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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
ロシアの日本への軍事侵略は、江戸時代後期から始まっていた。
徳川幕府は、蝦夷地(アイヌの大地)・北方領土・南樺太をロシア侵略から守るべく東北諸藩に派兵を命じた。
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明治維新とは、ロシアの軍事侵略を大陸で撃退する為の近代的軍事国家を目指す事であった。
日露戦争は、積極的自衛戦争であった。
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2024年12月29日 YAHOO!JAPANニュース ダイヤモンド・オンライン「狙いを知ったら青ざめる…プーチンが日本に求める平和条約は、油断も隙もあったものじゃなかった
北朝鮮が派兵したことによって、ウクライナ戦争は日本にとってより切実な問題となってきた。第2次世界大戦以来、日本の北方領土4島をロシアは実効支配したまま。2島返還という日本からの提案すらも蹴った、ロシアの論理とは?※本稿は、駒木明義『ロシアから見える世界 なぜプーチンを止められないのか』(朝日新書)の一部を抜粋・編集したものです。
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● ロシアと平和条約があったら 日本は制裁できなかった?
ロシアの侵略戦争は、ロシアという国と今後どう付き合っていったらよいのかという問題を世界の国々に突きつけている。もちろん日本も、例外ではない。
戦争が始まって2年が経過したころ、ロシアの外交関係者と話をする機会があった。とても日本の事情に詳しい人物だ。そのときに、こんなことを言われた。
「もしも今、ロシアと日本の間に平和条約があったとしたら、日本は大変でした。米国に言われて、ロシアに制裁しなければならない。だけどそれは条約違反になってしまう。頭が痛いことになっていましたね」。
とても奇妙な発言だ。確かにロシアがウクライナへの全面的な侵略を始めた際、日本はG7と足並みをそろえて、速やかに対ロ制裁に踏みきった。
岸田文雄首相が2024年4月に訪米した際に、バイデン米大統領はこれを高く評価した。
しかし、仮に日本がロシアと平和条約を結んでいたとしても、侵略行為を批判するのは至極あたりまえで、とやかく言われる筋合いはないはずだ。
実はこの外交関係者の発言の背景には、日ロ平和条約を巡る、日本とロシアの根本的な見解の相違があるのだ。
まず、日本の考え方を整理しておこう。
第2次世界大戦が終わって80年が経とうとしているのに、日本とロシア(終戦時はソ連だった)は、まだ平和条約を結んでいない。
その原因は、両国間の領土問題が解決していないためだ。
日本は、現在ロシアが実効支配している択捉、国後、歯舞、色丹の4島を「北方領土」と称して、返還を要求している。
日本政府は公式には認めていないが、2018年11月、安倍晋三首相(当時)は4島返還を断念して、歯舞、色丹の2島の引き渡しだけを求めるという譲歩案に転じ、プーチン大統領に示した。
4島か2島かはともかく、領土問題さえ解決すれば、日本とロシアは平和条約を締結できるというのが、日本側の考え方だ。
一般に、戦争後の平和条約には、以下の3点が盛り込まれる必要があるとされている。
● 戦争の結果、4島はロシアのものになった だから領土問題はないというロシアの主張
1.当事国間の外交関係の回復
2.賠償問題の解決
3.領土問題の解決
このうち1点目と2点目は、1956年に結ばれた「日ソ共同宣言」で既に解決済みだ。
このときに解決出来ず、今も残されている懸案は3点目。つまり領土問題を解決するのが平和条約の唯一最大の目的だというのが、日本の一貫した立場だ。
しかし、ロシア側の現在の主張は、これとはまったく異なるのだ。
この点について、私は2016年1月の記者会見で、ラブロフ外相に直接質問したことがある。
「日本側は平和条約締結と領土問題の解決をシノニム(同義語)だと考えているが、ロシアは領土問題が存在しないと考えているように思える」。
私がこう指摘したのに対して、ラブロフ氏は「私たちは平和条約と領土問題の解決をシノニムとは考えていない」と断言した。
ラブロフ氏はそのうえで、日本が第2次世界大戦の結果を認めることが平和条約の大前提だと主張した。つまり、平和条約を締結する際には、4島をソ連が占領し、それをロシアが継承している現状を受け入れろ、という主張だ。この立場は、2018年11月に安倍氏が2島返還路線にかじを切っても、変わることはなかった。
さらに近年のロシアは一貫して、平和条約にはロシアと日本の幅広い善隣協力関係を盛り込む必要があると主張している。
実際ロシアは、領土問題よりもそちらの方が重要だと考えているようだ。
プーチン氏自身、2018年9月に領土問題と平和条約を切り離すアイデアを安倍氏に示した。
まずは平和条約で日ロ間に「友人同士」の関係を作り、それを土台に領土問題を解決しようというのだ。
しかし前述のように、領土問題の解決策を含まないような条約は「平和条約」の名に値しないというのが、日本の主張だ。
このように、そもそも「平和条約」が何を意味するかについて、日本とロシアの考えがまったく異なるのだ。
● どんな場合でもロシアの言いなりになる それがロシアの考える「平和条約」
ロシアが言う「幅広い善隣協力関係」や「友人同士の関係」が具体的に何を意味するのかは必ずしも明瞭ではない。ただ一例として、かつて私がロシア側の関係者から聞かされたアイデアがある。
「平和条約に『日本とロシアは、第3国との関係で起きたことを理由にして、相手に対して敵対的な政策をとらない』という条項を盛り込めれば、とても意義深いのではないか」。
今となってみると、これはとても意味深長な内容である。
もしも日本がこんな内容を含む条約をロシアと結んでいたら、ウクライナ侵略後も、日本は対ロ制裁に踏み切れなかったかも知れない。油断も隙もないとはこのことだ。
冒頭で紹介したロシアの外交関係者の「平和条約があったら日本は困ったことになっていた」という発言の背景には、どんな場合でも日本がロシアに友好的な姿勢を示すことを約束すること、有り体にいえばロシアのやることを日本が邪魔できないようにするのが平和条約、という考え方があるのだ。
そもそも「平和条約」などという言葉を使うから、混乱や行き違い、さらにはつけいられる隙が生じるのかもしれない。将来ロシアと結ぶ条約は、単に「国境画定条約」とでも呼ぶことにしたらいいのではないか。そんなことを考えたくなる。
この点で、参考になる実例がある。エストニアとロシアの国境画定交渉だ。
エストニアは、バルト3国の一番北に位置している。第1次世界大戦後の1918年に独立を果たしたものの、1940年にソ連に併合されてしまう。
さらに第2次大戦が終わった1945年に、ソ連の指導者だったスターリンによって、領土の一部をロシアに奪われてしまった。これは、当時はソ連の中での線引きの変更だった。
固有の領土をロシアに奪われたと考えている点で、北方領土問題を抱える日本とエストニアは共通している。
エストニアはソ連が崩壊した1991年に独立を回復。その後に北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)に加盟し、ロシアと厳しく対峙している。
● 領土を奪われたエストニアの例を見れば ロシアとどんな交渉をしようと無意味
そんなエストニアは2014年、ロシアとの国境画定条約に署名した。実は両国がこうした条約に署名するのはこれが2回目のことだった。
最初の条約に両国が署名したのは、2005年のことだ。このときエストニア政府は、1945年にロシアに奪われた領土の返還を断念した。
ロシアから返還される見通しがまったくないこと、ロシアとの国境が未画定で領土紛争を抱えていることはNATO加盟の障害にもなり、安全保障上望ましくないと考えたことが、譲歩に踏み切った理由だった。
エストニア議会はこの決断を受け入れる一方で、条約批准の際に、かつての領土が正当だったという見解を議決した。
ところがロシアがこの議決に反発して条約の批准を拒んだため、交渉は仕切り直しとなってしまった。
その後の交渉で、条約に新たな条文を追加して、国境を決めるための純粋に技術的な性格という位置づけにすることで、2014年になんとか再署名にこぎ着けたのだった。
もっともこの新しい条約も、同年クリミアを占領したロシアに対してエストニアが制裁を科したことにロシアが反発し、再び批准されないまま、今も中ぶらりんになっている。
この経緯は、仮に領土で全面的に譲っても、少しでもロシアに気に入らないことがあれば条約の締結は困難だという実態を示している。
そもそもプーチン氏は侵略戦争を正当化する理由として「(ソ連崩壊時に)ロシアがウクライナ独立を受け入れたとき、それが友好的な国家だということが、当然の前提だった」と繰り返し主張している。
要するに、ロシアにとって気にくわない事態が起これば、政府間の国境合意を破る口実になるということだ。
これでは日本がロシアと平和条約を結んでも、ロシアに批判的な政策をとればいつでも「あれは無しね」と言われかねない。
もちろん今は、ロシアとの間で平和条約交渉を進められる状況ではない。でもその間に、過去の交渉を検証し、将来の交渉の進め方について考えておくことは、決して無駄にはならないだろう。
駒木明義
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