🎺32:─2・A─日本海軍潜水艦によるインド洋通商破壊作戦。~No.153 

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 日本海軍潜水艦は、戦争初期の優勢な時期にインド洋や太平洋で通商破壊作戦を実行し、連合国軍の輸送船を撃沈し補給に打撃を与えていた。
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 2022年10月25日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「輝かしい通商破壊戦における戦果!インド洋の暴れん坊「伊号第27潜水艦」
 巡潜乙型である伊号第15潜水艦(写真)の8番艦として1942年2月24日に就役したのが伊号第27潜水艦であった。魚雷発射管は艦首に6門装備され、九五式魚雷(酸素魚雷)を17本搭載。航続距離は水上16ノットで1万4000浬、水中3ノットで96浬であった。
 戦後「日本軍は兵器本来の用途を逸脱し、ために戦果を挙げることができなかった」というのが常識とされた。その最たるものが潜水艦だ。狭い艦内に物資を満載し、輸送業務に携わってばかりいたように伝えられる。しかしインド洋を自在に駆け巡り、通商破壊戦で輝かしい戦果を挙げた艦も存在したのだ。
 昭和17年(1943)2月19日、マレー半島の西方、マラッカ海峡に浮かぶペナン島に置かれた日本海軍の基地に、伊号第27潜水艦(以下・伊27)が入港した。そして2月23日になると、伊27に新しい艦長が赴任。その立ち居振る舞いはあくまで物静かで、柔和な表情からは軍人とは思えない風格がにじみ出ている。闘志などとは無縁の、どこか徳の高い僧侶を思わせるような佇まいであった。それが伊27の乗組員一同が感じた、新艦長・福村利明(ふくむらとしあき)少佐の第一印象であった。
 伊27は昭和17年(1942)8月以来、半年に渡りインド洋の通商破壊作戦に従事。しかしながら戦果は撃沈1隻という、不満足なものであった。福村は航海術を専攻し、開戦当時は第6艦隊の航海参謀を勤めていた。それだけに、乗組員の間に不安視する雰囲気が漂っていた。それは福村も認識していたようだが、出港が近づいてもまるで自分に課された期待や不安など、意に介していない様子であった。
 2月26日、伊27はペナンを出港。ベンガル湾チャゴス諸島の間の海域を哨戒。3月808時15分、セイロン島コロンボの南西沖で1万トン級の輸送船を発見。3本の魚雷を発射したが、残念ながら命中しなかった。それでも福村艦長の顔に、焦りは浮かばない。
 3月20日21時02分、セイロン島の北西500浬付近で、イギリス貨物船フォート・マムフォード(7132トン)を発見。今度は魚雷1本を発射し見事撃沈。それでも福村艦長の表情は変わることはなかった。さらに3月24日にはチャゴス諸島北西沖でタンカーを発見し魚雷1本を発射するも、命中はしなかった。結局、4月9日にペナンに帰着するまでの間、撃沈は1隻という不満足な結果に終わってしまったのだ。
 福村艦長2回目の出撃は、5月1日であった。この日、伊27はペナンを出港、作戦海域はインド洋からアラビア海の北部、ペルシャ湾入口近くまで及ぶ広大なものである。期間は今度も2カ月半ほどだ。
 すると早くも7日05時56分、コロンボからダーバンに向かうオランダの貨客船ベラキットを発見。魚雷を命中させた後、冷静な福村艦長は浮上を命じ大砲でとどめを刺した。この時、船員1名を捕虜としている。
 そして10日と26日には輸送船を攻撃したが、戦果は確認できなかった。6月3日07時35分、マシーラ島南方150浬で、アメリカの貨物船モンタナンを雷撃し、これを撃沈。さらに24日は灯油と経由を積んでいたイギリスのタンカー、ブリティッシュベンチャーを撃沈。
 特筆すべきは28日08時05分、オマーン港湾都市マスカットに入港し、荷揚げ中だったノルウェー貨物船ダー・フーを雷撃、撃沈したことだ。敵に発見されやすい港での攻撃など、闘志に溢れた指揮官でも躊躇してしまうものだ。だが福村艦長は、普段と変わらぬ穏やかな様子で攻撃を命じている。7月5日にはアメリカの輸送船団を発見、雷撃で1隻を大破させた。7月14日にペナンに帰投。戦果は撃沈4隻1万8176トン、撃破1隻6797トンであった。
 3回目は8月29日にペナンを出撃し。9月24日に帰投。この時は撃沈、撃破ともに1隻にとどまっている。伊27が最も輝かしい戦果を挙げたのは、10月19日にペナンを出撃、12月27日に帰投した4回目の出撃時である。
 ペナン出港後、アデン湾およびアラビア海に向かった伊27はイエメンの港を偵察後、11月10日にイギリスの貨物船サムボを発見、雷撃でこれを撃沈。18日にはマドラスからアデンに向かっていた、イギリス貨物船サムリッジを発見。これを雷撃により沈めている。
 27日に紅海への南入口に浮かぶペリム島を潜望鏡で偵察。29日16時30分には、ギリシャ貨物船アティナ・リヴァノスを発見し、これを撃沈した。そして12月2日21時45分、アデンの南方沖でギリシャ貨物船ニッツァを発見し、雷撃により沈めている。その翌日の20時03分には、ソマリア沖でイギリス貨物船フォート・カモスンを攻撃。撃沈には至らなかったが、任務から離脱させている。
 結果、4隻2万3994トンを撃沈、1隻7126トンを撃破し、一躍「インド洋の暴れん坊」という地位に躍り上がる。この出撃中であった1943年11月、福村艦長は中佐に昇進。それでも本人は、淡々と任務をこなしていた。
 伊27はその後、昭和19年(1944)5月15日にインド洋で複数のイギリス駆逐艦と交戦し、壮絶な最期を遂げている。福村が艦長となり1年あまりであったが、その間に11隻6万1966トンを撃沈、3隻2万1099トンを撃破。その殊勲が認められ、福村は二階級特進を果たしている。通商破壊任務だけで二階級特進したのは、じつに福村少将だけであった。
 野田 伊豆守」
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