🎻43:─2─阪神・淡路大震災。日本人は、安全保障と危機管理、自然災害と有事が理解できない。~No.125No.126No.126 

語り継ぎたい。命の尊さ 阪神淡路大震災ノート (新版)

語り継ぎたい。命の尊さ 阪神淡路大震災ノート (新版)

  • 作者:住田 功一
  • 発売日: 2011/04/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 平成の悲惨は、阪神淡路大震災から始まった。
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 阪神淡路大震災の被災地に出動する自衛隊アメリカ軍に猛反対した人々。
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 現代日本人は、変わる事ができないし、変える事ができない。
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 日本列島は、甚大な自然災害が多発する絶海の孤島で、誰も助けてはくれない孤立した孤独な列島である。
 日本の自然災害史を振り返れば、想定外の現象はなく、被害を拡大するかどうかは被害を予想して対策を講じなかった日本人の怠慢でしかない。
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 戦後、自然を人為的に操作する自然災害の少ない欧米中心史観で、古代から戦前までの日本自然災害史が抹消された。
 キリスト教価値観では、自然は悪であり、神の炎で焼き滅ぼすべき悪魔や獣、異教徒・悪魔崇拝者の巣窟であった。
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 自然災害が少ない大陸人や半島人には、数浮くの絶望的な自然災害を生き抜いてきた日本民族日本人を理解できない。
 命を奪う自然災害には、正義の邪悪も関係ないし、善人も悪人も関係ないし、良い事をしても悪い事をしても関係ない。
 宗教を持っていようが持っていまいが、神を信じようと信じまいと、信仰があろうがなかろうが、一切合切関係なかった。
 そこには、絶対神や救世主(メシア)による恵みも、恩寵も、奇跡も、大いなる計らいも、御技も、何もかもがなかった。
 日本人は、道徳的で、お人好しなほどに人が良かった。
 日本社会は、法秩序が保たれ、犯罪が少なく、治安がよく、平和であった。
 日本人の精神・心・感情・心情は、花鳥風月と虫の音の「ゆらぎ日本文化」で満たされていた。
 日本国は、天皇家・皇室を源とする日本仏教と天皇家・皇室が尊崇する日本仏教及び日本儒教で安定を保っていた。
 日本民族日本人と日本国の傍らには、何時の時代にも天皇家・皇室があった。
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 生物のDNAは永久不変ではなく、自然環境などで絶えず変わっていく。
 DNAが変わらない生物は絶滅する。
 日本人のDNAも、良くも悪くも変わり、良く変われば優秀になり進化・進歩・発展をもたらすが、悪く変われば劣悪になり退化・劣化・後退・衰退をもたらす。
 弱肉強食の世界で、DNAを大きく変えて生き残るのは、捕食者・強者・勝者ではなく被食者・弱者・敗者である。
 自然界も人間社会も、弱肉強食の原則に完全に支配されている。
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 1995年1月17日午前10時 村山富市総理は、定例閣議を行い、地震対策を議題にせず、前日の事務次官会議で決定した事項を話し合った。
 事務次官会議は、法的な裏付けのはない機関であったが、閣議よりも権威があった。
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 2018年5月号 Hanada「澄哲録片片  青山繁晴
 第39回 国難とは夜明けである
 ……
 日本経済、真の恐怖の時代
 ……
 一方で、日本経済の真の恐怖の時代はこの先、それも遠い先ではなく眼前のそのドアを開けた先に構えている。
 自前と自立のエネルギー源確保を怠ったりしていれば、日本は間違いなく世界の成長から取り残され、まさかのひとり負けの時代が襲ってくる。
 日本外交には深い闇が
 ところが国家の安全保障と危機管理、それをベースにした外交には深い闇がある。
 『緊急事態を、自然災害と有事に分けて考える、その思い込みが強すぎませんか。だから緊急事態条項は自然災害に限るべきだという話が出る』
 出席の議院の多くに予想通り、『あれ!』という表情が浮かんだ。当然である。
 わたし自身、かつて日本の政治と社会にテロ対策・危機管理という疑念がほとんど無かったころ、専門家の端くれとして『テロは、自然災害と違って、人間が目的意識を持って行う災害です』と強調してきたのだ。
 平成16年にテロや有事に備える国民保護法が施行されると、どうしても日本政府や自治体、国民が自然災害と同じような対応を念頭に置いていてしまうので、懸命にそう強調している。
 たとえば避難するとき、テロや有事では災害を起こす人間が悪意と情報と技術を持っていることを考えねばならないから、天然の災害とは対処がまったく変わる。
 だから、この日の会合でも、まずはこう続けた。
 『自然災害は文字通りに自然が起こし、有事は人間が起こす。別物です。確かにそれが真理です』
 そのうえで、もうひとつの視点を提示した。
 『しかし敗戦後の日本においてだけは、この憲法のもと、その真理が通用しない。別物ではなく表裏一体となってしまっています』と述べた。本来は、自然災害と有事の違いをしっかり?んでおかねばならない。日本はまず、これができていない。ところが日本社会は逆に、自然災害と有事の双方に共通する問題も抱え込んでいる。そういう意味だ。
 ……
 阪神・淡路大震災の事実
 その約束通り、以下に記そう。これはわたしが記者時代に直面し、しかし国益を考えて記事には一切しなかった事実である。今回も国益を害さない、いや違う、国益に資(し)する範囲内だけで記す。
 それは共通歴(西暦)で申せば1995年のことだった。わたしは事件記者から経済部の記者となり、さらに政治部の記者となって防衛庁(当時)を担当していた。
 1月17日の早朝、起床してテレビをつけるとどこかの暗い市街地が燃えている。大地震の前後から広がり始めた恐ろしい赤い舌をヘリから捉えた初めての映像だという。
 これは自衛隊の災害出動の早さと規模が課題になる。
 そう考えてすぐに防衛庁記者クラブに出る支度をしていると、信頼関係を築いていた防衛官僚から電話があった。『青山さん、あなたの生まれた神戸だよ』
 驚愕した。神戸市に生まれて姫路市淳心学院中高等学校に通ったわたしは東京の大学を受けるとき、同級生から『なにも自身の巣にいくことはないのに』と真剣に心配された。神戸に地震の可能性があるなど、たとえば巨額の税を吸い込む最高権威、東大地震研から特段の警告はなく、首都直下型地震の恐怖が盛んに言われていたからだ。京大・大阪市立大学や地元紙の神戸新聞、さらには自衛隊からは『神戸でもあり得る』と警告があったが、大きな声には全くなっていなかった。
 ……
 救い出せる希望があった
 ひとつ。阪神・淡路大震災の死者6,435人のなかに、生きながら焼かれて殺された神戸市民がいる。
 阪神・淡路大震災は、のちの東日本大震災と違い津波もなければ原子力災害もなかった。だが、被災の中心となった神戸市は大都市で、まだ多くが寝ていた午後5時46分に発生した揺れによって市民に降りかかった瓦礫は、重さも量も格段に大きかった。
 その瓦礫は、家族や近所の人はもちろん、警察官や消防官でも、どんなにリスクを冒して頑張ってくれても除けないことも多く、その朝も高校に通うはずだった女子が下半身だけ瓦礫に挟まれ、声を出しながら、家族の面前で赤い舌に焼かれていった事案もあると、わたしは防衛官僚から知った。
 ここにもし自衛隊の部隊が早期に到着していたらどうだろう。神戸での自衛隊の救出活動は何と、午後1時ごろからだ。朝のうちに到着していれば自衛隊の装備と技術によって瓦礫を取り除けたのではないか。
 わたしの後日取材で、陸上自衛隊将官も佐官も『かなりの瓦礫は処理できた』と断言した。つまり市民に焼かれる前に救い出される希望があった。
 あくまで仮定の話であり、したがって統計には何人がこのために焼け死んだかの数が残りようもない。数は分からない。それでも6,435人のうちそれが無視していいほどしか居ないなんてことは『とんでもない』と、わたしがこれも後にヒヤリングした神戸っ子たちは語った。
 自衛隊の到着が遅れた理由
 ではなざ、自衛隊の到着は遅れたのか。
 かつて激しい論戦になった。貝原俊民兵庫県知事(当時)の決断と要請が遅れたかと言われた知事は『自衛隊と交信ができなかった。判断は遅れていない』と反論した。近畿など2府19県を担当する陸上自衛隊中部方面隊の総監部は兵庫県伊丹市にあり、これを率いる将軍、松島悠介総監が非難された。
 実際は伊丹でも揺れは烈(はげ)しく、松島総監は午前5時46分の地震発生と同時に寝間着で庭に走り出て、官舎が傾いているのも確認、午前6時20分には主な幕僚が総監部にすでに集合し、松島総監は午前6時30分に指揮下にある全部隊に対し非常態勢を下命(かめい)した。
 それがなぜ午後1時からの神戸市内の本格的な救助開始になるのか。
 派遣要請は午前10時だったとされる。松島総監は地震から10日が過ぎて記者会見し、自衛隊の活躍ぶりは妥当だったと説明するうち落涙し、さらに批判された。当時の村山富市総理も指導力の欠如を強く批判された。
 しかし今回みなさんに知って欲しいのは、これまでさんざ議論された、これらのことではない。
 松島総監も、それから有能で知られた石原信雄官房副長官(当時)もいずれも言及したのが道路の大渋滞だ。神戸は都市だから、瓦礫だけではなく車も多かった。近傍も大阪、京都などみな大都市で、そこから被災地に向かう車も多かった。
 おれを聞いたことのある国民は少なくないだろう。そして『渋滞は阻(はば)まれたなら仕方がないかも』と感じた人もいらっしゃるだろう。
 事実、石原副長官が当日、防衛庁の村田直昭防衛局長に電話し『自衛隊の到着が遅いという電話が官邸に相次いでいる』と問うと、『やっています。道路が大渋滞で、主力部隊が入っていないだけです』という答えが返ってきた。
 さぁ、これは本当に『仕方がなかった』のか。
 自衛隊の持つ装備は、国際社会では国軍の装備である。それはいかなる場合にも国民を護るためなら何でもできなければならないから、多くの車両は障害を排除して前進することができる。車が渋滞していても、乗員が車を去ってくれるだけで、排除すべきを排除して行くこともできる。
 もちろん壊れる車もある。しかし人命には換えられない。車なら後から賠償もできる。
 なぜ、これが試みられなかったか。
 『強行突破してください』
 自衛隊は『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』という憲法9条の定めから来る制約により、諸国の国軍が持つ『ネガティヴ・リスト』(捕虜の虐待など、これだけはしちゃいけないということ以外はすべてやりなさい)ではなく『ポジティヴ・リスト』(法律で、これだけはしてもいいよと決められたことしかできない)を持たされている。
 自然災害だろうが有事だろうが関係なく、法律に『いざとなれば一般国民の車を排除して自衛隊車両が走行して良い』と具体的に書き込まれていない限り、自衛隊は渋滞の前出で、その解消をじつと待つしか無い。
 道路渋滞の向こうで、もしも子供や女性がテロリストや外国軍に惨殺されていてもなお、じっと待つしか無い。だから自然災害でも、渋滞の向こうで神戸市民が行きながら焼かれてようが、圧死しようが、渋滞の解消や交通規制をじっと待った。
 この自衛隊を現状のまま憲法9条に書き込むだけで良い?
 敗戦後73年の歩みは、基本的に問題なかった?
 それを焼死した神戸市民の前で言えるだろうか。平素の厳しい訓練を今こそ生かす機会をむざむざ失った自衛隊員に言えるか。
 事実はこれだけではない。
 陸上自衛隊の到着が遅れているから、不肖わたしは水面下で防衛庁に提案した。
 『ぼくは神戸生まれです。神戸を知っています。神戸港は岸壁が大きく、港の深度もたっぷりある。海上自衛隊護衛艦陸自隊員を乗せれば、被災の中心部に入れる。神戸は横に広く縦に狭い。横から入るには距離があるが、縦なら至近距離です』
 この若い記者の提案は何も影響力がなかったと思うが、海自は実際、護衛艦の多面的な活用に動き出した。防衛庁自衛隊が自ら発揮した知恵だっただろう。
 ところが・・・労働組合の一部が『戦争の船は来るな』、『戦争の船は神戸港に入らせない』と反対し、接岸ができない。
 わたしは防衛官僚から内緒の電話でそれを聴き、電話機を握りしめて地団駄を踏んだ。『国民が今、焼かれて、潰されているのですよ。何を言うのか。強行突破してきださい』
 だが憲法9条のもとで著しく活動を制限されている自衛隊は、法治国家の一員として決して強行突破せず、時間を掛けた説得を持ち、ようやくに護衛艦は『非常用食料などの搬入のため』と称して入港した。
 自然災害と有事が表裏一体
 一体この間、どれほどの市民が殺されたのか。それは前述したように統計にできず、分からない。分からないのをいいことに、自由民主党も含め日本政治は無視してきたのだ。
 日本を誤らせる責任の一端は、間違いなく新聞とテレビのオールドメディアにある。だが憲法改正を発議しない政治に最大の責任がある。
 同時に、現状の自衛隊を固定化する改憲あるいは加憲だけはしてはならない。それは自然災害、有事を問わない真理だ。つまり日本には、自然災害と有事が表裏一体となった深刻な問題が横たわっている。
 一方、自衛隊が災害に出動する手順は阪神・淡路大震災を契機に、ある程度は改善された。それは東日本大震災で生かされた。しかしネガディヴ・リスト、ポジティヴ・リストの問題はそのままであることをはじめ根本命題は憲法を変えない限り変わらない。
 これは人間の悪意と情報と技術を持った日本国民を殺害する有事やテロリズムの際には、とてつもなく大きな問題として立ちはだかる。敵と向き合っても、撃って良いかどうかをポジティヴ・リストに戻って確認せねばならない。
 だから日本には『自然災害と有事が一体の問題』もあれば『自然災害と有事の違いが分かっていないという問題』もあるのだ。
 たとえば外国の戦闘機爆撃機戦略爆撃機が領空を侵犯してきたとき、航空自衛隊はどうするか。
 海からの侵入なら、ある程度は時間がある。しかし空はあっという間に爆撃されて多くの国民が頭を割られ内臓が飛び出し、核でなくともどろどろに熱と炎で溶かされる。
 ところが現状は防衛出動が閣議決定されないと空自の優秀な戦闘機は翼を振り、無線で退去か着陸をお願いするしかない。
 閣議決定が間に合うとは到底、考えられない。」
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 リベラル派・革新派、左翼・左派・ネットサヨクは、自衛隊違憲であるに反対し、日米安保に反対し、アメリカ軍を日本から追い出す事を求めている。
 阪神・淡路大震災時の自衛隊アメリカ軍の速やかな救出・救助・救護出動にも反対した。
 赤の他人を助ける為に、人権・権利を無視する事にも、敷地内に勝手に侵入して家を破壊して進む事にも、全て反対した。
 守るべきは、他人の命ではなく、個の自分の権利・人権や家財産であると。
 他人を助ける前に、自分と自分の家族を守ると。
 戦争や災害など命に関わる大惨事が発生しても、彼らが助けてくれると思わない事であり、間違っても彼らに助けを求めない事である。
 彼らが求める機会の平等とは、救われる事ではなく、救われない事である。
 救出・救助・救護には、手目の前の被災者からで遠くの被災者は後回し或いは必要度・重要度によってどうしても不公平が生じ、遠くの被災者からすれば差別された見捨てられたと思えてくる。
 差別しない、区別しない、分け隔てなく平等・公平に徹するなら、被災者全員を助けない事である。
 彼らが主張する自衛隊のシビリアン・コントロールとは、「戦略も戦術も、地政学も、軍事知識も、軍隊装備知識も、軍事情報分析も、一切合切の知識のない無能無策なド素人に自衛隊を監督指揮させる」と言う事である。
 彼らが緊急事態・非常事態に遭遇したら、確実に、戦時中、部下を前線に置き去りした将官よりもさらに酷くみっともない醜態をさらしながら安全地帯に、自分ひとりで泣き喚きながら逃げ込む。
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 守るべきは、被災地で一分一秒を争うような命の危険な状況にある被災者の救済ではなくではなく、自分の政治信条と平和憲法であった。
 目の前で女子供に関係なく人が圧死しようが焼死しようが、自分の政治信条と憲法を守ると宣言している。
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 忘れてはならない代表的な悲惨な事例が、1980年(〜88年)のイラン・イラク戦争と1995年1月17日の阪神淡路大震災そして2011年3月11日に起きた東日本大震災福島第一原発事故そして被災者避難誘導の醜態である。
 高学歴出身知的エリートの、政治家、官僚そして東京電力幹部である。
 イラン・イラク戦争時の政権は、自民党政権であった。
 阪神淡路大震災時の政権は、社会党自民党・魁の連立政権であった。
 東日本大震災の政権は、民主党政権であり、その後継者が2018年の立憲民主党などの少数野党である。
 戦前の日本が駄目な日本であれば、3つの事例の日本も駄目な日本である。
 駄目な日本は、戦前も戦後も、そして現代でも何ら変わるところがない。
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 護憲や第九条などのリベラル派・革新派、左翼・左派・ネットサヨクそして反戦平和市民団体は、日本国民(主に日本民族日本人)の生命財産の救護・救出・保護よりも自分が信奉する再軍備禁止・戦争放棄平和憲法を優先し、自衛隊違憲として廃止させ、日米安保に猛反対してアメリカ軍を日本から追い出そうとしている。
 そして、これ以上の経済発展は必要ないと主張し、軍事及び軍需転用可能な全ての科学技術は人殺し技術であるとして廃棄を求めている。
 さらに、「産めよ殖やせよ」は軍国主義化に繋がるとして猛反対し、民族消滅に繋がる人口激減を加速化させている。
 彼らの信条は、「1,000万人に行けど我行かず」であった。
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 同じ国民を見捨てる人々。
 憲法9条は、いざとなったら国民を見捨てる。
 そんな憲法9条が有る限り国民は、国家・政府から棄民とされる。
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 リベラル派・革新派、左翼・左派・ネットサヨクの真実は、平和重視の命軽視である。
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 北朝鮮による日本人拉致事件は、日本国内に協力者・支援者がいたし、拉致事件を否定し北朝鮮を擁護した日本人や拉致事件解決を妨害した日本人がいた。
 そうした日本人に政治家やメディア関係者が少なからずいた。
 北朝鮮拉致事件を認めた時、彼らは言葉を失ったが、謝罪もせず、反省もせず、素知らぬ顔をしていつも通りの生活を続けた。
 非人道的犯罪を擁護した罪或いは不作為の罪を問う者は、誰もいなかった。
 それが、平和最優先の現代日本である。
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 現代日本人を、昔の日本人とは全くの別人に洗脳したのは教育特に自虐史観に基ずく歴史教育である。
 自虐史観とは、敗戦後のキリスト教歴史観マルクス主義共産主義歴史観による東京裁判史観と1980年代の日本人極悪非道の重罪人史観である。
 統一新羅・高麗・朝鮮の歴代王朝による日本侵略と日本人虐殺そして日本人強制連行し中国人商人に奴隷として売った、
 中世キリスト教会と白人キリスト教徒による日本人奴隷交易、
 江戸末期のロシア海軍による日本領北方領土での海賊行為と日本人惨殺、
 朝鮮人テロリス及び日本人共産主義者テロリストによる昭和天皇・皇族暗殺失敗、
 満州事変及び日中戦争勃発前の中国人による数多き日本人非戦闘員大虐殺事件、
 ロシア人共産主義者による日本人避難民(女性・子供)大虐殺と北方領土武力強奪、
 アメリカ軍爆撃機による東京などに対する大量虐殺目的での無差別絨毯爆撃そして歴史的文化財の破壊、
 アメリカ・イギリス・カナダによるヒロシマナガサキへの原爆投下実験及び日本人非戦闘員への人体実験、
 その他、
 それら全てが意図的に削除されている。
 その原因を作ったのは日本である以上、日本が最も悪いと。
 むしろ、敵国の方が行ったおぞましい犯罪行為は日本の犯罪行為よりも数が多く、その被害も尋常ではなかった。
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 日本は、悪い事もしたが良い事もした。
 歴史に残る輝かしい平和と人道に対する貢献の数々、
 シベリア出兵時のロシア人避難児童及びポーランド人戦争孤児の救出、
 東条英機松岡洋右などのA級戦犯によるポーランドユダヤ人難民の救護・保護・救済、
 犠牲を出しながら武力を用いて河南省での大飢饉で飢餓民1,000万人を餓死から救った。
 それが、自分を犠牲にしても他人を助ける事が靖国神社の精神である。
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 歴史的事実として、日本は古代から反日派敵日派の外国勢力に包囲され、何時、侵略されるか分からない危機的状況にあった。
 敵国がロシア・ソ連共産主義勢力で、その最悪の敵が中国共産党であった。
 朝鮮は、日本を侵略しようとする外国勢力の陰険にして狡猾な手先であった。

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災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録

災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録

  • 作者:中井 久夫
  • 発売日: 2011/04/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)