〖目次〗貼り付ける記事。:朝鮮編。大韓帝国、韓国、北朝鮮。2024年版。

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。

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 古代から、日本は援軍を送って共に戦ってくれる同盟国を持たず、一国のみで、侵略してくる大陸国(ロシア、中国、その他)と大国に味方する半島勢力(朝鮮)と外敵の侵略軍に協力する国内日本人の3者と孤独に死闘を繰り返していた。
 大日本帝国・軍国日本は、内部から崩壊し、太平洋戦争・日中戦争大東亜戦争に敗北して、数百万人が死亡した。

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 日本における数千年の災害史において、罪のない日本人・朝鮮人・中国人・その他の人々が日本人によって惨殺された凶悪犯罪事件は関東大震災の一件だけである。
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 一度起きた事は、同じクライシスが襲ってくると二度三度起きる危険性がある。
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2023-12-26
☱21〕─3・K─関東大震災朝鮮人虐殺100周年」。日本に謝罪を強要する韓国。~No.48 
2023-09-09
🍠9〗─2─明治の浜田地震は大正の関東大震災とは違っていた。備荒儲蓄法布告ノ件。明治5(1872)年2月6日。〜No.31No.32 
2023-09-08
🍙24〗─4─鳥取地震。犠牲となった朝鮮人労働者とその家族28人。昭和18年9月10日。~No.150 
2023-08-28
🍙29〗─4・B─敗戦直後の南海トラフ巨大地震と大正の関東大震災は違う。昭和21年12月21日~No.192 
2023-08-06
☷36〕─1─南海トラフ大震災や東京大震災で中国人や韓国人・朝鮮人の虐殺事件が起きる危険性。~No.91No.92 
2023-12-18
🌌49}─4・D─二つの大地震が一度に東京を襲い、「日本経済が壊滅的被害」を受け地獄と化す未来。~No.247 
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 日本人の共産主義者無政府主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇と皇族を惨殺すべく付け狙っていた。

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 人類の誕生と大移動。
 日本人の祖先は、アフリカのサルから突然変異として生まれ人類で、その幾種類の人類の中から乱婚を繰り返して誕生したホモ・サピエンス(現生人類)である。
 日本列島に最初に住み着いていたヤポネシア人とは、ホモ・サピエンス(現生人類)である。
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 中国大陸や朝鮮半島からゴミが海流に流されて日本列島に流れ着いたように、大陸人や半島人も漂着して自分の好きな浜辺から勝手に上陸して住み着き列島人となっていった。
 それは民族大移動ではなく、単なる半漁半農民移住に過ぎなかった。
 
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2018-10-04
☲10〕─1─昭和天皇爆殺テロ失敗、警視庁前桜田門爆弾テロと第一次上海事変。昭和7年1月~No.21 @ 
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 キリスト教朝鮮人テロリストは、日本人の共産主義者無政府主義者テロリスト同様に昭和天皇や皇族を惨殺する為に付け狙っていた。
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 韓国において、天皇や皇族を惨殺しようとした朝鮮人テロリストは国家の英雄として顕彰され、歴史教育で国民が崇めて目指すべき民族の英雄であるとして教えられている。

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 歴史的事実として、古代から、日本は被害者であり、中国や朝鮮は加害者であった。
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 日本にとって朝鮮は侵略者であった。
 朝鮮は、日本を幾度も侵略していたが、中国を侵略した事がない。
 日本は朝鮮を侵略したのは豊臣秀吉の一度のみであるが、中国は数百回も朝鮮を侵略していた。
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 中国には、朝鮮族はいたが、日本族はいなかった。
 日本には、中国族や朝鮮族もいなかった。
 朝鮮には、日本族も中国族もいなかった。
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 朝鮮の難民・逃亡者は、日本や中国に移り住んだ。
 中国の難民・逃亡者は、日本に好んで移り住んでも、朝鮮は嫌って移住しなかった。
 日本の難民・逃亡者は、日本国内を移住したが、海を越えて朝鮮や中国に移住しなかった。
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 日本人にとって半島人は、安心できる友・友人、頼れる親友でもなく、命を託せる戦友でもなく、何時後ろから襲って来るか分からない油断も隙もできない敵であった。
 知日派半島人は、裏切るか分からない「悪しき知日派」であって、信頼し信用できる「良き知日派」」ではなかった。
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 日本の大陸政策は、海外への領土拡大の侵略戦争ではなく、外国勢力の日本侵略から日本防衛の積極的自衛戦争であった。
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 古代から、大陸の敵日勢力の日本侵略軍事拠点が朝鮮半島であり、敵日反日外国勢力に協力する反宗教無神論・反天皇反民族反日的日本人が存在していた。
 現代風に言えば、エセ保守、リベラル左派、過激派で、媚中派、親韓国派、親北朝鮮派、反米派・反安保派、護憲派人権派反戦平和市民団体である。

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 朝鮮は、統一新羅から変わる事がない反日で、中国同様に日本の敵であり、日本との国交もなかった。
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 朝鮮や中国は、未来永劫、日本と話し合って分かりあえる・理解しあえる・打ち解けあえる・親しくなれるなど有り得ない。
 幾ら話し合ったところで無駄な努力に終わり、疲労困憊し絶望しか残らない。
 それは、江戸時代の日本人であれば誰でも知っていた一般常識的共通認識で、それが分からなかったのは日本の儒学者や漢学者などの一部の学問的エリートのみであった。
 その事実を正しく理解していたのは、聖徳太子菅原道真である。

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 古代からの日本の伝統的大陸・半島外交とは、「敬して遠ざける」と「モノを歓迎して受け入れても、ヒトは拒絶して受け入れない」であった。
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 中国や朝鮮の中華の歴史は、大虐殺が繰り返される戦乱に次ぐ戦乱の地獄の世界であった。

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 日本人の朝鮮人・韓国人、中国人に対する嫌悪や差別は、「偏見」ではなく「恐怖」であった。
 日本民族が大陸人と半島人に抱いた恐怖とは、儒教による「天皇殺し」であった。
 中国人や朝鮮人の「天皇殺し」とは、「王の惨殺」であって「暴君の弑逆」ではなかった。
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 儒教では、日本天皇放伐(ほうばつ)・弑逆(しいぎゃく)すべき暴君であり蛮族の王であった。
 マルクス主義キリスト教は、天皇殺しの儒教に似ていた。
 キリスト教朝鮮人テロリストと日本人の共産主義者無政府主義者テロリストは、昭和天皇と皇族を惨殺しようとしていた。

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 韓国キリスト教会の多くは、カルト宗教・原理主義宗教として反天皇反日本反神道である事に間違いない。
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 2023年7月7日 MicrosoftStartニュース 北海道放送「「宗教団体の衣を着たお金の収奪団体」「日本で金を集めて韓国に持っていく」安倍総理銃撃事件後に変化した旧統一教会問題の今
 
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 皇室の血族優先(ネポティズム)は、血縁・地縁による依怙ひいき、縁故、身びいきとは違う。
 天皇の君民共治は辺境の相互補完共生ムラ的運命共同体で、中国や朝鮮には存在しなかった。
 天皇の御威光とは、庶民を「大御宝」と念う天皇の御稜威、大御心である。
 天皇の御威光は「穏やかな祀りと祈り」として、日本国や日本民族だけではなく世界の平和と安寧、人類の幸福と繁栄をも対象とした、それが「八紘一宇」であった。
 歴代天皇の中で、それを深く考え実行したのが昭和天皇であった。
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 中国・朝鮮は、公・忠より私・孝を優先する一族・家族中心の宗族主義で、公然と賄賂による不正が蔓延る依怙ひいき、縁故、身びいきである。
 楊逸「王朝時代の中国は、『家国』意識が強かった。漢王朝は『劉家天下』、唐王朝は『李家天下』と、国土と人民も皇帝家の『私有物』という考え方でした。」

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 古代。中国大陸や朝鮮半島で繰り広げられていた血で血を洗う凄惨な戦争での敗者や弱者は、地獄の中華世界から逃げ出すように難民となって日本列島に逃げ込み、ヤマト大王倭国の庇護を受け、忠誠を誓う者は帰化人として、忠誠を拒否する者は渡来人として、日本に定住した。
 ヤマト大王倭国は、彼らから大陸や半島の悲惨な現状を知るや、中華の侵略から軍事力で日本を守る為に、全国の諸王国を一つにまとめる統一を急ぎ、極力軍事力を用いない平和的な手段を取っていた。
 何故なら、暴力的手段で平定しては、ヤマト大王倭国への恨みが残り、大陸や半島の諸勢力と軍事攻守同盟を結び、大陸や半島の軍事支援・援軍を受けて反ヤマトで徹底抗戦に及ぶ恐れがあったからである。
 中華世界の脅威の前で倭人同士による弥生の大乱を再演させない事、それが至上命題であった。
 日本天皇・日本国・日本民族の歴史とは、そうした歴史である。

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 朝鮮は、統一新羅を樹立してから大小数百回の侵略を受けたが、自国の力で侵略軍を撃退して自国を守った歴史はなく、大陸国の援軍を得て侵略軍を撃破してきた。
 援軍を出してくれた大国とは、中華帝国中国とアメリカであった。

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日本統治下における朝鮮の近代医学と公衆衛生。
2020-06-16
☱6〕7〕─1─日本は朝鮮の疫病感染爆発を封じ込め朝鮮人の生命を守っていた。〜No.12No.13 
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朝鮮のスペイン風邪
日本における感染爆発は、人口約6,500万人で感染者約2,300万人。死者38万人~46万人。
世界では、総人口のおよそ3割にあたる5億人が罹患し、2,000万人~4,500万人が死亡。
2020-04-03
☱8〕─1─スペイン風邪で日本は善意から朝鮮人を助けた。大正7年~大正9年。〜No.14No.15・ 
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朝鮮のコレラ流行
2020-05-08
☱9〕10〕─1─大正8年のコレラ日本陰謀説。英字紙による反日フェイクニュース。〜No.16No.17No.18No.19・ ② 

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 日本の戦争は、外国からの日本侵略と天皇殺害に対する合法的正当防衛としての積極的自衛戦争であった。
 自衛とは、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、アメリカの軍事侵略、ソ連コミンテルン中国共産党によるイデオロギー侵略であった。
 そして、日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストによる昭和天皇と皇族の暗殺失敗と、大陸系渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)による第32代崇峻天皇を暗殺である。
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 日本民族にとって、中国人と朝鮮人天皇殺し・神殺し・仏殺しの、冒してはならい穢してはならない尊き存在に対する「畏れ」を知らない、バチ当たりな、心が穢れた非人間であった。
 例えれば、イエス・キリストを殺したユダヤ人である。
 それ故に、日本は中国と朝鮮に対して偏見を持ち差別してきた。
 ユダヤ人のイエス・キリスト殺しは、聖書における信仰宗教であった。
 渡来人(外国人移民)の第32代崇峻天皇暗殺は、歴史的事実である。
 日本民族は、命を捨てても天皇を助け皇室を護ろうとするが、決して天皇を殺し皇室を滅ぼそうとはしない。
 歴史的事実として、権力闘争・政争で、天皇に即位する前の皇族は殺害され天皇を退位した上皇法皇島流しにあったが、日本民族日本人によって殺された天皇は誰もいない。
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 古代から北九州や西中国地方には、日本天皇への忠誠を拒絶し反旗を翻し日本国から独立する為に、中国大陸や朝鮮半島の敵日勢力と手を組み軍事支援を得て天皇に対して反乱を起こそうと企む反ヤマト王権勢力が存在していた。
 ヤマト王権は、国内外に数多くの敵と戦いながら日本統一を行い、天皇の下で日本を一つにまとめいた。
 天皇制度国家日本を取り巻く環境は、昔も現代も同じで、むしろ現代の方が悪化している。
 日本は、古代と同じように中国(中国共産党)、韓国・北朝鮮そしてそこに現代ではロシアが加わった4か国対日包囲網の中に存在している。
 そして、国内外に反天皇反民族反日的日本人達が暗躍している、彼らはマルクス主義者(共産主義者)とキリスト教徒、その他である。
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 古代の朝鮮半島は4カ国による戦国時代で、日本は朝鮮半島に領地を持ち領土を守る為に戦争を繰り返していた。
 朝鮮半島の動乱を裏で暗躍していたのが、中国の歴代王朝であった。
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 親日派知日派は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
 反日派・敵日派は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国
 韓国は反日派・侮日派であり、北朝鮮は敵日派・嫌日派である。
 日本人にとって朝鮮人とは、信用・信頼できる友・友人ではなく、頼もしい親友ではなく、命を預けて共の戦って生きる戦友でもなかった。
 いつ何時、寝首を掻きに来るか判らない、安心しているといきなり後ろから突然襲ってくる、油断も隙もない敵であった。
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 日本に逃れてきた朝鮮半島の難民や移民達には、帰化人と渡来人の二種類がいた。
 帰化人は、天皇に忠誠を誓い、日本国の為に働いた。
 渡来人は、天皇への忠誠を拒否し、日本国の為ではなく自分の利益の為に働いた。
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 592年 渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)は、大臣(おおおみ)の蘇我馬子の軽はずみな戯れ事を真に受け第32代崇峻天皇を暗殺し、馬子の娘を略奪して妻とした。
 渡来人の中国人や朝鮮人には、皇室に対する畏れはなく、天皇や皇族を殺す事に罪悪感はなかった。
 日本人の朝鮮人や中国人に対する偏見や嫌悪や差別はここから始まっている。
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 663年 唐は、白村江で日本軍を破り、日本侵略の為に山東半島などに大船団を終結させた。
 愛国者大伴部博麻は、白村江の戦いで捕虜となって唐に連れて行かれ、唐軍の日本侵略情報を日本に知らせる為に自分を奴隷に売って資金を作り、唐に残っていた遣唐使に渡して急ぎ帰国させた。
 天智天皇は、唐軍の侵略に備えて北九州から瀬戸内海にかけて水城(みずき)を築き、全国から防人を集めて配置し、万全な防備体制を固めた。
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 668年 草薙剣盗難事件。新羅の僧沙門道行は、尾張熱田神宮に祀られた御神体である「草薙剣」(三種の神器の一つ)を盗んで新羅に逃げ帰ろうとした所を捕らえられた。
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 672年 壬申の乱天武天皇の反唐派(反中派)・保守派は、近江朝廷を滅ぼし、大友皇子を自害に追い込み(追謚・弘文天皇)、親唐派(親中派)を政治の中枢から追放した。
 「大友王子とその周辺の五大官、そしてブレインの亡命百済人のみによって運営されていた近江朝廷は、急速に親唐外交路線へと傾斜していき、対新羅戦用の徴兵を急いだ」(倉本一宏『内戦の日本古代史』、講談社
 生き残った親唐派(親中派)の日本人や渡来人達は、地方ヘと逃げて土着した。
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 668年~780年 新羅は、朝貢の為に遣日本使を30回以上送った。
 新羅は、対唐(中国)政策として日本天皇に臣下の礼をとって忠誠を誓ったが、それは本心ではなくウソであった。
 つまり、朝鮮半島には信用・信頼、信義・道義など存在しない。
 日本にとって朝鮮は、親日・知日ではなく友・友人、親友、戦友にもならず、反日・敵日・侮日として油断も隙もない恐ろしい「寝首を掻きにくる敵」であった。
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 724年~749年 聖武天皇の御代では、日本各地で自然災害と西国で反乱が多発し、夥しい人々が犠牲となった。
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 764年 藤原仲麻呂の乱帰化人対渡来人の攻防。
 親唐派の藤原仲麻呂は、新羅討伐を計画して軍備を整えていた。
 孝謙上皇(女帝)は、唐から帰国した吉備真備坂上氏など帰化人軍事勢力らと図って藤原仲麻呂を滅ぼした。
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 811(弘仁2)年 弘仁新羅の賊。新羅船3隻は、新羅海賊船団20隻以上を手引きして対馬を襲撃した。
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 813年 第52代嵯峨天皇新羅の漁民と海賊の船団110人は、肥前の五島などに上陸して襲撃し、島民100人以上を殺害し、日本人を拉致して行った。
 五島の島民は、新羅人9名を殺し、多くを捕らえて役所に突き出した。
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 820年 弘仁新羅の乱。東国・関東には半島から逃げて来た移民・難民が多数住んでいた。
 天皇への忠誠を拒否した新羅系渡来人700人以上は、駿河遠江の2カ国で分離独立の反乱を起こした。
 が計画的な反乱ではなかったので、朝鮮半島の統一新羅は動かず日本を侵略しなかった。
 同様に、日本各地に定住していた新羅系渡来人や百済帰化人・高句麗帰化人も反乱に同調せず、日本を揺るがす内乱・内戦に発展しなかった。
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 遠江駿河両国に移配した新羅人在留民700人が党をなして反乱を起こし、人民を殺害して奥舎を焼いた。 両国では兵士を動員して攻撃したが、制圧できなかった。 賊は伊豆国穀物を盗み、船に乗って海上に出た。
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 834年 日本人百姓は、偏見と差別、新羅系渡来人への憎悪から武器を持って新羅村を襲撃した。
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 866(貞観8)年 山春永らの対馬侵攻計画。
 肥前基肄郡擬大領(郡司候補)山春永(やまのはるなが)、藤津郡領葛津貞津、高来郡擬大領大刀主、彼杵郡住人永岡藤津らが新羅人と共謀し、日本国の律令制式の弩の製法を漏らし、対馬を攻撃する計画が発覚したが未遂に終わった。
 なお、この対馬襲撃計画に先立つ天安元年(857年)には、対馬島で島内の豪族が300人ほどの兵を率いて対馬守を襲撃する反乱が起きていた。
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 869年 貞観の入寇。新羅の海賊。
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 870年 太宰少弐・藤原元利麻呂は、「新羅と通謀して謀反を企てている」との告発で捕縛された。
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 893(寛平5年) 寛平の韓寇。新羅の海賊は熊本、長崎、壱岐対馬を侵略。
 894年9月 唐の将軍を加えた新羅船100隻、2,500人が、対馬を襲撃した。 対馬の文屋義友は約500人の手兵で迎え撃ち、敵の大将を含む302人を撃ち取った。 捕虜となった新羅人の自白「朝鮮半島は不作により人民は飢えに苦しみ、治安が悪化していたため〝王の命令により〟襲撃した」
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 997(長徳3)年 南蛮の入寇。高麗人が、対馬肥前壱岐、肥後、薩摩、大隅など九州全域を襲う。民家が焼かれ、財産を収奪し、男女300名がさらわれた。これは南蛮の入寇ともいわれ、奄美島人も賊に参加していたといわれる。

 898年と899年に、大規模な反天皇武装蜂起を起こした。さらに各地で、幾つかの反日暴動を起こしていた。
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 906年 延喜の新羅の賊。
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 935年 統一新羅は、高麗の王建によって滅ぼされた。
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 997(長徳3)年 長徳の入寇。高麗の海賊の侵略。
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 1019年 刀伊の入寇満州騎馬民族女真族による北九州侵略。
 『韓国人に不都合な半島の歴史』 著者 拳骨たくみ「太宰府が4月16日に送った報告書が『朝野群載』(巻20)に記載されている。
 その記述によると、彼らは畠を食いつくし、馬や牛、犬の肉まで食べたという。年寄りから子供らはみな惨殺され、壮年の男女400~500人は船に乗せられ拉致された。
 ……
 高麗海軍による攻撃を受ける最中、賊たちは日本人捕虜たちを殺したり、す巻きにして海に投げ込んだりした。
 高麗は日本人を救出し、300人余りが助かったと生存者の供述書に書かれているが、この時点で拉致された人々の80%近くが死亡していることがわかる。
 ……
 一方の日本は、高麗に対して不信の念を強くしていた。
 権大納言藤原実資は、『賊は刀伊ということだが、捕虜を尋問したところ『高麗国が刀伊を防ぐために自分たちを派遣したが、刀伊に捕縛された』と答えている。数千もの賊がいて、なぜ捕まったのが高麗人だけなのか。賊は高麗人が嘘をついて刀伊人であるとしているのではないか』との見解を示した(『小右記』)。
 この不信感には先述したように、かつて新羅による海賊行為がしばしば見受けられたことで、裏で高麗が糸をひいているのではないかと考えられたからに他ならない。
 これらの事例からも、日本が韓国を古来から尊敬していたなどという話は、まったくの架空であることがわかるだろう。
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 日本の朝廷は、中国同様に高麗との正式な国交を拒否した。
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 ウィキペディア
 刀伊の入寇(といのにゅうこう)は、寛仁3年(1019年)に、女真の一派とみられる集団を主体とした海賊が壱岐対馬を襲い、更に九州に侵攻した事件。刀伊の来寇ともいう。
 経緯
 日本沿岸での海賊行為頻発
 9世紀から11世紀に掛けての日本は、記録に残るだけでも新羅や高麗などの外国の海賊による襲撃略奪を数十回受けており、特に酷い被害を被ったのが筑前筑後肥前、肥後、薩摩の九州沿岸である。

 藤原隆家と九州武士団
 藤原隆家は中関白家出身の公卿であり、眼病[注釈 3]治療のために大宰権帥を拝命して大宰府に出向していた。専門の武官ではなかったが、撃退の総指揮官として活躍したことで武名を挙げることとなった。
 九州武士団および、東国から派遣された武士団のうち、討伐に活躍したと記録に見える主な者として、大蔵種材・光弘、藤原明範・助高・友近・致孝、平致行(致光?)、平為賢(為方・大掾為賢・伊佐為賢)・為忠(為宗)、財部弘近・弘延、紀重方、文屋恵光(忠光)、多治久明、源知、僧常覚らがいるが、寄せ集めに近いものであったといわれる。源知はのちの松浦党の先祖の1人とみられ、その地で賊を討って最終的に逃亡させる活躍をした。
 なお、中世の大豪族菊池氏は藤原隆家の子孫と伝えているが、石井進は在地官人の大宰少弐藤原蔵規という人物が実は先祖だったろう、との見解を示している。
 九州・東国武士団は鎮西平氏とも呼ばれ、このうち伊佐為賢(平為賢)が肥前国鹿島藤津荘に土着し肥前伊佐氏となった。薩摩平氏はその後裔と称している。
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 一般社団法人日本戦略研究フォーラム
 1300人拉致事件の顛末
 ―「刀伊の入寇」から学ぶ今日的教訓―
 .顧問・元ベトナム・ベルギー国駐箚特命全権大使 坂場三男
 日本史を勉強した人でも今から約1千年前、1019年に起こった「刀伊(とい)の入寇」を知らない人は多い。しかし、この出来事は日本史上で初めて発生した外国勢力(海賊ではあるが)による大規模な侵攻であり、日本人365人が殺害され、1300人近くが拉致されるという未曽有の大事件であった。
 ……
 長らく続いた平和の中で、多くの公卿たちに「国を守る」という防衛意識が完全に欠落していたとしか思えない。今日、私たちが置かれている状況に照らすとき、何とも教訓に満ちた話ではないか。
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 世界史の窓
 「刀伊の入寇
 刀伊は筑前の国にも上陸し、北九州沿岸一帯を荒らした。太宰権帥であった藤原隆家(関白藤原道隆の子であったが、道長と対立し一時出雲に流されていた。この時は自ら望んで太宰府に赴任していた)は、地方豪族の武士団を率いて撃退することに成功した。刀伊の船は帰路、高麗の水軍によって壊滅させられ、連行された日本人捕虜200余名が救出された。
 (引用)当時の日本では、刀伊が旧渤海の故地に住むツングース系の女真人であることを、だれも知らなかった。政府は、襲来が高麗と無関係であるのを知ったが、高麗への警戒をゆるめなかった。また高麗が、捕虜にされた日本人を送還してくれても、なんら報いることをしなかった。公卿たちは、事件の認識と処理において、まことに鈍感で冷淡であった。<大江一道『地域からの世界史18・日本』朝日新聞社 p.83>
   ・   ・   ・   
 世界大百科事典内の刀伊の入寇の言及
 【平安時代】より
 …中国からは高級織物や書籍などが輸入され,日本の貴族の間に珍重されたが,とくに大量に輸入された宋銭は全国に流通し,商業・経済の発達に大きな役割を果たした。 こうして10世紀後半以降,おおむね平穏な対外関係を保っていた間に,突発的に起きたのが,1019年(寛仁3)の刀伊(とい)の入寇である。これは遼の支配下にあった女真族の一部族が壱岐対馬を襲い,北九州にも上陸して寇掠した事件であるが,大宰権帥藤原隆家をはじめ,在地豪族の奮戦によって,短時日の間に撃退することができた。…
 ※「刀伊の入寇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
 出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
   ・   ・   ・   
 1093年 「海賊船」を拿捕し真珠、水銀、硫黄、法螺などの貨物を接収し宋人と日本人の乗員を奴隷にした、と記録している。これらはすべて日宋交易における日本産の有力な交易物なので「海賊船」として拿捕したというのは単なる口実だとも考えられる。
   ・   ・   ・   
 文永の役(1274年)と弘安の役(1281年) 元寇。元(中国)・高麗・旧南宋連合軍による日本侵略。
 高麗軍は、日本人を虐殺し、子供約300人を強制連行し戦利品として忠烈王に献上した。
 日本人の子供たちは奴隷にされ、生きて日本に帰る事はなく異国で死んだ。
 捕らえた捕虜で、元南宋人(中国人)は助けたが、蒙古人や高麗人は殺した。
  ・  ・  
 虐殺から生き残った対馬壱岐・北九州の住民は復讐で怒り狂い、前期倭寇となって報復として高麗(朝鮮)や元・明(中国)を荒らし回り殺害・強奪・強制連行を行った。
 前期倭寇が行った残虐行為は、「目には目を、歯には歯を」の「相手の仕打ちに対して同様の仕打ちで対応する」という合法的正当行為であった。
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 1392年 李成桂は、主君の高麗王を裏切って殺害し、高麗王族を根絶やしにする為に女子供まで容赦なく虐殺して、主家の高麗王朝を滅ぼして半島を統一した。
 李成桂は、明帝皇帝に臣下を誓い、明国の属国になり、半島に於ける正当な唯一の支配者・統治者と認められ、その証として「朝鮮」という国名と民族名を下賜された。
 この後、独立国君主でない朝鮮国王は、新たに国王に即位する為には明国皇帝からの認可が必要とされ、明国からの皇帝勅使一行を王都の城門前まで出向き土下座して迎えた。
 朝鮮の小中華思想では、中華皇帝によって正当性を認められた朝鮮人を上位者とし、正当性を認められていない日本人を下位者とし、その偏見で日本人を野蛮人と軽蔑し見下して差別した。
 歴史的事実として、人種・民族・部族に対する偏見・軽蔑・差別・迫害・弾圧・虐殺において、最も激しいのは中国であり、次ぎに朝鮮で、日本は東アジアで最も少ない。
 朝鮮人や中国人は、性悪説として、気が強く傲慢で、嘘をつき人をよく騙す。
 日本人は、性善説で、気が弱くお人好しで、嘘をつかず人に騙されやすい。
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 1405年~1433年 明の永楽帝イスラム教徒で宦官の鄭和は、大艦隊を率いて南海遠征を行い、相手が弱いと見れば侵略して財宝を強奪した。
 世界の常識では、船団は海賊行為をおこない、敵対国の商船を襲撃していた。
 明国大艦隊は、目の前の日本を無視して東南アジア・中東に向かった。
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 1419年 応永の外寇世宗大王李氏朝鮮軍による対馬侵略。
 朝鮮軍、227隻、1万7,285人。
 島民114人を虐殺し、民家1,939戸を焼いた。
 対馬守護代宗貞盛は700騎を率いて反撃し、朝鮮軍2,500人(一説では3,700人)を撃ち取り、日本側の戦死者は123人であった。。
 朝鮮軍は、台風を恐れて全軍撤退し、事実上の敗走であった。
 日本武士団700騎 vs. 朝鮮軍1万7,285人。
 日本の大勝利。
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 ウィキペディア
 応永の外寇(おうえいのがいこう)は、室町時代の応永26年(1419年)に起きた李氏朝鮮による対馬への侵攻を指す。糠岳戦争とも言う。朝鮮では己亥東征(朝: 기해동정)と言われる。
 当時足利義持室町幕府の将軍)が明使を追い返すなど日明関係が悪化していたこともあり、京都では当初これを中国からの侵攻と誤解したために、伏見宮貞成親王の『看聞日記』には「大唐蜂起」と記されている。 朝鮮軍は227隻の船に1万7285人の兵士を率いて対馬に上陸したが、宗貞盛の抵抗により、朴弘信、朴茂陽、金該、金熹ら4人の将校が戦死し、百数十人が戦死及び崖に追い詰められて墜落死し、朝鮮軍は動揺して逃走したが船に火を掛けられて大敗を喫した。朝鮮側もすぐに迎撃のための再遠征を議論するほど戦果は不充分であったが結局実現しなかった。この外征以降、宗貞盛に日朝貿易の管理統制権が与えられ、対馬と朝鮮の通交関係の回復がなされた。その後、宗貞盛李氏朝鮮と嘉吉条約を結び、朝鮮への通交権は宗氏にほぼ独占されるようになった。

 対馬再征計画
 7月9日(7月31日)に、対馬へ向けて出港し再攻撃することが提案されたが、兵の士気がすでに落ち、船の装備が破損し、風も強くなっていたことから得策ではないとして、台風が静まることを待ってから軍隊を整えて再遠征しても遅くはないとしたが、結局実現はしなかった
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 凡人は歴史に学ぶ
 応永の外寇
 室町幕府の3代将軍・足利義満は甚だしく公家化しましたが、その子の4代将軍・義持は、わずか9歳で後を継いだものの、長じて将軍として活動するようになると、父とは反対のことをしました。義満が生前に望んでいた「太上法皇」の尊号が、朝廷からわざわざ下されたとき、義持はそれを辞退し、義満夫人の葬式も簡素に行い、義満の自慢だった政務中枢の北山第も、鹿苑寺金閣)を除いてすべて取り壊しました。
 また、義満が開始した明との貿易も、義持は日本にとって屈辱外交だと考え、冊封関係を否定。そのため、1411年(応永18年)にやって来た明の使者を兵庫の港から帰してしまい、入洛させなかったのです。武家の原理に戻ろうとした義持は、父の外交政策も根本的に否定し、保守的・国粋的に徹しようとしたのです。また、勢力を盛り返そうとする守護大名の中にあって調整役として機敏に立ち回り、比較的安定した政権を築き上げました。
 そして1419年(応永26年)6月、「応永の外寇」なる事件が勃発します。朝鮮の将軍・柳廷顕(りゅうていけん)、李従茂(りじゅうも)らが、蒙古兵とともに(蒙古兵は誤認とする説が強い)、兵船1300余艘を率いて対馬に襲来したのです。九州と対馬の諸豪族たちとの間で壮絶な戦闘となりましたが、最後は日本軍が大勝利し、その後、朝鮮は日本襲撃を断念します。
 この知らせを受けて驚愕したのが幕府です。日明関係がよろしくなかった時ですから、すわっ、元寇の再来かと思い慌てふためきました。義持も石清水八幡宮に参籠して無事を祈願しました。このとき、風もないのに八幡若宮の鳥居が倒れ、義持を仰天させたといいます。
 しかし、実際のところは、元寇のような大層なものではありませんでした。朝鮮の太宗が、当時の倭寇による掠奪の激しさに閉口し、倭寇の本拠地と思われる対馬を攻撃したのであって、元寇のときのように日本を征服しようなどという意図は全くなかったのです。
 しかし、そんなことは九州の武士にも足利将軍にも分かりません。明も預かり知らないことですから、事件の2、3週間後に国交を求めて使者を送ってきました。幕府は「ひとの国に攻撃をしかけながら、何という図々しさか」と怒り、明とは国交を断絶する旨を伝え、返事の国書を与えて帰国させたのです。その内容の一部は、次のようなものです。
 「明国の使臣が両国往来の利をしきりに説いているのに、義持がこれに応じないのは、先君義満が病に倒れた時に占ったところ、諸神の祟りであるのが明らかになったからだ。わが国は古来、外国に向かって臣と称したことはないのに、義満は暦と印を受けた。わが過ちを認めた義満は、死に臨んで永く外国との通交を絶つことを誓った。自分は神明の意にしたがい、先君の命を奉ずるのみである。昔、元兵100万が攻め寄せてきたが、神兵の援けによりこれを海の藻屑とした。今わが態度を怒り、攻め寄せるなら、迎え撃って戦わん」
 この返書をもらった明帝は、「いったい何のことやら」とずいぶん怪訝に思ったのではないでしょうか。
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 1428年 世宗大王は、日本からコメ作りや水車の製造など多くの事を学んだ。
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 後期倭寇は、対馬壱岐・北九州などに拠点を持っていたが、日本人は1割以下で、大半が中国人・朝鮮人南蛮人であった。
 日本人は、大陸や東南アジアとの正当な合法的交易で利益を上げていて、人が嫌う危険な海賊行為=倭寇で荒稼ぎするほど物好きではなかった。
 後期倭寇は中世のバイキングに似たところがあった。
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 豊臣秀吉朝鮮出兵・唐入り。
 1792年文禄の役、1797年~98年慶長の役。 
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 明治43(1910)年 「韓国併合ニ関スル条約」により日本は大韓帝国を併合して自国の領土とした。
 多くの朝鮮人は反天皇反日で、その中に過激なテロリストが存在していた。  
 貧しい朝鮮半島から豊かな日本列島への朝鮮人による民族大移動。朝鮮人若者は低賃金労働者として日本人労働者から職場・仕事を奪った為に、貧困日本人の反朝鮮人感情が膨らんでいった。
 キリスト教共産主義朝鮮人テロリストは、大正デモクラシー労働争議や小作争議、社会主義運動や部落解放運動、国家主義革新運動などで混乱している日本に潜入してきた。
 大正12(1923)年9月1日 関東大震災
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 大正13(1924)年1月5日 朝鮮人テロリスト集団の義烈団による二重橋爆弾事件。
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 昭和6(1931)年9月18日 満州事変。
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 昭和7(1932)年1月8日 桜田門事件。上海系朝鮮人テロリストによる昭和天皇の暗殺を狙った襲撃事件。
           1月28日(~5月) 第一次上海事変勃発。
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 歴史的事実として、日本国内には中国や朝鮮のような血に飢えた盗賊・野盗・山賊・海賊のような兇悪な犯罪集団は少なかった。
 黒沢明監督の映画「七人の侍」の世界が日本の乱世であった。

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 2023年7月7日 YAHOO!JAPANニュース Book Bang「近寄りすぎても、離れすぎてもいけない――「難しい隣国」の来歴を描く『朝鮮半島の歴史 政争と外患の六百年』の読みどころ(レビュー)
 韓国の歴史といえば、「日韓併合」と「朝鮮戦争」ばかりが注目され、近代以前の歴史はあまり知られていない。その空白を埋めるべく、新城道彦さんが『朝鮮半島の歴史――政争と外患の六百年』(新潮選書)を上梓した。本書の読みどころを、慶應義塾大学名誉教授の小此木政夫さんが紹介する。
 小此木政夫・評「朝鮮独特の「政治の磁場」」
 我々が隣接する朝鮮半島は政治的には「不毛の地」である。域内的にも国際的にも、調和や安定を欠いている。それは何をきっかけに、いつ発火するかわからない。歴史的にも、「近寄りすぎても不可、離れすぎても不可」という独特の「政治の磁場」であった。本書は我々にそのことの再確認を迫っている。
 本書の著者は、六百年に及ぶ朝鮮半島の歴史を「政争」と「外患」の観点から俯瞰したうえで、それを日本による韓国併合第二次世界大戦後の独立と分断の現代史と結び付けて解釈した。朝鮮王朝の「目をそむけたくなる歴史」を直視したうえで、「朝鮮半島が分断している現状はもちろん異例であるが、それと同時に、七〇年以上にわたって〈独立〉を維持していることもまた異例」だと指摘する。王朝史を俯瞰してこそ見えるものがあるようだ。
 ところで、評者はかつて戦後の朝鮮分断を「独立と統一の非両立性ないし相克」と定義したことがある。それは「独立を達成しようとすれば統一が不可能になり、統一を実現しようとすれば戦争が不可避になるという不都合な状態」に着目するものであった(『朝鮮分断の起源』、慶應義塾大学出版会、二〇一八年)。しかし、著者はむしろ二つに分断された韓国と北朝鮮が、それぞれ長期にわたって独立を維持していることに注目した。朝鮮史においては、それこそ例外的だというのである。「分断による抑止」とか「分断による平和」という言葉が頭に浮かぶ。
 一三九二年に太祖(李成桂)が始めた朝鮮王朝が最初に滅亡の危機に瀕したのは、豊臣秀吉の軍勢が朝鮮に侵攻したとき、すなわち十六世紀末の文禄・慶長の役による。首都である漢城は開戦から二十日間で陥落した。朝鮮が滅亡しなかったのは、明が参戦して日本の軍勢を押し返したからである。しかし、その明が疲弊し、日本が鎖国に向かうなかで、再び朝鮮半島の勢力均衡が失われた。一六三七年、朝鮮は清の皇帝に即位したホンタイジに攻め込まれ、四十日余りの籠城の後に降伏して服属を誓った。
 他方、その間にも朝鮮国内では「党争」が激しく、それが国難への合理的な対処を妨げた。それに対抗するために、国王の側も英祖・正祖の代には「蕩平策」(特定の党派への過度の依存を避け、勢力均衡を図る政策)を採用した。しかし、それに行き詰ると純祖の代には寵臣や外戚の専横を許す「勢道政治」が始まった。王朝政治のためにさまざまな政治技術が開発されたが、党争を収束できなかったのである。政治腐敗と自然災害で民衆の生活は困窮し、民乱が頻発した。
 さらに、やがて宗主国である清自身がアヘン戦争、アロー戦争、太平天国の乱など、内憂外患の深刻な状態に陥った。自らが西欧列強に領土を侵食されるなかで、清は富国強兵を進める日本を警戒して朝鮮への干渉を強めた。朝鮮の独立をめぐる日清の対立が深刻化したのである。さらに、日清戦争に勝利した日本が内政改革を通じて朝鮮政治への干渉を拡大すると、朝鮮はロシアに接近した。その先に待ち構えていたのが日露戦争韓国併合であった。
 ところで、著者は朝鮮王朝がすでに破綻の危機にあったことを前提にすれば、日本は「なぜ」自国の負担になりかねない国を併合したのかという興味深い問いを発し、伊藤博文山県有朋が異なるアプローチを採ったことを紹介している。ちなみに、著者は『天皇韓国併合』という研究書をまとめた専門家である。
 伊藤は韓国併合に反対であった。併合のコストが大きすぎたからである。日本が大韓帝国を統治して、その破綻に瀕した国家財政を引き受けるよりも、むしろ韓国を保護国として内政を改革させ、経済を振興して自国を防衛させることが重要であると考えた。将来的には、そのような韓国と同盟して、日本の安全を図るという戦略方針を描いていたのである。そのために、伊藤は韓国の宮中改革に着手し、次代の皇帝と目される皇太子の李垠を東京に留学させた。長期的な計画であった。
 しかし、一九〇九年十月にハルビン駅頭で伊藤が安重根に暗殺されると状況は一変した。伊藤に代わって最高実力者となった山県有朋やその下にあった寺内正毅陸軍大臣などの陸軍閥は、統治コストを顧みることなく、韓国併合に突き進んだのである。それは思慮不足に由来する「小さな失敗」にすぎなかったかもしれないが、満洲事変にまで繋がる後戻りのできない「大きな失敗」の出発点でもあった。大英帝国ヨーロッパ大陸との間の数百年の経験を経て「栄光ある孤立」を維持したことから学ぶべきであった。
 このように、本書は朝鮮王朝史を俯瞰し、朝鮮半島の独特の「政治の磁場」を浮き彫りにすると同時に、日本外交の在り方をも考えさせる内容になっている。
 [レビュアー]小此木政夫慶應義塾大学名誉教授)
 おこのぎ・まさお
 新潮社 波 2023年7月号 掲載

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 日本人、中国人、朝鮮人を薪に例えれば、日本民族日本人は燃え辛い悪質な生乾き薪で、漢族系中国人は燃えやすい良質な本乾き薪で、半島人は発火寸前の最優良な薪であった。
 その違いは、戦争や災害が起きた時に被災地で暴動・騒乱、強奪・略奪、殺人・暴行、強姦が起きるかどうかである。
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 歴史的事実として、漢族系中国人や半島人反日敵日侮日で親日知日ではなかった。

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 7月4日MicrosoftStartニュース FNNプライムオンライン「韓総裁「岸田を呼びつけ、教育させなさい!」旧統一教会への質問権行使で日本政府批判か “幹部会”の演説音声入手
 韓総裁「岸田を呼びつけ、教育させなさい!」旧統一教会への質問権行使で日本政府批判か “幹部会”の演説音声入手
 © FNNプライムオンライン
 FNNは、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の幹部らが集まって行った会の音声を入手。この中で、教団のトップである韓鶴子総裁とみられる人物が、岸田首相らへの批判を展開していることが分かった。
 「家庭連合を追い詰めている」首相を呼び捨てに
 音声が収録されたのは6月28日、教団の“聖地”とされる韓国の清平。
 この日、韓鶴子総裁は、日本の幹部も含めた約1200人の幹部らに対して演説を行ったという。
 韓鶴子総裁とみられる音声:
 1943年、韓半島で独生女(救世主=韓総裁)が誕生しました。分かっているのは、日本は第2次世界大戦の戦犯国だということ。犯罪の国なのよ。ならば賠償すべきでしょ、被害を与えた国に。
 そして、日本政府が教団に対し、6度にわたって質問権を行使していることを念頭にこう批判した。
 韓鶴子総裁とみられる音声:
 今の日本の政治家たちは、我々に対して何たる仕打ちなの。家庭連合を追い詰めているじゃない。私を救世主だと理解できない罪は許さないと言ったのに。その道に向かっている日本の政治はどうなると思う?滅びるしかないわよね!あなた(信徒)たちの運動は国を生かす道だ!
 信者:
 万歳!!
 この攻撃に、会場には幹部らの歓声と拍手が響いた。音声はさらにこう続く。
 韓鶴子総裁とみられる音声:
 政治家たち、岸田をここに呼びつけて、教育を受けさせなさい!分かっているわね!
 岸田首相を「岸田」と呼び捨てにした上で、幹部らへ韓国に呼びつけるよう命令したのだ。
 今回の発言について、教団側は「韓国で行われたことで、日本の家庭連合の広報で詳細については把握してない」などとしている。
 (「イット!」6月29日放送)
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7月4日 MicrosoftStartニュース 日刊ゲンダイDIGITAL「旧統一教会トップ韓鶴子総裁「戦犯国家の日本に賠償させろ」発言に自称・保守系ダンマリのナ
 安倍晋三元首相(左)と世界平和統一家庭連合の韓鶴子総裁/(C)日刊ゲンダイ
 © 日刊ゲンダイDIGITAL
 先鋭的で攻撃的な物言いは、かつてのオウム真理教を彷彿とさせる。
 旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の教団トップ、韓鶴子総裁(80)が6月末に教団内部の集会で語ったとされる発言について、共同通信やTBSが報じた。
 「日本は第2次世界大戦の戦犯国家で、罪を犯した国だ。賠償をしないといけない」
 「日本の政治は滅ぶしかないだろう」
 「岸田総理や日本の政治家を韓国に呼びつけて、教育を受けさせなさい」
 報道された音声データによると、韓総裁とされる人物は、日本の幹部ら約1200人を前にこう語気を荒げたという。
 この発言が事実であれば、もはや宗教法人とは言い難いのではないか。旧統一教会に対しては現在、解散命令の請求を視野に入れた文部科学省の調査が続いているが、今以上に厳しい目が向けられるのは間違いない。
 ネット上でも、《旧統一教会の正体が分かった以上、さっさと解散させた方がいい》《反日組織を見逃すな》といった意見が出ているが、不思議なのは、そうした「反日組織」といわれる旧統一教会と緊密な関係を結んでいたとされる安倍晋三元首相や、組織ぐるみで選挙応援してもらっていた自民党議員らに対する批判的な投稿が少ないことだ。
■「嫌韓、反中はしょせん口先だけ」
 とりわけ、安倍氏といえば、韓総裁が2005年にニューヨークで創設したNGO「天宙平和連合(UPF)」が開いた大規模集会にビデオメッセージを贈り、笑顔を浮かべて「敬意を表します」などと演説していたことが報じられている。
 「戦犯国家の日本に賠償させろ」「日本の政治家を教育しろ」と高圧的に叫ぶ人物の関連イベントに「敬意」まで表していたのだから、いわゆる保守系が多用するネットスラングで評すれば、どうみても安倍氏は「反日売国奴」では?
 今の野党議員が同じことをしていたら、それこそ連日のように袋叩きにされるのは目に見えている。にもかかわらず、安倍氏に対してはそんな動きはみられず、他の自民党政治家についても厳しい意見はみられない。なぜか自称・保守系らは静観したままだ。
 《結局、日本を守れとかネットで言っている人たちって、いい加減なんだな》
 《嫌韓、反中はしょせん口先だけ。かっこだけ。プーチンと同じですぐ日和るネット保守》
 SNS上では自称・保守系らに対する冷めた見方も広がっているようだ。
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 7月4日 産経新聞「自民、旧統一教会との接点 今も公認候補選びなどで影
 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)問題を受けた不当寄付勧誘防止法(被害者救済法)が施行され、5日で半年。法施行の発端となった旧統一教会は政治家との関わりも指摘された。自民党が昨年9月に公表した調査で、選挙の組織的支援や関連団体主催の会合出席など、何らかの接点があった衆参国会議員は約180人。全体の4割超にのぼり厳しい批判にさらされた。旧統一教会を巡る問題は次期衆院選の公認候補選びにも影を落としている。
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 7月5日 MicrosoftStartニュース MBSニュース「【旧統一教会韓鶴子総裁「日本は滅ぶ」「戦犯国は賠償すべき」発言に...鈴木エイト氏「教団は粉飾や金銭トラブルで財政難」【MBSニュース解説】
 毎日放送
 【旧統一教会韓鶴子総裁「日本は滅ぶ」「戦犯国は賠償すべき」発言に...鈴木エイト氏「教団は粉飾や金銭トラブルで財政難」【MBSニュース解説】
 旧統一教会韓鶴子総裁が幹部らを前に「岸田をここに呼びつけ教育を受けさせなさい」「日本は滅ぶしかない」と日本政府を批判した音声が明らかになっています。この音声について旧統一教会を取材している鈴木エイト氏は「安倍元総理の銃撃以降、日本からの送金がなされておらず、教団は財政難にある」とし、また「戦犯国の日本は賠償すべき」といった発言については「日本からの献金を正当化しようとしている」と話します。(2023年7月5日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」より)
 ◎鈴木エイト氏(ジャーナリスト、旧統一教会を約20年取材、政治家との関係について鋭く追及)

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 2023年7月3日 MicrosoftStartニュース プレジデントオンライン「なぜNHKは「反日プロパガンダ」に手を貸すのか…「軍艦島での強制労働」をでっち上げた歴史番組の大罪
 有馬 哲夫
 「軍艦島」として知られる長崎市端島=2020年12月4日撮影(写真=Koji 12/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)
 © PRESIDENT Online
 「軍艦島」として知られる長崎市端島を取り上げたNHK番組「緑なき島」(1955年放送)の真偽が話題になっている。早稲田大学の有馬哲夫教授は「NHKの捏造によって作られた番組だということは元島民の証言などから明らかだ。捏造を認めないことで、悪質な反日プロパガンダに手を貸すことになっている」という――。
 「朝鮮人強制労働」の証拠とされたNHK作品

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 東アジア大陸には、南の大河川流域にあった黄河文明長江文明、北の寒冷地にあった草原文明、西の乾燥地域にあった砂漠文明の環境条件が異なる4つの文明が存在し、生き残る為に熾烈な攻防戦をくり広げていた。
 「人と道具と文化は動く」という人類史からいうと、動かない黄河文明長江文明は地域文明であり、動く草原文明と砂漠文明は広域文明である。
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 草原文明(遊牧文明)の1つが遼河文明であった。

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 東アジア世界は内陸の世界・草原の世界・海の世界の3つが三竦みとして共存共生していた。
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 東アジアは日本・中華帝国朝鮮半島諸王国の3国とは違う、3つの世界、3つの文化、3つの価値基準、3つの歴史観、3つの歴史風土が存在する。
 ただし、言語・文字・宗教は3つ以上で複雑多岐であった。
 1つ目が中国(黄河流域・揚子江流域)・朝鮮・ベトナムなどの農耕内陸で、2つ目が満州・モンゴル・チベットウイグル中央アジアなどの遊牧草原で、3つ目が千島列島・樺太蝦夷地・日本・琉球・台湾・フィリピンなどの漁労海洋である。
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 乗り物は、農耕内陸は馬車・戦車で、遊牧草原は馬で、漁労海洋は舟であった。
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 西洋やオリエントと繋がる道は、農耕内陸は絹の道で、遊牧草原は草原の道で、漁労海洋は海の道であった。
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 歴史風土とは、農耕内陸は儒教道教・法家などの諸子百家、遊牧草原はマニ教イスラム教・他、漁労海洋は自然・精霊の崇拝とインド由来仏教であった。
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 歴史観とは、儒教道教による天帝の内陸史観、マニ教による天の草原史観、神話による神の海洋史観である。
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 東アジアの大地・海原・天空そして人から生物・有機物や無生物・無機物までの森羅万象の全てに、多種多様の宗教が存在する。
 現代科学風に言えば、東アジアの宗教とは、宇宙に存在する目に見えない暗黒物質ダークマター)と暗黒エネルギー(ダークエネルギー)である。
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 三竦みを個々にまとめて秩序と治安を与え安定させているのは磁石のような儒教中華思想である。 
 その意味で東アジアには、2つの大きな磁石(農耕内陸と遊牧草原)と1つの複合磁石(1つの中規模な磁石{日本}と幾つかの小規模な磁石{琉球アイヌと東南アジア諸国}の寄せ集め)が存在する。
 世界の核となる中華主義中華思想は、一つしか認めないという独裁では間違いで、複数が同時に共存共生するにおいては正しい。
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 農耕内陸には、南船北馬といわれる北の黄河文明と南の長江文明の2つがあった。
 遊牧草原には、馬の草原文明とラクダの砂漠文明の2つがあった。
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 徳川幕府鎖国をする事で、国内に対立・反発する異質な海の世界・内陸の世界・草原の世界を縮小して移植し、混ぜ合わせながら必要なモノは取り入れ必要のないモノは容赦なく切り捨て排除し、安定・落ち着くように改良・改善を繰り返して根付かせた。
 それが、江戸時代、日本の近世であった。
 つまり、日本は見た目は小さな島国であったが、国内には地球規模の世界と数多くの国と地域の要素を内包している。
 それを例えるなら、日本は全てを兼ね備えた「箱庭」である。

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 古代東アジアには、黄河流域の馬の文化、揚子江流域の船の文化、日本近海の舟の文化の3つの文化が存在していた。

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 日本民族と漢族中国人・朝鮮人は、東アジアに住むアジア人といっても別種のアジア人である。
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 中国人や韓国人・朝鮮人は、日本人と違って現実に起きていた事実の歴史、科学的な歴史が理解できない。
   ・   ・   ・   
 日本民族と漢族中国人・朝鮮人は、東アジアに住むアジア人といっても別種のアジア人である。
 中国は、日本とは違って科学的神話的人類史を嫌って認めようとはしない。
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 2023年7月5日 MicrosoftStartニュース AFPBB News「日韓は「己のルーツ知れ」、欧米人にはなれない 中国外交トップ
 日韓は「己のルーツ知れ」、欧米人にはなれない 中国外交トップ
 © Alexander NEMENOV / POOL / AFP
 【AFP=時事】中国外交トップの王毅共産党政治局員は3日、日本と韓国に対し、己の「ルーツ」を知り、欧米の影響を拒絶するよう呼び掛けた。
 王氏は東部・青島で開かれた日中韓のフォーラムで講演し、欧米主要国が意図的に「イデオロギーの違いを誇張している」と批判した。
 タブロイド紙の環球時報が共有し、他の中国メディアが報じた音声によれば、王氏は「欧米人は、中国人と日本人、韓国人の区別がつかない」と指摘。
 日韓は「己のルーツ知れ」、欧米人にはなれない 中国外交トップ
 © Alexander NEMENOV / POOL / AFP
 「われわれは髪を金色に染めようが、鼻を高く成形しようが欧米人にはなれない」「己のルーツがどこにあるか知るべきだ」と訴えた。(c)AFP
 日韓は「己のルーツ知れ」、欧米人にはなれない 中国外交トップ
 © Alexander NEMENOV / POOL / AFP
 【翻訳編集】AFPBB News
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 7月6日 MicrosoftStartニュース Record China「中国外交トップの「欧米人は日中韓の区別ができない」発言が批判・嘲笑の的に―米メディア
 米ボイス・オブ・アメリカの中国語版サイトは5日、中国外交トップ王毅氏の「欧米人は日中韓の区別ができない」とする人種主義的な色彩を帯びた発言がツイッター上で批判・嘲笑の的になっていると報じた。
 © Record China
 米ボイス・オブ・アメリカの中国語版サイトは5日、中国外交トップ王毅(ワン・イー)氏の「欧米人は日中韓の区別ができない」とする人種主義的な色彩を帯びた発言がツイッター上で批判・嘲笑の的になっていると報じた。
 記事によると、王氏は3日、中国東部の青島で開催された日本と中国、韓国の協力に関する国際フォーラムで、欧米人の大半は日中韓の区別ができないとした上で、「どんなに髪をブロンドに染めても、鼻の形をとがらせても、欧米人には決してなれない。自分たちのルーツがどこにあるのか知る必要がある」と訴え、3カ国の連携を呼び掛けた。
 この発言について、ツイッター上では批判的な反応が主流だ。
 関連するビデオ: 「西洋人にはなれない」中国外交トップ発言の意図を説明 (テレ朝ne
 テレ朝news
 「西洋人にはなれない」中国外交トップ発言の意図を説明
 米シンクタンク、ジャーマン・マーシャル財団の米中問題専門家、ボニー・グレイザー氏は「このメッセージは日本と韓国にはうまく伝わらないだろう。王毅氏は本当に国益について体裁に比べればささいなことだと考えているのだろうか」と投稿した。

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 600万年前~700万年前 人類(ヒト属)の祖先はチンパンジーボノボの祖先である類人猿から別れて進化していき、幾つかの人類種が枝分かれするが一つの系統を残して全て絶滅した。
 10万年前 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)は、アフリカで誕生し、世界中に移住していった。
 数万年前 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)は日本列島にたどり着き、上陸した、漂着した、流れ着いた。
 数千年前 揚子江流域民である弥生系渡来人が山東半島から朝鮮半島を経由し、続いて中国旧満州地方に住んでいた古墳系帰化人が朝鮮半島を経由して移住してきた。
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 日本土人である縄文人ヤポネシア人=旧石器人の子孫=岩宿人)は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部太平洋沿岸まで、西は朝鮮半島南部、日本海縄文人の海)を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と偏見を持って軽蔑し差別していた。
  ・  ・  
 日本文明は、揚子江流域(江南地域)にあった漁労農耕の温和で平和志向の長江文明の後継文明であって、黄河流域で軍事優先で栄えたの領土拡大・侵略志向の好戦的黄河文明の亜流文明ではなかった。
 朝鮮文化は、黄河文明の亜流であった。
  ・  ・  
 ヤポネシア人=岩宿人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
 数万年続いた日本列島の旧石器時代縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
  ・  ・  
 日本民族琉球民族アイヌ民族は、旧石器人(ヤポネシア人=岩宿人)、縄文人(日本土人)を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
  ・  ・  
 日本民族は、旧石器人(ヤポネシア人=岩宿人)、縄文人(日本土人)、弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
  ・  ・  
 アイヌ民族は、旧石器人(ヤポネシア人=岩宿人)、縄文人(日本土人)にシベリア・沿海州樺太北方領土4島・千島列島・カムチャツカ半島などオホーツク海沿岸に住んでいたオホーツク文化人が南下してきて、混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
  ・  ・  
 琉球民族は、旧石器人(ヤポネシア人=岩宿人)、縄文人(日本土人)に揚子江流域・東南アジアから渡って来た人々と混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。

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2019-12-07
☯8〕9〕─1─日本人が理解できない儒教思想の本質。〜No.17No.18No.19No.20No.21・ 
2019-06-22
☯10〕11〕─1─中華の歴史は、古代から儒教価値観で同じ様な事を繰り返している。〜No.22No.23No.24No.25・ 
2023-04-26
☯12〕─1─朝鮮半島で徹底的に排撃された異端の学問「陽明学」。〜No.26No.27 
2019-03-20
☯13〕─1─朝鮮半島の人災地獄。朝鮮儒教朱子学)による人命無視の過酷な身分制度と露骨な男尊女卑であった。〜No.28No.29・ * ③ 
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主体思想。    
2018-11-12
☯14〕─1─朝鮮には、個人の主体はあっても国家・政府の主体はない。~No.30No.31No.32・ ④ 
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事大主義。
2018-08-12
☯15〕─1─事大主義は朝鮮民族の宿痾である。中国人になれなかった事が、朝鮮人の「恨」と「怨」であった。~No.33No.34No.35・ @ 
2018-08-13
☯15〕─1─清国は、李氏朝鮮との宗属関係を保護属邦関係・主従関係に変更するべく圧力をかけた。~No.36No.37No.38・ @ ⑤ 
  ・   ・   ・   
儒教による宗教弾圧。仏教、キリスト教
儒教は神仏を認めず否定した。
2018-08-14
☯16〕17〕─1─李氏朝鮮は、排他的儒教価値観の尊皇攘夷思想でキリスト教徒を大虐殺した。~No.39No.40No.41No.42No.43No.44・ @ ⑥ 
   ・   ・   ・   
儒教が原因で技術の遅れ貨幣経済が発達しなかった。。  
2018-08-15
☯18〕19〕─1─朝鮮は、中国に倣って朱子学の正統派儒教実学を否定し技術を軽視しモノ作りを潰した。~No.45No.46No.47No.48No.49No.50・ @ ⑦ 
   ・   ・   ・   
儒教による妓生文化。中華皇帝貢ぎ宮廷慰安婦
2019-05-17
☯20〕21〕─1─中国の妓女制度が朝鮮で特殊な伝統的妓生(キーセン)文化を生んだ。〜No.51No.52No.53No.54No.55No.56・ ⑧ 
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朝鮮通信使は両国の友好・親善の使節ではなかった。
2018-08-11
☯22〕─1─朝鮮通信使の日本観は、反日・侮日であった。~No.57No.58No.59・ 
2019-12-08
☯22〕─2─朝鮮通信使は日本に対するヘイトスピーチを広めた。〜No.60No.61No.62・ ⑨ 
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暗黒の李氏朝鮮史。明国を裏切り清国に忠誠を誓った朝鮮人
2019-03-21
☯23〕24〕─1─権力闘争と腐敗堕落の朝鮮王朝。科挙と古代式中央官僚集権。勢道政治。世道政治。〜No.63No.64No.65No.66・ * ⑩ 
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2018-08-07
☯25〕26〕─1─朝鮮とは、朝貢(貢物)が鮮(すくな)い。えげつないサルフ山の戦い。江戸幕府の和議成立。1600年。~No.67No.68No.69No.70・ @ 
2018-08-08
☯27〕─1─倭乱より凄惨な丁卯胡乱丙子胡乱。責任者の先逃(ソンド)文化イガンジル。1627年。~No.71No.72No.73・ @ 
2019-07-24
☯27〕─2─恥辱と屈辱に塗れた惨めな丙子胡乱。皇帝用語「皇」「勅」の国書問題。〜No.74No.75No.76・ 
2018-08-09
☯28〕29〕─1─水戸藩徳川光圀は、中国礼賛の儒学者の妄説に激怒し、朝鮮におもねる亡国の歴史を排除して、正しい日本史を残そうとした。1636年。~ No.78No.79No.80No.81・ @ 
2018-08-10
☯30〕31〕─1─朝鮮通信使一行の素行の悪さや傲慢な態度は有名であった。1666年。~No.82No.83No.84No.85・ @ ⑪ 
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2021-11-22
☯32〕─1─日本が8ヶ月に渡る朝鮮通信使一行(約500人)の日本滞在費100万両を負担した。~No.84No.85 
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2022-10-28
☯33〕─1─竹島記す江戸期の航路図。竹島、1897年の米国地図に日本領と表記。~No.86No.87 

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2018-04-01
🍙13〗─1─記事消滅。台湾・新竹台中地震被害者に私有財産から巨額な見舞金を下賜する、世界で最も嫌われた昭和天皇。昭和10年~No.47No.48No.49・ @ 
2018-12-25
🍙13〗─2─軍国日本の小麦農林10号が人類の食糧危機を救った。日本軍部にとって兵糧・糧秣は軍需物資であった。〜No.50No.51No.52・ @ 
2019-12-05
🍙13〗─3─1935年 農学者・稲塚権次郎は「小麦農林10号」(ノーリン・テン)を開発した。〜No.53No.54No.55・ 
   ・   ・   ・   
2018-04-02
🍙14〗─1─日本経済は世界恐慌による不況から立ち直れず、日本農業も国際的農業不況で打撃を蒙っていた。昭和11年。~No.59No.60No.61・ @ 
2019-04-16
🍙15〗─1─飢餓列島日本の食糧逼迫。昭和12年度準戦時予算と増税体質。財務省の消費税26%。昭和12年。〜No.62No.63No.64・ 
2020-03-25
🍙16〗─1─朝鮮と東日本を干魃が襲い飢餓・餓死が再発する恐れがあった。昭和13年。~No.65No.66No.67・ 
2018-04-03
🍙17〗─1─朝鮮総督府は朝鮮の食料を確保する為に米を日本に送る事を遮断した。昭和14年。~No.68No.69No.70・ ⑥
   ・   ・   ・   
2018-04-04
🍙18〗─1─昭和15年体制=国家総動員体制=社会主義統制経済革新官僚主導社会。昭和15年1月~No.71No.72No.73・ @ 
2018-04-05
🍙18〗─2─北部仏印進駐。軍国日本は食糧供給の安定化の為に北部の穀物地帯を確保した。昭和15年7月~No.74No.75No.76・ @ 
2018-04-06
🍙19〗─1─戦争と庶民。革新官僚(隠れマルクス主義者)の統制経済と商人の自由市場の攻防。築地市場。~No.77No.78No.79・ @ 
2018-04-07
🍙19〗─2─タイ・仏印国境戦争。軍国日本は、タイ・仏印ビルマから食糧(コメ)を緊急輸入していた。~No.80No.81No.82・ @ 
2020-01-26
🍙20〗─1─戦前の統計学人口推計は2025年の「若年少数、老年多数」を予測していた。〜No.89No.90No.91・ ⑦
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昭和16年 
2018-04-08
🍙21〗─1─スティーブン・フックス「第二次世界大戦以前に、日本は米国にとって農業生産物最大の輸入国だった」。昭和16年1月~No.92No.93No.94・ @ 
2018-04-09
🍙21〗─2─軍国日本は、乏しい食料を公平に国民に分け与えるべく、人権を制限し自由に食べる権利を奪った。1941年の農業統制政策。昭和16年4月~No.95No.96No.97・ @ 
2018-04-10
🍙21〗─3─軍国日本は、必要な食糧(米)をドル建てで南部仏印やタイの穀倉地帯から輸入していた。昭和16年6月~No.98No.99No.100・ @ 
2018-04-11
🍙21〗─4─昭和16年6月 戦争回避を目的とした幻の「ニューギニア島日本売却」提案。~No.101No.102No.103・ @ 
2018-04-12
🍙21〗─5─食断。アメリカは、在米日本資産を凍結して、軍国日本が南方(タイ・仏印)で一粒の米も購入できなくした。昭和16年7月~No.104No.105No.105・ @ 
2018-04-13
🍙21〗─6─油断。アメリカは対日石油輸出を全面禁止して、日本人の命綱である食糧輸送を遮断した。昭和16年8月~No.106No.107No.108・ @ 
2018-04-14
🍙21〗─7─アメリカは、食糧不足の日本が懇願した食糧問題は日米交渉の対象外項目であるとして却下した。昭和16年10月~No.109No.110No.111・ @ 
2018-04-15
🍙21〗─8─ルーズベルトは、軍国日本に戦死か、餓死か、奴隷の如く土下座するかの選択肢を突き付けた。昭和16年11月~No.112No.113No.114・ @ 
2018-04-17
🍙22〗─2─戦前日本の失敗は、民族資本保護育成策で日本企業への国際資本からの融資・投資を制限した事。~No.118No.119No.120・ @ 
2018-04-19
🍙22〗─4─1941年。食糧不足の日本で混合型冷害が発生し凶作となる。見えざる飢饉。餓死の恐怖。~No.124No.125No.126・ @ 
2018-04-20
🍙22〗─5─日本列島の潜在的恐怖は、飢饉による「ひもじさ」であった。長禄・寛正の飢饉。平氏六波羅屋敷。天皇新嘗祭。No.127No.128No.129・ @ 
2018-04-21
🍙22〗─6─日本は自然災害の寒冷による凶作で政治体制及ぶ社会秩序が崩壊した。長命無限の国體と短命有限の政体。No.130No.131No.132・ @ 
2018-04-22
🍙22〗─7─食糧・エネルギー・原材料を自給自足できない持たざる国・日本の戦争犯罪。川口稔『昭和陸軍全史』。No.133No.134No.135・ @ ⑧ 
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昭和17年~昭和20年8月15日
2018-04-23
🍙23〗─1─食糧枯渇。日本軍の輸送船は、南方戦線に兵士と軍需物資を、国内に食糧と必要物資を運んだ。昭和17年~No.136No.137No.138・ @ 
2023-11-25
🍙23〗─3─台風第16号「周防灘台風」。昭和17年8月27日・28日。~No.142No.143No.144 ⑨ 
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2018-04-25
🍙24〗─1─戦局の悪化により、東南アジアからの海上輸送路が攻撃され、国内の食糧事情が悪化した。棚田の歴史。昭和18年~No.145No.146No.147・ @ 
2020-08-11
🍙24〗─2─戦時中、日本人が国内外で犯した非人道的重犯罪。大雪遊水工事。~No.148・  
2023-08-22
🍙24〗─3─戦時下で起きていた温泉やスキーへの旅行大ブーム。昭和18年。~No.149 
2023-09-08
🍙24〗─4─鳥取地震朝鮮人労働者とその家族28人が犠牲となる。昭和18年9月10日。~No.150 
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2018-04-27
🍙25〗─1─国内の食糧事情は急速に悪化して飢え始めた。昭和東南海地震。昭和19年~No.151No.152No.153・ @ 
2020-08-07
🍙25〗─2─昭和東南海地震。犠牲者推定1,223人。昭和19年~No.154 * 
2023-10-04
🍙25〗─4─戦時中の朝鮮半島出身労働者の収入状況などを示す1次史料。~No.156 ⑪ 
   ・   ・   ・   
2018-04-28
🍙26〗─1─日本本土海上封鎖による「飢餓作戦」。日本殲滅(滅亡)計画の「ダウンフォール作戦」。三河地震。昭和20年~No.166No.167No.168・ @ 
2018-04-29
🍙26〗─2─アメリカの『対日計画書』。本土決戦前夜の花岡鉱山事件。中国人労働者は暴動を起こして脱走した。昭和20年6月~No.169・ @ 
2019-12-15
🍙27〗─1─飢餓作戦。朝鮮半島からの食糧緊急移送計画阻止。~No.172No.173No.174・ 
2020-08-09
🍙27〗─2─三河地震。戦争終結を早めた自然災害。昭和20年1月13日。~No.175No.176No.177・ 
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2023-08-28
🍙29〗─4・B─敗戦直後の日本に追い打ちをかけた南海トラフ巨大地震の甚大な被害。昭和21年12月21日~No.192 
2023-09-15
🍙29〗─4・C─福井震災は地震と豪雨の複合災害。昭和23年(1948)6月28日。~No.192 
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戦争孤児
2018-05-16
🍙30〗─1─戦争孤児(駅の子)と戦争乞食の餓死・病死・自殺。昭和南地震。昭和21年8月~No.193No.194No.195・ @ 
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2022-04-06
🍙41〗─1─伊勢湾台風の地獄を救った在日米軍の元祖「トモダチ作戦」と献身的な自衛隊。~No.253 
2023-09-27
🍙41〗─2─伊勢湾台風と想定外の高潮で犠牲者は5,000人以上。昭和34年9月26日~No.254 
2021-09-06
🍙41〗─3─観測史上最大「チリ地震」と日本の津波被害犠牲者142人。昭和35年5月。~No.255 ⑭ 
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2022-03-02
🍙46〗─1─香港風邪のパンデミック。日本人の死亡者数7万人以上。昭和43年~昭和45年。~No.268No.269No.270 ⑮ 

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 2022年2月号 Voice「『若者の危機』と身体への帰還 田口茂
 『もし○○だったら』──。『仮想』の呪縛から抜け出せず、苦しみ若者たちへ
 『親ガチャ』とその背景にある空気
 ……
 ここまで注目したいのは、現代日本の若者たちのあいだに、ある種の無力感が重苦しさが一定程度広がっているように思われる点である。『自分たちが置かれている苦境は、からり根深い社会構造や日本の経済的現況などに根差しているため、自分たちの力では容易に変えることができない』といった認識が、若者たちの意識に暗い影を投げかけているようにみえる。
 ……
 こうした調査からみても、日本の若者たちのあいだに、将来に対する悲観的な空気や、ある種の無力感ににたものが漂っていることが推測できる。
 しかし筆者は、無力が漂う若者の状況を非難しようとは思わない。むしろ現状の日本を見みて、能天気に将来を楽観している者のほうが危うい。観察力の鋭い者ほど、現実に含まれる細かな不安要因を冷静に見抜き、それを考慮に入れて慎重に行動できると思われるが、その意味では、日本の置かれた状況を冷静に見抜く現代日本の若者は、なかなか優秀であるといってよいかもしれない。
 ただ、若者たちがある種の『無力感』を強く抱いているという点は気になる。
 ……
 結論からいえば、簡単な処方箋はない。しかし、人間が生きるということの基本的な条件やあり方から、この難しい課題に対応するきっかけを探ることは不可能ではない。
 ……
 『反実仮想』の能力は救いでも呪いでもある
 ……
 それでは『もし仮に・・・だったら』という『反実仮想』は端的に悪なのだろうか。そうではない。『反実仮想』とはむしろ人間にとって重要な能力である。進化の歴史のなかで、大分部分の動物は『いま眼の前にあるもの』に単純に反応することで環境を生き抜くしかなかった。しかし、絶え間なく変化する環境を生き抜くには、いま現にある状態とは別の状態を思い描き、その状態から生じる結果を仮想的にシミュレーションできたほうが有利である仮想的な想定が詳細に行えるようになるほど、環境の多様性に対応したり、環境に介入してよる好都合な結果を引き起こしたりできるようになる。
 ところが、人間が心理的能力を豊に発展させ、高度な文化を築いてゆくにつれ、いつしか『反実仮想』の能力は人間を苦しめるものにもなってきた。『せっかくここまで育ててきた農作物が、どうして実を結ばないのだ?いまごろ豊作を喜んでいたはずなのに!』といった具合である。事実ではないが『ありえたかもしれない』可能性を想定することが増えれば増えるほど、それらの可能性は頭のなかを占有し、われわれを苦しめるものにもなる。われわれに環境を生き延びるための力を与えてくれたその同じ能力が、われわれの生の呪いともなる。生存において『反実仮想』が役立ってきたという一種の成功体験ゆえに、われわれはそれにしがみつき、ますます自分の窮状を悪化させてしまう。
 ……
 膨れ上がる仮想的身体
 現代人にとって、『反実仮想』の能力を拡張するように働いている条件は何か、と考える時、比較的自然に浮かんでくるのは、われわれの日常を多分に支配するようになった情報ツールの数々である。古くはマスメディアが、遠くの地域や、世界各地で起こっていることを刻一刻と伝え、『あたかもその場に居合わせているような』感覚をわれわれに与えるようになったが、インターネットの発展はその展開に拍車をかけている。Eメールは、遠くにいる人びとと瞬時にやりとりすることを可能にして、ビデオ通話サービスは、『いま自分がいない場所に、あたかも居合わせているかのような』感覚をますます強める。
 さらに、SNSはそのような感覚を常態化する。その利用者は四六時中、『いまここ』にいるだけでなく、世界中の至るところに同時にいるかのような感覚をもつようになった。実際には自分の身体がそれら無数の場所にあるわけではないから、それは一種の『反実仮想』的な感覚といってもよい。
 ……
 われわれは、この膨れ上がった身体や、膨張した可能性の世界全体を、『いまここ』に生きる自分の身体的生とうまく関係づけられなくなっているのではないか。いびつに膨れ上がった自分の仮想的身体を、われわれはコントロールしきれなくなっているのではないか。自分と関係づけられた『可動的(反実仮想的)自己』の急速な膨張は、人類の歴史のなかではごく最近の出来事であり、われわれがそれに簡単には適応できなくても不思議ではない。
 フッサール現象学と身体への帰還
 ……
 当然のことだが、人類が科学技術とともに作り上げてきた文明の価値を否定しようというのではない。問題は、現代の情報ツールを通していびつに膨張した『反実仮想の世界』を、いかにして『環境を生き抜く有用な能力』としてのもともとの『反実仮想』へと再び反転させるか、ということだと思われる。そこでは、『生きられた身体への帰還』という現象学の中心思想が、それなりに寄与する面があるかもしれない。
 『私の身体から見た世界』
 そのような現象学の可能性を強調しているのが、認知科学者F・J・ヴァレラ(1946~2001)である。彼の提唱する『エレクティヴ・アプローチ』は、人工知能脳科学を含む現代の科学を、生きた身体の現象学、ならびに仏教に代表されるような、東洋的な内的生の探究の伝統を結びつけようとしている。
 ヴァレラは、『身体的主体』と『客観的世界』(あるいはわれわれが主観的に『知ること』と、世界が実在的に『あること』)とが、お互いを条件づけ合い、お互いを含み合う『根源的循環』こそがわれわれにとっての現実を成していると考えた。つまり、われわれの身体は世界のなかで、世界によって生みだされるが、一方で、まさにその身体を生き、身体的に行動することによって、世界が創られ、『生み出されていく』ともいえる。
 われわれが見ている特定の世界の姿は、自分が現にもっている身体によってしか、見ることができない。私の身体は他の動物の身体と異なるし、他の人間の身体とさえまったく同じではないからである。あなたが見ている世界の姿は、あなたがいま生きている身体なしには、およそこの世界に存在しなかったのだ。
 ドリアン助川の小説『あん』には、次のような一節が出てくる。生涯のほとんどをハンセン病の療養所で過ごしてきた主人公の徳江には、教師になって世のため人のために働いてみたいという夢があった。しかし、ハンセン病の隔離政策によって夢は叶(かな)わず、『世の役に立たない人間は生きている価値がない』と苦しんでいた。それがある出来事をきっかけに変わることになる。
 美しい月に眼を奪われていたとき、自分を照らす月が『お前に、見て欲しかったんだよ。だから光っていたんだよ』とささやいてくれたように思えた。そのときから、徳江にはあらゆるものが違って見えるようになった。『私がいなければ、この満月はなかった。木々もなかった。風もなかった。私という視点が失われてしまえば、私が見ているあらゆるものは消えてしまうでしょう』『私たちはこの世を見るために、聞くために生まれてきた。この世はただそれだけを望んでいた。この世はただそれを望んでいた。だとすれば、教師になれずとも、勤め人になれずとも、この世に生まれてきた意味はある』。このように徳江は気づく。
 私にしか生きられない現実の身体を生きるということによって、その身体を通して見る世界は『はじめて存在するようになる』。そのかぎりで、自分の身体を生きるということは、それだけですでに比較不可能な価値を実現している。これは、他の『ありえたかもしない無数の可能性』と比較して、自分の生の価値の『ランキング』を行なおうとする考え方の対極にある。ここに、『親ガチャ』のもたらす無力感から脱するための一つの手がかりが潜んでいないであろうか。
 『仮想』の呪縛を解く
 もし『ありえたかもしれない無数の可能性』が自分を苦しめ、ほかのことが考えられないほどに思考を麻痺させるなら、それがたんなる『仮想』ないし『妄想』にすぎないと看破し、生きた自分の身体へと立ち戻ることが、『仮想』の呪縛を解くきっかけとなりうる。そうして、自己の『生きた身体』から出発して、そこから広がるさまざまな可能性との関係をつなぎ直す。
 そのような仕方で、『ありえたかもしれないが、現実にはそうでない自分』に固着するのではなく、自分の現状を変えるための小さな現実的可能性に集中することが可能になる。たとえば『どうして自分は裕福な家庭に生まれなかったのか』と地団駄(じだんだ)を踏み続けるのではなく、『もし仮に自分の生活を変えるべき何か小さな一歩を踏み出したら、少し経済的に余裕が出てくるかもしれない』というふうに、現実の自分から出発して、現実的な未来を考えるツールとして『反実仮想』を使う。これは、肥大化した『反実仮想』の方向性を反転させ、『反実仮想』をその本来の役割へと還(かえ)してやることを意味するだろう。
 あるいは、『自分にしか実現できないこと』を追求するには、経済状態はあまり関係ないことに気づくこともあるかもしれない。たとえば『手を使ってものをつくる』ことこそ自分の生きる道だった、と気づくなら、親の経済状態を比較する意味はあまりなくなるかもしれない。いずれにせよ、まず自分にしか生きられない身体的現実を受け止め、『あん』に出てくる月が語ったように、『世界であなただけに見て欲しがっている』風景を見ようとすることが出発点となる。
 それは本当にささやかなことでもよい。休日の午後、風呂に入って窓から空を眺めながらそよ風を感じる。身体に感じる温かさや、眼に映る風景の穏やかさは、いまこの瞬間、あなたが生きていなければ消えてしまうものだ。そのようにいま現に体感している以外のものは、すべてあなたが頭の中で『思っている』ことにすぎない。それらは、『いまここ』で眼の前に存在するわけではない。
 『マインドフルネス』が現代社会にじわじわと浸透し続けているのも、こうした感覚を自分の生活の出発点となることの重要性に人びとが気づき始めているからだろう。
 フッサールに倣(なら)って考えるなら、現代の若者は、学問・科学の偏(かたよ)りを受けていびつに発展した文明の課題を一身に引き受けて苦しんでいる面もあるかもしれない。だが、こうした壮大な課題は、ヴァレラのいう『根源的循環』という一種の『ループ』を通って、私の身体につながっている。そのような文明的課題の解決は、もっと身近でささやかな『私の身体的生』を感じることから秘やかに始めるものかもしれない。」

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