🎶04:─2・B─台湾。大規模抗日武装蜂起「タパニー事件」(西来庵事件)。大正4(1915)年。~No.7 

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 2023年11月23日 YAHOO!JAPANニュース 中央社フォーカス台湾「日本時代最大規模の抗日蜂起をVRで「再現」 台湾・台南で特別展
 大規模抗日蜂起「タパニー事件」(西来庵事件)に関する特別展が行われる司法博物館第三法廷(国立台湾歴史博物館提供)
 (台南中央社)日本統治時代の1915(大正4)年、現在の南部・台南市玉井区で起きた大規模抗日武装蜂起「タパニー事件」(西来庵事件)に関する特別展が22日、同市中西区の司法博物館第三法廷で始まった。事件の経緯やその後の裁判の様子などをVR(仮想現実)などで表現し、認識を深められる。
 タパニー事件は、漢人系による日本統治時代の抗日蜂起としては最大規模にして最後のものとされる。事件後には特別展の会場となっている第三法廷で関係者の裁判が行われた。
 主催する国立台湾歴史博物館(台史博)は、裁判の過程を中心に、さまざまな視点から関連する人々の物語をつなげたと説明。VRでは事件の様子だけでなく、当時の人々の苦しい生活や外来政権に対する不信と抗争の理由と背景を追ったとしている。
 台史博の荘佩樺副館長は、実在した各社会階層の人々をモデルに、当時の政府の人民に対する司法裁判の不公平さを多角的に表現したと語った。来年4月30日まで。
 (張栄祥/編集:齊藤啓介)
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 ウィキペディア
 西来庵事件(せいらいあんじけん)は、1915年(大正4年)に日本領台湾の台南庁噍吧哖(タパニー、現・玉井)で発生した武装蜂起。地名から「タパニー事件」とも、首謀者が余清芳であったことから「余清芳事件」ともいう。本島人による最後の抗日武装蜂起であった。
 概要
 首謀者の余清芳は、かつて台湾総督府警察の警察官であった。その後警察を退職し、職を転々と変えた後、最終的に西来庵に出入りするようになった。そして布教活動の傍ら、西来庵をアジトに抗日武装蜂起を計画するようになった。
 1915年、基隆で同志が逮捕されたことから計画が発覚、余清芳一党は逸早く山間部に逃げ込み、ゲリラ戦を展開した。余清芳は「大明慈悲国奉旨平台征伐天下大元帥余」を自称し、西来庵の祭神である「五福王爺」の神勅を利用するなど宗教色の強いものであった。最終的に日本人95人が殺された。
 事件に関連し逮捕検挙された者の総数は1957人を数え、死刑判決を受けた者は866人となった。しかし、死刑囚866人はさすがに多すぎるため、被害者と同数の95人のみを執行し、その他は大正天皇の即位記念恩赦ということで減刑した。
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