🎹24:─1─イギリスの金融資本と軍需産業は、大量の武器を抗日軍に売って日中戦争の停戦を妨害しドロ沼化した。~No.137No.138No.139 * ㉑ 


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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博・   

 軍国日本に、援軍を送ってくれる同盟国や味方はなかったし、同情し擁護・弁護してくれる友好国もいなかった。

 日本は、周辺を敵国に囲まれ一ヵ国で孤独に戦っていた。

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 ファシスト中国(中国国民党)・中国共産党を支援した国は、ナチス・ドイツソ連アメリカ、イギリスなど数多く存在し、ユダヤ系国際金融資本や国際的軍事産業が軍資金と軍需物資を提供していた。

 日本軍が日中戦争当時から戦ったのは相手は、ファシスト中国軍・中国共産党軍に味方するドイツ軍・ソ連軍そしてアメリカ軍であった。

 ナチス・ドイツソ連アメリカは、第二次世界大戦が始まる遙か以前から日中戦争に参戦し、日本軍と戦争していた。

 つまり、日中戦争とは世界戦争であった。

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 日中戦争は、第2次上海戦争から始まった。

 日本軍が戦争をしたのは、上海租界に取り残された日本居留民を現地で保護する為であった。

 何故、軍隊で日本人居留民を守ろうとしたか、中国人暴徒や中国人共産党が済南や通州で日本人居留民達(主に女性や子供)を陰惨な手段で虐殺したからである。

 軍国日本は、国家の責務として国民を武力で守ろうとしただけである。

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 陰で戦争を煽っていたのは、天皇制度を粉砕し、日本を共産主義化化しようとしたスターリンソ連コミンテルンロシア人共産主義者であった。

 キリスト教朝鮮人テロリストや日本人共産主義テロリストは、昭和天皇や皇族を殺す為に付け狙っていた。

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 軍国日本には、戦争するしか道がなかった。

 もし、日本が平和の為に戦争を避ける唯一の手段は、天皇制度を廃止して共和制人民国家になるしかなかった。

 つまり、国體護持=天皇制度を守護し皇室を継続させるか、国體破棄=天皇制度を廃絶し皇室を消滅させるか、であった。

 日本民族日本人は、無謀と分かっていても、如何なる犠牲を出そうとも、戦争を選択した。

 戦っても勝てない事は分かっていても、万に一つの希望を持ち、敵は幾万ありとても「必ず勝つ」との信念で逃げる事なく戦場に赴いた。

 それが、靖国神社の精神・志であった。

 日本精神とは、「死んで生きる」事である。

 それが、レクイエム(鎮魂歌)「海ゆかば」の心である。

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 2015年10月21日 産経ニュース「【習近平氏訪英】「英国記者が日本侵略者の暴行暴く」「中国の4大発明が英国の発展開く」……習近平主席・晩餐会スピーチ全文
 20日、ロンドンのバッキンガム宮殿での晩さん会に出席した中国の習近平国家主席(左)とエリザベス英女王(ゲッティ=共同)
 【中国総局】中国メディアが伝えた習近平国家主席の訪英公式晩餐会(20日)でのスピーチ全文は以下の通り。
 エリザベス2世女王陛下のお招きで英国を公式訪問でき大変うれしく存じ、この機会を借りて英国の君主として最長の在位期間となられたことをお喜び致します。また、私の妻と中国代表団を代表し、女王陛下、フィリップ殿下、英国の友人の皆様のおもてなしに心より感謝申し上げます。
 中国と英国は東西文明の傑出した代表であり、両国は遠く隔たっていながら互いに影響を与えてきました。中国の儒家道家の思想と4大発明は英国の文化と科学技術発展の歴史に影響を与え、「富国論」「進化と倫理」など英国の名著は近代中国の思想界に新たな視野を開きました。
 中国のシルクと陶磁器はイングランド全域で珍重されるところとなり、英国に始まった産業革命は世界のシルク産業と製陶業を一変させました。中国の茶は英国人の生活に雅趣を添え、英国人が丹精を凝らして英国式の紅茶としたのです。中英の文明交流は互いの文化を豊かにしたのみならず、社会の進歩を促し、人類社会の発展にも貢献しました。
 「志の合う者は山海をも遠しとせず」と言います。今年は中国人民抗日戦争・反ファシズム戦争勝利70年であり、第二次世界大戦の盟友として、中英両国は正義を持し、肩をならべて戦い、世界の反ファシズム戦争勝利と連合国を中心とする戦後国際秩序の構築に重要な貢献をしました。
 第二次世界大戦の盟友として、中英両国人民は互いに支え、苦楽をともにすることで、中英友好の歴史をつむいできました。われわれは、英国が中国に提供した貴重な経済、道議の援助を忘れません。中国名で何克(ホーク)といった英国人記者は、中国人民の抗日戦争に積極的に身を投じ、日本侵略者の暴行を暴く記事を発表したのみか、陝西省双石鋪で培黎学校の校長となり、学生を安全地帯に移して若い命を救いました。
 第二次世界大戦中、中国の浙江省舟山の漁民は生命の危険を顧みず、日本の「りすぼん丸」にいた数百人の英軍捕虜を助け出しました。中英両国人民が戦火の下で結んだ友情は、永遠に色あせることのない両国関係の貴重な財宝となりました。
 新中国の成立以来、中英関係は新たな一章を開きました。英国は西側の大国で率先して中華人民共和国を承認しました。1986年10月、女王陛下とフィリップ殿下が成功裏に中国を公式訪問されたことは、両国関係のよきエピソードとなっています。
 1997年、中英両国が創造的に香港返還問題を解決したことも両国関係に新たなページを開いきました。2004年には、中英両国が全面的戦略パートナー関係を構築しています。世界に影響力を有する国家として、中英両国は多くの国際、地域問題で良好な意思疎通と協力を進めています。中英関係が絶えず発展することは、両国に利をもたらし、世界に恵みを及ぼすものであります。
 今日の世界で、人類はすでに前世紀の戦争と衝突のかげりを脱し、21世紀の平和、発展、協力、ウィンウィンの新時代に向かいつつあります。各国の相互依存と利益の交わりはさらに深まり、日増しに苦楽をともにする共同体となりつつあります。
 今年は国連創設70年であります。国連の創設メンバーであり、かつ安保理常任理事国として、中英両国は世界の平和と発展に神聖な責務を負っています。先進国と発展途上国の重要な代表として中英両国はそれぞれの発展にとり重要な段階にあり、改革を促し、発展を図り、民生を豊かにする責務には重大なものがあります。
 中国では古くから「訪れる好機を失ってはならない」と申します。英国にても「聡明な人は機会をとらえ、さらに美しい未来に変える」という言葉があるそうです。今年は中英の全面的戦略パートナー関係にとり、新たな10年の始まりでもあります。双方は機会をしっかりととらえ、手を携えて前進し、ともに両国関係のさらによき未来を開くべきでありましょう。」
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 10月21日産経ニュース「【習近平氏訪英】晩餐会で「抗日」「日本の残虐性」を強調、演説で口にした中英以外は「日本」のみ 法による統治は中国初?
 20日、ロンドンのバッキンガム宮殿に中国の習近平国家主席(前列中央)を迎えた晩さん会でスピーチするエリザベス英女王(同右)とキャサリン妃(同左)(ゲッティ=共同)
 【ロンドン=内藤泰朗】英国訪問中の中国の習近平国家主席は20日、中国の指導者として初めて行った英議会の演説に続き、公式晩餐(ばんさん)会のあいさつでも第二次大戦における「日本の残虐性」に言及した。習氏はドイツや韓国など他の訪問先でも歴史問題で日本を批判しており、英国でも中国の抗日史観を繰り返して暗に同調を求めた形だ。
 習氏は議会演説でまず、「今回の訪問が中英関係を新たな段階に引き上げることになるだろう」と述べた。その上で第二次大戦にふれ、英国は軍備や医薬品を提供して「抗日戦争に協力した」と述べ、「世界正義に尽力した人たちの歴史は忘れられることはない」と強調した。
 11分弱の演説時間のうち、習氏が口にした国名は英中両国以外では唯一、日本だけだった。
 さらに習氏は、「人民のための政治や法による統治という概念は、古代中国で誕生した」と述べた。英紙は「習氏は、英国による民主主義の講義を受けるつもりはないとの強い姿勢を示した」と伝えた。
 次いで、バッキンガム宮殿で行われた公式晩餐会で習氏は、主催者のエリザベス女王と赤いドレスをまとったキャサリン妃の間に着席した。女王は、国連安全保障理事会常任理事国である英中両国が「世界的なパートナー」として「世界の安全と繁栄に対して協力する責任がある」と語った。
 英紙の報道によると、この後、わずか数分間のあいさつで、習氏は再び第二次大戦の話を持ち出し、「日本の残虐性」について報じた英国人ジャーナリストを取り上げ、両国国民は第二次大戦で「正義のために助け合い、日本の侵略に抗してともに戦った」と強調したという。
 中国の人権問題に批判的なチャールズ皇太子は公式晩餐会を欠席した。」
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 12月1日 産経ニュース「英の中国傾斜ここまで…「影の財相」が議会で毛沢東語録掲げ、「ここから学ぶべき」と痛烈皮肉
 英議会で赤い冊子を手に「毛沢東語録」を引用する労働党マクドネル議員=11月25日、ロンドン(ロイター)
 【ロンドン=内藤泰朗】英議会で11月25日、政府予算への質問に立った英最大野党、労働党の「影の財務相」、マクドネル議員が「毛沢東語録」を引用し、英資産の中国売却に動く政府を批判するという前代未聞の国会質疑が行われた。毛語録まで議会発言で飛び出すほど進む英国の中国傾斜に波紋が広がっている。
 マクドネル氏は上着のポケットから赤い小冊子を取り出し、経済についての一節を朗読。中国への迎合路線に転換した与党・保守党のオズボーン財務相に冊子を投げて贈り、「(財務相は)ここから学ぶべきだ」と皮肉った。
 冊子を手にした財務相はヤジや冷笑が響き渡る中、共産主義を信奉する強硬左派のコービン党首ら労働党指導部をあざ笑うように、「問題は、労働党指導部の半分に再教育が必要なことだ」と切り返し、議場は爆笑に包まれた。
 マクドネル氏はこの“事件”について、「注目を集めるためのパフォーマンスで冗談だった」と弁解。だが、「洗脳教育のための本を民主主義の議場に持ち込むとは見識を疑う」「恐怖の象徴だった独裁者礼賛本を引用する姿を見て、背筋に悪寒が走った」との批判が噴出している。
 「毛沢東語録」は、1966年に始まった文化大革命文革)の時代に発刊され、数百万人を粛清した紅衛兵たちが常に携行、毛の神格化と個人崇拝を確立する道具として使われた。
 英国は、間もなく設立される中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参画を欧米諸国として初めて表明し、親中路線を打ち出した。米国や日本がAIIBへの不参加を決める中、露骨なほどの英国の中国傾斜姿勢が浮き彫りになっている。」
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 12月16日 産経ニュース「毛沢東書簡、1億円で落札 ロンドンの競売で 「英国人が日本による中国侵略知れば中国を支援する…」
 競売に掛けられた毛沢東の署名入り書簡(サザビーズ提供・共同)
 中国共産党を率いた毛沢東が1937年、英国の労働党党首だったクレメント・アトリーに対し、抗日戦争での支援を求めた書簡が15日、ロンドンで競売に掛けられ、60万5千ポンド(約1億1千万円)で中国人の個人収集家に落札された。10万〜15万ポンドとされた予想額を大幅に上回った。競売大手サザビーズが発表した。
 書簡は37年11月1日付で、共産党が当時、抗日戦争の拠点としていた延安から送られた。「英国人が日本による中国侵略の真実を知れば、中国人を支援するために立ち上がると信じている」などと訴えている。
 毛沢東が中国語で書いたものが英訳され、現地を訪れたニュージーランド出身のジャーナリストがタイプ打ちした。中国語原本は残っていない。
 毛沢東の署名が入った書簡が国際市場で競売に出されるのは異例という。(共同)」

 

 

 

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