🎻16:─5・B─戦後日本は半分主権国家。日本とアメリカとの本当の関係。〜No.61  

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 2023年11月26日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「日本人が「知ってはいけない」、日本とアメリカの「本当の関係」…日本の戦後史最大の「謎と闇」
 日本には、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めている。
 【写真】なぜアメリカ軍は「日本人」だけ軽視するのか…その「衝撃的な理由」
 そうした「ウラの掟」のほとんどは、アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、じつは米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。
 『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』では、最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」を参照しながら、日米合同委員会の実態に迫り、日本の権力構造を徹底解明する。
 *本記事は矢部 宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)から抜粋・再編集したものです。
 日米両国の「本当の関係」とは?
 安保関連法を強引に可決させた安倍首相は、おそらく日本が集団的自衛権を行使できるようになれば、アメリカと「どんな攻撃に対しても、たがいに血を流して守りあう」対等な関係になれるという幻想を抱いているのでしょう。
 しかし、それは誤解なのです。アジアの国との二国間条約である日米安保条約が、集団的自衛権にもとづく対等な相互防衛条約となることは、今後も絶対にありえないのです。
 事実、指揮権密約をみてもわかるとおり、現在の日米の軍事的な関係では、日本側が軍事力を増強したり、憲法解釈を変えて海外へ派兵できるようになればなるほど、米軍司令官のもとで従属的に使われてしまうことは確実です。
 つまり集団的自衛権というのは、現在の日米安保条約とは基本的に関係のない概念なのです。ところが、それにもかかわらず、なぜかアメリカの軍部からの強い働きかけによって、2015年9月、その行使のための国内法が強行採決されてしまいました。
 それではこの日米両国の「本当の関係」とは、いったい何なのでしょう。このあまりに不平等な関係が、どういう国際法のロジックによって正当化されているのでしょう。
 その疑問を晴らすために、先ほど見た1950年10月の旧安保条約・米軍原案から、さらにもうひとつ前の段階の「条文」にさかのぼって調べてみることにしました。
 すると驚いたことに、そこですべての謎が解けてしまうことになったのです。
 「日本全土を米軍の潜在的基地にする」
 下が米軍原案の4ヵ月前(1950年6月)に書かれた、その問題の「条文」です。まず読んでみてください。
○ 日本全土が、米軍の防衛作戦のための潜在的基地とみなされなければならない。
○ 米軍司令官は、日本全土で軍の配備を行うための無制限の自由をもつ。
○ 日本人の国民感情に悪影響を与えないよう、米軍の配備における重大な変更は、米軍司令官と日本の首相との協議なしには行わないという条項を設ける。しかし、戦争の危険がある場合はその例外とする。
 「なんだこれは。さっきの米軍原案と、ほとんど一緒じゃないか」
 と思われたかもしれません。
 そのとおりです。
 しかしこの「条文」の重要性は、その内容ではないのです。
 問題はこれを書いた人物が、そのわずか4年前に憲法9条をつくり、その後も、
 「日本の本土には絶対、米軍基地は置かない」
 と言い続けていたマッカーサーだったということです。
 そのマッカーサーが、なんと、
 「日本全土を米軍の潜在的基地にする」
 というような、おかしくなってしまったかのような「条文」を、突如として書いていた。しかも彼がこの「条文」を書いたのは、1950年6月23日。朝鮮戦争が起こるわずか2日前だったというのです。
 このあまりに不可解な「6・23メモ」と呼ばれる報告書の背景を調べることで、結果として日本の「戦後史の謎」における最後のピースが見つかり、私が2010年以降続けてきた「大きな謎を解く旅」も、ようやく終わりを告げることになったのです(「6・23メモ」第2項参照。https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1950v06/pg_1227)
 マッカーサーの迷い
 どんな国にも、その国の未来を決めた重大な瞬間というものがあります。
 「戦後日本」の場合、それは間違いなく、朝鮮戦争が起こった1950年6月だったといえるでしょう。開戦日(6月25日)を挟んだほんの数日のあいだに、日本のあるべき未来の姿は、大きく転換することになったのです。
 ここで当時の状況を少しだけ振り返っておきましょう。
 第二次大戦での敗戦から、日本の占領はすでに五年近く続いており、占領軍を指揮するマッカーサーアメリ国務省は、できるだけ早く占領を終わらせたいと考えていました。そのままズルズル占領を続けてしまうと、アメリカ自身が定めた「領土不拡大」の原則に違反していると批判されるおそれがあったからです。
 一方、アメリカの軍部は、日本の占領終結には絶対反対の立場をとっていました。
 というのも、その前年の1949年10月に誕生した共産主義の中国(中華人民共和国)が、この年の2月に同じ共産主義国であるソ連と手を結び、日本とそこに駐留するアメリカを仮想敵国と位置づけた軍事同盟(「中ソ友好同盟相互援助条約」)を成立させていたからです。
 憲法9条で日本に戦力放棄をさせていたマッカーサーも、さすがに以前のように、
 「沖縄に強力な空軍をおいておけば、アジア沿岸の敵軍は確実に破壊できる」
 「だから日本の本土に軍事力は必要ない」〔=憲法9条2項は間違っていない〕
 などと言える状況ではなくなっていました。そして「平和条約を結んだあとも、米軍は日本への駐留を続ける」という軍部の提案にも理解を示し始めていたのですが、その大きな方針転換をどのようなロジックで行えばいいか、考えあぐねていたのです。
 朝鮮戦争を逆手にとったダレス
 そんな状況のなかで、突如、朝鮮戦争が起こってしまった。
 ふつうに考えたら、日本を独立させることなど、もう絶対に不可能なわけです。そんなことを軍部が許すはずがありません。
 ところがそのとき、持ち前の豪腕で事態を急転させたのが、日米安保体制の産みの親となるジョン・フォスター・ダレスでした。
 わずか2ヵ月前に国務省の顧問に就任したばかりで、朝鮮戦争の開戦時にちょうど日本を訪問中だったダレスは、この朝鮮戦争を逆手にとって軍部に日本の独立を認めさせるという荒業を、みごとに成功させるのです。
 そのとき軍部の説得のための有力な材料として使われたのが、先ほど紹介したマッカーサーの「6・23メモ」でした。
 「中国とソ連が加担したこの大戦争に勝利するには、隣国である日本の戦争協力がどうしても必要です。日本の独立に賛成してもらえれば、必ずそのひきかえとして、日本に全面的な戦争協力を約束させます。このメモを見てください。以前は日本の独立後の米軍駐留に反対されていたマッカーサー元帥も、現在は日本全土を基地として使い続けるという構想を持っておられます」
 というのが、ダレスのロジックだったのです。
 このダレスの粘り強い説得工作が成功した結果、軍部もようやく納得し、朝鮮戦争の開戦から2ヵ月半後の1950年9月8日には、
アメリカは日本中のどこにでも、必要な期間、必要なだけの軍隊をおく権利を獲得する。
○ 軍事上の問題については平和条約から切り離した別の二ヵ国協定〔のちの旧安保条約〕をつくり、その原案は国務省国防省が共同で作成する〔つまり、軍部が中心となって作成する〕。
 といった基本方針を条件に、対日平和条約の交渉の開始が、トルーマン大統領によって承認されることになったのです。
 「6・23メモ」の謎
 突如起こった朝鮮戦争という大きなマイナスを、逆に暗礁にのりあげていた対日平和条約を動かすためのプラスの力として利用する──。人間としての好き嫌いは別にして、ダレスというのは本当に仕事のできるスゴ腕の男だったと思います。
 しかし、そこにはどう考えても腑に落ちない点があるのです。というのはマッカーサーもダレスも朝鮮半島で戦争が起こるとは、6月25日の当日までまったく考えていませんでした。ダレスなどは開戦の一週間前に韓国にわたり、38度線も視察したあと、日本に戻った6月21日に、
 「現在、朝鮮半島には、差しせまった危険はありません」
 と報告していたくらいだったのです。
 そうした状況のなかで、どうしてマッカーサーが開戦わずか2日前の6月23日に、その後、軍部への説得材料になるような、「日本全土を米軍の潜在的基地にする」という、従来の方針を180度転換した報告書(メモ)を書くことができたのでしょうか。
 そのタイミングと内容が、あまりにも不自然なのです。
 そう疑問に思ってもう一度、ネット上でアメリ国務省が公開している「6・23メモ」の原文をみてみると、そこには脚注として次のように書かれていました。
 「このメモは、本資料集に収録されていない6月29日のアリソン氏〔当時、国務省の北東アジア局長で、ダレスの東京訪問の同行者〕のメモに、4番目の添付資料としてファイルされていたものです」
 つまり、この資料集(『アメリカ外交文書(FRUS)』)を編纂しているアメリ国務省歴史課のスタッフは、
 「このメモがその日付どおり6月23日に書かれたものだと証言しているのは、ダレス氏とその部下のアリソン氏だけです」
 という事実をわざわざ教えてくれているのです。
 ですから、この問題について歴史的に確定した事実をまとめると次の4点になります。
(1) このマッカーサーのメモが6月23日に書かれたと証言しているのは、ダレスとその部下のアリソンだけである。
(2)マッカーサーはこの「6・23メモ」に書かれた内容について、前日の6月22日だけでなく、実は朝鮮戦争の起きた翌日の26日にもダレスと会談をしていた(後出のダレスの「6・30メモ」についての「解説」(→244ページ)と、リチャード・B・フィン著『マッカーサー吉田茂同文書院インターナショナル参照)。
(3) 「6・23メモ」の内容は「日本全土を潜在的米軍基地にする」など、それまでのマッカーサーの方針を極端なかたちで180度転換するものだった。
(4)ダレスは6月25日の朝鮮戦争の開戦後、軍部を説得する有力な材料としてこの「6・23メモ」を使い続けた。
 これらの事実を総合すると、常識的に考えてこの「6・23メモ」が、朝鮮戦争の開戦前の会談(23日)ではなく、開戦後の会談(26日)をもとに、マッカーサーとダレスの共同作業によって作られたものであることは確実です。
 つまり、ダレスが朝鮮戦争の勃発を受けて、新たな「対日方針」を急遽作成した。けれどもプライドの高いマッカーサーの体面を保つために、メモの日付をごまかして、その180度の大方針転換が、すでに朝鮮戦争の開戦前に行われていたことにしてやったということです。
 ここでどうして私が、これほどひとつの報告書の日付にこだわったかというと、この「6・23メモ」という報告書が、文字どおり日本の命運を決したもうひとつの非常に重要な報告書と、セットで書かれたものであることがわかっているからです。
 その報告書の名を「6・30メモ」といいます。こちらはマッカーサーではなくダレス自身の名で、彼が日本訪問から帰国したあと、「6・23メモ」の内容について解説したものです。そしてそこには日本の「戦後史の謎」を解くための、最後のカギが隠されていたのです。
 解説 「6・30メモ」
 ダレスはこの報告書(1950年6月30日にアチソン国務長官など8人へ送付)のなかで、6月下旬に行われたマッカーサーとの2度の会談〔6月22日と26日〕を振り返るかたちで、次のように述べています。(以下、概要)
 〈6月22日の朝、私はマッカーサー元帥と会談し、次のことを述べた。
 日本と平和条約を結んだあと、米軍がどのようにして日本に駐留を続けるかという問題については、それが単にアメリカの利害にもとづくものではなく、「国際社会全体の平和と安全」という枠組みのなかで行われることが望ましい。だから米軍基地の提供も、国連憲章43条のなかの「軍事上の便益の提供」というコンセプトにもとづいて行われた方がいい。そういって、私は次のメモをマッカーサー元帥に渡した。
 「本来の国際法の流れでは、
1.日本が平和条約を結ぶ。
2.日本が国連に参加する。
3.そしてそのとき国連が完全に機能していれば、国連憲章43条がさだめるとおり、日本は国連安保理と「特別協定」を結んで、軍事上の「便益」を安保理に提供することが可能になります。
4.ところが現在、43条でさだめられた「特別協定」は実現しておりません。その場合、わが国をふくむ安保理常任理事国・五ヵ国には、国連憲章106条によって、「特別協定が効力を生じる〔=国連軍ができる〕までのあいだ」に限り、「国際平和と安全のために必要な行動」を「国連に代わってとる」ことが認められております。
 そこで提案なのですが、日本は自国の国連加盟が実現し、加えて国連憲章43条の効力が発生する〔=国連軍ができる〕までのあいだ、ポツダム宣言署名国〔=連合国〕を代表するアメリカとのあいだに、「特別協定」に相当する協定〔=旧安保条約〕を結び、アメリカに軍事基地を提供する。国連軍構想が実際に動きだせば、それらの基地は国連軍の基地となる。
 そういう考え方でいかがでしょうか」
 マッカーサー元帥はそのときと次の会談〔6月26日〕のとき、その考えに全面的に賛同され、「これなら日本人も受け入れやすいだろう」と述べられた〉
 (原文:https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1950v06/pg_1229)
 大きな謎を解く旅」の終わり
 写真:現代ビジネス
 このダレスの「6・30メモ」を「発見」したことで、私の7年間におよぶ「大きな謎を解く旅」も、ようやく終わりを告げることになりました。
 米軍が自分で条文を書いた「旧安保条約・米軍原案」(1950年10月27日案)のさらに奥に、ダレスが全体のコンセプトを示した「6・30メモ」(同年6月30日案)があったということです。それをチャートにすると、次のとおりです。
(1) 朝鮮戦争の開戦直後に、ダレスが軍部を説得するためにつくった「6・30メモ」
  (1950年6月30日)
 ⇩
(2)朝鮮戦争のさなかに、軍部自身がつくった「旧安保条約・米軍原案」
  (1950年10月27日)
 ⇩
(3) 戦後、日米間で結ばれたオモテ側の条約や協定 + 密約
  (1951年~現在)
 これで終わりです。
 「突然の朝鮮戦争によって生まれた「占領下での米軍への戦争協力体制」が、ダレスの法的トリックによって、その後、60年以上も固定し続けてしまった」
 ということです。
 だから現在、私たちが生きているのは、実は「戦後レジーム」ではなく「朝鮮戦争ジーム」なのです。朝鮮戦争はいまも平和条約が結ばれておらず、正式に終わったわけではない(休戦中)ので、当時の法的な関係は現在もすべてそのまま続いているからです。
 そして最後に、もっとも重要なことは、これから私たちがその「朝鮮戦争ジーム」を支える法的構造に、はっきり「NO」と言わない限り、ダレスの「6・30メモ」や「旧安保条約・米軍原案」に書かれていたその内容が、今後も少しずつ国内法として整備され、ついには完成されてしまうということです。
 日本の戦後史に、これ以上の謎も闇も、もうありません。
 さらに連載記事<なぜアメリカ軍は「日本人」だけ軽視するのか…その「衝撃的な理由」>では、コウモリや遺跡よりも日本人を軽視する在日米軍の実態について、詳しく解説します。
 矢部 宏治
   ・   ・   ・   
 7月29日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「なぜアメリカ軍は「日本人」だけ軽視するのか…その「衝撃的な理由」
 『知ってはいけない』
 矢部 宏治
 日本には、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めている。そうした「ウラの掟」のほとんどは、アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、じつは米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」を参照しながら、日米合同委員会の実態に迫り、日本の権力構造を徹底解明する。
 *本記事は矢部 宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)から抜粋・再編集したものです。
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 はじめに
 それほどしょっちゅうではないのですが、私がテレビやラジオに出演して話をすると、すぐにネット上で、
 「また陰謀論か」
 「妄想もいいかげんにしろ」
 「どうしてそんな偏った物の見方しかできないんだ」
 などと批判されることが、よくあります。
 あまりいい気持ちはしませんが、だからといって腹は立ちません。
 自分が調べて本に書いている内容について、いちばん「本当か?」と驚いているのは、じつは私自身だからです。
 「これが自分の妄想なら、どんなに幸せだろう」
 いつもそう思っているのです。
 事実か、それとも「特大の妄想」か
 けれども本書をお読みになればわかるとおり、残念ながらそれらはすべて、複数の公文書によって裏付けられた、疑いようのない事実ばかりなのです。
 ひとつ、簡単な例をあげましょう。
 以前、田原総一朗さんのラジオ番組(文化放送田原総一朗 オフレコ!」)に出演し、米軍基地問題について話したとき、こんなことがありました。ラジオを聞いていたリスナーのひとりから、放送終了後すぐ、大手ネット書店の「読者投稿欄」に次のような書き込みがされたのです。
 ★☆☆☆☆〔星1つ〕 UFO博士か?
 なんだか、UFOを見たとか言って騒いでいる妄想ですね。先ほど、ご本人が出演したラジオ番組を聞きましたが(略)なぜ、米軍に〔日本から〕出て行って欲しいというのかも全く理解できないし、〔米軍〕基地を勝手にどこでも作れるという特大の妄想が正しいのなら、(略)東京のど真ん中に米軍基地がないのが不思議〔なのでは〕?
 もし私の本を読まずにラジオだけを聞いていたら、こう思われるのは、まったく当然の話だと思います。私自身、たった七年前にはこのリスナーとほとんど同じようなことを考えていたので、こうして文句をいいたくなる人の気持ちはとてもよくわかるのです。
 けれども、私がこれまでに書いた本を一冊でも読んだことのある人なら、東京のまさしく「ど真ん中」である六本木と南麻布に、それぞれ非常に重要な米軍基地(「六本木ヘリポート」と「ニューサンノー米軍センター」)があることをみなさんよくご存じだと思います。
 そしてこのあと詳しく見ていくように、日本の首都・東京が、じつは沖縄と並ぶほど米軍支配の激しい、世界でも例のない場所だということも。
 さらにもうひとつ、アメリカが米軍基地を日本じゅう「どこにでも作れる」というのも、残念ながら私の脳が生みだした「特大の妄想」などではありません。
 なぜなら、外務省がつくった高級官僚向けの極秘マニュアル(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年12月)のなかに、
アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる。
○ 日本は合理的な理由なしにその要求を拒否することはできず、現実に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。
 という見解が、明確に書かれているからです。
 つまり、日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の独自の政策判断で、アメリカ側の基地提供要求に「NO」ということはできない。
 そう日本の外務省がはっきりと認めているのです。
 北方領土問題が解決できない理由
 さらにこの話にはもっとひどい続きがあって、この極秘マニュアルによれば、そうした法的権利をアメリカが持っている以上、たとえば日本とロシア(当時ソ連)との外交交渉には、次のような大原則が存在するというのです。
○ だから北方領土の交渉をするときも、返還された島に米軍基地を置かないというような約束をしてはならない。*註1
 こんな条件をロシアが呑むはずないことは、小学生でもわかるでしょう。
 そしてこの極秘マニュアルにこうした具体的な記述があるということは、ほぼ間違いなく日米のあいだに、この問題について文書で合意した非公開議事録(事実上の密約)があることを意味しています。
 したがって、現在の日米間の軍事的関係が根本的に変化しない限り、ロシアとの領土問題が解決する可能性は、じつはゼロ。ロシアとの平和条約が結ばれる可能性もまた、ゼロなのです。
 たとえ日本の首相が何か大きな決断をし、担当部局が頑張って素晴らしい条約案をつくったとしても、最終的にはこの日米合意を根拠として、その案が外務省主流派の手で握り潰されてしまうことは確実です。
 2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」は、大きな注目を集めました。なにしろ、長年の懸案である北方領土問題が、ついに解決に向けて大きく動き出すのではないかと報道されたのですから、人々が期待を抱いたのも当然でしょう。
 ところが、日本での首脳会談(同年12月15日・16日)が近づくにつれ、事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられませんでした。
 その理由は、まさに先の大原則にあったのです。
 官邸のなかには一時、この北方領土と米軍基地の問題について、アメリカ側と改めて交渉する道を検討した人たちもいたようですが、やはり実現せず、結局11月上旬、モスクワを訪れた元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長から、
 「返還された島に米軍基地を置かないという約束はできない」
 という基本方針が、ロシア側に伝えられることになったのです。
 その報告を聞いたプーチン大統領は、11月19日、ペルー・リマでの日ロ首脳会談の席上で、安倍首相に対し、
 「君の側近が『島に米軍基地が置かれる可能性はある』と言ったそうだが、それでは交渉は終わる」
 と述べたことがわかっています(「朝日新聞」2016年12月26日)。
 ほとんどの日本人は知らなかったわけですが、この時点ですでに、1ヵ月後の日本での領土返還交渉がゼロ回答に終わることは、完全に確定していたのです。
 もしもこのとき、安倍首相が従来の日米合意に逆らって、
 「いや、それは違う。私は今回の日ロ首脳会談で、返還された島には米軍基地を置かないと約束するつもりだ」
 などと返答していたら、彼は、2010年に普天間基地沖縄県外移設を唱えて失脚した鳩山由紀夫首相(当時)と同じく、すぐに政権の座を追われることになったでしょう。
 「戦後日本」に存在する「ウラの掟」
 私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていないそうした「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっています。
 そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。
 私が本書を執筆したのは、そうした「ウラの掟」の全体像を、
 「高校生にもわかるように、また外国の人にもわかるように、短く簡単に書いてほしい」
 という依頼を出版社から受けたからでした。
 また、『知ってはいけない』というタイトルをつけたのは、おそらくほとんどの読者にとって、そうした事実を知らないほうが、あと10年ほどは心穏やかに暮らしていけるはずだと思ったからです。
 なので大変失礼ですが、もうかなりご高齢で、しかもご自分の人生と日本の現状にほぼ満足しているという方は、この本を読まないほうがいいかもしれません。
 けれども若い学生のみなさんや、現役世代の社会人の方々は、そうはいきません。みなさんが生きている間に、日本は必ず大きな社会変動を経験することになるからです。
 私がこれからこの本で明らかにするような9つのウラの掟(全9章)と、その歪みがもたらす日本の「法治国家崩壊状態」は、いま沖縄から本土へ、そして行政の末端から政権の中枢へと、猛烈な勢いで広がり始めています。
 今後、その被害にあう人の数が次第に増え、国民の間に大きな不満が蓄積された結果、「戦後日本」というこれまで長くつづいた国のかたちを、否応なく変えざるをえない日が必ずやってきます。
 そのとき、自分と家族を守るため、また混乱のなか、それでも価値ある人生を生きるため、さらには無用な争いを避け、多くの人と協力して新しくフェアな社会をいちからつくっていくために、ぜひこの本を読んでみてください。
 そしてこれまで明らかにされてこなかった「日米間の隠された法的関係」についての、全体像に触れていただければと思います。
 「リアル陰謀論
 本というのは不思議なもので、書き手としては、自分が大切だと思ったことをいろいろと並べて書いているわけですが、読者の方の興味というのは、かなり特定の問題にピンポイントで集中することが多い。
 そうした読者からの反応を聞いてはじめて、
 「ああ、自分が書いた本の核心はここにあったのか」
 と気づかされることが多いのです。
 私がこれまでに書いた本でいうと、第一章でお話しした「横田空域」と、本章で扱う「日米合同委員会」の問題が、圧倒的にみなさんの関心をひくようです。
 しかし、よく考えてみるとそれも当然の話で、もしも私が数年前に誰かから、
 「日本の超エリート官僚というのはね、実は月に二度ほど、都内にある米軍基地などで在日米軍のトップたちと秘密の会議をしているんだ。それで、そこで決まったことは国会に報告する義務も、外部に公表する義務もなく、事実上ノーチェックで実行することができる。つまりその秘密会議は、日本の国会よりも憲法よりも、上位の存在というわけさ」
 などといわれたら、確実に、
 「コイツはおかしいから、つきあうのはやめよう」
 と思ったはずです。
 「これが陰謀論者というやつか」
 とも思ったことでしょう。
 けれどもそういう「リアル陰謀論」とでもいうべき世界が本当に実在することが、いまでは広く認知されるようになりました。
 それが日米合同委員会です。
 米軍の「リモコン装置」
 日米合同委員会というのは、その研究の第一人者であるジャーナリストの吉田敏浩氏の表現を借りれば、
 「米軍が「戦後日本」において、占領期の特権をそのまま持ち続けるためのリモコン装置」
 ということになります。
 占領時代、米軍の権力はまさにオールマイティ。日本の国内法など、何も関係なく行動することができました。どこでも基地にして、いつでも軍事演習をして、たとえ日本人を殺したりケガをさせても罪に問われない。
 そうした圧倒的な特権を、日本が独立したあとも、「見かけ」だけを改善するかたちで以前と変わらず持ち続けたい──そうしたアメリカの軍部の要望を実現するために、「戦後日本」に残されたリモコン装置が日米合同委員会だというわけです。
 この組織のトップに位置する本会議には、日本側6人、アメリカ側7人が出席します。月にだいたい2回、隔週木曜日の午前11時から、日本側代表が議長のときは外務省の施設内で、アメリカ側代表が議長のときは米軍基地内の会議室で開かれています。
 おそらく横田基地からなのでしょう。木曜日の午前11時前に、軍用ヘリで六本木にある米軍基地(「六本木ヘリポート」)に降り立ち、そこから会議室がある南麻布の米軍施設(「ニューサンノー米軍センター」)に続々と到着する米軍関係者の姿を、2016年12月6日に放映された「報道ステーション」が捉えていました。
 日米合同委員会に激怒していた駐日首席公使
 この日米合同委員会でもっともおかしなことは、本会議と30以上の分科会の、日本側メンバーがすべて各省のエリート官僚であるのに対し、アメリカ側メンバーは、たった一人をのぞいて全員が軍人だということです。
 アメリカ側で、たった一人だけ軍人でない人物というのは、アメリカ大使館の公使、つまり外交官なのですが、おもしろいことにその公使が、日米合同委員会という組織について、激しく批判している例が過去に何度もあるのです。
 有名なのは、沖縄返還交渉を担当したスナイダーという駐日首席公使ですが、彼は、米軍の軍人たちが日本の官僚と直接協議して指示を与えるという、日米合同委員会のありかたは、
 「きわめて異常なものです」
 と上司の駐日大使に報告しています。
 それは当たり前で、どんな国でも、相手国の政府と最初に話し合うのは大使や公使といった外交官に決まっている。そして、そこで決定した内容を軍人に伝える。それが「シヴィリアン・コントロール文民統制)」と呼ばれる民主国家の原則です。
 ですから、スナイダーが次のように激怒しているのは当然なのです。
 「本来なら、ほかのすべての国のように、米軍に関する問題は、まず駐留国〔=日本〕の官僚と、アメリカ大使館の外交官によって処理されなければなりません」
「ところが日本における日米合同委員会がそうなっていないのは、ようするに日本では、アメリカ大使館がまだ存在しない占領中にできあがった、米軍と日本の官僚とのあいだの異常な直接的関係が、いまだに続いているということなのです」(「アメリカ外交文書(Foreign Relations of the United States)」(以下、FRUS)1972年4月6日)
 日本という「半分主権国家
 このように当のアメリカの外交官にさえ、「占領中にできあがった異常な関係」といわれてしまう、この米軍と日本のエリート官僚の協議機関、日米合同委員会とは、いったいなぜ生まれたのでしょう。
 詳しくは本書の後半でお話ししますが、歴史をさかのぼれば、もともと占領が終わる2年前、1950年初頭の段階で、アメリカの軍部は日本を独立させることに絶対反対の立場をとっていました。すでにソ連や中国とのあいだで冷戦が始まりつつあったからです。
 しかし、それでもアメリカ政府がどうしても日本を独立させるというなら、それは、
在日米軍の法的地位は変えない半分平和条約を結ぶ」(陸軍次官ヴォーヒーズ)
 あるいは、
 「政治と経済については、日本とのあいだに「正常化協定」を結ぶが、軍事面では占領体制をそのまま継続する」(軍部を説得するためのバターワース極東担当国務次官補の案)
 というかたちでなければならない、と考えていたのです(「アメリカ外交文書(FRUS)」1950年1月18日)。
 この上のふたつの米軍の基本方針を、もう一度じっくりと読んでみてください。
 私は7年前から、沖縄と本土でいくつもの米軍基地の取材をしてきましたが、調べれば調べるほど、いまの日本の現実をあらわす言葉として、これほど的確な表現はないと思います。
 つまり「戦後日本」という国は、
 「在日米軍の法的地位は変えず」
 「軍事面での占領体制がそのまま継続した」
 「半分主権国家
 として国際社会に復帰したということです。
 その「本当の姿」を日本国民に隠しながら、しかもその体制を長く続けていくための政治的装置が、1952年に発足した日米合同委員会なのです。
 ですからそこで合意された内容は、国会の承認も必要としないし、公開する必要もない。ときには憲法の規定を超えることもある。その点について日米間の合意が存在することは、すでにアメリカ側の公文書(→72ページ「安保法体系の構造」の日米合同委員会の項を参照)によって明らかにされているのです。
 「対米従属」の根幹
 こうして日米合同委員会の研究が進んだことで、「日本の対米従属」という戦後最大の問題についても、そのメカニズムが、かなり解明されることになりました。
 もちろん「軍事」の世界だけでなく、「政治」の世界にも「経済」の世界にも、アメリカ優位の状況は存在します。
 しかし「政治」と「経済」の世界における対米従属は、さきほどの軍部の方針を見てもわかるように、
 「あくまで法的関係は正常化されたうえでの上下関係」であって、
 「占領体制が法的に継続した軍事面での関係」
 とは、まったくレベルが違う話なのです。
 私たち日本人がこれから克服しなければならない最大の課題である「対米従属」の根幹には、軍事面での法的な従属関係がある。
 つまり、「アメリカへの従属」というよりも、それは「米軍への従属」であり、しかもその本質は精神的なものではなく、法的にガッチリと押さえこまれているものだということです。
 そこのところを、はっきりとおさえておく必要があるのです。
 私自身、いろいろ調べた末にこの日米合同委員会の存在にたどりついたとき、
 「ああ、これだったのか」
 と目からウロコが落ちるような気持ちがしました。それまで見えなかった日米関係の本質が、はっきり理解できるようになったからです。
 「これが法治国家か」
 本当に大切なことは、驚くほど簡単な言葉で表現できる。
 みなさんは、そういう経験をされたことはないでしょうか。
 私はすでにお話ししたとおり、2010年6月に起きた鳩山政権の崩壊をきっかけに、沖縄に渡って米軍基地問題を調べはじめました。
 そのわずか九ヵ月後には福島の原発事故が起こり、沖縄だけでなく、本土でも、
 「これが法治国家か」
 と思うような、信じられない光景をいくつも目にすることになりました。
 20万人もの罪のない人たちが家や畑を失い、避難先の仮設住宅で「これからどうすればいいのか」と悩みつづけている一方で、事故を起こした2011年の年末には、ボーナスをもらってヌクヌクと正月の準備をする東京電力の社員たち。
 不思議だ、不思議だと思いながら、なにをどうすればいいか、まったくわからない日々が続きました。
 そんなある日、耳を疑うような事実を知ったのです。
 それは米軍・普天間基地のある沖縄県宜野湾市の市長だった伊波洋一さん(現参議院議員)が、講演で語っていた次のような話でした。
 「米軍機は、米軍住宅の上では絶対に低空飛行をしない。それはアメリカの国内法がそうした危険な飛行を禁止していて、その規定が海外においても適用されているからだ」
いちばん驚いたこと
 「?????」
 一瞬、意味がよくわかりませんでした。
 私は沖縄で米軍基地の取材をしている最中、米軍機が市街地でギョッとするほどの低空飛行をする場面に何度も遭遇していたからです。軍用ヘリコプターが巻き起こす風で、民家の庭先の木が折れるほど揺れるのを見たこともありますし、マンションの六階に住んでいて、
 「操縦しているパイロットといつも目が合うのさー」
 と言っていた人にも会いました。
 実際、丘の上から普天間基地を見ていると、滑走路から飛び立った米軍機やヘリが、陸上、海上を問わず、島の上空をどこでもブンブン飛びまわっているところが見える。
 「それが、米軍住宅の上だけは飛ばないって、いったいどういうことなんだ?」
 しかも伊波氏の話によれば、そうした米軍の訓練による被害から守られているのは、人間だけではないというのです。アメリカでは、たとえばコウモリなどの野生生物や、砂漠のなかにある歴史上の遺跡まで、それらに悪影響があると判断されたときには、もう訓練はできない。計画そのものが中止になる。
 なぜなら、米軍が訓練をする前には、訓練計画をきちんと公表し、環境への影響評価を行うことが法律で義務づけられているため、アメリカ国内では、人間への悪影響に関して米軍の訓練が議論されることはもうないというのです。
 いや、いや、ちょっと待ってくれ。おかしくなりそうだ──。
 どうして自国のコウモリや遺跡にやってはいけないことを日本人にはやっていいのか。
 それは人種差別なのか?
 それとも、よその国なら、何をやってもいいということなのか?
 いや、そんなはずはない。
 なぜなら、たとえば沖縄本島北部の高江では、ノグチゲラという希少な鳥の繁殖期には、ヘリパッドの建設工事が数ヵ月にわたって中止されているからだ。
 「日本人」の人権にはまったく配慮しない米軍が、「日本の鳥」の生存権にはちゃんと配慮している。
 これはいったいどういうことなのか……。
 ただアメリカの法律を守っているだけ
 この問題は長いあいだ頭のなかをグルグルまわっているだけで、答えはなかなか見つかりませんでした。しかし、かなりあとになってから、アメリカ国内の米軍基地における飛行訓練の航跡図を見て、
 「ああ、そういうことか」
 と納得する瞬間があったのです。
 つまり、アメリカ国内の米軍基地というのは、たとえばカリフォルニア州ミラマー海兵隊基地などは、沖縄の普天間基地にくらべると約20倍の面積があって、基本的には基地の敷地の上空だけで低空飛行訓練ができるようになっている。しかも、もともと基地自体が山のなかにあるから、住宅地への影響はいっさいない。
 海上に出て長距離の飛行訓練をするときも、もちろん住宅地のうえは避けて、渓谷沿いのルートを海まで飛んでいく。離陸用の滑走路は、そのため渓谷の方向をむいている。
 つまり、われわれ日本人は、
 「米軍住宅の上だけは飛ばないなんて、あまりにもひどいじゃないか」
 と米兵たちに対して大きな怒りを感じるわけですが、それは違っていた。
 彼らはただ、アメリカの法律を守っているだけなのです。
 米軍住宅に住むアメリカ人たちも、環境に配慮した本国の法律によって、海外にいても人権が守られているだけなので、私たちから非難される理由は何もない。しかも、アメリカのそのすばらしい環境関連法は、自国の動植物や遺跡だけでなく、なんと日本の鳥(希少生物)まで対象としているというのだから、徹底している。
 問題は、ではなぜ日本人の人権だけは守られないのか、ということだ。
 結局、憲法が機能していないということだ
 そこまで考えてきて思い出したのが、第1章で触れた「航空法特例法」でした。
 「米軍機には、〔最低高度や飛行禁止区域を定めた〕航空法第6章の規定は適用しない」
 という法律です。
 日本には、国民の人権を守るための立派な憲法があり、危険な飛行を禁止する立派な航空法も存在する。しかしそのせっかくの条文が、米軍に関しては「適用除外」になっている。
 もちろん、どんな特例法があろうと、国民の人権が明らかに侵害されていたら、憲法が機能してそれをやめさせなければならないはずだ。ところが現実はそうなっていない。
 つまり在日米軍に関しては、
 「結局、憲法が機能していないということなんだ」。
 そう思った瞬間、それまでまさに混沌状態にあったいろいろな思いが、スッと整理されて、目の前が急に開けたような気がしたのです。
 「憲法さえきちんと機能すれば、沖縄の問題も福島の問題も、ほとんど解決することができるんじゃないのか」
 いま考えると、それは当たり前の話で、どうしてもっと早く気づかなかったんだろうと思うのですが、そのことにはっきり気づくまで、丸々二年かかりました。
 でも、そこからはスラスラと謎が解けていったのです。
 人権が守られている人間と守られていない人間
「Q:米軍機はなぜ、アメリカ人の家の上は飛ばないのか」
「A:落ちると危ないから」
「Q:東京電力はなぜ、東京で使う電力を東京ではつくらなかったのか」
「A:原発が爆発すると危ないから」
 つまり同じ島(沖縄本島)のなかで、人権が守られている人間(米軍関係者)と、守られていない人間(日本人)がいる。
 また、同じ地域(東日本)のなかで、人権が守られている人間(東京都民)と、守られていない人間(福島県民)がいる。
 沖縄の米軍機の低空飛行の場合、その差別を正当化しているのは、航空法の適用除外条項でした。
 そう思って福島の問題を調べていくと、やはりあったのです。「適用除外」条項が。
 日本には環境汚染を防止するための立派な法律があるのに、なんと放射性物質はその適用除外となっていたのです(2011年時点)。
 「大気汚染防止法 第27条1項 この法律の規定は、放射性物質による大気の汚染及びその防止については、適用しない」
 「土壌汚染対策法 第2条1項 この法律において「特定有害物質」とは、鉛、砒素、トリクロロエチレンその他の物質(放射性物質を除く)(略)」
 「水質汚濁防止法 第23条1項 この法律の規定は、放射性物質による水質の汚濁及びその防止については、適用しない」
 これらの条文を読んだとき、私が2年前から疑問に思い続けてきた、
 「なぜ福島で原発被害にあったみなさんが、正当な補償を受けられないのか」
 という問題の法的な構造が、沖縄の米軍基地問題とほとんど同じであることがわかりました。つまり現在の日本には、国民の人権を「合法的」に侵害する不可解な法的取り決め(「適用除外条項」他)が、さまざまな分野に存在しているということです。
 事実、福島県の農家のAさんが環境省を訪れ、原発事故で汚染された畑について何か対策をとってほしいと陳情したとき、担当者からこの土壌汚染対策法の条文を根拠に、
 「当省としましては、この度の放射性物質の放出に違法性はないものと認識しております」
 という、まさに驚愕の返答をされたことがわかっています(「週刊文春」2011年7月7日号)。
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 <この続きは書籍にて!>
 本記事の抜粋元『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)では、私たちの未来を脅かす「9つの掟」の正体、最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」など、日本と米国の知られざる関係について解説しています。ぜひ、お手に取ってみてください。
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