🕍2:─3─埼玉のワラビスタンのビッグボスが明かした日本での壮絶すぎる過去。~No.4 

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 2023年10月8日 MicrosoftStartニュース 週刊現代「埼玉の川口市や蕨市に移り住む「ワラビスタン」の「ビッグボス」がはじめて明かした、「壮絶すぎる過去」
 野田 洋人
 この前の記事『埼玉県川口市蕨市に住む「ワラビスタン」の「ビッグボス」が、ついに重い口を開いた!県警の機動隊まで出動した「クルド人騒動」…そのウラで起こっていたこと』では、今年7月に埼玉県・川口市救急指定病院前で起きた、約100人のクルド人による騒動発生の「本当の理由」について紹介した。
 この記事では、トルコから日本に逃れたあと、いまや日本に暮らす2000人以上のクルド人をまとめるまでの存在になった「ビッグボス」が明かした、壮絶な過去を紹介します。
 どこまでいっても「外人」
 「日本のメディアはクルド人に対して、悪い気持ちのまま報道してしまうのではないかと思います。私たちは犯罪者ではないです。自分たちの国がなくて普通に暮らすことができなかったから日本に来たのです。
 もちろん迷惑をかけるために来たのではないです。日本語は難しいです。私は仕事を通じて話が出来るようになりましたけれど、言葉の出来ないクルド人もたくさんいます。
 勉強をしたくても、その機会を得られないクルド人もたくさんいます。この国に暮らすのであれば、日本人達との関係を大事にしなければならない。
 でも、日本人と同じようなことをしてはダメですよ。この国で働いて、税金を納めているから、何をしてもいいということは違うの。
 日本語を話せても、日本人と結婚していても、一緒に仕事をしていても、友だちになっても、どこまでいっても『外人』なのです。日本はアメリカやヨーロッパとは違うのです。日本ではいつまでたっても『外人』のままなのです。そういう気持ちが、どうしてもたくさんの日本人の中にはあるのだと思う。
 あくまで『外人』なのです。悲しいです」
 いちばん考えていたのは「生きること」
 「一緒に働いていても、私が外国人ですから、日本人は差別をします。でも、それは当たり前なのかもしれない。私が働くことで、日本人たちの仕事を奪っていることになりますから。
 仕事をするときには時間を守ることは当たり前です。決められた時間前に現場について準備をします。ゴミなどを残したりしないで早く、丁寧に仕事をします。
 少しでもミスをすると『外人だから』と言われてしまう。仕事をもらうためには、少しのミスもなくしっかりとやらなければ。すぐに暇になってしまう。だから必死に働きます。
 私はこの国に来て間違えたと思っています。ごめんなさい。でも仕方がなかったのです。
 私は、1990年代初頭に日本に来ました。23歳でした。トルコからマレーシアに行き、それから日本に来ました。日本のことはほとんど知らなかった。
 一番考えていたのは生きること。仕事をして、普通の生活をしたかったのです。ビザのことなど何も知らなかったです。難民という言葉も知らなかった。日本では入管に行くことなども何も知らなかった。
 私より少しだけ先に(来た親戚の)おじさんが日本にいました。彼はイランにいて、ヨーロッパから日本に来たのです。
 当時、イラン人がたくさん日本に来ていて、『やさしい国だ』と聞いていて、それで来たのです。おじさんも生活をするところが必要だった。それは私も同じ。おじさんはいま、日本を離れてトルコとは別の国で生活をしています」
 トルコでは普通に暮らすのが難しい
 「トルコでは普通に暮らすことが難しかった。目の前でクルド人の知り合いが殴られたり、殺されたりするのはいつもでした。
 生活をするための仕事をすることも難しかった。私のいた村では半年分の食糧を貯蔵します。貯蔵したら、すぐに軍隊が来て食糧も家も潰してしまうこともありました。いくつもの村が潰されました。
 命を守るために山に逃げることもありました。そのあたりのことは、日本人には分からないと思う。『普通に生活できますよ、差別などありませんよ』という人もいると思いますが、もしそうであれば、これだけ世界中にクルド人が移動して問題が広がらないでしょう。世界の中でクルド人だけが難しい立場のままです。
 日本の空港に着いた時には、荷物は小さなものが一つだけ。成田空港から東京駅までバスで向かいました。東京駅は大きな駅です。バスターミナルを降りると、どこに行けば良いか分かりませんでした。
 日本語も何も分かりません。日本語の看板を見ても、何もわからない。東京に着けばなんとかなるだろうと思っていたのです。たくさんの人が忙しそうにしていました。誰も私のことを知らないですし、日本の言葉も分かりませんので、話しかけても無駄でした。
 携帯電話のない時代でした。親戚がいる場所を探そうと思ってもどこに行けば良いのか分かりませんでした。このまま駅の近くで寝ようと思っていたところで、一人のパキスタン人から声をかけられました。
 英語で彼に話をすると、『自分の住んでいるところに来て探したらいい』と提案をしてくれました。それが川口でした。それから叔父を探すことになりました。
 川口にいる外国人に声をかけて、クルド人を探しました。当時はほとんどクルド人は住んでいませんでした。おじさんを探し出すのに、3ヵ月間かかりました。その間、パキスタンの彼は私からお金をとることなく、寝る場所と食事を与えてくれました。本当に感謝をしています」
 心から感謝している日本人
 「おじさんと出会ってから、仕事を探しに毎日歩きました。たまたま出会った日本人の親方夫妻がとてもやさしくしてくれて、私に仕事を与えてくれました。建設業です。家をつくる大工さんでした。
 仕事はきつかったですし、休みはありませんでしたが、生活のためのお金を与えてくれました。それまでそういう仕事をしたことはありませんでしたが、朝から夜まで休みなく働きました。
 親方の奥さんは、私のために食事や衣服の世話などをしてくれて、日本語や日本のルールなども教えてくれました。仕事が終わって、夜に部屋に帰るときに洗濯をしてくれたものを渡してくれたり、とても良くしてくれました。
 今でも親交がありますが、心から感謝しています。心のやさしい日本人がいたので、今の私がいるのだと思います。たくさんの日本人は私のことを奴隷のように使いました。でも中には親方の奥様のように、人間の気持ちのある方もいたのです。
 建築の仕事が暇になると、下水管の埋設の仕事などをしました。肉体労働です。労働はきつく、朝早くから夜まで働きました。怪我をすることもありました」
 日本にはいい人もいるけど、悪い人もいる
 「日本人の中には、私のことを『外人だから』ということで馬鹿にする人が多かったです。同じ人間として認めてくれない。いい人もいるのだけれど、悪い人の方が多い。
 仕事はしっかりとやらなければならないです。手を抜くとすぐに仕事がもらえなくなります。いくら仕事をしても、騙されてお金をもらえない時もありました。このままこの国にいては死んでしまう。『身体は元気でも、心が死んでしまう』と思った時期が続きました。
 15年前に独立して自
 分で仕事をしようと思ったきっかけは、日本人の女性と付き合い、結婚をしたことが大きかったです。
 解体業は建設関係の中でも日本人のいやがる仕事です。もともと外国人が働くことも多かったです。きつくて危険な仕事ですが、だからこそ真面目にやればいいのではないかと考えました。
 アルバイトで少しだけ経験もありましたし、とにかく生きるために必死でした。日本の友人たちも協力をしてくれて会社を設立することができました」
 川口にあるクルド人の解体業者は100社以上!
 「一人で会社を設立しても仕事をもらわないとお金になりません。毎日、『仕事はありませんか』と尋ねて回りました。ほとんど無駄に終わりましたが、中には仕事を回してくれる人もいました。
 私はこの国では外国人ですし、日本人以上に真面目に仕事をしないと信用してもらえません。時間を守ること、現場のルールを守ること、嘘をつかないで丁寧に仕事をしました。私にはそれしかなかったのです。
 だんだんと私の仕事のやり方を分かってくれる人が多くなりました。それで仕事の量が増えていったのです。今は営業しなくても、日本の会社から仕事の依頼がたくさん来ます。
 私の会社だけでなく、私のところから独立した会社にも仕事を回しています。ここ川口では、クルド人の会社だけで100社以上の解体業の会社があります。みんな私のところで経験を積んで独立をしました。
 連載最終回となる記事『「殺されるかもしれない…」埼玉県川口市蕨市で暮らす「ワラビスタン」の「ビッグボス」が感じた恐怖と「たった一つの願い」』では、「ビッグボス」が明かした「恐怖の理由」と「唯一の願い」について、詳しくお伝えします。
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 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「「殺されるかもしれない…」埼玉県川口市蕨市で暮らす「ワラビスタン」の「ビッグボス」が感じた恐怖と「たった一つの願い」
 前の記事『埼玉の川口市や蕨市に移り住む「ワラビスタン」の「ビッグボス」がはじめて明かした、「壮絶すぎる過去」』では、クルド人としてトルコから日本に逃れたあと、いまや日本に暮らす2000人以上のクルド人をまとめるまでの存在になった「ビッグボス」の過去について、紹介した。
 これまで5回にわたってお届けしてきた「ワラビスタン」連載の最終回となるこの記事では、そんな「ビッグボス」が明かした「恐怖の理由」と「たった一つの願い」について、お伝えします。
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 「日本の親方は怒鳴るが、私は怒鳴らない」
 「解体の仕事は簡単ではありません。たくさんの危険がありますし、とても疲れます。日本の会社では親方が怒鳴ったりすることが多くありますが、私のところではそういうことはありません。
 仕事のやり方がわからない人には、知っている人が丁寧に教えます。決められた期間内に、なるべく早く安全に仕事が終わるようにします。そのためには、機械の扱いやチームワークを大切にしています。一人で普通の日本人の3人分以上の仕事ができるように教育します。
 個人の住宅だけではなく、大きな工場やパチンコ屋、ビルの解体もやります。500坪、1000坪単位の大きな現場もあります。最初は私も目で見て仕事を覚えました。機械の使い方、現場での動き方、誰も教えてくれないから全て自分で覚えました。
 そして、自分で学んだことをどんどんクルドの仲間に教えました」
 「仕事のできない人」はクルド人にも日本人にもいる
 「現場で出るゴミは、ルールに従ってお金を払って処分しなければなりません。そういう手続き(各種申請書など)など、クルド人には難しいこともあります。
 私の会社には日本人も働いています。彼らの助けがあって仕事ができているのです。よい仕事をしたら、それだけお金を支払います。だからクルド人以外の人も働いています。彼らの生活のためにも仕事には手を抜かないで、誰からも文句を言われないように気をつけています。
 在留資格を持っていても外人、クルド人ですから、少しのミスもしないように気をつけています。何度教えても理解しない人は、クルド人にも日本人にもいます。そういう人には辞めてもらいます。生きるための仕事です。遊びではありません。だから真剣なのです。
 人間は何もすることがないと悪い方に物事を考えてしまいます。どんなにいい人でも、いいことを考えられなくなるのです。私だけでなく、他のクルド人も日本人もそうだと思います。
 私にはこの仕事しかなかった。だから寝る時間を削って頑張ります。この仕事以外の仕事は出来ませんから。本当は先生になったり別の仕事もしたかったです。
 でも、それは日本では許されない」
 「殺されるかもしれない」恐怖
 「仕事が終わると、眠るまでが自分の自由な時間になります。私たちは仲間同士で話しをすることを何よりも大切に思っています。仕事のこと、悩みのこと、これから先の不安のこと、家族のことなど話す事はたくさんあります。
 お酒は飲まないですし、お店に入るとお金がかかるので、外で話すことが多いです。夜まで話すことも多いので、そういう姿が日本人にはいやなのかもしれません。
 私たちもできるだけこの国のルールを守ろうとしていますが、話をしているだけで警察が来て「どいてください」と邪魔に扱われることも多いです。ただ、話しをしているだけです。それでも日本の人は私たちを嫌います。どんな人でも楽しみは必要です。
 日本の人の中には、『早くトルコに帰れ』と言う人もいます。この30年で、私は親に会うために2回トルコに帰りました。どちらの時にも空港で逮捕されました。10日間くらい刑務所に置かれました。
 『もしかしたらこのまま自由になれないかもしれない』『トルコにいる家族と二度と会えないかもしれない』『もしかしたら殺されてしまうかもしれない』と考えてしまって、本当に怖かったです。
 日本の人は、『トルコはいい国で普通に暮らせるだろう』と言います。日本人にはそうだと思います。でもクルド人には違うのです」
 自分たち以外に信用できなくなったワケ
 「トルコではいつも危険がありました。いつ家族が殺されるか分からないし、家畜のように殴られたり、蹴られたりすることもありました。人間として認めてくれなかったのです。テロリストのように扱われることもあります。
 クルド人の苦しみは、一部の日本人が私たちの代わりに話をしてくれていますが、経験をしていないと本当のところは分からないのだと思います。
 日本は昔、戦争があって、それからは平和な国になっています。殺される危険もなく、普通に仕事ができて、友だちと自由に話ができて、家族と暮らすことができます。
 でも、クルド人はいつも力のある国に利用され、捨てられてきました。長い時間、そうだったので自分たちの他に誰も信用できなくなってしまったのかもしれません。
 日本人でもトルコ人でも、いろいろな考えがある。でもみんな、生きなければならないのです。どこの国でも温かい人はいます。これまでは仕事をして頑張ってきました。
 でも、それは私の家族のためでした。本当に大事なのはクルド人全体のことを考えて行動することです。それができなかったら、私の人生に意味などありません。
 生活はできるようになりましたが、子供たちのために学校も作りたいですし、もっと平和になるように頑張りたいです。クルド人だけでなくて、日本人もみんなが幸せになって暮らしてくことが大事です。一人だけで生きていくことなど意味がありません」
 「クルドの国ができるなら、いつ死んでもいい」
 「どんなときでもできることがあります。クルド人、あと5年たつと、人口がもっと増えます。世界のクルド人がもっと増えれば、発言力が大きくなって、少し自由になるかもしれません。いつかはクルド人の国ができるといいです。
 今はまだ世界のどこに行ってもクルド人は差別されます。だからいつかはクルド人の国をつくらなければならないと思います。安心して自由に暮らせる国が欲しい。それは当たり前のことなのです。私は解体の仕事もなくしてしまってもいいと思っています。
 クルドの国ができるならいつ死んでも、命もいらない。
 今、日本から出て行くクルド人も多いです。ドイツなどに移動するクルド人も多いです。私は世界中にいるクルドの仲間と連絡を取り合っています。
 日本は数年前から国の力が階段を降りるように落ちています。観光客以外の外国人が日本に来ることはありますが、大きく数が減りました。彼らは日本以外の国を選ぶようになっています。そういう状態はこれからも続きます。
 日本人が国を世界の中でどうしたらいいのか、真剣に考えた方がいいと思います。私は自分が生きるために日本に来ました。必死に働いて、結婚して、会社をつくって、クルド人が多いけれど、日本人などたくさんの人を雇って頑張ってきました。自分のためだけの会社ではないのです。
 奥さんには大きな迷惑をかけました。私がクルド人だからということで、彼女の人生にも大きく迷惑をかけてしまった。そのことがあるので、私が生きている限りは彼女のためにも生きます」
 「ビッグボス」の言葉をどう受け止めるか
 「ビッグボス」による告白は以上である。
 昨今、批判を浴びているクルド人の中にも、彼のような人物がいた。身体一つで異国に降り立ち、言葉を覚え、才覚のみを頼りにこの日本で人生を切り開いてきたのだ。
 その生き方は多くのクルド人に尊敬され、地域住民との関係も良好に保っている。これまで彼は日本人に対して自らのことを語ってこなかった。今回、正直な気持ちを吐露してくれたのは、日本人との間で急速に顕在化した軋轢がきっかけである。
 昨年2月のトルコ大地震、そして10月の入国規制の緩和以降、多くのクルド人が川口エリアを目指している。生活のスタイルを変えない彼らを受け入れる地域住民は、忍耐を強いられる場面もあるだろう。
 「異質」を受け入れがたい日本人は、彼らの存在を拒絶するかもしれない。すでにその兆しはあるが、感情に端を発した排斥運動ほど、醜いものはないと思う。
 日本各地で移民問題が起きている。「多様性」や「共生社会」を目指すのであれば、国も現実を直視し、取り締まりの強化だけでなく共生を促す仕組みを真剣に考えるべきなのだ。
 これまでも「移民排斥」は世界のあらゆる場所で行われてきた。明治以降、日本人も南北アメリカ大陸やハワイなどへ移民として海を超えていった。現地では安価な労働力として需要が増し、人口も増えていった。
 その結果、人種的偏見などから差別され、日本人排斥運動にまで高まることとなった。排斥運動の背景には、ナショナリズムの台頭と不況からくる生活苦が存在する。現在、その条件は整っている。
 自分の国がない人々の気持ちを理解することは難しい。だが、彼らの育った環境を想像し、共感することは我々にもできるだろう。今後も国内には隣人として多くの外国人が住み続けることになる。彼らとの生活を円滑に進めていくためにも、改めて自分の中の差別意識を意識し、確認しておきたい。
【ワラビスタン】連載 これまでの記事一覧
 #1 埼玉県川口市蕨市…通称「ワラビスタン」!日本に暮らす2000人以上のクルド人をまとめる「ビッグボス」の正体
 #2 都心では見たことない「意外な光景」が…埼玉県川口市蕨市に移り住んできた「ワラビスタン」たちの「リアル」
 #3 アパートの共用廊下には食べ残し弁当が放置され、腐敗臭が漂い…埼玉県川口市蕨市の「ワラビスタン」に怯えて暮らす、在日クルド人たちの意外すぎる「日常生活と本音」
 #4 埼玉県川口市蕨市に住む「ワラビスタン」の「ビッグボス」が、ついに重い口を開いた!県警の機動隊まで出動した「クルド人騒動」…そのウラで起こっていたこと
 #5 埼玉の川口市や蕨市に移り住む「ワラビスタン」の「ビッグボス」がはじめて明かした、「壮絶すぎる過去」
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 日本は世界で信頼され、日本人は世界で愛されている、はウソである。
 日本は優れていて、日本は賢いは、ウソである。
 日本人は、良い日本人がいれば悪い日本人もいる。
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 日本人と言っても、現代の日本人と昔の日本人は別人である。
 現代の日本人は、1980年代頃から変わった。
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 「ラジャー・ダト・ノンチックの詩」
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2023-10-04
💖22)─1─応神天皇ユダヤ系弓月国人約2万人を新羅から救い出した。日本書紀。〜No.91 
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