🎻31:─1─日本衰退の予言書。『日本の自殺』(文藝春秋 1975年2月特別号)~No.99 

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 2022年12月27日 YAHOO!JAPANニュース 文春オンライン「《日本はなぜ没落したか?》匿名の学者集団「グループ1984年」が発表した“すごい予言”
 匿名の学者集団による没落の予言が時代を超えてよみがえる――。京都大学名誉教授の佐伯啓思氏の「『日本の自殺』を読み直す」(「文藝春秋」2023年1月号)を一部転載します。
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 「日本の没落」を高々と予言した
 掲載された実際の誌面(「文藝春秋」1975年2月特別号)
 本誌に「日本の自殺」と題する論考が発表されたのは1975年2月特別号であった。その刺激的なタイトルが当時の論壇に多大な刺激を与えたことは想像に難くないが、話題提供はタイトルだけのことではない。確かに70年代の初頭には、戦後日本を支えた高度成長の終焉という気分が広がっていた。成長よりも環境へと世論は風向きを変えており、74年の成長率はマイナスになる。また列島改造を掲げて登場した田中角栄はこの74年に権力の座から退場していた。
 世界を見ても、71年のニクソン・ショック、73年の第四次中東戦争から石油ショックによる先進国の経済混乱は世界同時不況やスタグフレーションを引き起こそうとしていた。日本もその混乱の渦に巻き込まれていたとはいえ、それほど強い危機感に覆われていたわけではない。まだ高度成長の余熱はあったし、アメリカの混乱をよそに、先端産業の競争力への期待も多分にある。そういう時代に「日本の没落」を高々と予言したのが本論文である。
 著者名に「グループ一九八四年」とある。匿名の学者集団である。グループ名から推測できるように、本書は、オウエルの『一九八四年』をもじって、10年後の日本を予測するものともみなされた。
 では10年後、どうなったのか。80年代の半ば、日本は85年のプラザ合意によって点火されたかのようにバブル経済へ突入する。若い女性を中心として高級ブランド品の消費ブームが沸騰し、人々は明かりに群がる蛾の群れのように不夜城で踊っていた。1人当たりのGDPでほぼアメリカと並ぶまでになり、文字通り、戦後の悲願であった「アメリカへ追いつけ」が現実化しつつあった。
 それはまた、世界的な経済混乱の70年代後半を日本は見事に乗り切ったことを示している(この時期の成長率は4.4%である)。この頃、日本は、半導体、自動車、家電、機械などの先端産業分野で世界を牽引するまでになり、日米間に激しい「経済戦争」を引き起こす事態となっていた。少し後のバブル期になるが、私は、何人かの経済系の評論家やビジネスマンから「このままでいけば、日本は全く向かうところ敵なし、一人勝ちになるぞ」というようなご宣託を何度か聞かされたことを思いだす。
 では本書はカッサンドラの予言にも似て、誰にも信じてもらえない陰鬱な予言だったのだろうか。決してそうではない。それどころではない。本論文を読めば、この「グループ」の高い先見性に驚かされる。しかもそれは、われわれが、あの虚栄の80年代を知っておればこそ、なのである。
 日本の本当の課題はどこにあるのか
 75年に発表された論文は、2012年(平成24年)に『文藝春秋』3月号に再録され、また同年に文春新書『日本の自殺』として書店にならぶこととなった。2012年といえば、前年に東日本大震災や福島の原発事故に見舞われ、民主党政権下、政治も経済も社会状況も混迷をきわめ、この年の総選挙後に第二次安倍政権が誕生するというその矢先である。
 そしてその後また10年が経過した。この10年をどう評価するかは難しい。アベノミクスの評価も難しい。新型コロナの3年があり、ロシアのウクライナ侵略があり、米中対立があり、混乱は世界中をかき回している。だが世界情勢はひとまずおいても、確かなのは、大半の日本人が「日本の没落」をかつてなく強く感じ取っているということだ。「日本の一人負け」などという自虐的な嘆息も聞かれるが、このままでは「日本に将来はない」という悲観的気分がこの列島に広がっている。
 だが、どうしてなのか。何が問題なのかとなると答えは判然としない。人口減少が原因なのか、グローバリズムと情報化に乗り遅れたからか、改革が進まないからなのか、財政赤字が問題なのか、イノベーションの出遅れと生産性の低下が問題なのか、政府の失政なのか、企業家の意識が低いからか、古い習慣と規制のせいなのか、はたまた中国が悪いのか。毎月の論壇誌や新聞・テレビ等のマスメディアを見れば、ありとあらゆる犯人捜しが掲載され、その候補は出尽くしている。だとすれば、それぞれの犯人候補を断罪すればよいわけで、「こうすれば日本は復活する」式の勇ましい提言も次々と繰り出される。
 こんな状態が、長く見れば、バブル崩壊の90年代以降30年以上続いているのである。そして、実際には、そのけたたましいほどの百家争鳴がかえって事態を混沌とさせているのではなかろうか。「専門家」と称するものの見解が対立し、誰も確かな見通しを持つことができない。また、多岐の分野において問題はいくらでも指摘できるし、その分野の専門家もいくらでもいる。専門家のアドヴァイスのもと、政府も何らかの対策を打ち出す。だがすべてが場当たり的で、そこに全体像が見えないために、結局、何をやってもうまくいかない。30年にわたって「改革」が連呼され続けてきたにもかかわらず、ほぼゼロ成長で、政治への信頼は失墜したままだ。
 おそらく、本当の課題は、特定の分野にあるのではなく、それを全体として見る見取り図の欠如にあるのだろう。歴史や世界を見渡し、そのなかで日本の図像を描き出す指針がなくなってしまったのである。見取り図の描きようがないのだ。だから、財政、イノベーション、所得格差、福祉、高齢化、教育、災害、環境、エネルギー、少数派の権利、それに安全保障(防衛)など、いくらでも個別の「問題」は指摘でき、それぞれの分野で「識者」が持論を述べる。確かに問題は山積している。だが、それをトータルに見る「文明論」が欠如している。われわれは、いかなる文明の中にいるのか。この文明の現状はいかなるものなのか。こうした論点がすっぽりと欠落しているのである。
 ローマ帝国の衰退を参照して日本を論じる
 そこで『日本の自殺』を改めて読みかえしてみる。本書の最大の特徴は、何といっても、「日本の衰退」を壮大な文明論的な観点から論じ、しかもその文明論としてかの「ローマ帝国の衰退」を参照するという創見にある。ローマ帝国の衰退は、ゴート族やペルシャ人などの外部の「野蛮」の侵攻によって引き起こされたのではなく、その内部からの自壊にあった。ローマの崩壊は、その都市化、領土の拡張、富の蓄積、大衆の消費文化や享楽などといったローマの成功そのものの帰結だ、というのである。
 言い換えれば次のようになる。ローマの成功は経済的豊かさと巨大な都市化をもたらした。だがそれこそが伝統的共同体の破壊と大衆社会化状況を出現させ、その結果、市民・大衆の判断力や思考力が衰弱し、「パンとサーカス」という活力なき福祉国家へと行き着いた。そのことが福祉コストの増大やインフレを招き、また放埓なまでの自由、エゴイズム、悪平等、道徳観念の欠如を蔓延させるという悪循環へとローマを沈めていったのである。
 しかもこれはローマに限らず、普遍的な文明没落の法則とでもいうべきものであろう。この文明没落のサイクルをローマ人は自覚することができなかった。したがって、ローマは蛮族による侵入ではなく、市民の「魂」の荒廃によって、つまり自らの「内なる野蛮人」によって崩壊した。自壊していったのである。
 大人が子供に合わせようとする社会に
 ローマの崩壊についてのこの解釈は特に目新しいものではなく、モンテスキューやギボンのローマ帝国衰亡史を踏襲したものといってよいが、本書の白眉は、この「文明の没落観」を70年代から80年代の日本に重ね合わせて、驚くべき説得力を発揮した点にある。論文が掲載された75年に著者たちはすでに次のように論じていた。いくつかのポイントがある。
 日本が達成した豊かさの結果、人々は精神の自立を失って、大量生産・大量消費に依存する万事「使い捨ての生活」へとなだれ込んだ。社会はマーケティング戦略に踊らされ、新奇なもの、一時のものに高い価値を与え、その結果、欲望はたえまなく刺激されて肥大化し、精神や生活の安定は失われる。
 また、大衆社会化は、豊かさを社会全体に行き渡らせたものの、その代償として、人間の思考力、判断力、それに倫理的能力の全般的衰弱と幼稚化をもたらした。こうした社会は、子供を大人に引き上げようとはせず、逆に大人が子供に合わせようとする。「適切なことと適切ではないこと」を見分ける繊細な判断力の欠如、他人の意見に対する尊重の欠落、過大なまでの自己愛。まさしくかつてホイジンガーが述べた現代文明の「幼稚化(ピュアリリズム)」そのものである(ホイジンガー『あしたの陰りのなかで』1935年)。
 さらに、情報化が、人々から直接的経験の感覚を奪い取ってゆく。マスコミの発達や大衆教育の普及は高度文明のあかしであるが、同時にそれは知力の低下や倫理力の全般的衰弱をもたらした。人々は、品質の悪い情報環境に取り囲まれて、皮相な知識や真偽不明のあやうい情報の受け売りに終始し、自分自身の直接的な経験をしっかりとみつめて自分の頭で物事を考えることを停止した。
 そこで、経験の希薄化に対して、記号的な世界が膨張する。人々は、マスコミによって見せつけられる膨大な記号的世界をいわば「疑似経験世界」とみなしてしまい、場合によっては現実とは似ても似つかない虚構の世界に身を委ねることになる。情報世界と現実世界の乖離は、現実生活において様々な不適応を引き起こすだろう。かくて社会的規模での「情報過多による神経症」が出現する。ここでもまた、情報化は、人々の思考力、判断力、それに情緒性を衰弱させ、文明のもたらす幼稚化と野蛮化をとめどなく拡大してゆくであろう。
 最後にもうひとつ述べておけば、文明の発達は多かれ少なかれ「平等主義のイデオロギー」を生み出した。ところがそれは、共同体を解体し、大衆社会化状況を作り出し、社会を風化し砂漠化してゆく。要するに、社会は砂粒のようなバラバラな個人の集まりとなって確かな秩序をもたなくなる。
 「戦後民主主義」は「疑似民主主義」
 日本の場合、その典型が「戦後民主主義」や戦後の「民主教育」であった。たとえば、教育現場ではあえて成績のランクをつけず、人間の個性化や教育の多様化を排し、しばしばクラスの平均や底辺に水準を合わせた画一的教育が行われた。また、「民主教育」の推進者たちはエリート主義を否定したが、その結果として、たとえば「東大生もまた勇気あるエリート意識を喪失して幼稚化しつつある」。要するに、戦後民主主義の風潮のなかで、責任あるエリートが育たなくなったのである。
 戦後民主主義はまた、次のような特徴を示していた。第一に、それは、批判を許さない独断的で非経験科学的なドグマであった。第二に、それは、多元性を認めない全体主義的要素をもっていた。第三に、それは、もっぱら権利の主張に傾き、責任と義務を軽視した。第四に、それは、政治的指導者に対して強い批判を投げかけるものの、建設的な提案はしない。第五に、それは、エリート否定の半面として大衆迎合的であった。
 このように著者たちは主張している。むろん、これは民主主義そのものの否定ではない。戦後民主主義は真の民主主義ではなく「疑似民主主義」であった、と彼らはいう。真の民主主義は、決して大衆迎合をしないエリートや政治的指導者を必要とするのであり、社会集団や階層や意見における多元性を決して崩そうとはしないし、社会を画一化し、全体主義化するものではありえない。だが、日本の戦後民主主義のもつ平等主義(悪平等)のイデオロギーこそが、社会の均質化と画一化を推し進め、社会から活力をそいでいった。
 これが「日本の自殺」のプロセスだ。しかも、それは、ほとんど「文明の法則」とでも呼びたくなる歴史過程にほかならない。そこで著者たちはいくつかの教訓を引き出した。列挙しておこう。第一に、国民が狭い利己的な欲求の追求に没頭したとき、経済社会は自壊する。第二に、国民は自分のことは自分で解決するという自立の精神をもたねばならない。福祉主義はそれを壊す。第三に、エリートが「精神の貴族主義」を失って大衆迎合に陥ったときに国は滅ぶ。第四に、年上の世代はいたずらに年下の世代にへつらってはならない。第五に、人間の幸福は決して賃金の額や年金の多寡や、物量の豊富さによって計れるものではない。人間を物欲を満たす動物とみなすとき、欲望は際限なく膨らみ、人は常に不平不満にとりつかれる。
 戦後日本は、確かに、物質的にはめざましい再建を果たしたが、道徳は荒廃し、魂は荒みきっている。日本はその個性を見失って茫然と立ち尽くしている。このように本書は述べるのである。
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 京都大学名誉教授・佐伯啓思氏による「 『日本の自殺』を読み直す 」全文は、「文藝春秋」2023年1月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載しています。
 佐伯 啓思/文藝春秋 2023年1月号」
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