🎷28:─4・E─衆院でのウイグル人権非難決議は親中国派・媚中派によって骨抜にされた。~No.117 ㉗ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本は、アメリカと中国共産党の間をウロウロして決められず、決めたとしても見せかけで、やっている感を見せているだけで中身はない。
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 2022年1月29日17:57 産経新聞ウイグル人ら抗議集会 「国会で明確に中国非難を」
 在日ウイグル人らによる抗議集会で、中国非難の声を上げるよう訴える日本ウイグル協会のハリマト・ローズ副会長=29日、那覇市(川瀬弘至撮影)
 中国政府による新疆(しんきょう)ウイグル自治区などでの人権侵害行為をめぐり、在日ウイグル人らによる抗議集会が29日、那覇市で開かれ、国会決議で中国を明確に非難するよう求めた。
 集会には日本ウイグル協会の役員や沖縄県議ら約80人が参加。同協会のハリマト・ローズ副会長が中国の行為について「多くの国がジェノサイド(集団殺害)と認定している」とし、明確な非難が必要だと訴えた。
 2月1日の衆院本会議で予定されている国会決議には「非難」の文字がなく、「中国」を名指しすることも避けるなど、一部あいまいな内容になっている。
 集会に参加した前衆院議員の長尾敬氏は「骨抜きの決議であり、国際社会からかえって誤解される」とし、国会の対応を批判した。」
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 現代の日本人は、公言するほどに他国、特に中国での非人道的人権侵害には関心も興味もない。
 中国共産党に忖度するテレビや新聞は、本気で、真剣に、腰を据えて詳しく「ウイグル人権非難決議」を取り上げて報じない。
 何故か、日本国内に数多くの中国共産党・中国軍の工作員が入り込んで活動し、親中国派・媚中派と言われる政治家、官僚、企業家・経営者、メディア関係者、学者・教育者が中国人に協力しているからである。
 少数の日本大好きな親日派知日派で一般的中国人と大勢の中国共産党員・中国軍人・日本嫌いの反日派・敵日派とは別人の中国人である。
 反天皇反民族反日本的日本人は、中国共産党に協力している。
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 2月1日01:00 産経新聞「政界徒然草 「対中非難」決議はこうして骨抜きになった
 原川 貴郎
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 中国の新疆(しんきょう)ウイグルチベット内モンゴルの各自治区や香港での人権問題に関する決議が1日午後、衆院本会議で採択される運びだ。人権弾圧を重ねる中国政府への非難と、被害者救済の法整備に向けた立法府の決意を表明するはずだった決議文は、「中国」が一度も登場せず、与党の合意形成の過程で「非難」「人権侵害」といった重要な表現も消えて骨抜きの内容になった。構想から採択までの決議文案の変遷をたどった。
 中国共産党政権による人権弾圧を非難する国会決議の構想が浮上したのは、約1年前の令和3年1月だった。米国では前年の12月、チベットでの人権弾圧を批判し、人権や信教の自由を擁護するチベット人権法が成立。これを受け、チベット亡命政権の代表機関、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所が、超党派の「日本チベット国会議員連盟」の事務局長だった自民党の長尾敬衆院議員(当時)に日本版チベット人権法の制定を求めた。
 同議連で協議したが、チベット自治区ラサへの領事館設置など、実現困難な事項は日本の法律になじまないと判断し、まずは法整備の前提となる国会決議に取り組むことにした。」
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 2月1日13:14 産経新聞衆院で「対中人権非難」決議 「人権侵害」文言や名指しは回避
 衆院は1日の本会議で、中国による新疆(しんきょう)ウイグル自治区などでの人権問題に関する決議を賛成多数で採択した。4日の北京冬季五輪開幕前に人権を重視する姿勢を示した形だが、盛り込む予定だった「人権侵害」や「非難」の文言は公明党の要請を受けて削除され、中国を明示することも避けた。
 決議は「深刻な人権状況に象徴される力による現状の変更を国際社会に対する脅威と認識する」と強調し、深刻な人権状況について国際社会が納得するような形で説明責任を果たすよう求める内容。日本政府にも建設的な関与を求めた。
 また「新疆ウイグルチベット南モンゴル、香港等」と列挙して信教の自由への侵害や、強制収監などに対する国際社会の懸念を指摘した。参院北京五輪後に決議採択を目指す。」
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 2月1日13:23 産経新聞衆院の人権状況に対する「対中非難」決議の全文
 国会・衆院本会議場
 新疆ウイグル等における深刻な人権状況に対する決議
 近年、国際社会から、新疆(しんきょう)ウイグルチベット南モンゴル、香港等における、信教の自由への侵害や、強制収監をはじめとする深刻な人権状況への懸念が示されている。人権問題は、人権が普遍的価値を有し、国際社会の正当な関心事項であることから、一国の内政問題にとどまるものではない。
 この事態に対し、一方的に民主主義を否定されるなど、弾圧を受けていると訴える人々からは、国際社会に支援を求める多くの声が上がっており、また、その支援を打ち出す法律を制定する国も出てくるなど、国際社会においてもこれに応えようとする動きが広がっている。そして、日米首脳会談、G7(先進7カ国)等においても、人権状況への深刻な懸念が共有されたところである。
 このような状況において、人権の尊重を掲げる我(わ)が国も、日本の人権外交を導く実質的かつ強固な政治レベルの文書を採択し、確固たる立場からの建設的なコミットメントが求められている。
 本院は、深刻な人権状況に象徴される力による現状の変更を国際社会に対する脅威と認識するとともに、深刻な人権状況について、国際社会が納得するような形で説明責任を果たすよう、強く求める。
 政府においても、このような認識の下に、それぞれの民族等の文化・伝統・自治を尊重しつつ、自由・民主主義・法の支配といった基本的価値観を踏まえ、まず、この深刻な人権状況の全容を把握するため、事実関係に関する情報収集を行うべきである。それとともに、国際社会と連携して深刻な人権状況を監視し、救済するための包括的な施策を実施すべきである。
 右決議する。」
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 2月1日20:56 MicrosoftNews テレ朝news「「内政への乱暴な干渉だ」衆院の決議採択に中国反発
 「内政への乱暴な干渉だ」衆院の決議採択に中国反発© テレビ朝日 「内政への乱暴な干渉だ」衆院の決議採択に中国反発
 衆議院で中国の人権状況に「深刻な懸念」を示す決議が採択されたことに対し、中国政府は「内政への乱暴な干渉で極めて悪質だ」と反発しました。
 衆議院本会議で新疆ウイグル自治区や香港の人権問題に懸念を示す決議が採択されことを受け、中国外務省は1日、ホームページ上に声明を出しました。
声明では、決議が「中国の内政への乱暴な干渉で、極めて悪質だ」と批判したうえで「中国の人民に対する深刻な政治的挑発だ」と主張しました。
 また、日本側に厳正な申し入れを行ったことを明らかにしたうえで「さらなる措置を取る権利がある」として報復措置の可能性を示唆しました。」
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 2月1日21:04 産経新聞「中国、日本の人権決議に「政治的挑発」と反発
 中国の国旗(AP)
 【北京=三塚聖平】日本の衆院本会議が中国による新疆(しんきょう)ウイグル自治区などでの人権問題に関する決議を採択したことを受け、中国外務省は1日に発表した報道官談話で「中国人民に対する重大な政治的挑発だ」と反発した。日本側に厳正な申し入れを行ったことを明らかにした上で、「さらなる措置をとる権利を留保する」と表明し、対抗措置をとる可能性を示唆した。
 談話は、日本側の決議について「事実や真相を顧みず、中国の人権状況を悪意をもって中傷した」と主張。さらに「中国内政に乱暴に干渉し、極めて質(たち)が悪い」と非難した。
 中国は1日に春節旧正月)を迎え、連休期間中のため中国外務省の定例記者会見も行われていない。」
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 2月2日05:00 産経新聞「主張 ウイグル人権決議 衆院は中国におもねった
 日本の国会が中国政府におもねり、中途半端な決議をしたとして記憶されるのではないか。
 中国の新疆ウイグル自治区チベット南モンゴル、香港などの「深刻な人権状況」を「国際社会の脅威」とみなす決議を、衆院本会議が賛成多数で採択した。
 日本ウイグル国会議員連盟などの関係者が、対中人権侵害非難決議の実現へ奔走してきた労は多としたい。
 だが、実際の決議は自民、公明両党の執行部によって骨抜きにされてしまった。弾圧に苦しむ人々にもっと寄り添うべきだったのに、弾圧の張本人である中国政府に忖度(そんたく)したのは情けない。
 「中国」の文言は一切ない。誰に人権状況の説明責任を果たすよう求めたのかも明示していない。昨年末の与党調整で当初案の「人権侵害」が「人権状況」に書き換えられ、「非難決議」から「非難」の2文字が削除されたのもそのままだった。中国政府との関係を重視する公明の意向を自民が受け入れたのが大きい。
 決議は「日本の人権外交を導く実質的かつ強固な政治レベルの文書」と自称したが、それに値する内容ではない。れいわ新選組が中国への厳しい表現が足りないとして反対したのは無理もない。賛成した他の野党や自民の中から不満の声があがったのも当然だ。
 問題点はまだある。決議は日本政府に情報収集や監視、救済の施策を求めたが、衆院自身の今後の取り組みは示さなかった。
 衆院には中国の人権問題に関する公聴会を開いてもらいたい。不妊手術を強要された後、亡命したウイグル人女性ら多くの被害者から人権侵害の実態を聞くべきだ。それを報告書にまとめて公表し、中国政府や全国人民代表大会全人代)にも示して是正を迫ったらどうか。
 決議を準備中の参院にも注文したい。衆院のような腰砕けの決議を踏襲しないでほしい。中国政府による弾圧に苦しむ人々や、人権を真に重んじる日本国民に読まれても恥ずかしくない堂々とした決議の採択が必要だ。今こそ参院の独自性を発揮する時である。
 林芳正外相は採択後の衆院本会議で、政府として新疆ウイグルの人権状況などに深刻な懸念を表明してきたと述べたが、「中国」という言葉を使わなかった。対中恐怖症ではないかと心配だ。」
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 日本の高学歴な知的エリートや進歩的インテリは、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がなく、試験用の暗記する歴史は得意だが、試験に関係しない記憶する歴史は嫌いである。
 つまり、日本の歴史特に日本民族の歴史が嫌いである。
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 歴史的事実として、日本は被害者であり、中国や朝鮮は加害者である。
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 中国の歴史は、古代から戦争による虐殺と強奪の生き地獄であった。
 平和の時代は短く、侵略戦争や内戦・反乱の時代は長かった。
 中華の思想・哲学の諸子百家が現れた、古代中国である前770年~前221年の春秋戦国時代である。
 中華帝国儒教を国教とした統治制度が定まったのは、古代の隋(581~619)と唐(581~907)前期であった。
 日本が中国に学んだのは唐前期までで、それ以降はインドの仏教を中心に学んだ。
 朝鮮は、日本と違って儒教を真剣に学び、仏教は中国に倣って弾圧した。
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 古代中国人は、ほんの極少数だけが一族・家族中心の宗族主義で生き残ったが、大半は死に絶えた。
 現代に残っている漢族中国人は、周辺異民族が大量に移住し混血を繰り返して生まれた混血中国人である。
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 清王朝 1616~1912年。
 第6代乾隆帝:1711~1799年、在位1735~1795年。
 1755年 清軍はジュンガル帝国を滅ぼした。
 1757年 ホイト部長のアムルサナーは叛乱を起こした。
 清軍は反乱掃滅を行い、反乱軍はもちろん非戦闘員も全て捕獲、男性は殺害、婦女子はハルハ部に与えられた。
 清国軍が天然痘をもちこみ、オイラトの人口は激減し、ジュンガル人はほぼ全滅した。
 虐殺、疫病により数十万の人々が死亡した。
 ウイグルの苦難の歴史はこの時から始まった。
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 乾隆帝は、さらに四川・安南・ビルマを侵略して中国最大の版図を築いたが、この時が清朝の最盛期であった。
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 1793年 イギリス最初の中国への使節として清に派遣し、乾隆帝に直接面談して、自由貿易を認める通商条約締結の交渉を行おうとした。清朝側は皇帝への最敬礼である三跪九叩頭の礼をとることを要求。マカートニーはそれを拒絶、謁見は果たしたが、交渉に入れず、自由貿易も認められず帰国した。
 世界史の窓
 マカートニー
 イギリスの外交官で、1793年、広州以外の開港などを自由貿易を要求するため清朝に派遣された。
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 1796〜1805年 仏教系弥勒菩薩信仰白蓮教の乱。
 総人口は、1791年の3億435万人が1801年に2億9,750万人に減っていた。
 中国仏教は、仏陀弥勒菩薩という救世主が世の中を救うという反儒教反体制の革命宗教であった。
 中華儒教は、天帝・天子・皇帝の権威や聖人君主の人徳を否定し脅かす仏教などの奇跡と恩寵を売る宗教を弾圧した。
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 1840~42年 阿片戦争
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 1851~64年 プロテスタントキリスト教徒中国人の反乱である太平天国の乱で2,000万人以上が虐殺され、中国全土では人口の約4億3,000万人中1億6,000万人以上に激減したという。
 無宗教の日本人は、神の為なら人殺しを正当化するキリスト教に恐怖した。
 大陸世界では、信仰宗教をめぐる戦争による虐殺が繰り返さる殺戮地獄であった。
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 1853〜66年 捻匪(ねんひ)の乱。
 1852年に発生した華北の飢饉が引き金となった。
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 回教の乱。1856〜73年 雲南省のパンゼーの乱。1862〜73年 陝西省甘粛省のドンガン人(中国系ムスリム)の蜂起。
 漢人と回教徒の両方が報復として虐殺を繰り返し、戦乱を恐れて多くの住人が逃亡した。
 1861年 甘粛省の人口は、1,945万9,000人が1,394万人に減った。
 1880年 甘粛省では495万5,000万人、陝西省では772万人に激減した。
 陝西省の回教は70〜80万人いたが10年後にはおよそ9万人まで減少した。
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 1796年から1873年までの宗教結社による「教党の反乱」だけで、5,000万人~1億人が虐殺されたと言われている。
 日本人が憧れた中国は、血に飢えた中国人による猟奇的虐殺で地獄と化していた。
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 世界の常識は、友好的な少数派で反抗的な多数派を支配するであり、その為に少数派には権力と富を与えて裕福な教養ある上流階級にし、多数派からは奪える限りを奪って極貧の無学な下層階級とした。
 1856年 ビルマ王国はイギリスの侵略で滅亡した。
 国王は国外追放後に殺害され、王子は皆殺にされ、王女は奴隷・娼婦・下層民の妻に去れ、ビルマ王家は消滅した。
 ビルマの各少数民族は、多数民族ビルマ人による長年の偏見・差別・抑圧への報復として、イギリスから与えられた警察権を行使して仏教徒ビルマ人を弾圧し、復讐として不当に逮捕して拷問死や処刑を繰り返していた。
 1858年 ムガル帝国はイギリスの侵略で滅亡した。
 イギリス女王がインド皇帝に即位し、インド人皇帝は国外追放後に殺害され、男子皇族は皆殺にされ、女子皇族は奴隷・娼婦・下層民の妻にさ、ムガル帝室は消滅した。
 開明的な藩王(マハラージャ)は親英派として、300年以上の歴史を持つムガル帝室を時代遅れとして見捨て、忠誠心を捨てて裏切り、イギリスの植民地支配に協力した。
 植民地支配を受けていたインドは、自然災害が発生すれば広範囲で甚大な被害が発生し、被災地では数十万人から数百万人が犠牲となる地獄であった。
 イギリスと親英派は、独立運動を武力で鎮圧して虐殺し、反英派や独立派を弾圧していた。
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 1853年 アメリカのペリー黒船艦隊は浦賀に来航した。
 1898(明治31)年 アメリカはハワイ王国を併呑した。ハワイ王家はアメリカ移民とキリスト教会の侵略で消滅した。
 日本海軍は、アメリカの軍事侵略を警戒した。
 日本の戦争は、攘夷で、外国の侵略に対する積極的自衛戦争であった。
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 マルクス主義共産主義とは、経済成長否定と反宗教無神論で、富のある所から奪って貧しい者達に平等に分け合う事であって、貧しい者にも富が行き渡るように富みを作り出す事ではない。
 座れ者が集められた富を平等に分け合い、座れなかった者は分け前をもらえずに排除され、残った者は減った富を賭けて減らされた椅子を巡ってゲームを再開し、その結果として座れなかった者は排除され、そして減った富と減らされた椅子を巡って椅子取りゲームが繰り返される。
 運良く、椅子に座れた者はその時だけ一瞬は得をするが、ゲームを繰り返していくなかで全てをなくしていく。
 つまり、永遠ループの様に、分配できる富がゼロになるまで繰り返される椅子取りゲームである。
 その結果、共産主義体制であったソ連や東側諸国は自滅した。
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 国家・国民を支配するのに51%以上の多数派になる必要はなく、3%~5%の少数派で充分である。
 つまり、同調圧力・空気圧に影響されて動く日本(人口約1億2,000万人)を支配するなら3%(約360万人)の同志がいればこと足りる。
 長野中国人騒動事件。在日中国大使館は、中国共産党の命令に従って在日中国人数千人を長野市に動員して、北京オリンピック聖火リレーチベット弾圧に抗議する日本在住チベット人や日本の人権・人道市民団体を襲わせた。
 保守派自民党政権は、中国共産党の御機嫌を損ねる事を怖れ、襲撃する中国人ではなく抵抗するチベット人や日本人を逮捕した。
 親中国派・媚中派のメディア報道機関は、報道しない自由・国民に知らせない権利から、中国のイメージ悪化を恐れて中国人暴動事件を詳しく報道せず闇に消した。
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 少子高齢化による人口激減を解消する為に、1,000万人外国人移民計画(主に中国人移民)を実行さている。
 現実問題として、移民大国となった日本では中国人移民が増え始めている。
 中国共産党は、中国人移民が多く住み地域に支部が開設し、日本国への忠誠より共産党への忠誠を求め、共産党の支配を強化している。
 中国人移民に日本国籍を取らせ、参政権投票権・立候補権)と地方公務員(役人)・国家公務員(官僚)登用権を獲得する事で、日本国内部に深く根を張らせる。
 それは中国式陣地取り、つまり「碁」である。
 中国人移民を日本に送り込むのは「トロイの木馬」で、日本人支援者の協力を得て日本を中国人が住みやすい環境に内部から改造しようとしている。
 それは、ウイルス感染とウイルス増殖に似ている。
 では、誰が中国共産党と中国人移民・中国人留学生を引き入れたかと言えば、反天皇反日本人のリベラル派戦後民主主義教育世代とその薫陶を受けた有能・優秀な次世代、高学歴な知的インテリや進歩的インテリである。
 中国共産党の影響は、日本の最難関優秀大学・教育機関とメディア報道機関に深く根付いている。
 敵の敵は味方、というわけである。
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 石平「敵の内部に入り込み、次第に乗っ取る浸透工作は中国のお家芸です。周恩来がやったことを思い出してください。
 1924年、コミンテルン共産党の活躍が期待外れあったため、孫文率いる国民党の乗っ取りに乗り出します。コミンテルンは国民党の支援や武器を提供する見返りとして、共産党幹部が共産党員のまま国民党幹部に参画することを受け入れるよう要求。かなり無理な要求ですが、どいしてもコミンテルンの支援が欲しかった孫文はこれを承諾したのです。国民党はコミンテルンの全面支援を受けて、革命本拠地で黄埔(こうほ)軍官学校を創設し、その重要ポストである政治部主任に周恩来が就任しました。
 周恩来はそのポストを利用し、国民党の軍官を共産党の信奉者に転向させ、暴動を起こさせました。これが、1927年のいわつる南昌蜂起(なんしょうほうき)で、この日、8月1日は人民解放軍建軍記念日とされています。
 共産党の浸透工作は、国共内戦の趨勢を決した三大戦役(遼瀋{りょうしん}戦役、淮海(わいかい)戦役、平津{へいしん}戦役)でも活かされています。
 淮海戦役は徐州で2カ月もの間、国共双方が何十万人もの兵士を投入して戦った、いわば天下分け目の関ヶ原の戦い。なぜ、ここで共産党が勝てたかと言えば、国民党軍の最高司令部に周恩来の放ったスパイが十数年前から潜入していたからです。このスパイによって、国民党軍の作戦はすべて共産党に筒抜けでした。
 国民党の最高司令部が立てた作戦計画が、戦地の国民党軍の司令官に伝わる前に、毛沢東は情報を摑んでいたなんて伝説もあるくらいです。
 敵のなかに深く入り込んで徹底的に情報を盗み、策動し、潰すのは中国共産党お家芸なのです。永田町にもそういう人物がいるのではないか、……」
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 親中国派・媚中派は、現代でも周恩来が日本に仕掛けた巧妙な陰謀・謀略の罠にはまり、毛沢東よりも周恩来を偉大な指導者と崇めている。
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 独立王国時代のチベットで、政権中枢にいた親中国派・媚中派中国共産党政府との友好関係を築く為に、条約を結び、中国人移民を受け入れた。
 中国共産党は、中国人移民を保護する名目でチベットを侵略し、法王派、反中国派、民族主義、親英派、新インド派、宗教勢力を武力で排除して占領してチベット王国を滅亡させ、チベット宗教を弾圧し、死と暴力の恐怖支配を続けた。
 中国軍は、共産主義による人民解放を大義として200万人以上のチベット人を虐殺した。
 中国人の微笑みには、血に飢えた残忍な真顔が隠れている。
 親中国派・媚中派は、自国の国益や自国民の権利よりも中国共産党の利益を優先している。
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 一般中国人と中国共産党員・中国軍人・武装警察官・民兵・海民兵・秘密結社構成員・中国人犯罪者・その他は別人である。
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 ロシア革命は、少数派であるボルシェビキのさらに少数派であるレーニン率いるロシア共産党が勝利して成功した。
 レーニンは、ソ連ロシア共産党を支配する為に少数精兵として党内のレーニン派以外の多数派・反主流派を粛清した。
 スターリンも、独裁支配を完成させる為にライバルのトロッキーレーニン派など1,000万人以上を粛清して独自の少数派を維持した。
 共産主義とは、人民多数派ではなく党少数派、少数派の中の少数精兵のイデオロギーである。
 それは、中国共産党も同様である。
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 1847(弘化4)年 マルクスエンゲルスは、プロレタリア革命を広める為に共産主義者同盟の綱領を起草して、共産党宣言を行った。
 マルクス主義社会主義共産主義は歴史の浅い、反宗教無神論の新しいイデオロギーである。
 1917(大正6)年 レーニン共産主義暴力革命を成功させ、皇帝派・保守派を反革命派として虐殺した。
 ケレンスキーの社会革命党は多数派(ボリシェヴィキ)で、レーニンボリシェヴィキ党は少数派(メンシェビキ)であった。
 ロシア社会民主労働党内で、レーニンの人民独裁制を主張する左派は多数のボリシェヴィキであり、対立した大衆政党としてブルジョア革命を主張した一派は少数のメンシェビキであった。
 1921年 日本留学組の李大釗らを中心とした中国人共産主義者らは、共産主義を日本国語飜訳本で学び、レーニンの協力を得て中国共産党を結成した。
 日本がアメリカに恐怖したのは、アメリカによるハワイ王国侵略とハワイ王家滅亡、そして自由・民主主義の大義キリスト教の正義によってと民族の宗教・言語・文化・風習・その他がハワイ諸島から根刮ぎ消滅させられたことである。 1912年(明治45年) 孫文は、日本の右翼や国粋主義者らの資金援助を得て辛亥革命を成功させて中華民国を樹立した。
 1924(大正13)年 孫文は、中国武力統一の為にソ連からの軍事支援を得る為に中国共産党と手を組んだ。第一回国共合作である。
 日本政府と日本陸軍は、広大な中国を幾つかの政権が分割統治した方が安定し平和を維持できるとして、孫文への軍事支援を控えていたが、孫文ソ連と組み中国共産党を認め共産主義者を引き込んだ事を裏切り行為とみなして切り捨てた。
 日本軍の大陸戦略は、天皇・日本国・日本民族共産主義勢力から軍事力で守るという対ソ満州戦略であって中国ではなかった。
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2017-09-26
☭18」─1・A─レーニンが起こしたウクライナ飢饉。餓死者800万人~1,450万人。ホロドモール。1921年。~No.53・ @ 
2021-09-02
☭18」─1・B─ロシア革命の成功で歴史から抹消されたボルガ川流域での餓死者約500万人。1921年。~No.53 
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 マルクス主義共産主義は、人類史上もっとも血に飢えた凶悪・凶暴なイデオロギーである。
 共産主義ファシズム、ナチズムは、マルクス主義から生まれた悪の三つ子である。
 共産主義から、レーニン主義スターリン主義毛沢東主義などが発生した。
 日本の高学歴な知的エリートや進歩的インテリにはレーニン信奉者が存在する。
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 天下の悪法である治安維持法は、大正14(1925)年に公布され、昭和3(1928)年に改正され、昭和16(1941)年に全面改正され、反宗教無神論天皇制度打倒の共産主義運動を抑圧し、反天皇反民族反日本の共産主義者を弾圧した。
 が、天皇暗殺に失敗した不忠者は大逆罪・不敬罪で処刑されたが、それ以外の者は禁固刑として処刑されなかった。
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 明治後期・大正・昭和初期のテロには3種類あって、右派系日蓮宗原理主義者、左派系共産主義勢力・無政府主義者、宗教系キリスト教原理主義者(主に朝鮮人)であった。
 テロリストになる日本人は、高学歴者が多かった。
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 昭和7(1932)年 ソ連コミンテルンは、社会ファシズム論から日本共産党に対し32年テーゼ「日本に於ける情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」を送った。
 「帝国主義戦争の内乱への転嫁を目標とする日本共産党」に、暴力革命勝利の為の「統一戦線戦術」を命じた。
 日本人共産主義者は、人民の正義の為に昭和天皇や皇族を殺すべく活動を本格化させた。
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 三十二年テーゼ
 1932年5月コミンテルン執行委員会西ヨーロッパ・ビューローによって決定された「日本における情勢と日本共産党の任務に関する方針書」のこと。日本の支配体制を絶対主義的天皇制とみなし,きたるべき日本革命は天皇制を打倒し,地主制を廃止するブルジョア民主主義革命であり,社会主義革命はその次の段階とする二段階革命論の立場を明確にした。日本では河上肇翻訳で同年7月 10日『赤旗』特別号に掲載され公にされた。同種のものには 27年,31年のものがある。これらのテーゼは当時の日本の経済理論,社会主義運動理論に大きな影響を与え,活発な論争を引起した。
 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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