🎺47:─2─軍国日本は戦争終結極秘交渉を決定し、米英両国は日本人に対する原爆投下実験を最終決定した。1945年5月15日~No.223No.224 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 最高戦争指導会議は、昭和天皇の早期戦争終結という希望を叶えるべく極秘交渉に入る事を正式決定した。
 米英両国は、日本で原爆投下実験を行う事を最終決定した。
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 5月中旬 東京・高井戸の陸軍特種情報部と新座市の海軍大和田通信隊は、ワシントンに打電される、ハワイからサイパンに向かう不審な航空隊のコールサインをキャッチした。
 陸軍特種情報部は、テニアン島近海で特殊任務訓練するB29の編隊をマークした。
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 鈴木貫太郎のもとに、「国民道義の退廃の兆しあり」という調査報告書「国力の現状」が提出された。
 分析結果は、「日本は8月までは何とか持つが9月までは危ない」であった。
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 5月15日 海軍軍務局長保科善四郎中将は、最高戦争指導会議の早期和平交渉に入るという極秘決定に従い、軍務局第二課長末沢慶政と有馬高泰に方法の研究を極秘で命じた。
 外務、海軍、陸軍は、アメリカが無条件降伏を原則として主張している事を知っていたが、日本が呑める最低条件で降伏できるようにソ連を仲介として模索する事に暗黙の合意をした。
 三人委員会。出席者は、国務省のグルーとハリマン、陸軍のスチムソンとマックロイ陸軍次官、海軍省フォーレスタルとコレア大佐であった。
 日本を降伏させるには、領土保障と天皇制の存続と昭和天皇の地位の三つが重要課題であった。
 領土に関しては、日清戦争以前の領土に戻す事として、本州・北海道・四国・九州の保持を認め、沖縄と小笠原をアメリカ軍が占領し、朝鮮半島・台湾・南樺太・千島列島そして遼東半島南洋群島を没収と定めた。
 大日本帝国の解体を決めた。
 問題は、昭和天皇の地位と天皇制度の存続であった。
 グルーは日本が受け入れやすい様に無条件降伏を修正すべきであると主張し、フォーレスタルも賛同した。
 スチムソンは、原爆開発が成功するまでは修正を取り上げるべきでないとして反対した。
 ハーバード・フーヴァー元大統領は、トルーマンに対して、共産主義勢力のアジア支配を防ぐ為にも日本に対する無条件降伏の修正を行う様に要請した。
 「日本は、基本的に西側に属する国家だ」
 だが。スチムソン陸軍長官やマーシャル陸軍参謀総長等、マンハッタン計画を知る者は原爆投下実験が終了するまでは日本の降伏を認めるべきではないとして、日本との早期講和交渉に入る事に猛反対した。
 陸軍参謀本部軍事諜報部(G2)のビセル中佐は、沖縄戦勝利後直ちに日本を降伏させる為に無条件降伏の緩和を求める報告書を出した。
 陸軍作戦部(OPD)は、ソ連を参戦させる為にも無条件降伏の原則を変更すべきではないと報告した。
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 5月21日 マックロイ陸軍次官は、G2案は原爆完成前での行動は時期尚早であるとして却下した。
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 5月24日 ベルン駐在海軍武官は、東京にソ連参戦するとの電報を打った。6月11日にも再度伝えた。
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 5月25日・26日 山の手大空襲。 損害家屋約85万戸。被災者約310万人。死者11万5,000人。負傷者15万人以上。
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 5月25日 マリク大使は、極秘に日本外務省が大幅な譲歩案を示しながら、ソ連を仲介として終戦工作を求めていると報告した。
 統合参謀本部は、九州上陸のオリンピック作戦を11月1日に実施するよう指示した。
 アメリカ軍科学戦部隊は、極秘にジュネーブ協定の禁止を無視して、日本本土で神経ガスサリンの使用準備を行っていたという。(1994年8月4日付け。『デザレット・ニューズ』)
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 5月26日 宮内省は、昨日までの爆撃で宮城の一部が炎上したが、昭和天皇はご無事で小さな御殿にお住まいである。と発表した。
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 5月26日(〜6月6日) ハリー・ホプキンスは、トルーマンの要請を受けて、米ソ関係を修復する為にモスクワに赴いた。
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 5月27日 5度目の東京大空襲で、山手線の内側は焼け野原となり、数万人の黒焦げとなった焼死体は到る処に放置されていた。
 女性も子供も、軍人も民間人も、一切関係なく、生きたまま焼き殺された。
 人手不足で埋葬が進まず、焼死体は川岸や空き地に積み木のように無造作に積み上げられていた。
 生き残った人々は、悪臭を放ち始めた焼死体の山の傍らで、空腹に耐えながら日常生活を続けていた。
 人々は死と隣り合わせで生き、明日は自分が焼き殺されて路上に放置されるかも知れないと思いながらも、それが良いも悪いも関係なく、定めとして淡々と受け入れていた。、
 朝日新聞「昨晩 B29約250機 帝都を無差別爆撃 宮城、大宮御所に被害」
 アメリカ軍の空爆は、宗教・文化的建造物への配慮は一切無く、「衝撃と畏怖」作戦による焦土化で、人も建物も関係く、当然、皇居も攻撃目標であった。
 グルーは、国務省高官スタッフ会議で、ドゥーマンが作成した大統領声明文案を協議した。
 対日強硬派ディーン・アチソンらは、天皇制こそが軍国主義の根源である以上、将来の平和の為に廃止すべきであると主張して譲らなかった。
 シラードと同僚の2人の科学者は、原爆の使用を中止させる為にバーンズに直訴した。
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 シラード日記「(5月28日)バーンスは戦後のロシアの振る舞いについて懸念していた。ロシア軍はルーマニアハンガリーに入り込んでいてこれらの国々から撤退するよう説得するのは難しいと思っていた。そこで、アメリカの軍事力を印象づけ、そして原爆の威力を見せ付ければ扱いやすくなると思っていた」
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 5月28日 宮中和平派は、昭和天皇の意を受けてローマ教皇庁を通じて戦争終結工作を提案したが、外務省と軍部はソ連を仲介とする案に拘った為に立ち消えとなった。
 軍部は、関東軍に対して戦闘序列を下命し、対ソ作戦準備を命じた。
 関東軍は、主力部隊を抽出転用された為に従来の対ソ作戦を放棄し、部隊を西部と北部から東部に移動させ持久作戦を採用した。
 満州在住の全ての日本人にも後方への移動を命じたが、その支度に手間どって脱出の機会を失い、各地で悲劇が起きた。
 だが、作戦第一主義のエリート将校は、軍隊の主任務は敵を撃退する事で、居留民の保護ではないと主張した。非戦闘員に戦場を彷徨かれては作戦の邪魔であるとして、居留地に留まる様に指示した。
 軍部は、戦場で一般人を見捨てた。
 フーバー元大統領は、天皇制度の維持を認めれば日本は降伏する可能性があうと、トルーマンに提言した。
 グルー国務長官代行は、トルーマンに面談して、天皇制度を残す事を保証すれば戦争を止め平和が回復するという意見書を提出した。
説得を試みた。
 「天皇天皇制とが日本の侵略的軍国主義の根底にあるとみなす人々は歴史の事実に疎い人々である。
 ……
 日本が軍国主義となるには必ずしも天皇を必要とせず、また日本に天皇がいるから国民が軍国主義者になったというわけではない。別の言葉でいえば、日本の軍国主義軍閥支配と軍国信仰によって生じたものである。
 軍部は天皇をも自己の支配下におさめ、天皇側近の重臣を無力化することに成功した。天皇側近の重臣達は真珠湾攻撃に先立つ数年、この過激な軍部を抑えようとして全力を尽くしたのである。1936年の2・26事件は、天皇周辺の平和志向の重臣を排除するという狙いをもって行われた。」
 スターリンは、ホプキンス特使に対して、対日戦準備は8月8日までに完了し、9日以降の天候状況が良い日に日本への攻撃を行うと確約した。
 ホプキンスは天皇制度について意見を求め、スターリンは戦争の芽を摘む為にも天皇制度は廃止すべきであると答えた。
 スターリンは、参戦するまで戦争を引き延ばす為に無条件降伏を修正せず堅持すべきであると求めた。
 グルーは、トルーマンに、天皇制度廃止に触れないドゥーマン原案を提出するが、自説である天皇制度護持を加える修正を求めた。
 つまり、東アジアにソ連共産主義勢力の侵出を阻止する為には、ソ連が参戦する前に日本が降伏できるようにルーズベルトが定めた「無条件降伏の原則」を変更するべきであると。
 トルーマンは、自分では明快な意見を言わず、スチムソン、マーシャル、フォーレスタル、キング海軍参謀総長らと話し合うようにと差し戻した。
 原爆目標委員会は、京都、広島、新潟の順で優先順位候補とした。
 OSSスイス支局長アレン・ダレスは、支局長のポストを部下のリチャード・ジョイスに引き継ぎ、6月3日にはスイスを出国し、7月4日にドイツのウィースパーデンに占領地高等弁務官として赴任した。
 これ以降の、日本側に於けるスイス工作作の相手はジョイス支局長であり、ジョイスには和平工作する権限がなかった。
 ダレスが、対日終戦交渉に復帰するのは7月14日からで、場所はスイスではなくウィスバーデンでああった。
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 5月29日 モスクワの佐藤尚武大使は、東郷外相の指示でモロトフと会談し、ソ連が対日政策を変化させるのかを質した。
 モロトフは、スターリンが対日戦を決定していた事は知らせず、対ドイツ戦の終了に伴う緊急的国内問題で手一杯であると答えた。逆に、日本の戦争継続について質問した。
 佐藤大使は、「アメリカの態度ゆえに、日本は戦争を継続するより選択はない」と答えた。
 三者委員会。国務省のグルー、陸軍長官スチムソン、陸軍参謀総長マーシャル、海軍長官フォレスタル、海軍作戦部長キングらにそれぞれの補佐官達。
 グルーは、スチムソン、フォーレスタル、マーシャル、戦時情報局のディヴィスらとドゥーマン原案を協議した。
 グルーら知日派は、戦争を早期に解決する為に無条件降伏要求の修正を求めた。
 グルー「日本に対して、我々が保有している兵器によって引き起こされる比類なき破壊的結末について警告し、日本が立憲君主制を保持できる事を示唆したとしても、我々は何も失う事はないだろう」
 原爆開発が成功するまで、天皇制度に関する問題を棚上げにし、無条件降伏の原則を変更しない事で意見が一致した。
 マーシャルは、原爆は非人道的な大量殺戮兵器であり使用するにあたっての意見書をスチムソンに提出した。
 「原爆は、最初は大きな海軍基地などの直接的軍事目標に使用するのがいいだろう。そのあとはっきりした結果(日本の降伏)が出なかったら、いくつかの工業都市を指定して、日本人に我々はこれらの中心部を破壊するつもりであると警告して、退避させるといい。我々が投下するのがどの都市か日本人にわからせないよう、いくつかの候補都市を挙げて、そのあとすぐ投下するというように」「この兵器(原爆)の性格は焼夷弾やリン弾と同じように非人道的なもので人口密集地や民間人が多いところに使うべきではない。使われるべきはあまり軍事的重要性を持たないが掃蕩する必要のある抵抗拠点に対してのみである」
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 5月30日 在日デンマーク公使ティリッツェは、日本との国交断絶で帰国するに為にソ連の通過旅券ビザを得る為にソ連大使館を訪れた。
 ティリッツェ公使は、マリク大使と日本状勢の意見交換を行い、宮廷と政府の和平派は皇室の安泰の為に戦争終結を希望しているが、軍部は戦争継続を主張しているとの認識で一致した。
 両者とも、最大の問題が無条件降伏の解釈であると見ていた。
 スターリンは、特使のホプキンズ特別補佐官に、ソ連軍の対日参戦を8月8日になると打ち明けた。
 ホプキンズは、三国首脳会談を6月中旬ではなく7月15日頃に開催する事を伝えた。
 アメリカは、引き替えとしてソ連ポーランド共産主義化を認めた。
 ホプキンスは、トルーマンスターリンとの対日処理について合意した内容を報告した。
 1,ソ連は、無条件降伏の原則をもって日本の軍事力を徹底的に破壊する。
 2,日本が降伏条件の緩和を申し出た場合、緩和条約を受け入れ、占領後に無条件降伏に等しい要求を課す。
 ソ連は、搾取されている人民の解放の為に、戦争犯罪者・昭和天皇の処刑と万世一系男系天皇(直系長子相続)制度の廃止を求めていた。
 ハーバート・フーバー元大統領は、トルーマンに、天皇制度の存続(国體護持)を保障すれば日本は降伏すると進言した。
 カッカーサー「もし、その時点で、天皇制度維持を保証していたら日本は進んで降伏したであろうと確信する……そしてそのプロジェクトは文明の終わりかまたは文明の極致であるととらえていた。もしくは我々を食い物にしてしまうフランケンシュタインである」
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 グローブス准将は、スチムソン陸軍長官に原爆投下実験の第一目標としたと報告した。
 スチムソン陸軍長官は、京都は避けるべきだとして反対した。
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 5月31日 リスボン駐在陸軍武官は、東京に「ソ連参戦」を伝えた。
 暫定委員会。スチムソン「単なる新兵器ではなく、人類と世界全体との関係に於ける革命的な変化として」
 暫定委員会は、原爆を無警告で民間人の多い工業都市で投下する事を決定した。
 「我々は日本に如何なる警告も与える事なができない。民間人の居住区を目標の中心にする事はできない。だが、できるだけ多くの住民に深く心理的印象を与えるようにしなければならない。最も望ましい目標は多くの労働者が働いている労働者の住宅が近くにある重要軍需工場である」
 暫定員会結論
 「1,心理的効果を考えて原爆を労働者の住宅がある重要軍事工場に投下する。
 2,投下は無警告で行う。
 3,ケベック協定第二条は破棄する。
 4,ソ連には、原爆を開発し、それがかなり進捗しているとだけ伝える、それ以上のことについて問い合わせがあっても応じない。
 5,原爆投下後に出す声明について互いに連絡を緊密にとって合意を得る。 
 6,国際的管理体制については両首脳がポツダム会談で話し合う」
 スチムソンとバード海軍次官は途中で退席した為、結論決定は大統領代理のジェイムズ・バーンズが主導してとりまとめた。
 バーンズは、翌6月1日にトルーマンに伝えて了承を得た。
 トルーマンらは、原爆が人類の滅亡につながる恐れのある究極の破壊兵器である事を理解していたが、その事を真剣に協議した事がなかった。
 暫定委員会は、原爆を軍事目標に近い民間人が多く住む都市に無警告で投下実験を行う事を決定した。
 同決定に原爆共同開発をしていたチャーチルの同意を得るべく、6月29日にイギリスに送った。
 チャーチルは、7月4日に同意すると返答したが、一日でも早く戦争を終結させる為に無条件降伏くではなく有条件降伏に切り替える事を要請していた。
 アメリカは、原爆投下実験を実施する為にチャーチルの要請を拒否した。
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 5月末 昭和天皇は、戦況不利に鑑みて、早期講和を鈴木貫太郎首相に望んだ。
 アメリカ陸軍航空部隊は、日本本土を焦土にするべく無差別絨毯爆撃を繰り返していた。
 アメリカ海軍航空機は、日本国内を飛び回り、見付けた日本人を殺害した。


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