🎹11:─3・C─「満州事変に至る道 大日本帝国陸軍の素顔」とロシアのウクライナ侵略戦争とは違う。〜No.47 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 軍国日本の満州事変とロシアのウクライナ侵略戦争は、次元が違う戦争であった。
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 ロシアの日本侵略は江戸時代後期から始まり、日本は天皇と祖国と民族を守る為に軍国主義国家へと暴走した。
 中国と朝鮮は、宿敵日本を滅ぼす為にロシアに協力し、日露戦争では日本軍の情報をロシア軍に流していた。
 軍国日本は、ソ連の32年テーゼから天皇と国家と民族を守る為に大陸侵攻を始めた。
 日本人は、中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人によって奴隷として売られていた。
 日本人の共産主義者無政府主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇と皇族を惨殺すべく付け狙っていた。
 日本の大陸戦争は、国家存亡を賭けた積極的自衛戦争であった。
 ヒトラーナチス・ドイツは、日本と戦うファシスト中国に軍事顧問団を派遣し、ドイツの兵器産業は中国軍を軍事支援していた。
 スターリンは、アジアの共産化の為に、反共勢力である日本軍を撃滅するべくソ連正規軍をファシスト中国軍に派兵して日中戦争に参戦していた。
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 2023年5月8日 YAHOO!JAPANニュース Wedge ONINE「日本人なら知っておきたい近現代史の焦点
 大日本帝国と現代ロシア 歴史が示す侵略国との向き合い方
 満州事変に至る道 大日本帝国陸軍の素顔(番外編)
 髙杉洋平 (帝京大学文学部史学科専任講師)»著者プロフィール
 最前線のウクライナ軍。侵攻から1年、今もロシアとの激戦が続く(Anadolu Agency/Gettyimages)
 筆者は「満州事変に至る道 大日本帝国陸軍の素顔」と題して昨年末から全6回の連載を『Wedge ONLINE』上に掲載した。同連載の第5回と第6回では満州事変から日中戦争を経て太平洋戦争に至る過程を概観した。連載中に殊更には明示しなかったが、同回はロシアによるクリミア侵攻(2014年)とウクライナ戦争(2022年~)を強く意識した内容となっている。読後感を寄せてくださった方からも同様の感想をいただくことが多かった。
 そこで本稿では、満州事変以降のわが国の歴史的経験からウクライナ戦争、ひいては今後の安全保障問題にどのように向き合うべきか改めて考えてみたい。
 なお当然のことであるが、複雑な現代政治の問題は歴史事例との対比だけで解明できるほど単純ではない。また両事例には類似点と共に相違点も多い。例えば大日本帝国ロシア連邦とでは、そもそも国家体制からして異なる。満州事変前後の日本は、制度的には天皇を国家統治の「総覧者」としつつも、現実には二大政党制による政権交代が定着しつつあった。他方、ロシアは制度的には共和制であるが、現実にはプーチン大統領を絶対的中心とする強度の権威主義体制が確立している。
 戦争のきっかけにしても、満州事変は陸軍の一部将校の謀略に端を発し、日中戦争の発端となった盧溝橋事件はアクシデントに近いものであった。対してクリミア侵攻もウクライナ戦争もロシア政府が決断した計画的国家政策である。
 こうした相違点の存在を大前提としつつも、それが類似点の有意性を相殺しない限り、われわれは類似点の存在と意味に注目すべきだろう。人類がタイムマシンを持たない以上、われわれは歴史的経験に依ってこの世界を認識するしかないのである。
 第二のロシアの出現を防げるかは、われわれ次第
 われわれの歴史的経験は何を示唆するだろうか。第一には、われわれの生きる世界は「繰り返しゲーム」の連続であり、ある政治決定はその政治事象のみならず、未来の政治事象にも繰り返し影響を与え続けるということである。
 満州事変においてもクリミア侵攻においても、国際社会は侵略国との将来的関係を憂慮するあまり、十分な制裁や非難を行わなかった。このことが侵略国のその後の政治行動に与えた影響は明白である。日露は国際法やそれを侵犯した際の国際社会の反発を軽視するようになる。日中戦争初期における日本政府と軍部の危機感の希薄さや、ウクライナ戦争直前にロシアが国際社会からの再三の警告を無視したことは、両国の認識を端的に物語っている。これは日露による政治判断の過誤ではあるが、それを招いてしまった責任の一端が国際社会にもあることを忘れてはならない。
 われわれは国際法や国際秩序の侵犯が、短期的にも長期的にも採算の合うものではないことを、侵略国および潜在的侵略国に示さなくてはならない。当然、その努力はまずはウクライナ戦争で示されるべきであるし、われわれが法と正義によって律せられた国際社会を希求する限りは、今後も不断に繰り返されるべき努力である。われわれはすでに過ちを犯してしまった。第二のロシアの出現を阻止し得るか否かはこれからのわれわれの対応いかんにかかっている。
 外交は軍事の一部であり、軍事は外交の一部
 第二には、被侵略国の抗戦意志と能力の重要性である。満州事変やクリミア侵攻において、十分な抗戦意志と能力を示せなかった被侵略国(当時の中国やウクライナ)に国際社会は冷淡だった。逆に日中戦争ウクライナ戦争において、国際社会の支援を引き出したのは被侵略国の断固たる抵抗であった。
 自己防衛努力を怠った被侵略国に対し、国際社会がリスクを取ることはない。国際社会において規範意識や正義観念が持つ力は決して小さくはない。しかしそれは無限でも無償でもない。われわれは国際社会が国益を賭すに足る抗戦意志と能力を備えなければならない。
 また同時に、被侵略国の抗戦意志や能力は侵略国に事前に了知させなければ意味を半減する。満州事変とクリミア侵攻において被侵略国はこの点で誤ったメッセージを送り、その後も侵略国に与えた印象を払拭することができず、日中戦争ウクライナ戦争を招いてしまった。平和を希求し、話し合いによる問題解決を優先することは当然だが、それが「弱さ」と受け取られることは避けなければならない。
 戦後長く、われわれは外交と軍事を二項対立構図で認識してきた。しかし本質的に外交は軍事の一部であり、軍事は外交の一部である。両者はイコール関係ではないが、しかし分かち難く結びついている。われわれは国際紛争の外交的解決を望むからこそ、相手国に外交的解決を「強いる」ための軍事的担保を怠ってはならない。
 同盟の意義を再認識せよ
 第三に、国連による集団安全保障が実効性を持たない現状で、集団的自衛権とそれに基づく同盟の持つ意義の再確認である。中国もウクライナも軍事的同盟国を持たなかった。同盟国の不在は自国防衛を著しく困難にしたのみならず侵略自体を誘発した。ロシアはウクライナ北大西洋条約機構NATO)加盟阻止を戦争理由に掲げたが、裏を返せば、集団防衛機構たるNATO加盟後では武力行使が不可能になると認識していたことを示している。
 またNATO諸国はウクライナに対して武器支援や訓練支援を大々的に実施しているが、ロシアはそれを実力阻止するに至っていない。ロシアがバルト三国のような相対的弱小国家に対しても軍事的制裁に踏み込めないことは、同盟の持つ抑止力の大きさを物語っている。われわれは同盟あるいは集団的自衛権が弱小国家の自己防衛において極めて重要であることを再認識すべきである。
 もちろん同盟は万能ではない。いわゆる「同盟のジレンマ」(「見捨てられる恐怖」と「巻き込まれる恐怖」)は宿命的な問題である。同盟へのコミットメントの程度は常に慎重に計算され調整されなければならない。
 しかし総じて日本における従来の同盟(集団的自衛権)議論は「巻き込まれる恐怖」に比重が置かれ、「見捨てられる恐怖」は等閑視される傾向にあったことは否定できない。「同盟のジレンマ」は日本のみに発生する現象ではない。米国には米国の「巻き込まれる恐怖」があり、それは日本から見れば「見捨てられる恐怖」に繋がることを忘れるべきではない。
 同盟国は決して自明の存在ではない。かつて日英同盟を失った日本が二度と真っ当な同盟国を得られなかった事実(たどり着いた提携国がナチス・ドイツファシスト・イタリアだったことは悲劇である)、ウクライナNATO加盟を熱望しながらそれを果たせていない事実を軽視すべきではない。われわれは自己中心的な国際観から脱却すべきである。わが国は道徳的意味においても戦略的意味においても同盟国にとって「守るに足る」存在であり続けなければならない。
 西側が抱える武器支援のジレンマ
 最後に、それでも起きてしまった侵略にどう対処するかである。これは憂鬱なテーマである。満州事変において欧米列強は中国に対して具体的な支援を行わなかった。日中戦争においても支援は経済的なものに止まった。ウクライナ戦争においても、現時点(2023年5月)でNATO諸国は直接的な武力介入には踏み切っていない。武器支援は極めて段階的であり、西側製主力戦車の提供決断までには一年近くを要した。ウクライナが熱望する米国製のF16戦闘機の提供には未だ至っていない。
 欧米列強やNATO諸国の「微温的」対応を批判するのは容易い。しかし戦争は物理的な現象であって、死や破壊は観念上の存在ではない。援助国が大日本帝国やロシアのような強大国との戦争リスクに神経質になるのは当然である。特にロシアが世界最大の核保有国であり、核の使用がプーチンという独裁者の一存にかかっていることを考慮すれば、むしろNATO諸国の武器支援は大胆であるとの評価も不可能ではないだろう。
 NATO諸国がどれほど自覚的かどうかは明らかではないが、遅緩で段階的な武器支援はロシア側に冷静な状況判断と政策決定の時間を与えるだろう。また支援のエスカレーション・ラダー(はしご)の階梯を細かくして攻撃性を弱めることで、ロシアの報復エスカレーション・ラダーの飛躍を抑制するだろう。NATO諸国が1年がかりで決断した武器支援内容を、開戦当初に一度に決定していたならば、ロシアの反応が現在ほど自制的なものであったかは大きな疑問である。
 侵略国への制裁や被侵略国に対する援助は冷徹なリスク計算の下で行われる必要がある。かつて米国による対日石油輸出全面禁止が、目的とした日本軍の撤兵ではなく日米戦争を招来してしまったことを想起すべきである。
 しかし援助の遅滞は、それ自体に一定の合理性があり仕方がないものだったのだとしても、純軍事的に見れば反撃の阻害要因となっていることは否定できない。ひいては道徳的な問題も惹起せずにはおれないだろう。
 正義と「平和」のジレンマ
 同様のジレンマは戦争のオフ・ランプ(出口)戦略にも現出する。われわれは戦争をどうやって終結させるべきだろうか。かつて米国は「ハル・ノート」を示し、日本に中国からの完全撤兵を迫った。いわば侵略国の完全屈服による正義の回復である。
 日本にとって石油禁輸は国家の死命を制する問題であったが、中国からの撤兵は4年に及ぶ日中戦争の意義を皆無にし、国内的に到底受け入れ不可能な要求であった。まず「ハル・ノート」を基礎にした交渉について閣内合意を取り付けること自体が不可能であるし、たとえ閣内合意に漕ぎ着けたとしてもクーデターの類を誘発したことは確実であろう。
 対米開戦は日本にとって外交的敗北であったが、問題を軍事的解決に委ねざるをえなかったという点で米国にとっても外交的敗北だった。中国からの日本軍の完全撤兵が、太平洋戦争で消えた10万人を超える米兵の命や、日本という反共のバッファー(緩衝材)を失った米国が東西冷戦で払わなければならなかった犠牲と釣り合うものであったとは到底思えない。
 現在、ウクライナは開戦前からロシアの占領下にあったクリミア半島と東部ドンバス地方を含む全ウクライナ領土の奪還を最終目標に掲げて抵抗を続けている。奪われた国土を復旧しようとするウクライナの要求は法的にも道徳的にも全く正当なものである。しかし、わが国が中国からの完全撤兵を受け入れられなかったように、ロシアにウクライナ領土からの完全撤兵を受け入れさせるのは極めて困難であろう。その場合、例えば低烈度の戦闘がだらだらと続くような場合はむしろ受け入れ可能なリスクであって、最悪のパターンはロシアによる核使用である。
 正義と「平和」が矛盾したとき、それをどうやって調和させるか。これは極めて困難な課題となるだろう。およそ80年前、米国はその試みに失敗しているのである。
 国際社会の役割とは
 「和戦の決定権は侵略被害者であるウクライナ政府と国民にあり、ウクライナが抵抗を望む限りは国際社会はそれを支援すべきである」という意見は正当なものである。それを否定する必要は全くない。現時点でウクライナ戦争の即時停戦を求めることほど侵略者を利し、われわれが築いてきた国際規範や正義を踏みにじる主張はない。
 しかし同時に、完全な正義の追及が完全なカタストロフィ(破滅的結末)をもたらす危険性にもわれわれは自覚的でなければならない。カタストロフィは何もロシアによる核使用だけを意味するわけではない。停戦チャンスを喪失することによるウクライナの完全敗北という可能性も存在するのである。
 いずれにせよ、それらはウクライナにとっても世界にとっても悲劇である。端的に言ってウクライナ戦争はもはやウクライナとロシアだけの戦争ではない。今後50年、100年の国際社会の道行きを決める試金石となっているのである。その意味でウクライナ戦争の「責任」を勇敢なウクライナ人だけに押し付けるべきではない。われわれもまた当事国なのである。
 ウクライナ戦争が正義の回復、すなわちウクライナの完全勝利によって終わることは極めて望ましい。そのためには戦場におけるウクライナ軍の勝利と共に、ロシアによる核使用を牽制しつつ、撤退を受け入れさせるという極めて難しい作業を並行しなければならない。その困難性を軽視すべきではない。そしてこれはむしろ国際社会の仕事である。
 また同時に〝ロシアに完全な勝利を与えないために〟国際社会が不愉快な決断をしなければならない可能性もわれわれは認識していなければならない。そうならないための、そうなったとしても「不正義」を最小限に抑えるための冷徹なマネジメントも求められるだろう。その時こそ、国際社会は太平洋戦争開戦からのおよそ80年間に培った英知と理性を試されるだろう。
 日本の役割とは
 とはいえ現状では、政治的・地理的理由から日本が果たすことができる貢献には一定の限界があることも事実である。日本はNATO諸国のように武器支援や訓練支援などによって戦況に直接的影響を及ぼすことは難しい。米国が行っているように、ウクライナ政府の政策・戦略決定に直接協力することも困難だろう。
 しかし衰えたりといえどもわが国は世界第三位の経済大国であり、アジアで最も成功した民主国家である。非NATO諸国で唯一、有色人種国家で唯一の主要国首脳会議(G7)構成国でもある。そしてなにより世界唯一の戦争被爆国である。その影響力は決して小さくはない。今春3月の岸田文雄首相のキーウ訪問が、習近平中国国家主席のモスクワ訪問との対比によって大きな国際的インパクトを持ったように、外交力を発揮できる場面は必ずある。
 G7・NATO諸国と歩調を合わせながら、その結束を強化し、加えていわゆるグローバルサウス(南半球を中心とした途上国)諸国からウクライナ支持輿論反核輿論を調達するために、日本が果たすことができる役割は大きいはずだ。そのためには政府の努力だけではなく、岸田首相のキーウ訪問の政治的意義を「しゃもじ論争」に矮小化するような野党や一部マスコミの低次元な論争を繰り返してはならない。
軍事から逃げていては仲介役にはなれない
 また中・長期的に見れば、武器支援を含む軍事的援助のあり方についてもわれわれは再検討すべきだろう。満州事変・日中戦争の経験からも明らかなように、単なる道義的非難は確信的侵略国に対しては全く効果を持たない。経済制裁は確かに「平和的」制裁手段だが、その効果は一般に遅効で限定的な場合が多い。他方で、対日石油輸出全面禁止がそうであったように、時に武力行使並みの暴力性を持つこともある。つまり軍事的援助のみを殊更に危険視して排除する論理には疑義がある。
 「軍事的援助と一線を画することが平和国家たる日本の使命であって、またそうすることによって、仲介国の役割を果たすことができる」という主張もある。しかし軍事的援助を拒否することは、どのように正当化しようとも結果的に侵略国を利する結果に陥る可能性が高い。それは「平和国家」の振る舞いだろうか。
 また、たとえ軍事的援助に踏み込まないのだとしても、法的・制度的にその能力がないのと、能力はあるが戦略的理由からあえて行わないのとでは天と地ほどの開きがある(この点では集団的自衛権の議論も同様である)。前者はむしろ国際的責任と影響力の放棄であろう。責任と影響力のない国が仲介国を務めることができるなどと考えることは幻想である。
 日露戦争において、米国はポーツマス講和会議を仲介斡旋した。米国が仲介国になれたのは米国に戦争の帰趨を左右するだけの能力があったからである。日中戦争において、日本は米国の経済制裁を受けながらも、米国が中国との和平仲介を引き受けることを期待していた。当然ながら、これは米国が「中立」だったからではない。米国に日中双方の死命を制する能力があったからである。
 再び歴史に学ぶ
 戦後長い間、日本は満州事変から太平洋戦争に至る侵略戦争の加害者の立場から歴史の教訓を抽出してきた。それは「二度と加害者にならないためにはどうすべきか」ということであった。しかし歴史の教訓は一つではない。世界は変わった。われわれ自身も変わらなくてはならない。今や「二度と加害者を作り出さないためにはどうすべきか」という新しい教訓への転換が求められているのである。
 歴史的に見て、日本人は変わる時には変わる国民であった。われわれは今もその能力を失っていないと信じたい。
 『Wedge』では、第一次世界大戦第二次世界大戦の狭間である「戦間期」を振り返る企画「歴史は繰り返す」を連載しております。『Wedge』2022年10月号の同連載では、本稿筆者の髙杉洋平による寄稿『戦前から続く日本人の「軍隊嫌い」 深い溝の根源は何か』を掲載しております。
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