アメリカの歴史教科書が描く「戦争と原爆投下」―覇権国家の「国家戦略」教育
- 作者:渡邉 稔
- メディア: 単行本
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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
アメリカとイギリスは、日本外務省の暗号電報解読と日本国内の協力者からの情報で、昭和天皇と政府・軍部が戦争締結に動きはじめている事を知っていた。
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アメリカ・ソ連・イギリスは、昭和天皇と軍部が戦争終結の交渉を望んでいる事を知っていたが黙殺した。
アメリカとイギリスは、原爆投下実験を成功させる為に。
ソ連は、日本を軍事占領して共産主義化する為に。
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11月6日 スターリンは、10月革命記念日式典で、これまで行わなかった日本非難演説を行った。
ソ連政府は、対日戦参戦に備えて国民世論を統一するべく、報道規制していた日本批判を解禁した。
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11月7日 新聞や雑誌は、中立条約を無視して、日本を侵略者として猛然と非難した。
共産主義体制下では、全ての報道は共産党の指導で行われ、報道の自由はもちろん国民の知る権利は存在しなかった。
新聞各紙は、スターリンが日本を「侵略国家」と非難した演説を掲載した。
スターリンの意図は、来年2月に開かれるヤルタ会談で、対日戦参戦と引き換えに日本の領土の一部(北海道・千島列島・南樺太)を得るなどの好条件を引き出す事であった。敗戦間近な軍国日本に対しては、昭和天皇の安全と天皇制の存続を保証しない無条件降伏の即時受け入れを促した。つまり、軍国主義者が命を犠牲にしても守り抜こうとした「国體」の否定である。
軍部は、ソ連が連合軍に加わって日本を攻めて来る可能性があると警戒したが、太平洋と中国に主兵力を投入していた為に対ソ戦に回せる兵力がすでになかった。
朝鮮北部のソ連と満州の国境地帯では朝鮮人共産主義勢力が、ソ連や中国共産党の支援を受けて激しく反日闘争を続けていた。
朝鮮南部でも。反日派朝鮮人が一部のキリスト教会をアジトにし、連合軍のラジオ放送を聞きながら軍国日本を倒して独立す為に勇猛果敢に活動していた。
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軍部は、ソ連の対日戦参戦が予想されたが対処のしようが無かった為に、ソ連軍は攻めてこないであろうと思われる条件を挙げて、それで納得した。
軍国日本は、楽観的スパイラルに陥っていた。
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11月13日 モスクワの佐藤尚武駐ソ大使は、ソ連を通じて戦争を終結させようとする事の可能性が薄いと報告した。「日本が中立以上のものを望むとすれば、ソ連にとっては米英に背く結果になるから、いかに利をもって誘っても、彼の態度を逆転させる事はできない」
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11月24日 レイテ島のフェラーズは、ワシントンのドノバンOSS長官に対して、日本円偽札作戦案について意見具申した。
「この問題はかなり前に検討された事があると思いますが、日本本土への心理作戦の担当者を教えて戴けますか。この任務が適切に行われれば、戦争を短縮できると思われます」
ドノバンは、12月12日付けで返信した。
「君が言う通り、日本国内でインフレを引き起こす可能性を真剣に検討した事がある。大きな障害の一つは、必要なインフレを誘発する大量の紙幣で、この点に疑念を感じてきた。それが、君がいた時の結論だったと思う」
「この問題で、どの程度の量の紙幣が必要か、紙の確保と原版製作、印刷が可能かどうか、再検討を命じている。十分な紙幣が製造できた場合、配布の為の輸送で君の助力を頼みたい」
ドノバンは、42年2月19日に、ルーズベルトに対して偽イタリア・リラ札工作を提案した。
ナチス・ドイツは、強制収容所内でユダヤ人技術者を使って偽イギリス・5ポンド札を偽造・流通させるベルンハルト作戦を実行していた。
日本陸軍も、中国経済を混乱させる目的で杉工作を実行し、登戸研究所で偽中国法幣を偽造して流通させた。
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11月24日 B29の編隊85機は、中島飛行機武蔵製作所を爆撃した。
本格的空爆の始まりである。
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12月 樺山愛輔(プロテスタントのメソジスト派)は、駐日ローマ法王庁使節パウロ・マレラ大司教に、「バチカンが和平仲介を受け入れてくれれば、日本政府を動かす用意がある」と表明し、その場合の連合国側の講和条件を知りたいと伝えた。
吉田茂の妻・雪子は、敬虔なカトリック信徒だった。
吉田の岳父である牧野伸顕と樺山愛輔は、同じ薩摩出身であった。
樺山の親友である松平恒雄は宮内大臣として、昭和天皇と貞明皇后の近くにいた。
マレラ大司教は、日本側からの提案を直ちにバチカンに報告した。
世にいう、クリスチャンの宮中グループによるマレラ工作である。
ドノヴァン長官は、ローマのOSS要員からの情報をホワイト・ハウスに伝えたが、ホワイト・ハウスは日本側からの講和申し込みを却下した。
昭和天皇「有能な者をバチカンに送る事ができなかったことと、バチカンに対して充分な活動ができなかった事が残念であった」
スチムソンは、ルーズベルトに原爆開発状況を報告した。
原爆は、ウラン235の連鎖反応によるウラン型と、プルトニウムの内部爆発によるプルトニウム型の2種類になった。
ウラン型は、1945年8月1日までに一発目、同年末迄に二発目が完成する。
プルトニウム型は、小型爆弾は同年7月に完成し、大型爆弾はその後の予定。
ルーズベルトは、中国支持の反日派であった。
スチムソンは、対日強硬派であった。
ナチス・ドイツはもとより、アメリカもイギリスもフランスも、多くの白人諸国は人種差別が当たり前であった。
第二次世界大戦は、人道的大義で、人種差別主義の廃止を目的とした戦争ではなかった。
当時の国際常識は、宗教的科学的人種差別であった。
連合国に参加する白人諸国の多くは、祖国防衛としてナチス・ドイツを倒す事と、経済的理由で植民地支配を回復する事が目的で参戦していた。
決して、ユダヤ人の救出でもなければ、奴隷的境遇にいる非白人の解放でもなく、植民地支配を解消する為ではなかった。
人種差別が国際問題化して悪とされたのは、第二次世界大戦後の事である。
白人キリスト教徒が、公式の場で、人種差別撤廃を公言したとしても本心ではなく、単なる言葉のアヤにすぎなかった。
アメリカの戦時情報局(OWI)は、日本国内の協力者からの情報提供を得ながら対日プロパガンダ放送を開始した。
アメリカ軍は、宣伝ビラとプロパガンダ放送を利用して、無差別絨毯爆撃する予定の都市を日本側に知らせた。
陸海軍と外務省、同盟通信と日本放送協会は、海外放送を傍受していたといわれている。 外務省の傍受室の一つであるヴォイス・キャスト(ラジオ室)が、東京のYMCA内に設置されていたという。
同情報は、その都度、内閣閣僚とその主要関係者や軍部首脳部に配付されていたという。
受信機を持つ国内外の日本軍部隊も、アメリカ軍諜報部のプロパガンダ放送を受信していた。
高級将校の多くが、爆撃される都市をプロパガンダ放送で知っていた。
地方自治体の県知事や市長、憲兵隊や警察関係者も、宣伝ビラで爆撃を知っていた。
国民には、爆撃情報は知らされず、空襲警報は受けても退避命令を受ける事はなかった。その為に、夥しい犠牲者を出した。
日本の高級官僚やエリート役人の多くは、昔も、今も、自分の仕事に失点を出さず無事に定年を迎え多額の退職金を得て悠々自適な老後を送る事のみに汲々として、責任問題に発展する様な国家の存続や国民の安全や子供の将来になるべくなら関わり合おうとはしなかった。つまり、無責任体質の官僚達は、役人根性として根っからの事なかれ主義者で、今も昔も、言葉巧みに責任を言い逃れた。
犠牲になるのは、何時の時代でも、何も知らない、知らされない、国民である。
ハル国務長官は病気を理由にして辞任し、次官のステティニアスが新たな国務長官に就任した。
親日派として知られたグルー前駐日大使が、国務次官に任命された。
上院の任命審査会は、昭和天皇に厳罰を加えるべく、天皇制度擁護のグルーを厳しく詰問した。
グルー「天皇は女王蜂の様な存在で、蜂の群れから取り除いたら巣は崩壊する」
グルーの手紙「無条件降伏とは、もし日本の国民がその継続を望むのであれば、現行の皇室の下での君主制の廃止を意味するものではない事を大統領が公的な声明で明らかにしないならば、たとえ軍事的に敗北しても、日本の降伏はありえない」
国務省・陸軍省・海軍省は、三省調整委員会(SWNCC)を設立した。その下部組織として極東小委員会を設け、委員会に知日派のドゥーマンが任命された。
国務省内人事として、知日派のバランティーンが極東部長となり、無条件降伏修正論者が要職を占めた。
グルー国務次官は、日本との戦争を早期に終結させる為に行動を開始した。
最大の問題が、日本軍将兵や民間人が自己犠牲で守ろうとしている万世一系の男系天皇(直系長子相続)を中心とした国柄である。天皇制度の廃止を打ち出せば日本民族は最後の一人まで戦って死ぬだろうという事は、日本文明と伝統文化と民族宗教を知る者であれば誰でもが理解していた。
だが。アメリカ世論は、天皇制度を廃止し、昭和天皇を戦犯として裁き絞首刑にする事を望んでいた。
ジョセフ・グルー国務次官は、戦場が日本本土に近づくにつれて日本軍の抵抗が激しくなりアメリカ軍の被害が増加している事を考慮し、損害を最小限に抑えてて勝利する為には天皇がその鍵を握っており、「天皇については、現在は誰も決められない。我々が東京に着いてから慎重に検討すべきだ」という報告書を提出した。
ワシントンの対日強硬派は、昭和天皇への死刑を含んだ厳罰を望んでいる民意に従って猛反発した。
グルーは、太平洋方面最高司令官C・ニミッツ海軍元帥と統合参謀本部G・ストロング陸軍少将に接触して持論を説いた。
「日本軍を無条件降伏させ、さらに占領統治を進める為には、天皇を利用すべきだ。占領後の日本人の混乱やゲリラ活動を防止させて大勢のアメリカ軍兵士の生命を救えるのは、天皇である」
ニミッツも、ストロングも、天皇問題でグルー案に同意した。
海軍のザカリアス大佐は、フォーレスタル海軍長官に、日本からの情報として、昭和天皇とその周囲に戦争を集結させようとしている和平派が存在すると報告した。和平派に勇気を与える為に、天皇制度を残すといった無条件降伏の修正を知らせるべきであると意見具申した。
スターリンは、アメリカのハリマン駐ソ大使をクレムリンに呼び、地図を広げて日本領土南樺太と北方領土を含む全千島列島を指さして言った。
「これらの領土が返還されなければならない。大連と旅順の港湾の租界、東清鉄道と南満州鉄道の租界を確保しなければならない。外蒙古の現状維持を認める」
その要求とは、ロシア帝国の侵略を恐れて明治維新を行った尊皇攘夷派サムライ日本人が抱いた、北からの脅威そのものであった。
ルーズベルトは、北方領土を含む千島列島と南樺太は、軍国日本が日露戦争で不当に占領した旧ロシア領である以上はソ連に返還されるべきものとして受け入れ、日本解体の為には必要な事であるとして極秘に同意する覚書をスターリンに送った。
国務省は、ソ連側の日本領千島列島及び南樺太の割譲要求に関する正当性を確かめるべく、権威ある極東問題専門家のクラーク大学教授ジョージ・ブレイクスリーとコロンビア大学教授ヒュー・ボートンに調査を依頼した。
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12月14日 スターリンは、ハリマン大使に、対日戦参戦の見返りついて日本領土の一部を要求した。
ハリマンは、戦争の勝利の為には領土割譲要求に譲歩すべきであるとワシントンに報告した。
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12月15日 ハリマンは、スターリンと会談して千島列島及び南樺太をソ連に引き渡す事に合意したという極秘報告書を、ルーズベルトに送った。
「昨晩のスターリンとの会談で、10月に彼が述べていた政治的問題をロシアの対日参戦との関連で明確にしておく事を貴方が求めていると伝えました。すると彼は隣の部屋へ行って地図を持ってきました。彼は千島列島と樺太南部はロシアに返還されるべきだと主張しました。……彼は旅順と大連を含む遼東半島南部に線を引いてロシアはこの両港とその周辺地を再び租借したいと要求しました。……スターリンはさらに東清鉄道も借り受けたいといいました。私が彼に満州のどの線に興味があるのか明確にするよう求めると、かれは大連からハルビン、そこから満州里やウラジオストックへ延びる線だといいました。……テヘラン会談で言及していなくて今回考慮を求める唯一の問題は、外モンゴルの現状の再確認、つまり外モンゴル共和国の独立国としての現状維持だといいました」
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12月16日 ムッソリーニは、ミラノで最後の演説を行った。
「旭日の帝国は勝利まで戦い抜くに違いない。日本の意志と魂を示すものは、死を覚悟した特攻隊の存在である」
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12月28日 ブレイクスリーとボートンは、報告書を国務省に提出した。
極秘報告書「日本は1800年頃から南千島諸島を所有し、カムチャッカ半島から北千島へ南下したロシア帝国は1855年、これら南千島諸における日本の権利を承認した。千島列島を三つの地域に分け、北海道東部の先端から択捉島までの南千島は、1800年以来明らかに日本領土だった島々で千島全人口の90%が住んでいる。……ソ連の南千島諸島請求を正当付ける要素は殆ど皆無で、南千島をソ連に引き渡せば、将来の日本にとって永久的な解決とは承認しがたいような状況が発生するであろう。歴史的、民族的に日本のものであった島々と漁業水域を日本から奪い去る事になるだろう。南千島が強化されれば日本に対する継続的な脅威を形成するであろう。
ブレイクスリーは、として「南千島は地理的近接性、経済的必要性、歴史的領土保有の観点から日本領土に留めるべき」と勧告した。
北方領土は、北海道の一部としてアメリカ海軍な管理下に置く事が好ましいと。
国務省は、ソ連の領土割譲要求を受け入れる事は好ましくないとして、極秘勧告書をヤルタ会談に向かうルーズベルトとステティニアス国務長官に手渡した。
秘密勧告書。
1、南千島(北方領土)は日本固有の領土と認めて日本の領有とし、ソ連に軍事的脅威を与えない為に日本全体に非武装の原則を適用する。
2、北千島と中千島は、現在創設が準備されている国際機関(連合国同盟。別名・国際連合)の元に置かれ、ソ連にその施政権を委ねる。
3、如何なる場合でも、千島列島海域における漁業権を日本が保持する事が考慮される事。
アルジャー・ヒスは、国務省作成の極秘報告書をルーズベルトに読ませず、モスクワに送った。
ルーズベルトの周囲にはアルジャー・ヒスらソ連のスパイや共産主義者が多数存在し、ソ連に都合の悪い事はルーズベルトに伝わらないように妨害していたともいわれている。
スターリンは、ヤルタ会談に臨む為に国務省作成の極秘報告書を読んだ。
ワシントン・ポスト紙の元モスクワ特派員マイケル・ドブズ著『ヤルタからヒロシマ:終戦と冷戦の覇権争い』
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- 作者:桑原 功次
- 発売日: 2009/11/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)