🎼06:─1・B─戦後日本の日本戦争犯罪史観では非情な地政学を理解できない。〜No.10 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 歴史的事実として、古代から中国と朝鮮は何時侵略してくるか分からない反天皇反日の敵であった。
 日本の戦争は、天皇と日本国と日本民族を侵略者・侵略国から自己犠牲で守る積極的自衛戦争であった。
 日本国は侵略国でも戦争犯罪国でもなく、日本民族は侵略者でも戦争犯罪者でもない。
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 歴史的事実として、日本国・日本民族は中国や朝鮮に対して被害者であって加害者ではない。 
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 日本の近代戦争とは、天皇・皇室と日本国と日本民族を、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、マルクス・レーニン主義共産主義イデオロギー侵略から守る母国防衛戦争であり、侵略軍に味方して日本を攻撃してくる中国や朝鮮など周辺諸国を攻撃殲滅し、各国の反日・敵日派勢力を排除して親日知日派傀儡政権をつくり極東攻守同盟を結ぶ積極的自衛戦争であった。
 明治新政府が、近代的天皇制度中央集権国家を選択し、軍国主義政策を採用して、富国強兵・殖産興業・近代教育で軍国日本へと暴走したのはこの為であった。
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 日本がアメリカに恐怖したのは、アメリカによるハワイ王国侵略とハワイ王家滅亡、そして自由・民主主義の大義キリスト教の正義によってと民族の宗教・言語・文化・風習・その他がハワイ諸島から根刮ぎ消滅させられた事である。
 アメリカの太平洋侵略を最も警戒したのが、1894(明治27)年にハワイ王国滅亡を目の当たりにした東郷平八郎であった。
  ハワイ王国は、アメリカからの侵略から母国を守る為に日本の軍事支援を期待して、明治天皇天皇家との姻戚関係を申し込んだ。
 日本は対ロシア戦に備えて軍備強化を急いでおり、そこに新たに対アメリカ戦を加える余裕はなく、苦渋の選択として天皇家とハワイ王家との結婚は断り、1898(明治31)年にハワイ王国の滅亡を涙を流しながら傍観するしかなかった。
 日本海軍内のワシントン海軍軍縮会議に猛反対した艦隊派は、ハワイ王国滅亡を教訓としていた。
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 2023年3月12日 YAHOO!JAPANニュース「中国」って一体どんな国なのか、答えることはできますか?
 影響力と存在感が増す一方で人口減…
 現代新書編集部
 なぜ戦争が起きるのか? 地理的条件は世界をどう動かしてきたのか?
 「そもそも」「なぜ」から根本的に問いなおす地政学の入門書『戦争の地政学』が発売前から話題になっている。
 では、地政学から「中国」を見ると、何がわかるだろうか。
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 中国という「ふしぎな国家」
 現代世界における「中国とは何か」と問われて、すんなりと答えられる人は多くないはずだ。
 では、地政学の視点は、中国という大国の存在をどう説明するだろうか。
 〈スパイクマンの理論を参照するならば、中国は「両生類(Amphibia)」である。
 中国は、大陸に圧倒的な存在感を持って存在している一方で、遠大な大洋に通ずる沿岸部を持っている。
 中国は、歴史上、大陸中央部からの勢力による侵略と、海洋での海賊等も含めた勢力による侵食の双方に、悩まされてきた、「両生類」として生きる運命を持っている国家だとも言える。〉(『戦争の地政学』より)
 中国は、陸でも海でも覇権を取ろうとしている国家というわけである。
 中国が「一帯一路」で目指すもの
 そんな中国が現在進行系で進めている構想・戦略が「一帯一路」だ。
 アジア、中東、アフリカ東岸、ヨーロッパにかけて経済協力関係を築く戦略である。
 「一帯一路」戦略で中国が目指す道とは――。
 〈南下政策の伝統的なパターンを踏襲するロシアの影響力の拡張に対して、一帯一路は、ユーラシア大陸の外周部分を帯状に伝って、中国の影響力を高めていこうとする点で、異なるベクトルを持っている。ロシアのように、大洋を求めて南下しているのではない。
 中国は、資源の安定的な確保や市場へのアクセスを狙って、リムランドにそって影響力を広げていこうとしている。
 そこで一帯一路は、シー・パワー連合の封じ込め政策と、点上においてではなく、平行線を描きながら、対峙していくことになる。〉(『戦争の地政学』より)
人口が減り始めたことも大きな話題となった中国だが、しばらくは影響力は拡大していくことだろう。
 現代世界で多大な影響力と存在感をもたらす中国は、それでも捉えるのがむずかしい国家であることは間違いない。
 〈急速な国力の拡充を果たした中国は、まだ地政学上の問いに完全に明晰に答えることができる存在になっていない。
 中国の指導者たちは、そもそも中華帝国の伝統にそって国力を充実させる中国は、必ずしも欧米主導の地政学の視点による分析にはなじまない存在であると考えているかもしれない〉(『戦争の地政学』より)
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 3月14日 YAHOO!JAPANニュース「多くの人が意外と知らない、「地政学ブーム」の落とし穴
 既存の地政学本に対する大きな不満
 篠田 英朗東京外国語大学教授
 国際関係論、平和構築プロフィール
 なぜ戦争が起きるのか? 地理的条件は世界をどう動かしてきたのか?
 「そもそも」「なぜ」から根本的に問いなおす地政学の入門書『戦争の地政学』が発売前から話題になっている。
 「地政学」とタイトルのつく本が多く刊行されるようになり、地政学の関心を持つ人が増えている。
 そうしたなかで指摘しておきたい、「地政学ブーム」の落とし穴とは?
 多くの地政学本に抱いていた不満
 『戦争の地政学』の執筆にあたって、あらためて「地政学」という文字が題名に入っている、近年に公刊された書籍を数十冊買いあさって渉猟してみた。カラフルな挿絵が数多く挿入されていたり、漫画の登場人物が会話をする形式であったり、趣向が凝らされていて、楽しめた。
 地政学には、様々な引き出しがある。わかりやすい地図があって便利なもの、思い切った単純化を施して劇画化しているもの、詳細な国際情勢分析を施しているものなど、多様である。
 地政学の視点の魅力の一つは、地理的条件が国際情勢に影響を与えているという簡明なメッセージとともに、切り口の多様さでもあるだろう。その地政学が持つ懐の深さは、今後も維持されるべきだし、発展させていくべきだ。
 しかしそれにもかかわらず、私にとって不満を感じざるを得なかったのは、地政学があたかも完結した一つの学問分野であるかのように扱われている場合が、あまりに多いことだった。あるいは逆に、多様な地政学の視点を、単なる内部の混乱として扱ってしまうことが、一般化していることだった。私は、以前から、この傾向に不満を持っていた。しかし今回調べ直してみて、あらためて不満が高まった。
 確かに世界情勢を図式的に理解できるのは、地政学の視点の大きな魅力だ。だがそれだけでは、世界観を一致させる人々が、互いにただ自分たちの権力欲にしたがって衝突しているだけだという極めて静的な世界の理解が、地政学の全てになってしまう。
 現代世界では、武力紛争が多発している。ロシアによるウクライナ侵攻という劇的な事件による悲劇も続行中だ。この世界の矛盾が劇的に露呈している。静的なイメージでの地政学の理解は、私にとっては不満の材料でしかなかった。
 人間の世界観をめぐる闘争
 地政学をめぐる葛藤は、むしろ人間たちはこの世界をどう見るかという世界観のレベルにおける人間の闘争を映し出している。地政学をめぐる争いは、人間の世界観をめぐる争いである。
 このような率直な思いから執筆したのが、『戦争の地政学』である。この問題意識をはっきりさせるため、英米地政学と大陸系地政学という全く異なる世界観の上に成立している二つの異なる地政学の間の葛藤に、焦点をあてることにした。
 地政学をめぐる議論の中で露呈している人間の世界観をめぐる闘争を把握することこそが、現代世界の紛争の状況を構造的に理解するための鍵になる、という視点を強調することにした。
 地政学の視点が明らかにする国際紛争の構図は、どのようなものか、という問いに対して、二つの異なる地政学の世界観がせめぎあう構図だ、という一つの答えを示した。
 二つの異なる地政学は、異なる世界観を持つ人間たちこそが、争いを起こしている様子を描き出す。地政学は、共通の世界観を持つ人々が、単なる利益計算にしたがってのみ争っているような世界だけを描写しているのではない。むしろ根本的に異なる世界観を持つ人々が、世界観をめぐるレベルにおいてこそ争っている様子を、明らかにするのである。
 運命論的な性格を持っている地政学
 地政学とは、運命論的な性格を持っているという。地理的条件などの人間にとっては外在的な要素が、人間の運命を決定しているかのように考えるからだ。これは英米地政学にも、大陸系地政学にも、あてはまる。
 ただ、異なる世界観を持つ人々は、異なる運命を見出す。同じ一つの世界を見て、運命に翻弄されている同じ人間たちを見ながら、その人間を翻弄している運命を異なる様子で描写していくのである。
 人間は、確かに運命に翻弄されている。しかしその運命が何であるのかについて、人間は完全には把握することができない。少なくとも運命が露呈するよりも前に、全ての運命を完全に洞察することはできない。そこで運命論的な巨大な力を感じながら、それが何であるのかをめぐる世界観の闘争を延々と繰り広げていく。
 運命を手なずけようとする人間の野心は、運命に抗おうとする人間の野心と、ほとんど変わりがなく、見分けがつかない。なぜかと言えば、結局のところ、われわれがわれわれの運命を知らないからだ。
 われわれに可能なのは、そのことをよく熟知したうえで、それでもなお運命は何なのか、運命に翻弄される人間はどういう状態にあるのか、を知ろうとする努力を欠かさないことだ。
 地政学の視点は、運命と呼ぶこともできるような巨大な力が、この世界に存在することを示唆する。しかし、その運命がいったい何なのかは、われわれ人間には完全には把握できない。その不確かさの中で、それでもなおわれわれは生きていく。
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 3月30日 YAHOO!JAPANニュース「中国の超大国化を支える「一帯一路」構想から見える、ロシアと中国の「決定的な違い」
 篠田 英朗東京外国語大学教授
 国際関係論、平和構築プロフィール
 現代の国際社会において最も根本的な構造的対立は、米中対立であろう。
 その中国の超大国化を支える「一帯一路」とは一体何か。なぜアメリカと並ぶほどの超大国となったのか。同じくアジアの超大国であるロシアとは何が違うのか。
 激動世界のしくみを深く読み解く新刊『戦争の地政学』が話題になっている。
 地政学から見た「中国とは何か」――。
 (※本稿は篠田英朗『戦争の地政学』を一部再編集の上、紹介しています)
 一帯一路とは何か、ロシアと中国の決定的な違い
 中国が追求する世界戦略は、現在のところ「一帯一路」の概念によって説明されることが多い。
 一帯一路とは、中国を起点として、アジア〜中東〜アフリカ東岸〜ヨーロッパを、陸路の「一帯」とし、海路も「一路」で結び、経済協力関係を構築するという戦略である。経済政策、インフラ、投資・貿易、金融、人的交流の5分野で、交易の拡大や経済の活性化を図ることを目指している。「一帯一路」構想は、ユーラシア大陸を貫く(中国勢力圏の)複数の帯を放射線上に伸ばすだけでなく、大陸沿岸部にも中国から伸びる海上交通路を確立することを目指している。
 南下政策の伝統的なパターンを踏襲するロシアの影響力の拡張に対して、一帯一路は、ユーラシア大陸の外周部分を帯状に伝って、中国の影響力を高めていこうとする点で、異なるベクトルを持っている。ロシアのように、大洋を求めて南下しているのではない。
 中国は、資源の安定的な確保や市場へのアクセスを狙って、リムランドにそって影響力を広げていこうとしている。そこで一帯一路は、シー・パワー連合の封じ込め政策と、点上においてではなく、平行線を描きながら、対峙していくことになる。
 中国の「両生類」を支える一帯一路
 中国は至るところで圧倒的な存在感を見せるが、それはたとえば北朝鮮をめぐる問題などにおいても顕著である。超大国・中国が後ろ盾として存在している限り、単純な米国優位のままの事態の解決も容易ではない。
 類似した構造は、ミャンマーにおけるクーデターの後に成立した軍事政権にもあてはまる。事実上の中国の後ろ盾があるからこそ、シー・パワー連合の欧米諸国を中心とする諸国からの圧力にも耐えて、存続していくことができる。
 なお中国は、さらにアフガニスタン中央アジア諸国、さらにはアフリカ諸国に関しても、財政貢献や政治調停への参画に関心を持っている。特に大量の援助を投入してきたアフリカにおける影響力は、かつてないほどに大きい。そこには一帯一路に象徴される視点にしたがって、自国の影響力を広げていこうとする圏域的な発想も見られる。
 〔PHOTO〕GettyImages
 結局のところ、一帯一路とは、大陸系地政学の視点に立って言えば、中国という超大国の生存圏/勢力圏/広域圏を拡大させるにあたって政策的な指針となる考え方のことである。超大国となった中国は、極めて当然かつ不可避的に、国力に応じた自らの生存圏/勢力圏/広域圏の拡大を追求していく。
 英米地政学にしたがえば、シー・パワー連合は、この中国の圏域的な発想にしたがった事実上の拡張政策を、封じ込めるための努力を払っていくことになる。
 ただしそれはロシアのような典型的なランド・パワーに対する封じ込めとはまた別に、「両生類」の超大国の拡張政策に対する封じ込め政策として追求されることになるだろう。つまり一帯一路という陸と海の双方で、リムランドにそって拡張していく中国の生存圏/勢力圏/広域圏の拡張政策に対する封じ込め政策として、追求されることになるだろう。
 今後は中国の人口や経済成長の伸びは鈍化していくと予測されている。しかし急速な発展で超大国の一つとみなされるようになった中国が持つ影響力の拡大は、まだ相当な潜在力を秘めている。その一帯一路の戦略が、アジア太平洋の戦略と、紛争多発ベルト地帯にまたがる形で摩擦を生み出していく傾向は、今後さらに増えていくだろう。
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 4月14日 YAHOO!JAPANニュース「日本における地政学の「誤解」とは…戦前日本の外交政策が理論に与えた「意外な影響」
 篠田 英朗東京外国語大学教授
 国際関係論、平和構築プロフィール
 なぜ戦争が起きるのか? 地理的条件は世界をどう動かしてきたのか? 「そもそも」「なぜ」から根本的に問いなおす地政学の新たな入門書『戦争の地政学』が話題になっている。
 ここでは、近代国家としての歩みを始めた明治維新以降の日本が、マッキンダー地政学理論で説明することができる外交政策に合理性を見出していたことを振り返る。
 ただし明治期の日本の外交政策が、マッキンダー理論に影響されていたわけではない。時系列は、逆である。むしろ日本の外交政策が、マッキンダー理論の登場に影響を与えたのである。
 日本でタブー視された地政学
 日本において地政学は、大日本帝国時代の帝国主義的政策と結びついていたがゆえに、第二次世界大戦後の時代にタブー視されるに至った。
 そのため地政学が1970年代以降に徐々に注目されていった際、地政学は戦後の日本で禁止された「悪の論理」であると喧伝された。タブー視されていた歴史が、逆に秘密の教えとしての特殊な魅力の源泉となったのである。
 しかしこのような日本における地政学受容の歴史の理解は、二つの異なる地政学の視点を度外視しているために、大きな問題をはらんでいる。
 1970年代以降に地政学の代表的理論家がマッキンダーだと紹介されたため、あたかも戦後に拒絶されたのがマッキンダー理論であるかのような誤解が生まれがちになった。
しかし事実は異なる。
 なぜなら1930年代・40年代に日本の多くの知識人の注目を集めた地政学の理論家に、マッキンダーは含まれていなかった。
 日本において、戦中に隆盛し、戦後に拒絶されたのは、ハウスホーファーに代表される大陸系地政学であった。
 日独同盟の理論的基盤であったと言える有機的国家観を基盤にした勢力圏の思想が衰退し、ナチス・ドイツの生存圏の思想および大日本帝国大東亜共栄圏の思想がタブー視された。
 終戦直後から、大陸系地政学のタブー視と、マッキンダー理論が代表する英米地政学の重視は、表裏一体の関係をとって、戦後の日本の外交政策を特徴づけてきた。
 もっとも二つの異なる地政学が強く意識されなかった日本では、大陸系地政学のタブー視は、英米地政学の採用である、という理解は広がらなかった。
 大陸系地政学の否定と英米地政学の肯定は、1970年代以降の地政学への注目が興隆する現象の中で、マッキンダー地政学の代表的理論家だと説明される過程で、広く受容された。いわば現実の国際政治の進展を後追いする形で、英米地政学の意識的受容がなされた。
 この事実をふまえることは、明治期の日本外交の性格を正しく知ることにもつながる。
 シー・パワー同盟である現代の日米同盟の意味は、マッキンダー理論によって明快に説明される。そのため、日露戦争の直前に締結された日英同盟もまた、マッキンダー理論にしたがったものだと仮定されがちである。あたかも19世紀末のイギリスおよび日本の外交当事者に、マッキンダーが講釈をしたかのような誤解が生まれがちである。
 マッキンダー理論を生み出した日英同盟
 だが事実は、順序が逆である。日英同盟マッキンダーが推奨したのではなく、日英同盟の現実を「歴史の地理的回転軸」の執筆者であるマッキンダーが説明した。
 日英同盟の成立は1902年、マッキンダーの「歴史の地理的回転軸」は、1904年2月の日露戦争勃発の直前の講演で披露され、勃発後に論文として公表された。
 マッキンダーは、母国イギリスが「名誉ある孤立」を破って極東の日本と同盟関係を結んでロシアの南下政策に対抗したことに触発され、その歴史的・地理的な意味を分析するために「歴史の地理的回転軸」を執筆したのである。
 それが実際の戦争の勃発とほぼ同時であったため、マッキンダーの講演/論文は、一躍有名になった。
 ランド・パワーとシー・パワー連合が対峙するマッキンダー地政学理論の原型は、日露戦争に至る日英同盟の構図によって形成されていた。
 ロシアと同義語であるハートランド、イギリスと日本、そしてアメリカが属するアウター・クレセントの概念も、日露戦争の当時の実際の諸国の存在を具体的に意識したものだ。
 大日本帝国外交政策マッキンダーに影響された経緯はない。マッキンダーが、当時の日本の外交政策に影響されたのである。
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 4月22日6:47 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「なぜ戦後日本で「地政学」が怪しい危険思想としてタブー視されたのか?
 なぜ戦争が起きるのか? 地理的条件は世界をどう動かしてきたのか? 地政学の新たな入門書『戦争の地政学』が話題になっている。
 【写真】日本人が知らない「プーチンのヤバすぎる…」
 ここでは、戦後の日本で地政学をタブー視する傾向が生まれた経緯をたどる。
 戦後の地政学のタブー視とドイツ思想受容の伝統
 写真:現代ビジネス
 第二次世界大戦終結すると、ドイツではハウスホーファー戦争犯罪人としての嫌疑をかけられた。
 日本においても、ハウスホーファー地政学理論を参照しながら大東亜共栄圏を推進していた人々は、戦争犯罪人としての嫌疑をかけられた。
 アメリカが主導するGHQが、大陸系地政学を、日本の対外的拡張主義の理論的基盤となった危険な思想と見なしていたことは間違いない。
 日本人の間でも、ハウスホーファーの系統の地政学の受容が、対外的な拡張主義を正当化する軍国主義と結びついていたことを反省する議論が起こった。
 そのため戦後の日本では、ハウスホーファーとともに広がっていたゲオポリティークとしての地政学をタブー視する傾向が生まれた。
 これは拡張主義の基盤となった大陸系地政学に関してのみ該当する歴史的事実である。GHQマッキンダー理論を警戒した経緯はない。
 ただそもそも戦前の日本において、地政学といえば、ハウスホーファーに代表されるゲオポリティークのことであった。
 そのため、戦後の日本では、地政学と名のつくもの全てが、怪しい危険思想としてタブー視されるようになった。
 実際の戦後日本の外交安全保障政策は、スパイクマン地政学理論によって補強されたアメリカとの間の安全保障条約を基盤とするものに刷新された。大陸系地政学を嫌い、英米地政学によって理論的基盤を再構築する動きだったと言ってよい。
 しかし地政学はタブーだという風潮が広まると、逆に語られていない地政学の理論に基づいた外交安全保障政策が、秘密の理論への信奉に基づくものであるかのように見えることになった。
 この地政学と戦後日本の外交安全保障政策をめぐる微妙な関係は、憲法学者らを中心とする知識人層の間における根深いアメリカへの不信感によって、さらに複雑な様相を呈することになる。
 憲法9条を根拠として主張された非武装中立主義の傾向すら持つ平和主義が「表の国体」である「顕教」で、日米安全保障条約に代表される外交安全保障政策が「裏の国体」である「密教」であると語られるようになった。
 その際、本来であれば日本の外交安全保障政策の理論的基盤と言ってもいい英米地政学の理論ですら、「密教」として、表では語られない教義であるかのようにみなされることになった。
 もともと日本の学界では、アメリカの思想の伝統に対する研究関心は薄弱であった。代わりにヨーロッパの影響が根強く、特に憲法学のような法学においては、ドイツ思想の影響が顕著であった。
 そのような学問分野では、国家有機体説に代表される大陸系地政学の思想的伝統が強く、反米主義的なイデオロギー的傾向も顕著になりがちだった。
 そのため、実務における密教としての「裏の国体」と、学界における顕教としての「表の国体」が、矛盾を抱え込みながら、併存していく状況が、長く続いたのであった。
 篠田 英朗(東京外国語大学教授)
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