🎵24:25:─1─清国は日本への報復戦を仕掛ける為にロシアと手を組み軍事密約を結んだ。1895年。〜No.57No.58No.59No.60 * 


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   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 中国は、親日ではなく反日である。
 中国は、本気で日本と共に歩く気がないから友好などは求めてはいない。
 中国の友好は、見せ掛けである。
 中国と日本の間にあるのは、友情でもなく、信頼ではなく、ただ「利益」「金儲け」である。
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 日本は、清国とは違って世界から近代国家と認められたいが為に、国際法や戦争ルールを遵守するべく国際法専門家を派遣した。
 清国は、国際法を軽視して自国のルールで日本を滅ぼそうとした。
 中国は、今も昔も、国内法を優先して国際法や世界ルールなど遵守する意志はなかった。
 日本陸海軍は、各国が派遣した観戦武官や国際的な報道機関の記者を多く同伴しながら、各地を転戦して日本軍の軍事行動を包み隠さず見せていた。
 だが、日本は負けると分析していた観戦武官や戦場記者は、小国の日本軍ではなく大国の清国軍に同伴する事を希望した。
 彼等の多くは、無口で無愛想な日本人より陽気で直ぐに打ち解けてくる中国人に好意を寄せ、清国・中国支援の記事を書き、日本を悪とした記事を書きまくった。
 反日派として日本軍は中国軍以上に残忍で残虐行為を行い、日本軍兵士は戦場の至る所で虐殺と強姦と略奪を行っていると報告した。こうして、国際社会における反日感情が生まれた。
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 ロシアの新聞『ノーヴォエ・ヴレーミャ』「ロシアは黄色人種の文明など認めていないので、偶然の勝利によって勢いづいた野望の膨張を押し止めなければならない。……どんなに開化された異教であっても、意識の高いキリスト教徒にとってそれはキリスト教文明の高みよりはるかに低いものであり、キリスト教文明と対等な地位を主張するなどもってのほかだ」
 キリスト教徒は、非キリスト教世界をキリスト教化し、キリスト教を信仰しない非キリスト教徒を哀れな未開人と見なして正しい道に導く事を使命としていた。
 洗礼を拒否する非キリスト教徒を野蛮人と決めつけ、絶対神の栄光の為に完全排除した。
 また、非キリスト教徒がキリスト教徒と同じ行為を行おうとすれば、キリスト教徒はそうした不埒者を寄ってたかって半殺しの目にあわせた。そして、奴隷として扱き使い、商品として売り払うか、殺した。
 白人には、そうした権利が絶対神から与えていると認識されていた。
 中国人や朝鮮人は白人に擦り寄ったが、日本人は白人の胡散臭さ感じて拒否した。
 だが、国際派を自認して自己満悦に陶酔した知的エリートや高学歴のインテリは、欧米を無条件に礼讃して日本的なモノを野蛮として捨て去った。
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 中国人は、排他的に、他人を殺しても、自分のみの面子を重んずる人間である。
 自分中心の面子を、他人に押し付け奴隷の如く従属させる事を、儒教では君主の「徳」という。
 植民地帝国清国・中国は、弱小国日本に敗れて、眠れる獅子としての自負心を傷つけられ、アジアにおける唯一の指導者であるという面子を失った。
 中国人の面子から、万世一系男系天皇(直系長子相続)制度国家日本が主張する対等関係は認められない事ことであった。たとえ口先で対等を認めたとしても、笑顔を浮かべながら心の内は憎悪で煮えたぐり、面子から絶対に容認しなかった。
 清国政府と李鴻章は、伝統的中華思想から周辺諸国への教養的差別意識が強く、小国日本との対等な関係での友好を好まず、獣の様な蛮族倭族・日本人に屈辱を与えるべく外国軍の介入を画策した。
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 1895年1月7日 高宗は、王族と政府閣僚を引き連れて宗廟を詣で、国政の大綱である洪範を発表した。日本側の圧力で、今後は、国王と王族が各大臣の輔弼で国政を決裁し、王妃の外戚を政治に関与させないと宣言した。
 閔妃とその一族は、政治から閉め出され、利権によって暴利が得られなくなった為に、日本側の横暴に激怒した。
 高宗も、内心では、日本への怒りがみなぎっていた。
 1月20日 日本軍は、山東半島の軍港威海衛攻略の為に黄海を渡った。連合艦隊も、威海衛に逃げ込んだ北洋艦隊の残存艦隊を殲滅するべく出動した。
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 2月2日 日本軍は、威海衛の砲台にいた清国軍守備隊を敗走させて陸地を占領した。
 2月12日 北洋艦隊司令丁汝昌は、降伏を申し込んで、自決した。
 清国皇帝光緒帝は、アメリカやイギリスを通じて日本との講和を求めた。
 日本は、清国は依然として大国としての自負心が強く、敗北を認めて講和を望んではいないと判断した。講和交渉を有利に導く為にも、清国に敗戦を自覚させる為に難癖を付けて時間稼ぎを行った。この間、日本軍は北京への進軍など好戦的姿勢を強め、清国軍に圧力を加えた。
 アメリカやイギリスは、これ以上の戦争継続を望まず、清国に対して日本側の要求を受け入れる様に要請した。
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 伊藤博文は、日本の国力では清国を降伏させられない事を知っていたがゆえに、北京に攻め込む事には猛反対し、早期講和を主張した。
 清朝が衰退したと言っても世界的大国には変わりない以上、清国の面子を潰さず本気で怒らせない様にして、清王朝を存続させるべきであると。
 軍部も、主敵をロシア帝国としていた関係から、清朝を崩壊させ中国を大混乱させる事は得策ではなく、中国人の反感を買うような領土拡大目的の大陸進出には不同意であった。
 世界戦略が理解できない在野のアジア主義者は、政府や軍部の対清国・中国戦略を無視して、中国人の独立運動を支援し中国を混乱させ内戦を起こそうとしていた。
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 3月3日 光緒帝は、これまでの責任が取れない下級閣僚に替えて、責任が取れる李鴻章を全権大臣に任命して日本に派遣した。
 3月20日 下関で、講和交渉が始まった。
 3月23日 李鴻章は、交渉会議を終えて宿舎の印接寺に向かう途中で、右翼過激分子に狙撃されて負傷した。
 日本側は、ロシア帝国などが清国に有利な条件で講和交渉をまとめにくる事を恐れて、これまでの強硬な要求を緩和して条約をまとめる事とした。
 3月30日 日本側の譲歩で休戦条約が成立した。
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 4月17日 講和会議がまとまり、下関条約が調印された。
 清国国民は、弱小国日本に屈辱的な下関条約を押し付けられたと知るや、世界の中心にある大国としての面子が潰されたとして激怒した。上位者に逆らい従わない小人国家日本に、今度こそ正義の鉄槌をくだすべきでると、復讐戦を要求した。
 光緒帝は、勅諭を発して、軍費を貯めて軍隊の近代化を図り、練兵を行って強兵を育成し、その後に地上に王道を広めるべきであると宣言した。つまり、日本に復讐戦を挑むが今はその時ではないと。
 待望を抱く大人の中国人は、相手に悟られないように本心を隠し、にこやかに微笑みを浮かべて相手に近づいて油断を誘う。
 無知な者ほど、中国人の強烈な野望をその微笑みで騙される。チベットや東トルキシタンや雲南内モンゴルなどでは、人を人と認めない中国人による非人道的漢族化が推進された。
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 ロシア・ドイツ・フランスの三国は、戦勝国日本に圧力をかけて、多くの将兵を犠牲にして獲得した遼東半島を放棄させた。
 大陸人である中国人は、欧米列強に沿海区域が植民地化されようとも、広大な領土の極一部としてさして気にもしなかった。
 中国人の面子から、欧米列強に領土が蚕食されようとも、中国の領土が日本人のもになる事は許せなかった。
 三国干渉で、日本が窮地に追い込まれた事に、日本人の傲慢な自惚れに対する報いであるとしてほくそ笑んだ。
 だが、領土台湾と属国琉球・沖縄を失った。
 琉球・沖縄は、この時をもって正式に日本の領土となった。そして、琉球人は強制的に日本人にさせられた。
 儒教的知識人は、高度な文化を持つ中国に憧れ、洗練された中国人になる事を目差し、文化度の低い日本を嫌悪し、野卑な日本人を軽蔑していた。
 親中国派琉球人は、日本の領土になり、日本人になる事に猛反対した。
 琉球人は、薩摩に武力で侵略され、日本の植民地にされ、日本人に暴力で搾取された屈辱の約280年という年月を忘れてはいなかった。
 日本人は、下等な人間として琉球人を差別していた。
 時代は、信義も礼節もない帝国主義の時代である。
 そこでは、弱者は全てを失って滅び、強は全てを手に入れて豊かになって生き残る。
 日本も、非武装無抵抗を貫いていたら、キリスト教諸国に攻められ滅亡していたであろう。
 閔妃とその一族は、日本によって政権中枢から閉め出され事に恨み骨髄となり、ロシア帝国の力を借りて復権の機会を覗った。
 高宗も、日本の朝鮮への影響力を強めた事に嫌悪し、ロシア帝国の進出を内心歓迎した。
 ロシア帝国は、日本海を支配し大平洋と東シナ海へと自由に航行する為に、高宗と閔妃に同情し反日行動を支持した。
 日本は、対ロシア戦を想定して、清国から得た賠償金2億両(3億円)でイギリスから二隻の戦艦を購入した。
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 アメリカは、日本が台湾と沖縄を獲得し、海軍力を強化して海洋に進出する事を警戒した。
 もし、この時、琉球が日本からの独立を希望すれば、アメリカはパナマの独立支援同様に琉球独立運動を支援した事であろう。その後に、ハワイ王国同様に併呑したかもしれない。
 アメリカが琉球王国の独立を支援すれば、日本はアメリカとの戦争を避ける為に琉球の独立を承認した事であろう。同様に、琉球アメリカ領と宣言されても、やはり戦争を回避する為に黙認したであろう。
 時代は、武力なき話し合いを否定する帝国主義時代である。
 武力なき小国は、武力ある大国の侵略を受けて滅亡するのが宿命であった。
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 清国は、財政は逼迫して有能な人材を欧米各国に派遣できなかった為に、旅費がかからない日本に留学させた。
 日本との友好関係を深める為に優秀な人材を日本に派遣したのではなく、単に金銭的な問題の為に日本を選択したにすぎない。
 日本は、清国の本心も内情も知らず、何ら警戒心もなく中国人留学生を受け入れ最上級の教育と最先端技術を教えた。
 清国は、人を疑う事を知らないお人好しの日本人を貶める様な策謀をめぐらせていた。
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 芝山巖事件。台湾の近代教育の為に赴任していた日本人教師6名は、地元の反発による混乱の中で殺害された。
 日本は、台湾に於ける近代教育に取り組み、昭和20年頃には就学率は92%に達し、台湾人の識字率も100%近くになっていた。
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 1896年 清国(中国)は、ロシア帝国との間で対日攻守軍事同盟というべき秘密条約(李鴻章・ロバノフ密約)を締結した。
 「ロシア帝国が日本と戦争すれば、清国はロシア帝国に味方して参戦する」と、密約を交わしたと言われている。
 清国は、ロシア軍による日本侵攻の為に、不用意にも祖先の土地である満州ロシア帝国に貸し与えた。そして、領土内を通過するシベリア鉄道南満州支線を、日本軍との戦争に使用する事を認めた。
 中国人は、日本に笑顔を見せて友好な態度をとりながら、裏では日本に敵対する諸外国や諸勢力と協力関係を結んでいた。
 ロシア帝国は、満州を領土化する為に全土に戒厳令を布告し、対日戦と治安維持の目的で大軍を進駐させた。
 次の目標は38度線以北の北部朝鮮の領有であり、その為に日本の干渉を排除して大韓帝国の独立を奪う事であった。
 親露派朝鮮人は、日本を朝鮮から追放する為に、ロシア帝国の軍事力を利用する為に協力した。
 ロシア・ソ連は、合法・非合法に関係なく、手に入れた土地はけっして手放すことはなかった。
 大国の傲慢から、国際法を自分の都合の良い方にねじ曲げ、不都合は無視した。
 何時の時代でも、大国は正義であり、小国は悪である。
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 1898年 黄河の大氾濫。
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 1898年 黄河で大旱魃
 民族反乱の直接のキッカケで、飢餓が発生し、大量の餓死者が出た。
 4月 東学教団教主崔時亨は、捕らえられて、漢城で処刑された。
 高弟の孫秉熙は、日本に潜伏して天道教を興し、日本人の協力を得て朝鮮の独立運動を続けた。
 東学党は、儒教支配の朝鮮に絶望して親日派となる。
 日本の外交戦略は、敵の敵はもちろん敵の味方も味方にする事であり、敵の主敵を小さくする為に敵を分断して味方に取り込む事であった。
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 man 産経ニュース
 2013年4月17日 「中国海軍艦艇が尖閣周辺を航行 下関条約締結日に合わせ? 中国メディアを使い宣伝
沖縄本島宮古島の間を通過する中国海軍のルーヤン級ミサイル駆逐艦=16日(防衛省統合幕僚監部提供)
 【北京=川越一】中国国営新華社通信などは17日、人民解放軍海軍の南海艦隊に所属するミサイル駆逐艦などが同日午前、尖閣諸島沖縄県石垣市)周辺海域を航行したと報じた。この日は、118年前の1895年に日清戦争下関条約が締結された日。同諸島の「主権」を主張するため意図的に航行し、中国メディアを使い宣伝した可能性が高い。
 航行したのは、ミサイル駆逐艦「蘭州」とミサイルフリゲート艦「衡水」から成る遠洋訓練編隊。西太平洋海域で遠洋攻防演習や臨検拿捕(だほ)訓練などをした後、16日夜に宮古海峡を通過し、尖閣周辺海域に入ったとしている。
 訓練には中国メディアが同行。編隊の指揮官は巡航を「完全に正当かつ合法で非難の余地はない」と強調した。新華社通信は、海軍の北海艦隊と東海艦隊の艦艇編隊もそれぞれ、以前に同海域を航行したとしている。
 中国政府は、下関条約により尖閣諸島を日本に譲り渡したと主張している。中国メディアは同条約を「侵略者が押し付けた最も辛辣な不平等条約」と表現。中国の専門家は「条約締結日は中華民族の屈辱の日だ」と反日感情を刺激している。中国の海軍史家は「このような巡航は今後、常態化するだろう。わが国が領海の主権を公に示す有効な行動だ」と分析している。」

 

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