🎺54:─1─アメリカは、二種類の原爆投下実験と稲作地帯への枯葉剤散布を計画していた。1945年8月~No.259No.260No.261 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 フランクリン・ルーズベルトは、反日の人種差別主義者として、日本が大嫌いで、昭和天皇はもちろん日本人そのもをも心底憎んでいた。
 よって、生きていれば日本人の上に原爆を落とす事には躊躇しなかったろう。
 自由と民主主義のルールで国民から直接選ばれた大統領は、過半数の国民の信任を根拠に、如何なる制約も受ける事なく独断で決断し実行した。
 アメリカ大統領は、日本天皇とは違って絶大な権力を持ち、その権力を行使していた。
 全てが戦争に勝利する為という、理由のもとで。
 費用対効果として、巨費を投じて完成させた以上は成功の結果を出す必要があった。
 原爆で、生きたまま焼き殺される日本人の運命は決まっていた。
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 国際法は、大量破壊兵器である原子爆弾核兵器を、毒ガス兵器や細菌兵器と同様に非人道的兵器として使用禁止兵器とはしていない。
 つまり、自国防衛の為ならば何時でも使用して構わない兵器とされている。
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 アメリカ軍は、意図的に軍事国際法を無視して、8月15日までに日本全国の都市や町200以上を無差別縦断爆撃を行い、女子供を中心として33万人以上を生きたまま焼き殺し、43万人以上に重軽傷を負わせた。
 アメリカとは、自国の利益となれば平然と国際法を無視し、正当化する法律がなければ過去に遡って事後法を成立させた。
 アメリカが戦争決断すれば、相手国は幾ら証拠を出して如何に説明しようとも無駄であった。
 そして、戦争を終わるかどうかを決めるのもアメリカであった。
 降伏するとして白旗を揚げ武器を置き手を上げても、それを認めるかはアメリカ次第であった。
 アメリカが降伏を認めなければ、無抵抗でも殺された。
 それが、アメリカの正義であった。
 日米戦争、太平洋戦争の原因は、アメリカが自国の正義を貫いたからである。
 国連は、アメリカの正義で設立された国際機関である。
 ゆえに。国連は、アメリカの国際法無視を非難しないし、如何なる戦争犯罪も告発しないし追求もしない。、
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 現代に於いて、中国とロシアと北朝鮮の核ミサイルは確実に日本を標的とし、天皇家と皇居及び京都御所や各地の御用邸に照準を向けていると言われている。
 現代の日本人には、全ての武力を否定する平和憲法の精神から関心がない事である。
 主権在民は、国體を否定する。 
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 バチカンは、日本が戦争を終結させる為に裏工作を行っている事を知っていたが、連合国が和平交渉を受け入れる望みがなく、国際世論が異教徒「ヒロヒト天皇の処刑」を望んでいる為に、日本が焦土と化すのを見過ごした。
 アメリカ・イギリス・ソ連などの連合国も、昭和天皇と軍国日本が戦争を終結させる為に停戦工作をしている事を知っていた。
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 アメリカ軍は、ベトナム戦で使用した害虫駆除の枯葉剤エージェント・オレンジダイオキシン)を、稲の全滅を狙って東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸周辺の稲作地帯に散布する計画を進行させていた。
 だが、原爆投下を優先して枯葉剤散布を延期した。
 日本が無条件降伏しなければ枯葉剤が日本全土に散布され、ベトナムと同様の奇形児が日本に数多く生まれたかもしれない。
 それが、第三の原爆といえた。
 もし、枯れ葉剤を使用されたら日本の食糧生産は大打撃を蒙り、日本農業は崩壊し、日本は半永久的に食糧不足となって、数千万人が餓死に追い込めれた事であろう。
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 アメリカ政府とアメリカ軍にとって重要なのは、予算を承認して出してくれる連邦議会に対する責任として、費用に見合った効果を出す事でり、使用しない武器開発への浪費は許されなかった。
 ユダヤ人科学者にとって、数十万人の日本人民間人の命よりも科学的データーが優先された。
 制服組の軍人が原爆投下に反対したが、背広組の政治家と官僚は原爆投下を強行した。
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 日本軍部の徹底好戦派と中央官庁の革新官僚(隠れマルクス主義者)は、共産主義革命を恐れる昭和天皇近衛文麿広田弘毅平沼騏一郎民族主義者の憂慮をよそに、アメリカ軍の猛攻に対抗するべくソ連軍の一日も早い参戦を希望していた。
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 グローブス「トルーマンはそりに乗った少年の様であった。乗せてやれば喜んで付いて来るだけだった」
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 軍国日本は、徴用した朝鮮人労働者に対して、朝鮮半島や日本国内で暴動を防止する為に日本人労働者より安いが賃金を払っていた。
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 1944年7月 東條英機首相は、閣議で、サイパン陥落によって本土爆撃が現実のものとなった為に、かねてから調査していた長野県埴科郡松代への皇居、大本営、その他重要政府機関の移転する為の施設工事の着工を了承した。
 11月11日 象山、舞鶴山、皆神山の3箇所の内、象山で最初の発破が行われ工事が開始された。
 陸軍は、本土決戦を想定して関東平野を主戦場の一つとしたが、関東は海岸線は広く、帝都・東京は海岸に近い為に防衛戦は困難を極めると分析した。
 徹底抗戦の為に、中枢機能を松代移転する計画を進めた。
 建設を急ぐ為に、日本人約3,000人と朝鮮人約7,000人を8時間三交代で、後に12時間二交替で突貫工事を行った。
 1945年4月頃 延べ人数では西松組鹿島組県土木部工事関係12万人、勤労奉仕隊7万9,600人、西松組鹿島組関係15万7,000人、朝鮮人労務者25万4,000人、合計延べ61万600人。総工費は6,000万円であった。
 女子挺身隊も、祖国防衛の為に活動していた。
 軍部は、松代大本営建設現場に強制連行してきた朝鮮人労働者達に対して、日本国内が食糧不足で日本人が飢えていたのにもかかわらず、重労働をさせる為にたっぷりの食料を支給した。そして、朝鮮人慰安婦を与えた。
 日本国内には、反日朝鮮人朝鮮人テロリストや連合軍に情報を流していた日本人通報者や在日中国人もいた。
 日本は一枚岩ではなく、中には命を犠牲にしてまで昭和天皇・日本国・日本民族を守るという決死の意志を持っていない日本人も少なからずいた。
 7月31日 木戸幸一内大臣は、小倉庫次侍従と加藤進総務局長らと、昭和天皇を松代へ疎開させる事を具体的に相談した。
 昭和天皇は、本土空襲が激しくなり身の危険が強まったが、「神器を奉じて帝都を動かず」との考えを変える気はなく、疎開を拒否した。
 さらに、皇室の責任として皇族は如何なる状況下に陥ろうとも国民と苦楽を共にするとの信念から、皇太子明仁親王今上天皇)、義宮(常陸宮)、皇女以外は東京から疎開する事を許さなかった。
 皇室と国民は、一心同体であり、不分離の関係にあると。
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 昭和天皇は、国家元首大元帥・祭祀王の立場から、戦勝祈願と敵国撃破の目的で宇佐神宮氷川神社香椎宮等に勅使を派遣して祈念し御祭文を奉告した。 
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 8月 日本政府と軍部は、都市部の児童を空襲から守る為に地方に強制疎開させていた。
 疎開を受け入れた一部の地方では、逃げてきた児童への地元子供によるイジメや嫌がらせが起きていた。
 排他的ムラ意識の強い地方では、ムラ人が食べられるわずかな食べ物を確保する為に汲汲として、都会の子供に食糧が奪われるとして差別していた。
 戦後。疎開を経験した児童の中には、ムラ人の親切を感謝し懐かしく思う者と、ムラの児童に受けたイジメや嫌がらせから農村を嫌悪する者がいた。
 閉鎖的日本社会には、昔から今に至るまで、イジメや嫌がらせや意地悪が頻発して、治ることがない宿痾的な民族病として存在している。
 そして、精神力が弱いだけにその事を苦にしての自殺も多かった。
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 日本国内は敗色が濃くなるにつれて人心は荒廃し初め、本土決戦となったとき国民がどれだけ一丸となって戦えるか疑問であった。
 日本各地にいる、国家元首昭和天皇と皇族を暗殺しようとした不逞朝鮮人数百万人と、花岡蜂起を起こした中国人十数万人が、本土決戦をする日本軍の後方でどういう行動に出るかが不安材料であった。
 現代史は、祭祀王・昭和天皇暗殺は朝鮮人の当然の権利と認め、花岡蜂起は中国人に対する日本の戦争犯罪と認めた。
 国際世論も同様に、天皇と日本を激しく非難し、中国と朝鮮・韓国に心から同情している。
 その証拠が、韓国・朝鮮の提起する従軍慰安婦問題であり、中国が告発する第二回南京虐殺事件である。
 彼らは、歴史の事実を十分理解している。
 在日朝鮮人や中国人が、表面的に親日的に見えても、本心から天皇と日本を守る為に日本人と共に銃を持って戦うとは限らなかった。
 古代から、日本は周辺諸国の敵意と攻撃に晒されていた。
 日本には、周辺諸国に味方を持った事がなく、全てが敵であった。
 彼らは、地下情報として、連合国軍の日本上陸作戦と近日中に日本が無条件降伏する事を知り、井戸端会議や飲み屋や食堂や職場で噂話として周囲の者にヒソヒソと言いふらしていた。
 軍国日本の、44年頃からの戦争遂行を無視した、無計画的な強制連行のツケが回ろうとしていた。
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 軍都広島は、西日本一帯の防衛司令所として、第二総軍司令部や中国軍管区司令部や中国軍憲兵隊司令部など本土決戦用の主要司令部が置かれていた。約6万人の部隊が配置されていたが、捨て駒的補充兵9,000人以外の主兵力は郊外の山林地帯に陣地を構築して本土決戦に備えていた。
 陣地周辺に民間の避難民が充満しては、上陸した敵軍との戦闘に支障をきたすとして、広島市民に対して疎開を禁止した。それでも、空襲を恐れて自主的に疎開する者が
 軍隊は、本土決戦用の戦力物資を貯め込み為に、市内に出回っている食料などを徴用した。ただでさえ物資不足な上に、軍隊による問答無用の挑発で、市民は食糧不足で喘いでいた。但し、高級将校や高級官僚達は役得として優先的に物資をえて、戦火に逃げ回る庶民ほど飢える事はなかった。
 補充兵達は、軍命令で動員された中学生や女子学生ら1万5,000人と兵役から除外された者による義勇隊3万人と共に、強制立ち退きで無人となった家屋を壊していた。
 アメリカ軍は、軍部に協力する者すべてを軍国主義者と認定し、少年少女らを正規兵と見なして攻撃対象に加えていた。
 故に、広島市内には5万人以上の大部隊が集結していると判断した。
 モンゴル人のウラーンフーは、中国共産党の指導を受けて内モンゴル人民革命党を復活させ、内モンゴル自治運動連合会を設立した。
 スチムソン陸軍長官から原爆投下の第509部隊への電報「日本に対する一連の空襲を始めた。その目的は、搭乗員を目標地域と最後の任務遂行の為の戦法に慣れさせ、又一方、日本人に高い高度を飛ぶB29の小編隊を眺める事に慣らさせる為である」
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 8月初旬 ウラン型とプルトニュウム型の原爆が一発ずつ完成した。
 チャーチル「悪夢が消え失せた。日本人は、玉砕の義務から逃れるだろう」
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 8月1日 阿南惟幾陸相は、安井藤治無任所国務大臣に、陸軍部内の主戦派に同調するように徹底抗戦を主張しているが、本心は鈴木首相同様に和平成立にある。だから、日本を救う為に辞職せず最後まで鈴木首相に従うと打ち明けた。
 阿南惟幾は、昭和天皇鈴木貫太郎首相等と同様に戦争終結派であり、阿南が陸相を放り投げなかったお陰で日本は絶滅的崩壊を免れた。
 その胸の内を知るのは、昭和天皇鈴木貫太郎しかいなかった。
 広島逓信局監督課無線係は、アメリカ軍の戦時情報局のボイス・オブ・アメリカが日本語で、「8月5日に、特殊爆弾で広島を攻撃するから、非戦闘員は広島から逃げていなさい」という空爆予告を数回傍受した。
 第二総軍司令部や中国管区司令部も、同放送を傍受していた。
 細川護貞日記『情報天皇に達せず』「(高松宮が)軽井沢に大宮様(貞明皇太后)を御出遊ばす(疎開)についても、スイスの公使が、米国に軽井沢を爆撃しない様にたのんだと云うことがわかったので、陸軍の者が三笠宮の所へ押しかけて、大宮様が爆撃を御逃げになる様では面白くないと云っていた由だ。実につまらぬ事に気が廻るものだが、注意すべき事である」
 8月1日午後10時30分 長岡大空襲。長岡市は、軍事施設はなかったが、真珠湾攻撃を命じた山本五十六の生誕とであるとして報復で無差別爆撃を受けた。
 トルーマンは、ポツダム会議の終了を宣言した。
 スターリンは当日に帰国の途につき、トルーマンは翌日にベルリンを後にした。
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 8月2日 東郷外相は、佐藤大使に、国内の意見が無条件降伏を基にしたポツダム宣言をめぐって分裂状況にある事、それでも軍部内にソ連を仲介として戦争終結を望む声が出始めた事などを伝え、ポツダム宣言を基礎に話し合う為に近衛特使派遣許可を得る様に依頼した。
 アメリカ海軍情報部は、日本外務省の極秘電報を全て解読していた。終戦工作を行いながら、日本軍が本土決戦の為に大部隊を九州に展開しつつあるという極秘命令文も解読していた。
 常習的に騙し討ちを行う卑劣な日本は、これまで同様に言う事と行う事が一致しない為に信用できないとされた。
 連合国の認識は、日本は許しがたい「悪」と言う事に尽きていた。
 ワシントンは、原爆投下の目標都市の選定に際して捕虜収容の存在の有無を最優先とし、投下都市の軍事戦略の重要性は二の次とした。戦争である以上、自国兵士捕虜の安全を第一とし、敵の婦女子の生死は問題にしなかった。
 太平洋地域の航空軍最高責任者の戦略航空軍カール・スパーツ将軍に、原爆投下命令書「野戦命令第13号」が発令された。
 原爆開発最高責任者グローヴス将軍は、小倉と長崎には連合軍捕虜収容所がある為に、自国民捕虜がいる可能性のある両都市を投下目標に加えるかどうかの判断を、スチムソン陸軍長官に仰いだ。
 トーマス・ファレル准将「小倉の近くには捕虜収容所があり、他の連合国の捕虜と共にアメリカ人もいると報告されていた。その正確な位置と捕虜の人数は不明であった。爆弾の効果を見る観点からは良好な目標であったが、小倉は最初の作戦では第一目標よりも第二目標とされた。捕虜収容所に関する情報は不確実なままであり、陸軍省と連絡を交わしたあげく、収容所の事は目標の選定を左右する要件でないことが確認された。……収容所がある為に、我々がこれらの目標を除外する事に日本人が思い至るならば、彼等は全ての目標に捕虜収容所を移すであろう」
 日本軍は、単機で飛行するBー29を偵察機と判断して撃墜せず、見逃していた。
 原爆投下部隊第509混成航空群は、原爆の威力を正確に見るべく、日本人に定期便として誤解させ日常生活をさせる為に、たびたび単機のBー29を広島・長崎・小倉・新潟などの上空を飛行させた。
 ポール・ティベッツ「広島には、何度も偵察機を飛ばした。市民が慣れて、警戒を忘れたという報告を受けていた。広島市民を騙し、何時もの様に通過するだけだと思わせるのが狙いだった」
 東京のパウロ・マレラ大司教は、灼熱地獄の中で、焼き尽くされる日本国土の悲惨さと、生きたまま焼き殺される女子供からなる一般市民の酷たらしさを、バチカンに余すことなく報告していた。
 バチカンは、日本のキリスト教会からの無差別絨毯爆撃の被害に関する事細かな報告を受けていた。
 アメリカ軍は、爆撃する都市についてラジオ放送や宣伝ビラで、その都度知らせていた。
 日本の行政や警察や軍部は、その爆撃予告情報を敵の謀略であるとして国民に知らせず、そして退避を禁止した。その為に、被害が拡大した。
 バチカンローマ教皇は、日本全国の宣教師達から、無差別爆撃で焼き殺される大量の庶民や食糧不足で餓死寸前にある惨状を熟知していた。
 キリスト教会の知らない事は何もなく、全ての事を知っていた。
 日本の政治家や官僚や軍人の中には、敬虔なキリスト教徒がいた。
 極一部のキリスト教徒は、国益より個人の信仰を優先し、国家機密情報を連合国に流し、連合国から機密情報を受け取っていた。
 そうしたキリスト教徒が、どれだけ原爆投下を知っていたかは不明である。
 ソ連軍最高司令部は、対日戦参戦日を8月11日と定め、極東軍の中に三つの方面軍を創設した。
 ワシレフスキー元帥は、攻撃開始をモスクワ時間の9日から10日として、最高司令部に政治的外交的問題からの最終判断を要請した。
 最高司令部は、十分な準備が整う前の攻撃は危険であるとして、当初の作戦通りにバイカル時間の11日午前0時(モスクワ時間10日午後6時)とする事を伝達した。
 OSS(戦略情報部)は、トルーマン宛に、スイス・ベルンからの情報として、日本がポツダム宣言を「日本軍の無条件降伏」と認識して戦争終結を望んでいると報告した。日本軍の継戦意識が旺盛なだけに、日本の放送はプロパガンダで信用できないとの分析結果を添付した。そして、ベルンのアレン・ダレスに対して日本側の戦争終結の申し込みには用心する様に命じた。
 トルーマンは、国民世論が昭和天皇と軍国日本に対する憎悪が増している以上、専制君主である天皇を生かして残す条件で日本の降伏を受け入れるわけにはいかなかった。
 無条件降伏を修正すれば、天皇批判を強めている国民の支持を失う恐れがあった。
 建国以来。アメリカ国民は、戦いに勝利する強いリーダーシップを持った指導者を選挙で選んできたがゆえに、勝利の果実を手に入れない弱い大統領は認めなかった。
 島国日本は、弱者の理論に基づく日本神話で何となく生まれ落ち、対立やいがみ合いによる流血を極力避けなが事を「国柄」としてきた。
 故に。日本の指導者は、気弱で物事を決まられず、強烈な個性によるリーダーシップはからっきしない。
 大陸国アメリカは、普遍宗教・キリスト教のみを共通項とし、言語や文化や風習を異にする白人種移民者が、選挙で選んだ強い指導者の命令一つで、先住民に戦争を仕掛けて土地を奪い、敗北者から流血の賠償として全ての権利を剥奪し、強者の論理で建国された人工国家である。
 強者の論理の信条とする白人キリスト教徒は、異教徒の非白人を唯一絶対神が創造した清き大地から完全駆除する事は、キリスト教徒に科せられた神聖なる使命と確信していた。
 故に。異教徒非白人の日本人に原爆を投下した事を、当然の行為としている。
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 8月3日 東京の大本営は、広島の各部隊に、4日から7日にかけてアメリカ空軍の特殊攻撃に備える様に命じた。
 下村情報局長は、産業界の代表者と会談した。
 産業界は、戦況と産業生産の低迷から、ポツダム宣言を受諾すべきであるとの意見で一致していた。
 口では徹底抗戦を叫んでいたが、心では一日でも早く戦争を終結させるべきだと確信していた。
 アメリカ軍は、日本国内の情報提供者から、日本の政府や軍部や経済界が戦争を終結させる為に動いている事を知っていた。
 バーンズ国務長官の補佐官ウォルター・ブラウン日記「オーガスタ号船上において、大統領と、リーヒと、JFB(バーンズ)は日本が和平を求めているとの合意に達した」
 トルーマンは、15日にソ連軍が参戦する前に軍国日本を降伏させられると喜んでいた。
 リーヒ「自分の意見としては、広島や長崎で使ったこの野蛮な兵器は対日本戦に実質的に役立つ様なものではなかった。日本の敗北はすでに明白であり、降伏の用意もできていた。……私の個人的な感覚では、この兵器を最初に使った国家として、我々は暗黒時代の野蛮人達の倫理的基準を採用したのだ」
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 8月4日 モスクワの佐藤大使は、東郷茂徳外相に対し、加瀬報告書に言及し、ソ連を仲介とした終戦工作を諦めて、ポツダム宣言を受諾して降伏するように意見具申した。
 昭和天皇も政府も軍部も事ここに至っても信義を重んじ、国家の名誉に懸けてソ連に仲介を依頼した以上、ソ連の正式な賛否の回答を貰うまではポツダム宣言受諾を先延ばしにした。
 信義を重んじる日本の律儀さが、アメリカの原爆投下を許した。
 日本は、何があっても信じてはならないソ連共産主義者に望みを託したのが最大の悲惨を招いた。
 共産主義者ほど、信用できない者、信用すべきでない者はいなかった。
 テニアンとの基地で。ポール・ティベッツ陸軍大佐は、投下実験を行う隊員に対してミッションを説明した。
 爆弾専門家として従事していた者は、殺人犯や強姦魔などの重罪罪人から希望者から選抜した者達であった。
 ウィリアム・パーソンズ海軍大佐は、使用される原爆のトリニティー爆破実験の記録映画を見せた。
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日本文化論のインチキ (幻冬舎新書)

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