🎺06:─2─南部仏印進駐と在米日本資産凍結。松岡外相は、素人の外交交渉と民間外交は失敗するとして猛反対した。アメリカは、松岡洋右を嫌った。1941年7月~No.34No.35No.36No.37  @ ④

ベトナムのことがマンガで3時間でわかる本 (アスカビジネス)

ベトナムのことがマンガで3時間でわかる本 (アスカビジネス)

  • 作者:福森 哲也
  • 発売日: 2010/11/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本軍は、慢性的食糧不足を打開するべく、独立派ベトナム人の協力を得て、南部仏印メコンデルタ穀物地帯を占領してコメを獲得した。
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 7月 杉山元参謀総長は、総力戦に対応する基本戦略として秋丸機関からの最終報告書を受け取った。
 最終報告書は、日米開戦は長期戦となり国力差から敗戦必死との結論に達していたが、若し戦争が避けられないのであればとしての科学的合理的な南方戦略を提案した。
 同報告書は、対米英蘭戦争の不可を科学的合理的に証明したのではなく、日米の国力差を考慮した上で負けない為に如何にして戦うかの戦略立案であった。
 そして、米英蘭戦争は避けられないとして、戦う為に必要な数値を作り上げて報告した。
 日本陸軍は、1939年9月に、総力戦時代の戦争において経済上の戦争遂行能力(経済抗戦力)抜きでは考えられないとの判断から、国家・国民経済を科学的に測定し、合理的な戦略策定を行う専門部署として「陸軍省戦争経済研究班」を設立した。
 「陸軍省経理局長の監督の下に時期戦争を遂行目標として主として経済攻勢の見地より研究」
 研究対象国は、経済大国のアメリカであった。
 陸軍は、仮想敵国をソ連と定めて研究していたが、アメリカは海軍の対象国として研究してこなかった。
 日中戦争の長期化の原因が、アメリカとイギリスの蒋介石への経済軍事支援である事は明らかな以上、急遽アメリカを研究対象に加えた。
 陸軍や企画院の大勢は、日米の国力差や戦略物資の対米依存などから、対米戦争は長期戦となり勝ち目がなく、アメリカとの戦争は絶対に不可能である、というものであった。
 軍務局軍事課長の岩隈豪雄大佐は、政府や海軍に陸軍の対米経済研究を隠蔽する為に主計課別班との別称を使った。
 秋丸次朗中佐が、満州国から帰国して研究班長となり、戦争経済研究所は「秋丸機関」と呼ばれた。
 秋丸中佐は、人民戦線結成容疑・治安維持法違反で検挙され保釈中のマルクス経済学者で東大経済学部助教授(求職中)有沢広巳に英米班主査への就任を要請した。
 有沢広巳は、総力戦に於ける統制経済や自給体制の専門家として名が知れていた。
 陸軍は、軍国日本が戦争を遂行し勝利を収める為に、治安維持法違反で検挙されたマルクス主義者であっても有能な人材と見れば集め機密作業に従事させた。
 転向組(隠れマルク主主義者)のうち有能な人間は、超エリート革新官僚となって企画院などに配属されていた。
 国際政治班主査に、東大教授の蝋山正道。日本班主査に、東京商科大学教授の中山伊知郎。独伊班主査に、慶応大学教授の武村忠雄召集主計中尉。ソ連班主査に、立教大学教授。南方班主査に、横浜正金行員。
 戦争経済研究班は、陸軍と企画院から日本、アメリカ、イギリス、ナチス・ドイツ、中国の多方面に亘る機密情報の提供を受け、総力戦の為の研究を進めた。
 最終報告書が提出されるまでに、中間報告として約250種の提案を行っていた。
 41年、3月の「経済戦争の本義」。7月の「独逸経済抗戦力調査」「英米合作経済抗戦力調査」
 日本人は、政治家であれ、官僚であれ、軍人であれ、最初は近寄りがたくても親しく付き合うと打ち解けて友人なると無警戒となって機密情報でも「ここだけの話」として打ち明けるようになる。
 情報管理が甘く情報の機密性に疎い為に、国家機密の幾つかがアメリカやソ連に漏洩していた。
 日本は、人間性の甘さゆえに、インテリジェンスやプロパガンダで敗れていた。
 10月後半 陸軍省軍務局軍務課の石井秋穂大佐らは、秋丸最終報告書と9月29日に大本営陸海軍部が正式に決定した対米英蘭戦争指導要領を基にして、「対米英蘭戦争終末促進に関する腹案」を作成した。
 11月15日 大本営政府連絡会議は、対米英蘭戦争終末促進に関する腹案を戦争戦略として正式決定した。
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 アメリカ政府は、日本との戦争に備えて情報機関を強化する為に、情報調査局(COI)を設立した。
 ドノヴァン長官は、イギリスの社会人類学者ジェフリー・ゴーラーの論文「日本人の性格構造とプロパガンダ」を基にして「日本計画」を作成した。 
 ハロルド・アイクス内務長官は、ルーズベルトに対して、日本への石油輸出を禁止するべきであると進言した。
 ルーズベルトは、「その一手が微妙なバランスを崩し、日本にロシアかオランダの東インドを攻撃させる事になっても、君が今の意見を変えないかどうかいってくれたまえ」とこたえた。
 ホワイト・ハウス内での参戦気運は盛り上がりを見せていたが、国民の79%が参戦をの望んでいなかった為に、ルーズベルトは本音を口には出さず建て前として避戦を公言していた。
 国家の指導者は、決して本当の事は話さない。
 国益を守るという目的の達成の為には、偽情報を流して事実を隠し、真実を伝えず嘘を言って人を騙し、如何なる謀略も平然と行う。
 そして、如何なる犠牲が出てようとも戦争を辞さなかった。
 国家を経営する政治家とは、誠実な仮面をかぶりながら、陰険さと冷酷さが不可欠である。
 それが国家を背負う、真のリーダーである。
 その覚悟な政治家は、政治家として失格であり、政治家としてはその地位にとどめておく事は国家の滅亡につながる。
 アメリカ海軍のポップアップ艦隊は、7月から8月にかけて、日本の委任統治領である南洋群島に接近する海域を航行した。
 アメリカ海軍情報部は、日本の石油備蓄量を来年7月時点で約700万トン、平時消費量の2年分と予想をたてた。
 アメリカ軍首脳部は、日本軍は開戦から2年後には石油備蓄が底をつき、本格的反撃はそれ以降が好ましいと分析した
 ドイツ国防軍情報部アプヴェールのリスボン支部長フォン・カルストホーフは、アメリカのスパイ網を組織する為にセルビア人のドシュコ・ポポフ(コードネームはイヴァン)をスパイとしてアメリカに送り込んだ。
 ポポフは、イギリス内務省管轄の情報機関MI5(情報局保安部)に所属する二重スパイでコードネームをトライシクル(三輪車)であった。
 MI5は、XX(ダブルクロス)委員会を設置し、ドイツ軍スパイの中から約40人をスカウトして二重スパイとして使っていた。
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 蒋介石は、アメリカから全面支援を受ける為に、ナチス・ドイツと国交を断絶した。
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 ソ連の極東軍の兵力は、32箇師団で約70万人。戦車は2,700輌。航空機は2,800機。
 関東軍の兵力は、11箇師団で約35万人。戦車は200輌。航空機は560機。
 尾崎秀実は、日本軍がナチス・ドイツの要請を受けてソ連を攻撃しないようにする為に、近衛首相や政府要人らに『シベリア無用論』を説いて廻った。
 1,シベリアは日本の益にならない極寒の地である。
 2,資源的にも石油・ゴムなどは皆無である。
 3,独ソ戦によりソ連が崩壊すれば、シベリアは日本の手に委ねられる。
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 7月1日 ルーズベルト大統領は、卑劣なドイツ軍による危険が迫っているが、アメリカは如何なる国とも戦争はしないし、戦争を回避する為の努力をしていると記者会見で明言した。
 ニュ−ヨーク・タイムズ「大統領はヨーロッパで戦闘が開始された1939年9月1日以来ずっと、この国が戦争に巻き込まれずに済むだろうかという質問に同じ回答を繰り返して来た」
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 7月2日 御前会議において、ソ連のスパイである尾崎らが示した情報を基にして「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」が決定され、日本は南進策を採用した。
 陸軍は、南進を優先し北進を断念して海軍に譲歩した。
 海軍の南進論は、南部仏印止まりで、その先のマレー半島や蘭印への進出を考えてはいなかった為に、アメリカが対日経済封鎖を強化するとは思ってもいなかった。
 新聞各社は、夕刊一面トップで、御前会議の開催と国策決定を報道した。
 御前会議で決定された国策は、国家最高機密であった為に詳しい内容な公表されなかったが、出席者が内容の一部を談話として発表した。
 談話を発表する者は、国家の命運を担っているという重大な使命感から失言に気を付け、言葉を選んで記者達の問いに答えていた。
 当時の指導者は、失言や暴言を吐いて社会を混乱させないと言う点に於いて、現代日本の無責任にして品格のない政治家に比べて数段優れていた。
 松岡外相は、反対していた南部仏印への進出に同意し、平和的進駐ができる様に仏印政庁との外交交渉を始めた。
 アメリカは、日本国内の情報提供者から御前会議の模様と決定を知らされていた。
 ゾルゲは、日本軍のシベリア侵攻はなくなった事を、ソ連参謀本部諜報部に報告した。
 スターリンは、対日戦の為にシベリアに配備していた極東軍主力を、モスクワ防衛と大反撃戦の為に急送するように命じた。さらに、日本とアメリカが戦争するように仕向けるべく、ワシントンとロンドンの協力者に指示を出した。
 中立国アメリカは、イギリスに代わってアイスランドを確保する為に軍隊を派遣して占領し、ドイツ軍を排除した。さらに、オランダなどナチス・ドイツに降伏した国々が所有するカリブ海の島々や戦略要地の植民地を武力占領した。
 日本軍は、中立を宣言しながら軍事行動をとるアメリカに不信感を抱き、アメリカ軍が蘭印に進駐する恐れがあると警戒した。
 ノックス海軍長官は、アメリカ海軍が戦争行為とみなされる輸送船護衛を行っているとの報道を、「真実ではない」と完全否定した。
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 7月5日 ルーズベルトは、近衛首相に、日本はソ連を攻撃しないとの約束を求めた。
 近衛は、外交の権限は外相であると返答した。
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 7月7日 日本陸軍は、対ソ戦準備として約80万人の大動員令を出した。
 昭和天皇は、日米交渉を成功させるべく、及川古志郎海相を謁見して永野修身軍令部総長への不信をほのめかした。
 「当初仏印出兵に反対の軍令部総長が、部下の進言により決心するかの如き話があるとされ、志に動揺を来しては困る事、また日米交渉に対して冷淡な様子であるとして疑問を呈される」
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 7月8日 松岡外相は、日米交渉を好転させるべく、ルーズベルトに日本はソ連を攻撃しないという書簡を手交した。
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 7月12日 近衛首相、及川海相、東條陸相、平沼枢密院議長は、日米交渉を進展させる為の試案を決定した。
 松岡外相は、徹頭徹尾、素人の外交交渉に猛反対し、近衛試案に不快感を露わにした。アメリカが参戦を希望している以上は、日米了解案での交渉では行き詰まって戦争になる事は確実であると抗弁した。
 近衛や平沼らは、アメリカとの戦争を避ける為にも、日米了解案とアメリカ提案を考慮して交渉を進めるべきであると説得した。
 松岡は、民間人や素人が外交交渉を行う事に危険性を訴え、ましてや軍人が外交に口を出すのは論外であると罵倒した。
 軍部は、松岡の横暴に激怒した。
 東條陸相は、松岡外相の言う通りアメリカとの戦争は避けられないかも知れないが、それでも最後まで戦争を回避する為に外交交渉を継続する様に説得した。
 総力戦研究所では、研究生らによる模擬内閣が組織され、対英米戦について閣議を行い、戦争を続ける内で石油の備蓄が底を突き、南方からの輸送も遮断され降伏の他に道がないとして、8月に総辞職を宣言した。
 東條英機陸相は、模擬内閣の様子を見学していた。
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 7月14日 松岡外相は、オーラルステートメントを拒否する電文をワシントンに打電した。
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 7月15日 寺崎アメリカ局長は、松岡外相の承認をえず、松岡最終案の修正案をワシントンに送った。  
 ハル国務長官は、野村大使に、日本側の新たな修正案を検討する事を約束した。
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 7月16日 近衛首相は、アメリカの要望を受けて松岡洋右外相を更迭する為に総辞職した。
 松岡洋右「日米交渉は、聖徳太子では成立しない。小村寿太郎侯の様に腹を決めないと」
 ドイツ空軍は、イギリス本土上陸作戦(シー・ライオン作戦,あしか作戦)を発動する前段階として、イギリス本土を空爆するバトル・オブ・ブリテンを開始した。
 無敵と言われたドイツ空軍は、イギリス空軍の鉄壁の守りで大惨敗した。
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 7月18日 第三次近衛内閣成立。近衛首相は、日米交渉を成功させ戦争を回避する為に、内閣を改造した。アメリカ側が嫌う松岡洋右外相を更迭し、新たに豊田貞次郎海軍大将を外相に起用した。
 スチムソン陸軍長官とノックス海軍長官は、陸海軍合同委員会が作成した日本本土爆撃作戦計画書に連署してルーズベルトに提出した。
 ルーズベルトは、計画書に満足して承認し、準備に取りかかる様に命じた。
 アメリカの対日開戦準備は、マニュアル通りに着実に進行していた。
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 7月22日 第二次近衛内閣成立し、松岡洋右外務大臣に就任した。
 近衛首相、松岡外相、東條英機陸相、及川海相らは、対外政策を協議し、日中戦争と南方問題を同時解決する事を申し合わせた。
 南方問題解決で、1,援蒋ルートがある北部仏印に対して「武力を行使する事もある」という陸軍案を、2,石油確保の為に蘭印に対して「武力を行使する事もある」という表現を削除した海軍案を採用した。石油等の重要物資は、外交的措置として平和的な話し合いで確保する事が確認された。
 戦争計画部長ターナー大将は、日本に戦争を強要するには、日本への全面禁輸措置及び在米日本資産凍結が有効策であると決定した。だが、戦争準備が調わない内に対日強硬措置をとる事は望ましくないとの結論を出した。
 戦準備完了は、来年春頃との見通しを示した。
 大統領の海軍ブレーンは、日本に対する経済制裁は日本軍の新たな南方への軍事行動を誘い自然の流れとしてアメリカが戦争に巻き込まれ恐れがあると、ルーズベルトに報告した。
 スターク海軍大将「経済制裁を科せば、何処かへ出向いていって石油を奪うであろうし、仮に自分が日本人であれば、自分もそうするだろう」
 スターリンは、さらに早い時期での対日戦開戦をアメリカ政府内の共産主義者に求め、さらなる強硬策で日本を破滅的戦争に追い込むように要請した。
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 7月23日 野村大使は、ウェルズ国務次官に、仏印政府との合意で日本軍を南部仏印に進駐させる事を説明した。
 ルーズベルトは、蒋介石が提案する中国空軍に供与したBー17爆撃機による日本本土無差別爆撃計画を承認し、陸軍に作戦が成功するように支援をするように示唆した。
 アメリカ軍飛行士の身分をどう偽装するかで、その調整の為に元陸軍情報部長ジョン・マクルーダー少将を派遣る事を決めた。
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 7月24日 外交問題評議会戦争と平和研究プロジェクトは、ルーズベルトに対して、西半球と太平洋地域を支配し自給自足体制を築く為に、軍国日本をあらゆる手段を用いて屈服さえるべきであると提言した。
 イギリスは、アメリカを戦争に参戦させるべく情報戦を仕掛けていた。
 ルーズベルトは、資源を持たない日本に石油を供給してきた事は新たな侵略戦争を抑える為に効果があった、と発言した。
 ウエルズ国務次官は、より明解な表現で日本の脅威を認め、それに対する法的対抗策をとる事を表明した。
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 昭和天皇「先の戦争は油に始まり、油に終わった様なものだ」
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 アメリカ海軍は、日本の石油備蓄量を確かめるべく、西海岸から石油を積み出した日本のタンカーを駆逐艦に追尾させ、、徳山の海軍廠に運び込まれる石油量を計測した。
 ホワイト・ハウスとアメリカ軍は、日本が石油を奪う為にインドネシアに侵攻したら、オランダを救う為に日本軍を撃退する決断をし、参戦の為の戦争準備を着々と進めていた。
 山本五十六連合艦隊司令長官は、希望的観測としての「アメリカ素通り論」があり得ない事を百も承知をしていたが故に、長年の持論である航空機による真珠湾攻撃を決行しようとしていた。
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 アメリカ海軍情報部は、日本の油送船を監視することで日本の石油備蓄量を約700万トン、平時消費量の2年分と分析した。
 アメリカ軍首脳部は、日本軍は開戦から2年後には石油備蓄が底をつき、本格的反撃は43年以降が好ましいと結論に達し、ルーズベルトに報告した。
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 7月25日 アメリカ政府は、在米日本資産凍結の声明を発表し、日本との通商を全面禁止を発令した。
 アメリカの有識者は、前日のルーズベルト発言が過去形で語られている事によって、戦争回避の対日宥和政策から戦争への強硬政策に切り替えられたのではないかと危惧した。
 ルーズベルトは、記者会見で、特定の相手国を挙げる事なく世界情勢でその危険性が高まっている事を、曖昧な表現で認めた。
 ルーズベルト(対日経済封鎖について)「数多くの目的の中でも特に合衆国の金融機関や日本と合衆国間の通商がアメリカの利益や国家防衛を害さない形で利用されるのを防ぐ事を、また、脅迫と征服によって得た資産が合衆国内で換金されるのを阻止する事を、そしてまた、合衆国内での破壊的な活動を防げる事を目指した」
 アメリカ政府は、日本との外交交渉の進展状況について詳しい発表を行っていなかった。
 国務省も軍当局も、関心は、日本ではなくナチス・ドイツであった。
 ワシントンの空気は、外国依存度の強い日本に資産凍結などの経済封鎖を行えば、日本は戦争はおろか日常生活も出来なくなり、戦争をせずとも日本を屈服させられると考えていた。つまり、日本を、中国とは戦争しても、アメリカと戦争する勇気のない愚かな相手と軽視していた。
 だが。中国で布教活動していたキリスト教宣教師や中国・朝鮮を共産主義化しようとしたマルクス主義者は、哀れな中国を救う為に日本の侵略的野望を武力で粉砕する事を希望した。
 介入主義者の大半は、ヒトラーを唯一の敵とし、ヨーロッパの戦争に参加する事を最優先課題として、日本と戦争をしてアジアを解放する事には興味がなかった。
 ルーズベルトは、日本に侵略戦争を停止しアジアに平和を回復させる事を迫るとして、在米日本資産を凍結し、両国の通商を停止させる大統領命令を出した。
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 7月26日 近衛内閣は、大東亜共栄圏を建設するという「基本国策要綱」を決定した。
 イギリスは、アメリカに追随して在英日本資産凍結を発表した。
 同時に、日英通商航海条約、日印通商条約、日緬(ビルマ)通商条約の破棄を通告した。
 ソ連のスパイである財務省通貨調査局長ハリー・デクスター・ホワイトは、日本の国際貿易を遮断する為に在米日本資産の凍結を提案した。
 アメリカは、国内の日本資産を凍結して日系企業の経済活動を停止させた。
 日本と取引していた日系アメリカ人商会の多くが倒産に追い込まれ、働いていた日系アメリカ人は失業して収入を断たれた。
 官公庁に勤めていた市民権を持つ日系アメリカ人は、法の権利を無視されて解雇されるか、自主退職する様に閑職に追い遣られた。
 同時に。日本国籍を持つ一世や二世の私的資産も全て凍結され、保険会社は医療など全てのサービスを停止した。
 農村部でも日本人住人排除が始まり、地主は日本人農民に貸して農地を取り上げ、種業者は日本人農家への苗木販売を停止した。
 日系アメリカ人は、日本人排斥で性格が苦しくなっても、アメリカで生活する国民として国家に忠誠を誓った。
 一部の日系アメリカ人は、アメリカでの生活に絶望して日本に帰国した。
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 7月27日 大本営政府連絡会議で、南進において武力行使を棚上げとした「世界情勢の推移に伴う時局処理要綱」が追認された。
 日本軍は、仏印政庁との国際法に基ずく合意に従い、合法的手段として平和的に南部仏印進駐を開始した。
 フランス軍武装を解除しなかった。
 ベトナム人は、日本軍の進駐でフランス人の差別がなくなり、白人支配から解放されるとして大歓迎した。
 ニュージーランドは、制裁として、対日通商関係の破棄を通告した。
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 7月28日 蘭印は、日本資産凍結令を声明した。
 同時に、日本との金融協定と日蘭石油民間協定の停止を公表し、全ての在留日本人追放を命じた。
 南部仏印進駐。
 陸軍省軍務局長佐藤賢了「日本軍はすでに北部仏印に進駐していて、それがただ南部に進むだけだった。そして進駐はフランスのビシー政府との協定に基づいてやる事であって、けっして戦争でもなければ侵略でもない。またそこはアメリカの領土でもなければアメリカの植民地でもあい。日本政府はフィリピンの安全は保障している。蘭印に脅威を与える事になるかもしれないが、そこはアメリカの領土ではない。蘭印が平和的手段による日本との経済交渉に応じさえすれば、日本はこれを攻撃する意思はない。蘭印との平和的経済交渉を妨げているのは、オランダとアメリカである。南部仏印にわずかの日本軍が進駐したからといって、それによってフィリピンや蘭印とアメリカとの交通が脅威に晒されるよりも、ハワイにアメリカ太平洋艦隊が駐留している事の方が、はるかに日本に脅威を与えている。だから日本軍が南部仏印に進駐した事によって、アメリカが日本に戦争を仕掛けてくる理由はない」
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 7月29日 日本陸軍部隊は、南部仏印サイゴンに進駐した。
 蘭印は、日本との石油民間協定を破棄し、日本への石油輸出を停止した。
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 7月30日 昭和天皇は、杉山元参謀総長を謁見して、偽装工作である関東軍特別演習の中止を提案し、予想に反して南部仏印進駐で英米から経済圧迫を受けている事について詰問した。
 杉山元参謀総長は、厳しく叱責を受けて恐懼した。
 昭和天皇は、軍部から南部仏印進駐をしてもアメリカは報復に出ないという説明を受けて裁可した結果に愕然として、軍部に対する不信感をさらに強めた。
 永野修身軍令部総長は、昭和天皇に拝謁し、「対米戦争をできり限る避けたく存じますが、石油の供給が断たれてしまいますと、このままでは二年分の貯蔵量しかなく、開戦となれば一年半で消費し尽くしてしまいますので、この際、むしろ打って出る他ございません」と申し上げた。
 昭和天皇は、「しからば、両国戦争となったる場合に、自分も勝つと信じたいが、日本海海戦の如き大勝は、困難ではないか?」とご下問された。
 永野軍令部総長は、「日本海海戦の如き大勝はもちろん、勝ち得るや否やも、覚束ないところで御座います」と答えた。
 アメリカと戦って勝てるという確信を持っている者は、誰もいなかった。
 昭和天皇は、蓮沼蕃侍従武官長に、永野修身軍令部総長への不信を顕わにして、何としても対英米戦を避ける為の手立てを模索していた。
 『沢本頼雄海軍次官日記』
 昭和天皇は、蓮沼侍従武官長に「前総長は戦争に対して慎重なりしも、永野は好戦的にて困る。海軍の作戦は捨て鉢的なり。持久戦に策はないか」と御下問した。
 蓮沼は、「書類には勝算ありと書きあるに反し算が立たぬ」と奉答した。
昭和天皇は、「成算なきものに対して戦争を始めるのは如何なものか」として永野と海軍の無責任さに不満を漏らした。
 日本の官僚の一部は、出世する為に、上司が望むような書類を書き上げ数値を操作してゴマをすり、国を誤らせ国民に甚大な被害をもたらす事がある。
 日本人はおおにして自己判断をするのが苦手で、事勿れ主義的に責任を取らなくても済むように誤魔化していた。
 この当時の官僚は、国内の空気を読み、このまま進めば戦争になる危険性がある事が分かっていながら偽りの種類を提出していた。
 ルーズベルトは、戦争に発展する危険を覚悟の上で、全海軍艦艇に対して枢軸国軍艦艇に行動を起こす準備を命じた。敵からの攻撃に対する正当防衛として、発砲を事実上許可した。
 アメリカの参戦意思は、強かった。
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 7月31日朝 昭和天皇は、アメリカと戦うのが海軍である為、永野修身軍令部総長を召し出し海軍の存念を質した。
 昭和天皇「然らば両国戦争となりたる場合、その結果は如何に。提出したる書面には勝つと説明してある故、自分も勝つとは信ずるが日本海海戦の如き大勝は困難なるべし」
 永野修身は、「日本海海戦の如き大勝はもちろん、勝ち得るかや覚束ない」と奉答した。
 昭和天皇は、勝つ自信なく戦争を主張している無責任さに驚愕した。
 昭和天皇は、永野修身軍令部総長が退席した後、直ぐさま木戸幸一内大臣に感想を漏らした。
 「かくては、つまり捨て鉢の戦をするという事にて危険なり」
 昭和天皇の本心は、外交による話し合いで戦争を回避する事であったが、軍部がアメリカの妥協を許さない硬直した外交姿勢に苛立っている事を知り、憂慮していた。
 木戸内大臣は、直ぐさま、近衛文麿首相を呼んで協議した。
 「至急陸海軍大臣と国策の根本につき徹底的に議論し、もし意見合わざれば桂冠(辞職)するもやむを得ず、その場合には後は陸海軍をして収拾に当たらしむるの外なし
 日本海軍艦艇は、カムラン湾に入港した。
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 7月の終わりに。アメリカ海軍は、国際法違反を承知でポップアップ艦隊を豊後水道に侵入させた。
 日本海軍は、緊迫した日米関係を考慮して迎撃行動を避け、アメリカ大使館に抗議する事にとどめた。


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