🎹15:─2─中国共産党が反英から反日に鞍替えしたわけ。中国共産党と瑞金大虐殺。~No.68No.69 ⑫ 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 佐藤慎一郎「中共を今日まで育成してきたものは、ソ連ではなく、イギリスである。毛沢東が井崗山(せいこうざん)で旗揚げした時の軍資金から武器から一切が、イギリスの援助であった。その後、中共が国民党の討伐にあっても、よく2万8,000里(中国の6里は日本の1里にあたる)の逃亡に成功することができたのも、揚子江沿岸に権益を持つイギリスが陰に陽に守護したかあである」(『汨羅{べきら}の淵{ふち}に佇{たたず}んで中国の激動史を見る』)
   ・   ・   ・   
 中国共産党は日本軍以上に各地で虐殺を繰り返していた。
 中国共産党軍は、湖北省を荒らし、35万人以上を虐殺し略奪した。350万人は、家を捨てて他省へ逃げた。
 共産主義者は、共産主義大義で各地で数十万の大虐殺事件を起こしていた。
 共産主義者は、血を好み、見境もなく殺戮と略奪を行った。
 民衆は、彼らを赤匪と恐れ、殺されない為に共産主義者に従った。
 多くの教会やミッションスクールも焼き討ちにあい、多くの宣教師やキリスト教徒が猟奇的に惨殺された。
 国民政府軍も、共産軍同様に教会や学校を襲い略奪し、施設は死体や汚物などのゴミの山となって打ち捨てられた。
 毛沢東「権力は、銃口から生まれる!」
 モスクワの指令「階級の敵は一人残らず殺し、彼等の家を焼き払い破壊せよ!」
 彭湃(ポンパイ)「レーニンのやり方は委細を問わぬ。ただ反動分子を殺すだけだ。……誰に報告する必要もない」
   ・   ・   ・   
 上海や漢口など南部の主要都市で、中国人労働者による反英反日運動が盛り上がり、一部が暴徒化して日本商店を襲い、日本製品を破壊し不買運動を起こしていた。
   ・   ・   ・   
 ウィキペディア
 長征(簡体字: 长征; 繁体字: 長征; 拼音: Chángzhēng; 英語: Long March)は、国民党軍に敗れた紅軍(中国共産党)が、中華ソビエト共和国の中心地であった江西省瑞金を放棄し、1934年から1936年にかけて国民党軍と交戦しながら、1万2500kmを徒歩で続けた移動をいう。「西遷」(せいせん)、「大西遷」ともいう。中国国民党からは「大流竄」と呼ばれた。
 概要
 長征当時の毛沢東(延安にて)
 共産党指導部は江西省瑞金から陝西省延安に至るまで転戦、国民党勢力との戦闘などにより10万人の兵力を数千人にまで減らしたが、蔣介石率いる国民党政府が抗日のため共産党との妥協に転じたため状況は終息した。途上で開催された遵義会議などにより、毛沢東の指導権が確立された。現共産党政権は、長征を現代中国形成に至る歴史的転換点と捉えている。
   ・   ・   ・   
 中国共産党を支援したのは、イギリスの守旧派植民地主義者)とアメリカの民主党リベラル派であった。
 ファシスト中国(国民党)を支援したのは、ナチス・ドイツのナチ党、保守派、ドイツ国防軍軍需産業であった。
 アメリカ・キリスト教会は、中国のキリスト教化の為に日本軍と戦う全ての勢力に協力していた。
 ソ連共産主義勢力は、日本を含むアジア全体で共産主義革命を起こすべく中国共産党ファシスト中国に工作員を送り込んでいた。
 軍国日本の敵は、彼ら全てであった。
 ローマ・カトリック教会のみが、共産主義勢力の魔の手から宗教・信仰を守るべく昭和天皇と日本国を支持し満州国を承認した。
   ・   ・   ・