🎺32:─2・B─日本海軍伊号第10潜水艦はインド洋で輸送船14隻を撃沈。~No.153  

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 連合国軍によるインド洋輸送網死守は、第二次世界大戦の勝敗を決する重要な攻防戦であった。
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 2023年1月31日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「撃沈隻数14という大偉業を達成した「伊号第10潜水艦」─記録されていた通商破壊戦の勇姿─
 伊10には40口径14cm単装砲が1門、25mm機銃連装2基4挺が搭載されていた。武装した水上艦艇が相手では太刀打ちできないが、輸送船やタンカーが相手なら十分に威力を発揮した。浮上して魚雷との併用も可能であった。
 昭和19年(1944)4月27日、1本の戦争記録映画が公開された。大本営海軍報道部が監修し、日本映画社が製作・配給した『轟沈』である。それは海軍報道班が某潜水艦に同乗し、インド洋で行われた通商破壊(つうしょうはかい)作戦をつぶさに記録した内容であった。当時、軍事機密にあたる艦名や作戦期間は伏せられていた。
 映画は南方の母港で出港準備を進める慌ただしい様子、艦長による作戦説明で幕を開ける。出港後は当該海域に向かうまでの間に繰り返された、厳しい訓練風景が映し出される。そして敵輸送船やタンカーに遭遇し、これを撃沈した際の喜びと、敵駆逐艦の執拗な爆雷攻撃をくぐり抜ける緊迫した様子、帰投の際に見せた乗組員の無邪気とも言える笑顔まで、克明に記録されている。
 無事に攻撃をかわし、司令部から贈られた祝電、それとともに乗組員一同で祝杯を挙げ、缶詰の赤飯がふるまわれた際の一同の表情が印象的だ。出港時の小綺麗な顔はひとつもなく、髭(ひげ)に覆われた様子が、潜水艦乗り独特の苦労を感じさせる。
 のちに、この潜水艦は伊号第10潜水艦(以下・伊10)であることが判明。撮影されたのは昭和18年(1943)9月2日にペナン基地を出港し、約60日にわたりインド洋で実施された哨戒(しょうかい)・通商破壊作戦の様子であった。
 この伊10は開戦以来、通商破壊戦はもちろんのこと敵の要地に飛行及び潜航偵察を幾度となく行い、さらに遣独(けんどく)潜水艦に選ばれた伊8に対する補給支援など、文字通り八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を見せていた。さらに伊10は連合国艦船を14隻、計8万1553トンを撃沈。これは大日本帝國海軍潜水艦の中で、撃沈隻数、トン数ともに第1位の戦果なのである。
 日本映画社の撮影スタッフが乗り込んだ作戦でも、多くの戦果を挙げていて、それが記録として残されたのは何より貴重なことと言える。もちろん戦争中なので、一切のやらせなどは存在していない。撮影スタッフともども、撃沈されたかもしれないのだ。
 9月2日にペナンを後にした伊10は、まずは14日にインド洋のチャゴス諸島南西沖で、石油を積んでイランのバンダレ・アッバースからオーストラリアのメルボルンに航行中だったノルウェーのタンカー、ブラモラ(6361トン)と遭遇。これを雷撃にて撃沈した。20日早朝には当時イギリス領だった、紅海入口に浮かぶペリム島を飛行機で偵察。24日にアデン湾南東75海里地点で、アメリカのリバティ船エリアス・ハウ(7176トン)を発見。追尾したうえで魚雷2本を発射。1本が機関室に命中し航行不能となったエリアス・ハウはSOSを発信したので、伊10艦長の殿塚謹三中佐は浮上して、止めの魚雷を撃ち込んだ。
 10月1日にはアデン湾で船団を発見。ケニアのモンバサから石炭を運搬中だった、ノルウェー貨物船ストルヴィクセン(4836トン)に魚雷3本を発射し、2本を命中させ撃沈させた。まさにここまでは向かうところ敵なし、撮影スタッフも驚きを隠していなかった。
 4日にはアデン湾近海で輸送船団らしき航行音を捉えた。翌5日の早朝、輸送船団が密集して航行している姿が目視できた。しかし視界不良だったため、輸送船団との正確な距離が測れない。そこで殿塚艦長は距離5100mと断じ、魚雷6本を発射。実際の距離は7000mだったため、想定した時間内に爆発音が聞こえない。「全弾外したか」という考えが艦長の頭をよぎった。
 次の瞬間、爆発音が3つ聞こえ船体の破壊音が続いた。この攻撃に際しては護衛駆逐艦の反撃が予測できたので、魚雷発射後すぐに深度100mまで急速潜航したため、目視ではなく聴音で戦果を探っていたのである。
 爆発音を聴取した直後から、予想通り護衛駆逐艦による爆雷攻撃が始まった。その執拗な攻撃により、伊10は艦内に大量の浸水を起こしてしまう。そのため深度を保持できなくなり、限界深度を超えた130mまで沈下。バランスも崩し、艦尾がより沈んだ状態となり、立っているのも容易ではなくなった。
 「メインタンクブロー。浮力を回復せよ」
 艦内が緊張感に包まれた時、殿塚艦長の号令が艦内に響いた。メインタンクの高圧排水は、大きな音を生じるため通常は敵前で行わない。艦長はあえてそれを命じたのである。
 この冷静な判断が功を奏し、伊10は浮力を回復した。だがこのまま海上に浮き上れば、駆逐艦にとって格好の標的となる。殿塚艦長は砲戦準備を命じて乗組員全員に、敵(かな)わぬまでも一矢報いる覚悟を抱かせた。
 朝日に照らされた海上に浮かび上がった伊10の艦内から艦長や砲撃手が飛び出すと、敵駆逐艦が遥か彼方に遠ざかっていくのが目に入った。近くには大破したため、乗組員が退去したノルウェーのタンカー、アンナ・クヌドセン(9057トン)が残されていた。伊10は敵が淡白だったという幸運にも恵まれたのである。それでも敵が引き返してくるのを警戒し、すぐさま同海域を離れた。
 24日にはモルディブの最南端に位置するアッドゥ環礁北西沖で、カルカッタからダーバンに向かっていたイギリスの貨物船コンゲラ(4533トン)を発見。魚雷2本を発射するも命中しなかったので、浮上して砲撃でこれを沈めている。
 この出撃でも輝かしい戦果を残した伊10は、10月30日にペナンの基地へ帰投した。こうして撮影された貴重な記録は、翌年の4月27日に『轟沈』というタイトルで上映された。一般の人が潜水艦の活躍や艦内生活の一端を知るきっかけとなったのである。
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