に奴隷として売って金を稼いでいた。
 日本人の命は、家畜や獣、モルモットのように、好きなだけ自由に買える手軽な命であった。
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 2019年8月9日09:55 産経新聞北方領土開発「特別な手段」考案を 露首相が関係省庁に指示 
 2日、択捉島の空港を訪れるロシアのメドベージェフ首相(タス=共同)
 【モスクワ=小野田雄一】ロシアのメドベージェフ首相は、極東・北極圏発展省や北方領土を事実上管轄する極東サハリン州などに対し、クリール諸島(北方領土と千島列島の露側呼称)の経済を活性化させるための「特別な手段」を9月2日までに考案し、提出するよう指示した。ロシア政府が8日、発表した。
 メドベージェフ氏の今回の指示には、ロシアによる北方領土の実効支配を強化する狙いがあるとみられる。日本政府はロシアによる北方領土開発に抗議しており、平和条約締結交渉を進める日露間の新たな懸念材料になる可能性がある。
 メドベージェフ氏は今月2日、北方領土の択(えと)捉(ろふ)島を訪問し、新たな住居建設などを指示。直前にサハリン州ユジノサハリンスクで出席した会議では、リマレンコ州知事代行から提案された北方領土などへの企業誘致を促進するための減税案について「興味深い」と述べ、北方領土開発を進める意欲を示していた。
 9月8日に予定される同州知事選ではリマレンコ氏の苦戦が予想されており、露国内では、メドベージェフ氏の今回の指示や北方領土訪問は選挙対策の一環だとの見方も出ている。
 ロシアは北方領土の実効支配を強める政策を進めており、今年2月にはサハリン(樺太)と北方領土を結ぶ光ファイバーの敷設事業を完了させた。また、5月には2017年に色丹(しこたん)島などに設置した経済特区の拡大を決定。北方領土での軍備増強や軍事演習も相次いで実施している。」
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 8月9日21:40 産経新聞「五輪サイトの北方4島表記批判 ロシア、対日攻勢強める
 北海道・根室半島納沙布岬(左下)沖に広がる北方領土歯舞群島(中央)、色丹島(右上)、国後島(左奥)。はるか右奥にうっすらと択捉島が見える(共同通信社機から)
 国営ロシア通信は9日、2020年東京五輪の公式サイトに北方領土が日本領土として示されていると批判する記事を東京発で報じた。同通信はまた、南クリール地区(国後島色丹島歯舞群島を含む)の地区長がこの問題で日本を批判したことを伝える記事を配信した。
 日露平和条約交渉の進展を目指す日本政府がロシアに対し抑制的な姿勢を維持しているのにつけ込む形で、ロシア側はメドベージェフ首相が択捉島を訪問するなど日本を刺激する行動を強化。今回の報道もその一環とみられる。
 ロシア通信が問題視したのは、東京五輪パラリンピック組織委員会のサイトに示された五輪聖火リレーのルートを示した日本地図。北方領土が日本の一部として示されている。
 ロシア通信によると、南クリール地区のウラセンコ地区長は「日本の不当な行為」を批判し「島々はロシアのものだ」と主張。「4年に1度のスポーツの祭典に政治が介入している」と嘆いた。(共同)」
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 日本の対外戦争は、領土拡大の帝国主義侵略戦争ではなく、露西亜帝国、ソ連コミンテルン共産主義勢力から天皇と母国を一ヵ国で孤独に守る為の防衛戦争であった。
 日本軍は、戦場の武器を持って攻撃してくる敵、それが女性だろうが子供だろうが戦って殺したが、武器を持たない者は助け、戦場以外では非人道的犯罪行為をしなかった。
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 ソ連コミンテルン共産主義勢力、中国・中国共産党は、戦争犯罪として、日本人に対する非人道の猟奇的虐殺行為を繰り返していた。
 日本人であれば、女性や子供に関係なく見付けしだい虐殺した。
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 現代の日本人は、架空の時代劇は好きだが、事実の歴史は嫌いである。
 その証拠が、開国・幕末・近代化の発端を、清国の阿片戦争に置いている事である。
 事実は、田沼意次の時代まで遡る。
 アメリカのペリー黒船艦隊ではなく、ロシアのレザノフが命じたロシア軍艦の北方領土4島における海賊行動である。
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 吉田松陰尊王攘夷派・勤皇派は、南のイギリスや東のアメリカではなく、北から侵略してくるロシアに備える暴走していった。
 孤立した日本にとって最大の懸案が、西の清国(中国)と朝鮮が、ロシアに味方して日本を侵略してくるか、日本に味方してロシアの侵略を阻止・撃退するかであった。
 尊王攘夷派・勤皇派は、朝鮮が古代・中世に幾度も日本を侵略し虐殺・略奪・拉致した事実を知っていただけに、朝鮮人を信用せず、朝鮮人はロシアに味方して日本を攻めてくると確信していた。
 事実、朝鮮は、日本と戦う清国(中国)・ロシア・アメリカ・キリスト教会・共産主義勢力に味方し協力した。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、日本人をアフリカ人同様に奴隷として売って大金を稼いでいた。
 奴隷にされた日本には、「目には目を歯には歯を」の同害報復に基づき、世界に対して報復権・復讐権がある。
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 日米戦争と軍国日本崩壊は、天皇制度打倒と日本共産主義化を目指したレーニンの陰謀とスターリンの策謀であった。
 その手先が、中国共産党日本共産党であった。
 共産主義マルクス主義)は、人道主義・平和主義ではなく戦争主義・帝国主義であった。
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 日本軍部が戦った相手は、天皇制度を打倒し、皇室を廃絶使しようとした共産主義勢力だった。
 日本民族日本人は、先祖代々、2000年近く受け継いできた伝統的天皇制度(国體)を守るべく、世界を相手に一人孤独に死闘を繰り返していた。
 世界は、その戦いを戦争犯罪と断罪した。
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🏁18¦─1─大阪府警は、凶暴化した在日中国人半グレ集団の勢力拡大を警戒している。〜No.122No.123No.124 * 

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 人口激減する日本で、中国人移民が増えれば、チャイ・ナタウンの数が全国で増え規模が広がり、中国人犯罪者も増える。
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 中国人犯罪者が急増するのは、中国人の性格・気性というよりも、中国共産党が積極的に推進した反日教育反日宣伝の成果である。
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 2018年2月1日 産経ニュース「【衝撃事件の核心】在日中国人の「半グレ」が暗躍…組織的な暴力行為、大阪府警「勢力拡大を警戒」
 中国出身の会社経営者を拉致し現金を脅し取ったとして、在日中国人で構成するグループが、大阪府警に摘発された。逮捕された主犯格の男は中国から帰化し、在日同胞のトラブル処理を生業(なりわい)にしていたという。捜査関係者によると、グループは暴力団には属していないが、粗暴な行為を繰り返す、いわゆる「半グレ」とみられる。こうした組織は他にも存在する可能性があり、捜査関係者は「在留外国人の経済活動の活発化に伴い、勢力がさらに拡大する恐れもある」と警戒を強める。
 高級車で急襲
 「女性が車で拉致されたようだ」。目撃者の男性からの通報が事件の端緒となった。
 一昨年の12月末の夕方、大阪市城東区の駐車場。貿易会社を営む中国籍の40代女性が車を止めて降りたところを、6人組の男が急襲した。男らは乗ってきたトヨタ・クラウンの座席に女性を押し込め、さらにベンツ、BMWに分乗して走り去った。
 男らは車内で女性の顔を殴ったうえ、「息子の命はないぞ」と脅迫。市内のコンビニまで連れて行き、店内のATM(現金自動預払機)で現金10万円を引き出させたうえで、女性を解放した。
 男らはさっそくこの金で飲食し、滞在先の宿泊費などで使い切ったという。
 トラブル処理屋
 この事件で、ベンツに乗って犯行を主導したのが飲食店員の男(50)=逮捕監禁致傷罪などで起訴=だった。
 捜査関係者によると、男は中国残留孤児の母親を持ち、平成19年に日本に帰化。元妻が経営する市内の串揚げ店を拠点に、在日中国人の若者を率いて、同胞の金銭トラブルの解決などを請け負っていた。
 今回の事件は、被害女性と金銭トラブルになった在日中国人の会社経営の男性が28年9月に「女性から約1400万円を取り返してほしい」と男に依頼したのが発端。男は手付金など計約150万円で仕事に取りかかった。
 男は、手下として使っている愛知県内の20〜23歳の中国籍の男6人に招集をかけた。男らは大半が無職。主犯格の男は自らの過去の“武勇伝”を誇示し、服従を強いていたという。
 依頼を受けた男は同年10月、手下に命じて女性宅の玄関扉に、ペンキで「金を返せ」と落書きさせた。
 一方で自身は中国・上海まで行き、女性の両親に対して「金を払わなければ娘を廃人にしてやる」と脅したうえ、計約370万円を奪った。
 男はこの現金を依頼者に一切渡さず、ベンツの購入費用に充てた。そして女性拉致事件の際、この車で現場に乗り付けていた。
 大阪府警国際捜査課によると、男のグループは今回の事件以外にも、中国人ホステスが勤務する大阪・ミナミのスナックで物を壊すなどしていた。
 同課は昨年8月に女性拉致事件で男を逮捕、同12月までに手下の中国人ら6人も摘発した。
 捜査幹部は「グループと暴力団の関係は判然としないが、組織的に暴力行為を繰り返していた。在日中国人による半グレ集団とみられる」と語る。
 外国人半グレ多数存在?
 「半分グレている」の略語で、暴力団組織に属さない不良集団の「半グレ」。日本で外国人の経済活動が活発化する中、水面下で不良行為を重ねる中国人グループは他にもいるようだ。
 たとえば、関東を拠点とする半グレ「怒羅権(ドラゴン)」。元暴力団関係者は「怒羅権は中国残留孤児の2、3世らで組織され、似た境遇同士の強いつながりと、警察当局に反発する凶悪さで知られていた」と話す。
 大阪府警の捜査関係者は「ミナミの飲食店を牛耳る不良集団もいると聞くが、実態はつかめていない。同じようなグループの情報は多数あり、今回の事件は氷山の一角にすぎないだろう」とした。
 経営者増加の裏側で…
 中国人半グレ組織の存在は、日本国内で外国人の経済活動が活発になった裏面ともいえる。
 法務省によると、国内で事業を起こす場合に取得する「経営・管理」の在留資格で日本に滞在していた外国人は2万1877人(28年末現在)に上り、前年度末から実に20%以上も増加した。国別では中国が1万1229人で最多で、2位は韓国の3039人だった。
 こうした経営者の存在は国内需要の拡大や雇用促進といった好影響の反面、外国人経営者による事業所が不法滞在者の受け皿になるなどマイナス面もある。
 大阪市西成区のあいりん地区では中国人の女性が接客する「カラオケ居酒屋」が近年急増。大阪府警は28年、留学の資格で入国しながら、カラオケ居酒屋で長時間働いていた中国人の女らを摘発している。捜査関係者は「人件費を安く抑えるため、不法滞在者を雇う業者もいる」と指摘した。
 西成のカラオケ居酒屋をめぐっては、中国人女性経営者の会社設立登記を無資格で代行したとして、大阪入国管理局元次長の行政書士の男が1月24日、大阪府警司法書士法違反(無資格業務)で逮捕される事件にも発展した。男は他にも複数の中国人の会社設立登記を行っていたとみられ、府警が実態解明を進めている。」

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🏁17¦─4─日本国内における傍若無人の中国人の振る舞いによる騒動。〜No.119No.120No.121 * 

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 中国共産党が制定した中国国歌とは、日本天皇を滅ぼし、日本軍を全滅させ、日本人を殺そうという、抗日戦の勝利を歌う軍歌である。
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 如何に非常識な日本人あっても、戦争中に流行ったアメリカを討ち滅ぼそうという勇ましい歌を間違ってもアメリカでは歌わない。
 そうした最低限の常識は勿論、マナーや礼儀はわきまえている。
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 2018年1月26日 産経ニュース「成田空港で航空会社職員に暴行・傷害の中国人逮捕
 千葉県警成田空港署は25日、航空会社職員2人を突き飛ばしたとして、暴行と傷害の疑いで、中国籍で自称会社経営、●(=龍の下に共)禹睿容疑者(34)を逮捕した。調べに対し、容疑を一部否認しているという。
 逮捕容疑は、25日午前3時ごろ、成田空港第3旅客ターミナルの搭乗ゲートへ向かうバスの待合所で、制限区域に立ち入ろうとしたところ、制止しようとした航空会社の男女の職員2人を突き飛ばし、女性職員(36)には左足捻挫の軽傷を負わせたとしている。
 同署によると、●(=龍の下に共)容疑者は前日の24日午後10時15分発の上海行きの飛行機に搭乗予定だったが、到着地の悪天候で欠航。待合所で一夜を明かし、翌日の振り替え便を待っていたという。」
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 2018年1月30日 産経ニュース「成田空港で中国国歌歌い抗議 職員に暴行し中国人男逮捕…同行者が騒ぐ
 成田空港で職員に暴行した中国人男が連行される際にもみ合う他の中国人と警察官(ユーチューブから)
 成田空港で25日、航空会社職員2人を突き飛ばしたとして中国人旅行客の男(34)が暴行と傷害の疑いで逮捕される事件があり、多数の中国人が中国国歌を歌うなどして抗議する騒ぎになった。
 千葉県警成田空港署によると、男の逮捕容疑は25日午前3時ごろ、成田空港第3旅客ターミナルの搭乗ゲートへ向かうバスの待合所で、制限区域に立ち入ろうとしたところ、制止しようとした航空会社の男女の職員2人を突き飛ばし、女性職員(36)に左足捻挫の軽傷を負わせたとしている。
 男は前日の24日午後10時15分発の上海行きの格安航空会社(LCC)ジェットスター機に搭乗予定だったが、到着地の悪天候で欠航。待合所で一夜を明かし、翌日の振り替え便を待っていたという。
 中国メディアの報道や動画投稿サイトに投稿された映像によると、ジェットスター側の対応に不満を持った中国人乗客たちが騒ぎ始めた。
 成田空港で職員に暴行した中国人男が連行される際にもみ合う他の中国人と警察官(ユーチューブから)
 職員に暴行した男を警察官連行しようとすると、他の中国人が、阻止しようとしたり、「われらが血肉で築こう新たな長城を!」「中華民族に迫り来る最大の危機」「一人一人が最後の雄叫びを上げるときだ」「立て! 立て! 立て!「敵の砲火をついて進め! 進め! 進め! 進め!」などと中国国歌を歌って抗議した。
 中国人旅行客をめぐっては平成28年12月にも、大雪による欠航が相次いだ北海道・新千歳空港で大勢が騒ぎ、女性スタッフが押し倒される騒ぎがあった。
 ▼新千歳空港で中国人乗客ら大騒ぎ 大雪で搭乗便の欠航に怒り TV・地元紙が報道
 ▼【新千歳空港騒動】空港女性職員転倒、中国人女性2人救急搬送 中国人客ら100人超騒ぐ 大雪欠航に立腹
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🎺09:─2─平和主義者昭和天皇のアメリカ大統領への親書。〜No.48No.49No.50No.51 ⑦

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 世界の常識では、昭和天皇には戦争責任があり、ヒトラー同様の戦争犯罪者であると認定している。
 日本の歴史教科書はおろか諸外国の歴史教科書においてもそういう記述があり、子供達にそう教えられている。
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 アメリカ世論や国際世論は、昭和天皇戦争犯罪として裁き、死刑などの極刑を求めた。
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 原武史昭和天皇は太平洋戦争に反対ではなく、勝てると真剣に考えていた。というより、母親である貞明皇后の影響もあり、しだいに『祈れば勝てる』と信じ込むようになっていったと思います。
 降伏を決断する際には、神器の確保に言及したように、国民に対する責任より皇祖皇宗(アマテラスや歴代天皇)に対する責任のほうが重要だったのではないでしょうか」(『昭和天皇』)
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 武士・サムライや庶民(百姓や町人)は、喧嘩をしても、戦っても、絶対に勝てない相手が強者で実力者であっても、相手が売ってきた喧嘩・戦いであれば「降り掛かった火の粉は払いのける」の「死ぬ事を覚悟」して受けて立った。
 喧嘩をする以上、戦う以上、国力(軍事力・経済力等)の絶対揺るがない彼我の差を意識から省き、敢闘精神で勝利のみを考え負ける事を思い悩まず、「肉を斬らして骨を斬る」的戦法で、合理的現実的科学的論理的情緒的などの根拠を一切合切を無視し、起死回生で最後には絶対に勝利する。
 日本民族日本人は、四の五の愚にも付かない事をうじうじと思い悩みを嫌い、潔く、清々しく、竹を縦に割ったように思考し行動する事を好んだ。
 そして、ひ弱な相手・弱者ではなく強者・強敵に正々堂々と戦いを挑む喧嘩をする事こそ「男の本懐」であると信仰した。
 「強きを挫き、弱きを助ける」
 弱い者(非力者・女性・子供・老人など)を虐めて泣かす事は「男の恥」であるとして、最も嫌った。
 日本民族日本人は、戦う相手が勝てない強敵で有れば有るほど逆に勇気が湧き奮い立った。
 戦前の日本人は、アメリカやイギリスと戦争しても勝てない事は知っていたが、それ故に、勝てると信じて戦った。
 その点に於いて、現代日本人と昔の日本人とは別人のような日本人である。
 昭和天皇も同様に、アメリカと戦争はしたくなかったが、政府と軍部そして戦争を決断したからにはそれに従い、日本の勝利を皇祖皇宗と歴代天皇に祈った。
 現代の日本には、武士・サムライはおろか庶民(百姓や町人)さえもいない。
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 司馬遼太郎「(日本という国はそもそも)戦争というものをやろうとしてもできっこない」
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 アメリカ軍は、日本軍と戦って、「勝てなければ戦わない」「負けるなら戦わない」「殺されたくないから降伏する」という、キリスト教的人命重視の世界の常識が日本民族日本人に通用しない事に恐れ戦いた。
 アメリカは、世界の平和の為に命を軽視する日本の常識を粉砕し抹消するべきだと決断した。
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 靖国神社護国神社は、日本民族日本人の志を見える化した象徴である。
 靖国神社の精神とは、「負けない」という闘志で生ききる事で、苦しく辛くとも悲壮感はない。
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 戦前の日本は、平和の為に戦争を回避したチェコスロバキアのような自主的国家消滅の決断を拒否した。
 チェコスロバキアは、自国民の生命財産を守る為にユダヤ系国民を犠牲にした。
 自分を犠牲にするか、他人を犠牲にするか、である。
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 キリスト教朝鮮人テロリストと日本人共産主義者テロリストは、昭和天皇と皇族を殺す為につけ狙っていた。
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 天皇・皇族・皇室を命を賭けて守った熱狂的狂信的尊皇派・勤皇派は、天皇の菊の御威光を信奉する、下級武士、貧しい庶民(百姓や町人)、身分低き芸能の民(歌舞伎役者・曲芸師・傀儡師など)、差別された賤民(非人や穢多など)、軽蔑された部落民(山の民・川の民・海の民)達であった。
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 2019年6月23日号 サンデー毎日「新たな議論はここから始まる!
 皇室とホワイトハウス 見えざる絆
 新資料で蘇る日米開戦 親電事件の真相
 新天皇の即位と令和の始まりに際して、現代史研究の第一人者が天皇制の歴史と未来を新たに論じる集中連載。最終回は、日本軍の真珠湾攻撃前夜、ルーズベルト大統領が昭和天皇に送った親電が軍部に10時間半止められた事件を振り返り、皇室外交が裏切られた過去から、現在を照らす。
 新天皇論  保阪正康
 皇室とホワイトハウスの緊密な関係を裏づける電文のやり取りが、一研究者の手で明らかになった。このことについてはこれまでこのシリーズでも触れてきたが、電文の内容については、今後、研究者のグリーン誠子氏が発見した資料の開示が待たれるところだが、この事実によって近現代史の不透明な部分に光が当たるのではないかと思われる。
 そこでこの電文のやり取りが明治の終わりごろ、つまり明治天皇ホワイトハウスの間ですでに始まっていることに改めて驚かされる。そして大正天皇昭和天皇の時代になっても続いていることがわかる。とはいえ昭和天皇の時代には、昭和の初めの頃までの電文があるにしても、その後は判然としない。いまだ発見されていないのかもしれない。極秘に両者の間で私的な交流が行われていたのかもしれない。
 私は近現代の日本史に関心を持つのだが、さあいあたり次のような史実にこの緊密な関係を持ち込んで検証してみたいと思う。わかりやすく箇条書きにいておこう。
 (1) 皇室とホワイトハウスの関係は、日露戦争後に始まったと推測される。
 (2) 大正天皇の親身溢(あ)れる電報はアメリカへの信頼に端を発している。
 (3) 昭和天皇が若くして摂政の地位に就いた事情はホワイトハウスに伝えられていた。
 (4) 満州事変での昭和天皇の立場をホワイトハウスは正確に知っている。
 (5) 太平洋戦争の開始直前、終戦時の天皇の発言にアメリカからの伝言があったのかもしれない。
 (6) 戦後、天皇を免責にするマッカーサー方針はアメリカ政府の総意だった節もある。
 このほかにもいくつかの不明点があるにしても、いずれ電文の内容が明らかになれば、史実の解釈は大きく変わることにもなりかねない。私自身はさしあたりこの6条件は検証に値すると考えている。
 『国體護持には自信がある』
 あるいは次のような史実にも新事実が示されるかもしれないと感も受ける。
 昭和20(1945)年8月14日、宮中では9日に続いての2回目の御前会議が開かれている。ポツダム宣言を受諾するか否かの最終会議である。しかし本土決戦に固執する強硬派の阿南惟幾陸相梅津美治郎参謀総長豊田副武軍令部総長は譲らない。議論が白熱していく中で、天皇は、『阿南、わかった。(国體護持には)私は自信がある』と制している。理由は示していない。
 天皇があえて『私は自信がある』と言ったのは、どのような根拠に基づいてるのか、これまでもあれこれ推測はされていたが、しかし確かな根拠は示されていない。私は宮中には独自の伏せられたルートがあり、そのルートで天皇の元に情報が入っていたのではないかと考えてきた。そのルートとは、たとえば駐日大使のグルーなどが軸になって日本側に伝わってきたのではないかといった説も想定される。
 宮中とホワイトハウスの関係が、お互いに高度の情報を知らせあうことで信頼しあう状況になっていれば、昭和という時代の歪(ひず)みはある程度ただせたはずだが、そうはならなかったところに悲劇があった。しかし戦争末期になって、アメリカ側から高度の情報が伝わってくることはあり得たと思われる。天皇は『私は自信がある』との言は、実はその回路が復活してきたと考えたのである。
 そしてもう一点である。昭和天皇は、9月27日にマッカーサーとの初の会見を行っている。天皇は緊張している。35分近くの会見を終えて、宮内省に帰ってきた。正面玄関に車をつけ、省舎でひと休みしてから吹上御所まで別の車で向かうことになった。そのとき陪席したのが、侍従の岡部長章であった。この車は陪乗者が進行方向と逆向きに座ることになる。岡部の目には、天皇がひどく疲れているように見えた。岡部は声をかけている。天皇はじっと考え込むポーズのままだったからだ。
 『いかがでございましたか。アメリカ人は案外率直なところがあると存じますが』
 これに対し天皇はただひとこと『ええ・・・』と答えたというのだ。岡部の印象では、天皇は自らの気持ちの全てをありのままに、マッカーサーに打ち明けたと思うと証言していたのが印象的であった。こうした証言を聞くと、天皇マッカーサーの会見ではもっと深い内容が話されていたのかもしれない。前述の5点、つまり皇室とホワイトハウスのやり取りの中でかわされていた電文により、これまでの史実に新たな解釈が必要になるとの見方についてもう少し説明を加えていきたい。
 (1)についていえば、明治38年10月16日に、明治天皇は『平和克復の勅語』を発している。日露戦争が終わり、平和が甦(よみがえ)ることを考え喜ぶ内容なのだが、後半部分でアメリカ大統領に感謝する内容が並ぶ。次のような一節がある。
 『亜米利加合衆国大統領の人道を尊び、平和を重んずるに出でて、日露両国政府に勧告するに、講和の事を以てするや、朕は深く其の好意を諒とし、大統領の忠言を容れ、其の事に当たらしむ(以下略)』
 アメリカ大統領の好意に丁重な表現で応じている。国民にもそのことを打ち明けている。この時を機に、アメリカ人への関心が国内でも高まっていたのであろう。
 天皇家の人間関係を調べていた米国
 皇室とホワイトハウスのつながりが強まっていくきっかけがこのときであった。大正天皇の体の具合が悪く、大正10年11月に皇太子が摂政宮に就くことは、皇太子裕仁の名と大正天皇の嘉仁の名によってホワイトハウスに伝えられている。文面は大正天皇が書いた文面になっていて、皇太子が書く文章としては確かにおかしい。しかし摂政というのは、実はそのようなおかしな文章にならざるを得ないということかもしれない。アメリカ側がどのように受け止めたのか反響はわからない。
 しかし天皇という制度は、終身在位、男系、男性天皇ということは理解し、どのような時に国力が強まり、どのような時に弱まるのか、そのような分析は行っていたのであろう。したがってアメリカ世論の日本を見る目は、三つに分かれていったことがわかる。一つは、天皇とその周辺の人脈で見る。この勢力はアメリカとの十分の協力者なのである。もう一つ、軍事集団とその追随者を見ていて、このグループは常に戦争勢力と見ている。大正天皇に同情を寄せているアメリカの政治勢力は、この軍事集団をもっとも警戒していたことがわかる。大正12年9月1日の関東大震災アメリカはもっとも素早く支援態勢をとった。国際社会に支援を呼びかけたのもアメリカの各種団体だった。横浜に支援物資が次々と届いた。ところが日本社会で震災後に中国人、朝鮮人などの虐殺事件が報道されていくにつれ、支援物資は滞っていった。日本社会の主導権が軍事に握られていくのを知ったからだった。
 あえて三つ目として、庶民の姿が考えられる。日本社会はまだ市民的権利が保障されている社会ではない。それだけにこの国がどの方向に向かうかは、庶民が天皇リベラリズムをどの程度理解するかどうかと考えられていた。そのことをもっとも敏感に感じ取っていたのではないかと思われる。大正天皇昭憲皇太后の死なども丁寧に報告していたのである。
 ホワイトハウスが、日本の天皇家の人間関係を詳細に調べていたのは、主に日本社会の三つの勢力がどのような形で結びつくのかに強い関心を持っていたのと、もう一つはこの国が将来、敵国になる可能性を案じていたからであろう。明治40年の『帝国国防方針』では日本海軍がアメリカを仮想敵国としていることにも関係があっただろう。無論仮想的とは単なる敵ではなく、軍事力を一定の規模で維持するために必要としているものと表面上は理解していたに違いない。しかし当の日本海軍が暴走するのか否かは、アメリカにとって確認しておかなければならない点だったのであろう。
 昭和7年に駐日大使として着任したグルーは、アメリカの外交官としてベテランの一人で、太平洋戦争の開始後に、交換船で帰国した。彼は膨大な日記をつけていて、戦時下の1944年に日本社会を正確に理解するためにとアメリカで刊行している。その『序言』の中で、グルーは次のように書いている。
 『ここ数年来、われわれは日本の軍閥と軍機関の、純然たる陰険と狡猾と野獣性と冷笑的な不誠実との、累積的実例を見せられて来た。私の本には日本の軍国的心理と気質の中世紀的性格の新しい証明が示してある』
 日本の軍事主導体制を心底から憎んでいる。その半面で次のようにも書いている。
 『然しこの本は、もし私が、戦争を欲せず、合衆国、英国その他の連合国家を攻撃することが如何に愚劣であるかを知り、軍国主義的極端分子が力の及ぶ限り向こうみずな、自殺的な侵略に突進するのを、阻止しようとした多くの人々が現に日本にいることを、深く読者の心に感知させ得ないとしたら、その目的の一つを遂げなけいことになる』
 なんともわかりにくい表現を用いているのが、前述の天皇やその側近たちのリベラリズムを指しているのである。つまりグルーは、日本での10年余に及ぶ外交官生活は、皇室とホワイトハウスの作ってきた回路を見守るというのが大きな役目だったといってもいいのではないかと、私は思える。
 グルーの日記を読んでいくと、その動きは天皇周辺の反軍部の人たちへの共鳴に満ちていることが明瞭になる。このことを前提に太平洋戦争の開戦時、そして終戦時の動きを見ていく必要がある。
 軍部によって裏切られた皇室外交
 グルーの置かれた状況や天皇の立場をもっとも象徴するのは、日本軍の真珠湾攻撃前夜のルーズベルト大統領の親書事件である。このメッセージは何を意味したのだろうか。検証すべき点は多い。これまでは、ルーズベルト大統領の平和を望む意思を歴史上に刻印したというように受け止められてきた。陸軍の参謀たちが意図的に10時間半遅らせてアメリカ大使館に届けたことも、妨害工作として語られてきた。
 このような見方は半分は当たっているかに思えるが、しかし重要なことはルーズベルト大統領があえて天皇にメッセージを送るということは、もっと別な意味もあったのかもしれない。その考えを披瀝しておきたい。
 ルーズベルトのメッセージが発せられたのは、ワシントン時間12月6日の午後9時であつた。日本時間では、7日午前11時である。ホワイトハウスは実際に親書を打つ前に記者発表しているから、アメリカの通信社の報道は7日午前7時に始まっている。日本でもその時間には知られている。
 『昭和天皇独白録』によると、このニュースを聞き、電報を待っていた。しかしなかなか来ない。『私はこの親書に答へ度いと思ったが』と言っている。しかし東郷重徳外相が電報を持ってきたのは、8日午前3時であった。真珠湾攻撃が始まる30分前だった。この段階では意味がないという東郷外相の助言で、返電はやめることにしたというのだ。
 実は親電は7日正午には日本の電信局に着いていたのだ。それなのにグルーが親電を受けとったのは7日午後10時半ごろである。グルーは慌てて東郷に、天皇への拝謁を申し出ている。しかし東郷と東条英機首相は断っている。陸軍の参謀たちの謀略によって天皇ホワイトハウスの緊密な関係は見事に切断されたのである。天皇も東郷外相も、そしてルーズベルトもグルーも、意図的に参謀たちが10時間半遅らせたという史実を、明治からの天皇たちの努力は全て水泡に帰したのであった。
 近現代の皇室の悲劇である」
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 現代日本人は、昔の日本人に比べて英語を話せても、世界の歴史はもちろん世界の情勢を理解する能力が低く、時々刻々と変化する国際状況に対する適応力や対応力も脆弱である。
 その傾向は、戦後生まれで、戦後平和教育を受け高得点を出して認められ・褒められた頭脳優秀な高学歴出身知的エリートに特に強い。
 現代日本人は承認願望が人一倍に強い。
 その根拠は、国民意識として女性天皇女系天皇擁立と女系宮家創設の賛成が多数派である事である。
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 政府と軍部は、憲法の定めに従い政治・軍事・外交の国政決定の場から昭和天皇を遠ざけていた。
 天皇には、統治権統帥権という国家元首大元帥の大権を持っていたが、国政や外交の決定権や軍隊の指揮命令権は持っていなかった。
 天皇とは、カリスマを持ったリーダーであって、リーダーシップを発揮するトップではない。
 大日本国憲法の隠された意図は、天皇の暴走を抑える為に「君権の制限」と「臣民の権限保護」にあった。
 国家の大権と政治・外交・軍事の決定権を分離したのは、憲法を起草者した伊藤博文である。
 伊藤博文は、最下層の小作人の子である。
 山県有朋は、武士ではなく足軽出身であった。
 武士でもなく庶民でもない中間身分の伊藤博文山県有朋らは、近代化を理解できない古臭い価値観に固執するだけの無能無策な武士を嫌い、忠誠心の欠片も持たない傲慢で強欲な庶民を信用しなかった。
 明治新政府と新設軍部の中枢を占めた元勲・元老・重臣らは低い身分出身であっただけに、天皇を警戒し、国民を信用していなかった。
 その証拠が、軍人勅諭教育勅語であった。
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 日米戦争は、日本が決断する前にアメリカとイギリスが合意していた為に、日本が如何なる譲歩をしても避ける事ができなかった。
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 皇室外交は、憲法に定められた国家外交でもなければ公的外交でもなく私的行為である為に、違憲行為が知られないように政府の外交に関係なく極秘に行われていた。
 当然、国民にも知らされる事がなかった。
 皇室特に昭和天皇が求めたのは平和で、できる限り戦争を回避する事であった。
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 戦争を求めたのは、メディアに踊らされた国民であった。
 国民は「戦争を行う為に暴走した軍部や軍国主義者に欺された被害者である」、とは真っ赤な嘘である。
 軍部や政府に戦争を強要したのは、国民である。
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 アメリカのアジア戦略は、アラスカ経由の北太平洋航路とハワイ・琉球・上海経由の中央太平洋航路の確保であった。
 その為に、アメリカは、ロシアからアラスカを購入し、独立国のハワイ王国琉球王国保護国化・属領化・領土化に動いた。
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 セオドア・ルーズベルト大統領は、太平洋を支配する為には日本との戦争は避けられないとして、琉球と台湾が日本領となった以上はフィリピン、グアムの植民地化とパナマ運河の完成を急いだ。
 もし、琉球がハワイ同様にアメリカ領(準州)に編入され、琉球人がハワイ人同様にアメリカ人になっていれば、日本とアメリカとの戦争は永久に起きなかった。
 アメリカは、日本との戦争の為に軍艦の建造を急いだ。
 アメリカは、モンロー主義で海軍力を増強してこなかっただけに、世界最強と謳われバルチック艦隊を数日の海戦で撃滅した日本海軍の力を恐れた。
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 人種差別主義者・白人至上主義者のアメリカ人にとって、アヒリカ人も、インディアンなどネイティブアメリカンも、ハワイ人も、日本民族日本人も、人間以下の獣・家畜に過ぎなかった。
 アメリカ人は、日本人を映画「猿の惑星」で描かれた凶暴凶悪な猿、つまり蔑むべき「イエロー・モンキー」と確信していた。
 日本人の中には、見下した「イエロー・モンキー」という蔑称を喜ぶ日本人が存在する。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、日本人をアフリカ人同様に奴隷として売って金儲けしていた。
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 明治天皇以来の皇室伝統として、アメリカでの排日運動の盛り上がりに憂慮し、アメリカ国民の日本人への悪感情を鎮め差別を緩め、日米の友好を維持するべく、ホワイト・ハウス、アメリカ大統領への親書を送り続けていた。
 特に、親英派で平和主義者の昭和天皇の親書が数多く残されている。
 アメリカの親日派知日派は少数派で政治的影響力が弱く力はなかった。
 昭和天皇は、頼るべき知人・友人が少なかったが、彼らの支援を期待し、日本の心証をよくする為に親書を送り続けていた。
 だが、アメリカにおける多数派として政治的影響力を持っていたのは、親ソ連派・親中国派などの反日派であった。
 反日派以上の嫌悪日本派は、フランクリン・ルーズベルト大統領とスチムソン陸軍長官などの保守派やアメリカ・ユダヤ人などの金融財界人達であった。
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 ルーズベルト大統領とチャーチル首相は、日本との戦争を決断し、日本軍がワシントン時間7日午後1時以降にアジアの何処かを攻撃する事を日本側の外交用暗号電報を傍受し解読して知っていた。
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 アメリカは、日本占領政策・日本大改造政策の為に昭和天皇を政治利用したが、将来、日本を共和国にする為に天皇制度を廃絶し、天皇家・皇室を消滅させる仕掛を施していた。
 それが、日本国憲法皇室典範皇室経済法・11宮家の皇籍剥奪などである。
 再武装再軍備反対の護憲派や反米親ソ親中国派などの反天皇反日的日本人は、アメリカの置き土産であった。
 アメリカ国民は、西洋の王族や日本の天皇などの世襲制専制君主を嫌い、自由と民主主義、大衆の幸福の為には廃止すべきだと確信していた。
 日本占領政策や日本大改造政策は、GHQ内のユダヤマルクス主義者と日本人共産主義者が「虎の威を借る狐」のようにマッカーサーの威を借りて行った事である。
 天皇制度・皇室の消滅と日本国の崩壊を首の皮一枚で何とか救ったのは、グルーら知日派であった。
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 日本を戦争に追い込んだ革新官僚や軍人エリート官僚は、戦後、日本共産党日本社会党などの反天皇反日的革新党に入党した。
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 ハワイ王家は、アメリカの侵略から祖国を守る為に日本に救いを求め、天皇家・皇室との姻戚を申し込んだ。
 日本は、アメリカとの対立を避ける為にハワイの申し出を断り、アメリカのハワイ侵略から目を逸らして助けなかった。
 明治31(1898)年 アメリカは、ハワイ王家を消滅させてハワイ共和国を合併した。
 神聖な使命として、ハワイ民族の痕跡を抹消するべく民族差別政策を徹底的し、日本人やフィリピン人らの移民を奨励してハワイ人を少数派に追いやり、公用語を英語に、宗教をキリスト教にした。
 その異民族・異文化・異宗教消滅政策は、インディアンなどネイティブ・アメリカン封じ込めに成功した方策であった。
 東郷平八郎は、貪欲・強欲なアメリカが次に狙うのは日本ではないかと警戒した。
 日本海軍は、日露戦争後の主敵をアメリカとして対米戦略と軍艦建造を進めた。
 日米戦争は、この時から避けられない宿命となった。
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🏁17¦─3─中国人みよる公園でのゴミ投げ捨て。中国人と日本人とのトラブル増加。~No.116No.117No.118 * 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 
   ・   ・    {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 中国人の道徳心には、日本のマナーは通用しない。
   ・   ・   ・   
 2017年6月26日 msnニュース「信じられない!中国人が公園にゴミ投げ捨て? 中国では当惑の声も
 日本を訪れる中国人が近年増えているが、訪日しているのは旅行客だけではない。日本で暮らす中国人も近年は増加傾向にある。台湾メディアのettodayは24日、日本人ネットユーザーがTwitterに、中国人の住民が増えた埼玉県内の公営団地の付近の公園が中国人が投げ捨てたゴミくずだらけになったと呟いたことを紹介した。
 記事は、日本人ネットユーザーのTwitterへの書き込みの内容として、「中国人の住民が増えた公営団地の付近にある公園は、中国人がゴミをその辺に投げ捨てて帰るため、ゴミくずだらけになった」、「中国人はそこら中に大小便をする」などと紹介した。
 さらに、日本人ネットユーザーが掲載した写真も紹介し、「公園内はどこもゴミだらけで、日本の清潔なイメージとは正反対の状況」と伝え、このTwitterへの書き込みに対して、日本では中国人に対する批判の声が高まったと報じている。
 一方、中国メディアの今日頭条はettodayの報道を引用し、中国向けに報じたところ、中国人ネットユーザーからは「国外にいる中国人は現地の法律を守っているはずだ!中国人を故意に貶めようとする書き込みではないか」と、あまりの惨状に簡単には信じられないといった意見や、「日本は非常に清潔な国なのだから、日本を訪れる中国人は気をつけなければならない」といったコメントが寄せられた。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)
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🎻17:─3─GHQ内のマルクス主義者による外国特派員協会と日本国内に存在する幾つかの反天皇反日的報道機関。〜No.67No.68No.69 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 朝日だけじゃない「反日地方紙」の正体
 首都圏や近畿圏を除けば、その地域で圧倒的な存在感を誇る地方紙というものが存在します。県内の政官財界に多大な影響力を持ち、その地域の人々にとっては、まさにゆりかごから墓場までお世話になる新聞なのです。それほど影響力のある紙面がまさに「反日一色」というのはなぜでしょうか?
国政になると突然「反日
 3年ほど前に、弊社で『反日地方紙の正体』(日下公人・責任編集)という本を出しました。増刷を繰り返すなど、保守層を中心にかなり話題になったのですが、「沖縄タイムス」「琉球新報」の“二大巨頭”をはじめ、その紙面はますます過激になるばかりです。
 ご存知の方も多いかもしれませんが、首都圏や近畿圏などを除けば、その地域で圧倒的な存在感を誇る地方紙というものが存在します。県内のシェア80%近くといった県紙も珍しくないばかりか、県内の政官財界に多大な影響力を持ち、県内の大きなイベントなどには必ず名を連ねます。さらに、亡くなった方や生まれたばかりのあかちゃん、高校や大学の合格者氏名まで掲載することで、その地域の人々にとっては、まさにゆりかごから墓場までお世話になる新聞なのです。
 これは「地域密着」という点で、非難するべきものではないのですが、問題は、それほど影響力のある紙面がまさに反日一色という場合が非常に多いのです。地元県政などには「完全与党」であるにもかかわらず、なぜか国政になると突然「反日」になってしまうのです。
 この理由について、本書では、大部分の地方紙が共同通信から記事の配信を受けていること、中には、社説まで、その主張を丸写ししていること、地方の記者がいまだ左翼史観にこりかたまって思考停止していることなどを実例に基づいて解説していますが、最近になって、これは編集レベルだけの話ではないと思えるような出来事がありました。
 詳細は省きますが、ある地方紙から弊社の書籍広告の掲載を拒否されたのです。この本ではなく別の本なのですが、なんと「朝日新聞批判の部分を削ってほしい」というのです。さらに別の書籍の時も、違う地方紙から「韓国を批判する本は載せたくない」とのクレームを頂きました。もちろん、相当なやりとりがあった上で、こちらもそのような新聞への掲載は拒否したのですが、担当者もその上司も、何が問題なのかまったくわかっていない様子でした。これはあくまで想像ですが、おそらく普段は地元企業などに対して「広告を載せてやっている」という態度なのでしょう。広告の内容についても、だれに対して何に気を使っているのか全く話が噛み合いませんでした。
 もちろん、まっとうな地方紙もたくさんあると思います。ただ、地元の大企業然として「井の中の蛙」になり、言論の中身については、朝日の記事や共同の配信を有難がって思考停止しているだけでは、新聞界全体のためにもならないと思います。本書を責任編集していただいた日下先生が担当した論文にこんな下りがあります。
 ≪(地方の)知事は東京からお金を取ってくることを誇るのではなく、自らの足で郷土をつくる気概を持つべきだし、地方のメディアも中央のメディアに依るのではなく、独自に報道、評論活動をすべきである。ある地方紙の幹部にこう話したところ、幹部は「我々は県庁の主を決めることができる」と見当違いの誇りを語った。また別の地方紙の局長は「県庁に行けば下にも置かない扱いを受ける。県紙に何と書かれるかで彼らの出世も決まる」と昂然と言った。≫(皆川豪志)
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 産経新聞iRONNA「関連テーマ 朝日新聞が日本を嫌いな理由
 「日本はあの戦争で酷いことした」「日本は悪い国だ」と喧伝し続けてきた朝日新聞。彼ら好みの言葉で言えば、それは巨大メディアが日本人に対して大々的に行ってきたヘイトスピーチではなかったか。慰安婦報道に携わった記者は、背筋が寒くなるような日本憎悪も吐露している。 
 稲垣 武(元「週刊朝日」副編集長)/本郷美則(元朝日新聞研修所長)/聞き手 石川瑞穂(元産経新聞論説委員
 朝日は戦後左翼社会の鏡だった
 稲垣 いつも言っているのだが、朝日新聞戦後民主主義の守護神であることを自任しているわけです。その戦後民主主義がもたらした歪みはどこからどう来たのか。それはそっくり朝日の論調に反映されているといっていいと思うのです。マスコミとは社会の鏡だという言い方がされます。しかし、戦後民主主義が左翼に牛耳られ、歪められてきたことを考えると、朝日新聞とは日本のいわゆる左翼社会の鏡でもある。左翼と朝日は互いに影響し合って動いているともいえる。
 では、互いに共鳴しあう左翼とは何だろうか。容共ではあっても、必ずしも共産党ではないのです。共産党のようにがっちりと構築された理論を持っているわけではない。むしろ、ムードに基づくもので、その方が格好いいと考えるモードと言っても良い。つまり一種の心情左翼的なところがあるね。
 本郷 朝日が最初に左翼的なカラーを明確に出すのは終戦直後です。昭和20年10月、朝日社内では十月革命と言っているのですが、要するにそれまで地下に隠れていた聴涛克己氏(のち日本共産党中央委員)や、後年、「私はマルキストだった」と自著で告白した森恭三氏(のち論説主幹)らが素顔で表に出てきて、理論武装を支えた。
 稲垣 渡邉誠毅氏(のち社長)もそうだよね。
 本郷 彼は、たしか横浜事件で辞めた。
 稲垣 いや会社を辞めたのに、戦後復帰したんですよ。
 本郷 田中慎次郎氏も復職してくる。のちに出版局長として『朝日ジャーナル』を創刊した人物です。
 稲垣 彼はゾルゲ事件連座したんですよね。
 本郷 そう。彼はゾルゲ事件のときに政経部長だった。不思議にもゾルゲ事件で起訴されてはいないが、大阪経済部の出身ですよね。田中氏は広岡知男氏や森恭三氏と一緒に大阪経済部の出身でした。大阪編集局というのは、権力中枢の東京から遠く、戦前からいささか反体制的な雰囲気があったようです。
 昭和11年に、当時の東証で朝日記者が絡んだ不祥事が起こり、東京の経済部改革が迫られたときに、大阪から田中氏が広岡氏やらを率いて東京へ転じているのです。そのころの東京本社には、尾崎秀実もいました。彼は、その後、社を辞めて満鉄で働いているときに、ゾルゲ事件を起こすわけですが、尾崎に「御前会議」の最高機密「南進」を耳打ちしたのが、部下から情報を仕入れた田中でした。
 そういう人たちが戦争中は社内に潜んでおり、終戦を機に一斉に表に出てきた。GHQの公職追放令は21年だったが、その前年、朝日は独自に当時の編集幹部や村山家、上野家の当主たちを追い出して、21年春に重役を公選するわけです。これは組合が選挙して選ぶということです。社長には、まだ編集局次長だった長谷部忠氏が就任するわけですが、一種の組合管理に近い形になった。
 これが、朝日に赤い旗が立った最初だと思う。だけど、重要なことは、こうした流れの底流は、戦前からあったということですよ。そして占領政策を推し進めたGHQにも革新派がいて、これと呼応して朝日の左傾路線が始まったというわけです。
 稲垣 革新派とは当時の民政局や社会教育畑に多かったみたいですね。
 本郷 そう。中にはニューディール政策を進めた連中もいたわけですよ。
 稲垣 ニューディール派でもニューディール左派だから。
 本郷 アメリカで夢が叶わなかった連中といっていい。
 稲垣 もともと彼らは容共的社会主義者なんだよ。共産党とそう変わらない。共産主義というとアメリカ国民には生理的な嫌悪感があるでしょう。だから「リベラル」などとごまかして、それでいろんな政府機関に潜りこんだわけで、なかでも相当に過激な連中が日本へなだれ込んできた。マッカーサー司令部の社会教育畑に潜りこんでいたわけです。
 本郷 それでこの連中は、日本の民主化に新聞を使おうと目論んだ。戦争中に抑圧された連中を表に出し、新聞を先兵にして、日本のいわゆる民主化を進めていくわけです。読売は読売で激しい争議があった。あれは鈴木東民氏に率いられたけど、鈴木自身も戦争中は朝日の在欧通信員です。
 ところが世界情勢は劇的に変わっていく。昭和21年3月には、早くもチャーチルが「鉄のカーテン演説」をし、中共蒋介石をどんどん負かしていく。さらに朝鮮戦争が兆す。そうすると、米国はガラッと占領政策を変えるわけです。それまで戦前戦中の指導者を公職追放で斥けていたのに、一転してレッドパージに乗り出す。その際、教育界の次に狙ったのが新聞業界だった。
 追放者が最も多かったのはNHKの119人、次いで朝日の104人だった。手法としては、職場内の密告を推し進めた。長谷部社長は苦汁を飲まされ、GHQに「やらないと朝日新聞を潰す」とまで強要されるわけです。彼が最も懸命に守ったのは笠信太郎氏(論説主幹)だったと言われています。
 いったん表舞台に現れて、労組を母体に花形となった広岡氏、田中氏、森氏といった連中も、ここで本来の職場に戻されてしまう。そして、公職追放令が解除され上野精一氏も村山長挙氏も社に復帰してくる。もっとも、二人とも社主家の二代目で「よきにはからえ」の体質は否めなかった。
 稲垣 正力氏(松太郎・読売社長・第一次岸改造内閣科学技術庁長官)のような指導力がなかったんだよなあ。
 本郷 もともと長挙さんは、子爵をもらっていた殿様の三男坊だからね。精一さんも「敵前逃亡のDNAがある」といわれるくらい(笑)おとなしい。それで結局、戦中から生き残った、比較的若く経営能力のある連中が、昭和23、24年から先、戦後の新聞ブームを築いていくわけです。業務系は永井大三氏(のち常務)という大物、編集系統は信夫韓一郎氏(のち専務)が両輪になり、昭和30年代の初めまで戦後の黄金時代を築いていくわけです。
 石川 村山さんの時代ですね。
 転機となった村山騒動
 本郷 というより「信夫・永井」の時代。だから終戦直後、いったん左翼が乗っ取ったけど、それはひっくり返された。その連中は元の現場に戻ったわけです。でもね、戦後の企業に共通した悩みとして、能力の高い人ほど多く戦争で失っているわけですね。だから、現場に戻された左翼でも、現場を握る強さで、どんどん出世の階段を上っていくわけですよ。
 石川 それが広岡さんであり、森さんであり、渡邉誠毅さんだということですね。
 本郷 森さんも渡邉氏も、それで現場から上がっていった。それに本社の編集局といっても、当時は非常に人も少なかった。そして、昭和34年の暮れ、96時間のストライキ「九六スト」がある。「60年安保」の前年ですからね。この前後から、社内で再び左翼が跳梁跋扈し始めるわけです。現実に、30年代の初めから、紙面がひどく左傾化していった。とくにひどかった盛岡支局などは、社内でも「朝日新聞赤旗県版」と呼ばれるぐらいの左傾県版を作っていました。のちの北朝鮮報道で有名な岩垂弘記者たちがいたころです。
 稲垣 社会党の岩垂寿喜男元衆議院議員の弟かな。
 本郷 「長野の秀才兄弟」なんて言われていたが、彼の報道は、北朝鮮べったりだった。
 ところが「九六スト」の直後に、専務の信夫さんがスパっと辞めるわけです。自分で役員定年制を決めた手前もあったが、左を抑え切れなかった責任を取ったようなものだった。
 そして、「自分でやってみたい」と意欲を燃やした村山長挙社長が親政を始め、まず左翼征伐をやろうとした。そのとき東京編集局長に起用したのが、編集局次長だった木村照彦氏でした。九六スト、それからそのすぐ後の「60年安保」のときに、広岡氏はヒラ取締役で東京編集局長だった。
 村山社長は、その広岡氏を快く思わず、紙面の左傾を問うて九州に飛ばした。当時は西部本社担当と言ったが、この人事について、森氏は『私の朝日新聞社史』という回想録の中で、「広岡氏が西部に追われて、社に暗黒時代がやってきた」と書いている。暗黒時代とは村山親政を指し、それに付き随った木村氏についても悪口を書いている。木村氏は、かねてから右翼系政治結社黒龍会と関係があり、思想的にはむしろ中道右派だった。
 ところが、村山親政で致命的な失政が起こってしまった。村山社主家に、公私の別をわきまえぬ行為が重なったのです。そうして、昭和38年から、お家騒動が始まる。すったもんだのあげく、九州に流されていた広岡氏が、39年1月20日の取締役会で村山社長解任の動議を出し、それが通ってしまう。
 彼はヒラ取締役から一足飛びに専務になり、その翌日、大阪経済部時代からの刎頸の友、森氏を論説主幹に据えるわけです。ここからずっと左翼路線が固まっていく。
 稲垣 この「村山騒動」が、一つの転機になったんだ。確かにそれまでの朝日新聞は、左旋回してはいたけれども、それは社会全体が左がかってたから、その反映でもあった。そのころの朝日の社内は、言論はかなり自由だった。実際、社内にはいろんな人間がいたのです。森氏のような左翼的な連中がまだ人事権まで握っていなかったから、採用で、いろんな人間を入れていた。だから、当然意見も違うし、お互いに論争する場面もあった。
 ところが、村山騒動後、いわゆる広岡体制になると一変するのです。というのも広岡氏の権力基盤は極めて脆弱だった。支配株は50%に満たない。それで組合員の持ってる株券を一所懸命かき集めたりした。
 本郷 株式受託委員会ですね。これは、実は法的な資格を持っていなかったのです。法人格もなく、株だけかき集めるという体裁上の組織でしてね。しばしば職権まで使って株を広岡政権に集め゛翼賛体制″を作った。
 ところが、出世願望の上役が、中間管理職に「おまえの部下に、まだ株を信託しないやつがいる。早く信託させろ」などと言ってくる。私などが、「冗談じゃない、なんで私有権を侵害できるのか。株集めなどは、職制を使ってやることじゃないでしょう」と言うと、「おまえ、そんなこと言ってたら将来ないぞ」なんて言われた。そういう時代がずっと続いた。
 広岡氏が政権を取る以前は、社内に、非上場ながら朝日株の取引市場があり、「ある方がお辞めになるので、300株出ますよ」といった掲示が出てね。みんなが入札で買ったんですよ。ところがそれを、広岡氏らが全部潰して、職権を使って集めてこいとなった。はなはだしいのは、通夜の晩に担当者が行って「亡くなったご主人、1000株持っていたはずだけど、すいませんが社のほうに」と言って集めたりした。
 稲垣 組合のボスを通じても集めたんだよ。そこで組合との腐れ縁ができたわけだ。
 本郷 そのとおりです。
 稲垣 つまり、そういうことで、広岡体制になってから、人事も連中が完全に握ったもんだから、左がかったやつばかり入れるようになった。つまり、明々白々の共産党員であると、親父もそうだし、共産党一家みたいなやつの子弟を入れたり、NHKの番組改変問題で話題となった本田氏のような記者も入れているわけですよ。
 石川 ああ、本田雅和さん。
 稲垣 ああいう記者を平然と入れているわけです。だから、事件が絶えないわけです。
 整理部の裁量を抑制し、職人集団に
 稲垣 さっき広岡氏以前は非常にリベラルな雰囲気があったと言ったでしょう。左も右もいたしね。それから、自由にものをけっこう言えた。組合は組合でそれなりのことをやってたけど、縛るようなことはなかった。
 本郷 私が入社した年の暮れに「九六スト」があった。このとき、編集局のカナメである整理部が、経営側の期待に反してストに加わったものだから、紙面の出来ばえが無惨になった。整理出身の専務だった信夫さんには、痛手だったはずです。
 ところが、広岡さんが政権を取って、まずやったのが整理部の奪権です。それまで朝日新聞の大幹部になる人は、みんな整理の経験があった。緒方さんも美土路一さんも、信夫さんも長いこと整理をやっていたし、木村さんもそうだった。朝日の中では、整理をやらないと幹部になれないという不文律があったくらいでね。
 なぜかというと、整理部門は編集局にありながら、号外をいつ出すとか、特別版をどう作るとか、こんな広告は載せられないとか、要するに社業全体を見渡していないとできない。その上、読者のニーズを理解しながら、これが今日の一面トップだとか、これは10行に削っちゃえというふうな仕事をやるのが整理部なんです。だから、整理を経験した人は、社業全般に通じることになる。
 ところが、広岡さんには整理の経験がない。森さんも渡邉さんにもない。広岡知男さん以後の社長にも、整理経験者はほとんどいない。逆に、整理部を煙たがって弱体化した。
 稲垣 私は整理に入ったときに「おまえらは、まずまっさきにニュース価値の客観的判断をする義務があるんだよ」と言われた。これはトップに値するのかどうか。あるいは3段にするかという判断をまずおまえらが判断せよと言われて、それで張りきったことがある。そうした気概や矜恃は今なくなってしまっている。
 本郷 変わって、上から指示がくるようになった。
 稲垣 そう、上から指示がくる。とくに広岡氏、秋岡家栄北京特派員の時代はひどくてね。秋岡氏の中国べったりのくだらない原稿をトップにしろとか、そういう指示が判断なしで罷り通るようになった。だから、見映えよく見えればいいという、整理職人になっちゃった。
 石川 権限を失っちゃったんですね。
 稲垣 私なんか生意気だったからね、大阪の整理部時代、森氏の感想文みたいなくだらない原稿を削って怒られたことがある(笑)。
 本郷 それが東京だと、とんでもない事件に膨れてしまうんだよね。森氏が主幹になってからは、論説の原稿は事実の間違いがあっても、誤字や脱字があっても、整理部は手を入れられなくなった。整理部を職人集団にしていった。これは非常に大きな変化だな。言論の一元統制。左翼の常套手段だ。たとえば、広岡氏が政権を取ったあとの昭和41年だったかな。蒋介石の写真を使っちゃいけない、というお触れが出た。
 稲垣 ああ、そういうことあったねえ。
 本郷 理由の説明もなく、蒋介石の顔写真はダメとなった。整理部には、連絡事項を記した引継帳があり、毎日の業務の前に、必ずそれを見た上で仕事に入るのですが、そのお触れを呼んで、おいおい、馬鹿なこと言うなと思った。蒋介石は「徳をもって怨みに報いる」と言って、日本の兵隊を無事に返してくれた恩人じゃないか。まさか死んだときも顔写真を扱わないのかと、私が社内で大きな声を出したら「おい、おまえ、ダメダメダメ」とデスクに制止された。
 稲垣 大阪の整理で経験したのは、文革時代に、毛沢東のマンガを載せちゃいかんと言われたことだったなあ。私も頭に来た。でっかい声で怒鳴ったら、みんな、顔を上向けている。ヒラメだってわれわれは言ったんだ。上ばっかり見てるやつがえらくなっていくんだ。段々、デスクにはなっても、何段に扱っていいかわからないような整理記者が偉くなる。そういう滑稽な時代が到来したわけですよ。
 無謬主義が始まったわけ
 本郷 それから、これは私の大阪整理部時代だな。ちょうど文革紅衛兵が騒いでいた時分で、しょっちゅう社内でも組合部会があった。みんなが、森さんなんかに媚びて、文革礼賛を合唱するので、『あんなもなぁ長続きせん。どだい、中国人てのは、歴史的に根は利己主義なんだ。簡単には変わらんよ』と言ったら、これもやられたな、こっぴどく。すごい中国崇拝派みたいなのがいて、これがまたアホなことばっかり言うわけですよ。
 稲垣 戦前から、ソ連社会主義の祖国と言われていたが、戦後、ソ連日本兵の捕虜を国際法に反して長期抑留したり、虐待したり、その異常ぶりがわかってきた。旧満州に侵攻してきたときなんざ婦女暴行も多発したし、いくら口をふさいでも、復員兵が家族に言い、それが世の中に伝わってくる。スターリンの大粛清も、なんとなく伝わってきて日本の左翼のソ連に対する信仰は地に墜ちてしまった。そこへ代わりにやってきたのが中国であり、中共なんです。新聞で北京にはハエ一匹飛んでないとかね。そういう讃歌を平然と書いていたし、日本人の左翼の大半はそれを信じていた。
 本郷 戦後間もなく中国礼賛の風を吹かしたのがいっぱいいたんだ。いわゆる文化人の中にもね。だけど、そういう連中を嘲笑って書いた記者もいたんだよ。広岡体制以前には、門田勲さんという大物記者がいて、「中共拝見」というタイトルで、いま読んでも実におもしろいことを書いている。ハエがいないなんてウソだと、ちゃんと書いているしね。
 石川 それはいつごろですか。
 本郷 昭和30年代の初め。30年の連載ルポ「中共拝見」のころは、まだ「中共」と書いてますよ。「中国」なんて呼んでません。中国と書けとか、北鮮と書いちゃだめだとか、北朝鮮と書いちゃだめだ、ちゃんと朝鮮民主主義人民共和国と書かなければいけないなんて言い出したのは、広岡体制以降だよ。アホな、まあ、くだらんことを大マジメにやった。しかも、今でもそうだけど、みんなそれに唯々諾々と従っていたんだ。
 稲垣 それは偉くなりたいから、睨まれたくないからですよ。新聞記者にとって一番怖いのは何かというと、干されることで、次に飛ばされるということなんだ。干されれば、記事を書けなくなる。たとえ書いてもボツにされる。そのうち地方支局へ吹っ飛ばされる。こういうのが一番いやなんだよね。社が中国になびくと親中派になる奴もいた。中国産野菜の残留農薬問題が持ち上がり、輸入禁止になったさいも、わざわざ学芸部の記者が中国の現地に行って、中国の農民がかわいそうだと書いたりした。せっかく作った農産物が輸出できないと。平気でそう書いていたわけよ。学芸部が何で中国へ行かないとならないのかと思ったけどね。どうも学芸部の中にはそういう一派もいたんだよな。
 石川 広岡さんが、朝日が偏向報道に走る礎を築いたという認識でお2人は一致するようですが、広岡さんご本人はどんな方なんですか?
 稲垣 広岡氏は、まったく特定のイデオロギーも何もない。
 本郷 そのとおり。私も彼は筋肉の男、権力指向の人間だと思う。
 稲垣 東大野球部出身でね、体育会系なんだよな。深い思想を持ち合わせていたわけではない。
 本郷 広岡氏が社長になってから、左傾紙面への統制が露骨に始まった。これは顕著でしたね。代表的なのは、さっきも言った整理部の権限を奪い、紙面へのコントロールをトップ・ダウンでやり、人事面でも素直に言うことを聞く人間だけを優先的に引き上げていった。
 それから、「無謬主義」を植え付けたな。「朝日は絶対に間違えない」という信仰みたいなものです。なんでそんなになったかというと、さっき言った株の問題が密接に関係しているわけです。業務上のミスがあると、株主総会で村山社主家側から攻撃される。権力基盤が脆弱だから、そんなことがあっては絶対ならない、ということで「ノーエラー」が唱えられはじめ、これが基本になったということですよ。ところが、人間だからエラーをしますよね。するとどうするか、頬被りなんだよ。訂正しない。みんなが見ぬふり。みんな黙っている。
 石川 エピソードってありますか。
 本郷 それが典型的に表れているのは、『朝日新聞縮刷版』でしょう。そのころの『縮刷版』は、私ら整理が最終版を作ったあと、「縮刷直し」という作業をやった。読者に配る新聞には訂正を入れるが、永久に残る『縮刷版』には訂正を残さずに出版するために、訂正を引っこ抜いて、空いた穴を埋め記事で埋めて帳尻を合わせる。
 ところが、当時、防衛大学校の教授だった佐瀬昌盛氏が朝日の論説記事が誤っている、おかしいと騒ぎ出した。すると、言を左右にして逃げまくるんだけど、結局、直さない。すると今度は、『縮刷版』だけ直していたと再び問題になったのです。
 稲垣 『縮刷版』では文章自体を直していたんだよね。
 石川 米ソの冷戦下の、中距離核ミサイルをめぐる問題でしたね。ミサイルが「導入された」とあったのが、佐瀬氏に『諸君!』で指摘され、「導入を決めた」とこっそり直してしまった。「導入された」と「導入を決めた」では大違いですね。
 本郷 「無謬主義」も影響して、社内の人事評価は減点主義になっていったんです。エラーすると、もうあいつはだめだと。社員の採用も、どこを切っても同じような顔が出てくる。金太郎飴みたいな人間ばかり集めた。だから、いまでもそういう雰囲気が残っている。硬直化してね。
 稲垣 そうそう。例のNHKの事件でもそう。あれも本田記者のやったことは、間違いなく大誤報なんですよ。政治家が事前にNHKの幹部を呼びつけた事実はないのに、呼びつけたと書いちゃったわけですから、これは明白な誤りでしょう。そういう致命的で重大な間違いがあるにもかかわらず、今度はご丁寧に検証委員会とかを、紙面に逃げ口上を出すために組織する。結局、それが事実であるとは断言できるような証拠はなかったという風ないい方をするわけです。この物言い自体が実にトリッキーで悪辣ですよね。記事に書いたことがウソだったのかどうかということなんですよ、要は。でもそうはいわない。結局はごまかしてるわけだよ。
 石川 無謬主義ですね。
 本郷 上に責任が及ぶから、担当デスクとか部長とかね。だからそういう組織を作って一所懸命にごまかす。
 石川 なるほどね。
 本郷 『諸君!』が、「朝日は日本のプラウダか」というタイトルの論文を掲載した時の、広告の話を覚えてますか。
 稲垣 編集長が堤尭さんの時ですね。
 本郷 そう。上智大学渡部昇一名誉教授が、この表題で論文を書いた。内容は朝日の左翼偏向を衝いたものでした。当時、私は東京の広告局で、広告の掲載審査にあずかる部長だった。当時は、雑誌の広告などに社の名前が出ていたら、必ず社長室に持っていくことになっていた。で、その広告の原稿を社長室に持っていった。
 そこで、「どう思うかね」と聞かれたので、「私はこれは載せるべきだと思います。なぜかというと、載せないと言ったら、それ見たことか、やっぱり朝日は日本のプラウダだと言われる。だから載せましょう」と言った。ところが、編集の最上層部が、絶対ダメだから断れというわけ。
 石川 それは広告掲載を。
 本郷 そう。要するに『諸君!』の見出しが、誹謗中傷だというわけです。
 石川 覚えてます。「日本のプラウダか」という表題が印象的でした。
 本郷 そうなんだ。そこで、掲載を断る意向を『諸君!』に伝えたら、堤氏が乗り込んできて、丁々発止やった。私は、内輪では、載せるべきだと突っ張ったもんだから、上司の広告局長が「君はもう引っ込んでいてくれ」という。業務の連中は、編集には逆らわない。上を見てるんだ。結局、広告局が広告掲載を断って、以来、出稿がなくなっちゃった。ケンカ別れ。
 石川 それ以来、『諸君!』は朝日に出してないんですか。
 本郷 そう。そういう「言輪の府」だったのよ。
 稲垣 産経が報じた朝日の毒ガスの誤報だって中国戦線に従軍したという男から変な写真を持ち込まれたのがきっかけだった。これ、日本軍の前線から煙がモクモク立ち上ってるもんだから、あ、こいつは毒ガスだとなり、一橋大学藤原彰という教授のところへ行って、「これは毒ガスじゃないでしょうか」、「間違いなく毒ガスだ」みたいになって(笑)。藤原教授は旧職業軍人だから間違うはずはなく、毒ガスか煙幕かの区別ぐらいつきそうなもんだけど、毒ガスだとお墨付きを与えたもんだからね。それを一面に出してしまった。
 本郷 それを見てね、ヘンだなあ、毒ガスに色がついてたら、敵はみんな逃げちゃうじゃないかって、社内で笑っていたんだよ。そしたら煙幕だとなった。でも結局、何も訂正せずに終わってしまった。
 屁理屈機関の名人芸
 稲垣 とにかく、朝日の社説でも論説の類ね。つまり、そういう事実に基づかないことを書くから、どうしてもそれをごまかす屁理屈ばっかり上達してくるわけよ。屁理屈のレトリックというのはいまや名人芸化している。でもどんな名人芸を尽くしても、どうしても自分に都合の悪いことがあるでしょう。そういうときは喧嘩両成敗にしてしまう。北朝鮮も悪いけど、それにちゃんと対応できない日本も悪いというわけ。喧嘩両成敗にしてしまうんだ。それが一つの例です。それもできないとなると、今度は言葉を失って黙っちゃうんだなあ。
 本郷 叩いても揺すっても黙っている。いるじゃない、そういうやつさ。まったく卑怯だよなあ。
 稲垣 都合の悪いことは絶対書かないんだね。初めから黙っちゃう。そういえば神戸で小学生の猟奇殺人事件をやったA少年な。事件発生直後の社説は冒頭で「言葉を失う」と書いてある。言葉が商売の論説委員が言葉を失ってどうするんだと思ったよ。その後は例によって例のごとく、社会が悪い、社会が悪いと言っていたけどね。この屁理屈たるや、もう噴飯ものだよね。
 本郷 広告部門に転属になって、朝日がいかに評判の悪い新聞かがよくわかったよな。大阪で、冷蔵庫が爆発する事故があった。東芝の冷蔵庫が爆発。ドカーンと4段のゴシックで見出しが立った。何も「東芝の冷蔵庫が爆発」としなくてもいいんだけど、そんな見出しを立てる。しかし、調べてみると、冷蔵庫にガスライター用のボンベが入っていて、そいつが腐食してガスが漏れ、それにサーモスタットの火花が引火、爆発したというんです。東芝はまったく被害者で、何の瑕疵もない。何とか後追い記事を出してくれと懇願するんだけど、社会部は、「そんな必要はない、警察の発表どおり書いただけだ」と、こうなんだよ。で、関東者で分が悪い東芝は、やむなく全5段の謹告広告を出した。「爆発の新聞報道があったけれど、実は中にガスボンベが入っていて…」と。もちろん、朝日は広告料を取った(笑)。
 それを聞いてね、これはひどいと思ったな。当時、科学部長が同期入社の男だったから、「メーカーが冷暗所に保存を、と勧めるガスボンベを冷蔵庫に保存するのは危険」と、科学的啓蒙記事を書いてくれといったら、「関係ありません」と、ニベもないんだ。こいつも社会部出身でね。
 稲垣 朝日新聞で案外みんなに知られてないのだけど、科学関係の記事はお粗末なんだ。ウソが結構多いんだよ。たとえば、環境庁が、ポリカーボネートというプラスティックを給食用の食器に使えるかテストした。どこまで使えば使用が不能になるかという一種の限界テストだった。だから、高温の苛性ソーダの液で100回ぐらい洗った。そうするとポリカーボネートが白っぽくなった。それをあたかも実用テストであるかのように、100回洗ったら白っぽくなった。環境ホルモンも溶出した(実際は許容濃度以下)ので、普及事業も中止されたと書いた(これもウソ)。それで環境庁は抗議する。これは耐用テストで実用テストじゃない。でも全然知らん顔ですよ。
 陰湿な社内いじめ
 石川 冒頭に、朝日が戦後民主主義の守護神を任じていたという話がありましたが。
 稲垣 そうそう。だから、安倍内閣のときに、教育基本法が改正されたでしょ。あのときの朝日の社説のタイトルは「戦後がまた変わったか」というものですよ。でもね。戦後というのはアメリカが占領して対日占領方針を、連合国で作ったわけですよね。端的にいえば、日本を永遠に三等国に押し込んでおくという方針です。新憲法教育基本法もそれに沿ったものだ。だから、朝日は戦後が変わるのはいやなんだよ。永遠に三等国のままならよかったと言っているようなものだ。防衛庁の省への昇格だって機嫌が悪くてしょうがない。
 GHQのニューディール左派は、もともと社会主義だから、競争が嫌いなんです。本質的に社会主義からきた競争忌避なんだよ。これが日本に昔からある横並び思想とガチッとマッチしたから、例えば、学力テストみたいな競争には大反対するわけです。みんなで手をつないでゴールインしようという左翼教師の考えに近い。ああいう風潮が、どんどんはびこった。学校同士の競争は排除される、日教組も極力反対したからね。今でも学校格差はあってはいけない。勝つのも反対という立場でしょう。
 「私は弱者だと、一番最初に大きな声で言ったやつが勝ちだ」という笑い話があるが、そのとおりなんですよ。戦後の農政なんかその典型だね。農協が「私たちは弱者だ」「さんざんいじめられた」という。戦時中は無理やり供出させられていじめられた。戦後は国際競争力がないから、高い米価を維持する。補助金をたっぷりもらうといった具合で、私は弱者だと声高に主張している人間に限って、実は優雅に海外旅行なんかを楽しんでいる。そういう風潮を推奨したのが、朝日新聞なんだ。
 本郷 広岡氏の後、号令はよく届くようになったけれど、自分で判断できない人が増えた。例えば1979年の中越戦争のとき、両国の国境に大部隊が集結しているというニュースが入ってきたから、私は夕刊のデスクとして、これをドーンと一面トップに据えた。
 ところが、早版の試刷りを見た局次長が飛んできた。「おいおい、これ、大丈夫か」と言うんだ。「まあ、見ててご覧なさい。2、3日で必ずドンパチ始まるから」とは言ったのだが、彼は「しかし、これはなあ、君。両方とも社会主義国家だよ」と言うんだよね。「あんた、何言ってるの?」と言ってやったんだ(笑)。「まあ、任しておいて」と押し通したら、3日目にドンガラと戦闘が始まった。あのころまでは、まだ私みたいなのが整理部にいて、頑張れたのよ。
 石川 中越の衝突ですから、昭和でいうと54年ですね。
 稲垣 いまはおそらくそんなことやれないでしょうね。できるだけ小さく。何かあったら困るから、2段か3段、隅のほうに、目立たないようにと指示が出る。
 石川 稲垣さんの『朝日新聞血風録』なんか読みますと、稲垣さんも相当、社内弾圧に遭ってますね。
 稲垣 それはもうむちゃくちゃでした。私は、大したことを言ってるわけじゃない。ごくごく当たり前のことを言っているんだけど。
 本郷 アタマがおかしいとか、あの人は右翼・反動だとか言うんだよね。
 稲垣 私は随分、軍国主義者と言われましたよ。
 本郷 私はそういうことを言われると、いつも「私は真ん中だよ。おまえさんらは極左だから、私のことが右翼に見えるんだ。真ん中にいても右翼に見えるのね」と、言い返していました。
 稲垣 そういうふうに、社内で弾き飛ばそうとするからね。しかも、上層部は直接言わずに、手下を使う。まったく薄汚いやり方なんだ。
 本郷 そう。実に陰湿なんだ。
 『中国の旅』の舞台裏
 石川 ところで、たとえば本多勝一さんや秋岡さんはどういう記者だったんですか。
 稲垣 本多勝一氏の『中国の旅』を例に挙げると、あれは、広岡社長命で後藤基夫編集局長を使った周恩来独占会見と連動している。このやり方は、やはり後藤編集局長の金日成独占会見のときにと同じやり方よね。これは、宮田浩人という朝鮮総連べったりの記者によるものでしたが、会見取材に合わせて連載をやって「北朝鮮では学費は要らない、全部ただだ」と、ベタベタに賛美するんだよね。
 本郷 本多氏の場合は『カナダエスキモー』などの、要するに゛冒険ダン吉″で確立された名声が利用されたんだな。面白い作品を作らせたのは名物社会部長だった田代喜久雄氏(のち編集担当・テレビ朝日社長)ですよ。それを広岡一派がうまく使って、日中に使ったというわけですよ。でも、もともと゛冒険ダン吉″だから、政治や思想のことなんか何もわかりはしないのです。
 稲垣 向こうが言ったことをそのまま書くわけだからね。
 本郷 それは自分でも言っているよ。「僕は聞いたまま書いただけなんだ」と。
 稲垣 『中国の旅』が始まると、当時はまだ旧満州の関係者が生きていたから、猛烈な抗議がきた。「これは全然、事実とは違う」というわけです。撫順炭鉱で死んだ中国人を万人坑に投げ込んだと書いてあるが、撫順炭鉱は露天掘りで普通の炭鉱とは違う。事故なんて起こるはずがないじゃないかという抗議がきた。
 本郷 平頂山事件にしても、私のはるか先輩で、満鉄社員の息子だった人が、「これウソだ」と社内でも言っていたし、「これは違っている」と、OBが大勢、会社に抗議に来たが、それを…。
 稲垣 全部門前払いしたんだよね。本多氏自身は私は中国の言うことをそのまま書いただけだから、文句があるなら中国に言ってくれと、こういう言い草をしていた。私はそれを聞いてびっくり仰天したけどな。
 本郷 いや、それは方便であって、実態はプロパガンダに自ら加担したんでしょう。それがプロパガンダであることは社内でも多くの人がわかっていたじゃない。罪深いですよ。こういう抗議が来ているという情報は、社内でさえ全部抑えたし、OBからの疑問にも同じ態度ですよ。
 さっき私は朝日の一つの特徴に無謬主義を挙げたけれど、もう一つ、「ぬるま湯体質」を挙げたい。それは、朝日にじっとしていると、月給はいいし、少しずつ地位も上がっていくわけです。そこで、会社を飛び出るのを覚悟で喧嘩するなんて、馬鹿じゃないのかという空気が生まれていくんですよ。もともと、みんな平和主義の優等生だしね。
 林彪拉致事件の内実
 石川 広岡-秋岡時代の林彪事件報道のときの雰囲気を聞かせてもらえませんか。北京特派員だった秋岡さんは、林彪の失脚を否定しましたが…。
 本郷 後に推理小説家になった伴野朗上海支局長が、中国の放送、新聞を地方でもあれこれ調べて、何かおかしい、林彪失脚があったらしいと『週刊朝日』に書いた。
 石川 稲垣さんが副編集長時代ですか。
 稲垣 その前です。すると、広岡にゴマをする社内の魑魅魍魎どもが、ワッと週刊朝日編集部に来て抗議した。「そんなこと書いて済むと思うか!」という言い方でやられるわけよな。当時の編集長が「何だ!それでは戦前の新聞と同じじゃないか」と怒った。当時の特派員だった秋岡氏は後で、西園寺公一の秘書から、実際に林彪事件があったのだと聞かされているわけだが、それは朝日の本社には伝わらなかった。
 彼は辞めたあと、日中学院という語学学校に行った。朝日も金出してやったんだろ。日中学院の幹部に据えた。
 本郷 そのあとも、人民日報の日本総支配人になったはずだ。
 稲垣 北京支局長経験者で日本語版の中国の雑誌「人民中国」の編集幹部に行く人もあった。こうなると、北京のご機嫌を損じるようなことは書けなくなる。将来の就職のことまで考えてしまうからね。
 石川 秋岡さん自身はその林彪事件のときに、失脚していないと、しばらく言ってた。後に笑われるわけですよね。そのことについてはご本人はどう受けとめてるのでしょうか。
 稲垣 何も言ってない。都合が悪いことは黙ってるんだよね。
 本郷 それで、何か言われりゃ、親分の広岡氏を指させばいいわけでしょ。
 稲垣 広岡氏は広岡氏で「私が悪いのではなく、私は最大の被害者だ」と言うわけでしょう。でも広岡氏は中国のご機嫌を損じるようなことは書かなくていい、そこに、いるだけでいいと明言しているわけですよ。歴史の証人としていればいいと言っているわけです。でも秋岡氏は歴史の証人として、本当の歴史を書いたことなんかなかった。彼はもともと、外報部時代から、文章の書けない記者として評判だったんだよ。
 石川 秋岡さんが?
 稲垣 そう。文章、へたくそですよ。読んだらわかるよ。読むに耐えない。
 本郷 外報部記者のなかには、えてして文章の書けない記者がいる。作業としては、横書きの資料を縦書きにしているだけという記者が案外多いんだ。結局、本多氏も秋岡氏も謀略や宣伝に関してはまったく無知で、それは広岡氏も同じだったと思う。ジャーナリストとしては失格です。
 稲垣 慧眼の士を志すということがまったくないんだね。
 石川 北の拉致問題の場合はどうなんですか。
 稲垣 この問題では、朝日は明白なウソをついている。たとえば、産経より先に朝日が拉致問題を書いているという記事を出しているけれど、それは違うんだよ。
 石川 久米裕さんに関して最初に朝日が報じたという記事(昭和52年11月10日)ですね。
 稲垣 それは工作員の絡んだ拉致事件として書いているのではない。単なる密航事件として書いているわけだ。それを最初に拉致問題を書いたのは朝日新聞だと、金正日が拉致を認めた後で平気で紙面に載せるけれど、これは誰が見ても明白なウソなんだよ。ウソを平気で通してるうえに、しかもその記事のおかげで、朝日は名誉を救われたと書く馬鹿まで出てくる。
 石川 縮刷版をめくって真偽を確かめるためには、かなりの手間がかかります。
 稲垣 普通の読者は、記事を読んで、ああ、そうなのかと思って終わり。そういう読者の実態を、高をくくった上でウソを書くわけだ。だから、朝日新聞は眉に唾つけて読まなきゃいかん。まあ、その楽しみもあるけどさ(笑)。だけど、本当によくこんなにしらじらしいウソをつくなというのがある。
 朝日が書いて初めてニュースという思い上がり
 本郷 もう亡くなったが、和田俊氏は覚えてますか。ポル・ポト政権を賛美した。
 稲垣 ああ、和田さんね。あれは、カンボジアにはいないで書いたんだよね。
 本郷 微笑みの革命とか何とか。
 稲垣 いい加減な作文を書いちゃうわけ。ウソで固めた作文を書かせると実にうまい。
 石川 いわゆる57年の教科書問題というのは、朝日だけが誤報したわけでなかった。朝日が書いたこと自体は、全社横並びでどの社も書いた。ただ、朝日の釈明は変だったという印象がある。
 稲垣 あれは謝っていないんですよ。
 本郷 それは、さっき言った無謬主義と通ずるし、それから、あらゆる報道は、朝日が書いて初めてニュースになるんだという、そういうアタマがどこかにあるんだね。朝日の人間は、平気でそういう愚かなことを口にして憚らないからね。
 稲垣 傲慢だね。朝日の書かないものはニュースじゃないと、こう言っているわけだからね。だから、もちろん、拉致事件なんか朝日が書かなきゃ存在しないわけだよ。
 本郷 思い上がりもはなはだしいんだけど、それがいいと思っている。朝日の常識は、世間の非常識なんだ、ほんとに。そういうことを平気でやってきたんだ。
 稲垣 まったく根拠のない思い上がりがあるんだよね
 石川 それはいつごろからですか。
 本郷 広岡氏以降に確立したと思ったらいいですよ。
 稲垣 戦前から多少あったけどね。
 石川 昔は、左は左でも、あるいはリベラルはリベラルでも、言論の自由はあったわけですよね、稲垣さんとか本郷さんが入ったころ、あるいは入る前には。
 本郷 あのころの新聞小説で映画になったのは、ほとんど朝日だね。朝日に連載小説が載ると、講談社とか文春から出版され、それがすぐ映画になった。そういう時代があった。政界を見ても朝日出身の国会議員が四十数人、閣僚経験者も大勢いた時代があった。だから、朝日はどの世界でも別格、という感じさえあったね。
 石川 そうですね。石井光次郎さん(副社長・第五次吉田内閣運輸相)とかね、政治家以外でもそうだもんね。
 稲垣 下村海南(宏・副社長・NHK会長)もそうでしょ。緒方竹虎(副社長・第五次吉田内閣副総理)、美土路昌一(社長・全日空社長)ね。ところが、これに対しては、大阪サイドでは、新聞人が政治家になる、付き合いを深めるべきではないという冷ややかな見方もあった。緒方竹虎批判というのは大阪で隠然とあったのです。
 本郷 そう言えば、信夫さんは大阪整理育ちで、この人は政界とまったくつきあわず、財界ともつきあわなかった。わずかにつきあいがあったのは文人墨客ですよ。石川達三だとか井上靖池島信平とかね。みんなゴルフ仲間だな。ある意味で正しい。戦後では、この人の時代が朝日が商売のジャーナリズムとしては一番繁栄してますよ。
 企画催事もそうだ。南極探検だとか、いろんな展覧会。広岡氏の唯一の功績は、電算編集かなあ。でも、これも厳密には日経が先行しているし、読売に部数を抜かれるのも昭和52年だったか、広岡氏のときだ。抜かれると、「君ねえ、新聞は中身だよ」と言った。それまで部数だ、部数だって、さんざん言っていたくせに、本当に御都合主義でね。
 稲垣 最初に言ったけど、朝日の新聞の内容というのは、ずっと戦後の容共左翼の世界を反映してるんだよね。戦後の日本の左翼というのは、つまり戦前戦中、日本の軍部のアホさ加減のイメージをそのまま受け継いでいる。現実を見ないからで、ただ観念で遊んでるだけだからさ。たとえば、必勝の信念があれば必ず勝てる。負ける、負けると言うやつがいるから負けるとかさ。朝日はこれと全く似ている。
 戦争を放棄した憲法9条さえあれば日本は侵略を受けることはないとの観念論から長い間日米安保に反対し続けてきたんです。
 現実を見ないという、いわゆる戦前の病弊をそのまま引き継いでる。これが最も端的に出ているのが朝日新聞の社説ですよ。つまり、現実をありのままに見ようとしないで、自分に都合のいいように解釈して、見ようとするから、いろんな無理が生ずるわけです。それは、その場は繕えても、しばらくするうちにすぐバレるわけだな。そうすると、今度はそれを知らん顔してネグるか、それとも弁解するときは、いわゆる喧嘩両成敗方式。どっちも悪いとしたら、これは一番楽なのよ。
 本郷 自衛隊の海外派遣なんてとんでもないと言ってたのが、何か変なこと書くからね。後になって。
 稲垣 最初は絶対反対だったのに、なぜぐずぐずしていたんだ、みたいなことを書いているでしょ。よくみると、実におかしな主張をする。
 相も変わらぬ論説の体質
 石川 いまの朝日新聞、秋山社長が、解体的出直しを宣言しましたが、昔に比べると変わっているのでしょうか。
 本郷 私は最近、変わってきたなと思うことがある。とくに中国報道ね。もう、かつてのように相手が嫌がることは書かないとか、きれいごとだけ書いてればいいという時代ではなくなってきている。それは何故か。インターネットの影響ですよ。たとえばきのう、おとといの事件が、隠しようがなく流れるでしょう。
 6月に起きた貴州省の少女強姦事件で、1万人クラスの暴動が起き、みんながハンディカメラで撮影してそれを流すわけでしょ。自由社会で最初に報道したのは、フランスのテレビですよ。それをやると、バーッと他のメディアも取りあげる。そうすると、嫌がることは書くなとはいえないし、逆に何やっているんだ、おまえらは!となってくる。
 たとえば4月の朝日の紙面では、中国で虐げられている活動家がどんな目に遭っているか、9人並べて紹介してましたよ。こういうことは、かつてはとても考えられなかった。もはや、上からの統制は利かないし、むちゃな統制もしない。真実の流れに任せていこうという姿勢が、秋山社長になって芽生えていると思う。
 石川 社内の風土は。
 稲垣 いままでのような中国報道では、読者に決定的にソッポを向かれる。世の中の雰囲気がね、『諸君!』とか『WiLL』とか、もちろん『正論』、そういう雑誌もあるけれどさ。それに週刊誌も全部中国のいろんな悪いところ、欠陥を洗いざらい書いてくる。それは、結構浸透しているでしょう。
 しかも、決定的なのが毒入りギョーザ事件だな、中国はやっぱりおかしい、気をつけないとどうごまかすかわからないと国民がしっかり認識しているし、中国のやり方がばれて、呆れられているわけでしょう。インターネットで情報を直接入手できるから、新聞を読むと、いかにウソが多いかがわかる。だんだん見放されてくるんじゃないかと思うな。中国に下手に迎合したような記事を書いたら、自殺行為ですよ。そういう意味で、社会状況が変わってきたんだよね。
 本郷 中国に対する日本の国民感情が急速に変わっているでしょ。ギョーザ事件でも、結果として中国が嫌いという声が6割ぐらいあり、東シナ海のガス田の問題でも、中国という国は気を付けないといけないぞ、という警戒感が広がってきています。
 中国の所得格差なんかの問題でも、NHKが特集でやるでしょ。これはとんでもないことになってきたぞと、国民がわかってくるわけでね。それからこの間の長野のオリンピックの聖火ランナーの問題ね。これも、ひどい。ひと様の座敷で、あんな旗を振り回して、いったい何様なんだという反応が、次から次に出てくる。
 稲垣 毒ギョーザ事件でも紹介された無菌豚でも飼っていたのかと思わせる作業室の映像もすごかった。ピカピカに磨いた部屋を、これが作業室ですって中国は平気で出すでしょう。あれを見て、誰もが「これはウソだろう!」と思う。中国は臆面もなく出しているけど、それがウソだと思われていることを知らないんだよ。気がつかない。
 いわゆる聖火リレーのときでも、フランスで轟々たる批判があったけど、屈強の若者に制服着せて、青シャツ隊にして、ランナーの周りを取り巻く。チベット旗でも持っていようものなら殴りかかる。そんなことを長野まで来て平気でやっているわけですよ。そんなことやったらかえって日本人の反感を買うぞということに気がつかないんだよ。中国という国は、もともと非常に酷薄な社会なんだよ。だから自己主張も120%までやらないと通用しない。
 「独りよがり」は旧日本軍とウリ二つ
 石川 稲垣さんも、やっぱり朝日新聞の最近の中国報道は変わってきたと思いますか。
 稲垣 うん、ちょっと変わってきたのは事実だ。少しまともにやれば、多少は取材力はあるし、優秀な記者もいないことはないから、それなりの成果は上がるんですよ。だけど、以前はひどかったし。しかし変わったのは報道関係に限った話だね。論説は相変わらずだな。
 本郷 だから、私は論説委員室を廃止しろと言っている。けど、まだ相変わらずだね。定年になったことだし、若宮啓文氏(前論説主幹)の降板は大いに観迎だったけど、まだ「本社コラムニスト」で残っている。ああいう人間を支持する同志が、いまだにいるんです。
 石川 論説は変わらない気がしますね。記事と論説が全く逆のときがある。
 本郷 新旧の交代中は、それはしょうがないかも。
 稲垣 まだね、論説、社説のほうは、ああでもない、こうでもないと屁理屈を言っている。東シナ海のガス田開発も社説は、共同開発に協力すべきだと書いてるわけですよ。
 本郷 しかもまた、それに迎合してる政治家や財界人がいるんだよなあ。
 石川 これだけは朝日新聞に対して言いたいことがあればどうぞ。
 稲垣 私はもうじき死ぬけども(笑)。朝日も、もうちょっと往生際をよくしなさいよと、これを言いたいな。自分が悪かったこと、間違ったことは素直に認めてね。それで再出発しないとダメだ。そこに初めて生きる道もあるかもしれんけどね。メディアの役割自体が変化している中で、未だに本土決戦みたいなこと言ったってだめだよ。
 本郷 とにかく朝日には、頭でっかちな秀才みたいなのばかり入るわけだ。ところが、日本人が言う「秀才」は、非常に間違って認識をされてるんだね。要するに、試験ができればいい、ということなんですよ。だから、先生が教えてくれたことをきれいに覚えてきて、そのとおりに答案を書けば、優等な成績を取って、進学校に入って大学入試も受かる、入社試験もとおるわけだ。
 しかし、人間は間違うんですよ。間違ったときに、「私は間違うはずがない」と間違うのが、日本型の秀才なんだな。朝日では、それが無謬主義になっているから、世間の常識が社内では通用しない。この間の、鳩山前法相を「死に神」にしたコラムなんかも、後であんな言い訳を書いてみたって、ちっとも謝ったことにならないし、釈明になっていない。
 そこに気づいてくれれば救いがあるが、気づいてないでしょう。逆に、己が正しいと、世間を見下す。役人の世界によくある行動パターンが、朝日人の本質みたいなところにもできてしまっていると思うんだよね。稲垣さんが言ったように、往生際が悪いのもそのせいよ、ほんとに。
 稲垣 教科書を一所懸命読んで、教科書どおりに書いて、いい成績を取ってきたやつがそのまま入って。朝日に入っても、教科書どおりのことを書いてるから。
 旧海軍と一緒なんだよ。日露戦争で、日本海大海戦で勝った東郷元帥の書いた教科書を、何十年もそのまま拳々服膺してやったらね、ボロ負けしたわけだな。それが最後までボロ負けするということに気がつかないというところが、また悲劇なんだよな。
 朝日の論説の本質は「独りよがり」です。日本の敗戦の要因となったレーダー開発の遅れも、夜戦をお家芸としていた日本海軍の水雷屋連中が「そんな強力な電波を出したら、忽ち敵にこちらの位置を知られる」と強硬に開発に反対したからです。
 しかし、敵がレーダーを開発すれば、夜でも一方的に狙い撃ちされる。同様に日本が戦争を放棄しても戦争は日本を放棄しない。憲法九条があるからといって金正日が日本への武力攻撃を遠慮するなんて有り得ない。それを阻止しているのは九条ではなくて日米安保です。九条に依存する朝日は「独りよがり」そのものでしょう。
 本郷 いや、私はだから、朝日新聞の役割はもう終わったんじゃないかと思うことすらある。だから、ネットの時代に本当に生き残りたいなら、本気で換骨奪胎しなきゃだめよと言っている。往生際が悪いですよって。
 石川 長時間ありがとうございました。

 稲垣 武氏(いながき・たけし) 昭和9(1934)年、埼玉県生まれ。京都大学卒業後、朝日新聞社に入社。「週刊朝日」副編集長を経て平成元年退社、フリージャーナリストに。「悪魔祓いの戦後史」で第三回山本七平賞受賞。正論でマスコミ照魔鏡を長期連載していたが、病気のため現在自宅療養中。

 本郷 美則氏(ほんごう・よしのり) 昭和9(1934)年、北海道生まれ、湘南育ち。早稲田大学新聞学科を卒業後、1959年朝日新聞社入社、社会部、整理部などを経て、広告局、研修所長などを歴任。1994年、定年退職。フリージャーナリスト、評論家として、多彩な文筆活動を続けている。
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 産経iRONNA{「菅長官vs望月記者」バトルの波紋
 東京新聞の望月衣塑子記者と菅義偉官房長官のバトルが続いている。度重なる官邸側からの申し入れにも「報道の自由の侵害だ」と真っ向から反発する。そんな彼女を支える勢力の中には、これを倒閣運動の足掛かりにしたいとの思惑もアリアリだ。それだけに話はややこしくなるばかりである。

 理想論ばかりの野党とマスコミ
 2019年2月、会見に臨む
 菅義偉官房長官。手前で
 挙手するのは東京新聞
 望月衣塑子記者(春名中撮影)
 旧民進党系の衆院会派「無所属の会」(岡田克也代表、13人)に所属する安住淳財務相大串博志議員ら6人が先日、立憲民主党会派入りした。岡田氏も後から入会する方向という。安住氏は「参院選を控えて、そろそろ核になる野党が必要。自民党に本格的に対抗できる勢力の軸をつくりたい」と語っている。いまさら、そんな話を聞かされても、多くの有権者はシラケるだけだろう。元はと言えば、支持率が激減した旧民進党が「旧希望の党」人気にあやかって解党し、議員たちが散り散りバラバラになったのが混迷の始まりだ。
 自分たちで政党を壊しておきながら、「自民党に対抗できる勢力を」などと言っても、それなら壊さなければよかっただけの話ではないか。「なぜ、旧民進党は壊れたのか」について真摯(しんし)な総括がない限り、いずれまた内輪げんかを繰り返すのは目に見えている。私は元左翼だったので、野党が内ゲバをする理由はよく分かる。一言で言えば、彼らは現実に立脚せず、理想ばかり唱えているからだ。理想は頭で考える話なので、いくらでも思いついて主張できる。思いつきだから、議論しても妥当な根拠や正しい結論などありようがない。「オマエの考えはダメ」と言われれば、それまでだ。だから、議論がヒートアップしてくると、最後はけんか別れにならざるを得ない。
 彼らがいかに現実離れしているかは、激動する国際情勢について、ほとんど発言がないことで証明されている。米国と中国の新冷戦、あるいは北朝鮮の「核・ミサイル」問題について、野党から聞くに値する意見が出てこない。私は試しにグーグルで「野党名と北朝鮮、米中新冷戦」などと検索してみたが、読むに値しそうな記事はヒットしなかった。彼らは沈黙を守っているも同然である。それもそのはずだ。彼らは基本的に「お花畑思考」にとらわれているから、大国同士が激しく衝突する事態を目の当たりにすると、「けんかは良くない」程度のことしか言えないのである。あるいは、「日本は米中の仲介を」などと耳当たりのいい話をするのが関の山だ。
 このあたりは、野党だけではない。左派マスコミも似たようなものだ。例えば、朝日新聞は12月3日付社説で、米中の90日の貿易戦争休戦について、「両国が責任を自覚し、長期的に関係の安定をめざす道筋を熟考する機会としてもらいたい」と空論を唱え、日本についても「米中両首脳に対しては、機会あるごとに大局的な判断を促し続けるべきだ」と上から目線で書いた。朝日新聞は「貿易戦争が、新冷戦の一部にすぎない現実」を見ようとはしないのだろう。それを認めたら、米国と同盟関係にある日本の仲介など、あり得ない話になるからだ。沖縄県尖閣諸島を脅かす中国の脅威に日米同盟で対抗している現実も「知らんぷり」している。世界、とりわけ東アジアが緊張すればするほど、理想主義にとらわれた野党と左派マスコミは必然的に衰退する。2018年は、そんな真実が明らかになった1年だった。(長谷川幸洋「ニュースの核心」zakzak 2018.12.29 )
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🏁17¦─2─中国人のマナー違反・ルール違反。中国人トラブル。中国人マネーに耐え忍ぶ日本人。〜No.113No.114No.115 * 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 現代日本人は、名誉や体面を守るサムライ・武士ではない。
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 2016年9月1日 産経ニュース「中国人観光客のマナー違反?魚ぐったり ふれあいコーナーを臨時閉鎖 葛西臨海水族園
 臨時閉鎖が決まった葛西臨海水族園の触れ合い体験コーナー「タッチンフィーリン」(同園提供)
 葛西臨海水族園(東京都江戸川区)は1日、サメやエイに触れる体験コーナー「タッチンフィーリン」を2日から臨時閉鎖すると発表した。夏休み中の来園者が多く、しばらく魚を休ませ、水質を改善させる必要があると判断した。閉鎖期間は未定だが、1カ月程度とみられる。
 園によると、中国人観光客らのマナー違反も目立ち、魚を引っ張ったり、つめで引っかいたりしたことも、魚が弱った要因とみられる。
 同コーナーは平成21年に設置。長さ14メートルの水槽に小型のサメやエイ約10匹が泳ぎ、背中をなでるなどの触れ合いを楽しめる。係員3人が事前に手を洗うよう指導していたが、7、8月に家族連れや外国人の利用が相次ぎ、日焼け止めクリームが水質を悪化させるなどして管理が困難に。魚も餌を食べなくなるなどしていた。」
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 2017年2月7日 産経WEST「自撮り棒持って線路内へ 中国人観光客らのマナー違反に困った…“聖地巡礼”のJR北海道・朝里駅
 自撮り棒。線路に立ち入っての撮影は非常に危険だが…(澤野貴信撮影)
 7日放送のテレビ朝日系情報番組「モーニングショー」は、JR函館本線「朝里(あさり)駅」(北海道小樽市)周辺で、中国人観光客らが線路内に立ち入って写真撮影を行うなど、観光マナー違反の実態を取り上げた。
 番組などによると、同駅は中国で大ヒットした映画「恋愛中的城市」のロケ地として登場。SNSなどを通じて存在が知られるようになり、中国人の北海道人気と相まって、作品中のゆかりの場所を尋ねる“聖地巡礼”として同駅観光が定着したという。
 ところが、一部の観光客らが自撮り(セルフィー)棒を手に線路内で撮影しようとしたり、近くの住民の私有地に無断で入るなどマナー違反が激増。番組では、「勝手に敷地内で写真を撮られた」と迷惑顔の地元住民の声も紹介された。
 JR北海道によると、人身事故の危険性がある線路内の立ち入りについては、列車側で警笛を発するとともに緊急停車の措置を取る。同社の調べによると、昨年12月〜今年1月末の現場付近での緊急停車回数は計7回に上った。
 同社は、無人駅のため注意する駅員がいないこともマナー違反が増えた一因となったと判断。英語・中国語で注意を呼びかける看板設置のほか、1月27日からは警備員も2人配置する対策を取った。
 番組では、コメンテーターを務めるジャーナリストの青木理さんが「悩ましい問題で、(観光客増加による)経済効果はあると思う」と功罪両面を指摘。これに対し、弁護士の菅野朋子さんは「住居侵入など警察が動かざるをえない場面も出てくるのでは。何か(事故が)あってからでは遅い」と対策を求めていた。
(WEB編集チーム)」
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 7月23日 msnニュース「【世界ミニナビ】乗り逃げ率9割以上、中国「シェア自転車」2社が相次ぎ倒産…マナー頼みではビジネスにならず
 安倍さんの身から出たさび、村上氏
 中国で昨年から今年にかけて急速に普及しているレンタル自転車「シェア自転車」を展開する2社が6月、相次いで倒産した。いずれも、貸し出した自転車のほとんどが盗まれ、事業が成立しなくなったことが原因という。シェア自転車は従来のレンタル自転車と異なり、スマートフォンを使うことなどにより、どこででも乗り降りができる便利さが特徴だが、一方で利用者の「良心」に頼らなければならない側面もあり、やはり、マナーという面で中国では成り立たないのだろうか。
 セキュリティーの欠陥につけ込まれる?
 中国メディアが報じたところによると、倒産したのは「悟空単車(Wukong Bike)」と「3Vbike」の2社。先に倒産した「悟空単車」は、今年初めに重慶で事業をスタートさせたが、当初投入した約1200台のうち約9割が回収できなくなった。多くのケースで電子キーを破壊されたという。
 また同社の自転車には、他社の多くに標準的に搭載されている衛星利用測位システム(GPS)が搭載されておらず、行方不明になった自転車を「追跡」することができなかった。このセキュリティー上の問題につけ込まれたらしい。同社は資金繰りが悪化し、倒産した。
 「3Vbike」は今年2月から河北省の廊坊市、保定市や福建省内でシェア自転車の事業を展開。こちらも開業後間もなく、投入した約1000台のほとんどが、キーを破壊されるなどして貸し出したまま戻らなくなった。同社は、全体の約2割程度の盗難は予想していたが、その割合が100%近くになることは想定していなかったという。
 大手2社が資金力で圧倒
 中国でのシェア自転車の一般的な利用法は、利用する社に登録をした上で、その社の自転車を探し、自転車についているQRコードをスマートフォンで読み取って電子キーを解除して乗る。乗り終えれば再び自転車にロックをかけて駐輪する。利用した時間分を電子決済などで支払うシステムだ。
 シェア自転車の普及とともに新規の参入が相次いでいるが、中国国内では「ofo」と「摩拜単車(mobike)」の大手2社が業績を伸ばしており、ほかの社は資金力に乏しく、盗難防止に対するセキュリティーが万全でないケースも多いことから、盗難被害に遭いやすく、結果として経営悪化につながりやすいようだ。
 人口の多い中国だからこそ普及するビジネスのようだが、マナーの面では疑問符がつく中国だからこそ難しいビジネスでもあるようだ。」
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 11月11日 産経WEST「【今週の注目記事】紙流さずトイレ…中国人観光客、マナーに不安も熱烈歓迎 SNSオピニオンリーダーが「海の京都」PRに協力
 SNSに投稿する写真を撮る中国人KOLたち。彼女たちの投稿は中国で大きな影響力を持つ=10月4日、京都市右京区東映太秦映画村
 国内外から訪れた観光客にSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)を通じて魅力を発信してもらう−。どこの観光地でも昨今、こうした戦略が不可欠になっている。京都府は今秋、観光客の人気が高い京都市に埋没している京都北部を海外にPRするため、SNSで強い影響力を持つ中国人を集め、天橋立など北部の観光地をめぐってもらう試みを民間企業と実施した。一方で、文化やマナーの違いによるトラブルに悩まされる観光地も少なくない。観光客の急増に対応できる態勢づくりが課題だ。(桑村大)
 瞬時にリツイート
 「京都北部という新しいトレンドを中国に発信していただきたい」
 10月上旬、城福健陽・京都府副知事は、京都市右京区東映太秦映画村に集まった18人の中国人の若者に呼びかけた。
 彼らは中国版ツイッター「微博(ウェイボー)」で10万人以上のフォロワーを抱える。SNS上で大きな影響力を持つKOL(キー・オピニオン・リーダー)と呼ばれる人たちの中でも大物だ。
 今回、18人のKOLは太秦映画村を出発して京都北部を巡るプロモーションツアーに招待された。ツアーは、北部を走る第三セクター・京都丹後鉄道の運営会社ウィラーと、訪日外国人向けのWi−Fi(ワイファイ)ルーターのレンタル会社、スマートフォン向けゲームアプリを手がける中国の法人の3社が共同で主催。訪れた先々の写真や感想を投稿してもらうことで観光資源をPRし、中国からのインバウンド(訪日旅行)のさらなる増加につなげるのが狙いだ。
 太秦映画村で行われた式典には、京都府ゆるキャラ「まゆまろ」や北部各市のゆるキャラら7体が駆けつけた。KOLたちは一眼レフカメラや自撮り棒を手に映画村内を散策。SNSに投稿する写真を撮り、3泊4日のツアーへ旅立った。
 天橋立宮津市)や舟屋群(伊根町)など、京都北部を代表する観光地の数々を背景に、次々と撮られては投稿される自撮り写真。多くが瞬時にリツイートされるなど、大きな反響があったという。
 北部宿泊わずか1万人
 民間企業による一イベントに、なぜ副知事やゆるキャラが駆けつけるほど自治体が応援するのか。背景には、府内の観光地を訪れる観光客数の大きな偏りがある。
 京都府によると、昨年の府内の外国人宿泊客数は約326万人。4年連続で過去最高を更新している。そのうち約76万人が中国人観光客で、全体の約4分の1を占める。
 しかし、市町村ごとの分布を見ると、約318万人が京都市内にとどまり、市外で宿泊するのはわずか7万人あまり。中国人に限ると、舞鶴市福知山市宮津市京丹後市など北部に宿泊するのは1万人しかいない。
 そんな京都北部を外国人観光客にもっと認知してもらおうと、府は日本海に面している北部を「海の京都」と位置づけ、地域活性化と観光振興を目指してきた。
 そのためには、中国人観光客に京都北部について知ってもらうことから始める必要があったのだ。
 ただ、異なる文化を持つ訪日外国人が急増することで、生活習慣の違いから生じるさまざまなトラブルが多発する例もある。
 「なにわの台所」として知られる大阪市中央区の商店街「黒門市場」では近年、東アジアを中心に観光客が急増。客足が遠のいて経営が苦しくなりつつあった商店街に「にぎわいが戻った」と喜ぶ声がある一方、必ずしも良いことばかりではなかった。
 生鮮食品を何度も触ったり、食べ歩きをした後のごみを路上に捨てたり…。マナーの悪い中国人観光客に頭を悩ませる店主も続出した。
 トイレ・浴室マナーはその都度
 京都北部の観光地はどのように対応していくつもりなのか。
 伊根町観光協会の吉田晃彦事務局長(39)は「マナーの良い外国人もいれば、悪い日本人もいる」と、中国人観光客の受け入れに不安はないと言い切る。「肝心なのは、この町の魅力と過ごし方をきちんと理解してもらい、楽しんで帰っていただくこと」
 以前は宿泊施設のトイレで紙を流さずにごみ箱に捨てたり、浴室のドアを開けたまま入浴したりする観光客が多かったという。その都度、理由を示しながら理解を求め、改善を図ってきた。
 また、同観光協会には中国人の職員が勤務し、同胞の観光客を相手に文化の違いなどを分かりやすく説明しているという強みもある。宿泊施設を中心に案内板を多言語化するなど、少しずつ受け入れの準備を進めている。
 吉田さんは「住民と観光客が互いに不便なく過ごせるよう、協会が先頭に立ってフォローしていく必要がある」と使命感をもって取り組む。
 台湾の人気ブロガーを雇用
 宮津市天橋立観光協会の中島明事務局長(67)も「より多くの方に来ていただけるのは喜ばしい」と前向きに受け止める。同観光協会によると、今年4月以降、市内の案内所を訪れる外国人は前年同期と比べて5割ほど増えているという。そのうち約7割が台湾や香港からの観光客で、中国からの観光客はまだまだ少ない。
 「『海の京都』の魅力が伝わってくれたら、中国人観光客はもっと増える」と、今回のプロモーションツアーの効果に期待を寄せる。
 天橋立観光協会はすでに人気ブロガーでもある台湾人の職員を雇い、PR活動を行っている。関西の観光地を中心に投稿しているブログは人気が高く、この職員に会うのを目的に宮津へ足を運ぶ観光客もいる。
 中島さんは「SNSやブログの方が情報が届く範囲が広いし効果も大きい」とKOLの力を実感しており、「こうしたツールで日本の習慣やマナーについても発信することで、海外に浸透させることができるのでは」と自信を見せる。
 とはいえ、KOLの発信により京都北部で観光客が本格的に増えていくのはまさにこれから。“おもてなし”の精神で、トラブルの芽をつむ地道な取り組みも求められそうだ。(11月7日掲載)」
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🏁17¦─1─急増する中国系住民と地元・日本人との生活習慣の違いによるトラブルが多発する。〜No.110No.111No.112 * 

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 関連ブログを6つ。プロフィールに情報。
   ・   ・    {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 中国人移民が増えれば、今まで見えなかった民族間での対立が表面化する。
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 激減する気の弱い日本民族日本人と急増する気の強い日本国籍取得中国人(日本国民中国人)。
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 外国人移民を受け入れる以上は、彼らと共存する為に多少の事は目をつむるしかない。
 それが、多数派の少数派への配慮・思いやりである。
 人口激減する日本は、約1,000万人の外国人移民を受け入れるしか方法がないのだから。
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 2017年8月25日 産経ニュース「中国人がヤミ耕作? 用水路脇にある無許可の畑や小屋の撤去始まる 「放火なくなれば」
 警察関係者(右)と闇畑の物置を片付ける中国系とみられる人=25日午前、埼玉県熊谷市(斎藤浩一撮影)
 埼玉県熊谷市の県営熊谷玉井住宅付近の用水路脇で6〜8月、物置などが燃える不審火が5件相次いでいる問題で、県警熊谷署などは25日、用水路脇に無許可で設置された小屋や畑などの撤去作業を開始した。
 同署によると、用水路脇の土地は一部を除いて市有地で、約20年前から近隣の一部住民らが無許可で使用していた。多くは中国系の住民とみられる。同署と同市は使用禁止の看板を設置し、無許可で使用している人に対して自主撤去を働きかけた。撤去作業は使用者の同意を得て行った。
 午前10時すぎから始まった作業には同署員と同市職員約40人が参加。地面に埋められた鉄の支柱や柵を取り外していった。焼けた木や鉄パイプなどが搬出され、中にはベッドマットや鏡などもあった。
 父親が中国人で同住宅で40年ほど暮らしている男性(68)は農具を入れていた小屋が放火被害に遭った。ナスやキュウリなどを作って知人に配っていたといい、「撤去されてもしようがない。放火がなくなればと期待している」と作業を見つめていた。
 別の住人男性(65)は「別荘代わりにしてバーベキューをしている人もいた。(無許可で使っているので)燃やされるのも当然だ」と話した。
 同住宅付近では17日に運送会社跡地でも不審火があり、同署は同一犯による連続放火の可能性もあるとみて捜査している。」


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⛿24¦─1─鹿児島県下甑島(しもこしきじま)事件。1997年2月2日夜〜4日。~No.127No.128No.129 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本国憲法では、日本が攻められ、日本人が殺されない限り、動けない。
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 中国人集団密航と自衛隊の非武装治安出動。
   ・   ・   ・   
 2012年2月3日号「フライデー」
 「日本が「10万人超の大量脱北者」に侵略される日 恐怖のシミュレーション
北朝鮮崩壊」後に起きることを政府は密かに試算している 延々と広がる日本海側の住民にとっては空想話ではないのだ
 独裁者の死による指導者交代。だが、弱冠29歳の三男・金正恩氏の体制が盤石なはずはない。日本政府は、やがて日本に侵入する脱北者の試算を始めていた。インベーダーに対抗する有力な手段はあるのだろうか---。
 取材・文|大清水友明(ジャーナリスト)
 韓国統一省は、11年に韓国に入った北朝鮮からの脱北者数を2,737人と発表した。00年代から急増したその数は、累計で2万3,100人に達した。日本でも年明け早々、隠岐島(島根県)周辺で男性3人と一人の遺体を乗せた不審船が見つかった(彼らは機関故障のために漂流したとして脱北を否定)。昨年9月には、脱北を図った9人の男女が保護され、韓国に引き渡されている。
 人権問題に取り組む韓国の団体「被拉脱北人権連帯」は、中国との国境に接した鴨緑を昨年の大晦日に渡って脱出しようとした北朝鮮の3人の住民男性が、国境警備隊に射殺されたとの情報を発表している。
 これら脱北者の盛んな動きは、金正日総書記の死去、そして三男・金正恩氏の後継という北朝鮮国内の政情と無関係ではないだろう。元韓国国防省情報分析官で拓殖大学国際開発研究所客員研究員の高永竽氏は、こんな分析をする。
 「2〜3年という短期間であれば、大量脱北者の発生という事態は起こりにくい状況だと考えます。銃殺に処したことで、金正恩体制が脱北者に対して厳しい姿勢を取ることが示されましたし、中国は金正恩体制を公式に認め、北朝鮮に食糧援助、石油などの経済支援を行う環境もある。ただし、中長期的に見れば難民の大量発生の可能性は高い。食糧難による混乱と権力争いに端を発する混乱。これら二つの要因が、あるいは重なり、春から秋であれば船で日本海を渡り、大量の脱北者が日本に流れ込む可能性も高いでしょう」
 すでに日本政府は北朝鮮の後継体制が不安定化し、内部崩壊へとつながる場合を想定した研究作業を進めている。作業にあたるのは、内閣の安全保障会議を補佐する事態対処専門委員会で、官房長官を委員長に、内閣危機管理監、内閣情報官、警察庁次長、防衛省の防衛政策局長、自衛隊トップの統合幕僚長などから構成される。この委員会の事務を担当するのが、安全保障・危機管理担当の内閣官房副長官補で、現在、この任にあるのは、防衛省の運用企画局長から転出してきた櫻井修一氏だ。首相官邸の関係者が、現在進められている作業を説明した。
 「北朝鮮の有事に備えた政府の対応策は、'06年に北朝鮮が核実験を強行し、米との軍事衝突の危機が叫ばれるようになって以来、本格化しました。金正日の死亡によって、朝鮮人民軍の暴走による南北の軍事衝突など軍事面でのシミュレーションをしているのはもちろんです。しかし、櫻井氏の直属の部下にあたる内閣官房副長官補室をはじめとした首相官邸の作業チームが、最大の検討課題の一つに据えているのが大量の難民流入を想定した対策なのです」
 官邸関係者の説明によると、07年に事態対処専門委員会が推計したところでは、北朝鮮から日本に上陸してくる脱北者の数は10万〜15万人に上るという。これは、日本政府が運用する人工衛星の写真などを基に、北朝鮮日本海側にある船舶の数を調べ、はじき出した数字だという。難民が上陸すると見られるのは、中国地方や九州を中心とする日本海側だ。離島も少なくなく、海岸線は膨大な長さに及ぶ。警察や海上保安庁などの監視が十分に行きわたらないことも想定されるため、不法上陸を食い止めるのに、自衛隊を何m間隔で沿岸に配置すべきかという検討までなされている。
 また、難民を収容するための施設は、大阪府茨城県長崎県にある3ヵ所の入国管理センターだけで、収容能力は計1,800人分しかない。想定の難民の数からすると到底足りない。災害時のように公園などに仮設住宅を建てることも検討されているが、学校などの教育施設は児童・生徒たちの教育、安全に支障を来す恐れもあるため使用できない。
 脱北者流入をシミュレーションする上で、政府の危機管理担当者が注目する、過去に実際に起きた事件がある。今から15年前、鹿児島県の離島に集団密航した中国人が不法に上陸した「下甑島事案」が、それである。本誌記者は離島を訪れ、このモデルケースが、当時、住民にどのようなインパクトを与えたのか、現存する証人から話を聞いた---。
 「訓練」名目の出動に批判が
 下甑島は、鹿児島県の西40㎞の東シナ海に浮かぶ。中心集落の手打へは、本土から船で3時間、バスに乗り継いで20分ほどかかった。砂浜に沿って石垣に囲まれた家屋が並ぶごく静かな集落だ。
 15年前のことを尋ねて歩くと、住民は、「島であんな大きな事件が起きるなんて思ってもみなかった」と、誰もが鮮明に覚えていた。住民や当時の役場幹部から得た証言を基に当時の状況を再現する。
 身振り手振りで「何か食べさせてくれ」と、4人の男が漁港そばの民宿に現れたのは、97年2月3日の朝6時半頃のことだった。言葉の通じない男たちに、応対に出た女性は驚き、宿泊客に頼んで警察に通報したが、駐在所から警察官が駆けつけるまでに4人のうち2人が逃亡した。
 同時に、集落の各地から外国人らしき不審者がいるとの連絡が相次いでいた。村内にある駐在所は2ヵ所で、警察官は2名。警察官は本土にある川内警察署に応援を要請するとともに、役場にも協力を要請した。当時の下甑村長・小倉義富さん(72)は、役場の職員を召集するとともに、午前7時50分に行政無線で「外国人が上陸した模様。不審者がいれば通報を」と集落全体に呼び掛けた。
 密航者捜索に、村の消防団青年団が召集された。捜索活動に加わった57歳の飲食店主はこう振り返った。
 「刃物を持っているのではないかという噂もあって、それはおっかなかったよ。釣掛埼灯台のそばの山中を探していると、スーツ姿の男が立っている。俺たちを見るなり逃げ出したんで、無我夢中で取り押さえたけど、武器を持ってなくてよかったと、今になって思うよ」
 密航者は草むらの陰や、牛舎から次々と見つかり、正午頃には、20人に上り、駐在所に収容しきれなくなって公民館に身柄が移された。彼らは、ほぼ広東省福建省の出身で、業者に400万円を支払い、船に乗ってきたと話していた。
 本土の川内警察署からは、署長以下、応援の警察官25人が船やヘリで下甑島に向かったが、ようやく到着したのが正午前。中国人密航者20人を出入国管理法違反で逮捕し、本土に船で搬送する作業を済ませた頃には午後4時を回っていた。
 ところが、警察が中国人らから聴取した供述内容が問題となった。元役場職員の横川昭正さん(83)は、戦中、戦後、中国で暮らした経験から取り調べの通訳にあたった。横川さんの回想。
 「逮捕した密航者のうちリーダー格だった男が『乗ってきた船には30人以上いた』と言うのです。さらに『夜で暗かった上、海が荒れていたので、何人上陸したか正確には分からない。25人はいただろうか』とも言うではありませんか」
 まだ捕まっていない密航者がいるかもしれないと、翌日も捜索が行われ、それには航空自衛隊の隊員が加わった。島に西部航空方面隊に属する下甑島分屯基地のレーダーサイトがあるからだった。
 当時、下甑島の部隊の上級部隊にあたる西部航空警戒管制団の司令だった津曲義光氏(後に航空幕僚長)は、航空自衛隊OBの会報誌「翼」の10年6月号で当時の経緯をこう説明している。
 〈四日朝、春日基地(西部航空警戒管制団の所在基地)の団司令部において運用班長から自衛隊への応援要請があったとの報告を受けた私は、電話で直接群司令(下甑島分屯基地の司令)にその事実を確認し、野外訓練での三十人規模の捜索活動の支援を指示した〉
 さらに、津曲氏は下甑島の基地司令に、自衛隊には職務質問も逮捕する権限もないので、警察官を同行してもらうようにとも指示したのだという。
 2月4日の捜索は、総勢170人あまりの捜索隊が10班に分かれて行われた。自衛隊は30人の隊員が出動し、各班に振り分けられた。密航者が上陸したとみられる島の最南端の釣掛埼付近の捜索を担当し、高さ200mもの絶壁をロープで下りて海岸をくまなく探した隊員もいた。
 しかし、この日、自衛隊が捜索活動に参加したことをメディアが問題として取り上げた。「野外訓練」名目に出動したのに、実際は捜索活動を行ったこと。さらに自衛隊法では、治安維持や災害派遣などで基地外に出動するには都道府県知事の要請が必要と定めているが、当時は知事の要請がなかったことも問題視された。さらに川内警察署は自衛隊出動の経緯について「自衛隊側から捜索に協力したいと申し入れがあった」と説明し、両者の説明が食い違うことも批判された。
 報道を受けて2月6日には、防衛庁(当時)の村田直昭事務次官が、「所要の手続きを経て、警察機関への協力活動として実施すべきところ、野外訓練の一環として実施した点については適切さに欠ける面があった」との談話を発表し、メディアの指摘を追認してしまった。
 結局、その後の警察の捜索でも密航者は発見されず、「25人が上陸した」というのは、リーダー格の男の勘違いだったのだろうということで片づけられた。以上が「下甑島事案」と呼ばれる15年前の事件の?末である。
 自衛隊は〝動けない〟
 実は内閣危機管理室を中心に、北朝鮮のXデーに向けて本格的な難民対策を検討しており、貴重なモデル・ケースとしてこの事件の研究が密かに進められてきた。政府関係者はこう打ち明ける。
 「北朝鮮から大量の難民が発生し、日本海沿岸に続々と押し寄せてくると想定すると、下甑島と同様に、警察官がわずかしかいない離島や漁村は各地にあります。数人ならともかく、数十人、数百人単位で同時発生的に上陸した場合、初期対応をどうするのか、収容先をどうするのか、対策は何も決まっていません。下甑島での事件を研究した上で、対処方針を早急に詰める必要があるというわけです」
そして最大の課題は下甑島事案と同様、自衛隊の運用だという。下甑島で自衛隊が出動して捜索に加わったのは、事件の翌日。初日は、警察や消防団などだけで対処した。密航者は抵抗することもなく捕捉されたが、仮に刃物などを持った「武装難民」だった場合には、とても消防団では太刀打ちできない。
 万が一、破壊工作の任を担った北朝鮮特殊工作員が紛れこんでいた場合、警察でも迂闊に手が出せないばかりか、原子力発電所などが攻撃対象とされる可能性もある。それでも「難民対策に自衛隊が出動する事態は、法律上は想定されていない」(前出・政府関係者)のだ。
 自衛隊法78条では、警察の力だけでは治安を維持することができないと認められる場合には、自衛隊が出動することができると定められている。いわゆる「治安出動」だ。だが、治安出動には総理大臣の命令が必要となる。60年代には学生運動労働争議の際に出動が検討されたこともあるが、一度も出動が発令されたことはない。〝軍隊〟を使って治安を維持することへのアレルギーが強いためだ。
 「これまでの検討でも、脱北者をはじめ難民の上陸を出動可能な項目として新たに加える、あるいは出動要件を見直すことも考えた」と政府関係者は言うが、「検討の段階に過ぎない」とした。
 全国の離島と同じように過疎化が進む下甑島では、事件当時から2割も人口が減り、高齢化も深刻だ。小倉元村長は、「もはや消防団には当時のような規模の捜索活動をするのは困難」と言う。下甑島と同じ状況にある日本海側の町村が、いったいどれだけあるだろうか。
 危機は絵空事でなくなった。明確な対処方針を政府が早急にまとめるべきだ」
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 2月6日 朝日を始めとした新聞各紙は、自衛隊の行動を自衛隊法違反だとして批判する報道を始めた。
 村田防衛事務次官は、「自衛隊参加は適切さに欠ける……中略……所要の手続きを経て、警察機関への協力活動として実施すべきところ、野外訓練の一環として実施した点については適切さに欠ける面があった」とコメントした。
 2月7日 朝日新聞は、防衛事務次官コメントを朝刊紙面に掲載した。
 防衛庁長官コメント以降、マスコミ報道は沈静化し、自衛隊が法令違反を犯して、不適切な行動を行ったと非難された事案は終息した。
   ・   ・   ・   
 中国人密航者は、経済難民として働きに来ただけであった。
 もし、これが反日派の中国共産党や中国軍の工作員武装していたら、自衛隊は全滅し、島民は虐殺され、下甑島は占領された。
 自衛官は、命令なく敵を射殺すると殺人罪で逮捕された。
   ・   ・   ・   
 反日の中国軍は、自衛隊武力行使憲法9条で禁止されている事を知っていて、傍若無人に振る舞い、平気で国境を超え、領空や領空を侵犯している。
 反戦平和市民団体は、国益を損ねる事を承知で、自衛隊の行動を憲法違反として規制しようとしている。
 彼らが最優先に守る事は、国益でも国民の生命財産でもなく、憲法第九条であっった。
 其の為には、限度なく中国や韓国・北朝鮮に配慮し、限度なく譲歩をするべきであると確信している。
 重要なのは、中国の国益であって日本の国益ではないと。
 最終目標は、日本の国防力を消滅させる為に自衛隊を解散させ、日米同盟を解消する事である。
 日本を守る自衛力、武器を持つ事は、憲法違反であると。
 平和憲法を守る為には、国家権力を監視し、如何なる理由に於いても武力行動を阻止するべきだと。
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 反日派の中国共産党と中国軍は、日本領土尖閣諸島や沖縄、沖ノ鳥島五島列島など島嶼を日本から強奪する為に軍事力を増強し、多くの工作員を日本に送り込んでいる。
 反日工作員・スパイは、中国人だけとは限らず、日本人だったり、韓国人だったり、他の外国人だったりする。
 日本は、国内外の敵から身を守る為の手段が脆弱で、特に情報戦や宣伝戦は最も弱い。



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🏁15¦─1─中国共産党の日本に対する新たな陰謀。中国共産党に協力する日本人。~No.101No.102No.103 

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 青幇(ちんぱん)または「清幇」略して「安清」「安慶」当初は「漕幇」と呼んでいた。中国の秘密結社。元々は中国に広がる大運河の水運業ギルドだったが、時代が変わるに連れ一部が革命(辛亥革命)前の中国の暗黒面を代表する秘密結社になった。その一部は、上海を支配しアヘン、賭博、売春を主な資金源とした。その中でもアヘンを最大の資金源とし一時は中国全土の取引を支配した。後の文献もこれが主となってしまったため一様に暗黒面とされた。
 しかし、もとは相互救済、民族主義漢民族再興、打倒清朝(満人)が最大の不変の目的である。
   ・   ・   ・   
 共産主義体制史とは、権力闘争の歴史で、粛清に次ぐ粛清で死体の山を築く凄惨な歴史である。
 軍国日本は、そうしたソ連中国共産党などの共産主義勢力の侵略から母国日本(天皇と民族)を守るべく、一人で、孤独に戦争を続けていた。
   ・   ・   ・   
 共産主義マルクス主義)は、信用できない。
 中国人、韓国人・朝鮮人そしてロシア人は、信用できない。
   ・   ・   ・   
 日本国内には、中国共産党習近平に取り入ろうとする反天皇反日的日本人が少なからず存在する。
 彼らは、スパイ防止法成立や諜報機関設立に猛反対いている。
 彼らは個人主義者あるいは利己主義者として、多数派に付和雷同せず、1,000万人行けど我行かず、で、自分の信念の為ならば国益や民族益や他人の利益などは無価値として捨て去る冷徹な日本人である。
 彼らは、中国資本に日本国土の売却、帰化していない外国人居住者(韓国人・朝鮮人・中国人)の役人・官僚登用と参政権付与など、日本国解体の為に活動している。
 彼らは、多民族多文化多宗教共生を公言しているが、彼らが主張する「日本の多様性」とは歴史と伝統を持った日本民族日本人の消滅である。
   ・   ・   ・   
 2019年3月号 WiLL「ファーウェイ製品はゾンビのように甦る
 ファーウェイ製品の締め出しが始まったからいって油断できない。
 ナゼかというと──
 深田萌絵
 前号、好評を得た『ファーウェイとの8年戦争』だが、より詳細に、との声もあり『つづき』を書く──。
 巨大スパイ組織
 孟晩舟(もうばんしゅう)の逮捕後、ファーウェイを 『通信スパイ企業である』とする報道が相次いたが、むしろファーウェイは本物の『巨大スパイ企業』であると言える。単なる通信スパイであれば、通信を傍受するだけで、各国の諜報員と連携することはできない。ポーランド諜報機関とファーウェイ元社員の協力関係から見て、通信傍受のみでなく『ヒューミント(人間を媒介として諜報活動のこと)』も確実に行っている。この事実1つをとってもファーウェイが本物のスパイであることが分かる。
 1月17日、T・モバイル(ドイツの通信企業)のロボティックス技術がファーウェイに不正流用され、刑事捜査が始まったとウォール・ストリート・ジャーナルが報じた。これまでにファーウェイに絡んだ事件では、シンガポールで最先端のテラヘルツ波技術の研究をしていたシェーン・トッド氏が、重要機密を政府に報告しようとした矢先に不審死したが、その時に批判した『中国企業』もファーウェイだったと言われている。ロボィッテクス技術やレーザー兵器に転用できるテラヘルツ波などを見ると、盗もうとしている技術ターゲットが単なる『通信技術』でなく、明らかに『中国製造2025』を達成するための『軍事転用可能技術(デュアルユース)』であることが窺える。『中国製造2025』は単なる産業強化計画ではなく、AI兵器、ロボット軍、宇宙兵器開発のための計画である。
 理由なく逮捕
 筆者の経営する企業がファーウェイから狙われた理由もデュアルユース技術だ。弊社のCTO(最高技術責任者)であるA氏は、かつてJSF(統合打撃型戦闘機)計画に参加し、ロッキード・マーティンの子会社と共同でF35向けのフライトコントローラー用チップソリューションを開発していた。その際、半導体シンジケート青幇(チンパン)の頭領であるウィンボムCEO・焦祐鈞(しゅうゆうきん)に設計資料を要求され、断ると台北検察に理由なく逮捕、獄中で殺されかけた。その時動いたのが、立法院長(国会議長)だった王金平(おうきんぺい)だった。
 王金平が彼を獄中から救い、台湾空港で米国諜報員から新しいパスポートを手渡され、FBI被害者保護プログラムで名を変えて米国内で研究開発を続けていた。
 A氏と起業する時に、『青幇と中国スパイが必ず狙ってくる』と警告してきたのだが、『まさか』と、その時は一笑に付した。だが、彼の予告通り起業準備中に青幇と情報共有しているファーウェイから『技術を売ってくれ』とアプローチされ、断った瞬間から絶え間ない妨害、嫌がらせが続いたのだ。
 ファーウェイが兵器技術を必要とする理由は、習近平の目指す軍民融合国家を完成させるためにほかならないんだ。
 ファーウェイが各国の諜報機関と連携できるようになったのは、実はCIAが育てた青幇諜報員のおかげなのだ。
 1988年以前の台湾は、蒋経国(しょうけいこく)が特務(諜報機関)のトップとして青幇勢力を抑えてきた
 特務や調査局の人物は戦争中から諜報員として活躍していた青幇構成員が多い上、英語・日本語・中国語と語学に堪能な人材が多かったため、CIAも重宝していた。
 蒋経国の死後、青幇は諜報部門に返り咲くと共にファーウェイと組み、青幇頭領の息子だった前出の焦祐鈞もファーウェイ創業と同じタイミングで半導体企業ウィンボンドを立ち上げて台湾の半導体産業を牛耳った。
 ファーウェイがZTEよりも米国に警戒されているのは、各国諜報機関にネットを持つ青幇が協力しているからだ。青幇が台湾の諜報機関半導体業界を牛耳るようになってから、フランスのラファイエットやミラージュ戦闘機に代表されるように台湾=中国間の兵器技術移転ビジネスが始まった。そして、F35の技術も奪われた。
 米国政府は、ようやく台湾政府に『敏感技術保護法』(兵器転用されやすいセンシティブな技術を保護する法)を制定するように迫っているようだが、これで困ったのが青幇のメンバーである。
 ファーウェイの卸業者も務める電子部品商社Synnexの董事長(=社長)・苗豊強が、半導体ファウンドリ大手企業でるTSMCとMediaTeK、ホンハイ傘下のディスプレイ大手Innolux、パソコン大手エイサー、携帯電話大手HTC等の企業幹部を集めて会議を開いた。そのとき、参加者の一人が『この法律が制定されたら、全員牢屋で再会することになる』と発言。そのことが台湾で報道されたが、『私が犯人です』と自白したようなものだろう。
 ファーウェイの卸業者が情報収集を始める際に、直接出てくることは少ない。彼らは基本的に、何万社とある支配関係にあるフロントを使って攻めてくるので、プレイヤーの数はかなり多い。協力関係にある企業は。大別して鄧小平(劉華清{りゅうかせい})系や台湾青幇系に行きつく。そして、たまに出てくるのがパチンコ系(北朝鮮)である。
 ファーウェイの協力企業
 日本の衛星実験でファーウェイに協力したのは、鄧小平系と親しい企業だ。通信インフラは陸の基地局、海の海底ケーブル、空の衛星とおおよそ3つに分かれる。ファーウェイは日本の基地局過半数を占めており、海底ケーブルは台湾経由でハッキング可能で、最後に衛星をハッキングする必要があった。衛星通信はF35等の次世代型兵器向けの中央制御システムの通信に利用されており、日米安保上、中国に絶対にハッキングされてはいけない代物だ。
 そこで、実験の親事業者である佐川急便関連会社の役員が出てきて『ファーウェイの日本支社長と長い付き合いで、ファーウェイ製スパコンで実験をするのはどうか』と提案してきたのだ。『衛星通信実験にファーウェイ製品を利用するのは国防上のリスクだ』と反対して最終的に決裂した。
 調べてみると佐川は鄧小平の娘婿である軍装備部出身の賀平が創業した企業で、事実上は解放軍ロジスティクスフロント企業『保利集団』と合弁会社をつくっているのである。
 そういう人的関係を見ると、佐川がアマゾンの配送を断り、鄧小平の元部下劉華清と関係のあるアリババを選んだのもよく分かる。
 さらに、保利集団には子会社『ポーリーインターナショナル』というオークション会社があり、高級な芸術品のオークションを行っている。日本では銀座に会社があり、アリババんp日本支社長も出入りしていたのを見かけたことがある。ファーウェイと保利集団、アリババが相互関係にあるのは間違いない。何よりもアリババのナンバーツーであう蔡崇信は、劉華清の娘の協力を得て資金調達をしている。
 最近、アリババのサービス『アリペイ』は信用スコアを世界に広めようとしているが、中身は習近平の監視システム『社会信用制度』である。
 先日、アリババが出資した米AIベンチャーが政府命令で事実上の営業停止状態となっているところからして、米国政府はファーウェイの協力企業の目星をつけ始めているのだ。わが国もそういう目で見てもらいたい。
 軍民融合国家を目指して
 ファーウェイのバックで青幇系や保利集団が見え隠れしているのは、江沢民習近平に対して戦争反対を言い、兵器売買を糧とする彼らが力をつけるチャンスだとして習近平に協力しているからである。
 2011年、筆者が上海の監視システム用チップの営業に出かけていたときのことだ。当時、上海の監視システムは江沢民の息子・江綿康が牛耳っており、提案の窓口は江沢民の私設秘書の一人で、彼のアレンジする商談はハイクビジョンの社長など、全てが中国大手企業の幹部だった。ところが、すぐに江沢民潰しが始まり、商談相手が次々と失脚していった。どうなっているのか、と尋ねると、その秘書が『江沢民潰しが始まった。そのきっかけは、習近平が国内勢力を抑えて権力を掌握するために戦争を望んだからだ。それに対して江沢民が「中国不是強国、中国故弱国的条件都没有(中国は強国ではない、中国は弱国の条件を全てなくしただけだ)」と反対したあとからだ』と語ってくれた。
 習近平は戦争を望み、江沢民は反対したゆえに潰されたそうだ。
 江沢民潰しが一段落しようとする頃、鄧小平の娘婿・賀平は習近平の鄧小平潰しを恐れて保利集団の董事長を退いて名誉職に就き、劉華清の娘婿・徐念沙にその地位を譲った。
 保利集団の新しい董事長は劉華清の娘婿となった。劉華清の死に際に習近平が訪問してまで 遺言を受け取ったことが『争鳴』(2011年3月号)に掲載されている。その時の遺言の内容が『軍民融合国家の完成』で、習近平は『中国製造2025』を以てして、その完成を急いだ。
 習近平は、覇権を握るために、諜報活動を通じた兵器技術強化、そして金融、ロジスティクス強化をさせようとしたのだが、そのためには利権を鄧小平派から取り戻す必要があり、まず、金融大手中信集団を握っていた王軍と薄熙来(はくきらい)の弟を失脚させた。中信集団を取り戻した習近平は技術企業の買収等の工作に中信集団を当てようとしたが、王軍時代にクリントンへの献金で米国政府から目をつけられていたうえに、紫光集団もCFIUS(対米外国投資委員会)の審査が通りにくい。
 目が付けられておらず金融と兵器技術が分かる人材が必要だが、両分野に精通し、なおかつ、信頼できる人材が少ない。
 そこで、選ばれたのが解放軍装備部の情報に通じている劉華清の子供たちである。長男の劉卓明は解放軍総装備部副主任で近未来兵器技術に通じており、長女の劉超英は解放軍の高級教育機関国防科技大学でソフトウェアを学び、中国最大の宇宙航空企業中国航天の半導体子会社・航天国際の経理を務めていた。
 『中国製造2025』のゴールには半導体自給率向上だけでなく、『宇宙軍装備の拡充』も含まれているため、宇宙航空技術から半導体技術まで熟知し、ロジスティクスにも通じた劉華清の子孫は重宝されている。問題は劉華清の娘、劉超英はすでにクリントンへの献金で米国政府から目を付けられていることだっった。
 そのため、解放軍装備の開発資金は名を知られていない劉華清の隠し子に託し、その資金は蔡崇信や富邦グループ、ドイツ銀行関連会社等を通じて世界へ流れ、巡り巡って情報と軍事技術が中国に環流しており、その事実は、すでに米国政府も気が付いている。
 いまだにフロントを通じた解放軍マネーでの企業買収を止めようとしない日本政府は、いつしか米政府に『利敵行為を行っている』と見られる恐れがある。
 1月11日の日経では、ある分野の技術で米国と取引のある日本企業の中国輸出や事業売却が米規制対象となると報道された。これは、技術流出に関して日本政府が安全保障の観点を見落としてきたため、米国の信頼を失ったということを意味している。
 復讐への覚悟
 ファーウェイがスパイだと世界中で報道され、中国製品の締め出しが一部始まっているが、私たちはそれに対して浮かれてはいられない。ファーウェイ製品を締め出しても、中国には世界のEMS(電子機器の受託製品を行うサービス)工場であり、ファーウェイの製造工場を担っているホンハイがあるため、いくらでも商標を変えて通信機器を販売することができる。
 それらが流通し始めれば、逆にブランド名だけでは判別できなくなるリスクがある。
 その上、『中国製品をやめればいいでしょう』と単純に考えても、ホンハイは数多くの日本企業をすでに買収しているため、究極はメイド・イン・ジャパンの通信スパイ機器を製造することも可能になる。その時に、スパイ防止法諜報機関もない我が国の政府は対応できるのか。
 そして、忘れてはならないのは中共に逆らった人間は、必ず復讐を受けるということだ。残念ながら、復讐に加担するのは日本人である。裁判官、書記官、外事警察、銀行、取引銀行・・・と、ありとあらゆる人々が中共の代わりとなって手を汚すだろう。
 数年前、著者が、ホンハイの実態を『Yahoo! ファイナンス』のコラムに投稿したとき、2時間後に著者の運転していた車のタイヤに真横から五寸釘が打てれていた。ディーラーによると、釘は専用機材がないと打ち込めないもので偶然ではないと忠告を受けた。
 その後、既存の取引先にファーウェイのフロント企業が交ざっていて、そこから訴訟を受けた。ピースボート出身の極左裁判官は中国から送り込まれた産業スパイの仲間で、弊社CTO名義の仮差し押さえを認めた。
 ところが、CTOは日本に銀行口座を持っていないので、外国人名義の仮差し押さえ命令で、何の関係もない著者の銀行口座が差し押さえられた。それに手を下したのは、三菱UFJ銀行の当時の新宿中央支店長だ。その裁判所の差し押さえ命令を根拠に『隠し口座で脱税をしている』として現れたのが米歳入庁であり、マッチポンプの証拠で冤罪を着せられそうになった。
 頼みの綱のFBI被害者保護プログラムのFBI捜査官はファーウェイに協力し、著者らが外事警察に提出した捜査情報をFBIが入手して、それをファーウェイに横流ししていた。資本主義経済型の民主主義は汚職で腐敗しやすく、独裁国家は容赦なく付け込んでくる。
 会社を閉鎖せよ!
 我が国は、裁判所も警察もスパイが入り込んでいて、マトモに機能していない。なぜなら、この国では『スパイ』と『盗聴』は違法ではなく、彼らを取り締まる法律がないからだ。このスパイ被害はどこに助けを求めても、彼らの妨害工作で破壊されていく。
 仲間を失い、恋人をハニトラにされ、数千万円の借金を背負い、ストレスで歯を食いしばり過ぎて4本の歯が折れた。トランプ政権が誕生し、それが生きていく心の支えとなった自分が日本国民として情けないと今でも思う。
 残念だが、状況を突破するにはトランプ政権が存在するしかない。ファーウェイのスパイ活動を暴いた拙著『日本のIT産業が中国に盗まれている』(ワック)が発表された翌朝、マンションの下の階に住む台湾人が『今朝、散歩に出たら中国人が少し離れたところからマンションのエントラスを撮影していた。途中で違うメンバーに代わり、おかしいと思って後をつけたら、上司みたいなのがマンションに近寄って「全員の顔は撮ったか?交代したチームもちゃんと撮れているか?」と確認していた。中国がこのマンションの監視を始めたみたいだから、気を付けてくれ』と教えてくれた。
 どんなに凄惨な復讐が待ち受けていても、日本国民は立ち向かわなければならない。まずは、スパイ防止法を成立させることだ。中国の監視システムを受け入れれば、日本に待ち受けているのは、チベットウイグルのような未来だからだ。
 ポーランドでファーウェイ元幹部がスパイ容疑で逮捕されたのち、任正非は長年の沈黙を破った。そして、『もし、ファーウェイが中国政府の要求でスパイを行い、情報を提供させられるなら、会社を閉鎖してもかまわない』と語った。それなら、会社を閉鎖することを要求したい。私たちは長年、あなたたちのスパイ被害に遭ってきたのだから」
   ・   ・    ・   
 日本から密かに情報を集めるといっても、日本と共に戦うと公言する同盟国アメリカと、日本に核ミサイルの照準を合わせている仮想敵国の中国共産党、ロシア、北朝鮮、そして事あるごとに感情的に声高に批判と抗議を繰り返す反日派韓国では意味が違う。
 日本にはおける極秘監視システムには3つ存在し、日本政府とアメリカ軍そして中国共産党・中国軍である。
 左翼・左派・ネット左翼は、国家と国民を守る日本政府とアメリカ軍の監視システムに猛反対するが、日本を敵視する中国共産党・中国軍の監視システムには反対しないどころか無言である。
   ・   ・   ・   
 中国共産党・中国軍(人民解放軍)は、情報戦として、インターネットに接続している中国産製品や中国系日本企業の日本産製品を通じて密かに情報を盗み出している。
 そして、中国式社会信用制度を広めるべく、アリババの金融サービス「アリペイ」の信用スコアを世界に広めようとしている。
 中国軍は、軍事転用可能な民間技術を集めるべく、各国の大学・研究機関・企業に数多くのスパイを送り込んでいる。
 日本の技術は、軍事転用可能技術が多く含まれている。
 中国共産党や中国軍は、誕生以来、信用できない。
 微笑みながら友好の握手を求める中国共産党要人の本心は、日本人では見抜けない。
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 国際法は、主権国家として国内に活動している敵国のスパイ・工作員・テロリスト・便衣隊は見つけ次第、逮捕せず、裁判なしに、その場で人権を認めず処刑する事を認めている。
 処刑の通例としては、非人道的猟奇的にいたぶるように殺すのではなく、苦しまずに殺す射殺か縛り首が主に行われる。
   ・   ・   ・   
 反天皇反日的日本人、中国共産党・中国軍の意図を知りながら協力している。
 そうした人々は、政治家、官僚、企業家・経営者、学者、教育者、メディア関係者など各分野に存在している。
 彼らは、日本が二度と戦争を起こさない為には、日本の国益を抑え、中国共産党の機嫌を取り、中国軍に便宜を図るべきだと確信し、中国を敵視する日米安保条約日米地位協定を廃止すべきだと行動している。
   ・   ・   ・   
 少子高齢化による人口激減を補う為に外国人移民(主に中国人移民)を増やして、外国人移民が3分の1もしくは多数派となった地域(都道府県・市区町村)で外国人移民に参政権や役人登用に認められれば、そこは日本ではなくなる。
 外国系住民(新日本人)が増え日本民族日本人(古日本人)が減れば、日本中心の民族主義ナショナリズムも消え去る。 
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🏁14¦─1─中国共産党・中国軍・北朝鮮によるサイバー攻撃。マイナンバー。~No.94 * 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 中国共産党・中国軍の工作員が、日本の政府・企業・大学・個人の秘密情報を盗んでいるが、取り締まるスパイ防止法がない。
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 中国共産党は、微笑みを浮かべて「友好」を口にして握手を求めるが、本心は反日で日本との友好などは望んではいない。
 日本に関心を持つ一般の中国人と、反日中国共産党は別である。
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 中国共産党最高指導部の下に、国務院の国家安全部、中国軍の人民解放軍総参謀部第二部と統一戦線工作部の独立した工作機関が存在している。
 日本に対しては、国家安全部が主導的となって情報収集や工作活動を行っている。
 中国大使館の教育部は、民間交流として留学している学生、研究者や意見交換する企業関係者、民間団体員、そして一般旅行者からあらゆる極秘情報を集めて本国に伝えている。
 日本の公安当局は、中国人工作員を俗語で「沈海魚」と呼ぶ。
 沈海魚は少数精鋭で、日本人には分からない。
 日本には、中国人やロシア人など敵対行動を取る国のスパイ・工作員を取り締まる法律がない為に野放しとなっている。
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 2015年8月6日 週刊文春「中国のサイバー能力を〝優秀〟と評したオバマ大統領
 『サイバー強国』を目指す習近平・中国国家主席
 『中国襲来』の恐怖
 『年金情報』流出犯は中国サイバー部隊!
 『震撼せざるを得ない』
 6月1日、大手新聞の政治部記者と面談していた内閣官房の幹部職員は、テレビのニュースを見ながら、思わずそう呟いた。
 画面では、日本年金機構ほか幹部が並んで記者会見を開き、同機構が何者かにサイバー攻撃を受けて、年金受給者と加入者の基礎年金番号や氏名などの個人情報、約125万件が流出したと発表していた。
 『我々はこれまで想像もしなかった新たな脅威に直面している』
 どういう意味かを問うた記者に対して、幹部職員はこう低く囁いた。
 『この流出事件の犯人を、警察は突き止めている』
 ……
 苦労して集積した物証は、ある国のハッカーグループを指し示していた。
 そのハッカーグループとは、今年6月に発表した400万名以上に及ぶアメリカ政府機関職員の個人データ流出事件で、第一容疑者の中に含まれると断定された〝民間組織〟だった。
 『警察は、緊急対応を行いました。今回の事件は、〝犯罪〟ではなく、〝諜報活動〟であると断定したからです』(官邸関係者)
 同時に捜査も生活安産関係部門から、スパイやテロリストを取り締まる警察庁公安部へと引き継がれた。投入されたのは、〝公安部の特殊部隊〟とされる『公安総務課』。公安総務課は、その名称からくるイメージとはほど遠い。総勢1,000名近くもの定員を抱える巨大組織は、これまで、国家的な重大事件が発生した場合、常に最前線で秘匿捜査や調査にあたってきた。前出の官邸関係者によれば、公安総務課には、横断的に各課から人員を配置。当然、情報セキュリティの専門家も投入された。
 『61398部隊』の影
 捜査の焦点は、一点に絞られた。すなわち、あらゆるベクトルが〝犯人〟と示唆するハッカーグループの尻尾をつかむこと。
 外国情報機関からの情報を統合したさらなる捜査の結果、ついにハッカーグループの所在地が、中国の上海など複数の都市であることを突き止める。
 そしてハッカーグループを実質的に運営しているのは、中国人民解放軍サイバー攻撃部隊『61398部隊』の別働隊とも言うべき、人民解放軍の陰に隠れて秘匿された組織だと判断。FBIはこの組織を『アクシオム』と名付けた。
 『いくら複数の国のサーバーを介していようが、中国のインターネット環境は、中国政府の監視下にある。ゆえに外国機関は、従来の中国に対するインテリジェンスによって傍証を得ることができた』(前出・官邸関係者)
 『61398部隊』は、昨年5月、米国大手鉄鋼会社などの企業から情報を盗んだ容疑者として、米司法当局に起訴されている。そのため身動きがとれなくなった同部隊は、前出の『アクシオム』などの複数の別働隊を新たに組織。そうした組織に人民解放軍の情報機関が素人のハッカーグループを雇い入れ諜報工作員として再教育、年金機構への攻撃を行ったものと結論付けたのだった。
 『つまり警察は、今回の年金情報流出を、中国人民解放軍が日本に対する初めての大規模なサイバー攻撃を仕掛けた、と受け止めた』(同前)
 ……
 いずれにしろ、国家機関に対する諜報的なサイバー攻撃は、情報を盗まれた、というレベルではすまされない。諜報活動であるならば、国家の戦略に基づき、国家指導者による明確な意志によって行われた行為に他ならないからだ。
 では今回の125万件の情報流出は何を意味するのか。冒頭で、この事件を『震撼せざるを得ない』と評した内閣官房の幹部職員がその真意を明かす。
 『真に震撼すべきことは、サイバー攻撃の奧に潜むものだ。中国の狙いを日本政府を混乱させようとか、年金機構のパソコンから他の政府機関への侵入を試みようとしたと考えるのなら、重大な問題を見誤る』
 では真の狙いはどこにあったのか。
 『年金機構のサーバーから抜き取られた情報は氏名、住所などごく基本的なデータであり、年金記録そのものはターゲットにされていない。にもかかわず一定期間、集中的かつ組織的にマルウェアが添付されたメールによる攻撃が行われ、しかも他のサーバーを乗っ取るなど手の込んだことをなぜ行ったのか』
 全日本人のデータベース化
 その答えは中国が、2ステップによる戦略を仕掛けているからだ、という。
 『第一のステップは日本人に関するビッグデータをできるだけ集めること。その意味で、国家公務員の年金データをも扱い、かつガードの緩い年金機構は格好のターゲットとなった。目指すのは、全日本国民のデータベース化だろう』
 それを裏付けるかのように年金機構の事件が発覚した後も、日本組織の情報流出は続いている。
 6月10日には東京商工会議所サイバー攻撃を受け、東商主催のセミナーの参加者の氏名、電話番号など1万2,000人超の個人情報が外部に流出。さらに7月に入ってから、防衛省共済組合が運営する『ホテルグランドヒル市ヶ谷』が5月にサイバー攻撃を受け、宿泊者の個人情報が流出した恐れがあることがわかった。同ホテルは、自衛官や防衛官僚の御用達のホテルとして知られている。これらのことは〝日本人総データベース化〟が着実に進んでいることを示唆している。
 『第二のステップでは集めたビッグデータの中から、安全保障や外交に関わる人──公務員だけでなく企業人も含めた──を捜しだして、新たな名簿を作成する。それを元に機密情報に接することのできる人物たちのパソコンに集中的にサイバー攻撃をかけたり、また協力者に仕立てたり、脅迫したりすることで、国家戦略上の最重要情報を入手する狙いがある』
 それは来年5月に控えた伊勢志摩サミットにおいても、大きな脅威となりうる。
 『サミットなど重要な警備事案では、警察や防衛省幹部の動きのパターンとサイクルが警備計画としてペーパーになる。それと、中国が新たに作成したデータベースを照らし合わせれば、日中有事の場合の暗殺対象者の把握さえできる』
 この幹部職員の説明から浮かび上がるのは、警察庁の捜査によって、中国の犯行だということを世界に訴えたところで根本的な問題解決にはならない、という事実だ。
 年金情報流出事件を受けて安倍首相は『サイバーセキュリティー対策を強化する必要がある』と語ったが、重要なことは、サイバー攻撃への備えを行政レベルで構築することだ。前出の幹部職員はこう警告する。
 『サイバー攻撃対策とは、いわゆるマルウェアに対抗することではない。中国が狙っているのは、日本国民一人ひとりだ。例えば怪しいメールは開かないというごく初歩的なことでも、日頃からどれだけ細心の注意を払って警戒しているかにかかっている。すべての対策の原点は「人」にある。狙われるのはプロばかりではない。一般人の個人情報やパソコンがサイバー攻撃用に乗っ取られる可能性が高い』
 すべての日本人が『捕捉』される。〝その日〟までに残された時間は、余りにも少ない」  
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 10月2日 ラッセル国務次官補は、中国はアメリカ企業に対してサイバー攻撃を行い、米中通商上の機密情報や企業秘密を盗み出し、その情報を元にして莫大な利益を上げていると発言した。
 アメリカのセキュリティーは、日本の情報保護よりも数段優れていたが、中国のサイバー攻撃を防ぎきれなかった。
 日本には、中国からのサイバー攻撃を防ぐ力はない。
 中国共産党と中国軍は、網電一体戦略として、日本のサイバーと電波を支配するべく攻勢を強めている。
 日本の電力は、半官半民の発送電一体政策で守られていたが、アメリカ方式の完全民営の発送電分離になればセキュリティーは脆弱となって中国に支配される可能性がある。
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 2015年No.41 週刊プレイボーイマイナンバーの個人情報が中国にダダ漏れる!
 年金情報流出も中国の仕業だった!?
 今年6月、アメリカ政府の人事管理局から政府職員2,150万人の個人情報が流出していたことが公開された。米国内では、中国政府の関連組織による仕業との見方が強い事件を、某IT企業の幹部はこう説明する。
 『社会保障番号や外国への渡航歴、薬物の使用歴など、政府職員個人の膨大な機密情報が漏洩した可能性があります。中国はそこで得た政府高官の機密情報からプロファイルを進め、スキャンダルなどの弱点を分析し、データベースに加える。そのカードを外交や有事の際に持ち出すなどしてアメリカとの交渉を有利に進める狙いでしょう』
 サイバーセキュリティに詳しい会津大学特任教授の山崎文明氏はこう言う。
 『アメリカのサイバー防衛力は世界トップクラス。そんな国の機密情報すら、中国は盗んでしまえる』
 さらに山崎氏は続ける。
 『そんな彼らにとって日本のマイナンバーはのどから手が出るほど欲しい情報なんです』
 どういうことか?
 『マイナンバーはゆくゆくは銀行口座ともヒモづき、個人の預貯金やカネの流れも教えてくれる。中国には、正確無比な日本人のデータベースの構築を飛躍的に進展させるお宝と映っていることでしょう』
 そのデータを中国はどう利用するのか?
 『現在は検討段階ですが、もし今後、マイナンバーカードが消費税還付のポイントカードとしても利用可能になれば、購買履歴や位置情報もマイナンバーから漏れる恐れがあります。そうなると、例えば「○△重工に勤務するミサイル誘導プログラムの開発主任者」といった人物まで特定されやすくなる。中国政府お抱えのハッカーが、その人の会社のPCにハッキングしたり、本人に直接脅しをかけるなど国家の防衛機密を盗む、なんてことも十分あり得る』(山崎氏)
 マイナンバー制度では、個人情報の漏洩防止は最も重要な課題になる。しかし、山崎氏は『残念ながら、日本の公的機関は情報セキュリティの意識が低いと言わざるを得ない』と断ずる。
 『今年5月、日本年金機構不正アクセスが発生し、101万人分の個人情報が漏洩した事件がありました。
 攻撃の発信元などを分析したところ、中国の犯行である可能性が極めて高い。中国の狙いは日本人に関するデータベースの「更新」にあったと思われる』
 更新? ということはすでに日本人のデータベースは中国の手にあるってこと?
 『はい。年金機構(旧社会保険庁)は、年金に関する個人情報のデータ入力を国内の民間企業に発注していましたが、その企業が人件費を抑えるため中国の現地法人に入力作業を代行させたという噂があります。事実とすればその時点で年金に関する膨大な個人情報が中国にダダ漏れだった。実に年金機構と同じく地方自治体には、税務関係のデーター入力を孫請けの中国法人が行なうケースが珍しくない。彼らは情報漏洩の危機感が希薄すぎます』(山崎氏)
 ただ年金機構は、事件後すぐに情報が漏洩した101万人の基礎年金番号を変更したり、、厚労省に情報セキュリティ費として62億円を計上させたりと、対策を講じている。
 『マイナンバーが怖いのは〝一生変えられない〟個人番号であること。本来なら漏洩事件が起きた際に、すぐ番号を変更できるルール作りをしなければいけないのに、「マイナンバーの情報漏洩は起こらない」の一点張りで、まともに議論していない。
 なた、年金の個人情報は年金機構が一手に管理していますから、同機構が対策を徹底すれば、とりあえず再発は防止できる。しかし、マイナンバーを管理するのは省庁だけでなく、地方自治体、企業と多岐にわたる。情報セキュリティの水準や意識がバラバラな無数の事業者がマイナンバーを扱うという怖さを政府はわかっていません』(山崎氏)
 『多少の漏洩は仕方がない』という空気
 警察庁の発表によると、年金情報流出を引き起こした『標的型メール攻撃』(メールの添付ファイルを開かせてウイルスを感染させ、システム内の情報を抜き取る)は昨年1年間で1,723件と前年比3.5倍にやっしており、そのメールの発信元は多くが中国だった。
 『総務省自治体にネットと個人情報を管理するシステムを切り離すよう要請していますが、共同通信の調査によると全市区町村のうち19%に当たる313自治体はネットにつながったままだそうです。このままセキュリティ体制を整備できなければ、マイナンバーの大規模な流出事件が起きると思います。中国から見れば、こんなに攻撃しやすい国はないでしょう』(山崎氏)
 情報漏洩のリスクについて政府の役人たちはキチンと考えていない──そう疑いたくなるエピソードを、政府関係者がささやく。
 『与党議員が内閣府の役人を呼んでマイナンバーの勉強会を開いたんだけど、漏洩問題が議題に挙がったとき、その場の空気は「この制度にはたくさんの恩恵があるから、多少の漏洩はやむを得ないでした・・・」』
マジで大丈夫か!? マイナンバー!」
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⛿14¦─1─中国漁船と佐渡。対日強硬派中国海軍は日本海を支配する為に艦艇を派遣した。2014年No.65No.66No.67 * 

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 中国の本質は反日で、本心から日本との友好などは望んではいない。
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 中国共産党と中国軍は、漁民の中から愛国心が強い者を選び出し、海の上の便衣隊として軍事教練を施して海外に送り出している。
 南シナ海や韓国領海に於ける中国人漁船の横暴は、国際法違反に近い。
 中国人漁民は、国際法よりも国内法を優先する。
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 中国による、日本買い。
 中国の国営企業や中国人の民間企業は、日本の水と材木資源である山林や食糧資源である土地や都市の優良物件を買い漁っている。
 中国人が直接購入するか、外国投資家や日本人協力者が間接購入するか。
 個人の邸宅か。中国人専用の集合住宅か。中華街か。
 中国から、大量の中国人労働者を送り込む。
 更に、自衛隊在日アメリカ軍の基地、飛行場、港湾、原子力発電所など隣接する土地も、外国資本によって買われていると言われている。
 そして、中国人等の不法入国者も増大していると言われている。
 中国マネーは、不況下にある日本企業に多額な融資を行い、優良な日本企業の幾つを中国企業の傘下に組み込んだ。
 安値の中国製品が、韓国製品ともに、日本市場に溢れた。
 中国人は、勤め先の日系企業など外国系企業の企業秘密を盗み出し、その機密情報を売って金に換えた。
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 中国共産党政府は、金儲けと面子の為に日本に微笑みを見せているが、真の意味での日本との友好などを求めてはいない。
 反日的日本人は、日本の国益より中国の利益の為に活動している。
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 中国共産党と中国軍は、反日教育を徹底して行った中国人を大量に日本に移住させようとしている。
 急増する、中国人移民。
 台湾人は、中国人とは違って親日的である。
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 日本政府は、少子高齢化による人口減少対策として、国籍不問で1,000万人の移民を受け入れる事を表明している。
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 2012年 中国共産党習近平総書記は、「中華民族の偉大な復興」の手始めとして「中国は、海洋強国を目指す」と宣言した。
 中華民族の偉大な復興とは、儒教中華思想に基づいた中国を中心に軍事力と経済力で国際社会の主導権を握り、漢民族が地上の支配者となって富み栄えるという野望の事である。
 つまり、他人を無視した中国の偽らざる本心である。
 中国共産党政府は、13億人以上の国民の生活を維持する為に、陸上はおろか海上にある全ての資源を根刮ぎ手に入れ必要があった。
 海軍と海上警察の強化の為に、造船、海運、水産など海に関わる全ての産業に対する指導を強化した。
 中華人民共和国(中国)は、中国共産党による一党独裁国家で、自由と民主主義のない全体主義体制で、国土は支配され、全産業は統制され、人民には権利はない。
 共産主義とは、資本家に代わって人民を搾取する体制である。
 人民の生殺与奪の権は、憲法・法律ではなく、中国共産党が握っている。
 中国共産党は、国家権力を私して、国土や人民を搾取している。
 中国共産党政府は、漁船の大型化と能力向上の為に、富裕層に対して中国共産党への忠誠の証しとして100トンクラス(一隻約1億円)の外洋漁船建造を奨励した。
 100トンクラスの水揚げ量は、魚の需要が高くなって、年間6,000万円と言われている。
 富裕層は、外洋漁船のオーナーとなれば水揚げ高の一部が得られるとあって、100トン以上の外洋漁船建造に出資した。
 そうした新造の大型漁船が1,000隻以上完成し、東シナ海南シナ海はおろか世界中の海に出漁し乱獲を繰り返していると言われいる。
 国連食糧農業機関(FAO)は、中国の水産物の漁獲量・生産量は7,037万トンで世界一であると発表した。
 全世界の漁獲量・生産量は約1億8,294万トンで、中国はその4割近くを占めていた。
 中国共産党政府は、13億人の国民を養う為には必要な量であると説明している。
 中国漁船団の漁は、無計画な乱獲の為に多くの漁場での漁獲量が激減し、海洋環境の破壊が始めている。
 日本人は、他人を思って、立つ鳥跡を濁さずである。
 中国人は、他人を無視して、立ち去る際に全てを奪い全てを破戒し不毛のみを残す。
 7月 長崎県五島列島福江島にある玉之浦の入り江に、100トンから500トンの中国魚船団106隻が入港し、軍艦の隊列の様に停泊した。
 玉之浦人口は1,800人で、その半数以上が高齢者であった。
 中国人漁民は、約3,000人であった。
 明治19年の清国海軍水兵による長崎市内暴動事件の再演はなく、1週間ほど日本側の様子を伺って立ち去った。
 8月 中国魚船団約90隻は、タグボートなど漁に直接関係ない特殊船を同行させて玉之浦に侵入して碇泊した。
 日本当局は、尖閣諸島などの島嶼制圧訓練と日本への海洋圧力強化と分析していた。
 玉之浦は、日中漁業協定で合意した両国の漁業境界ラインから100キロ以上離れている為、台風からの緊急避難という理由に無理があった。
 だが。相手が如何なる意図を持っていても、国際的海洋航行ルールに従って避難目的の入域を申請すれば拒絶できなかった。
 東シナ海及び黄海における国別漁獲量は、中国が約800万トン、韓国が約100万トン、日本が20万トンである。
 東シナ海に設定された暫定措置水域での漁船数は、日本側は年間800隻で、中国側は1万8,089隻。
 漁獲量上限は、日本側は10万9,250トンで、中国側は169万4,645トンである。
 東シナ海の漁場は、中国魚船団に占領され、日本漁船は締め出されている。
 中国側は日本との約束を守る意志はなく、先の事は考えず今獲れる魚を根刮ぎ獲っていた。
 2013年 中国共産党政府は、アジア海域の水産資源や海底資源を獲得する為に、公安部海上武装警察機関「中国海警局」を設立し海上で行う非軍事行為を一括管理させた。
 中国海警局は、中国人漁民1,000万人以上と漁船約2万隻を指揮下に入れ、島嶼占拠と支配海域拡大の為に漁民をその先兵に仕立てるべく軍事訓練を施した。
 中国漁民の多くが海上民兵で、海上民兵は軍人ではない。
 2014年1月 中国共産党政府は、支配海域で自国に都合の良い漁業取締策を推し進めた。
 海南省は、南シナ海を完全支配する為に「『中華人民共和国漁業法』実施方針」を改正し、外国漁船や調査船の事前承認を受ける事を義務付け、許可ない者には罰則を適用するとした。
 中国共産党政府は、暴力行使も辞さない強硬手段で、南シナ海東シナ海での支配領海の拡大に力を入れ始めた。
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 2014年7月23日 読売新聞「海洋強国 支える漁民
 中国の習近平政権は、漁民を民兵に組織して『海上民兵』を、南シナ海での領有権の示威行動や岩礁の埋め立てなどに動員している。習政権がパラセル(西沙)諸島周辺で行っていた石油掘削作業を今月中旬に終えたことでベトナムとの緊張は一時的に沈静化した。だが、海上民兵は『海洋強国』戦略を支える『先兵』として、次の出番に備えている。
 中国『海上民兵
 ……
 港には、海上民兵が専ら使う全長約30メートルの鋼鉄船4隻が停泊していた。南シナ海で漁業を行って領有権を誇示し、巡視や情報収集の任務も担っている。全長約20メートルの木造船も多数あり、巡視に使われることがある。海上民兵は定期的な訓練を受け、軍の指示で出帆することもあるが、自由に漁に出ることもできる。
 ……
 習近平国家主席は昨年4月、漂門を訪れ、海上民兵を激励。遠洋の情報を集め、島嶼建設支援作業を積極的に行うよう具体的に指示した。漂門では習氏が海上民兵に語った言葉を収めた巨大な看板が目についた。『君たちは海洋権益を守るために先陣の役割を果たしている』
 海南省海上民兵は2012年の段階で約2,300人。中国誌『国防』によると、同省は今年、2,800万元の海上民兵関連費用を予算化し、規模を拡大する見通しだ。沖縄県尖閣諸島のある東シナ海に面した浙江省でも組織強化を打ち出している。東シナ海南シナ海の両方で、中国が海上民兵をこれまで以上に投入してくる可能性が高い。
 軍事力背景に権益獲得」
   ・   ・   ・   
 中国共産党と中国軍は、海洋侵略の為に海軍力と空軍力の増強を急いでいる。
 中国軍の軍事力は、後10年で日本の自衛隊を抜くと言われている。
 中国の伝統的正攻法は、相手よりも強くなり優位に立った時に攻勢に出る。
 中国は、上っ面で日本との友好を見せながら、心の奥底は煮えたぎった反日である。
 それが、中国共産党の真の顔である。
   ・   ・   ・   
 2014年4月6日 msn産経ニュース「【島が危ない 第2部 佐渡に迫る影(1)】
ガメラレーダー 日本海の要、接近 中国重鎮の思惑[領土・領有権]
 妙見山の山腹から間近に見える航空自衛隊の「ガメラレーダー」。手前は白雲台=新潟県佐渡市(大山文兄撮影)
 新潟県佐渡島に中国の影がちらつく異変が起きている。航空自衛隊が誇る高性能警戒管制レーダー、通称「ガメラレーダー」があるこの島を中国要人が訪れ、中国と関係が深い男性が経営する学校法人が地元観光施設を1円で手に入れた。連載第1部で明らかにした長崎県対馬の韓国経済への依存と同様、国境離島の深刻な“不安材料”がここにもあった。第2部は佐渡島の現状を報告する。(宮本雅史
    ◇
 沖縄・尖閣諸島沖で中国漁船による衝突事件が起きた直後の平成22年10月30日朝。背広姿の男たちが佐渡妙見山(標高1042メートル)中腹の峠の茶屋「白雲台」で休息を取っていた。山頂にそびえ立つ航空自衛隊佐渡分屯基地ガメラレーダーとの距離はわずか3キロ。佐渡の市街地や両津湾も一望できる。
 一行の中心は中国の唐家●元国務委員。そのほか、中国在新潟総領事館の王華総領事(当時)、新潟で絵画教室を運営する学校法人新潟国際芸術学院(新潟市中央区)の東富有理事長兼学院長、そして佐渡市の甲斐元也副市長(現市長)の姿もあった。
 前日に佐渡に入り1泊した唐氏はこの日、佐渡金山を見学した後、観光道路として有名な「大佐渡スカイライン」で紅葉を楽しみながら白雲台に立ち寄った。スカイラインはここで、妙見山頂と麓を結ぶ自衛隊管理の「防衛道路」につながる。防衛道路沿いの標高450メートル地点にはレーダーをつかさどる重要施設「キャンプサイト」もあるが、4月下旬から11月中旬までは観光道路として一般にも開放されている。
 休息を終えた唐氏一行は防衛道路を使って山を下り、次の目的地のトキの森公園に向かった。
   ×    ×
 今年2月中旬、雪の佐渡分屯基地を訪ねた。
 分屯基地は、第46警戒隊と中部航空施設隊で構成。第46警戒隊はキャンプサイトからガメラレーダーを通して24時間、日本海上空を監視している。最大の敵は冬の暴風雪だ。「基地全体がすっぽり雪に埋もれてしまう。吹雪で視界が10メートル、ひどいときは1メートルを切るときもある」。源田進1等空尉はこう話す。
 キャンプサイトから雪上車で山頂に向かう途中、白雲台にも立ち寄った。ここからはガメラレーダーがはっきりと大きく見えた。
 そのレーダーの重要性は、拡大路線を続ける中国との関係悪化でさらに高まっている。
 中国吉林省延辺朝鮮族自治州の日刊紙、延辺日報などによると、中国は日本海に面する北朝鮮羅津港を租借して50年間の使用権を獲得、平成24年には羅津港から100キロ離れた清津港を30年間使用する権利も確保したという。
 当時と違い、北朝鮮張成沢チャン・ソンテク)元国防副委員長の処刑以降、中国との関係が悪化しているとみられている。ただ、羅津港清津港はいずれも針路を東に取れば津軽海峡に、南下すれば佐渡島に行き着く。防衛省幹部によると、中国の空母・遼寧の動向が大きな懸念材料だという。「60機、70機の戦闘機を搭載できるので、1つの航空団並みの大きさになる。それがそのまま、日本海を動いているのと同じようになり、脅威になる。中国は今、太平洋進出を狙っているので気が抜けない」
 この幹部はさらに危険なシナリオも口にした。「中国が佐渡島や新潟に拠点を作ると、日本海が中国の内海化する危険性がある」
   ×    ×
 唐氏の佐渡訪問の目的は何だったのか。唐氏は白雲台に立って何を感じたのか。
 唐氏の同行メンバーで現在の佐渡市長、甲斐氏は「唐氏は金山とトキの森公園の見学が目的だった。佐渡を一望したいというので、白雲台に立ち寄って休憩しただけ。ガメラレーダーは話題にもならなかった。佐渡が乗っ取られるんじゃないかといわれるが、その形跡は全くない」と説明する。
 一方で、中国共産党に詳しい関係者はこう指摘する。「唐氏クラスになると党中央書記局の指示がないと自由に動けない」
 唐氏が佐渡を訪れたころ、新潟市佐渡市では中国が絡んだ2つの“プロジェクト”が動いていた。
   ◇
 道の駅、研修施設に 「1円売却」 深まる中国依存
 佐渡島の表玄関・両津港から約3キロ。県道65号を車で10分ほど走ると、道の駅「芸能とトキの里」(佐渡市吾潟)に着く。ところが、目立つ場所に「学校法人 新潟国際芸術学院佐渡研究院」の看板が掲げられ、レストランも土産店もない。
 この施設はもともと、JA佐渡佐渡汽船グループが設立した「佐渡能楽の里」が運営していたが、観光客の減少で経営不振となり解散。絵画教室などを運営する学校法人新潟国際芸術学院(東富有理事長、新潟市中央区)が、建物部分(延べ床面積約3600平方メートル)を1円で購入した。同学院は土地もJA佐渡から無償で借り受け、23年6月から研修施設として利用している。
 「持っていても税金がかかるだけ。二束三文でも手放したかった」。地元のベテラン市議は、“1円売却”の経緯をこう話した。
 東理事長自身の説明によると、同理事長は中国・瀋陽魯迅美術大を卒業。平成3年に新潟大大学院に留学し、5年後に日本国籍を取得。21年1月に「中国などからの短期留学生に新潟の自然風景を描かせたい」と新潟国際芸術学院を設立した。道の駅については、市などから、芸術分野での活用を働きかけられ、“購入”を決めたという。
 道の駅での好条件は、建物と土地だけではない。道の駅本来の公的性格のある観光施設機能を兼ねており、市は一部の運営費の補助を以前通り続けている。これまでの3年間で、その額は、屋外トイレ付帯設備費511万円、駐車場維持費98万円、合併処理浄化槽費650万円、インフォメーション費241万円にのぼる。
 オープンから3年。「改装工事が進んでいる気配はなく、実態が分からない」(元県議)といぶかる声も出ているが、東理事長は「水彩画教室をメーンにダンス教室や料理教室、陶芸教室なども開いている。佐渡は観光客が減り元気がない。留学生が年間3千人来れば佐渡はよくなる」と地元への貢献を強調する。
  ×    ×
 新潟国際芸術学院が佐渡に進出したころ、新潟市内では、中国在新潟総領事館の移設問題が起きていた。
 新潟に総領事館が開設されたのは22年6月。当初、商業ビルに入居したが、同年10月に新潟市の学校法人NSGグループとの間で、専門学校の旧校舎を5年間借りる契約を結んで移転、現在もそこを使用している。
 ただ、この間、中国側は「単独使用できる土地と建物」の取得にこだわり、地元の活性化につながる「大中華街構想」も打ち出して新潟市に要望してきた。市が一度、市立万代小跡地の約1万5千平方メートルを候補地として提示したが中国への不動産売却に対する市議会などの反発で23年3月に頓挫したこともある。
 そして同年12月、中国側は突然、県庁近くにある新潟市中央区新光町の民有地約1万5千平方メートルを購入した。登記簿に経営内容が不明瞭な企業名が登場するなど、売買過程に不透明さも残る。関係者によると、簿価は7億円前後だが、売買価格は15億円前後と推定されるという。
 日本政府がこの売買を認知したのは翌24年1月。中国側はこの広大な土地に総領事館のほか、総領事公邸や職員宿舎、市民との交流施設、駐車場などをつくると説明しているが、所有権の移転登記はまだ行われておらず、建設時期も不明なままだ。
 この売買をめぐっては、国会で質問が行われたこともある。24年3月22日の参院国土交通委員会で、地元選出で自民党中原八一議員が「安全保障の観点から、政府全体として土地規制の在り方について検討すべきだ」と外国資本の不動産買収に規制を求めた。その一方で、中原氏は新潟の問題に限っては「中国側からしっかり総領事館建設の中身を聞いて、それが妥当であるというのであれば外務省がしっかりと仲介に立ってぜひ進めていただきたい。新潟県としては建設に反対するものではない」と早期の総領事館移設を訴えた。
 新潟は日中国交正常化を実現させた田中角栄元首相の地元。佐渡にトキの提供も受けている。官民を問わず中国との交流は深い。「新総領事館が完成すると、治外法権で対応できない場所が拡大される」(元県議)と批判的な声も根強いが、大きなうねりにはなっていない。
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 総領事館の開設と不動産取得。佐渡での新潟国際芸術学院進出と唐家●氏の訪問。この時期、中国では有事の際に国と軍が民間のヒトやモノを統制する国防動員法が施行され、北朝鮮羅津港清津港の長期租借が決まった。
 東理事長は「私はもう日本人なのだから、中国とは関係ない。私は中国は好きじゃない。特に政府は好きじゃない」と中国政府とのかかわりを強く否定する。
 その一方で新たな動きもある。地元の大手ホテル会社の社長が説明する。「総領事館と東先生、市で、道の駅の場所に国際美術大学を作る計画がある。中国から学生を集めることが前提で、すでに中国の大学2校が学生を送り込むことが決まっている。佐渡を世界に発信できる」
 これについて佐渡市長の甲斐氏も「新しい大学は、東さんの学院の(中国の)提携校とも提携して学生を連れてくる」と中国との連携に期待している。地域振興のために中国を活用しようとする佐渡。その思いに歩調を合わせる中国。佐渡の中国依存が深まっている。
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 【用語解説】佐渡島
 総面積は東京23区の約1.5倍に当たる約855平方キロ。択捉、国後、沖縄本島に次いで国内で4番目に広い島。平成16年3月、島内10市町村が合併して佐渡市が誕生。人口は今年3月1日現在で6万593人。
 ●=王へんに旋」
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 4月7日 「島が危ない 第2部 佐渡に迫る影(2)】
 疲弊する経済「中国でもどこでもいい、ホテル買って」
 閑散としている商店街。かつては観光客らでにぎわっていた =新潟県佐渡市(大山文兄撮影)
 新潟県佐渡島の老舗ホテル「両津やまきホテル」(佐渡市秋津)は、勇壮な「鬼太鼓」で宿泊客を出迎える。自らバチを握るホテルの山口勤次会長(70)は、台湾からの観光客40人を歓迎した後、こう話した。
 「これからどんどん、外国人観光客を誘致していく」
 このホテルは30年あまり前から、台湾ルートを開拓してきた。日本人客が減少する中、台湾からはリピーターも多く、年間平均で約3千人が宿泊に訪れる。
 山口会長によると、今後は、道の駅を1円で購入して中国人留学生などの研修施設を開設した学校法人新潟国際芸術学院の東富有理事長や中国在新潟総領事館とも協力、北京など大陸からも観光客を誘致する方針だ。すでに38ある中国国営の五つ星ホテルと友好姉妹提携したという。
 「中国大使館や中国共産党の方が、何班かに分けてくることになっていたが、尖閣諸島問題でこられなくなった。でも、今年2月には、ハルビンから30人の団体客がきてくれた」
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 佐渡世界遺産を目指している佐渡金山をはじめ、日光東照宮の塔を模した五重塔で有名な妙宣寺、順徳上皇の火葬塚である真野御陵など観光資源が豊富で、一時は年間120万人の観光客であふれていた。ところが長年にわたり減少が続き昨年は53万人にまで減った。島の主力産業だった観光業界は縮み続けている。
 元県議の清野正男さん(64)によると、景気がよかったころの上客は全国の農協だった。昭和39年の東京オリンピックと新潟国体以降、観光バスを連ね、100人規模の団体で訪れた。島には、大型ホテルができ、木造の小さな旅館も大きなホテルに変わっていったという。
 清野さんは、その後の問題を招いたのは努力不足だったとみている。
 「戦前、ラジオを通して流れた『佐渡おけさ』や『佐渡情話』で観光地としてのイメージができていたから、放っておいても客がどんどん来た。でも、大分の湯布院のように自分たちで観光地を作り上げてこなかったから、リピーターを確保できなかった。それに、ホテル業界は個室の時代になったが、佐渡は農協観光適応型で相部屋が多かった。時代の変化に適応できなかったことも大きい」
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 島の観光業の深刻さを表す数字は多い。平成24年度末現在で佐渡市の固定資産税滞納者をみると、滞納額の1位から9位までがホテル、旅館業者。1位は1億2255万円、2位は7307万円、3位は4102万円…と8位までが1000万円以上だ。水道料金滞納者も、滞納額の1位から5位までがホテル、旅館業者。1位は3397万円で2位は965万円。いずれも100万円以上を滞納している。
 ホテルや旅館の関係者からは悲鳴ともいえる声が聞かれる。
 「道の駅がタダ同然だったように、値段うんぬんというより、どこでもいいから、うちのホテルを買ってほしい。このままやっていても赤字が膨らむだけだ」
 「中国でもどこでもいいから買ってくれるところがあれば喜んで売りたい」
 「佐渡にはアベノミクスという言葉はない」
 観光業が復活できるかどうかは、島の将来にかかわってくる。佐渡市の甲斐元也市長は「当面の目標は観光客の数を70万人にすること。1泊の人が35万人なら、2泊してくれれば70万人になる」と話す。
 そして、期待をかけるのは中国からの観光客や留学生だという。「トキを通して中国と付き合いがある。これからも中国と交流を続けなければならない。学生も呼びたい。短期の中国人留学生はいろいろなホテルや旅館に泊まってもらえる」
 観光客激減にもがく佐渡。「トキや佐渡金山で話題を呼ぼうとしているが、なかなか難しい」と市議会の祝(ほうり)優雄議長は苦悩の表情をみせる。
 甲斐市長は中国による観光施設の買収にも言及した。「中国が山林をあさっているという形跡はないし、ホテルを買い占められていることもない。むしろ、反対に高く買って経営でもしてくれればありがたいくらいだ」
 そこには、経済疲弊から脱却するため、韓国に近づいていった長崎県対馬と同じ構図が見えてくる。(宮本雅史
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4月8日 msn産経ニュース「【島が危ない 第2部 佐渡に迫る影(3)】
 イカ釣り船激減で増える国籍不明船、安保も揺れ[領土・領有権]
 しけのため港に係留されたままの漁船 =新潟県佐渡市
 新潟県佐渡島の北東部。内海府海岸の近くは定置網漁が盛んだ。特に白瀬、和木、黒姫、鷲崎といった漁港の沖合はブリの通り道に当たり、地元では定置網の四大漁場とされている。
 清田満茂さん(64)が黒姫で定置網漁を始めた昭和43年ごろ、漁港には90人前後の漁師がいた。水揚げ高のピークは平成11、12年ごろで、黒姫と鷲崎だけで年間9億6千万円前後を記録したという。4漁港合わせて1日に6万本のブリを水揚げしたこともあった。
 「市場がある両津港にブリを降ろしても、多過ぎて置く場所がなくて、港から400メートル近くにわたって道路に並べたこともある」
 豊漁時の楽しみは両津界隈(かいわい)で交わす一杯。「10キロのブリを1本持ち出せば、3人で2軒ぐらい、はしごができる金になった。何万本もあるから1本ぐらいくすねても分からなかったし、だれも文句を言わなかった」。清田さんは当時を懐かしむ。
 清田さんが所属する内海府漁協は今でも恵まれているほうだという。漁師は漁協に勤めている形をとって月給制。清田さんの場合で月30万円。厚生年金や社会保険なども整備されている。23年には久しぶりの豊漁で1千万円のボーナスまで出た。
 「積み立てをしているので1年や2年、不漁のときもやっていける。1千万円は10年か20年に1度だが、たまには200万、300万のボーナスをもらえる」
 ただ、後継者不足は年々深刻になっている。清田さんと同じ黒姫漁港の漁師は現在約20人にまで減っている。
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 佐渡島全体でみると、元気のなさはよりはっきりする。漁船を動かす燃料費の高騰や高齢化に悩まされている。
 佐渡水産物地方卸売市場の石川信彦販売課長(58)によると、昭和期は島全体で年間30億円前後の水揚げ高を維持し、平成の初めごろには40億円まで伸びた。それが10年ほど前から下がり始め、昨年は20億円に届かなかった。
 「以前はイカ釣りが多かった。でも、油代がめっぽう高くなる一方で、他の地域との競合でイカの値段が下がっていった。単価は10年前からそのまま変わらない。採算が合わなくなって、目に見えて衰退していった」
 かつて100隻ぐらいあったイカ釣り船も今はわずか10隻に減ったという。漁師の廃業が増え、高齢化も追い打ちをかける。「本当なら、私の年代が漁業の中心になるはずだけど、同級生の漁師なんてほとんどいない。最高齢は80歳を過ぎている」と嘆く。
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 第1部の対馬編でも紹介したが、漁船はおのずと海の監視という役割も担っている。特に佐渡は、北朝鮮による拉致事件が起きた島でもある。近年、不審船のニュースは聞かれなくなったが、24年度と25年度の2年間で所有者不明の木造船の漂着が14件あった。
 清田さんは数年前、黒姫から近い弁天岩沖で不審な船に遭遇した。「朝の5時ごろ、日本の船じゃない船が航行していた。海に何かをほうり込んでいたから、覚醒剤か拳銃か、何かを捜しに来ているのではという噂が立った。弁天岩沖には、しょっちゅう妙な船が来ていた」
 元県議の清野正男さん(64)は、日本海中央部で日本の排他的経済水域内にある漁場、大和堆を例に挙げる。「大和堆イカもマグロも、何でも取れるが、燃料費の高騰で漁師が行かなくなった。何年も前の話だが、中国や韓国、北朝鮮に占領されているんじゃないかという話があり、チャーター機で空から視察したところ、国籍が分からない漁船が数隻いた。今は漁師が行かないからどうなっているのか分からない」
 漁業の衰退は、佐渡経済を根底から揺るがしている。同時に四方を海に囲まれた佐渡は、安全保障上重要な拠点でもある。民間監視が手薄になる危機が現実になっている。(宮本雅史



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☂11:─1─日本共産党の2019年参議院比例における獲得票数448万票。〜No.38No.39No.40 

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   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博} ・   
 2019年7月28日 産経新聞「【参院選共産党、比例は150万票減 「相互推薦・支援」うやむやで政権批判票離れ
 共産党は21日投開票の参院選で、比例代表では850万票の獲得を目指したが、平成28年の前回の約602万票を下回る約448万票にとどまった。全体でも獲得議席は7と改選前の8から後退した。志位和夫委員長はそれでも野党共闘の結果、憲法改正に前向きな「改憲勢力」が国会発議に必要な「3分の2」を割ったと強調するが、選挙後は共闘の一角を占める国民民主党改憲議論に前向きな動きをみせるなど足元はおぼつかない。
 共産党が比例票を減らしたのは、支持層の高齢化に歯止めがかからないことに加え、野党共闘の前提として他党に求めてきた「相互推薦・支援」をうやむやにしたことが大きい。
 志位氏は、初めて野党共闘に踏み切った28年参院選と29年の衆院選で比例票が伸び悩んだことを受け、今回は「相互推薦・支援」の確約を求めてきた。共産党が選挙区で候補を取り下げても、政権批判票が比例も含めて他党に流れる動きが止まらなかったからだ。
 しかし、野党間の候補者調整が進まない現状にしびれを切らし、今年5月に「状況に即して勝つために効果的な支援を目指したい」と軌道修正。改憲勢力「3分の2」阻止などを争点に掲げ、選挙区で候補の取り下げを進めた。
 この結果、今回は比例で前回から1減の4議席しか確保できなかった。政権批判票は、今回も野党第一党立憲民主党などに流れた可能性が高い。元日本共産党国会議員団秘書の篠原常一郎氏は「反原発、反消費税などの政策がかぶる『れいわ新選組』にも流れたのだろう」と総括する。
 党勢を切り売りしても堅持した野党共闘には、ほころびが出ている。国民民主党玉木雄一郎代表は25日、憲法改正について「私は生まれ変わった。議論は進める。安倍晋三首相にもぶつける」と明言した。
 首相と玉木氏が改憲推進で一致すれば、成果として誇る「3分の2割れ」がぬか喜びに終わりかねない。
 志位氏は26日、玉木氏の発言について「野党5党派は安倍政権下の憲法9条『改定』に反対し、改憲発議そのものをさせないために全力を尽くすことで一致している。その線で協力していくことが大事だ」とクギを刺した。
 党内では、宮本徹衆院議員がツイッターで「何のために力合わせ、『3分の2』を失わせたのか」と不満を募らせた。今後、共闘のあり方について議論が再燃するとみられるが、3年後に結党100年を迎える老舗政党の前途は多難だ。(内藤慎二)」
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🎺09:10:─1─皇室外交。平和主義者・昭和天皇の戦争を避ける為の歴代アメリカ大統領への親書。〜No.44No.45No.46No.47No.48No.49 ⑥

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 グローバルな現代日本人よりも、昭和天皇の方が国際感覚は鋭く外交理解力は優れ、日本国の平和と国民・民族の幸福を考え、それを実現するべく自己犠牲的に行動していた。
 昭和天皇をトップレベルの国際人として鍛えたのは、確かな民族の歴史、伝統、文化、宗教に裏打ちされた帝王学であった。
 現代日本人は、確かな足場としての深層・古層・基層を持たない根無し草であり、中身のない唯生きていると言うだけの栄養価の乏しい空虚な存在である。
   ・   ・   ・   
 日本の戦争に対して、昭和天皇には責任がないし、天皇の戦争責任も戦争犯罪もない。
   ・   ・   ・   
 昭和天皇は、アメリカで排日運動が如何に激烈になろうとも、日本がアメリカと戦争する事は好ましくないと考えていた。
 つまり、日本がアメリカと戦争したら、日本はアメリカには勝てないであろう事は知っていた。
 昭和天皇は、日本国の平和と国民(民族)の生命を守る為に、知らせられる範囲でアメリカ大統領に伝えていた。
 昭和天皇と宮中勢力は、日本の国家機密の多くをアメリカに伝えられていたが、国家の命運を賭けた軍事機密だけは統帥権事項として伝えなかった。
   ・   ・   ・   
 昭和天皇に近いアメリカ観を持っていたのは、親ユダヤ派の松岡洋右であった。
 日本との戦争を目指していたルーズベルト大統領は、外交能力の高い・松岡洋右外務大臣から更迭する様に日本政府に圧力を掛けた。
   ・   ・   ・   
 日本には、私利私欲の俗事たる政治権力と宗教権威、冒してはならない無私無欲な天皇が持つ菊の御威光が存在する。
   ・   ・   ・   
 歴代天皇は、祖先神・氏神からの神の裔を認めても、絶対的な現人神・生き神を宣言した事はない。
   ・   ・   ・   
 天皇の正統性とは、人が自己満足的に勝手に自由に傲慢に強欲に欲得・私欲・我欲で書き上げた憲法や法律ではなく、冒しがたい代えがたい最高神の女性神天照大神から受け継がれた血筋・血統、皇統である。
   ・   ・   ・   
 武士・サムライは、「生きて虜囚の辱を受けず」である。
 武士・サムライの嗜みは、「昨日の敵は今日の友」である。
 武士・サムライは、戦って勝てない相手、負けるかもしれない相手であっても、名誉・体面・誇りの為に、祖先と子孫の為に、自分の命を捨てて戦った。
 それが、武士道、士道、武士に一分であった。
 武士・サムライは、名を惜しみ、生き、そして死んだ。
 「死ぬこと」を嫌がる日本人は、武士・サムライではない。
 勝てないから戦わない、負けるから戦わない、それは武士・サムライの生き方ではない。
 武士・サムライは、刀を捨てて降伏し捕虜になる事を嫌い、生き恥を晒さない為に腹を切って死を選んだ。
 武士・サムライの子は、15歳で元服し大人と認められると、最初に教えられるのは死ぬ為の「切腹」であった。
 戦う以上は、敵を容赦なく斬り殺す、負けて恥を晒さない、つまり「勝たなければ生きては帰らない」という決死の覚悟で戦場に向かった。
 武士の鑑は、天皇の忠臣であった楠木正成である。
 それが、日本民族日本人であった。
 死を恐れない意気込みは、落ち武者狩りや戦場荒らしをして荒稼ぎする百姓や町人でも同じであった。
 現代日本には、武士・サムライはいないし、百姓や町人といった庶民もいない。
   ・   ・   ・   
 2019年8月4日号 サンデー毎日「ザ・インサイダー 近・現代史の『常識』を覆す!
 歴代大統領宛て21通の親書が明かす
 天皇家と米国知られざる交流史  
 本誌連載『新天皇論』で、保阪正康氏は『皇室とホワイトハウス』の関係を論じて話題を集めた。明治、大正、昭和の天皇が歴代の米大統領に送った21通の親書の存在は、天皇と米国の友好を証している。硬骨のテレビ記者・金平茂紀氏が、天皇親書が語り出す現代史の秘部に迫る──。
 金平茂紀
 2019年上半期の日本のニュースで最も多く報道されたのは、改元天皇皇位継承という出来事だ。テレビ報道の世界で、昭和から平成への変遷も取材してきた者の一人として顧みれば、今回の代替わりも、天皇および天皇制について考えてみる絶好の機会だったはずだ。ところが残念なことに、メディアはひたすら、思考停止したように奉祝一色に染まり、皇室行事についての歴史的な検証を怠った。後世の人々から厳しい批判を受けても仕方がない。本誌に掲載された保阪正康氏『新天皇論』(2019年3月10日号~6月23日号)のような仕事は、残念ながら例外的な仕事だと言わざるを得ない。
 代替わりの政治利用について少々触れれば、令和の最初に会見する国賓として、現政権はトランプ米大統領を招いた。筆者の脳裏に刻まれているのは、大相撲千秋楽の両国国技館・升席に特注ソファを設置し、相撲を中断させて、そこにトランプ夫妻が招き入れられた場面、さらには土俵上でトランプ優勝力士に米大統領杯を直接手渡すという前代未聞のセレモニーが用意された。政治学者・白井聡氏の『国体論 菊と星条旗』に述べられている通り、戦前の現人神・天皇=『国軆』から、戦後は、天皇の代わりにアメリカを頂点にいただく新たな『国体』が護持されたことを晒(さら)したシーンだったのではないか。
 さて、前記の保阪氏『新天皇論』の中で、米国在住リサーチャー、歴史研究者のグリーン誠子さんと筆者でこの数年、ご一緒してきた仕事の一端に言及いただいたので、この機械に日本の皇室と米大統領との緊密な関係ぶりを示す歴代、『天皇親書』をめぐって、若干記しておきたい。これらの親書の『発見』については、TBS系『報道特集』(今年5月4日放送)でも一部が報じられたが、ここでは資料発見の経緯に絞って記す。
 つくづく思うのだが、米メリーランド州にある国立公文書館は文字通り『宝の山』である。といっても、『宝の山』は誰にでも開かれているわけではない。私たちが歴史を研究するのは、歴史から、今という時代がどのような位置にあるのかを思考し、未来への道筋を紡いでいくためではないか。そうした基本をわきまえた人は、宝が宝であることを認識できる。その基本を欠いた人にとって、公文書館資料はただの紙・書類の山である。グリーン誠子さんは、すさまじい熱意でルサーチを遂行されてきた。頭がさがる。リサーチのテーマを話し合い、仮説を立て、実際の資料に行き着くまでの作業が精緻極まりない。グリーンさんのやり方は、実際に資料が入ったボックスの中から書類を一つ一つ取り出して目を通す。こういうやり方でなければ今回の『発見』に行き着くことはなかった。特に今回の天皇『親書』は英文の国務省文書に添付された形になっているので、コンピュータによる検索ではみつからないのだ。そして資料を読み込むことによって仮説が質(ただ)され(あるいは転覆され)真実が浮かび上がってくる。そこに発見がある。
 米大統領と皇室の良好な関係
 今から4年前の夏、グリーンさんから興奮した口調で東京の筆者のもとに電話がかかってきた。大正天皇昭和天皇から歴代大統領に宛てた天皇『親書』が数通みつかったというのだ。菊の御紋の入った上質の和紙に毛筆で書かれたもので、文末に天皇直筆の署名があるという。嘉仁(よしひと)と裕仁(ひろひと)である。大正天皇ウッドロー・ウィルソン大統領、大正天皇→ウォレン・ハーディング大統領、大正天皇カルビン・クーリッジ大統領、昭和天皇→クーリッジ大統領、途中で摂政となった裕仁と、病床の嘉仁の連名のものもあった。冒頭は必ず『良友』で始まる。大部分は駐米大使の離着任の承認を求める親書であった。その後、明治天皇(睦仁{むつひと})の親書もみつかった。さらには1912(明治45)年7月30日付で(まさに死去したその日)、明治天皇の死を報告する大正天皇の親書も出てきた。封筒や便箋に黒い縁取りが施されていた。実際に手を取ってみると興奮した。何しろ実物なのだから。保存状態がよい。日本では考えられない情報開示のアクセスのありように、アメリカという国の強靭(きょうじん)さを思い知らされる。
 ……
 駐米大使の信任状では、例えば1911(明治44)年12月24日付で、前サンフランシスコ公使、珍田捨巳を駐米大使に任命した祭、明治天皇が当時のウィリアム・タフト大統領へ宛てた親書にグリーンさんはかなり興奮していた。……1912(大正元)年9月24日付の大正天皇のタフト大統領宛て親書では、明治天皇死去の際の弔意に感謝を表している。興味を引くのは、それまでの日米の親善関係を継続していくことを希望し、日米関係は特別なものであるとの趣旨が記されていることだ。明治から大正にかけて、米大統領に対して皇室は良好な関係維持を望んでいた。
 『天皇は数時間以内に亡くなるだろう』
 グリーンさんからは、その後も新たな親書がみつかったとの報告が入った。それらは、駐米大使の信任状の域を大きく踏み越えて、皇室内での枢要な変化が記された極めて史料価値の高いものだった。皇室内の結婚や死去、職務代行(摂政)に関する動きなどを逐一報告されていた。病弱気味だった大正天皇は、即位から時をおかず病状が悪化して、1921(大正10)年11月には、皇太子・裕仁が摂政の地位に就き天皇の職務を代行した。その摂政就任を報告する嘉仁・裕仁→タフト大統領宛ての親書には驚いた。1921(大正10)年12月28日付の親書だ。
 『去月25日皇太子裕仁親王摂政ニ就任セシコトヲ茲(ここ)ニ貴大統領ニ報道ス』
 署名欄は嘉仁と裕仁の連名になっているが、署名の字体から、摂政・裕仁が、父親の嘉仁名を代筆したことは明らかだ。摂政に就いたことを自分で父親に成り代わって報告しているのである。大正天皇の署名は、初期から晩年に至るまで字体がかなり変化していることが手に取るようにわかった。このこと自体が大正天皇の置かれていた状況を示す貴重な手がかりである。
 この親書の存在については、宮内庁編『昭和天皇実録』の同日の欄に、諸外国に親書を送ったことが記されている。『実録』には、イギリスの皇帝ジョージ5世宛ての書簡が引用されている。文面は似ているが、冒頭の呼びかけが『良友』ではなく、『良兄』だった。
 さらに、1927(昭和2)年2月18日付で、大正天皇が死去したことをクーリッジ大統領に報告した親書もみつかった。
 『大正15年12月25日葉山御用邸ニ於テ崩御セラレタルコトヲ茲ニ貴大統領ニ報スルハ朕ノ痛悼(つうとう)ニ耐ヘサル所ナリ』
 この親書の存在については『昭和天皇実録』に、諸外国に書簡を送ったとの記載があるが、文面は書かれていない。ここでも日米間の親密な関係維持に配慮した部分が特に目を引く。日本はこの頃、1923年の関東大震災で甚大な被害を被った後、アメリカからはじまった世界恐慌の影響をまともに受けることになる。アメリカでの排日運動も依然として続いていた。外交面では日本は国際協調を捨て『孤立化』への道へと突き進んでいく。軍部が台頭し、満州事変などを通じて中国大陸への進出を拡大、1933年の国際連盟からの脱退へと孤立化を深めていく。しかし、今回発見された、明治・大正・昭和の歴代天皇から米大統領に宛てた親書の文面からは、アメリカとの関係悪化の兆候は全くみられない。それどころか、歴代の天皇から米大統領宛てに、天皇家の変化の節目節目について丁寧に報告する慣例のようなものが出来上がっていたことをうかがわせる。
 例えば、1914(大正3)年5月27日の大正天皇からウィルソン大統領宛てに出された親書は、昭憲皇太后明治天皇の妃)の死去を報告している。1924(大正13)年1月30日付の親書では、大正天皇、摂政・裕仁連名で、裕仁皇太子が結婚したことを報告していた。『昭和天皇実録』にこれらの親書についてのきさいはない。
 『朕ノ親愛スル皇太子裕仁親王久邇宮(くにのみや)良子女王ト1月26日東京宮城ニ於テ結婚ノ式ヲ挙ゲタルコトヲ茲ニ閣下ニ報道スルハ朕ノ……』
 実際にこれを報告したのが大正天皇ではなく、昭和天皇裕仁本人だったということが、文面から言うと、ちぐはぐな印象だが、アメリカにはいち早く伝えられていたのである。
 アメリカ政府が作成した天皇に関する外交文書は膨大な分量に及ぶ。紙幅の関係で詳細は記されないが、これから筆者らが把握したのは、以下の点だ。
 ①アメリカは天皇の存在を極めて重く見ていた。
 ②天皇家の動向に関するアメリカの情報収集能力は非常に高く正確無比であった。
 ③昭和天皇裕仁は、米英との戦争を当初は望んでいなかった。
 ④一方でアメリカは日本の戦争への動きに警戒感をいだき、その備えを整えていた。
 ②については1912(明治45)年6月12日付の『明治天皇が危篤にある』との米大使館から米国務省宛ての至急電報がみつかった。
 Death of Enperor expected houly.天皇は数時間以内に亡くなるだろう。
 こんな機密をアメリカは把握し、本国に打電していた。日本国内では全く伏せられていた最高機密情報だ。
 ③と④については、当時の国務省文書をみると、『日独伊三国軍事同盟』締結への動きを、アメリカが最大級の関心を持って監視していたことがわかる。例えば、1939(昭和14)年4月26日付の天皇臨席の会議後の機密文書(東京の米大使館→国務長官)にはこういう記述がある。
 The Enperor believes that improvement
 of relations with Great Britain and US
 is very desiradle.天皇英米との関係改善が望ましいと信じている。
 親米英の天皇家と、対米英戦争
 グリーンさんがみつけたある外交電報がある。1941(昭和16)年9月17日付で昭和天皇ルーズベルト大統領に出された外交電報だ。昭和天皇ルーズベルト大統領の母であるサラ・デラノ・ルーズベルト夫人が、1941年9月7日、ニューヨークで亡くなったことを知り、弔慰を示す電報を送っていた。この昭和天皇のメッセージに対し、同じ9月17日付でルーズベルト大統領は返礼電報を送っていた。この外交電報が交わされたわずか80日後に、日本軍はアメリカのハワイ真珠湾に奇襲攻撃を行った。後戻りのでいない日米の戦争の端緒が開かれた。天皇家の親英米の流れと対英米戦争への突入。この二つの流れの関係は日本現代史の大きな謎である。
 2016年7月の天皇生前退位の意向表明は、天皇制についての私たちの興味を一段と掻(か)き立てた。断続的にグリーンさんと連絡をとりながら、計21通に及んだ天皇『親書』全体の放送を考えた。だがそれは局内事情で容易に進まず、そして『親書』全体についての放送は叶(かな)わなかった。
 それにしても、天皇制とは日本人にとって何なのか、という思いを筆者は今、強くしている。あの代替わりを寿(ことほ)ぐ圧倒的な報道の後だからなおさらだ。現在の政権があまりに、皇室を政治利用していることについて、白井聡氏の言い方を借りれば、『アメリカを事実上の天皇と仰ぐ国体において、日本人は霊的一体性を本当に保つことができるのか』(『国体論 菊と星条旗』より)。筆者も同じ思いを共有しているが、その『霊的一体性』とは何かについての突っ込んだ議論はこれからだ」
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 神の裔・天皇を現人神・生き神に祭り上げたのは、金儲け主義に走ったメディアであった。
 国家主義者・軍国主義者・国粋主義者・好戦的な日本人の正体は、メディアであった。
 戦争を煽ったのは、軍人ではなくメディアであった。
 メディア関係者は、例外なく大学卒業の高学歴出身知的エリートであった。
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 大学に蔓延していたのが、マルクス主義共産主義であった。
 マルクス主義共産主義)を信奉し社会主義的統制を実行しようとしたのが、革新官僚や軍人官僚エリート達であった。
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 故に、天皇の正統性とは神聖不可侵であり、男系一族の世襲であった。
 天皇の正統性を否定し消滅させようとしたのが、人が創り出した中華儒教キリスト教共産主義マルクス主義)である。
 そうした勢力は、高学歴出身知的エリートに多く含まれている。
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 孝明天皇は、外国人の汚れた土足で神国日本が穢されない為に外国を撃ち払え、外国と戦争せよ、と無理難題を江戸幕府に押し付けた。
 それに対して、明治天皇大正天皇昭和天皇は戦争を命じてはいないし、むしろ戦争には不同意であった。
 大日本帝国憲法は、天皇国家元首の大権として統帥権と戦争権を与えたが、開戦・停戦・終戦決定、軍事予算決定そして軍隊の指揮命令決定を認めなかった。
 国家主権の発動である、開戦・停戦・終戦決定を政府に、軍事予算決定を議会に、軍隊の指揮命令決定を軍部に、分散した。
 天皇には個人の権利、自由がない為に、個人の意志では、開戦・停戦・終戦を決められないし、軍事予算を決められないし、軍隊の指揮命令を決める事もできない。
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 国民は、選挙で政治家を選んで国会に送り込んだ。
 選挙で選ばれた政治家の中から、陸軍大臣海軍大臣以外の大臣に選ばれ国政を担った。
 その為、責任の所在が曖昧となっていた。
 選挙で選ばれた政治家の中に朝鮮人がいた。
 東郷茂徳は、朝鮮系日本人であったが、外務大臣に二度も任命され、開戦と終戦の舵取りを行った。
 数は少なかったが、陸軍中将や陸軍大佐などに任官した朝鮮人もいた。
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 天皇の大権を何人も侵害・簒奪できないようにする為に、天皇を神聖不可侵の存在とした。
 日本を国際社会で孤立化させ戦争に追い込んだのは、天皇が命じたわけではなく、軍部が暴走したからではなく、政治家や官僚が無能化し、腐敗し、不正を働き、堕落した事が原因であった。
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 アメリカは、日中戦争から太平洋戦争に至る全ての戦争において、昭和天皇と宮中が平和を望み、戦争回避の外交交渉成功に期待し、戦争を早期に停戦する事を切望している事を知っていた。
 昭和天皇の平和への希望を粉砕し、日本を戦争に追い込んだのは、国内外の共産主義者マルクス主義者)であった。
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 反天皇反日的日本人、護憲派天皇制度廃絶派、女系天皇擁立・女系宮家創設派は、日本の歴史上初めて出現した日本民族日本人とは思えない程の「忘恩の徒」である。
 天皇・皇族・皇室や天皇制度を口さがなく言い募る日本人は、例外なく、民族の心を持たない忘恩の徒と見て間違いない。
 別の言い方で言えば、彼らは歴史、伝統、文化を同じくする日本民族日本人ではないのかもしれない。
 だが、彼らは自分こそが正真正銘の日本国民日本人であると自称している。
 何れにせよ、日本国内で忘恩の徒の人数は年々、確実に増えている。 
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 天皇・皇族・皇室を命を捨てて守ってきたのは、下級武士、貧しい庶民(百姓・町人)、身分低い芸能の民(歌舞伎役者・曲芸師・傀儡師など)、差別された賤民(非人・穢多・河原乞食など)、軽蔑された部落民(山の民・川の民・海の民など)などの社会の底辺を這いずり回って生きていた下層民達であった。
 下層民が救いを求めたのは、菊の御威光である。
 それ故に、如何なる盗賊も犯罪者も大名屋敷や公家、豪商や豪農の屋敷に忍び込んで人殺しをしてでも金目の物を奪ったが、天皇が住む御所や皇族の屋敷にだけは手を出さなかった。
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 現代日本人は、架空の時代劇は好きだが、事実に基づいた歴史は嫌いである。
 それ故に、現代日本人は、歴史を学ばないし、歴史を鑑として教訓を得る事はない。
 つまり、馬の耳に念仏、豚に真珠、猫に小判である。
 現代日本人は、縄文時代から血が繋がった伝統・文化・歴史・宗教を大事にする日本民族日本人とは別人と言ってもいいほどに違う日本人である。
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 現代日本人は、恩を忘れ、恩に感謝せず、恩に仇で返す、恩に後ろ足で砂をかける、そうした非常識な行為を当然の権利として行う忘恩の民である。
 その象徴が、靖国神社問題である。
 忘恩の民にニセ真実ではなく現実に即した事実を言っても、素直に聞く耳を持たないのであれば何を言っても無駄と諦めるしかない。
 現代日本人の忘恩症は、年々、悪化し、治療不可能なまでに重症化している。
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 日本は、食糧・物資・エネルギーをアメリカとアメリカの支配地域若しくは影響地域から購入し、金融・サービス・通信・情報をアメリカに依存し、交通・運輸・輸送をアメリカ軍の保護下で安全と自由を保証されている。
 日本は、自主独立国を主張した所で、一つも他国に頼る事なく自国の力だけで全う、充足できていない。
 それが、紛れもない現実である。
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 天皇・皇室は、歴史的使命として国家の安寧と国民(民族)の幸福を祈り、憲法が許し範囲で平和を希望し戦争に反対した。
 ただし、政府、議会、軍部そして国民世論が協議を重ね戦争を決断したら、天皇には国家元首として「死なない限り退位、辞任、辞職、職場放棄はありえない」との覚悟で裁可した。
 それが、天皇の責務であった。
 天皇に求められたのは、カリスマを持ったリーダーであって、トップとしてのリーダーシップではなかった。
 天皇とは、日本における唯一無二の他に変えがたい「一天万乗」の尊き存在であった。
 それが、特殊な血筋・血統を正統とする特別な男系の家による万世一系世襲制度である。
 そして、戦争責任を含む全ての責任は最終決定権者の天皇に押し付けられた。
 戦前の日本人はその事を知っていたがゆえに、天皇を守る為に、カミカゼ特攻やバンザイ突撃で玉砕したり絶望的戦争を死力を尽くして戦った。
 それが、国體護持である。
 現代の日本人は、戦前の日本人の念いを踏みにじる、天皇を否定し、男系を女系に代えて世襲天皇制を崩壊させようとしている。
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 世界の象徴的リーダーと現実的トップは同一人物として、カリスマとリーダーシップが兼ね備えていなければならない。
 日本では、象徴的リーダーとは天皇でありカリスマのみが求められ、現実的トップとは公家や武士でリーダーシップを実行しなければ成らなかった。
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 アメリカは、短期的な日本占領支配と日本改造の為に昭和天皇を悪用したが、長期的に天皇制度を廃止し、天皇家・皇室を消滅させる諸政策を施した。
 それが、日本国憲法と改正皇室典範であり、戦後の自由・民主主義教育であった。
 こうして反天皇反日護憲派天皇制度廃絶派が、高学歴出身知的エリート層に急増した。
 それが表面化したのが、男系相続から女系相続に切り替え、女系天皇擁立・女系宮家創設が話題にのぼり始めた2000年(平成12年)頃からである。
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 もし、イギリスが日本を占領したら、昭和天皇は退位追放され、イギリス国王が日本天皇を兼任した。
 ソ連共産主義勢力やフランスが日本を占領したら、昭和天皇は処刑され、天皇制度は廃止され、皇室は消滅し、日本は共和国になっていた。
 中国が日本を占領したら、昭和天皇は処刑され、皇室は消滅され、日本は中国の一部となって地球上から消され、抵抗する日本民族日本人は全員虐殺された。それは現代、中国共産党チベットウイグル内モンゴルで行っている非人道的虐殺を見れば明らかである。
 昭和天皇は、天皇制度と皇室、日本国と日本民族を守る為に、一人、孤独な戦いを続けた。
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 現代日本には、反宗教無神論者、反天皇反日的日本人、靖国神社否定派、女系天皇擁立派、女系宮家創設派、日米安保反対派・日米同盟反対派などが存在し、その数は高学歴出身知的エリートに多い。
 高学歴出身知的エリートとは、政治家、官僚、学者・教育関係者、コメンテーター・メディア関係者、評論家・知識人・有識者・専門家そして企業家・経営者と労働組合幹部、市民運動幹部らである。
 それは、保守・革新・リベラルに関係なく、左翼・右翼・ネットサヨクや右翼・右派・ネットウヨクにも関係ない。
 高学歴出身知的エリートの中に、親中国派・媚中派・従順派・従属派・朝貢派や親韓国派・親北朝鮮派が少なからず存在する。
 ここで言う中国とは、中国共産党・中国軍(人民解放軍)の事で、非中国共産党員・一般中国人の事ではないし、台湾人や香港人チベット人ウイグル人・モンゴル人などの少数民族の事でもない。
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 公文書の改竄や廃棄、情報公開拒否などを公然と行う政治家や官僚が、現代日本では政権の中枢に数多く存在する。
 江戸時代までの日本民族日本人は、後世の為、子孫の為に、起きた事実は必ず正しく、正確に、嘘偽りなく記録して残した。
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 A級戦犯達は、歴史に残る人道貢献を命を犠牲にして行った。
 東京裁判とは、昭和天皇A級戦犯達の人道貢献を否定し、人類に対する罪、人道に対する罪として裁く報復裁判であった。
 何故か、それは連合国(後の国連)が人道貢献をしなかったばかりか消極的にホロコーストなどの虐殺に手を貸したからである。
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 幕末・明治維新は、北から迫りくるロシアの侵略に対する安全保障問題が原因であった。
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 明治時代の基本的外交方針は、日本の存続を脅かす北のロシア、西の清国(中国)、南のイギリスとフランスに対抗する為に、東のアメリカとの良好な関係を維持する事であった。
 明治天皇は、国の安全、国民の幸せ、経済の発展には、アメリカとの緊密な関係が最重要課題との認識の本、アメリカとの関係を危うくするとしてハワイ王国の救援依頼と皇室とハワイ家との婚姻提案を断った。
 日本の平和と安全の脅威となっていたのは、日本を戦争で半島から追い出すべく清国やロシアの軍隊を国内に駐屯させようとした朝鮮であった。
 アメリカは、日露戦争までは日本との友好関係に努め、日露戦争後は表面的には親日派知日派を装ったが裏では反日派敵日派として行動した。
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 明治天皇は、日清戦争日露戦争も不同意であった。
 大正天皇は、戦争にも政治にも関心がなかった。
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⛿12¦─1─中国公船が青森県沖の領海侵入。2019年7月26日~No.59No.60No.61 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
 中国共産党・中国軍は、笑顔で友好を口にするが、本心は別の所にある。
 重要なカギを握っているのは、沖縄の辺野古尖閣諸島であった。
 日本を守っているのは、日米安全保障条約に基づく在日アメリカ軍であった。
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 2019年7月25日 産経新聞EEZで中国海洋調査船 長崎・女島
 25日午後3時ごろ、長崎県女島の西約120キロの排他的経済水域EEZ)で、中国の海洋調査船「業治錚」がワイヤのようなものを海中へ垂らしているのを海上保安庁の巡視船が確認し、調査の中止を要求した。第10管区海上保安本部(鹿児島)によると、調査船は午後7時15分ごろEEZから出た。」
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 7月26日10:34 産経新聞尖閣周辺に中国船 6日連続
尖閣諸島を含む東シナ海上空。手前から南小島、北小島、魚釣島海上自衛隊の哨戒機P-3Cから=沖縄・尖閣諸島、2011年10月13日(鈴木健児撮影) 
 沖縄県尖閣諸島周辺の領海外側にある接続水域で26日、中国海警局の船4隻が航行しているのを海上保安庁の巡視船が確認した。尖閣周辺で中国当局の船が確認されたのは6日連続。
 第11管区海上保安本部(那覇)によると、1隻は機関砲のようなものを搭載。領海に近づかないよう巡視船が警告した。」
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 7月26日16:20 産経新聞「空自の緊急発進246回 4~6月、領空侵犯も
 防衛省は26日、航空自衛隊の戦闘機が4~6月、領空侵犯の恐れがある外国機に246回の緊急発進(スクランブル)をしたと発表した。昨年の同時期より25回減少し、過去4番目に多かった。
 対中国機は179回で6回増加。対ロシア機は65回で30回減少したが、6月20日にはロシアのTU95爆撃機沖縄県南大東島と東京都の八丈島付近で領空侵犯した。
 防衛省によると、ロシア機が日本海上空を長距離飛行したり、中国機が沖縄本島宮古島間を通過してたびたび太平洋に出たりと特異な飛行も目立った。中国機、ロシア機ともに引き続き活発な状況が続いているとして防衛省が警戒を強めている。
 対象機種別では、中国、ロシアとも戦闘機が多かった。」
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 7月26日16:33 産経新聞「中国公船が青森県沖の領海侵入
 第2管区海上保安本部(宮城県塩釜市)によると、青森県沖の領海内で26日、中国海警局の船2隻が航行しているのを海上保安庁の巡視船が確認した。
 この海域周辺で中国公船の領海侵入を確認したのは平成29年7月以来のこと。国連海洋法条約によると、沿岸国の安全などを害しない限り領海を通航する権利「無害通航権」がある。29年のさいは日本側が中国側に対し「関心」を伝えたが、同条約に違反する動きは確認されなかったため抗議は見合わせている。」
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7月26日16:57 産経新聞「中国公船が青森沖領海侵入 海警局の2隻、海保
 第2管区海上保安本部(塩釜)は26日、青森県沖の領海内で、中国海警局の船2隻が航行しているのを海上保安庁の巡視船が確認したと発表した。この海域で中国公船の領海侵入を確認したのは平成29年7月以来としている。
 2管本部によると、26日午前2時40分ごろから同45分ごろにかけて、海上保安庁の巡視船が津軽海峡の竜飛崎沖の領海に海警局の船2隻が相次いで侵入したことを確認。海保が無線で注意を呼び掛け、2隻は午前3時15分ごろにいったん領海を出た。
 約3時間半後、2隻は大間崎沖の領海に再び侵入、午前7時45~50分ごろに領海を出た。」
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 7月26日19:52 産経新聞「中国機へのスクランブル179回 過去2番目の多さ 4~6月
 警戒を強める防衛省=東京都新宿区(川口良介撮影)
 防衛省統合幕僚監部は26日、日本領空に接近した中国機に対する航空自衛隊機の緊急発進(スクランブル)回数が今年4~6月期で179回だったと発表した。前年同時期から6回増え、過去最多だった平成28年の199回に次ぐ回数となった。ロシア機は65回で前年同時期から30回減ったが、太平洋上での領空侵犯事案などもあった。
 全体のスクランブルは246回で、前年同時期から25回減少した。
 防衛省は4~6月に6件の「特異な飛行」を発表したが、このうち4件が中国軍機だった。スクランブルの対象は戦闘機が中心で、沖縄本島宮古島の間を通過する動きなどが引き続き確認された。
 ロシア機では、6月20日に「TU95爆撃機」が沖縄県南大東島と東京都・八丈島の領空を相次いで侵犯した。今回の公表分には含んでいないが、今月23日にも「A50空中警戒管制機」が竹島島根県隠岐の島町)に領空侵犯している。防衛省は「スクランブル回数は減少したものの、引き続き活発な活動状況にある」として警戒している。
 空自航空方面隊別では、南西諸島周辺を担当する南西航空方面隊が162回で最多だった。」
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