⛅19:─2─菅直人首相と尖閣諸島中国漁船衝突事故。平成22(2010)年9月。~No.57No.58 

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 親中派媚中派は、日中友好の為に日本の国益・国民の安全よりも中国の利益を優先している。
 中国共産党や韓国・北朝鮮は、外圧に弱い現代日本の政治的エリートや進歩的インテリに恫喝・威嚇・脅迫を繰り返している。
 エセ保守とリベラル左派は、反米意識が強く、反安保で反自衛隊である。
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 2024年5月4日 MicrosoftStartニュース 文春オンライン「菅直人首相は「私は日中関係を大事にする政治家なんです!」と怒りを爆発させていた《尖閣諸島中国漁船衝突事故》
 中国大使としての活躍をはじめ、30年以上にわたり日中外交の最前線で奮闘を続けてきた垂秀夫氏。今回は2010年9月に発生し、日中関係に大きな緊張をもたらした「尖閣諸島中国漁船衝突事故」について、当時の菅直人首相との折衝などを中心に振り返ってもらった。(聞き手 城山英巳・北海道大学大学院教授)
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 怒りを爆発させた菅直人総理
 「何をしてたんですか、仙谷さんは! 言っておいたでしょう、私は日中関係を大事にする政治家なんです!」
 2010年9月18日、菅直人総理は首相公邸で仙谷由人官房長官に怒りを爆発させました。尖閣諸島付近で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突してきた事件から11日後、前原誠司外相や福山哲郎官房副長官らに加え、佐々江賢一郎外務次官や齋木昭隆アジア大洋州局長、そして中国課長だった私も同席して、事件処理に関する協議を行いました。仙谷さんが黙って俯(うつむ)いていると、
 「外務省は何をやってるんだ!」
 菅直人氏 ©JMPA
 © 文春オンライン
 菅総理の怒りは収まらず、矛先は前原さんのほか、外務省にも向けられました。ただ、中国漁船が海保の巡視船に故意にぶつかってきて逮捕相当と見なされたわけで、外務省に責任はありません。それでも総理の発言ですから、みんな黙っていました。
 菅総理が「外務省には専門家はいないのか!?」とまた怒鳴ると、隅の方でスチール椅子に座っていた私に全員の視線が注がれました。前原さんが「中国課長です」と紹介すると、「じゃあ一番分かっているだろう。ここに座るように」と総理は言って、目の前に座らされたのです。
 「中国は何をしようとしてるんだ!?」
 怒ったようにワーワー言われたので、つい大きな声で返答しました。
 「中国は、圧力さえかければ日本は必ず降りる(譲歩する)と考えています。今後もあらゆる手を使って、どんどん圧力をかけてくるでしょう」
 すると総理は、「何を言ってるんだ!」とさらに怒り出す。埒が明かないので、09年12月に来日した習近平国家副主席と天皇陛下の「特例会見」を例に出しました。陛下の御健康に関わる「1カ月ルール」の関係で、一度は会見はアレンジしないと整理されたのに、中国側からの強い要請を受けた民主党内からの働きかけにより、政府の方針が変更された一件です。「中国は、そういう経験も全部頭に入れた上でやってきています」と伝えると、
 「た、確かに我が同志は……」
 そうつぶやいたきり、二の句を継げなくなった。一呼吸置いて「中国とチャンネルか、パイプはないのか!?」と言い出しました。外務省の幹部が「チャンネルよりも、大事なのはどういうメッセージを送るかです」と言うと、総理は黙りこんでしまい、そのまま解散となりました。
 確かに菅総理は中国との関係を重視し、母校の東工大の中国人留学生とは年に1回、食事会を開いていたと聞いたことがあります。自分が総理の時に日中関係を壊すような事件が起こったことがショックで、受け入れたくなかったのだと思いますが、総理大臣は、自国の主権を守ることを第一に考えなければなりません。
 中国課長時代、尖閣諸島を視察したことがあります。上空から魚釣島を見て、「この島を守らなければならない」との思いを強くしたものです。ところが、以後15年ほどの尖閣問題を振り返ると、残念ながら、日本の対応が逆効果になり、中国を利することが続いてきました。今こそ、戦略的な対応を練り直さなくてはなりません。
 鳩山総理が自白した虚偽答弁
 昨年12月に退官した前駐中国大使の垂秀夫氏(62)。2008年8月に中国・モンゴル課長に就任すると、尖閣諸島問題が勃発し、北京に赴任した公使時代には尖閣問題に端を発する大規模な反日暴動も経験した。短期集中連載の第3回では、対中外交を巡る秘話に加えて、今後、安定した両国関係を築くためのビジョンを明かす。
 09年8月、民主党政権が発足し、鳩山由紀夫総理が誕生しました。その4カ月後に起きたのが、12月15日の天皇陛下習近平国家副主席の会見を巡る問題です。宮内庁は、陛下が海外の要人と面会する場合、陛下の御健康に配慮して1カ月前までに打診する「1カ月ルール」を定めていました。
 習氏の来日に際しても中国側に何度も伝えていましたが、一向に返答がなかった。経済政策の方針を決める中央経済工作会議の日程が決まらなかったためで、要するに中国側の都合です。結局、申し入れてきたのは11月23日。宮内庁はルールに則って対応しようとしました。
 私は担当課長として、会見をアレンジすることの重要性を理解していましたが、陛下の御健康への配慮もあり、ルールを曲げることはできません。ただし、習氏は次の国家主席になることが確実な重要人物。代案として、総理官邸での大規模な夕食会を提案し、それが採用されました。本来、副主席である習氏のカウンターパートは総理ではありません。異例ではありますが、日本政府として厚遇する姿勢を示すべきだと考えたのです。つまり、この時点で鳩山総理自身は陛下との会見をアレンジしないことで納得していたわけです。
 だが、ここから迷走が始まる。共同通信(09年12月11日配信)によれば、小沢一郎幹事長が鳩山総理に電話をかけ、「何をもたもたしている。会見はやらなければ駄目だ」と圧力をかけた。これを受け、平野博文官房長官宮内庁羽毛田信吾長官に電話して説得。特例会見が実現したとされる。
 当時、鳩山総理が「今日も怒られたよ」と溢(こぼ)していたという話を私も耳にしたことがありましたが、もしそれが事実なら、与党幹事長とはいえ、一議員の圧力で陛下に特例を強いたのはいかがなものか。しかも、鳩山総理は国会で「自分は羽毛田長官に電話していない」旨を答弁しましたが、後にメディアの取材に「私が電話しました」と明かしています。つまり、虚偽答弁をしていた。
 結果、外務省にも批判の目が向けられました。野党だった自民党石破茂政調会長を委員長とする特命委員会を設置。テレビカメラを入れて、私は1時間、立ちっぱなしの状態で追及を受けました。田舎の母から電話がかかってきて「お前、何か悪いことでもしたのかい?」と心配されたものです。この「吊し上げ」は当初、3日間続く予定でしたが、上司の齋木局長が石破氏にかけあってくれたため、1日で終わりました。
 いずれにせよ、この件で中国側は「日本政府は圧力をかければ折れる」と認識するようになったことは間違いありません。
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 本記事の全文は、「文藝春秋 電子版」に掲載されている( 垂秀夫「尖閣諸島のために戦略的臥薪嘗胆を」 )。
 (垂 秀夫/文藝春秋 2024年4月号) 
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