⛿103」─1─日本の地政学・軍事学・戦争学。日本の理念、論理なき外交。戦前の国防戦略。〜No.445〜No.446 〜No.447  *    

時効なき戦争責任―裁かれる天皇と日本

時効なき戦争責任―裁かれる天皇と日本


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 プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。↗   
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 明治期の日本は、朝鮮と比べれば優位国であったが、清国(中国)やロシアと比べれば弱小国であった。
 弱小国日本は、反日敵日である軍事大国の清国(中国)やロシアから如何にして母国を防衛するかであった。
 日本の戦略とは、弱小国の生き残り戦略であり、その重要なカギが朝鮮であった。
 朝鮮が弱小軍事同盟に参加すればよし、伝統的事大主義から軍事大国の軍門に下り属国に甘んじるのであれば、侵略して領土に組み込まねばならなかった。
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 孫子「九変篇 其の来らざるを恃むことなく、吾の以て待つ有る事を恃むなり」
 (相手は来襲してこない、とアテにするのではなく、自分に備えがある事を頼みにする)
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 戦後日本は、一国平和主義と無抵抗非暴力主義から、他国の侵略から日本を武器を持って守る事は憲法違反に当たるとして、地政学軍事学、戦争学を封印した。
 一部では個別的自衛権を認める意見もあるが、武器を使用して敵兵を殺傷そ侵略軍を排除する交戦権は認めてはいない。
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 日本軍部は、皇軍として、神の裔・天皇を中心とした国體と祖国を中国・ロシア・ソ連共産主義の侵略から武力で守ろうとした。
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 日本は、祖国を守る為に軍国主義を選んだ。
 だが。国際社会は、日本が死活問題で選んだ軍国主義戦争犯罪として完全否定した。
 日本の軍国主義者は、軍事力で日本を守ろうとした。
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 戦前の日本人は、神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)と民族、国家と国民を、死を覚悟しても守りたいという強烈なナショナリズムを持っていた。
 命を犠牲にしても守りたいという一念から、攻めてくる外敵を国土から如何にして追い出すかという、明確なる国家戦略を建てていた。
 戦前の日本は、国益を守る為に、あらゆる手段を講じて国防の充実を最優先していた。
 戦後の日本には、危機感がない為に、戦前の様な国家戦略はなく、現状に合った国防計画もない。
 泥縄式とか、付け焼き刃とか、そうした対応のはるか以前の意識の問題である。
 国家防衛と国民保護の為なら戦争をも辞さないという戦前の日本と、国益を守る為の戦争を放棄し如何なる理由における戦闘も否定する現代の日本とでは、全く正反対の日本である。
 この違いがはっきりわかるのが、関東大震災の軍国日本の対応と、東日本大震災の平和国家日本の対応である。
 現代の日本が関東大震災の様な対応をしようとしても、政府や議会やマスコミの言動を見る限り所詮は無理な話である。
 そこには、守るべき被災者の姿が見えてこない。
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 アーノルド・トインビー「如何なる巨大な国家、優れたとされる民族も、やがては衰微し崩し滅亡もする。その最大の要因は、自分の事を自分で決められなくなってしまう時である」
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 イギリスの地政学マッキンダーは、19〜20世紀はランドパワーの時代と予言した。
 明治維新とは、
 地政学的に、超大国ロシア帝国から小国・日本を守ろうとした国内改革であった。
 日清戦争とは、
 ランドパワーの清国・中国が、西洋の侵略で傷付いたアジアに於ける覇権国と言う「面子」「名誉」を回復する為に、日本を侵略しようとした。
 シーパワーの日本は、清国・中国の軍事力に屈して属国化する事は、自主独立国としての「体面」「名誉」を失うとして戦った。
 日露戦争とは、 
 ランドパワーロシア帝国ソ連は、海に出る為に日本を侵略しようとした。
 シーパワーの日本は、自国防衛の為に、軍国主義化して戦った。
 時代は、ランドパワーからシーパワーに移り、そしてエアパワーからコスモパワーへと移ろうとしている。
 中国は、歴史的事実として、全ての面で全ての力を手に入れようとしている。
 何時の時代でも、大国・中国が切望した完全なる覇権を妨害してきたのは、弱小国・日本であった。
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 明治維新は、ロシア帝国の侵略から如何にして祖国日本を守るかで起きたのであって、軍事力を付けて大陸を侵略する為でもなかったし、文明開化で近代国家になろうとしたわけでもなかった。
 ロシア帝国の侵略に対する、祖国防衛であった。
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 1807年 文化露寇事件(北辺紛争・フヴォストフ事件)。幕府は、松前領を含む全蝦夷地を直轄地とし、ロシア帝国から蝦夷択捉島樺太を防衛する為に奥羽諸藩に動員命令を出して、臨戦態勢を引いた。
 日本人は、日本民族として国防意識に目覚めた。
 ソ連に強奪され、ロシアに占領されている北方領土は、日本固有の領土である。
 サムライは、北方領土を命を賭けて死守した。
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 1861年2月 ロシア軍艦ポサドニック号は、対馬を軍事占領し、軍港として使用する許可を求めた。
 その目的は、領土にする為であった。
 もし、対馬の租借に成功すれば、日本近海の多くの島嶼を軍事占領する可能性があった。
 アメリカ、イギリス、フランス、スペイン、オランダなどは、琉球小笠原諸島などを自国領にするべく虎視眈々と狙っていた。
 帝国主義時代を生き残る為には軍事力が不可欠であると判断して、日本を強力な軍隊を持つ官僚主導の中央集権国家に改悪すべきだと決断した。 
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 現代日本における平和教育は、非暴力無抵抗主義の非武装中立論に基づき、如何なる理由があっても、祖国を守る為に武器を取って戦う事は悪であると子供達に教えている。 
 武器を持っていると戦争をしたくなるから、戦争をしない為にも武器は全て放棄すべきであると。
 現代日本人は、戦後教育の成果として、平和を愛し、戦争を嫌う。
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 1873年 日本は、ロシアに対抗する為に福地源一郎をロンドンからトルコに派遣した。
 日本とトルコは、対ロシアで意見が一致した。
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☆日本の理念と論理のない外交。
 島国日本は、大陸諸国の様に直に国境を接する隣国・敵国を持たず、領土を奪う戦争は明治以前の約2000年の歴史で豊臣秀吉朝鮮出兵だけである。
 それとても、対馬壱岐・北九州の住人にとっては、倭寇で虐殺された先祖の弔い合戦であった。
 日本民族は蜂に似ている、生存を脅かすようなちょっかいをされない限り、閉鎖的閉塞的狭苦しい蜂の巣の中に閉じ籠もり、来る日も来る日も黙々と同じ仕事をし、子孫を残して生涯を終えていた。
 安穏と安住できていた蜂の巣を壊し始めた外敵が現れると、半狂乱となって抵抗した。
 外敵が自分より大きく強い相手であっても、死を怖れず、最後の一匹になるまで突進して戦った。
 相手が、雀蜂であろうと、熊であろうと、鷹であろうと、誰であろうと、蜂の巣を守る為に玉砕・絶滅を覚悟で抵抗した。
 蜂の巣を命懸けで守る蜂にとって、哲学はもちろん思想も主義もなかく、論理も理念もなかった。
 戦術はあっても戦略がなく、唯目の前の敵を攻撃して排除するという単一目的としの白兵戦のみで、補充・補給など多方面的多角的多重的な複雑にして緻密な総力戦を考えない。
 蜂の巣を破壊しようとする外敵に対して、死んだ仲間の蜂の死骸を乗り越えて敵に襲いかかっていく。
 後先を考えず突進していく「カミカゼ突撃」は、こうして生まれて来る。
 カミカゼは、自爆テロではない。
 蜂の巣を守る戦いでは、雄の蜂であろうが雌の蜂であろうが、兵隊蜂であろうと働き蜂でろろうと、その蜂の巣で生きる全ての蜂が参加した。
 蜂の巣を守る戦いでは、逃げる蜂はいない。
 日本天皇は、強いて例えば女王蜂である。
 日本の外交・軍事における対外政策は、島国根性的に目の前にある危機として「外敵から日本を守る」の一点でしかなかった。
 蜂の巣を中心として花の蜜を集め子孫を増やして生涯を終えていた蜂を驚かせ、蜂の巣の破壊につながると狂騒させたのが、ロシアが日本領北方領土で起こした陰惨な海賊行為であった。
 全ての元凶は、文化露寇事件である。
 北から押し寄せてきた強欲なロシアの侵略で、日本は瞬間湯沸かし器的に暴走し始めた。
 日本の軍事及び外交の対外政策は、帝国主義キリスト教価値観の西洋の狡知に長けた対外政策とも、中華思想儒教的価値観の中国・朝鮮の貪欲な対外政策とも本質が異なる。
 それ故に、日本の外交政策は理解されない。
 日本民族が、穏やかな平和的な性質から狂暴な好戦的な気性に変質したのは、ロシアが侵略してきた文化露寇事件からである。
 が。世界の常識は、蜂の巣と女王蜂を外敵から守ろうとした蜂の行為が戦争犯罪とされた。
 ことの始まりは、文化露寇事件にあった。
 その事を忘れない為に創建されたのが、靖国神社である。
 靖国神社批判を繰り返す反日派諸外国とは、日本という蜂の巣を壊そうとした外敵である。
 現代の日本は第九条の平和憲法を守ろうとする以上、日本という蜂の巣を命を捨てても守ろうとした昔の蜂のような日本人とは異なる。
 昔の教訓は、現代では通用しない。
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 ジュラルド・カーティス(コロンビア大学教授)「明治維新以来の日本外交は、基本的に『対応型』だと思っている。自ら国際政治のアジェンダ(協議事項)を決めようとしないし、国際関係のルールを定める事もない。まして、特定のイデオロギーを広めたりはしない。むしろ、存在する世界秩序を所与のものとして受けとめ、そのなかでリスクを最小化し、利益を最大化するにはどう対応したらよいか。分析に集中するのだ。
 この手法は世界秩序が明確で安定している時には成功を収める事が出来る。明治時代の富国強兵や、第二次大戦後のアメリカとの同盟重視がその例だ。しかし国際情勢が流動化すると窮地に陥る恐れがある。日本の外交用語では『時流に乗る』が昔からよく使われてきたが、1930年代には『時流』の見極めを誤った。ナチス・ドイツと手を結び、大東亜共栄圏を構築しようとして失敗した。
 今また世界秩序は流動化している。安保法制は、アメリカとの同盟を強化する事で、今まで数十年にわたり日本の安全を確保してきた安全保障体制を、さらに強化しようとしている。一種の『対応型』戦略の表れだ」
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☆戦前の国防戦略
 日本の安全保障で最重要なのは、朝鮮半島を緩衝地帯(バッファーゾーン)として近寄らない事である。
 日本を侵略して来る大陸勢力とは、西の清国・中国と北のロシア帝国ソ連であった。
 最も警戒すべきは、大陸国の軍事力を利用して日本を滅ぼそうとする半島国の朝鮮であった。
 日本軍部は、大陸国家の侵略軍から如何にして祖国を防衛するかの戦略を立てていた。
 日本軍は、建軍以来、欧米露列強諸国(キリスト教諸国、ウェストファリア条約戦時国際法型国際秩序世界)や中華文明圏諸国(正統派儒教諸国、中華思想=華夷型国際秩序世界)の様に唯一絶対の原理原則による世界の画一化(地球統一政府=ワン・ワールド政府の樹立)という普遍的使命で、他国、他民族を侵略して植民地化、属国化するという遠征型ではなかった。
 又、異文明、異文化、異宗教を破壊し根絶して、異質な価値観を徳化、教化(価値観の統合)しようとする地球規模の遠大な大義がない以上、偉大な哲学、新しい理論、革命的イデオロギーで全人類を同一化、同化しようとせる崇高な理想も信念も絶無であった。
 日本軍とは、単に島国内の軍隊として民族の中心にある「神の裔・天皇=現人神」を守る為の御親兵皇軍である。
 その天皇が純真無垢な姓(〇〇王朝、××家)を持たない「祭祀王」として、「民族の安寧」と「アジア及び世界の平和」を八百万の神々(多種多様な価値観)に祈願するがゆえに、臣下である日本軍はその「大御心・御稜威」(日本の良心)に従って戦ったのである。
 日本軍の基本戦略は、国土防衛であり、自国土と自国民のみを戦火から守る為に国外(侵攻して来る公海や他国領土、領海、領空)で敵軍を粉砕撃破する積極的(攻撃的)専守防衛であった。
 江戸幕府(1800年代)以来の宿敵は、日本を含むアジアを侵略しようとした帝政ロシア(ウラジオストック港=東方の支配)であり、そして日本を含むアジアを共産主義化しようとしたソ連(1920年、ニコライエフスク事件=尼港の虐殺)であった。
 北からの侵略を防ぐ主戦場は、中国・満州であった。
 自国民に甚大な被害(敵味方の砲火による非戦闘員の犠牲)を出さない限定戦争、局地戦、短期決戦を想定して戦備を整え、主戦場を日本より遠い敵国首都ではなく、日本周辺に策定し補給路確保より作戦立案と戦闘能力を重視した。
 陸軍軍人は、陸軍大学で帝政ドイツのメッケルからドイツ式参謀教育を受けた。
英米仏の軍人教官は、現実より机上の戦略理論を重視し、日本人独自の判断と行動を禁じた。
メッケルは、現場の結果を重視し、戦場の情報を分析し、刻々と変化する戦況に応じて判断と行動を変化させる柔軟性を求めた。
そして、戦争に勝利する為には兵站と情報が重要である事を教えた。
 日本軍を近代化する為に、捕虜の処遇や占領地の軍政など国際法規や条約・協定の遵守を徹底させた。何時の時代でもは、日本の軍隊は他国以上に国際法規を遵守していた。
 日本はおろか世界の戦史から近代的軍隊の有り様を研究していた軍部は、当然の事ながら補給、兵站の重要性を認識していた。
 日本人は、古今東西の戦争や合戦関係の歴史が好きである。
 日本軍は、国力の貧弱さゆえに地球規模の総力戦、全体戦争を想定した国民軍ではなく、武器弾薬も少量な為に城塞都市(上海、南京など)の攻城戦より住民や田畑の少ない平原や山野での野戦を得意とした。
 後年、市民の犠牲を最小限に止める為に南京攻略の前に日本軍は中国軍側に降伏勧告をおこなったが、中国軍首脳部は徹底抗戦を主張して勧告を拒否するが戦闘的開始前に兵士と市民を捨てて逃げ出した。
 日本兵の性格は、一般市民を必要な犠牲と平然と殺すゲリラ戦やテロ行為などの長期的消耗戦より、一般市民への犠牲が少ない主力軍同士の乾坤一擲の大会戦を好んだ。
つまり、一か八かの「当たって砕けろ」の突貫精神である。
 勝にしろ負けるにしろ、関係のない第三国に迷惑をかけず、敵味方に関係なく一般市民や兵士を無益に殺し無駄な血を流したくないという情緒的心情ゆえにである。
 日本神道は、人はもちろん全ての生き物の血を無意味に流す事を「不浄」として嫌い、もしてや普遍宗教のような生贄などはまずありえなかった。
 日本武士道は、「弱い者を苛めない」「弱きを助け、強きを挫く」を信条とし、戦時国際法を遵守して弱い者とは戦わず、大国・強者のみと正々堂々と戦って玉と砕ける「滅びの美学」を良しとした。
 真の武士は、「死」する事への恐怖を心の内に仕舞い込んで静かに納得して迎えるという「自死」の礼節をサムライの作法とし、極東アジアの様に「死」を前にして「生」への未練として泣き騒ぎ弱い者に対して暴れ狂う事を不覚でみっともないと嫌った。
 そして、たとえ勝つ為とはいえ、非戦闘員を盾にするゲリラやテロ行為(中国便衣兵の戦法)など卑怯、卑劣な行為を最も「恥ずべき行動」として嫌った。
 日本の戦いの作法として、一般市民を巻き込まないように注意を払い、占領地ではいち早く治安を回復させて住民の救済を徹底させた。
 「死」を覚悟した日本軍人による、神風特攻や万歳攻撃そして玉砕はこうして生まれた。
 軍として冷静に組織的行動を維持しているあいだは、一般市民による集団自決や万歳突撃を強要しなかった所かむしろ中止する様に説得した。
 だが、ついに逃げる事ができなくなった時は個々の判断にまかせた。
彼らは、けっして死に急いだのではなく生きようともがき苦しんだ結果末に、やむおえず死を選んだのである。
 日本武士は、生きる為に時として恥を忍び節を曲げて従うことはあるが、強者の理不尽な要求や大国の理なき外圧に屈服し阿諛迎合する事を良しとはせず、弱者には弱者の言い分があるとして「切腹」を覚悟で毅然たる態度を示した。
 極東アジアの弱者には残虐で強者には従順という処世術を、美しくないと嫌悪した。
 日本の伝統的戦法とは、いかなる手段を使っても「かならず勝」という神がかり的必勝精神ではなく、「負けない様に戦う」という沈着冷静な肩の力を抜いた気組みにあった。
 つまり、「自分だけはどんな汚い手段を使っても生き残り、自分だけ富を手に入れて幸福になる」という、他人を蹴落としても「生きる」事を至上の命題とする極東アジアの伝統的戦法とは対極にあったといえる。
 生一本の日本とは違い、極東アジア世界とは嘘八百がまかり通りニセ物が横行するうそ偽りの世界である。
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 朝鮮は、古代から、大陸国の軍事力を利用して日本を滅ぼそうとしていた。
 中国は、古代から、日本を属国とするか領土に編入しようとしていた。
 日本にとって、古代から、両国は紛れもなく敵であった。
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 近代日本の悲劇は、アジア主義の幻想から日本・中国・朝鮮三国提携ができるという妄想に取り憑かれた事にある。
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 江戸時代後期から。日本は、北から領土を拡大してくるロシア帝国の脅威に晒されていた。
 その最前線にあったのが北方領土であった為に、サムライ日本北方領土を死んでも守ろうとした。
 だが、西洋諸国は、江戸幕府の日本を帝国としてその軍事力を恐れていた。
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 明治政府の国防戦略は、植民地を拡大しながら南下してくるロシア帝国の侵略から祖国日本をどう守るかであって、衰退著しい清国を侵略して領土を拡大するかではなかった。
 開国したばかりの弱小国の日本には、目の前に迫っている滅亡の危機に対処せず、清国と長期的全面戦争をしている余裕はなかった。
 中国大陸の一部を領地或いは植民地化する興味はなく、清国の内紛に関与して深入りする気もなかった。
 明治期における日本の成功は、中国の紛争や内戦に巻き込まれる事なく、たとえ清国が滅亡し大虐殺が起きようとも中国人の問題として放置し、文明開化・富国強兵・殖産興業で独自路線を貫いたからである。
 日本の安定と発展は、歴史的事実として、中国及び朝鮮との関係を限定して深入りしない事にあった。
 北からの侵略から日本を防衛する、それが日本の基本戦略であった。
 対北積極的自衛策として、朝鮮を最終防衛陣地とする為に合邦し、満州を最前線基地として支配下に入れ、その背後を反日勢力の攻撃から守る為に中国を親日に改革しようとした。
 さらに敵の後方を脅かす為に、モンゴル、中央アジア、トルコ、ポーランドに情報網を作り上げた。
 対ロシア帝国戦は、「脱亜入欧」の文明的大転換で切り抜けて天皇と日本を死守した。
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 明治新政府と日本軍は、対ロシア戦略から日清朝三国攻守同盟を希望して、清国との関係安定を最優先し、朝鮮半島に於ける清国の支配を容認していた。
 朝鮮開化派は、親日派として、日本政府の支援を受けて朝鮮の近代化を目指していた。
 日本政府は、脆弱な軍事力の大半を、ロシアの侵略から北海道や北方領土を守る為に裂いていた為に、朝鮮半島を安定させる為に清国の勢力が拡大を黙認し、朝鮮開化派への支援を行わなかった。
 日本軍としても、国防の負担を軽減する為に朝鮮に於ける清国支配を歓迎していた。
 清国は、1885年から89年まで軍事力で朝鮮半島を支配して、朝鮮情勢は安定していた。
 だが、李氏朝鮮王室及び朝鮮政府内の政権闘争と失政による内乱で極東アジア情勢は不安定になった。
 1894年 日本側は、朝鮮情勢の不安定は原因は清国の腐敗・不正にあるとして、朝鮮を清国から切り離して完全なる独立国にするべく日清戦争を起こした。
 明治天皇伊藤博文首相等は、腐敗堕落した朝鮮に深入りする事は日本に好ましくないとして不同意であった。
 自由民権派は、朝鮮の政情不安や塗炭の苦しみ喘ぐ民衆を救う為に朝鮮開化派に協力すべきであると、政府に訴えた。
 日本軍も、反日的態度を明らかにし日本に軍事的圧力を強化する清国に朝鮮を支配されては、ロシアに対する防衛線に深刻な影響をもたらすとして、開戦を求めた。
 日本側は、如何に努力しようとも国力や軍事力で断トツに差があるロシアとの戦争は身の破滅と自覚していた為に、ロシアとの戦争を避ける事に全精力を傾けていた。
 朝鮮が、親日派として対ロ攻守同盟を結んでくれる事を望んでいた。
 日本には、朝鮮を併合する意思はなかった。
 1904(〜05)年 日露戦争。日本は、朝鮮政府を親露派が支配しロシア軍を国内に引き入れようとした為に、朝鮮をロシアの支配下から切り離す為にロシアと戦った。
 1907年 ハーグ密使事件。韓国皇帝高宗は、新たな大国と組んで反日闘争を目論んだ。
 対朝鮮強硬派は、絶えず反日勢力に走って日本の存続を危うくする朝鮮を放置しては日本の滅亡につながるとして、朝鮮の自立は不可能であると判断して日本への併合を求めた。
 明治天皇伊藤博文は、清国でさえてこずった統治困難な朝鮮を抱える事は、経済的負担が多く日本の為にならないとして反対した。
 欧米列強は、自分では決して戦わず第三国を対日戦に引き込み高みの見物をして漁夫の利を得ようとする朝鮮の姑息な態度に嫌気をさし、日本側の韓国併合提案に賛成した。
 ただし、日本が韓国を併合し統治に失敗すれば、日本批判を行い、日本が日清・日露両戦争で勝ち取った海外の利権を剥奪する気配を覗かせていた。
 若し。朝鮮人民が一致団結して日本に対して独立戦争を起こせば、欧米列強は日本を大陸市場から締め出す為に朝鮮に味方した。
 だが。朝鮮は、各国が賛同する劣者のゲリラ闘争ではなく最も嫌う指導者への陰湿なテロ行為に走った。
 真面な国家指導者であれば、国家元首や政府高官及び軍高官への暗殺テロを認めはしなかった。
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 世界は、宗教的白人選民思想による人種差別で支配され、「ユダヤ人世界征服陰謀説」と「黄禍論」が当たり前のように信じ込まれていた。
 日本人は、歴史的に人種差別を経験した事がなかっただけに世界常識が理解できず、白色人種の欧米人も黄色人種のアジア人も同じ人として尊重されると信じ込んでいた。
 日本は、越える事ができない人種差別の壁に行く手を遮られ、世界への飛躍を阻まれアジア回帰を余儀なくされた。
 近衛篤麿「最後の運命は、黄白両人種の競争にして、此競争の下には、支那人も日本人も、共に白人種の仇敵として認められる位地に立たむ」(1898年1月1日 雑誌『太陽』「同人種同盟論」)
 日本は、白人に対抗する為に中国を保全すべく中国人との連携をしようとして、親日派を育てる為に有能な中国人若者を官費留学・個人遊学を積極的に受け入れた。
 だが。日本留学組で、日中友好に活躍した中国人は少数で、大半は国民党や中国共産党に入党して抗日戦争で活躍した。
 日本は、皮肉にも、敵を育てていた。 
 中国は、敵より弱いうちは柔やかに友好を口にするが、敵より優位になったと見るや襲いかかってくる。
 「君主は豹変す」
 昨日までは友人と信じていても、今日は敵となって襲撃する。
 それが、中国人気質である。
 「勝てば正義となり、道理も信義も全てが屈服する」と言うのが、中国人の思考である。
 日本人の思考では、理解できない。
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 アジア・アフリカの人々だけではなく、トルコなどの中東の人々も、ポーランドの東欧やフィンランドなどの北欧諸国は、日露戦争における日本軍の勝利に感激した。
 旅順要塞攻略戦を戦った乃木希典将軍や日本海海戦に勝利した東郷平八郎提督は、そうした国々の英雄となった。
 世界の海戦史で、日本海海戦は戦略・戦術・情報戦・兵站など多方面において手本となっている。
 だが。中国や韓国・北朝鮮などのアジア諸国は、日露戦争を日本の大陸侵略と否定している。
 韓国は、日本海を東海と改称し、日本海海戦を東海海戦もしくは対馬沖海戦と言い換えようとしている。
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 大正期。日本の発展を、世界常識である白人中心の人種論が阻んだ。
 脳天気な日本人は、世界の人種闘争という過酷な現実を理解していなかった。
 日本人は、「アジアは一つ」を掲げて、白人の対抗する為に中国人との対等な合邦関係を模索した。
 が。中国は、儒教的価値観から日本との対等関係を拒絶し、日本の台頭を嫌う欧米の白人至上主義者と手を組んで日本を中国大陸から排除し始めた。
 日本は、中国勢力を反日親日に区別し、親日派を支援して親日政権を樹立させようとした。
 日本の悲劇は、お人好しにも中国人を信じた「アジア回帰」にあった。
 中国は、反日はあっても、親日など何処にもなかった。
 日本人の愚かさは、中国には親日があると盲信したところである。
 つまり、後の大東亜共栄圏やアジア共同体とは幻想に過ぎず、中国と関わり合ったがゆえに軍国日本は滅亡した。
 中国は国を一つにまとめる為には日本を必要としたが、日本は朝鮮はおろか中国など必要とはしなかった。
 第一次世界大戦後。新たな北の脅威として、日本を共産主義化し、天皇制度を打倒しようとする共産主義ソ連が出現した。
 国民党と中国共産党及び反日朝鮮人と日本人マルクス主義者が、ソ連コミンテルンの支援を受けて行動していた。
 昭和前期は、そうした反天皇反日勢力から日本を守る為の自衛戦争であった。
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 東京裁判は、日本の自衛戦争侵略戦争として否定した。 
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 GHQは、戦前の日本が地政学を研究して海洋国家(シーパワー国家)を目指した事が戦争の原因であるとして、戦後の日本では地政学を学ぶ事を全面的に禁止し、関連書物を全て焚書とした。
 戦後の平和教育で、侵略戦争の研究として地政学を封印して、日本人から外交交渉と軍事的戦略・戦術の能力を奪った。
 アメリカの対日占領政策は、日本を保護領とし、日本人を愚民化する洗脳であった。
 政治家や官僚は、机上の空論とも言うべき理想主義的反戦平和学はあっても、事実を見詰めた現実的な戦争学や地政学はなく、臨機応変の外交交渉能力は低いし、中長期的な戦略立案能力も短期的な戦術眼もない。
 それが、戦後教育の成果である。
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 2015年 国際社会は、通貨を武器とした新たな地政経済学(ジオエコノミー)の時代に突入した。
 ジオエコノミーとは、地政学(ジオポリティクス)と経済学(エコノミー)の造語である。
 日本が一番不得意とする分野で、現代日本人には理解しづらい学問である。
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 『臣民の道』「ソ連共産主義による世界制覇を目的とし、階級的独裁による強権を手段としている。ドイツは血と土との民族主義原理に立つて、アングローサクソンの世界支配、ドイツの圧迫の現状を打破し、民族生存権の主張に重点を置き、その為にナチス党の独裁に対する国民の信頼と服従とを徹底せしめ、全体主義を採用しているのである。イタリアは大ローマ帝国の再現を理想とし、方法を於いてはドイツと異なるところなく、ファッショ党の独裁的全体主義に立脚している。これ等に対し我が国は肇国以来、万世一系天皇の御統治の下に皇恩は万民に治(あまね)く、真に一国一家の大和の中に生成発展を遂げて来たのであり、政治、経済、文化、軍事その他百般の機構は如何に分化しても、全ては天皇に帰一し、御稜威によって生かされ来たつたのである」
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 奥山真司(地政学者)「実は、日本も戦前は地政学が盛んで国家戦略にも応用していました。日本が領土を拡大できたのは地政学の知識によるところも大きいのです。ところが第二次大戦で敗戦国となり、GHQによって戦前・戦中に広く普及していた地政学は全て否定され、タブーとなってしまいました。それでも日本はアメリカの庇護下にいれば良かった。ところが、冷戦が終わり、今度は中国が台頭してきた。今はアメリカはもちろんの事、何処の国も地政学を基に戦略的に動いている。その中で日本だけが取り残されている」
 「日本はシーパワーの国である事をアメリカのように強く意識しなければなりません。なにより、エネルギー資源の石油も天然ガスも輸入に頼っていますから、シーレーンを守らないと国が潰れてしまいます。太平洋戦争も実は、中国のマーケットを日本とアメリカが狙ったからこそ起きた面があります。日本が色々とちょっかいを出して領土を取っていくものだから、最終的にアメリカとぶつかったのです」
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 奥山真司「日本は戦後の平和ボケ・記憶喪失状態から脱却し、国の生存をかける覚悟で地政学を理解する知識人を大量に育てるべきである」(『地政学 アメリカの世界戦略地図』)
 倉前盛道「日本は、……家族的国家を数千年にわたって維持してきたおかげで、国際社会の狡猾さについてほとんど無知といえる。……いまや、否応なしに、国際社会の渦中の中にまきこまれてゆく日本人が、最低限度、知っておくべき悪党の論理のひとつとして、地政学の初歩的な入門書というより、漫歩書を編んでみた」(『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』)
 安全保障の脅威に対応する為に日本が早急に取り組むべきは、英語能力とコミュニケーション能力の向上以前に、国益は絶対に譲らないという不動の信念である。
 不動の信念を理論的に強化する為に、英語による反戦平和学ではなく、日本語による日本文化と地球規模の戦争学及び地政学を徹底して日本人の思考回路に叩き込む事である。
 そして。如何なる逆境・苦境に追い詰められても、狼狽せず、礼儀・礼節を失わず、信義を持って「しなやか」にそして「したたか」に振る舞う「心のゆとり」が重要である。
 会議に於いて、勇気を持って激論に参加して自分の意見を強い口調で主張する。
 国際社会に於いて、意見を言わない者には如何なる権利もない。

 

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