⛅2:─2─琉歌は日本の和歌に近く中国の漢詩とは異質である。~No.3No.4 

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 琉球は、限りなく日本に近く、限りなく中国とは遠い。
 琉球が独立を主張する相手は、中国であって日本ではない。
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 琉球王国の王侯貴族や政府関係者や有力豪族の間では、日本の奈良・平安初期同様に漢族風が流行り中華の古典・漢籍を読み、漢詩を詠んでいた。
 対して庶民の間では、大和・日本の和歌に似た琉歌を詠んでいた。
 琉球の伝統民族は、中国ではなく日本に近い。
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 琉歌と和歌の違いは何ですか?
 沖縄の抒情短歌で,和歌に対していう。 八・八・八・六の基本形式を持ち,必ず三線や箏の伴奏を伴って謡われた。 農家の娘である恩納なべや遊女よしやなどが代表的歌人として知られているが,《古今和歌集》などのヤマトの和歌を直接移した内容のものもある。
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 2023年8月11日 Travel Book「【伝統芸能】琉歌入門!日本文化のひとつを知ろう
 ご存知の方も多いかと思いますが、昨今、日本の伝統芸能が、国内外においてじわじわとブームになっています。
 日本の中でも沖縄には「琉歌」と呼ばれる沖縄独自の伝統的な歌謡があります。「琉歌」という言葉を聞いたことのある方はあまり多くないかもしれませんが、「島唄」といえばどうでしょうか。奄美群島において「琉歌」は「島唄」と呼ばれています。
ここでは、そんな琉歌の魅力に迫ってみたいと思います。琉歌に関する基本的な情報から楽しみ方、おすすめの参考書籍などを初心者にも分かりやすく総合的にご紹介します。
沖縄の伝統芸能に興味のある方や、俳句を嗜まれている方などに琉歌はおすすめです!
この機会に、琉歌にも挑戦してみてくださいね。きっと、楽しい世界が見つかりますよ。
 目次
 琉歌とは?意外に知らない基本情報を見てみよう!
 琉歌を広めた人って?気になる「恩納なべ」について
 いつからあったの?琉歌の歴史をたどってみた!
 いま有名な上原直彦さんてどんな人?
 これであなたも琉歌マスター!注目の琉歌をご紹介
 どこに注目すればいい?鑑賞のポイントをご紹介!
 琉歌には欠かせない!三線とは?
 琉歌についてより詳しく学びたい方に!おすすめの参考書籍
 琉歌を作成したら投稿・発表をしてみよう!
 琉歌の代表的歌人「恩納なべ」ゆかりの土地はどこ?
 まとめ
 日本の伝統芸能でおすすめの記事
 琉歌とは?意外に知らない基本情報を見てみよう!
 琉歌(りゅうか)とは、沖縄の伝統的な歌謡で、その土地の方言で歌われる詩歌です。基本的には「八八八六」の4句、計30音から成り、前半の「八八」と後半の「八六」に分けて歌うのが特徴です。この他にも、「七五八六」・「五五八六」・「五七八六」・「七七八六」の「中風」、「八八八六」の連続で末句が「六」になる「長歌」、「八八…」の連続を基調に長歌よりも長く、末句が「六」の「つらね」、「八八…」の連続で間にハヤシが入る「木遣り」、「七五」の連続で和歌に似た「口説」といったいくつかの形式があります。
 琉歌を広めた人って?気になる「恩納なべ」について
 沖縄各地で自然発生的に生まれた琉歌は、その創始者を特定することは難しく、民謡形式の一つだといわれています。
 琉歌の作者は、王、首里の貴族や士族から農民に至るまで、性別や階層を問わず老若男女幅広く、中でも自由奔放に、かつ大胆に、数多くの琉歌を残した「恩納なべ」(読み方:おんななべ、琉球語:うんななびー)は琉歌を万人に広めた功績者としても有名です。
18世紀、琉球王国の時代に恩納村で生まれ育った農民の娘、恩納なべは、故郷、恩納村に歌碑も建立されるほどの実力の持ち主でした。恩納なべは、農民ならではの心情や情熱的な恋愛を包み隠さず力強く詠う作風で、知られています。
 いつからあったの?琉歌の歴史をたどってみた!
 琉歌の特徴である8音と6音は、奈良時代以前の音の特徴とよく似ています。その起源は古くから沖縄諸島に伝わる叙事的な古謡の「オモロ」、「ウムイ」、「クェーナ」などに由来し、心情を的確に表現する手段として人々は生活の中で日常的に琉歌を歌っていました。
 琉歌は大和歌(和歌)の影響と、中国から14世紀末に伝えられたとされる三線(サンシン)の伴奏によって盛んになり、15世紀から16世紀頃にかけて成立したと推測されます。17世紀に入ると、叙情短詩型の歌謡が主流となり、組踊りをはじめとする琉球文化が成熟しました。
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 ウィキペディア
 琉歌(りゅうか)は、奄美群島沖縄諸島宮古諸島八重山諸島に伝承される叙情短詩形の歌謡である。和歌と同様にウタとも言われる。詠むための歌であると同時に謳うための歌でもある。奄美群島においては主に島唄と呼称される。
 定義
 那覇港埠頭にある琉歌の歌碑。
 琉歌は八音を中心に、五音・六音・七音を標準とする定型詩である。基本的には「サンパチロク」といわれ、八・八・八・六を基本形とする。
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 日本大百科全書(ニッポニカ) 「琉歌」の意味・わかりやすい解説
 琉歌 りゅうか
 沖縄本島を中心にして生まれた叙情歌。八・八・八・六音の三十音からなる定型の短歌が一般であるが、仲風(なかふう)とよばれる和歌風の音数(五・七)の混じったものや、八音を連ねて最後を六音で結ぶ長歌形式のものもある。音楽と舞踊と深く結び付いて発達し、現代に受け継がれている。
  琉歌の成立は15、6世紀ごろにさかのぼれる。その母胎はオモロ、ウムイ、クェーナなどという沖縄諸島に伝えられた叙事的な古謡に求められる。オモロは、本来不定型で複雑な歌形をもち、主題も祭式にかかわるものが多いが、後期になると、人や労働にかかわる主題をもつもののなかから琉歌とまったく同様の音数のものが現れ、琉歌への改作も行われるようになる。ちょうどこのころ入ってきた三線(さんしん)楽器は、それまで手拍子や鼓(つづみ)にあわせて謡われてきた古謡の悠長で長い歌形を、短く緊張させて律動的に定型化させる主因となったと思われる。なお、八・八・八・六音の成立について、本土の近世小唄(こうた)の影響を考える説もある。琉歌の主題は、恋歌、四季歌、祝歌、教訓歌、羇旅(きりょ)歌のほか、固有の民俗、信仰、生活などを背景にしたものもあり、多彩である。しかし圧倒的に多いのが恋愛歌で、秀作も多く、琉歌が個人の叙情を歌い上げるのにふさわしい歌形であることを思わせる。「七(ナナ)よみとはたいんかせかけておきゆて 里(サトウ)があかいづ羽御衣(バニンス)よすらね」(ごく上等のかせ糸をかけておいて、あのかたのために蜻蛉(とんぼ)の羽のように美しい着物を作ってあげたい)。
 琉歌の作者は、王、首里(しゅり)の貴族・士族階級の人々から農村の女性や遊女に至るまで、階層・性別を問わず幅広く、現在も沖縄の人々にその音数律が親しまれている。恩納(おんな)岳の麓(ふもと)に生活した恩納なべ、那覇の遊廓(ゆうかく)に生きたよしや思鶴(うみつる)は、際だって個性的な歌を残して有名であるが、ほかに教養ある男性歌人の数人を別にすれば、優れた作品のほとんどは「読み人知らず」の歌である。とくに女性の心を通じて結晶したものに秀作が多いところに、琉歌のもう一つの側面がうかがわれる。『琉歌百控(ひゃっこう)』は1795~1802年に編纂(へんさん)された古琉歌集で、613首が収められている。音楽中心の「歌う歌」として編集された代表的なものである。後になると「読む歌」としての体裁をとった琉歌集も編まれるようになる。『古今琉歌集』(1895)はその代表的なもので、節(曲)による分類を避け、『古今和歌集』に倣って主題による区分けをしたものである。また、3000首を収録した『標音評釈琉歌全集』(1968)は、読み方が表記されて学問的価値も高く、歌数の点でも琉歌の集大成といえるものである。
 [外間守善
 『外間守善編『鑑賞日本古典文学25 南島文学』(1976・角川書店)』▽『外間守善・比嘉実・仲程昌徳編『南島歌謡大成Ⅱ 沖縄篇下』(1980・角川書店)』
 [参照項目] | 沖縄文学 | オモロ
 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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 百科事典マイペディア
 琉歌【りゅうか】
 沖縄の抒情短歌で,和歌に対していう。八・八・八・六の基本形式を持ち,必ず三線や箏の伴奏を伴って謡われた。農家の娘である恩納なべや遊女よしやなどが代表的歌人として知られているが,《古今和歌集》などのヤマトの和歌を直接移した内容のものもある。古い時代の代表的歌集には《琉歌百控(ひゃっこう)》(1795年)があり約600首を,また島袋盛敏編《琉歌大観》(1964年)は約3000首を収めている。
→関連項目琉球文化
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