中国の核実験─シルクロードで発生した地表核爆発災害─〔高田 純の放射線防護学入門〕 (高田純の放射線防護学入門シリーズ)
- 作者:高田 純
- 発売日: 2008/07/16
- メディア: 単行本
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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
ニーアル・ファーガソン「民主主義というのは普遍的な価値ではなく、法の支配を徹底する手段にすぎない」(『文明』)
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日本国内に収容されていた連合国軍兵士捕虜は、帰国する為に原爆で焼け野原となった広島を通過した。
彼らは、捕虜収容所のでの屈辱を晴らすかの様に、焼け野原を見て勝利の歓声を上げた。
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ソ連や中国共産党との関係が深いオーウェン・ラティモア等は、アジアの平和の為に自国防衛の軍事力をの保持を禁止し、自衛権を含む交戦権を認めず、工業国から農業国に大改造するべく行動していた。
カルタゴを消滅させた「カルタゴの平和」を、日本で再演させようとしていた。
マルクス主義の大義の為に、日本を消滅させて日本の平和を実現しようとしていた。
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GHQは、敗戦国日本を産業を持たない最貧国に改革し、日本人を満州事変以前の水準に押し戻して極貧生活に貶めようとした。
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スタンフォード催眠研究所創立者であるアーネスト・ヒルガード教授は、日本人に贖罪意識を刷り込み日本国民を奴隷化する洗脳プログラムであるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)を作成した。
そして。日本は、アメリカに都合の良い便利な国に改造された。
GHQの、基本3R。重点的施策5D。補助政策3S。
3R…復讐。改組。復活。
5D…武装解除。軍国主義の排除。工業生産力の破壊。行政組織や財閥の解体。国體を解体してアメリカ的民主化する。
3S…性の解放。映画の興隆。スポーツの奨励。
アメリカ太平洋陸軍総司令部参謀第2部民間検閲支隊内に新聞映画放送部(PPB)設け、国際法を無視し、厳しい報道規制と事前検閲を行い言論の自由を弾圧した。
GHQ民間情報教育局(CI&F)は、「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に対すの罪、現在及び将来の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめる事」を目的とするWGIAを実施した。
日本人を愚民化する為に、戦争の罪悪感を植え付け、民族の誇りと自尊心を打ち砕き、再びアメリカと連合国(現・国連)に脅威にならないように無力化しようとした。
ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム (WGIP)
マッカーサーは、日本を完全に骨抜きにすべく、日本語の表示を漢字・平仮名・カタカナからローマ字の替える様に命じた。
日本解体の手段としての英語の公用語化は、時期尚早として延期された。
国體の破壊が最終目標であり、その重要なカギが植民地政策で重視された民族語の廃棄である。
つまり、日本人の言葉を日本語から西洋語に変更する事であった。
だが、日本語破壊は思った様には進まなかった。
そこにあるのは、人種差別であった。
GHQは、空の要塞Bー17を撃墜したゼロ戦を開発した日本の航空工学に恐怖して、航空機の研究・製造・運航すべての廃止を厳命した。
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天皇家の財産。徳川幕府は、皇室に捨て扶持として、江戸初期に1万石、幕末に3万石を与えていた。
明治新政府は、皇室費が財政負担にならないようにする為に、皇室私有財産を国家予算から切り離した。
天皇家の私有財産には、国民から搾取したり外国から略奪して作るのではなく、各大名が放棄した山林、原野、鉱山の半分を当てた。
皇室資産の成り立ちは、世界の如何なる王侯貴族の強奪及び搾取による資産とは異なる。
日本天皇と皇族は、人としての私利私欲を持たず、無心無欲に徹して公益の為に生きる事が定めであった。
政府は、日本を植民地にされない為に富国強兵を国家戦略として、殖産興業、文明開化、地租改正を行い、徴兵制度を導入した。
だが。財源を、近代教育の普及と軍事力の強化に注ぎ込むと、産業育成に回す資金が乏しくなってしまった。
窮余の一策として、皇室資産を殖産興業に当て、日本経済の発展の原動力となった。
天皇家は、日本を代表する有力企業の株式の多くを保有し、日本経済の安定に貢献した。
ユダヤ系国際資本が日本経済を完全支配するべく暗躍しても、筆頭株主が天皇家である限りその野望は悉く失敗した。
こうして。天皇家は、世界有数の大富豪となった。
GHQは、国際資本の要請を受け、天皇家の資産である約37億1,071万円(現代の2兆5,000億円)を没収して国庫に収め、資産の乏しい皇室とした。
そして。将来、天皇家を消滅させる為に11宮家51名を皇籍から離脱させた。
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反天皇反日派ユダヤ人は、神の裔と僭称する日本天皇を認めず、日本皇室を地球上から消滅させる切望していた。
ユダヤ系国際金融資本は、皇室資産を含む日本資産を手に入れるべくアメリカ政府を動かしていた。
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敗戦国日本は、陳公博ら旧親日傀儡政権の要人達が政治亡命しても、戦勝国中国の機嫌を損ねる事を恐れ、腫れ物に触る様に疫病神的に粗略に扱った。
周仏海など日本人気質を熟知する知識人は、日本人は友人の為なら命を犠牲にする「侠」精神がなく、国益の為ならば友を平然と見捨てると理解していた。
日本は、関係国との友好を優先して政治亡命者には冷淡で、外圧に弱い為に抗議を受けると恐怖して政治亡命者を見捨てて国外に追放する、そうした薄情さが日本人にあると嫌悪していた。
事実。日本を理解する中国人は、日本ではなくアメリカに亡命した。
日本は、戦前日本の為に協力してくれた中国人の政治亡命が少なかった事に安堵し、表向きな義理でしばらくは面倒て、そして第三国に追いやった。
戦前日本の軍国主義者は、中国やソ連からの政治亡命者を政府や外務省が不満に思おうとも気にせずに匿って、体制崩壊の為に利用しようとした。
戦後日本の平和主義者は、チベットやモンゴルや中国からの政治亡命者を疫病神として嫌悪して、匿って庇うどころか人道的措置としての緊急避難的入国さえ拒絶した。
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京都に進駐したアメリカ軍兵士は、京都御所を中国の宮殿の様に黄金で満ちていると信じて乱入したが、何もない見窄らしい地味な空間にガッカリして引き上げた。
同様な強盗行為は、関東各地でも起きていた。
昭和天皇と家族がいる皇居以外の、葉山御用邸などもアメリカ兵に土足で荒らされ、金目になりそうなめぼしい物が強奪された。
他の皇族や政府高官等の邸宅も、アメリカ兵の襲撃を受けていた。
敗戦国で、戦勝国軍兵士による略奪は当然の権利とされていた。
戦争の常識として、敗れた人間が勝った人間の不法行為を訴える事は許されなかった。
不満が或る者は、ゲリラや破壊工作で抵抗した。
抵抗運動を行わない者は、戦勝国の不法行為を受け入れた事になる。
敗戦国日本は、進駐軍に対してゲリラなどの抵抗運動を行わなかった以上、アメリカ軍兵士の強奪を受け入れた事になる。
ジョン・ダワーは、連合軍による日本統治の成功はマッカーサーのカリスマ性にあるとして、ニューヨーク・タイムズ紙に「なによりも高い道徳心を持ったアメリカ兵士が日本人の尊敬を集めたからだ」と絶賛する記事を載せた。
アメリカ人兵士は、東條英機邸も襲ったが、ナチス・ドイツの高官の豪邸と違って粗末な日本屋敷で、何処を探しても高価な調度品や貴金属がないので失望し、悪態を付きながら時計や銀製シュガレットケースなど目に付く物を奪って立ち去った。
東條英機の生活は、驚くほど質素で、配給米のみで一家で空腹を我慢していた。
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「進駐軍やりたい放題。……米軍主導の進駐軍上陸後、米兵による皇居などへの非行行為が頻発し、日本政府が連合国軍総司令部(GHQ)に改善を求めていたことが、7日に外務省が公開した外交文書で明らかになった。
日本政府がGHQに提出した資料によれば、1945年8月末の進駐軍上陸から9月末までの約1ヶ月の間に、米兵が関係する殺人事件は5件。皇居への犯罪は8件、強姦は未遂を含めれば44件、誘拐が7件、住宅侵入が18件であった。……一人乗りの米機が京都御所に強制着陸する騒ぎや、神奈川県の葉山御用邸や竹田宮別邸に米兵が侵入を繰り返す事件もあった。……一般市民に対しても、酒場で酒に酔った米兵が店員を射殺した事件や、住宅に押し入った水兵が女性から80円の入った財布を奪い、強姦しようとした事件も報告されている」(2013年3月8日朝日新聞)
日本を占領したアメリカ軍兵士によるに犯罪は、戦勝国軍兵士が敗戦国内で敗戦国国民に対して当然の権利として起こす有り触れた事件に過ぎない。
敗戦国は、戦勝国が起こす犯罪に対して泣き寝入りするのが、世界の常識である。
無条件降伏を受諾した敗戦国は、自国民の生命財産の保全を戦勝国の「情け」にすがる以外に守る手段がなかっいた。
戦勝国兵士が強姦し殺害したとしても、無条件降伏した国家は手出しができなかった。
それが、無条件降伏である。
同様の犯罪は、ソ連軍及び共産主義諸国軍の占領地域で日常的に起きていた。
アメリカ軍兵士の大半が、人種差別主義者であり、非白人非キリスト教徒日本人への復讐心に燃えていた。
連合軍は、ドイツに対してはヒトラーとナチスを敵として戦い、ドイツ国民をファシストの支配から解放する為に進駐した。
日本に対しては、黄色人種日本民族を敵として戦い、無条件降伏の名の下に異教国日本を「キリスト教の正義」で浄化する為に占領した。
「無条件降伏」を認めるのであれば、占領軍の犯罪行為を不問に付し、泣き寝入りする以外にない。
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日本の政治家や軍人達は、シーボルトらGHQに共産主義の脅威を訴え、共産主義に備えるように忠告した。
アメリカは、自由と民主主義で日本を大改造する為に、天皇制打倒の共産主義を広めべく日本共産党の復活に協力した。
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ハーバート・ノーマンは、マッカーサーの強い要請に従って来日し、GHQの対外諜報部(CIS)分析課長に任命された。
和田家に借りず増している都留重人に会い、壊滅状態にある左翼・左派勢力の実情を聞き、府中刑務所に収監されている共産党員の即時解放を確約した。
戦後の日本共産党は、GHQの全面的支援で再建され。
地方の役場、学校、各種団体の中で息を潜めていた転向左翼(隠れマルクス主義者)は、日本を共産主義化するべく反天皇運動を全国で開始した。
日本にいた反日派朝鮮人達も、日本共産党と手を組んで活動を活発化させ、時には戦勝国の一員と称して暴力事件を起こしていた。
日本の共産主義者は、弾圧されて消滅したのではなく、嘘の転向宣言で身を隠しただけである。
共産主義者は、日本人や中国人に関係なく、共産主義の大義の為に平然と嘘を付いて相手を信用させて惑わしていた。
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マッカーサーは、大統領選挙出馬に備えて偉大なリーダー像をアメリカ国内に知らせる為に、反日的な日本外国特派員協会(FCCJ)を設立させた。
日本人は、外国人特にアメリカ人は嘘を付かないと信じ込み、日本語の記事より英語の記事を愛読し、彼等が書き立てる日本批判の記事をもっともな意見として話題にした。
欧米の報道機関は、優秀な特派員を欧州に投入し、問題を起こしやすい札付きか反日親中国派の二流三流特派員を日本に送り出していた。
質の悪い特派員等は、人種差別主義者であり、戦勝国の威を借り、日本人を軽蔑し人間とは見ていなかった。
アメリカ人兵士による強姦、殺害、強盗などの凶悪事件は、彼等によって闇に葬られた、
ニューヨーク・タイムズ紙元東京支局長H・S・ストークス「日本外国特派員協会は、マッカーサーの日本占領と同時に設立された。理由は、アメリカによる日本占領が如何に正しく、人道的であり、歴史の偉業であるか、全世界へ向けて報道させるためだった。
日本外国特派員協会はの会旗(バナー)にも、『1945年設立』と占領の年が、誇らしげに刻まれている。いわば日本占領の、もっといえば東京裁判史観を、世界中に撒き散らした総本山が、日本外国特派員協会といってよい。
マッカーサーはメディアの力を目一杯に活用して、自らのエゴを美しく飾り立てた」(『英国人記者の見た連合国戦勝史観の虚妄』)
レフチェンコ「有楽町の外人記者クラブには、世界中のあらゆる国のスパイが沢山いた」(『KGBの見た日本』)
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議会の真珠湾調査委員会は、グルーを喚問し、真珠湾が奇襲されたのは在日アメリカ大使館が情報収集活動に欠陥があったのではないかと厳しく取り調べた。
国務省内の中国派は、日本派がGHQの顧問として東京に赴任する事を阻止するべく協力した。
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9月 スターリンは、日本を共産主義化するべく、アメリカの隠れ共産主義者の政府高官にニューディーラー(大半がユダヤ人)を日本に派遣するように示唆した。
そして、日本人マルクス主義者に、天皇制度を打倒して共産主義革命を起こさせるっべく、ストを多発させて産業活動を麻痺させ、犯罪を増加させて治安を崩壊させ、人心を荒廃させて社会秩序を破壊するように命じた。
日本国内には、戦争で焼き出され職をなくした失業者が400万人以上いた。
そこに、600万人以上の戦地に動員されていた兵士や軍属及び大陸からの引き揚げ者が流れ込んできた。
さらに、強制連行された反日的朝鮮人200万人以上(一説には400万人)と数十万人の敵日中国人が、日本人憎しから、敗北と戦災で意気消沈としている日本人への犯罪事件を多発させていた。
彼等は、東アジア人の儒教的性質として、弱っている相手に容赦なく狂暴に襲いかかっていた。
かって、福沢諭吉は凶暴な彼等を「悪友」として嫌い、気弱な日本人に「脱亜論」を説いた。
敗戦となった国内には、無差別爆撃で工場の多くを破壊されて働く場所がなく、異常気象の為に農作物は不作となって食糧も不足していた。
家族を失った戦災孤児の多くが、空腹な上に生きる希望をなくして餓死した。
世界史の常識から見れば、暴力的共産主義革命勃発の条件はそろっていた。
だが。皇国史観の民族教育を受けた日本人は、生きる希望や将来の期待を、世界的な主義主張ではなく、絶対不変の真理に対する信仰という排他的普遍宗教でもなく、「あるがまま」という民族宗教の祖先神信仰としての天皇の霊性に求めた。
古代からの日本人の思考は、自分の幸せや富以上に、子供や孫などの子孫の身の上を案じる事であった。
戦前までの日本人は、その為に自分を抑え、喜んで犠牲となった。
ワシントンは、東京のマッカーサーに対して、敗戦国日本を敗戦国ドイツ同様に、主要産業を持たない農産物のみを生産する平和な農耕国家に改造するように命じた。
ソ連は、日本を今後一切共産主義に刃向かえないようにする為に、平和的な完全非武装国家とする事を求めた。
だが。マッカーサーは、ソ連との対決という冷戦時代到来を見据え、血に飢えた狂暴な共産主義勢力の侵略に備える為に、日本の再建を急いだ。
その過程で、日本の軍事行動が共産主義から天皇制度と日本を守る自衛行動であった事を理解した。
GHQは、ラティモアや財務省からの指示があった、財閥として指名された325社の解体を約30社で中止し、日本経済の再建を推進した。
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GHQは、日本人戦犯を一人残らず処罰するべく、日本占領と共に日本国内に残っていた資料を徹底的に調査した。
日本人は、几帳面にも、日本軍によって撃墜されたB29パイロットや前戦から本土に強制連行された連合国軍兵士捕虜の資料を大事に保管して、誰がどう言った命令を下し、その命令を誰が従い、誰が実行したか。
記録マニア的な日本人は、そうした、自分達に不利になる資料さえも燃やす事なく大事にしていた。
GHQは、日本側の事細かな資料をもとしてB級C級戦犯数千人を逮捕して、軍事裁判でリンチ的縛り首とした。
だが。そうした資料の中には、従軍慰安婦に関する資料や強制連行を証明する資料は一つもなかった。
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9月1日 アメリカ軍は、民間検閲支隊の先遣隊を横浜に送り込んだ。
民間検閲支隊は、日本人協力者を集めて検閲機関を設置し、ポツダム宣言第10条「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は、確立されるべし」は無きものとして、アメリカに刃向かう元となった日本人の歴史観や道徳観を変える為に伝統的な文化及び思想と宗教を殲滅しようとした。
極秘命令として、30項目に及ぶ検閲指針を日本側に強制した。
占領下で自主権を剥奪された日本は、無条件で、アメリカ式自由・民主主義を受け入れ日本古来の精神文化や道徳心を捨てる事に従わされた。
ソ連軍は、色丹島・国後島を軍事占領した。
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国際連合を直訳すると、「連合した国々」。
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9月2日午前8時55分 東京湾内に停泊中のアメリカ戦艦ミズーリ号で、日本政府と軍部は国際連合国に対して降伏文書に署名した。降伏文書に調印した。
重光葵は、日本人のプライドとして、マッカーサーが用意した万年筆ではなく自分で用意した万年筆を使って署名した。
「アメリカ、イギリス、ソ連、中華民国、そして日本と戦争中のその他の連合国の利益のため」
国際常識による世界史は、この日をもって終戦としている。
日本側は、降伏文書がポツダム宣言に沿った文書と信じて調印した。
だが。昭和天皇及び日本政府の統治権は、日本側の公式文書には「連合国最高司令官に制限される」と書かれていたが、英語文書では「連合国最高司令官に従属する」と記されていた。
敗戦国日本は、表面的には国家主権が認められアメリカの自由と民主主義の諸政策を受け入て国際復帰を目指す事になったが、実態はアメリカの国益の為にアメリカの従属国としてアメリカ軍の占領統治を余儀なくされた。
連合国は、ソ連軍の日本領への攻撃と日本人民間人虐殺は、日本の侵略戦争に対する合法的自衛行動と認めている。
国際法は、ソ連軍による日本領の武力占領と日本人虐殺を合法的行為と認めている。
抗戦意欲を消失し武装を解除して両手をあげて降伏しても、降伏文書に署名しない限り、戦闘意欲が有るとして攻撃しても問題とはされなかった。
国際社会は、ソ連軍が9月5日までに武力で占領した北方領土をソ連領と認めた。
日本の左翼・左派のマルクス主義者は、国益を考えないだけに、本気で日本の国土を守る為に抗議をしているはどうかは不明である。
ロシア政府と議会は、2011年に、9月2日を侵略戦争を行った凶悪な軍国日本を倒して平和を回復した「終戦記念日」と法律で定めた。
日本の民主党政権は、両国の関係悪化を恐れて、表だっての抗議を差し控えた。
国際外交では、沈黙して抗議しない事は認めた事になる。
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降伏文書「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、本降伏条項を実施するため適当と認むる措置を執る連合国最高司令官に従属するものとす」
戦闘が終わっても、戦勝国の占領下に於かれる事によって広義的な戦争状態のままであった。
アメリカは、降伏文書にポツダム宣言を無視する文言を加え、敗戦国日本をGHQの主権下に置いた。
日本への無条件降伏は、日本軍から日本国家に書き換えられた。
日本は、ヤルタ・ポツダム体制下に置かれた。
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昭和天皇は、重光葵(A級戦犯)から降伏調印式の報告を、涙を流しながら聞いた。
重光葵「アメリカは日本中を壊す事が出来るが、日本人の心を壊す事は出来ない」
「願わくば 御国の末の 栄え行く 吾が名さげすむ 人の多きを」
枢密院会議。重光葵「いろいろ申し分はあるが、先方は丁寧ではあったが、万事、ポツダム宣言の範囲であるといって、押し付けて来る態度を示した。その場でこちらから、いろいろ言えば、抵抗すると思われてもいけないし、紛糾を来す恐れがあったので、見逃してきた。今度事実に出会った時、先方の諒解を求める方が容易であると思う」
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江藤淳「あれだけ沈めたはずなのに、まだこんなに多くの軍艦が残っていたのかという思いと、これだけの力を相手にして、今まで日本は戦ってきたのかという思いが交錯して、しばしは頭が茫然とした。しかし、だから戦わなければよかったという想いはなかった。こうなることは、最初からわかっていた、だからこそ一生懸命に戦って来たのだと、そのとき小学校6年性の私は思っていた」
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トルーマン戦勝演説「アメリカ人に告ぐ。すべてのアメリカの、また全ての文明世界の思えと希望は今夜の戦艦ミズーリ号に集中された。東京湾に投錨したこのアメリカの領土の一角でたった今、日本人は公式に武器を置いた。彼らは無条件降伏した。……4年前には全ての文明世界の思いと恐怖はアメリカの一部であるほかの土地、即ち真珠湾に集中していました。我々は真珠湾を忘れないであろう」
アメリカは、あくまでも真珠湾騙し討ちに対する復讐を最大の理由とした。
日本の外務省は、軍部以上に、日本を不幸にした張本人である。
つまり、軍部よりもはるかに罪が重い。
それでも、現代日本よりも外交能力は高かった。
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スターリンは、戦勝演説で、軍国日本の裏切りと闇討ちで奪われた南サハリン(樺太)とクリール諸島(千島列島)を奪い返したと宣言した。
「 1904年の露日戦争の時のロシア軍の敗北は、国民の意思の中に重苦しい思い出を残した。それは、我が国の上に汚点をとどめた。我が国民は、何時の日にか日本が粉砕され、汚点が払拭される時が来ると信じて、待っていた。我々の年長者達は、40年の間、その日を待ちわびた。そして、その日が到来したのである。今日、日本は敗北を認め、無条件降伏の文書に署名した」
サムライ日本人は、江戸後期からロシア帝国の侵略から、天皇と日本を守る為に自衛戦争を続けていた。
だが。国際常識は、日本の主張する自衛戦争は大陸侵略を目的とした侵略戦争であると完全否定している。
日本の国際派知識人も、国際常識を受け入れ、日本を戦争犯罪者であると認めている。
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世界常識である9月2日を終戦記念日と日本が認めた時、ソ連軍の北方領土軍事占領は合法となり、日本領ではなくなる。
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マッカーサーは、オホーツク海を内海とする為に北海道の割譲を強く求めるソ連に対し辟易として、名古屋を中心とした中部日本にソ連軍を進駐占領する様に提案した。
ソ連は、北海道の領有にこだわり、アメリカ軍が駐留する本土への部隊派遣を断った。
スターリンは、神の裔・天皇の影響力を警戒するあまり、日本を共産化する好機を見逃した。
日本人マルクス主義者は、日本の共産主義化の好機が失われたとして失望した。
ソ連海軍は、オホーツク海をから太平洋に出る為に国後海峡と択捉海峡を必要とし、その出口を確保する為に北方領土の返還には猛反対していた。
国際派日本人も、国際常識を受け入れ、終戦記念日は9月2日であると認めた。
国際社会は、9月2日をもって終戦としている。
日本の8月15日を終戦日とうする常識は、国際常識ではない。
日本には、国際常識でない非常識がまだまだ多く存在する。
日本の国際化は、こうした国際常識を受け入れる事から始まる。
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ポツダム宣言「日本は、その愚かな考えが大日本帝国を滅亡の淵へと追いやった、自己中心的な軍国主義的指導者に支配され続けるのか、それとも理性の道に従うのか選ぶ時がきたのである」
ギャラップ世論調査(8月26日)
原爆使用に支持 85%
反対 5%
アメリカの新聞社説の98%が、日本人への原爆投下を歓迎した。
ニューヨーク・タイムズ「残虐な裏切り者である日本人が……我々のできる最大の報復を受けたのであり、自業自得だ!」
フラデルフィア・インクワイアラー「哀れな声で泣くジャップ」
ニューズウィーク「ジャップよ、降伏か絶滅のどちらかを選べ!」
ディリーワーカー(アメリカ共産党機関誌)「原爆という手段で、日本が反撃する前に戦争を加速させられたのは幸運だった」
原爆の開発と投下は、アメリカの偉大な正義を信ずる国民にとって、邪悪な全体主義国家日本を倒し世界を救ったとして、誇りとしている。
正義の戦争を信じる世論は、原爆投下に反対する意見を修正主義として攻撃し、正当性を守る為に激しい抗議を行った。
ゆえに。1994年に、原爆正当化論に疑問を投げかける様なスミソニアン協会が企画した「原爆展」に猛反対して、展示を中止させた。
ヘイマン「原爆使用を歴史的に取り上げる事と、戦争終結50周年を記念する事の二つを結び付けるという誤りを犯した」
国際社会は、昭和天皇を戦争犯罪者として告発した。
中国や韓国・北朝鮮などのアジア諸国は、昭和天皇を戦争犯罪者として永遠にその名を刻むべきだと弾劾している。
日本国内でも、昭和天皇の戦争責任を事細かに調査し、その事実を基にして戦争犯罪を告発する反戦平和市民団体が多くある。彼等の多くが、左翼・左派のマルクス主義者やキリスト教徒である。
カトリック教会は、原爆投下を「キリスト教文明と道徳法への最も深刻な打撃だ」との、悲痛な声明を発表した。
ギリス神父「アメリカ政府の行動は、我々の文明が拠って立つ全ての感情、全ての信念に挑戦するものだ」
ワシントン・アフロアメリカン「連合軍は結局のところ、人種差別を戦ったという印象を復活させた」「突き詰めれば、彼等は白人であるからだ。太平洋の憎むべき黄色人種に使う為に、強力な兵器を取っておいた」
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在日ソ連代表部書記官(内務省のスパイ)ラストボロフは、1954年にアメリカへ亡命して、戦後おこなった日本人捕虜洗脳計画についての全容を証言した。
だが、誰も、大国・ソ連の洗脳行為を非難する者はいなかった。
特に、日本人の反応は少なかった。
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9月2日 東南アジア連合軍司令官マウントバッテン卿は、タイに進駐し、日本軍に協力したビブン元首相らを戦争犯罪者として裁くと通達した。
タイ王国は、タイ政府として独自で行うとして拒否し、ビブン元首相ら10名を逮捕し拘留した。
タイ国最高裁判所内に戦犯法廷が設けられたが、46年3月に戦争犯罪者を裁く法律がないとして、全員を無罪として釈放した。
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9月2日午後4時 GHQの参謀次長マーシャル少将は、有条件降伏であったポツダム宣言を無視して直接軍政を引く為に、終戦連絡委員会の鈴木九萬公使を呼び出してトルーマン大統領から指示として三布告を言い渡した。
布告第一号 日本全域の住民をGHQの最高司令官の軍事管理下に置く事、日本国民は行政、立法、司法の全ての機能を含めて最高司令官の権力下に行使される英語を公用語にする。(日本語の使用制限)
布告第二号 日本の司法権はGHQに属し、アメリカに対する違反はアメリカの軍事裁判で処罰する。
布告第三号 日本円を廃しB円と呼ばれる軍票を日本国の通貨とし、アメリカ・ドルを法定通貨とする。
トルーマン「我々は勝利者で日本は敗北者である。無条件降伏は交渉するものではないと、彼らは知らねばならない」
アメリカは、日本の降伏を無条件降伏に変更するべく有条件付きポツダム宣言の破棄と、日本を政府崩壊と見なして軍事的直接統治を行うと宣言した。
軍隊の武装放棄した日本には、アメリカの横暴に抵抗するだけの軍事力は残っていなかった。
アメリカの意図は、日本をフィリピンの様な保護国として、近代的産業を破壊して唯一の産業を農業だけの後進国に改造する事であった。
農業立国とは、マルクス主義者が理想とする日本の国家像であった。
終戦連絡中央事務局の初代長官岡粼勝男は、「英語の公用語」は「日本語による伝統文化及び宗教」を破壊し、「日本円の廃し」は「日本経済の復興」を阻害するとして、マーシャル少将と即時会談し、激しい口調で不服と抗議を申し込み翌日の布告発表を差し止めた。
9月3日午前8時 A級戦犯・重光葵外相は、英語の公用語と米ドルの法定通貨と裁判権の制限とうは不平等条約で国家消滅の危機として、横浜でマッカーサーに直談判し「こんな事をやったら日本の戦後処理はできません。大変な事になります」と懇願した。
マッカーサーは、大統領指示を取り下げて三条件を保留として、日本政府を認めて直接統治ではなく間接統治とした。
アメリカによる、英語の公用語という日本のフィリピン化はA級戦犯・重光葵外相によって阻止された。
英語が公用語とされたら、日本の戦後復興は失敗し、日本は東南アジア諸国同レベルの国となり、発展途上国の仲間入りした事であろう。
国民は少数派の英語を話せる富裕層と多数派の英語が話せない貧困層に二分され、貧富の格差が広がり、社会的な不満が増大し、治安は悪化して犯罪や暴動が絶えなくなり、英語世代と民族語世代の断裂でまりのない国となった事であろう。
西洋語を公用語とし民族語を日常語とした国で、伝統的民族文化を護持し経済を発展させ近代国家となった国は存在しない。
最高学府の大学と一部の専門学校で英語使用・日本語禁止とする事は奨励されるべき事であったが、社会全般で英語の公用語化は日本の国力を衰退させるだけであった。
明治維新で日本が近代化に成功したのは、頑迷に日本語にこだわり、安直に外国語を公用語しなかったからである。
〝日本は敗戦国としてアメリカ軍の占領個にあったが、戦勝国の無理難題を盲従する事なく、言うベジ時は死を覚悟して主張した〟
GHQは、命令に逆らって従わない反骨精神を持つ重光葵を憎んだ。
敗戦国日本を消滅させず存続させていたのは、昭和天皇と忠誠を誓う官僚群であった。
議会、政治家には、焦土となり荒廃した日本を復興する展望がなく、敗戦国日本の主権を守る為にアメリカやソ連等の連合国と外交する能力もなく、マッカーサーと対面して英語で論破する度胸もなかった。
敗戦革命と共産主義者による反共産主義者・宗教関係者・民主主義者らの大虐殺が起きなかったのは、昭和天皇が退位せず祖国日本を守ったからである。
ゆえに、左翼・左派のマルクス主義者の護憲派や反天皇派及びキリスト教会と一部の仏教徒は、昭和天皇の罪を声高に叫んでいる。
重光外相は、敗戦国とは言っても日本はドイツとは違って国家も政府も健在で有り、ポツダム宣言の有条件降伏によって自主外交は認められているとして、GHQの横暴に抗議した。
GHQは、自主外交路線を貫こうとする重光葵を嫌い、A級戦犯として逮捕する事を黙認し、対米追随路線の吉田茂を日本の指導者に据えた。
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9月4日・5日 芦田均衆議院議員は、第88帝国議会で、敗戦責任の所在を明確化を求める質問主意書を政府に提出した。
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9月5日 ソ連軍は、歯舞諸島を占領し、1875年から日本の固有領土とされた千島列島を掠奪た。
この日を以て、太平洋戦争を含み第二次世界大戦が完全に終了した。
マッカーサーが、9月2日に、世界に向けて宣言した「砲は沈黙した」のはこの日である。
戦争終結は、敗者が決める事ではなく、勝者が決める事である。
敗北者が、武器を捨て、白旗を揚げ、手を挙げて陣地から出ても、勝利者がそれを認めなければ射殺できた。
それが、大陸に於ける戦争の常識である。
ソ連は、1855年の下田条約で日本の固有領土と認めた北方領土を施政下に置いて実効支配をした。
軍事的に占領された千島列島は、カイロ宣言が定めた「暴力と貪欲」でロシアから奪った日本領土ではなかった。
だが。如何なる国際法も、戦勝国・大国には寛大であるが、敗戦国・小国には冷淡である。
国際社会は、連合国陣営に参加したソ連の侵略行為を容認し、枢軸国陣営に与した軍国日本の防衛行為を犯罪行為と非難した。
世界の如何なる国も如何なる国際機関も、戦犯国家日本の言い分を聞く事はないし、決して弁護も擁護もしないし、名誉や権利を回復する事に協力も支援も援助もしない。
それが大陸世界の現実であり、世界史、大陸史、人類史の真実である。
如何なる日本の声も、その世界的常識のという現実や真実の前では無力である。
日本は、世界の非常識の中から脱出する事はできない。
樺太・千島列島で、ソ連軍兵士・共産主義者によって虐殺された日本人民間人の死者は、3,500人以上とされるが正確な人数は不明である。
日本人マルクス主義者にとって重要なのは、日本人の命でも、日本民族の生存でも、日本国家の存続でも、天皇の継承や皇室の安泰でもなく、自分の信ずる〜イズムを如何なる犠牲を払っても守り貫く事だけである。
その為に、彼らはソ連や中国共産党や反日朝鮮人達と共闘関係を組んでいた。
つまり。全てが自分一人の為であり、社会の為とか他人の為とか家族の為などには価値を見出さず、他人には全く興味がなかった。
それは、一部の日本人キリスト教徒や特定の宗教団体とて同じである。
第一世界大戦時のドイツ帝国がユダヤ人の裏切りと背後からの一刺しで滅んだというのなら、
戦前の軍国日本は、革新官僚であるマルクス主義者によって内部から崩壊させられた。
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9月6日 トルーマンは、マッカーサーに、用意していた「降伏後に於けるアメリカの初期の対日方針」を指示した。
「国家を統治する天皇と日本政府の権威は、連合軍総司令部最高司令官としての貴下の下に置かれる。貴下はその権威を任務を遂行する為ならばいかようにでも行使できる。我々の日本との関係は約束に基づくものではない、無条件降伏に基づくものである。貴下の権威は至上であるから日本人の側からその範囲について質問を受ける必要はない。……
ポツダム宣言の中に書かれた趣旨は効力を持つ。しかしながら、この文書の結果によって我々が日本と双務的義務を負っているとみなすがゆえにそれが効力を持つのではない。それはポツダム宣言が日本と極東の平和と安定につい誠実に述べられた我々の方針の一部をなしているがゆえに尊重され効力を持つのである」
アメリカは、日本が信じたポツダム宣言文を破棄して、無条件降伏の原則で占領政策を強行した。
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9月10日 アメリカ艦隊60隻は、千島沖に到達し、千島列島を占領しているソ連軍を威嚇陽に砲身を向け、グラマン戦闘機編隊を低空飛行させた。
日本軍艦艇の水先案内で青森県東北部の大湊軍港に入港し、北方領土を不法占領したソ連軍に睨みを利かせ、北海道軍事占領を牽制した。
米ソの冷戦は、既に始まっていた。
マッカーサーの副官シドニー・マッシバーは、非公式に、横浜終戦連絡委員会の鈴木九萬委員長に対して戦争に関する自主裁判を勧めた。
日本側でも、勝者による一方的な報復裁判への不満から自主裁判を求める声があった。
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中国共産党機関誌紙「解放日報」は、毛沢東の日本人戦犯リストを掲載し、昭和天皇と東條英機元首相や陸海軍首脳と伏見宮元軍令部総長ら皇族を戦犯で裁いて処刑する事を求めた。
中国共産党は、昭和天皇の死刑を要求した。
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9月11日 東大国際法教授の横田喜三郎は、唯一の日本人学者として東京裁判に協力した。
マッカーサーは、東條英機元首相ら39人の逮捕令を発した。
戦犯容疑者は、逮捕され収監された。
東條英機は、拳銃自殺を図ったが失敗した。
東條英機の逮捕前に書いた遺書
「《英米諸国人に告げる》
今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。この深刻な事実は私も固より、これを認めるにやぶさかではない。しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。私は今ここに、諸君に向かって事実を列挙していく時間はない。しかし諸君がもし、虚心坦懐で公平な眼差しをもって最近の歴史的推移を観察するなら、その思い半ばに過ぎるものがあるのではないだろうか。我れ等はただ微力であったために正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。いかに戦争は手段を選ばないものであるといっても、原子爆弾を使用して無辜の老若男女数万人もしくは数十万人を一挙に殺戮するようなことを敢えて行ったことに対して、あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。もし諸般の行いを最後に終えることがなければ、世界はさらに第三第四第五といった世界戦争を引き起こし、人類を絶滅に至らしめることなければ止むことがなくなるであろう。諸君はすべからく一大猛省し、自らを顧みて天地の大道に恥じることないよう努めよ。
《日本同胞国民諸君》
今はただ、承詔必謹する〔伴注:終戦の詔を何があっても大切に受け止める〕だけである。私も何も言う言葉がない。ただ、大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、私は国家の生存と国民の自衛のため、止むを得ず受けてたっただけのことである。この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔に特筆大書されているとおりであり、太陽の輝きのように明白である。ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。不幸にして我が国は力不足のために彼の国に敗けたけれども、正理公議は厳として我が国にあるということは動かすことのできないことである。力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。人が多ければ天に勝ち、天が定まれば人を破るということは、天道の法則である。諸君にあっては、大国民であるという誇りを持ち、天が定まる日を待ちつづけていただきたい。日本は神国である。永久不滅の国家である。皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも我々を照らし出して見ておられるのである。諸君、願わくば、自暴自棄となることなく、喪神落胆することなく、皇国の命運を確信し、精進努力することによってこの一大困難を克服し、もって天日復明の時が来ることを待たれんことを。
《日本青年諸君に告げる。》《日本青年諸君各位》
我が日本は神国である。この国の最後の望みはただ諸君一人一人の頭上にある。私は諸君が隠忍自重し、どのような努力をも怠らずに気を養い、胆を練り、現在の状況に対処することを祈ってやまない。現在、皇国は不幸にして悲嘆の底に陥っている。しかしこれは力の多少や強弱の問題であって、正義公道は始終一貫して我が国にあるということは少しも疑いを入れない。また、幾百万の同胞がこの戦争のために国家に殉じたが、彼らの英魂毅魄〔伴注:美しく強い魂魄〕は、必ず永遠にこの国家の鎮護となることであろう。殉国の烈士は、決して犬死したものではない。諸君、ねがわくば大和民族たる自信と誇りをしっかり持ち、日本三千年来の国史の導きに従い、また忠勇義烈なる先輩の遺旨を追い、もって皇運をいつまでも扶翼せんことを。これこそがまことに私の最後の願いである。思うに、今後は、強者に拝跪し、世間におもねり、おかしな理屈や邪説におもねり、雷同する者どもが少なからず発生するであろう。しかし諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。真骨頂とは何か。忠君愛国の日本精神。これだけである。」
GHQの憲兵は、東条英機を戦争犯罪者として逮捕するべく東京・用賀の東條私邸に赴くが、余りの粗末さに驚いた。
東條英機は、ピストルで自決しようとして失敗した。
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9月12日 東久邇宮内閣は、自主裁判を行う為に、「国際法規・戦争法規に違反せる者に対し、厳重かつ公平なる裁判を行うの決意あり」とする「政府声明案」を閣議決定した。
昭和天皇は、東條英機等に対して開戦を裁可し、敗戦した今自らの名で彼等を裁く事に躊躇した。
東久邇宮内閣は、昭和天皇の自主裁判への慎重姿勢を考慮して声明発表を見送った。
木戸幸一日記「首相宮御参内、戦争犯罪人の処罰を我国に於て実行すること連合国に申入るることに閣議に於て決定したるよしにて、其旨奏上せられたるに、御上は敵側の所謂責任者は何(いず)れも嘗ては只管(ひたすら)忠誠を尽くしたる人々なるに、之を天皇の名に於て処断するは不忍ところなる故、再考の余地はなきやと御尋ねあり」
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9月14日 ハリマン大使は、ソ連大使館の武官ら3人を調査団として広島と長崎に派遣した。
調査団は、日本人医者から「被爆後は白血球の値が急激に下がり、鼻や目などから出血して40度前後の発熱が続き、3〜4日後に死亡する」との説明を聞いた。
マリク大使は、放射能の影響に関する現地調査の報告書を最高指導者スターリンらに送った。
スターリンは、原爆の威力と被害と影響を知りながら原爆開発を急ぐように厳命した。
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9月13日 重光葵外相は、リチャード・サザランド参謀長に対して、戦争犯罪者引き渡し要求の中止を求めた。
サザランド参謀長は、戦犯を日本の裁判所に引き渡す事は困難と拒否し、日本側による自主裁判を認めなかった。
アメリカ側は、自主裁判で死刑なしの禁固刑判決が出れば、国内はおろか世界輿論が納得せず一大騒動に発展する恐れがあると警戒していた。
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9月14日 ハリマン大使は、ソ連大使館の武官ら3人を調査団として広島と長崎に派遣した。
調査団は、日本人医者から「被爆後は白血球の値が急激に下がり、鼻や目などから出血して40度前後の発熱が続き、3〜4日後に死亡する」との説明を聞いた。
マリク大使は、放射能の影響に関する現地調査の報告書を最高指導者スターリンらに送った。
スターリンは、原爆の威力と被害と影響を知りながら原爆開発を急ぐように厳命した。
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9月15日 朝日新聞は、アメリアの非人道的戦争行為を告発した鳩山一郎の談話を掲載した。
「〝正義は力なり〟を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことはできぬであろう」
GHQは、明らかな戦争犯罪を隠蔽する為に、「正義のアメリカ、悪の日本」を作り上げるべくブラック・ポロパガンダを本格化させ、新聞報道取締を厳しくした。
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