🏋02:─2─東京五輪の恐怖は日本変異株の世界蔓延と人種差別暴動である。~No.5No.6No.7 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 武漢肺炎(新型コロナウイルス)の感染力と変異力は強く、爆発的に蔓延している地域では必ずと言っていいほど新たな変異株が生まれ、変異株による新たな感染爆発が起きている。
 東京五輪でも、東京発日本変異株が生まれる危険性がある。
 つまり、恐怖すべきは今のコロナ株による日本での感染爆発ではなく、東京五輪開催によって生まれるかもしれない日本変異株による世界的感染爆発である。
 世界史を見れば明らかなように、昔から、世界の闇の部分では人種・民族・宗教・文化・言語を原因とする偏見・差別の反天皇反日本意識がドス黒く蠢いている。
   ・   ・   ・   
 2021年6月5日号 週刊現代クルーグマン ガブリエル ピンカー・・・
 東京五輪をただちに中止せよ
 日本の『コロナ敗戦』を世界の知性はこう見ている
 コロナ抑え込みに失敗し、ワクチンが遅々として行き渡らない日本。国民も世界の人々も、このまま五輪なんて到底ムリだと言っている。それなのになぜ、権力者たちは暴走を止めようとしないのか。
 日本の評価は地に落ちた
 『ドイツをはじめとした欧米各国では、国民の半数近くがコロナワクチンの接種を1度は受けています。接種が完了した人には外出制限を緩めたり、マスクを外しても構わないというお達しも出ている。
 しかし翻って日本は、ワクチンに関して信じがたいほど遅れを取っています。きわめて困難な状況に陥っているにもかかわず、東京五輪を強行しようとしているのは、日本人の高いプライドのなせる業なのでしょうか』
 こう語るのは、ドイツ・ボン大学国際哲学センター所長のマルクス・ガブリエル氏だ。世界的ベストセラー『なぜ世界は存在しないのか』などで著名なガブリエル氏が住むドイツでは、昨年12月26日からコロナワクチンの接種が始まった。5月末時点での全国民の4割強、約3,500万人が1回以上の接種を終え、7月中には全国民が接種を完了する見通しだ。
 日本を除く先進各国はいま、猛烈なペースでコロナワクチンを打ちまくっている。物量で他を圧倒するのがアメリカだ。各国に先んじて12月14日から接種を開始すると、街のスーパーマーケットやドラッグストアなどで、いつでも誰でも受けられる体制を確立。1日200万人以上のハイペースで打ち続け、接種済みの国民は半年足らずで1億6,000万人を突破した。
 かたや日本は、惨憺たる状況である。2月17日にようやく接種を始め、1日の接種者数が10万人を超えるまで2ヵ月がかかった。いまや欧米諸国はおろか、トルコやブラジルにも大きく引き離されている。接種率5%台は、クーデターで大混乱の真っただ中にあるミャンマーといい勝負だ。
 バブル期に日本の凋落を予言したベストセラー『日はまた沈む』の著者で、イギリス『エコノミスト』誌元編集者のビル・エモット氏が言う。
 『日本政府のワクチン政策は、大失敗と言わざるを得ません。世界ですでに何百万、何千万人が接種を済ませているワクチンの認可に何ヶ月も手間取った。迅速で効果的な接種プログラムを作ることも実行することもできなかった。これらの事実は、すでに日本の国際的な評判に大ダメージを与えています』
 五輪は『危険なバクチ』
 米有力紙ワシントン・ポストは5月5日、『なぜ日本は、これほどワクチン接種で失敗を喫しているのか』との記事を掲載し、こう評した。
 〈世界最高の物流能力で名高い日本が、富裕国クラブであるOECD加盟27ヵ国の中でぶっちぎりの最下位を走っている〉
 〈日本は根本的に変われるかの瀬戸際にいるのだ〉
 いまや世界中が、日本が『コロナ敗戦』を喫しつつあることに驚き、失望し、そして懸念を表明している。それはほかでもない、開会式まで残り2ヵ月を切った東京五輪を、開催するか否か──その決断の時、ついに迫っているからだ。
 本誌は、冒頭で紹介したガブリエル氏をはじめ、世界的知性と呼ばれる海外の研究者やノーベル賞受賞者、さらにジャーナリスト、スポーツ関係者や医療従事者に日本のコロナ対策の現状をどう評するのか、そして東京五輪の開催可否をどう見るかについて訊いた。
 すると誰もが、口を揃えて『東京五輪開催はありえない』と語った。
 『日本のワクチン接種の異常な遅れは、とても先進国とは思えないレベル』
 こう断じるのは、ハーバード大学教授で世界的心理学者のスティーブン・ピンカー氏だ。
 『私は昨年のコロナ禍が始まった直後、貴誌(週刊現代)の取材に「楽観主義であれ悲観主義であれ、人は深層心理に沿って行動してしまう。それならば、楽観的になったほうがいい」とお話ししました。しかし日本の現状を見ていると、とてもそんなことが言える状況ではない。
 五輪という一大イベントが待ち受けていることを知りながら、なぜ日本人はこれほど後手に回ってしまったのでしょうか。日本政府は本当に真剣に取り組んでいるのか。菅総理は何度も「責任は私がとる」「心からお詫びする」と言っていますが、結果が伴っていないのですから、それも空虚な言葉です。(菅義偉は)無能と言われても仕方がないでしょう』
 さらにノーベル経済学賞受賞者で、ニューヨーク市立大学教授のポール・クルーグマン氏もこう指摘する。
 『日本政府もIOCも、どんな犠牲を払うことになっても、断固として東京五輪を開催しようと考えているようです。しかし開催するとなれば、たとえ無観客であったも、9万人もの選手や大会スタッフ、メディア関係者が日本にやってきます。その中に感染者が一人もいないはずがありません。
 変異ウイルスも猛威を振るってうる中、いくら検査を徹底しても100%の安全はあり得ない。もし大会期間中に感染拡大が起きてしまえば、日本人のみならず世界中の人から「それ見たことか」と言われるでしょう。国家の威信を地に落としかねない危険なバクチを、日本がなぜここまでして続けようとするのか。私には理解不能です』
 カネの亡者たち
……
 コロナの抑え込みについて成功しつつある欧米諸国から見て、いまや日本はコロナ対策後進国である。彼らからすれば、東京に自国の選手団を送り込むのは不安で仕方がないだろう。
 しかし日本政府、そして五輪を取り仕切るIOCの首脳たちは決して『中止』を口にしようとはしない。その最たる理由が『大損をするから』だ。
 5月11日、米最大手紙のニューヨーク・タイムズに『五輪を中止せよ』と題する歯に衣着せぬ論考が掲載され、世界中で話題となった。
 〈科学的思考にもとづいて、この危険な茶番を止める時が来た。東京五輪は中止すべきだ〉〈だがそれでも、五輪という暴走機関車は止まらない。三つの大きな理由は、カネ、カネ、そしてカネだ〉
 この論考の筆者であり、元五輪サッカーアメリカ代表選手で、現在は米パシフィック大学教授・政治学者のジュールズ・ボイコフ氏が言う。
 『日本の皆さんも、大多数が五輪開催に反対していることは知っています。賢明なことだと思います。しかし、いくら世論が反対しても、五輪の「黒幕」たちは意に介しません。
 IOCのバッハ会長、コーツ副会長らは「緊急事態宣言下であってもなくても開催できる」と公言しています。彼らは五輪というスポーツ・ショーを開き、カネ儲けをするためなら、日本の人々を危険に晒しても構わないと考えている。信じられないほど傲慢です。五輪にはマトモな政治のルールや科学的思考が通用しないのです』
 令和の『不平等条約』だ
 ボイコフ氏をはじめ、今回複数の識者が指摘したのが、東京都がIOCと結んでいる『開催都市契約』の異常さである。この契約こそ、日本人がIOCに楯突くことを許さない『首輪』なのだ。
 全87カ条にも及ぶ契約書を読むと、『開催都市や開催国の組織委員会が、IOCに対して義務を果たす』という形式になっている。……
 要するにこれは、IOCが絶対的な権限を振るい、開催国や開催都市に過大な負担を強いる『不平等条約』なのだ。
 中でも前出のクルーグマン氏が注目するのが、医療に関する条文である。
 『第24条では、「開催都市は大会中、関係者に発生したあらゆる症状について、無料で医療サービスを提供する義務がある」という』旨が記されています。コロナ禍の中で個の要求を満たそうとすれば、日本は莫大な数の医療従事者を動員しなければなりません。
 ただでさえ日本の病床は逼迫していると聞きますが、IOCのこんな無茶苦茶な要求を受け入れるキャパスティが残っているのでしょうか。これほど一方的な契約は見たことがありません』
 もし日本側がこれらの契約を破る──つまり五輪を中止すれば、IOCは開催都市、すなわち東京都に『違約金を支払え』と迫るのではないか、とも囁かれる。……しかし一つだけ間違いないのは、いま日本は『進むも地獄、退くも地獄』という最悪の状況に追い込まれつつあるということだ。
 前出のガブリエル氏は、『日本が五輪中止を言い出さざるを得なくなった場合、IOCからの訴訟の嵐に見舞われるのではないか』と懸念する。
 ……
 どう転んでも損をする
 すでに五輪のために1兆6,400億円を費やしているのに、さらに数千億円の賠償金まで背負わされれば、日本国民の怒りは爆発するだろう。
 ……
 日本人はいま、究極の選択を迫られている。東京五輪を強行して、もし大規模なクラスターが発生したり、あるいは『東京株』とでも言うべき変異株が生まれてしまったら、東京五輪は日本の汚点になる。『こうなることはわかっていたのに、なぜやったのだ』と、全世界から批判が批判が殺到することは避けられない。
 ……
 だがそれでも、カネは人命に代えられない。米名門医科大学ジョンズ・ホプキンス大学の准教授を務める、疫学者のデイヴィッド・ダウンディー氏が言う。
 『新型コロナウイルスの猛威は、裕福な国であろうと貧しい国であろうと平等に襲ってきます。失われた命は取り返せませんが、五輪はまた開催することができる。まだ日本の皆さんがワクチン接種を済ませてもいないのに、どうしても極秘文書を開催する必要があるのとは、私にはおもえません』
 また前出のボイコフ氏は、『五輪を強行したときに考えるリスクは、コロナそのものだけではない』と指摘する。
 『五輪が「スーパー・スプレッダー(ウイルスを爆発的に拡散させる原因)」となる危険性はもちろんあります。しかしそうなった場合に怖ろしいのは、感染爆発だけではありません。
 ある知人は、「もし東京五輪で感染爆発が起きたら、アメリカではまたアジア人に対する暴力が多発するのではないか」と懸念していました。私も同じ危惧を抱きます』
 コロナ禍以後、欧米ではアジア人への暴行や殺人が後を絶たない。……
 『アジア発』の新型コロナウイルスを憎む欧米人によって、中国人か日本人か韓国人かは関係がない。アジア系と見れば、無差別に襲いかかってくる者もいるのだ。
 『東京五輪がコロナ再拡大のきっかけになってしまえば、世界中の人種差別主義者が日本への憎悪を募らせることにもなりかねない。IOCはその危険性を正しく認識しているのでしょうか』(前出・ボイコフ氏)
 繰り返そう。東京五輪を強行した場合には、感染拡大とそれによる人的な犠牲が生じる可能性が高く。それだけでなく、世界中で日本に対する批判が過熱し、さらにはアジア人に対するヘイト・クライム(憎悪犯罪)を助長する危険さえある。『それでいて、日本経済を浮揚させる効果はほとんどないでしょう』(前出・クルーグマン氏)。海外からの観客が一切入ってこないのだから、五輪で得られる経済的な利益は微々たるものにすぎない。
 それでも、やめよう
 ……
 少なからぬ日本人にとって東京五輪は、この10年近く心の支えとなってきた『夢の大舞台』と言っていいだろう。それが失われるのは、つらいことではある。しかし、ろさ・タイムズのスポーツコラムニスト、ディラン・ヘルナンデス氏は『ここで勇気をもって中止を宣言してほうが、日本らしいのではないか』と話す。
 『アメリカは経済最優先の国ですから、たとえ人が死のうが経済を回せ、という雰囲気がある。でも日本はそうではない。テニスの錦織圭選手も、(五輪は)「死人が出てまで行われることではない」と発言していて、私は共感しました。
 日本人には「おカネよりも大事なものがある」という文化がある。IOCの言いなりになる日本の姿なんて見たくありません。仮に中止にしたとしても、イメージダウンには絶対になりませんよ』
 日本は確かに、コロナに敗れつつあるのかもしれない。しかし、希望を捨ててはいけない。『負けて勝つ』精神こそが、この国を支える底力なのだろう」
   ・   ・   ・   

 日本が求められる責任とは、日本国・日本国民ではなく、世界・人類に対してである。
 日本の政治家や官僚が取るべき責任とは歴史に対する重みだが、現代の政治家や官僚の発言は紙切れよりも薄っぺらで軽く意味がない。
   ・   ・   ・   
 東京発日本変異株による世界蔓延の重大責任は、数十年以内に死んでしまう今の政治家や官僚ではなく、数十年先や百年先まで生きねばならない子供や孫の世代に押し付けられる。
 よって、今の政治家や官僚は、本気で子供や孫の世代など考えず、自分の当選・地位・カネ・利益の事だけを優先する口先だけの無責任というべきである。
   ・   ・   ・   
 日本は世界で信用されている、日本人は世界で愛されている、という嘘話を信じていると同情ではなくトンデモない悲惨な出来事が日本・日本人を襲う事になる。
   ・   ・   ・   
 現代の政治家や官僚は、日本人はおろか外国人が幾人死のうとも国際契約である東京五輪開催を実行しようとしている。
 つまり、人権軽視どころか人命無視である。
 が、それが戦後日本の真の姿かもしれない。
   ・   ・   ・   
 コロナ禍で、オリンピックとパラリンピックが平和の祭典として万人が歓喜する国際スポーツ競技大会ではない事が明らかとなった。
 さらに、中国共産党政府がウイグル・ジェノサイドという人類に対する凶悪犯罪が現在進行形で行われている中国で北京五輪が開催されようとしている。
 ヒトラーナチス・ドイツは、オリンピック開催期間だけでもユダヤ人への差別・迫害・弾圧を中止し、一時の休息をユダヤ人に与え、この期間での国外脱出を黙認し、その御陰で多くのドイツ・ユダヤ人はホロコーストから逃れる事ができた。
 近代オリンピックは、その歴史的使命を終えたとして廃止すべき時に差し掛かっているのかもしれない。
   ・   ・   ・   
 2000年代以降の三流国日本は、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』神話ではなく『日はまた沈む』現実であった。
   ・   ・   ・   
 現代日本の責任の取り方とは、高額の報酬を得ての辞任、辞職、引退、退職であり、人によっては配置転換による昇級、栄転、さもなくば好条件による天下り、転職である。
 つまり、踏み止まる覚悟ではなく逃げ切りの発想である。
   ・   ・   ・   
 日本の憲法は、ワクチン、特効薬などの防衛的生物・化学兵器開発を禁止している。
   ・   ・   ・   
 現代日本人の自画自賛は、分別ある大人の自慢ではなく教養なき幼児の戯言である。
   ・   ・   ・   
 日本の国会・政治家が危機管理に対して無能無策を曝け出したのは、2020年における野党の桜を見る会疑惑追及と与党内の中国共産党国家主席国賓来日実現であった。
 政府・官僚の危機管理能力が低い事を証明したのが、豪華客船ダイヤモンド・プリンス号の混乱、武漢帰国者への防疫不徹底、中国人観光客の来日継続、などであった。
 テレビ・ラジオ、新聞・雑誌などのメディア関係者は、国民への緊急事態の解説と感染予防の注意喚起より視聴率と購買数を優先しての安倍政権批判と不安を助長する煽動的報道が目立っていた。
 そして、最大の驚きがコロナ・ワクチンが開発できないほど技術力が回復不能なほど衰退している事である。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は、アリとキリギリスのキリギリスであり、ウサギとカメのウサギである。
 現代の日本はキリギリスやウサギを、アリやカメよりも大事にし、アリやカメ以上に手厚い保護を加えている。
 アリとカメはナンバーワンを目指し、キリギリスとウサギはオンリーワンを目指す。
 人に感動と勇気そして慰め・励まし・癒しを与える芸能関係者は、キリギリスやウサギではなく、必要なアリやカメである。
 日本民族の伝統も芸能・演芸・演劇は、こうして数千年の永きに渡って受け継がれてきている。
 キリギリスやウサギの正体は、自粛警察・イジメ・嫌がらせなど同調圧力・場の空気・空気圧を加える心が汚れた穢れた救いようのない低俗な日本人である。
   ・   ・   ・   
 ナンバーワンになれないモノはオンリーワンにもなれない。
 オンリーワンは、最下位のどん尻でも簡単になれる。
 ナンバーワンを目指さないオンリーワンは、弱者・敗北者・負け犬の苦し紛れの惨めな言い訳に過ぎず、無能・低能・最低の証拠である。
 2000年頃から、日本人は世界でのナンバーワンを目指す事を諦め、日本国内だけの、自分の仲間内だけのオンリーワンを夢見始めた、その時から日本は国際競争力を失い三流国へと転がり落ち始めた。
 それは、日本の依存が競争の激しいアメリカから競争の少ない中国に切り替わった証拠である。
 そこで生まれたのが「日本は世界で信用され、日本人は世界で愛されている」という、子供染みた幼児向けのおままごと用語の戯言である。
 が、コロナワクチン供給で頼ったのが、中国共産党ではなくアメリカとイギリスである。
   ・   ・   ・   
 現代日本人の知能低下のよる馬鹿はこうして始まり、それを煽ったのが既存のテレビ・ラジオ、新聞・雑誌・書籍などのオールドメディアと新生のインターネットにおけるニューメディアである。
 それを喜んで受け入れたのは、現代日本人、リベラル派戦後民主主義世代とその薫陶を受けた有能・優秀な次世代(高学歴な知的インテリと進歩的インテリ)である。
   ・   ・   ・   
 日本の失敗は、武漢肺炎(新型コロナウイルス)ワクチンを国産化できず欧米各国の開発に頼り、大金を出す事で必要量購入契約を結ぶが、生産国は自国優先、自国民接種優先で日本への輸出制限を行い、日本は計画した量のワクチンが手に入らなかった。
 日本は、感染予防に失敗して医療破綻をきたし、さらに接種システム構築にも混乱していた。
 そうした事例は、日本が三流国に転落した証拠として表面化した。
 その原因は、政治家、官僚、学者、メディアが「100年に一度発生するかどうか分からない疫病の為に」巨額の開発費と貴重な時間を無駄に使うのは合理的でないとして切り捨て、疫病が発生したら欧米諸国が開発した優れたワクチンを購入すればいいとして、ワクチンの国産政策を放棄したからである。
 つまり、戦前の軍国日本が目指した1940年体制・自給自足体制の破壊である。
 それが、バブル経済崩壊後の自民党政権における橋本行革と小泉改革民主党における技術力破壊の事業仕分け(一番でなく二番・三番でいい)、そして安倍内閣における国土資産・日本企業への外国資本投融資促進であった。
 そこで流行ったのが、「ナンバーワンからオンリーワンへ」であった。
 1940年体制とは、他国を頼らず、依存せず、とことん自前にこだわる事であった。
   ・   ・   ・