🎺79:─2─アメリカ軍は科学的軍事研究としてプルトニウムを注射する人体実験を行っていた。~No.351No.352 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 アメリカ軍は、降伏間近の敵国日本を利用して実戦による2度の原爆実験を行った。
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 アメリカ・中国共産党・ロシアなど国際的死の商人多国籍軍事産業)は、開発した新兵器を他国の戦争・内戦・紛争を利用して実用実験を行っていた。
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 アメリカによるヒロシマナガサキへの原爆投下は、日本人をモルモットとした人体実験で、アメリカ政府には投下実験を絶対決行しなければならないに理由があった。
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 2023年10月20日 YAHOO!JAPANニュース NBC長崎放送プルトニウムを注射する人体実験も…米軍が軍事研究していた放射性物質はどこまで広がった?
 広島の『黒い雨』被害者を救済する新基準ができて1年半。この間、広島では遠くは爆心地から40キロにいた人まで、新たにおよそ5千人が被爆者と認められましたが長崎は救済対象から外されたままです。
 長崎で40キロと言えば島原半島、そして熊本県の天草まで届く距離。
 NBCでは長崎の被爆地域以外で原爆の雨や灰の証言を掘り起こすと共に改めて原爆放射能の影響を考えます。
 【写真を見る】プルトニウムを注射する人体実験も…米軍が軍事研究していた放射性物質はどこまで広がった?
■飛散した放射性物質 大きさはPM2.5と同じ位
 爆心地から30キロ、被爆地域から遠く離れた諫早市高来町には、強烈な閃光と地響きの後、西から真っ黒な雲が押し寄せたと言います。
 荒木登志男さん(84):
 「もうモクモクして向こうから雲が、西から来たんですよ」
 そして数時間後には、まだ夕方でもないのに辺り一面が真っ赤にー。
当時6歳だった荒木さんは「建物も人の顔も地面も空も赤く染まり、とても恐ろしかった」といいます。…『灰』が漂っていたのでしょうか…?
 「とにかく見える所は全部真っ赤ですからこれが一番恐ろしかったです」
■降らなかったと言われる「黒い雨」は大村でもー
 爆心地から約18キロ。大村市にある「長崎空港」入り口の海岸にいた川良政好さんは、原爆を落としたB29と原子雲を目撃しました。
 川原政好さん(93):
 「ちょうど空がちょっと晴れてるでしょ。あの辺の角度だったですね」
 巨大なきのこ雲が立ち上った後には、泥混じりの爆風が吹き荒れたと言います。
 「ピカっとしてしばらくしてから音と爆風がして。ここまで爆風がくるとは…」
 被爆80年に向けて戦争や被爆の証言を集めている大村市には、長崎の被爆地域外では降らなかったとされている『黒い雨』の証言も寄せられています。
 大村市近代資料室 川内彩歌 学芸員:
 「(大村湾で)泳いでる途中に「黒い雨」が降ってきたからなんだ?と思って引き返したという話はありましたね」
 『黒い雨』
■広島では5千人が新たに被爆者に 長崎は「証拠がない」
 広島高裁判決(2021年)をきっかけに国はその被害者を救う新基準を作り、広島では遠くは爆心地から40キロにいた人までおよそ5千人の「黒い雨」被害者が新たに被爆者と認められました。
 しかし長崎は「雨が降った証拠がない」として新基準の対象から外されています。
 長崎原爆の被爆地域は東西約7.5キロ、南北約12キロで、12キロ圏内の❝被爆未指定地域❞にいて体調不良を訴えている人達は『被爆体験者』と呼ばれ、精神疾患として扱われています。
 被爆体験者 濵田武男さん(83):
 「どうして広島だけよくて…本当に悔しい」
 被爆体験者の救済を求めている長崎県長崎市の要望を受け、国は7月から国立の追悼祈念館に所蔵されている『被爆体験記』から、当時の雨や灰の状況を検証する調査に着手しましたが、救済につながるかは不透明です。
プルトニウムを注射していた 米軍が軍事研究していた放射性物質
 原爆が爆発した瞬間に出た強烈な『初期放射線』。
 爆心地から1キロ以内で直接これを受けた人はほとんどが死亡しました。
 一方、分裂しなかったプルトニウム放射能を帯びた土などは『残留放射線』と呼ばれ、風に乗って広く拡散し「雨」や「灰」として地上に降り注ぎました。
 残留放射線の健康影響について、日米共同研究機関である放射線影響研究所は「無視できる程度に少なかった」としています。
 残留放射線を水や食べ物と一緒に体内に取り込むことで起こる『内部被ばく』の影響も否定しており、国が被爆地域を広げない根拠にもなっています。
 しかしアメリカ軍は残留放射線が引き起こす内部被ばくの影響に、強い関心を持っていました。『軍事兵器としての放射性物質』と題された1943年の資料です。
 アメリカは原爆を開発した『マンハッタン計画』の中で放射性物質で内部被ばくさせる『兵器』を研究ー。プルトニウムを人に注射する人体実験まで行っていたのです。
 奈良大学 高橋博子 教授:
 「体の中にプルトニウムを注射するという事は体の中に放射性物質が入るという事ですよね。つまり内部被ばく研究」
 アメリカの内部被ばく研究は原爆投下後も続いていたとみられ、1950年にABCC(原爆傷害調査委員会)が長崎で残留放射線の調査を行い『“降下物”の地域を図示した地図を作った』と記録されている資料も見つかっています。
 長崎県長崎市はこの地図の分析も国に求めていますが、ABCCの後身である放影研は「地図は見つからない」としています。
 核開発の歴史に詳しい高橋博子教授は、内部被ばくの調査は軍事目的のため隠されてきたと指摘しています。
 奈良大学 高橋博子 教授:
 「そもそも調査そのものが軍事研究だったから(資料が出てこない)と私は思います。人を救うどころか人を殺すための研究と言っても過言ではない。その中で立場の弱い人が犠牲になってきた」
■「空から雲が下りてきた」ー灰を被った母親は腹が膨れ2年後に死亡した
 殺人兵器として研究されていた放射性物質は長崎でどこまで広がったのか?
長崎市香焼で写された写真からは、少なくとも5キロ以上に広がる原子雲が確認できます。
 長崎平和推進協会 写真資料調査部会 松田斉 部会長:
 「原子雲の噴煙の様なものが5キロ位の範囲には広がっていると、この写真からは言える」
 原子雲は風に流され、午後2時頃には普賢岳付近にかかっていたと記録されています。
 当時、南有馬にいた松永麟蔵さんの母親は「空から雲が降りてきた」と言っていたそうです。
 松永麟蔵さん:
 「灰色の雲をお袋はかぶっとるから。気味悪くなって早く上がってきたっぞって言いよったとは覚えてますね。2年位してからね(死亡した)。がんだったんだろうと思います。腹の張ってぶくぶくしとったもん」
■50キロ先の天草にもー
 ことしの夏、被爆体験者らでつくる「長崎被爆地域拡大協議会」は放射性物質の行方を追って当時の風下、熊本県天草に渡りました。
 天草では、当時子供だったたくさんの人が空高く上がった原子雲を覚えていました。
 岡崎秀子さん(87):
 「あんまり音が大きかったもんだから、あー(天草市の)城山に落ちたばいって言ってみんな外に出たんですよ。そしたらね落下傘雲がねもくもくと(上がっていた)」
 「雲見た、僕実際見た小学3年生だったから」
 福田勲さん(85):
 「…道路のあっですもん。そこまで走って行って見たんです。音がひどかったけん。雲のあるくらいまで(上がった)」
 上天草市に住む福田義人さんは、母親から原爆の『灰』の話を聞いていました。
 福田義人さん(80):
 「お縁が真っ白だったもんなーって(母が言っていた)灰が降ったわけ。灰でお縁が真っ白だったもんなーと。この頃でしょ黒い雨の問題とか灰とか、全然(気にしてなかった)…灰の積もったもんなーって」
 爆心地から50キロ離れた天草まで飛んでいたとみられる灰ー。被爆体験者達がいたのは12キロ圏内です。
 軍事研究の中で隠されてきた内部被ばくを訴える長崎の声が続いています。
 諌早や大村、島原半島で雨や灰にあった方はぜひNBCまで証言をお寄せください。
 NBC報道制作部 メール hodo@nbc-nagasaki.co.jp
 長崎放送
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2021-08-10
🎺79:─1─アメリカの長崎原爆初動調査。隠蔽された有害残留放射線被害の不都合な事実。~No.350No.351No.352 
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2017-09-27
✨20)─1─アメリカ、ソ連中国共産党など核保有国による大量殺人兵器核爆弾開発と非人道的人体放射能実験。~No.82No.83No.84・ @ 
2017-09-30
✨20)─2─プーチン「核を保有しない国は、主権国家と呼ぶに値しない」。アメリカの日本核武装論。~No.85No.86No.87No.88・ @ ⑯ 
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2017-09-28
✨21)─1─昭和天皇は、原爆は非人道的大量殺戮兵器であるとして開発中止を厳命した唯一の国家元首。~No.89No.90No.92・ @ ⑰ 
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2019-08-14  
✨22)─1─アメリカのソ連原爆投下極秘計画。日本は実験であり、ソ連は実戦であった。〜No.93No.94No.95・ ⑱ 
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 敗戦利得者であるエセ保守とリベラル左派は、アメリカとソ連(ロシア)・中国共産党の人道に対する犯罪を隠蔽する為に戦前の日本を戦争犯罪者と声高に叫び、昭和天皇天皇の戦争責任と天皇戦争犯罪で糾弾している。
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 何故、アメリカ人が日本人を原爆実験のモルモットにしたのか、それは人種差別で、日本人を人権を持った人間ではなくイエロー・モンキー、野蛮人・獣と見下していたからである。
 その証拠が、GHQによる日本民族消滅による日本大改造の占領政策であった。
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 原爆開発に関わったのは、アメリカ・イギリス・カナダの3カ国であり、ユダヤ人の科学者や技術者であり、ウラン鉱石を独占していた民間企業であった。
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 昭和天皇と政府・軍部は、昭和20年6月頃から極秘で早期降伏の外交交渉を進めていた。
 スイス在住の日本人、銀行家・外交官・陸軍軍人・海軍軍人は、アメリカ情報機関を通じて戦争終結の交渉を行っていた。
 つまり、アメリカなどの連合軍が昭和天皇や軍国日本の降伏を受け入れていれば8月のヒロシマナガサキの原爆投下は回避できた。
 それを妨げたのはソ連で、スターリンは日本占領を日本を共産主義国として昭和天皇人民裁判にかけて処刑しようとしていた。
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 昭和天皇「本土決戦を行えば、日本民族は滅びてしまう。そうなれば、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることができようか。自分の任務は祖先から受け継いだ日本を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残ってもらいたい、その人たちが将来ふたたび立ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法はない。そのためなら、自分はどうなっても構わない」(1945年8月10日聖断)
 天皇にとって民(日本民族)は「大御宝(おおみたから)」である。
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 天皇の意思は「大御心(おおみこころ)」で、民は「大御宝(おおみたから)」として、天皇日本民族は信頼という硬い絆で結ばれていた。
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 昭和天皇は、親ユダヤ派、差別反対主義者、避戦平和主義者、原爆は非人道的大量虐殺兵器であるとして開発中止を厳命した反核兵器派、難民・被災者・弱者などを助ける人道貢献を求め続け、戦争には最後まで不同意を表明し、戦争が始まれば早期に講和して停戦する事を望むなど、人道貢献や平和貢献に努めた、勇気ある偉大な政治的国家元首・軍事的大元帥・宗教的祭祀王であって戦争犯罪者ではない。
 同時に、日本の歴史上最も命を狙われた天皇である。
 昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストであった。
 昭和天皇は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本のマルキシズムボルシェビキ、ナチズム、ファシズムの攻撃・侵略から日本の国(国體・国柄)・民族・文化・伝統・宗教を守っていた。
 東条英機松岡洋右松井石根A級戦犯達は、ヒトラーナチス・ドイツから逃げてきた数万人のポーランドユダヤ人難民を保護し、日本人の右翼や親ドイツ派などの反ユダヤ主義者によるホロコーストから守っていた。
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 昭和天皇東条英機松岡洋右松井石根A級戦犯達の靖国神社、軍部・陸軍は、反ユダヤの宗教的人種主義が支配する世界から助けたユダヤ人に裏切られた。
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 32年テーゼ
 1932年5月コミンテルン執行委員会西ヨーロッパ・ビューローによって決定された「日本における情勢と日本共産党の任務に関する方針書」のこと。日本の支配体制を絶対主義的天皇制とみなし,きたるべき日本革命は天皇制を打倒し,地主制を廃止するブルジョア民主主義革命であり,社会主義革命はその次の段階とする二段階革命論の立場を明確にした。日本では河上肇翻訳で同年7月 10日『赤旗』特別号に掲載され公にされた。同種のものには 27年,31年のものがある。これらのテーゼは当時の日本の経済理論,社会主義運動理論に大きな影響を与え,活発な論争を引起した。
 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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 日本人の共産主義者無政府主義者テロリストは、キリスト教朝鮮人テロリスト同様に昭和天皇と皇族を惨殺すべく付け狙っていた。
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 軍国日本と陸軍は、ユダヤ人難民を助けていた。
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 靖国神社の心・志・精神とは、人道貢献と平和貢献の事である。
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 歴史的人道貢献とは。昭和天皇A級戦犯である東条英機松岡洋右松井石根らは、ソ連ポーランド侵略から逃げてきた数万人のポーランドユダヤ人を保護し、ナチス・ドイツゲシュタポと日本人の反ユダヤ派、親ドイツ派の上海ホロコーストを阻止しユダヤ人難民数万人を敗戦後まで守り続けた。
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 昭和天皇の平和貢献とは、戦争には不同意であったが政府と軍部が決定すれば裁可するが、戦争が始まれば早期に講和を行って戦争を止める事を求め続けた。
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 日本国内には、天皇制度を廃絶しようとしている反天皇反民族反日的日本人達が超エリート層の高学歴の知的エリートや進歩的インテリに数多く存在している。
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