🎹22:─4─戦争を支持した庶民の熱狂の奥底には寂しい虚無感があった。~No.124No.125No.126No.127 @ ⑲

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 2018年9月号 中央公論「特集──日本軍兵士の真実
 絶望のなかにこそ一筋の希望がある
 なぜ、戦争を書くのか、書かないのか 
 対談 五木寛之×鴻上尚史
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 五木 なかったですね。かなりのインテリのなかには戦況を分析してこれはもうそろそろ危ないと思っていた人もいたかもしれないけれど、僕ら9割の日本人は負けるなんて夢にも思っていなかったと思いますれ。一般庶民は。
 その後、『国體は護持されます』ってラジオが連呼していたのは覚えています。国體を護持するための終戦だったんですね。そして、『市民は軽挙妄動せずに現地にとどまれ。治安は維持される』というアナウンスもありました。
 これで、後でいろいろ資料を読んで分かったんですけれど、敗戦当時北朝鮮にいた日本人は一般市民が28万人。それに満州からの難民が7万人加わってだいたい35万人が放置されたんです。……つまり、お前たちは帰ってくるなよ、と。
 鴻上 すごいですね。
 五木 在外邦人は軍人も合わせると600万人以上いた。それで、満州なんて地元民からものすごい襲撃を受けているわけです。ソ連軍のことはよく言われますけれど、北朝鮮でもそうです。現地の朝鮮人ソ連人も、他の民族も、日本にいじめられた人たちは徹底的に略奪・暴行、つまり復讐をすることになる。それなのに日本政府は、外地の人はできるだけしばしば帰ってこないでくださいと言う。棄民ですね。国から放置されたわけですから。このことは今でも許せないですね。
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 鴻上 五木さんが虚名ということはにでしょう。
 僕がなぜこんなに『暗さ』にこだわっているかというと、ハリウッドの映画プロデュースは絶対ハッピーエンディングを求めます。つまり観客に夢を与えたり、何らかの形で希望を見せたりするようなことを。五木さんの作品は暗いエンディングが多い。大衆側に立っているに、なぜこんなに暗いエンディングが多いんだろうっていうのが素朴な疑問です。
 五木 なるほどね。でも本当は、大衆は暗さのなかに生きる力を見つけているんじゃないのかな。
 鴻上 でも日本が戦争に突入していったときも、勝っているし希望があるからみんながそこに突入したわけじゃないですか。つまり、『主戦論』を唱える新聞と『非戦論』を唱える新聞だと、とにかく『撃ちてし止む』のほうがどんどん部数を伸ばしていった。やっぱり大衆は希望というか、勇ましいことに飛びついていくんですよ。
 
{南京陥落の祝賀行事とブラジルのカーニバル}

 五木 僕はちょっと違うな。確かに、あのとき熱狂ぶりは毎日がお祭りみたいなものだった。昭和12(1937)年の12月に南京が陥落して、そのイベントは最高潮だった。花電車は走る、花火は上がる、提灯行列はある。もう町中が熱狂して、僕もそれを父親に連れられて見に行きましたけど。
 後にブラジルのカーニバルを見たときに、カーニバルの寂しさは南京陥落の祝賀行事とよく似ていると思いました。
 鴻上 寂しさが?
 五木 カーニバルというのは貧乏な連中が一晩だけやるものです。彼らはファヴェーラお呼ばれる山のてっぺんにある貧民窟からみんな降りてきて、今宵一夜の踊りを踊りまくる。祭りが終わりに近づくと、みんななんとなく虚無感な感じになって、悲哀に満ちてくる。ものすごく寂しいです、カーニバルは。そして、戦争の最初の頃の国を挙げての熱狂の渦のなかにも、その虚無感があったと思うんだよね。
 鴻上 そういうものを欲するのは、どこかで無理をしていたり、病んでいたりするからでしょうか・・・。
 ……
 鴻上 たしかに健康で自立している国民なら、狂乱的なお祭りはなくてもよいかもしれない。
 五木 なぜ、軍部は大陸や満州で暴走したのか、現地組は中央の参謀本部や近衛内閣の指示を無視して暴走できたのか。暴走した幹部だって陸大出た秀才ですよ。バカじゃない。しかし、みんな『国民が熱狂的に支持してくれている』と感じていたんですよね。だから暴走できた。
 僕は国民は戦争のサポーターだったと思います。サッカーを見ていると思いると、選手が、『サポーターと一緒に戦っている』ってよく言うじゃないですか。サポーターがいるからやっていけると。
 実に、これまで、戦前の日本国民は熱しやすく、メディアと一緒に踊って軍を後押しした、国民の熱狂がなければ前線はあり得ないから、罪があったのは我々だ、主役は我々サポーターだと思っていました。こういうのを自虐史観というのかな。
 でも、今の日本の状況もそういう感じだと思いますよ。
 鴻上 高度成長期のような、未来が見えるときには悲劇が受け入れられやすかった。だけど今の若い奴らは、もうとにかく右肩上がりはない、という状況のなかにいるから、逆に、彼らの歌には、『頑張れば望みがかなう』だの、『きっと運命が最後に微笑む』なんてフレーズがあるのかもしれません。

{サッカーのサポーターに肥大する集団的自我を見る}

 五木 鴻上さんが、『不死身の特攻兵』の最後のほうで集団的自我の問題を書いているでしょう。あれが一番大事なことだと思うね。
 自我には個人的自我と集団的自我がある。僕は、現代のサッカーのサポーターの大集団の熱狂ぶりにすごく関心があってね。あそこで、とるに足らない小さな自我が膨れあがっていくときの快感は何とも言ないと思う。しかし、その膨れあがった自我だけでは満たされないものがある。そこに個人的自我があれば、寂しくなかったり絶望したりしなくてすむんだけど。」
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 庶民は、軍部や軍国主義者に騙されたのではなく、主体的に戦争を支持した。
 庶民が戦争を支持した理由は、中国で生活していた日本人居住者(女性や子供)が中国人暴徒に陰惨な猟奇的手口で虐殺された事件が続発した為である。
 庶民が求めた戦争とは、虐殺事件を繰り返す中国を武力で懲らしめる事と日本人居住者を現地で保護する事であった。
 軍部は、庶民が要求する復讐・報復と自己防衛・正当防衛に従って中国に軍隊を出兵し、中国軍を攻撃して戦争を始めた。
 日本軍の暴走とは、庶民の圧力によって始まった。
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 庶民は、第一回南京事件、済南大虐殺、通州大虐殺事件など繰り返される非人道的な殺人・暴行・強姦・強奪事件に対する怒りの感情を押し殺し、我慢し、堪え、耐えたが、遂に怒りの感情を抑えられなくなった時、感情が爆発し、爆発した怒りの感情を鎮める為に政府や軍部に対して軍事行動を要求した。
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 日本軍の大陸侵略の正当性は、自国民だけの全面支援にあった。
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 日本の発動した自衛権は、パリ不戦条約で認められた、他国の承認を受けない自国のみの自衛権である。
 だが、国際世論と戦時国際法は、軍国日本の自衛権や報復権・復讐権・正当防衛を戦争犯罪として否定した。
 つまり、全ての日本民族日本人(女性や子供も含めて)は、中国人や朝鮮人に虐殺さっるのは自業自得である以上、文句なく受け入れるべきであると。
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 日本民族日本人の戦争の大義は、広義的な人類の正義ではなく狭義的な民族の正義であり、日本民族だけに通用する天皇を中心とした国體の護持であった。
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 庶民が、原爆投下いよってヒロシマナガサキが、無差別絨毯爆撃で東京や神戸や敦賀などの都市が、太平洋・アジアの戦場で、悲惨の目に遭ったのは、自己責任論からすれば、原因が何処にあるにせよ自業自得と言うしかない。


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